兵藤大一が仲間と訓練する時間は減っているとはいえ、仲間との交流が変わったわけではない。彼自身もそれは意識することであるため、拗れた関係性は払拭しておきたかった。面倒な関係性というのがどれほど互いに心労をかけるのか、彼はこの短い期間で恋人と慕ってくる後輩と共に嫌というほど学んでいる。
少し迷いもしたが、彼は意を決すると厚い本を片手にある人物の部屋の前へと向かうと、軽くノックする。
「ロスヴァイセさん、すいません。ちょっといいですか?」
「うえっ!?ちょ、ちょっと待ってください!」
バタバタと何かをしまうような騒がしい音が扉の向こうから聞こえてくる。無理に今日にするべきでなかったかと思ったが、先延ばしにすると余計に距離感を置きそうだと思った大一はとにかく落ち着くように自身を戒めながら扉の前で待つ。
間もなく、部屋の主であるロスヴァイセが扉を強く開いた。
「お待たせしました!」
「えっと…お忙しいところすいません」
「明日の準備をしていただけなので、大丈夫ですよ」
少し髪がぼさぼさになっているロスヴァイセの様子から、明日の一誠とのデートの準備が難航しているのが窺えた。やはり動揺させないように後日にするべきかと一瞬思ったが、すぐに振り払って彼女に本を渡す。
「前から借りていた魔法の本です。お返しします」
「後ででも良かったのに…」
「いえ、いつまでも借りっぱなしというわけにもいきません。それに必要な基礎的な部分は書き写しましたので」
「ええ!?基礎的って…これの半分近くを写したんですか…」
ロスヴァイセは驚愕の表情で反応する。約2か月、彼が隙間時間を見つけてコツコツと学んだ集大成は彼の机にノート6冊分としてそこにあった。トレーニングと同時に学びを深めることは彼にとって数少ない悩みを忘れさせてくれるひとつの手段であったため、ありがたかった。その割には実戦で使えるレベルの魔法は疑似的な防御魔法陣だけであったが。
「…確かに受け取りました。でも必要な時は言ってくださいね。いつでも貸しますよ」
「お気遣いありがとうございます。あともうひとつ、謝らなければならないことがあって」
「なんでしょう?」
「えっと…最初に彼氏役の件を断って申し訳ありませんでした」
大一は大きく頭を下げる。これにはロスヴァイセも面食らったようですぐに手を振ってそれを否定した。
「いやいや!大一くんが謝るのはお門違いですよ!私の方こそ皆さんに迷惑をかけてばかりで…」
彼女自身、祖母への引っ込みがつかなくなった面はあったが、兵藤兄弟に彼らに好意を持つメンバーを巻き込んで大事になってしまったのは不本意であった。このような形で祖母に指摘された要領の悪さが表に出ると、尚のこと自分に呆れる思いであった。
「改めて申し訳ありませんでした。祖母がこちらに来るとは思ってもいなくて」
「それは仕方ありませんよ。一番、気持ちが落ち着かないのはロスヴァイセさんでしょうし、俺が引き受けていればあなたの負担も少なくなっていたかも…」
大一が感じていた申し訳なさはこの言葉に集約されていた。今回の一件で一番動揺しているのはロスヴァイセであることは明白であった。大一が引き受ければ、リアスや一誠まで巻き込まずに済み、彼女の心労も軽減していたことを考えると、彼にとって謝罪は必要なものであった。もちろん、朱乃や小猫が不服は示すだろうが、そこは自分がフォローをしっかりと入れることで丸く収まると考えていた。ライザーやシャドウ辺りからすれば、それでなんとかしようとするのは、自惚れが過ぎるような気もしていたのだが。
再び頭を下げようとする大一の肩をロスヴァイセは押しとどめる。
「このままでは謝罪ばかりで、いつまでも終わりそうにないですからここまでにしましょう」
「か、返す言葉もないです…」
互いに要領の悪さと真面目さに定評のある2人のやり取りは奇妙であったが、区切りをつけたことが安心に繋がったのも間違いなかった。そのまま落ち着いた空気で会話が展開される。
「そうだ、大一くん。祖母のこと、ありがとうございました」
「いや出迎えただけなので…そういえば、ゲンドゥルさんは自分のことを知っていたみたいなんですが」
「あっ…それはたまに話していたんです。学校で先生をするだけでなく、魔法を教えることもするようになったって」
「腑に落ちました」
「大一くんに彼氏の役を最初にお願いしようとしたのも、それがひとつの理由でした。あとは年齢の近さとか…」
恥ずかしさを顔に映しながら、ロスヴァイセは話す。度々魔法を教えていた時間的な関わり、身近な仲間内ではアザゼルを除いて彼女よりも身長が高いため視覚的な安心もある、京都の件を皮切りに大人としての立場で同志的な感情…他にも理由はいくつかあるのだが、話を深めるのは蒸し返すような気持ちになるため、彼女は言葉を切った。
大一も特に気にしていない様子で、話を続ける。
「このまま丸く収まればいいですね」
「はい。まだまだ困ることはありそうですが…」
「いつでも協力しますよ」
力づけるように握り拳を見せる大一の姿に、ロスヴァイセはなんとも言えなかった。彼が多くを抱え込んでいるのを知っていた。学生の身、下級悪魔の身で未だに多くのことをこなそうとしている。
彼女も大人として仲間達に迷惑をかけないように、懸命に努力を積み重ねており、似たような立場にいる故の心配であった。そんな彼に対して、頼るべきではなかったと思っていたはずなのに…。
「ありがとうございます、大一くん。おやすみなさい」
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翌日、一誠とロスヴァイセがデートに行くよりも早く大一は外出した。リアスと朱乃は詳細について知っているが、正確には急遽決まったことで最低限の2人にしか連絡出来なかったのだが、彼はゲンドゥルに町を案内していた。会議前の資料などは用意しており、ミーティングなどの時間まで日本を紹介して欲しいというものであった。しかもわざわざご指名付きである。と言っても、駅周辺の賑わっている場所を紹介しただけであった。休日に老いてきた母の買い物に付き合う成人男性のような印象であった。実際のところは、まったく違うのだが。
ほどほどに歩いたところで2人は喫茶店に入る。ディオーグが頭の中で甘い物を注文することを求めるのを完璧に無視しながら、大一は運ばれてきたコーヒーを飲む。対面に座るゲンドゥルは丁寧に紅茶とケーキを楽しんでいた。動作のひとつひとつが上品ながらも、年齢を思わせない若さがあった。
「私の住むところよりも賑わっていますね。日本は本当に素晴らしい国です」
「楽しんでいただけたら幸いです」
打診があった際は冷や汗ものだったが、オーディンの時のような無茶な要求は皆無であった。ただ少し気がかりなのは、わざわざ大一に頼んできたことであったが。
「…正直気づいているのですよ。あの子があなたの弟に彼氏の振りをして欲しいと頼んだことは。他の皆様の反応なども踏まえれば明らかです」
出し抜けに放ったゲンドゥルの言葉に、大一は納得した。おそらく彼女は実状を聞くために、自分への案内を頼んだろう。そして彼女相手に誤魔化すことが無意味であることも、すぐに悟った大一は、静かに頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「あなたを責めているわけでは無いのですよ。孫に対して呆れはありますが…」
紅茶のカップを両手で持ちながら、ゲンドゥルは静かに嘆息する。身内として孫娘への心配がハッキリと見て取れた。
「やはり心配ですか…?」
「ええ、あの子の気性は仲間であるあなたもよく知っているものだと思いますが?」
「たしかに無茶をやる場面はありますが…しかしそれ以上に真面目で責任感の強い女性であると思います」
「そのように評価していただけると嬉しいものです。しかしだからこそ心配というのもあるのですよ」
そのままゲンドゥルは不安について語る。なんでも彼女の家系は代々降霊術や精霊との交信を主軸に置いてきたのだが、ロスヴァイセは方向性が違う攻撃魔法ばかり覚えていった。家の伝統とはまるで違う方向に進んでいき、それが起因して家の代替わりする際の紋章を彼女は受け継げなかった。北欧の業界では研鑽してきた魔法や技術を代々引き継いでいくため、代わりに遠縁の子が引き継いだことはロスヴァイセに影を落としていた。
彼女の身内も血縁関係者もそれで別に彼女を蔑ろにすることはなく、こういった子もいるだろうと変わらずに接し続けている。ゲンドゥルも少し違うだけで大切な孫の能力や素晴らしさをよく理解していた。しかし…
「あの子が素晴らしい能力を、人として優しい子であるのはわかっています。だからこそ、このことを引きずり続けないで欲しいと思うのです。私への自責の念なんてさっさと振り払って、更なる研鑽に励んで欲しいと思っているのですよ。それがこの地で教職を続けることへの不安にもなっていて…」
ゲンドゥルが孫に対して不安を感じるのは、こういった事情が複雑に絡んでいるからなのは理解できる。なんとか気の利いた返しができればと思ったが、彼の知識量ではそれも叶わなかった。いや、おそらく本当に同じような立場でないとそれもできないだろう。それでも…。
「ロスヴァイセさんがどれほど心配しているかは私にはわかりません。お祖母様が不安に思う気持ちもあるでしょう。しかしあの人はとても強い女性です。魔法を教えてもらっている私が保証します。きっとその不安を乗り越えることは出来るでしょう。それに難しいときは、私も彼女を支えます。ですから、えっと…」
半ば勢い任せに放った発言にどのように言葉を紡ごうかと大一が困窮していると、突然印象に残る声が彼の耳に届いた。
「あらっ!大一ちゃん、奇遇ね~!」
野太い声がした方を見ると、屈強な肉体をした男性が近づいて来た。大一とロスヴァイセの契約相手である生島純であった。
「い、生島さん、驚かさないでくださいよ…」
「いいじゃないの、運命の出会いとして楽しませてよ。最近、ロスヴァイセちゃんと一緒にお仕事に来てくれないんだから」
「失礼、大一さん。この方は?」
ゲンドゥルが鋭い視線を大一に向けて問う。孫の名前が出たことでさすがに彼女も流すわけにはいかなかったのだろう。
「あっ、ごめんなさいね。私は…」
「生島さん、大丈夫ですよ。ゲンドゥルさん、この方は私とロスヴァイセさんの契約相手の生島純さんです」
「あら、そこまで話して大丈夫な人なの?」
「この人はゲンドゥルさんといって、ロスヴァイセさんのお祖母様ですよ」
これを聞いた瞬間、生島の表情が2割増しで輝いたように見えた。その後に続いた声の調子は5割増しではしゃいでいるように感じた。
「えええ!そうだったのね!でも言われてみれば、たしかに雰囲気が似ているわ!すごい綺麗な方~!あっ、自己紹介が遅れて申し訳ありません!生島純です!いつもロスヴァイセちゃんには良くしてもらっています!」
「ゲンドゥルと申します。孫がいつもお世話になっています」
生島相手には初対面の人では大概面食らうものであったが、ゲンドゥルは落ち着いて対応する。生島の方もいつもの調子はまるで崩さずに接しているため、傍から見ればかなり温度差の激しいやり取りに感じられた。
「よろしければ、これから私のお店に来ませんか?日中なのでお酒は出せませんけど、ちょっとした手料理を振舞わせてくださいな!」
「生島さん、いきなりは…」
「ありがたいお誘いです。孫のことも話したいので行きましょう」
「ぜひぜひ~!」
機敏に立ち上がるゲンドゥルを見て、大一はポカンと口を開ける。前日にロスヴァイセにいろいろ話していたが、彼女も行動力においては同等のものだと思ったのだ。
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「こちらでご迷惑はかけていないのですね?」
「迷惑どころか、もう助かっています!大一ちゃんには言えないようなデリケートな話題も打ち明けちゃったりして。やっぱり乙女心を理解してくれる同志はありがたいですよ!」
店に来てからすでに1時間ほど経っているが、ゲンドゥルも生島も会話が弾んでいた。生島はロスヴァイセの仕事ぶりには心底満足しているようで、その純粋な想いを先ほどからゲンドゥルの質問に回答として答え続けていた。
「ふむ…頑張っているならなによりですが。心配に思うようなこともないですかね?」
「そうですね~…ちょっと彼氏がいないのを気にしすぎかなと思うことはありますが」
「あの子は契約相手になんて話を…」
「私は常々言っているんですよ。絶対に良い人が見つかるから心配するなって!」
元気づけるように生島は話す。事実ではあるが、少しは隠して欲しいとも大一は思った。それでも率直に話すのは彼の性格ゆえか、それともゲンドゥルにはハッキリと伝えるべきだと思ったのか、大一にはわからなかった。
温かい紅茶をあおり、ゲンドゥルはやれやれといった表情で首を横に振る。
「本当に申し訳ありませんね…」
「まあ、それですら私は楽しいですけどね。本当にいい子ですし、彼女の努力とお祖母様の育て方が良かったのでしょう」
「私なんてまだまだですよ」
「謙遜しなくてもいいですよ~!大切な人には率直に伝える、それが相手を思うことですよ!」
ゲンドゥルは鳩が豆鉄砲を食ったような表情で、生島を見つめる。あまりにも単純なことであったが、それが彼女の心に一石投じたのは明らかであった。大一も目から鱗が落ちる思いで、今さらながらこの契約相手に感嘆の感情が湧いてくるのが感じられる。
「…ありがとうございます、生島さん。そろそろ私はお暇させてもらいましょう」
「いつでも来てくださいね。いっぱいサービスさせていただきます。今度はロスヴァイセちゃんと一緒に。大一ちゃん、お願いね」
「当然ですよ。行きましょうか、ゲンドゥルさん」
大一の声かけにゲンドゥルは頷くと、2人は生島に見送られながら店を出る。孫娘の信頼を目の当たりにした彼女の心は穏やかに流れていた。
ゲンドゥルさんは気づいていると思うんですよ…。