第51話 2学期の始まり
大一は苛立ちながら、ランニングをする。残暑は厳しく、額にじっとりと浮かんでくる汗はあまり気持ちのいいものではない。しかも時刻は4時半、まだ一誠達も起きていない頃であった。彼が行っているのは日課の朝練であったが、正直なところこんなに早く起きる必要は無かった。しかし…
(この程度のスピードで敵の攻撃が避けられると思っているのか!その甘い性根、さっさと叩き直せ!)
(朝っぱらからうるさいんだよ!頭の中でやかましく騒ぎ立てるな!)
大一は脳内で大声を出すディオーグに負けないほどの勢いで反論する。早起きの原因はいたってシンプルなもので、ディオーグの大声で目が覚めたのだ。冥界にいた頃よりも彼の時間の概念は怪しいところがあった。
(せっかく眠れる時間が増えたと思ったのによぉ…)
(俺はずっと起きるか寝るかで体が動かなかったんだぞ!少しくらい我慢しろ!)
(ワガママか!)
苦虫を嚙み潰したような表情をしながら、大一は走る。これでも以前よりはしっかり眠れるようになり、少しずつではあるがくまも取れてきた。疲労回復も早まって体も軽くなり、動きも格段に良くなっていた。思いかえせば、先日のシトリー眷属との試合の際に椿姫相手に互角に立ち回れたのはこの点が大きかったのかもしれない。
途中で目が覚めることなくたっぷり睡眠を取れる状態になったのは精神的にも喜ばしいことなのだが、現実はディオーグによって妨害されるため気分の良いものではなかった。ちょっと大きめの目覚まし時計…にしてはしつこく、うるさく、脅してくるためそんな考え方も出来ない。
(雑魚どもが俺の名を知らないのはわかった。不本意であるが、事実は認めなければならない。ならば、再び俺の強さをこの世に知らしめてやるさ)
(だからって、お前の望みに俺が付き合う道理も無いだろうが!)
(小僧、この前に強くなると言っていただろうが!この世の全てが恐れ、おののくほどの最強の存在になってみやがれ!)
(そこまでは言ってねえ!)
この早朝のトレーニングはいつもの体の動きを遥かに超える壮絶な口論が、彼の頭の中で繰り広げられていた。
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早朝のトレーニングを済ませた大一は家に戻ると、シャワーを浴びてから皆と一緒に朝食をとる。食事の際はディオーグも騒ぎ立てることは少なく、大一が口に運ぶものの味を堪能していた。
(パーティとやらで食った方が美味かったが、毎日食うことを考えるとこっちの方が良いな)
(それには同意する。眠れない時から、こういうのが一番安心するんだ)
大一は味噌汁をすすりながら、頭の中のディオーグに反応する。彼としてはこれくらいの平和なやり取りを日常的にやりたかった。
一方で、彼の対面に座る弟の一誠は食べ方にどこか落ち着きが見られなかった。わりと露骨に見えたので、大一は右隣に座る小猫(少し前から彼女も兵藤家に住み着いた)に小声で問う。
「なあ、小猫。あいつなにがあった?」
「あまり詳しくはわかりませんけど…でも先輩が帰ってくる前にまた郵便受けにアーシア先輩への手紙が入っていました。それが原因じゃないでしょうか」
彼女の言葉に、大一は納得するように頷く。冥界から戻ってきた日、兵藤家に訪問者がいた。若手悪魔の会合の時にいたアスタロト家の御曹司、ディオドラであった。なんでも彼はかつて手負いの状態の時に、アーシアから治療を受けたのだとか。彼女はそれが原因で教会を追い出されたそうだが、そのきっかけとなった悪魔と再会したということだ。そんなディオドラが彼女に行ったことはなんと求婚であった。その日から彼のアーシアへのお誘いは毎日のように来た。毎朝、大量のラブレターが郵便受けに入り、映画のチケットや商品券などが入ったデートのお誘いも多い。それどころか大きな花束など、郵便受けに入らないようなものまで送られてくるのだから、物理的にも堪ったものでなかった。
大一はちらりとアーシアを見る。彼女は箸を進めているが、時々何かを考え込むかのようにぼんやりすることもあった。彼女なりにディオドラの存在は思うところがあるのだろう。
「しかし結婚というのは急な気もするが…」
「名家の悪魔ともなれば、早い段階からそういうのは考えているんでしょうね」
「リアスもそうだったもの。おかしくありませんわ」
左隣に座る朱乃もこの話に参加してくる。たしかに名家の悪魔ともなれば、若いうちから結婚を考えることはおかしくないだろう。
「うーむ…結婚…」
また渋い表情になっていたのは、一誠やリアスだけではなかった。父も考え込むように小さく呟く。関係ないとはいえ、アーシアを預かって娘のように思っている身としては、顔も知らない相手のプレゼント攻めは、あまり気分の良いものではないのだろう。母の方も心配そうにアーシアに何度も視線を向けていた。そして一誠の方は…。
「ちくしょう!アーシアをやるもんか!」
ひとしきりに飯をかきこんだ一誠は、宣言するようにはっきりと言葉にする。ディオドラに対しての感情が手に取るようにわかるような雰囲気であった。
兵藤家の3人は不安な感情を抱える中、大一は落ち着いていた。恋愛のことなのだから自分が口出しすることでは無いし、アーシアの気持ちが誰に向いているかをわかっている以上、ディオドラの恋心がすぐに実ることはあり得ないと思っていたからだ。
ただ気になったのは、アーシアの一件に関わった悪魔がディオドラであることだ。アスタロト家は現ベルゼブブを輩出した家系。上級悪魔としては間違いない家系だ。そんな出自の彼がどういった経緯で、いちシスターのアーシアに治療されることになったのかは甚だ疑問であった。
とはいえ、この経緯について知っているとなれば、ディオドラ本人しかいないだろうから調べようは無かったが。
「新学期になっても悩みの種は尽きないってことか…ごちそうさま」
「先輩、早いです。もうちょっと待ってください」
「なにかあったか?」
「…だって一緒に…学校に…」
「小猫ちゃん、大一はイッセーくん達とは登校時間もずらしていますの。大丈夫、すぐに出るわけじゃないから」
「…ああ、そういうことか!いや、ごめん。俺がちょっと無神経だった」
朱乃に批判的な視線を向けられた大一はすぐに小猫に謝る。彼女らが来たのは1学期が終わってから。まさか一緒に登校することになるとは思ってもいなかったのだ。とはいえ、最近の小猫の懐きっぷりを考えれば、一緒に登校するくらいは思ってもおかしくなかったと思った大一は、自分の配慮の無さを申し訳なく思った。
「しかし俺と行ったところで特別なことないぞ?」
「先輩とがいいんです」
「もちろん、私も一緒ですわ。文句はありませんよね?」
「う、嬉しいくらいだけどさ」
気恥ずかしそうな表情をする大一に、朱乃も満足そうな表情を浮かべる。小猫の方は2人のやり取りに少し不満そうに目を細めていた。
一方で、彼の両親はその光景に感涙していた。
「母さん、ついに…!ついに大一にも!」
「イッセー以上に可能性が低かったと思っていたから嬉しいわ!」
両親の反応を無視して、大一は食器を片付ける。考えてみれば、誰かと登校などやろうとも思っていなかった。しかしこの選択は2学期早々に、大一を大きく悩ませることになった。
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「大一よ、まずお前から謝ることは無いか?」
想像以上に会話も弾んだ登校をして間もなく、大一はクラスの一部の男子生徒…といっても一誠関連で質問してくるいつものメンバーであったが…彼らに呼ばれて屋上へと来ていた。さすがにこんな朝早くから屋上を利用している生徒はおらず閑散としていたが、それを補うほど彼らから醸し出されるプレッシャーは強烈なものであった。
「…もしかして、あれか?授業参観の日に、時間取るって言っていたのにうやむやになった件か?」
「それは俺らの方もすっかり忘れていたが、お前の言葉で思い出したので罪状に加えさせてもらおう」
「横暴すぎるだろ…。というか、罪状ってお前らに対して俺はそこまで酷いことをやっていないぞ」
「ハッハッハ!白々しい嘘をつくような小手先のテクニックまで身につけたか!」
リーダー格の男が渇いた笑い声を上げながらすごんでくる。元より彼らが物事を大げさに表現するのは理解していたが、今回は芝居がかっているというよりも本気の怒りを感じた。
「では罪状を…えー…学園ナンバー2の人気者の姫島さんと1年のアイドル小猫ちゃんと一緒に登校してきた罪を…」
「待て!それのどこが罪だ!」
「罪だろうが!貴様が我々の想いを踏みにじるような行為をしたのだから!」
大一の声をはるかに上回る力強さで目の前の同級生は答える。思い返せば、一誠がリアスやアーシアと登校してきた時も学園中でかなり問題になって苦労したのに、同じような行動を取ればこうなることは予想できたはずであった。そういう意味では、自分の考えの甘さを大一は認めざるをえなかった。
しかし大一は冷静に彼らに対応する。
「よく考えて欲しい。たしかに一緒に登校してきたが、俺は彼女らとは同じ部活だ。偶然会って、一緒に来ることもおかしくないんじゃないか?」
実のところ、この言葉で説得できる自信が大一にはあった。同じ部活の友人と偶然会って登校する…いたって自然なことだ。彼らがかつて大一に対しては潔白性を認めていたことも併せれば、多少恨まれても納得せざるを得ないものだろう。
しかし彼らは大一の予想を上回っていた。
「大一よ…我々が何も知らないと思っているのか?貴様が彼女らと一緒にいたのは初めからだということがわかっている。つまり姫島さんや小猫ちゃんが兵藤家で同居済みなのは調査済みなんだよ!それでまかり通ると思うなよ!」
「ど、どこ情報だ、それ!?」
「こちらのネットワークを舐めるな!だいたいなぁ、ホームステイのアーシアちゃんはともかく、高校生が同居するという時点でおかしいんだよ!」
「急に反論しようもないド正論をぶつけないでくれ!」
リアスや一誠の言動に感覚がマヒしていた大一は、急に向かってきた正論という壁にぶち当たり一気に彼らに押し込まれたような気持ちであった。
「よいか、大一よ。我々は女子高から共学になって間もない頃の駒王学園の生徒だ。その感情は貴様も推し量ることだろう。数少ない3年生の男子のほとんどが、女子への感情、特に学園でも有数の人気者への感情が特別なものであることは理解していると思う。そんな中で、弟への言動などで潔白性の信頼を勝ち取ったのがお前なのだ。そんなお前が彼女らと付き合うことは、その信頼を破壊することなんだぞ!」
「そもそも付き合ってないわ!というか、その理論でいくなら仮にお前らの誰かが、そっちの言葉でいう人気者と付き合うことになった場合、どうするんだよ!」
「そりゃあ…」
大一の指摘に、彼ら全員が考えるような様子を見せる。間違いなく、彼らも抱いているはずの感情や目標のはずだが、突っ込まれることすら予想していなかった様子であった。間もなく全員が一瞬ニヤついた表情になる。各々、そうなったことを想像したのだろう。
このタイミングで頭の中にディオーグの声まで響いた。
(しゃらくせえ!全員、この場で頭をカチ割ればいいんだよ!)
(そんな殺人、やるわけないだろうが!)
(だったら、半殺しにして上下を教え込め!)
(その蛮族的な発想を止めろ!)
「と、とにかくだ!」
表情を取り繕いながら、目の前の男は咳払いをする。他のメンバーはまだ妄想に浸っている様子であった。
「女に興味のないお前だからこそ信頼しているんだぞ、我々は!」
「そんな勘違い評価いるか!俺だってな!」
大一は口走りそうになった言葉を飲み込む。頭には黒い髪を束ねた想い人の姿が浮かんだが、悟られないように心を落ち着くようにと言い聞かせた。
だがこの反応には彼らも何か感づいたように、頭を抑えるわ、床に膝をつくわ、傍から見れば阿鼻叫喚な絵図であった。
「くっそ!お前のことをお兄さんと呼ぶ転校生まで現れて…俺らの心はズタズタだ!」
「誰だよ、それ?」
「名前は知らないが、お前の弟と同い年だよ!」
目の前で地獄絵図が展開されるのを尻目に、大一はその人物を考えるが検討もつかなかった。もっとも、この日の放課後に会うことになるのだが。
徐々に体調も戻ってきたので、書くペースも戻していきたいと思います。