息を切らしながら、祐斗と小猫は構える。辺りの建物は瓦礫となり、荒々しい光景が目に映った。先ほどまで敵の攻撃に、彼らは苦慮していた。素早い動きから放たれる切れ味鋭いヒレの格闘、周辺にも被害を及ぼす規模の水の攻撃、何度も戦いを経験してきた祐斗と小猫すら手を焼かせた。
しかしそれでも彼らは必死に喰らいついていく。なんとか敵を逃さないように立ち回っていく中、いきなりスイッチが切れたようにモックの攻撃がピタリと止んだ。相手は呆然とした様子で立っており、その特徴的な目玉は大きく見開かれていた。
その隙を見逃さずに、祐斗はグラムで、小猫は仙術を纏った拳で腹部へと攻撃をしかける。2人の痛烈な一撃はモックの体を後方へと飛ばし、崩れた瓦礫にたたきつけた。
「…さすがに倒れて欲しいです」
小猫のつぶやきに、祐斗も息を切らしながら頷く。何度も攻撃を叩きこんでも相手は熟練の技でそれをいなしていったため、ようやくしっかりと入った攻撃にはそのままダウンして欲しいものであった。
しかしその願いむなしく、モックは立ち上がってきた。しかし表情は一向に変わらず、祐斗達など眼中に無い様子であった。
「姉さんが…感じられない…姉さん…僕は…」
戦いの意志が感じられなかったが、そのチャンスに祐斗と小猫は更なる追撃を狙う。再び攻撃の準備を始めるが、突如それを阻むように光の槍が降り注いできた。2人とも素早く後退して攻撃を避けると、モックの近くに降りてきた男性に睨みを利かせる。
「モック、撤退しよう」
「ブルード…姉さんが…」
「…彼の命令だ。今は撤退するんだ」
パチンと指を鳴らすと、ブルードとモックの足元に転移魔法陣が展開される。魔法陣が光出していき、間もなく発動することは明らかであった。しかし祐斗も小猫も動くことは出来なかった。自分たちの消耗だけでなく、ブルードから感じられる身体にのしかかるようなプレッシャーが動きを封じていた。
間もなく相対していた2人の敵の姿は魔法陣の光に消えていった。
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意識が朦朧し、足取りも重い。バーナとの戦いによる名残の熱気がリアスを襲っていた。視線の先にいる朱乃も呼吸を苦しそうに倒れており、リアスは必死に彼女の元へと向かおうとした。周囲にはまだ邪龍が飛び回っている。ここは戦いの場なのだ。倒れたままでは殺されるのは目に見えている。
それでも体力の限界を感じ、視界がぼやけながら倒れていくリアスを、地面にぶつかる前にソーナが支えた。
「大丈夫、リアス?」
「ソーナ…どうしてここに…?」
「ジョーカーとチームを分けて、応援に来ました。こちらに来て正解でしたね」
軽く眼鏡を上げながら、ソーナは答える。リアスと朱乃の様子を見れば、彼女の言葉が的を射ているのは誰が聞いても納得できるものであった。
手早く彼女は懐から小瓶を取り出すと、リアスの口に流し込む。間もなく彼女の傷は見る見るうちに回復していった。
「敵から奪った『フェニックスの涙』の模造品です。効果は確かなようですね」
ソーナの視線の先には、身体を起こす朱乃の姿があった。由良から彼女も模造品のフェニックスの涙を与えられ、ひどい火傷痕や傷は見る影もなかった。
「助かりましたわ、由良さん」
「姫島先輩が無事で安心しましたよ。でも無理は禁物です」
由良に支えられながら、朱乃はリアス達と合流する。動くことは問題なさそうであったが、戦線復帰するには心もとない印象であった。
ならば、ソーナ達に朱乃を任せて、自分は仲間や一誠の援護に行こうかと考えたが、彼女の眼の動きからその想いを察したソーナが釘を刺す。
「私の眷属たちで援護しています。イッセーくん達も大丈夫でしょう。いざという時に離脱できる準備をしておくべきです」
「でも…」
「あなただって、彼らにとって大切な存在なのだから、ここで死ぬわけにはいかないでしょう」
ソーナの言葉に、リアスは小さく笑みをこぼす。彼女も消耗しているはずなのに、ここにきて今もなお的確な指示を出せるのには頭が下がる思いであった。
もっとも一誠とその家族たちがどうなったかについては、間もなく知ることになるのだが。
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龍人状態を解除した大一は息を切らしながら、地上にゆっくり降り立つ。身体には複数の傷がある上に、義手は完全にひしゃげていた。しかしそれ以上に、気にする要素が多い現状であった彼はそのひとつに近づく。
地面にはギガンが大の字になって倒れていた。口からは血が流れ、白目をむいており、攻撃を受けた胸部は岩石化していながらもクレーターのようにへこんでいた。
しかしそれでも僅かに感じられる生命力と、小さな呼吸が生きていることを証明していた。
(例の分裂体でも無さそうだな)
『あの攻撃で死ななかったとか、どうかしてるよ…!』
「むしろ助かるけどな。こいつから聞けることはたくさんあるはずだ」
シャドウの驚きをよそに、大一は淡々と答える。クリフォトの情報、ゴグマゴグの関連を伺える特異な出生、そして何よりも「異界の魔力」を持つ存在として、多くのことが期待できた。
「問題はこいつをどうするかだな…。この巨体はひとりで運べないし、一誠達の援護にも行かなきゃ…」
『その傷で行くの!?さすがに無理だぜ!』
「それでも行くんだよ。あそこに父さんや母さんもいるんだから」
『せめて回復とかできれば…こいつとかクリフォトの中でも中核のメンバーなんだから、ニーズヘッグみたいに「フェニックスの涙」の模造品とかないのかよ』
「…無いな」
ざっと見渡す限り、この巨体にニーズヘッグが持っていたような小瓶は見られない。敵の拠点のど真ん中のため、期待もしておらず残念には思わなかった。
しかしシャドウの疑問は、無視するには引っかかりが大きいものに思えた。有名どころの邪龍ではないが、クリフォトの中でも実力者であるのは彼がよく理解していた。ニーズヘッグが「フェニックスの涙」の模造品を複数所持していたことを踏まえると、彼がひとつも持っていないことには違和感を抱く。
もっともその理由を知ることは現時点では不可能なため、未来への宿題として残すことを決めると、汗と血が入り混じった額を拭う。
「仕方ない。まずはこいつを縛って、それから一誠達のところへ急ごう。あとは道中で誰かに連絡して───」
(必要ない。お前のエロ弟の方は決着がついたみたいだぞ)
「なに?」
ディオーグの言葉を聞いて、大一は離れた庁舎を見上げる。屋上は遠く、しかも煙が舞っていたため、何が起こっていたのかはわからなかった。それでも絶大な魔力の痕が感じられる。
(敵の白髪は逃げたな。さっきまでいた白い龍のガキも姿を消した。あそこにいるのはお前のエロ弟と金髪ビビり女、あとはお前の家族と例の行方不明悪魔だけだな。戦う雰囲気じゃなさそうだ)
「一誠がリゼヴィムに勝ったってことか…」
大一は重荷を降ろせたかのように安堵の息を漏らす。両親を救い出せたことが分かると、どれだけ信じていても心の中で無意識に感じていた黒い塊が消えていくのを実感した。
そんな彼の安心をまるで気にせず、ディオーグは興味深そうに話を続ける。
(オーフィスの感覚もあったから、何らかの形で力を得たのかもな。ビビり女もエロドラゴンの感覚もあったし、2人して新たな力に覚醒したんだろうよ)
『やっぱりドラゴンというのは特別なのかねえ』
(その言い方は気に食わねえな。俺はドラゴンだから誇ったことはない。俺だから誇っているんだ)
「はいはい、そういう話はここを出てからだ。しかしそうなると、リゼヴィムはどこに…?」
純粋な疑問を口にする大一の下に、間もなくデュリオ率いる天界チームが合流するのであった。
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打撃跡と流血にまみれながら、リゼヴィムは舌打ちをする。ほんの数分前、彼は今までに経験したことのないほどの敗北を味わった。神器無効化の特殊能力が、無限の力を得た一誠には通用しなかった。天界の一件から、頭を悩ませている黄金龍の力がアーシアの覚醒を促した。せっかく手に入れた「フェニックスの涙」の模造品もライザーと対峙して構成を理解したディハウザーに無効化された。これまで長い間、魔王の息子としての地位、超越者としての圧倒的な実力を持って悪辣の限りを尽くしてきた彼にとって、これらの経験は屈辱であった。
『関わらなければ良かったのだ。我が相棒───兵藤一誠は静寂を求めようとしているのだから。それを、あの新旧ベルゼブブの血族も、英雄の血族も、ルシファーの息子たるお前も無遠慮に触れて、踏み荒らした』
撤退をする前に、ドライグから断言されたことが頭の中で反芻する。リゼヴィムがこれまで多くの相手に行っていたことだが、今回はそれで手痛い反撃を受けてしまったのだ。
とはいえ、このまま敗北するわけにいかないと、彼は離脱してアグレアスの動力炉に向かった。そこにはリリスが防衛として鎮座していたが、ここ最近は力も性格も安定しておらず、いまいち信用に欠けるというのが本音であった。だからこそ早々にオーフィスを調べて再調整と強化を狙っていたのだが。
そんな彼がアグレアスの動力炉で鉢合わせしたのは、アザゼルであった。彼はリリスに対してチョコレートバーを与えて休戦状態となっており、それがさらに苛立ちを加速させた。
「いいザマだな、リゼヴィム。イッセーか、ヴァ―リにやられたか。まあ、そうなるだろうなと思ったぜ」
「…この結果に驚くそぶりも見せない。さすがは二天龍の導き手さまだ」
「あいつらにちょっかいを出した奴はどんな実力者でもみーんな斜め上の現象に巻き込まれて消えていったよ。お前もいずれそうなるんじゃないかってな」
「…むかつく物言いだな」
口元を引きつらせながら答えるリゼヴィムに、アザゼルは観察するような目をしながら答える。
「いや、それでもお前の悪意は俺の予想をいくらか上回ったよ。聖杯といい、生命の実といいな。だが、まあ、焦ったな。ここにきて、この急な動きは雑だ。その目の隈と関係しているのか?」
アザゼルの指摘する通り、リゼヴィムの目の下にはひどい隈があった。そのため、健康とは縁遠い顔をしており、一誠に受けた傷もあって満身創痍という言葉が体現されているようであった。
「…意外にも俺も繊細だったってことだ。…ああ、クソ。やっぱな、俺の予想は当たってたじゃねえか。一番厄介なのは、目の前のこの…」
次の瞬間、まばゆい光と共にその場に2つの龍門が現れた。開かれた門から出てきたのは、祭服に身を包んだ褐色の青年と3つ首の巨大な漆黒のドラゴンとであった。
《───詰めが甘いな、王子》
『というよりは、ここぞというところで精神的な弱さが出ちまっただけだろ』
『豆腐メンタル!』
『態度ばかりデカかった!』
「…これは、アポプスくんとアジ・ダハーカくんじゃないか」
呆れを見せる青年と罵詈雑言を浴びせる3つ首の龍に、リゼヴィムは弱々しく笑みを向ける。もはやそれが虚勢であることは、火を見るよりも明らかであった。
《悪いが、リゼヴィム王子。貴君には大変世話になったが…ここまでだ。我らは我らで独自にやらせていただく。そこでこれをちょうだいさせてもらった》
アポプスが手元に魔法陣を展開すると、そこからひとつの杯が現れる。それはヴァレリーの聖杯であり、リゼヴィムは何度目になったか覚えていないほどの舌打ちをする。
「…聖杯か。いちおう、俺の固有の亜空間に隠しておいたんだが…お前らにそれを問うたところで今更か」
『まあな。魔術の類なら、あんたよりも俺の方が上手ってことだ』
『ボクは大変魔法がお上手なのよ☆』
『この二流魔王!三流魔王!』
さんざん舐められた態度を取ってくる邪龍にリゼヴィムは何も言えなかった。彼らは予測していた。彼が近いうちに失敗することを。天界で相対したファーブニルによって受けた呪いにより、毎晩うなされ続けていたのだ。夢の中で何度も黄金龍に殺され、何度も苦しんできた。おかげでろくに眠れず、計画は早急に取り組む必要性が出てきた。その結果、今回のように足元をすくわれることになったのだ。
もっとも邪龍たちもリゼヴィム同様に異世界への侵攻は興味深いものであったため、その計画を彼らなりに実行することを決めたようだ。
《…貴君の魂を誘うものが来たようだ。それではさらばだ、魔王の子よ。心置きなく死ぬといい》
『ま、心意気だけは引き継いでやる』
『バイバイ!』
『無残に死んでいけぃ!』
邪龍たちが嘲笑うように捨て台詞を放つと、黒いオーラと共にその場から消え去った。そして間もなく、通路を白い閃光が走り、まばゆいほどの白い鎧を身につけたヴァ―リが舞い降りた。
「どうやら蘇らせた邪龍にも愛想を尽かされたようだ。お前に制御できるほど、甘くはなかったということだな。───ドラゴンを舐めるなよ、リゼヴィム」
「まあ待て待て。ヴァ―リきゅん。俺が悪かったって。ほら、俺、じいちゃんなんだし?そこは労わろうよ?」
憔悴しきった様子に目に見えた焦り、リゼヴィムは限界に片足を突っ込んでいた。そんな彼が見せた一種の命乞いに、ヴァ―リはため息をつくと呪文を唱え始める。
「我、目覚めるは───律の絶対を闇に堕とす白龍皇なり───」
「これからは若者に必要なスキルは老人の介護だぜ?」
「無限の破滅と黎明の夢を穿いて覇道を往く───」
「あー!わかった!いままでのことを全部謝ろう!いじめて悪かった!」
「我、無垢なる龍の皇帝と成りて───」
「ほらほら、俺が悪かったって!金でも女でも何でも欲しいものならくれてやるぞ?」
「「「「「汝を白銀の幻想と魔道の極地へと従えよう」」」」」
リゼヴィムの命乞いなど意に介さず、ヴァ―リは「白銀の極覇龍」を発動させる。上位死神をも屠ったその姿は、圧倒的な威圧感を敵に与えていた。もちろんリゼヴィムには神器を無効化させる力がある。しかしこの状態でパワーアップした魔法の攻撃を、すっかり消耗しているリゼヴィムが防げる道理は無かった。
「アザゼルッ!お前ならどうよ!?金でも何でも欲しいものは───」
「リゼヴィム、お前は最低最悪だ。せめて、赤龍帝と孫の白龍皇の手にかかって死ぬことを誉と思え」
「違うぞ、アザゼル。こいつは───ごく普通の人間の一家に敗北したんだ。…俺が手にできなかったものを兵藤一誠は持っていた。…こいつは、それに負けたんだ」
ヴァ―リの言葉に、アザゼルは納得したように頷く。リゼヴィムは理解できず、ヴァ―リが欲したものによって、魔王の息子は敗れたのであった。
「リリィィィィスッ!リリスちゃんッ!俺を守りやがれェェェエッ!」
「リゼヴィム、守る?」
「ああ、そうだ!俺を守れッ!無限の力でここにいる白龍皇と堕天使を葬れッ!」
扉の近くで行く末を見守っていたリリスは命令に従い、ヴァ―リに立ちはだかる。現在のオーフィスにも匹敵するほどの実力、まともに戦うのであれば死の覚悟も当然であったが。
しかしヴァ―リはゆっくりと近づくと、彼女に語りかける。そこには戦意などまるで介在しない、優しげな雰囲気があった。
「そこをどいてくれないか?俺は…キミまで攻撃するつもりはない。後ろのそれはキミが守るべき存在でないぞ」
「でも、リリス。リゼヴィム、まもる。おしごと」
「なら、俺と来い。───俺と来れば、グレートレッドともう一人のキミ、オーフィスと会わせよう。…兵藤一誠、赤龍帝もキミと会いたがっているだろう」
きょとんとした顔のリリスであったが、グレートレッドとオーフィス、そして一誠の名前が彼女に引っかかりを感じさせた。
併せて、ヴァ―リは彼女のドレスについている龍のアクセサリーを指さす。吸血鬼領地で一誠が彼女に買い与えたものであった。
「それを貰ったのだろう?きっと、彼ならもっといいものをキミにくれるはずだ。そこにいる男よりもずっといいものを───」
「おいおいおいおい、うおぉぉぉいっ!なに、懐柔しようとしている!?うちのリリスちゃんはなッ!俺の専用ガードだッ!こういうときにこそ、働いてもらわないと、作った意味が───」
「今なら菓子もつけるぞ?」
リゼヴィムの言葉を遮るように、アザゼルは再びチョコレートバーを取り出して、懐柔を図る。それが決め手だったのか、リリスはその場に頭を抑えながら座り込み、すっかり混乱状態に陥ってしまった。
そんな彼女の横を通り過ぎたヴァ―リは、魔法で作り上げた剣でリゼヴィムの片腕をすっぱりと切り落とした。
「ガアアアアアアアアアアッ!」
「迷い始めたら、もう終わりだということだ。こんな調子の彼女では意識も散漫するだろう。この通り、隙が生じて俺の攻撃がお前に届いた」
「…クソが…ッッ!僅かに感情を持たせたのが、ここにきて仇かよッ!」
必死で傷口を抑えながら悶えるリゼヴィムに、ヴァ―リは剣の切っ先を向ける。その憎悪もあって今まさに決着がつこうとしていたが、彼は首を横に振りため息をついた。
「…兵藤一誠が追い詰めたお前を俺がトドメを刺したのでは、格好がつかないな。おいしいところだけを食うようで、らしくもない。それにどうやら、お前を真に殺したい者がいるようだ」
ヴァ―リの視線の先には再び龍門が現れていた。漏れ出してくる光は黄金で、それだけでも門の先にいる龍が何者かがわかり、アザゼルは小さく頷き、リゼヴィムは恐怖で顔を引きつらせていた。
間もなく門から出てきたのは、休眠状態に入っていたファーブニルであった。
『…ようやく、見つけた』
「…ッッ!…なんでだ…ッ!なんで、ここまで執拗に…ッ!?夢の中にまで追いかけてきやがってよッッ!」
『…お前は、アーシアたんを泣かした』
双眸に怒り、憎しみ、恨みを宿らせて、ゆっくりとリゼヴィムへと向かっていく。天界で起こったことを皮切りとした黄金龍の恨みは、魔王の息子に夢の中での苦しみと、それ以上の恐怖を植えつけて、心身ともに追い詰めていたのであった。
もはや勝負はついた。彼はいたずらに踏み込んではいけない領域を荒らしまわった報いを受けようとしていた。ファーブニルの振り上げた足が、彼を下敷きにしようと迫っていた。
「…なんてことだよ」
どこからともなく声が聞こえる。同時にファーブニルに踏み潰されそうになっていたリゼヴィムの姿が消えていた。
アザゼル、ヴァ―リ、ファーブニルがすぐに周囲を見渡すと、いつの間にか、近くにひとりの青年がリゼヴィムに肩を貸して立っていた。
「お前は元英雄派のクーフー…いや大一の話では、本名はサザージュとかだったな」
「久しぶりだな、アザゼルにヴァ―リ。そしてお初にお目にかかる、黄金の五大龍王」
『そいつを寄こせ。アーシアたんを泣かせた報いだ。喰いつくしてやる』
「たしかボスが天界で、あんたの飼い主を殴ったんだったか?まあ、許さないのは勝手だが、この男を差し出す理由にはならない」
ファーブニルの脅しにも、サザージュはまるで怯まずに無表情であった。この圧倒的な不利な状況にも関わらず、平然とした相手の態度には底の知れない雰囲気があった。彼が抱えているリゼヴィムが瀕死であり、その対比で尚のこと感じられる。
「ぜえぜえ…よ、よくやった。早く離脱するぞ」
「…だから言っただろう。あんたは余計なことをしてきたんだ。ルシファーの名にあぐらをかき、特別であると慢心してきた」
「そんなことはどうでもいい!とにかく離脱だ!さっさとしろ!」
荒々しく命令するリゼヴィムに、サザージュはため息をつきながら魔法陣を展開する。まるで見たこともない術式であったが、それがこの場から去るためのものであるのは想像がついた。
アザゼルは光の槍を取り出し、ヴァ―リとファーブニルも逃がすまいと魔力の塊や炎を放つ。だがまるで見えない壁に当たったかのように、彼らの攻撃はリゼヴィム達には届かなかった。
「うひゃひゃひゃっ!あばよ、てめーら!」
「待て、リゼヴィムッ!」
「そう言われて待つ奴がいるかよ!」
「…まったくだ。すべてが自分の思い通りにいくなんて、傲慢もいいところだ」
一瞬、何かを突き刺したような小さな音が鳴る。あまりにも小さく聞き逃してもおかしくないものであった。しかしその音は切羽詰まっていたこの場にいる全員の動きを止めた。
音の正体は目の前にあった。にもかかわらず、何が起こっているのかすぐには飲み込めなかった。時間が止まったような錯覚を感じる中で、アザゼルも、ヴァ―リも、ファーブニルも、リゼヴィムですら起こったことに驚いていた。
無表情のサザージュがリゼヴィムの心臓部に深々とナイフを突き刺していた。
「…あ?な、なんだこれは…」
「魔力を込めているし、刃には毒も塗っている。間もなくあなたは死ぬ」
「て、てめえ…なんのつもりで…!」
「俺らは邪龍と組むことになった。これはその決別の意味を込めたものだ」
サザージュがナイフを抜くと、リゼヴィムの胸部から血が噴き出す。腕の出血ともあわさって、呼吸はおかしくなり顔色は青く変色していく。ついには肩を借りていたサザージュから滑り落ちるように、地に膝をついた。
「ふ、ふざけるな…!このタイミングで裏切りだと…!邪龍どもに何を吹き込まれた…!?」
「なにも。あくまで俺らの意志だ」
感情をどこかに置き去ったようにサザージュは答える。その冷たい雰囲気とは対照的に、リゼヴィムは憎悪に満ちた視線を彼に向けた。
「このコウモリ野郎が…!英雄派を裏切り、シャルバに甘言を与え、今度は俺か…!?誰のおかげでここまで来れたと思っているんだ!」
「だったら、最後まで計画を遂行するべきだったんだよ。手を抜かず、悪魔としてのあなたを見せるべきであった。それにな、曹操やシャルバはともかく、あなたにはかなり寛容だったぜ?」
そう言うと、サザージュはゆっくりとしゃがみ、抱きしめるような体勢でリゼヴィムに耳打ちをする。アザゼルたちが見たのは、これまで以上の衝撃に歪ませた魔王の血筋の顔であった。目は見開き、毒とは違った唇の震えと流れ出る汗は、完全に破顔していた。
「は…?お、お前が…いやだったら…尚更だろうが!お前は───がッ!」
リゼヴィムの言葉はそれ以上続かなかった。背中に再びナイフが深々と刺されて、いよいよ毒も回り込み、まともに呼吸する許さない状態であった。
サザージュはナイフを引き抜くと、感情の読めない目で苦しむリゼヴィムを見下ろす。叫びひとつ上げる体力もなく、魔王の息子は小さくもがくように動くと、間もなく完全に動きを止めた。
「絶対に触れちゃいけない領域など、この世にいくらでもあるんだよ。さよならだ。リゼヴィム・リヴァン・ルシファー」
サザージュが指を鳴らすと、リゼヴィムの亡骸の下に魔法陣が発生する。そこから炎が生まれると、彼の遺体は火の中で燃えていった。
そして彼はアザゼルたちへと向き直る。戦意こそ感じられなかったが、邪龍と手を組むと話していた以上、彼が敵であることは変わりなかった。
警戒を解かない彼らを見て、サザージュは小さく腕を振る。
「ここで決着をつけられるほど、思い上がっていない。この先に用があるんだろう。行けばいいさ。そして勝手にやればいい。もっとも世界の終わりが始まるだろうがな」
そう言い残して、サザージュは今度こそ魔法陣でこの場を去っていった。しかし間もなくこの言葉が偽りなく証明されることを、アザゼルたちは知らなかった。
ということで、リゼヴィムが退場しました。
次回から21巻分にいきます。