『昇格の推薦が来なかったのは残念でしたな』
手のひらサイズの半透明の師匠の顔が、部屋の主である大一に語りかける。久しぶりに炎駒から連絡があったと思ったら、通り一辺倒のあいさつをした後にとてつもなく苦いコーヒーでも飲んだような表情で話していた。
「まあ、こればかりは致し方ないとしか言えませんよ」
『私としては貴殿も推薦されておかしくないとは思うのですが』
「炎駒さんにそう言って頂けるだけで、俺としては嬉しい限りです」
炎駒は腑に落ちない訝し気な視線を送るが、大一としてはこの発言に偽りはなかった。数日前に中級悪魔の昇格について自分の名前が呼ばれなかった際、大一には無念の感情というものがまったく抱かなかったのである。自分よりも悪魔人生が長い朱乃はもちろんのこと、赤龍帝として実力や実績ともに確立している一誠、禁手を2つも発動させてどの戦いでも一定以上の戦果を挙げている祐斗…彼らに比べれば自分の評価は正当なものだと思ったからだ。
それでも師である炎駒としては納得していなかった。というのも、それはある話を小耳にはさんだからである。
『私は昇格の件については関わっていませんが、グレモリー眷属全員が一度は協議されたと聞いています』
「そうなれば選ばれなかったメンバーには相応の理由があるのでしょう」
『それは否定しません。しかし一部では悪魔になってからの日が浅いという指摘がありました。これに当てはめれば若…弟殿もそれに該当するでしょう』
「俺だって3年以上はありますが、それも別に長いわけじゃありませんけどね」
肩をすくめながら大一は淡々と答えるが、炎駒の言いたいことに察しはついていた。大一が選ばれなかった理由に年数は関係なく、同時に炎駒としては感情を逆なでする内容であったようだ。
『現魔王であるサーゼクス様の妹君である姫の眷属から多くを出したくないという者がいるのは確かですな』
「悪魔も一枚岩というわけにはいきませんものね」
『こればかりは致し方ありません。しかし私が納得できないのはこれだけではないのです。大一殿が選ばれなかった理由には若との比較、そして危険性を孕んでいるという指摘があったと聞いています』
「一誠との比べられるのはわかりますが…危険性?」
大一は考えるようにあごに手を当てる。一誠と比べられるのは仕方のないことだ。兄弟であり、同じ主に仕えており、しかも同じ「兵士」ときたものだ。いくら切り離して考えようにも、評価を受けるにあたってそれは長年のツタのように絡みつくだろう。
しかし「危険性」という単語には首をひねる想いであった。大一自身の能力を考えれば、危惧されるようなことはひとつも無いように思えるが…
炎駒は嘆息すると、再び話を始める。少し疲れた声にはこの場にはいない悪魔の上層部への呆れが込められていた。
『活発になっていく禍の団の襲撃により、大一殿も戦う機会が増えました。おかげでディオーグの存在はすでに上層部の多くが知るところになっております。ディオーグが未だに正体不明なドラゴンであることを少なからず危険に感じる者もいるのです。ましてや先日の試合で、多くの人が知ることになりましたから…』
「でもそれを言ったら、一誠のドライグなんかは赤龍帝として恐れられたと思うのですが」
『もちろん無名の存在よりも悪名は轟くことではあります。しかし現在は違うでしょう。冥界のヒーロー、期待の新星、そういった面で世間からの肯定的な意見がずば抜けています。悪魔自体が他の勢力と比べるとドラゴンへの危険意識が低いのはありますが…いやそれはどうでもいいのです』
頭を振る炎駒の姿は、どうにも疲労感を抱かせるものであった。彼の心には、さっさと話を終えたい焦燥感と本当に話してもいいのかという心配の相反する気持ちが混在していた。
最終的に彼は前者を選択し、話を進めるのであった。
『私はどうも…負の部分が兄という繋がりから貴殿に向かっているような気がするのですよ』
「まさか。俺を貶めたところで百害もないでしょうが、一利もないでしょうよ」
『私もそれは思います。しかし貴殿がかつて「犠牲の黒影」に浸食されたことが、昇格を容認されない理由に挙げられたことを小耳にはさみました。今さらながらこの事実を掘り返してくる辺りに、貴殿が一部の者からあまりよく思われていないのは明白です』
「そう来ましたか…」
『加えて、先日の京都での一件。貴殿はグレモリー眷属としてではなく、いち悪魔としてあの場にいました。ひとりの成人悪魔としての責任が伴っているのです』
大一は身体にたまった不穏な感情を入れ替えるように、鼻から大きく深呼吸をした。要するにグレモリーに対して、納得がいかない一部の権力者のはけ口に使われているということだろう。
あまりいい気分では無かったが、理不尽には感じなかった。未だに権力を持つ上役がいるのは事実だし、それらが冥界のシステムを守っている面もあるだろう。悪魔が実力主義とはいえ、その常識が悪魔のどこでも通じるわけがないのだ。もし通じるのであれば、そもそも大一はディオーグと融合する前に放逐されている。今後、上に行くにあたって面倒なしがらみとも関わることは重々承知していた。それを思えば、少し時期が早くなっただけのこと。不満はあるが、理不尽ではないのかもしれない。
ただし炎駒は同じ見解ではなかったようで、半透明にしか映っていない頭部を下げた。
『申し訳ない。私が貴殿を京都に行かせたことで余計なしがらみに関わらせてしまいました』
「炎駒さんは悪くないでしょう。それに昇格の話が来なかったのは、俺の実力不足もあるんです。今度はそういった言葉が出ないほど強くなれば問題ないでしょう」
『しかし…』
「これ以上、湿っぽくなるのは止めてくださいよ。だいたい師匠の頭を下げる様子を見たい弟子なんていないでしょう」
『…わかりました。しかし大一殿、思うことがあればいつでも連絡して来てください。できる限り力にはなります』
「本当にありがとうございます、炎駒さん」
展開していた魔法陣が消え去り、連絡を終える。再び大きく息を吐いた大一の頭にはサイラオーグのことが浮かんでいた。アザゼルから聞いた話では、彼を支援した上層部の悪魔の多くが手を引いたようだ。だがそれでも彼はストイックに己を鍛え続けている。以前は利用されることを、むしろチャンスだと思っていた節もある。その質実剛健な姿勢は、実力以上に悪魔として完成していたと言えるだろう。
「見習いたいものだな…」
(だったら、そうすればいいだろう)
(うおっ!起きていたのかよ、ビックリした…!)
誰に聞かせるでもない大一のつぶやきは、彼の体に住み着く一匹の龍が聞いていた。口調はいつもの様子であったが、すでにとげとげしい雰囲気の声であり、炎駒の話を聞いていたことが察せられる。
(ったく、どこのどいつか知らねえが、俺はあのドライグって奴より下に見られているのが気に食わねえ)
(だからって悪名を轟かせても困るけどな)
(悪名なんぞ勝手にそいつらが決めたことだろう。強ければどっちにしろ名は上がるんだ)
(…やっぱり今回の中級悪魔の昇格が来なかったことに怒っている?)
大一はおそるおそる尋ねた。数日前にサーゼクスが来てからディオーグの不満は感じたが、この話を振るのを彼はためらっていた。頭の中で罵声をうだうだと言われるのが間違いないと思われるため、相手からその類の話題を振ってこない限りは避けようとしていた。
声の荒々しさは予想通りであったが、返答はまったく違ったものであった。
(てめえらの格付けなんぞ興味もねえよ!)
(あ、あれ…?でも中級悪魔になれば、以前よりは有名にはなると思うぞ)
(悪魔の枠組みなんて小さいものにこだわる理由はねえな。そんな与えられる称号は願い下げだ)
(そ、そうか…。ゴメン、勝手に昇格出来なかったことにイライラしているのかと)
(あー、ムカついているよ!てめえのその態度にな!さっき、ヘンテコ生物と話していた時、「致し方ない」って言ったよな?それどういう意味だ!)
(いやだってさ、俺は別に一誠達ほどの実績を残しているわけじゃないし…)
(その後ろ向きな発言が気に食わねえんだよ!)
ディオーグはガチンと牙を鳴らしそうな勢いであった。誰もいない自室なのに、大一は思わずびくりと身体を震わせる。
そんなこともお構いなしにディオーグは話を続けた。
(その事なかれ主義みてえな考え方、自分の評価は正当だと思っていやがる。強くなりたいという意識はあるのに、その理由はどこまでも後ろ向きだ)
(別にそんなこと───)
(俺から言わせてもらえばな!お前は未だに弟に対して遠慮がある!下手に強くなったせいで、弟や仲間に対して過保護な割には踏み込めていないんだよ!)
(俺はそこまで───)
(だったら、この前の話でお前は嘘でも悔しがれよ!あいつを本気で超えたいなら、いざという時にぶん殴れるくらいの心でいろよ!てめえのは自分の罪悪感を少しでも軽くしたくて、無意識にストップかけているだけじゃねえか!)
たびたびの反論を抑え込むディオーグの発言は怒りに塗れていた。もし元の身体で同じように言われたら、心が折れてもおかしくないと思うほど鬼気迫る力強い雰囲気がそこにあった。
(…小僧、てめえが未熟なのは事実だ。それは否定しないし、己の力量を把握するのは必要なことだろう。しかし今のお前は自分の伸びしろをすべて消している。弟へのこだわりをいい加減に捨てろ。そうすればお前は…もっと強くなる。お前がいなくても、特別扱いしてもらっているんだから生きていけるだろ)
吐き捨てるようにディオーグは締める。ここまで言われても、すぐに変わろうと思うほど大一は彼との信頼関係は築けていなかった。そもそも特別扱いというのならグレモリー眷属として彼も大小違えどあるだろうし、一誠の兄としてのアイデンティティを持つ身としては弟への責任感を捨てるなどというのは土台無理な話だ。
しかし同時にディオーグの言葉をすべては否定しきれないのも事実であった。彼の言う通り、弟に対しては甘い点は確かにあった。入学当初から彼の行いについては謝罪してきたし、相談を受ければ基本的にすべて聞く。もっと幼い頃から、仲が良いわけではないが気にかけてはきた。もっともこれは弟の出生について、彼がかつて祖母からこっそりと聞いていたのも原因ではあるのだが。
結局、この話に決着はつかないと感じた大一は小さく唇をかむ。悔しさとは別の不本意な感情が、彼の心を気味が悪くなるように荒廃させていった。
ただこの会話に収穫が無かったわけじゃない。大一はディオーグのことを知る必要性を感じた。それは実力だけではない。彼の人生そのものを知りたいと思ったのだ。そこから強い信頼関係を結ぶことは、この問題を解決させるだけじゃなく自分がさらに強くなることにも繋がるだろう。
彼が思考の渦に身を投じようとすると、朱乃が部屋にノックと同時に入ってくる。最近はすっかり遠慮がなくなってきた彼女は、部屋に入るのにも意味のなさないノックで済ませるだけになっていた。
「大一、いるかしら?」
「どうしたの?」
「これからみんなで勉強会をしようと思うの。一緒にしましょう」
「わかった。すぐに行くよ」
「お茶は淹れなくていいからね」
「あー…わかった」
朱乃の意地の悪い笑顔に、大一は少しバツの悪そうに反応する。他のメンバーが中級悪魔の勉強やらテスト勉強やらで精を出していたため彼が一度お茶を淹れたのだが、あまりにも味気の無いものが出来上がってしまった。不味くは無いのだが、お世辞で美味いとも言えない微妙なものであった。
「あとは小猫ちゃんだけなんだけど…」
「部屋にいなかったのか?」
「返事が無かったのよ」
「寝ているだけならいいが、最近は体調悪そうだったし不安だな」
(まあ、たしかにあの猫又は最近の生命力の流れが変だが)
(おいおい、不安になるようなことを言うなよ…)
(だったら、お前も感知してみろ。ったく、武器を出さなくても感知できるようになれるようにしろっての)
ディオーグの余計な一言は無視しつつ、大一は錨を取り出して小猫の生命力を感知する。同居中の女性にやるような行為ではないが、ディオーグの感知能力に関しての信頼と小猫への心配が小さな常識を押しつぶした。
「…なんだ、これは?」
「どうかしたの?」
「ちょっと小猫の部屋に行こう。魔力の乱れだけならともかく、生命力までおかしいな…。あいつ、どうしたんだ?」
間もなく、小猫の部屋にたどり着くと大一は軽くノックする。
「小猫、体調は大丈夫か?あれだったらちょっと入ってもいいか?」
「…どうぞ」
あまりにもか細いが反応する声が聞こえる。小猫が起きていたことに、朱乃は少し驚いた表情をしており、大一は静かに部屋に入った。
部屋の中で小猫は横になっていた。たまに寝間着に使用している白装束を着ており、荒い呼吸で目元を抑えている。その様子は苦しさに支配されており、大一はベッドの横にしゃがみ、彼女の容態を確認した。
「大丈夫じゃなさそうだな。熱あるか?」
「だ、だめです…!」
「そんなに辛いか。病院行かないとマズいかもな」
「そ、そうじゃなくて…!」
「朱乃、悪いけどやっぱり勉強会は参加しない。ちょっと遅いけど、俺が小猫を病院に連れて行くよ」
「それは構いませんけど…小猫ちゃんがなにか言っているわ」
小猫はぼそぼそと何かを呟く。先ほどの声よりも遥かにか細く、耳を口元に寄せないと聞こえないほどだ。
すっかり弱った様子の小猫に不安を感じた大一は、彼女を起こしてすぐに病院へと向かう仕度をしようとする。
だが彼が小猫に触れた瞬間に、小猫は大きく体を震わせるとゆっくりと起き上がった。この突然の反応には、彼女を心配する先輩2人も面を食らった様子で驚いた。
「お兄ちゃん…辛い…」
「…あ、ああ。大変だな。早く病院に一緒に行こう」
「…お兄ちゃん…好き…赤ちゃん…欲しい…」
「…おいおい、小猫。お前ちょっと落ち着こう。朦朧としすぎて───」
大一が全部を言い終える前に、小猫は飛び掛かるように彼に抱きついてそのまま押し倒した。不意の行動に咄嗟の反応もできず大一は驚きに目を見開くが、そんな彼の反応などお構いなしに小猫は身体を摺り寄せて少しでも密着しようとしていた。
「リ、リアスを呼んできますわ」
さすがにただ事じゃないと感じた朱乃は少し裏返った声を出すと同時に部屋を出る。正直なところ、この状況で2人きりにされる方がとんでもない方向へと舵を切られるようにも思われるが、この場にいた男女はそこまで考えが及ばなかった。
とにかく引き剥がそうとする大一であったが、小猫は物悲し気な表情で相手を見る。
「お兄ちゃん…私のこと…嫌いですか…?」
「そうじゃない。しかし今のお前は明らかに変だ。まずはそれをどうにかしよう」
「…お兄ちゃんなら…私を…受け止めてくれると…」
小猫らしくない妖艶な響きがあったが、なぜか胸を締め付けられるような悲しみと辛さを感じた。間もなくリアス達が現れて彼女を落ち着かせるために奔走するのであった。
ヒロインについて指摘を受けてから50話近く…そろそろ決着をつけたいところです。