その日の早朝、大一はいつものようにトレーニングに励んでいた。走り込み、筋トレ、柔軟体操、武器の素振り…悪魔になってから日課として行っているものである。
しかしこの日はいくつか違う点があった。まず場所が駒王学園の運動場であることだ。広さは充分、この場でトレーニングすることに特別不都合はなかった。
そしてもうひとつ、いつもと違うこととして彼ともうひとり、このトレーニングを行っていた少年がいた。
「朝からこの回数をこなすのは相当ですよ」
「そんなこと言いながら、しっかりついていくお前はさすがだよ。それにこのトレーニングはやっておかないと身体が鈍るんだよな。鍛えるというよりも、維持するためのものだ」
大一が錨を素振りする隣で、匙がスクワットをする。この日は早朝から匙は大一との練習に付き合うことになっていた。先日、ソーナから匙の特訓するにあたり、大一のトレーニングに付き合わせて欲しいという打診を受けた。特に断る理由もないため承諾したものの、大一としては名指しで指名されたのが疑問であった。
「特訓するなら、一誠とか祐斗とかゼノヴィアとかもっと他にもいたと思うんだけどな」
「会長には会長の考えがあるんだと思います。それに2年生だと修学旅行近いですし」
「それ言ったら、お前もだろうよ」
大一の返しに、匙は特に反応はしなかった。正直なところ、匙も今回の特訓については主のソーナから命じられるままでその真意まではわかっていなかった。基礎的なトレーニングは彼も充分に積んでいるし、厳しいしごきもグリゴリでやらされた。今さら大一との特訓、しかも1日限定で付き合う理由もわからなかった。
その後も2人は黙々と特訓をこなしていく。夏も終わったのに互いに運動着が汗にびっしょりと濡れるくらいまで動いた辺りで、彼らは切り上げた。
「ソーナさんも2年生のこの忙しい時期にやらなくてもいいと思うんだけどな…」
「アガレス家とのゲームも近いので」
大一のぼやきに、突然聞こえた声が対応する。ソーナが満足そうな表情をしながらこちらに向かってきた。彼女の後ろには同じ生徒会の1年生、仁村留流子も一緒にいた。
「会長!仁村!どうしてここに?」
「頑張っている僕の様子を見に来るのは変なことですか?」
「い、いや、そういうわけじゃ…」
匙は少し気まずそうに同時に照れくさそうに頭を掻きながら答える。又聞きではあったが、匙はソーナに好意を寄せていることを大一は耳にしていた。彼の反応を見れば、その気持ちが明らかであった。もっとも大一はソーナと一緒にいた仁村の視線も気になった。前回の試合の時に匙と一緒に行動して小猫に敗北した彼女であったが、ソーナに対しての匙の反応に非難とはまた違った不満そうな視線…生徒会の恋愛事情の複雑さはオカルト研究部にも引けを取らないようだ。
「大一くん、引き受けてくれてありがとう。今日は匙をよろしくお願いしますね」
「今日と言っても、あとは放課後と夜の悪魔の仕事くらいですよ。仕事は別に特訓じゃないですし、本気でやるなら休日に一誠とかの方がよかったと思いますがね」
「リアス達ほどではありませんが、私もあなたとはそれなりに付き合いは長い方ですから、匙に必要なのはあなたの方だと思っています。それに学ぶことは何もトレーニングだけではありませんから」
ソーナは含みのある言い方とそれに見合ったような表情で答える。リアスほど無茶苦茶はしない彼女だが、それでも別の方向で底知れない雰囲気があるのは否定できない。
だがそんな面のある彼女を知っているからこそ、大一はいつものように振舞った。
「まあ、俺もソーナさんには一誠の件もあってよくしてもらっていますから、最善はつくしますよ」
「さすがは学園トップクラスの人気者を堕としただけはありますね。頼りがいが違います」
この言葉に空気…というよりも後輩2人の視線が変わるのを感じた。恥ずかしさと気まずさが得も言われぬ感覚を抱かせる。
「…あの、どこで聞きました?」
「リアスからです。勘違いしないでください、私は応援していますよ」
「それはどうも…」
「では私はこれで。匙、頑張ってください。留流子、あとはお願いします」
伝えたいことだけ伝えて、ソーナは去っていった。彼女の後ろ姿を見ながら、今からこの面倒な空気間をどうにかする必要があると思うと、朝から胸の内がモヤモヤする気持ちであった。
「「師匠!よろしくお願いします!」」
「誰が師匠だ!」
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3人は近場に座り込み(仁村がわざわざシートを持ってきていた)、休憩する。大一も匙も朝食を取っていたため、もっぱら話を回していたのは仁村であった。
「駒王学園大人気のマドンナのひとり、姫島朱乃先輩。その和風な容姿端麗さに加えて、包み込むような優し気な雰囲気…その人に恋人ができたとならば学園中が震撼する大ニュースですよ!」
「お前みたいな反応だけならどれだけ楽だろうな」
大一はコンビニで買ったパンを頬張りながら答える。2人に問い詰められて大一は朱乃との関係をあっさりと白状した。もちろん隠すことでは無いのだが、もし彼らが生徒会でなければ口を割らなかっただろう。
「この特大スキャンダルはドキドキしちゃいますよ!ねえ、匙先輩?」
「仁村、落ち着けって。でもたしかに男としては羨ましい限りだと思いますよ」
「言っても、相手は俺だぞ?」
「いいじゃないですか。私の中では大一先輩は、会長やグレモリー先輩に並ぶほどですよ。むしろ学園では兵藤一誠先輩の兄という評価で苦労していると思います」
「評価というか事実だからな。まあ、2年生の頃からその件で振り回されることが増えたのは否定しないが」
「むしろ先輩ってそれ以外のことをあんまり聞かなかったんだよな」
匙の言葉に仁村も頷く。大一自身もリアス達の人気を知っていたから、意図的に距離を取ろうとしていた面はあった。とはいえ、それにも限界があり1年生の頃は必至で他の男子生徒相手に説得していたこともある。2年生になって一誠が入学してからは、彼含めた変態3人組を相手に必死で走り回っていた面もあり、その嬉しくない形で信用を勝ち取ったこともあった。
仁村が差し入れしてくれたサンドイッチを飲み込むと、匙は少し考え込むようにつぶやく。
「仁村、ごちそうさま。美味かったよ。しかしグレモリー眷属が羨ましく思いますよ…。兵藤の話とか聞くとどうも…」
「匙、俺も兵藤だから一誠でいいと思うぞ」
「先輩は大一先輩ですから。いやそんな事はどうでもいいんです。俺だって会長と…ハア…」
匙はため息交じりにうなだれる。ソーナの規律意識の高さと生徒会の忙しさを考えれば、グレモリー眷属はかなり自由なのは間違いない。しかも一誠とリアスの関係性や行ってきたスキンシップを考えれば、同じように主に想いを寄せ彼の気持ちも理解できた。
一方で、仁村も少し頬を膨らませて匙を見ていた。あまり怒っていない様子に見えるのは、先ほどのお礼もあってだろうか。わりと露骨に嫉妬を受けているのに匙は気づいていない様子に見えた。この光景はどことなく一誠とアーシアの関係性を思い出させた。
「というか、俺は別にお前らにそういう話を聞かせようとしたわけじゃないぞ。匙、汗流してくるぞ。ウチの部室のシャワーを使っていいから」
「使って大丈夫なんですか?」
「俺があとで掃除しておくからいいよ。さすがに水の魔法で洗い流すわけにもいかないからな」
片付けに入りながら話す大一に、匙と仁村が目を丸くする。「魔法」という単語が意外だったようだ。同時に匙の方は関心と少しだけ不思議そうな感情を表情に現わしていた。
「先輩って魔法も使えるんですね」
「戦闘ではまったく使えないけどな。どうも俺は魔力を変化させることができなくてな。やれることはやっておきたくて、夏休み中に魔法を学んだんだが…感覚よりも計算を必要とする分、まだそっちの方ができたな」
「魔法と言えば、ロスヴァイセさんが入ってグレモリー眷属は揃ったんですよね。北欧のヴァルキリーってすごいです」
「あの人に頼み込んで教えてもらおうかな…あっ」
片付け中に大一の腹が少しだけ鳴る。ディオーグと融合してからの空腹感は自覚していたつもりなのに、ケチってパン2個しか買わなかったのが尾を引いてしまったようだ。
「ごめん…」
「いや別に気にしませんが…けっこうドラゴンの融合って弊害がありますね」
「お前や一誠と違って神器に入っているとかじゃないからな。まあ、我慢しかないよ」
「おにぎりでよければありますわ」
「嬉しいな。ありがた…うおっ!?」
いつの間にか来ていた朱乃に3人とも驚く。相変わらずの穏やかな笑顔で立っていた制服姿の彼女は、普通の男子生徒なら見惚れるだろうがこの急な登場にはさすがに驚愕の感情が優先された。
「…いつからいたの?」
「ついさっき。おはようございます、2人とも」
「「お、おはようございます」」
朱乃は笑顔を崩さずに匙と仁村にあいさつをすると、大一へと向き直る。その表情から一言以上物申したい様子であった。
「それにしても言ってくれたら作っておいたのに」
「いやこの早朝だし、そこまでしてもらうのも悪いし…」
「イヤだったら私も断るから気にしないで。はい、お昼の分のお弁当。今日は購買とかで済ませようとしていたんでしょう」
「ありがとう。どこかで埋め合わせはするよ」
「期待しているわ。行きましょうか」
4人はオカルト研究部のある旧校舎へと向かった。その間も大一と朱乃のやり取りを見ながら、匙はこれがいつもの2人であることを実感した。
匙がシャワーで汗を流している間、大一は朱乃のおにぎりを頬張り、朱乃は仁村と何かを話していた。仁村の表情はいつぞやの冥界へ向かう列車内のアーシアを彷彿させるようなものであったことから、話の内容がなんとなく察せられた。
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すっかり日もくれた頃、大一は移動用魔法陣の前に立っていた。これから生島のところへと向かうのだが、今回は彼だけではなく匙とロスヴァイセも行くことになっていた。
さすがに時期が時期なので彼女にビラ配りをさせる暇はなく、かといってまったく悪魔の仕事を関わらせないわけにもいかなかったため、ちょうど人手が欲しいという生島の依頼に同行することになっていた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそお願いします。生島さんはちょっと風変わりですが、いい人ですよ」
「学ばせてもらいます」
スーツ姿でロスヴァイセは気合いを入れるように拳を作る。容姿と身長で大人びていたが、内面や言動は少女らしい印象であった。
隣に立つ匙の方は落ちつかない様子でそわそわしていた。グレモリー眷属ばかりの部屋にひとりいることが気になるのかもしれない。結局、朝と放課後に一緒にトレーニングして昼休みに話した程度でなにか出来たように大一は思えなかった。たまにトレーニングについて訊いてくることはあるが、それで何かが変わったような印象は見られない。
時間になったことを確認したリアスは大一に声をかける。
「それじゃ、大一。2人をよろしくね」
「わかりました。行きましょう」
3人は移動用魔法陣に立つと、生島の店へと飛んでいった。
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無事に転移した大一達を生島が迎える。だが開口一番、生島はガッツポーズを取りながら歓喜の声を上げた。
「来たわぁぁぁぁ!!!」
「生島さん、落ち着いてくださいよ!何があったんですか!?」
「これが落ち着いていられるわけないでしょッ!たしかにお得意様のパーティの片付けのために人手が欲しいと言ったのは私だわ!しかしまさかこんな綺麗な人を…大一ちゃんが話していた人を連れてきてくれるなんて…!外国人よね?もちろん紹介してくれるのよね!?」
グイグイと迫って来る生島に、大一は後ずさりしながら彼の言葉の意味を考える。勢いで話してきたため、一瞬何を言われているのかが理解しかねたが、間もなく少し前に生島に対して話していたことを思い出した。
「違いますよ!この人はウチの眷属の新入りのロスヴァイセさんです!今回は初めての悪魔の仕事を経験するために来たんですよ!もうひとりは訳あって協力してくれる後輩の匙です!」
「ロ、ロスヴァイセです。今日はよろしくお願いします」
「匙元士郎です。グレモリー眷属とは違いますが、今日は大一さんからいろいろ学ぶために来まして…」
「生島さんショック!大一ちゃんがついに彼女を連れてきてくれたと思ったのにッ!」
生島は涙ながらに床に膝をつきながら、拳で床を叩く。がっしりとした体格からその勢いはすさまじく、同時に悲惨さも一層強力なように見えた。涙姿をここまでインパクトの強い様子に仕立て上げられるのは、おそらく彼だけだろう。
さすがに匙も驚いて引いてしまったが、一方でロスヴァイセはなぜかうなだれていた。
「うう…私だって好きで彼氏を作らないわけじゃないのに…」
「ロスヴァイセさん、その話は後でしましょう」
「メソメソしない!あなたはまだ若いんだから、その年齢で彼氏がいないくらいでへこたれているんじゃないわ!ちょっと来なさい!お話するわよ!」
そう言うと、生島は手際よく飲み物を入れたグラスを2人分持ってロスヴァイセをテーブル席の一角へと連れていく。よく見ると彼の分のグラスにはウィスキーが注がれていた。この時点で今日の仕事が意味をなさないような気がしてしまった。
「これは今日は無理かもな…」
「大一さんのお得意様って強力ですね」
「いい人なんだけどな。ちょっと俺のことを心配してくれた結果がこれだよ」
大一の顔は言葉とは裏腹に穏やかであった。彼の様子だけで生島への感謝の気持ちが傍目から見ても明らかであった。
「そういえば、今日は悪かったな。付き合ってもらいながら何もしてやれなかった」
「いえ、大一先輩とのトレーニングは楽しかったですよ」
「お前は優しい奴だよ。今度は模擬戦とかもやろうな。俺もお前の強さをしっかりと経験したい」
期待を込めるように大一は匙の肩を軽く叩く。匙は大一の横顔を見た。先ほど同様に穏やかな表情…よくここまで落ち着いていられるものだと彼は思った。境遇こそ恵まれているのだろうが、決して才能は豊かではなく、血のにじむような努力を何度もしてきたとソーナから聞いている。朝のトレーニングも今でこそ軽くこなしているが、悪魔になった当初は過酷であっただろうし、他の強い仲間達にもコンプレックスは感じていたであろう。それでも必死に食らいつくことを彼はしてきたのだ。
「やっぱり先輩はすごいですよ…」
「褒めるなよ。俺は恵まれているだけだ」
「でもそれを言ったら───」
匙は言葉を飲み込む。一誠の顔が浮かんだのだ。神滅具という特別な力を持ち、主との関係も羨ましい限りだ。一誠が勝るとも劣らないほどの努力をしているのは知っている。自分の想いが彼に劣っているとも思わない。だからこそ前のゲームでは彼を抑えることができたのだから。
それでも常に一歩以上前を行くライバルの存在に匙は焦っていた。自分も同じように様々なバックアップを受けているし、感謝もしている。しかしどう頑張っても一誠に追いつけないのだ。ロキとの戦いでも一誠の強さを目の当たりにした。その気持ちの強さに敵わないとも…。
少し物思う匙に気づいたのか、大一は匙の方を向く。
「いろいろ悩んで辛いと思うがな、それはお前の強さだと思うぞ」
「俺は…ただ…たまに思うんです。色んな人に認められても、どうしても自分の思い通りに強くなれない時があって…」
「それを悩んで強くなるためにどうすればいいかを考える。それでいいじゃないか。強さはひとつの要素で決まるわけじゃない。だからこそ自分の辿ってきた考えや、経験は強くなっている要因でもあるんだ。お前はお前のままで強くなればいいし、それは間違いじゃないよ」
「先輩はそうやって乗り越えてきたんですか…?」
「最近になってようやく気づけただけだ。たくさんの人たちのおかげでな。言っただろ、恵まれているってな」
肩をすくめる大一の姿は説得力があった。たった1日だけではあったが、彼のトレーニングがどのようなものかを経験し、彼の仲間とのやり取りや客への理解を目の当たりにしたからこそ、その言葉に説得力が生まれたのだろう。
そして彼の言葉に匙は少しだけ自信がついた。自分なりに強くなる、その上でライバルである兵藤一誠を追い越す、この気持ちに改めて整理がついた気がした。
男性陣のやり取りが一段落したところで、生島が大一へと呼びかける。
「大一ちゃん、決めたわ!ロスヴァイセちゃんと契約するわ!そして彼女にウェディングドレスを着せるのよ!」
「なんですか、その目標は…」
「うえぇぇ…生島さぁん…」
ロスヴァイセは疲れ切った様子で涙と鼻水で顔を汚していた。もはやどっちが依頼主か分かったものじゃなかった。
「手始めに大一ちゃんか元士郎ちゃんどうよ?」
「見境なさすぎですよ」
「ダメですよぉ…特に大一くんなんて朱乃さんと付き合ったばかりなんですからぁ…」
「なん…だと…!まさか姫島ちゃんと…!これは…赤飯を炊かなければッ!」
「生島さん、片付けやりましょうよ…」
夜とは思えない騒ぎの中、匙の心は忙しさとは裏腹に穏やかであった。
自己肯定感低い人にはとことん優しいのが生島さんです。
次回から、9巻分に突入しようと思います。