倦怠期の夫婦みたいになっちまった幻影の魔女と淫魔の王 作:京谷ぜんきまる
水城不知火は淫魔族の大幹部である。
『幻影の魔女』の二つ名は他の魔族勢力にも知れ渡るほどだが、ほんの数年前に誕生した元人間の淫魔ということで、同族からは胡乱な目で見られることもある。
特に古参のサキュバス達の中には“淫魔王からの寵愛を一身に受けておきながら、王に対する態度が不遜すぎる”と彼女を妬み、憎んでいる者さえいた。
当の不知火はどこ吹く風で意に介さなかったが、淫魔の勢力圏内にいても気の抜けない日々を送っていることもまた確かだった。
仕事から帰ってきても、気晴らしに寛ぐこともままならない。
“余と一緒にいれば、そんな心配をすることは無い”
そんなことを王から言われたこともあるが淫魔王と一緒にいてもやることはヤることだけであって、そればかりではつまらない。
たまにはゆっくりと酒でも飲みながら時を過ごしたい不知火である。
・・・・・・実は淫魔王の方も、一緒に酒を飲みながら映画を観たりする時間を作って不知火とのマンネリを解消しようなどと画策していたのだが、そんなことは露とも知らない不知火だった。
――と、いうわけで今は淫魔の勢力圏ではないヨミハラのショーパブで独り酒を飲んでいた。
今は夜。繁盛している店なら大勢の客で賑わうところだが店内に客は不知火しかいなかった。
店構えは大きく、店内の内装も豪奢で酒もなかなかの上物が揃っている。
では何故流行っていないのかというと、理由は簡単である。
今不知火がいるのはあのノマドの大幹部、朧が経営している店だからである。
ぼったくりの価格設定と横柄な従業員。さらには朧の性癖に刺さった客や、従業員、ダンサー達が店の奥に連れ込まれて陵辱されたり調教されたりするのが続けば噂が広まり、客入りゼロになっても仕方のないことである。オーナーの気まぐれで拷問されたりする店に誰が行くだろうか。
だが不知火に取っては逆に好都合。
一人でゆっくりとした時間を過ごしたいときはよくこの店を利用するのである。
「朧様。またあの女が来ていますぜ・・・・・・いいんですか」
「いいんだよ。放っときな」
店内奥の事務所にて獲物の鉤爪を研いでいた朧は部下の男からの報告に素っ気なく返事した。
朧は、あの『幻影の魔女』がかつてあの対魔忍アサギの右腕だったくノ一なのは知っている。
だが店でおとなしく酒を飲んでいるだけなら特に問題は無い。
まあ、最初に不知火が来店したときは手籠めにしようと手下と共に襲いかかって返り討ちに遭い、ついでにドロドロのグッチョングッチョンにアレコレされたりしたのだがそのことは新入りの部下には黙っておく朧だった。
(はぁ~~~~可愛かったなぁ。ビーチリゾートで会ったあの対魔忍の男の子。名前は鹿之助っていってたっけ。)
カラン、と氷の音を鳴らしながらグラスを見つめる不知火。そこに栗色の長髪を垂らした小柄な少年の姿がポワワッと浮かぶ。
女性と見まごう雅な顔立ち。にもかかわらず年相応・・・・・・いやそれよりも幼さを感じさせるあどけなさに思わずぞくりとさせられる。
瞳の色は薄いアメシストのようで、笑顔が一番よく似合うが、怯える心を奮い立たせて敵と対峙したときは紫電を纏うようにその表情は粛然としていて、あれぞまさに対魔忍の美貌の少年だ。
まるで無垢な魂そのものを掘り磨き上げて創造されたかのような子だった――と不知火は心中で述懐する。
(何歳なんだろう。ゆきかぜより年下? いやでも任務に出るくらいだから五車の中等生ってことはないわよね。じゃあ同い年ぐらいか。あぁ・・・あんな男の子が欲しかったなぁ・・・・・・・・・・・・いやむしろ・・・・・・。)
ポワワッとした妄想は不知火の中でドロリと淫らな粘りを見せはじめる。瞳を潤ませ、もどかしげな吐息を漏らすその姿は淫魔の気を濃厚に発散していた。
(あの子に私が孕まされるってのも・・・・・・ありかもね♡ フ、フフ、ウフフフ・・・・・・。)
一方その頃、聖修学園地下の淫魔宮殿内にある小劇場並みの規模のホームシアター室にて、淫魔王と少年ブラックは丸一日とさらに半日かけて、某超有名なSF映画シリーズをぶっ通しで鑑賞し終えたところだった。
「・・・・・・わからん。スカイウォーカーとはなんだったのだ。そして、フォースとは。ライトサイドとダークサイドとは・・・・・・」
そう呟き、片手で頭を抱えながら俯く淫魔王。ブラックはクスクスと笑いながら立ち上がり、備え付けのガラスケースから新たな酒瓶を取り出す。
「多分そんなに深く考えてないんじゃないかな。7作目からの続・三部作の制作に、この作品を創り出した作者は関わってないしね」
「!? そうなのか?」
「エンディングスタッフロールもちゃんと見なよ・・・・・・」
「信じられん。人間にしては相当な時間と手間をかけたはずだろう」
「人間というのは時に、自ら作りだしたものが手に余って、放り出したりしてしまうものなのさ。『創作』もだけど・・・・・・科学の『発明』なんかもそうじゃない? “我は死なり。世界の破壊者なり”ってね♪」
ブラックは二つグラスに琥珀色の酒を注ぎ、一つを淫魔王へと向ける。
「・・・・・・オッペンハイマーの言葉なんぞ口にするな」
淫魔王は不機嫌そうに片頬をピクリと歪ませて、吐き捨てるようにそう言った後、受け取った酒をあおった。
「おや、彼が嫌いかい?」
「核兵器を生み出した男だ。ヒトを滅ぼしかねない危険物を作ったのだぞ」
「ま、僕らを頂点捕食者とするなら人類が滅ぶような事態は避けないといけないのは確かだね。でも彼が着手しなくても、いずれは誰かが作ったさ」
「・・・・・・実際、地上で米連と中華連合の軍が台湾で衝突した時、核戦争になる可能性があったな。エドウィン・ブラックよ。貴様が
ブラックは肩をすくめた。
「さて、なんのことやら。ところで、僕が世界の再創造を何度か繰り返してる件だけど――」
「おい蒸し返すな。昨日の言い争いは痛み分けで水に流すのではなかったのか?」
「いや、そうだけど。聞きたいのは前世界の出来事を記憶しているのなら、賢明卿が得た未来の情報も把握してるのかなって」
「・・・・・・知らいでか」
未来の情報。
それは魔界に君臨する九貴族の一人、賢明卿ことブレインフレーヤーの女王マルジャーナがもたらしたものだ。
彼女の眷属であるアルサールが全ての時代、全ての多次元世界において唯一無二として存在する強力な秘宝『テセラック』を用いて人類を汚染し、地上世界を滅ぼして全魔族をも衰退の道に陥れるという・・・・・・。
人と魔にとっての絶望の未来。
「だからか。今回の君が妙に人間に対して優しいのは。人間の精気が糧ではあるが、この世界で淫魔達は人間を拐かして苗床にしたりしてないもんね」
「そういう貴様も、ヒトを実験動物のように扱うのを今回は止めているではないか。
「フフ、まあその分起こる変化を修正しなくちゃいけないのが面倒だけどね」
「・・・・・・心願寺紅がノマドの次期総帥になるという話は本当なのか?」
「もう就任したよ。おかげで優雅な隠居生活さ。だからこうしてフラフラしてるってわけ」
「・・・・・・・・・・・・どうやったのだ?」
淫魔王は咳払いをして、ブラックと目を合わせずに尋ねた。
「ん? なにが?」
「いやだから、紅の母親をどうやって――」
「誘拐して魔界に連れ込んだりせずに、普通に交際を申し込んで付き合いを始めて、あとから正体を明かしたのさ。対魔忍達と仲良くしすぎてるせいで今回の世界ではものすごく他の九貴族のあたりが強いけど」
「よくもそこまで・・・・・・変えられるものだな」
「いやだなぁ。新しい役を演じていると思えばいいんだよ♪ 昨日のレディ・・・・・・水城不知火だっけ。君ももっと上手いこと立ち回ればよかったのに」
「できればそうしたい。しかし紅と同様、不知火の娘のゆきかぜは誕生しなければならない存在だ。余にはどうしようも――!!!!!!!!!!!!?????????」
淫魔王はガタッと勢いよく立ち上がった。
「あれ? どうしたの?」
ブルブルと身を震わせている淫魔王をブラックは面白そうに見つめながらちびりと酒をなめる。
「ェッヘッヘッヘッヘッへ・・・・・・」
「マジでどうしたの急に・・・・・・皇帝パルパティーンみたいな愉悦笑いをしちゃって」
淫魔王の体の震えはどうも歓喜によるものらしい。
笑い声は次第に大きくなり、呵々とした大笑へと変わった。
「ハーーーッハッハッハッハッハッハ! やったぞ!!! ついに! 遂に余を受け入れてくれるか不知火! 待っておれよ! 気が変わらぬうちに! すぐに、今すぐに! そなたの元に行くからな!」
「・・・・・・君さあ、遠くにいるときも彼女の意識をずっとストーキングしてるの? そういうことするから嫌われ――っと」
淫魔王の人間体、黒井竜司の姿が闇そのものの奔流に変じると、空中へと飛翔し、ホームシアターの天井に盛大に破壊して大穴を開けながら何処かへ飛び去っていった。
一人取り残されたブラックは天井の大穴を見つめながら、
「面白そうだから見物させてもらうよ♪」
と、淫魔王の後を追うのだった。
ドガァァァァ――――――――――――――――――ン!
爆砕音とともに不知火のいるショーパブの入り口が弾け飛んだ。
魔界都市ヨミハラにとってこのようなことは日常茶飯事であるが、ノマドの大幹部の経営する店ではそうそう起こるものではない。
「なに!?」
不知火は立ち上がり、もうもうと立ちこめる砕けた建材の粉塵の中に現れた男を見て仰天し、そしてげんなりした。
「何してるのよ・・・・・・」
ショーステージの舞台袖から従業員を引き連れた朧が飛び出してくる。
「あたしの店にカチコミかけるとはいい度胸だねッ。どこのどいつだい!」
淫魔王には朧の声など聞こえていなかった。不知火だけを見つめながら不知火の声だけを聞きながら、一歩一歩近づいていく。
「よくぞ・・・・・・よくぞ決心してくれた水城不知火よ!!! この時をどれほど待ち望んできたことか。我が愛おしき幻影の魔女よ・・・・・・」
「いや、意味分かんないんだけど。一体どうしたのよ急に――」
「おい! 無視すんじゃないよ! あんた一体何者だい!?」
淫魔王は不知火の自分の間に立ちふさがった朧を見てやっと存在に気づいたように彼女を見つめた。
「ノマドのイロモノ幹部は下がっていろ」
「だっ誰がイロモノ・・・・・・なっ、くっ――んごぉぉぉぉふぉぉぉおおおおおおおお!!!!????」
朧はもう口がきけなくなっていた。
淫魔王の背後の空間に亀裂が生じ、そこから無数のお約束のアレが出現して朧に殺到したのである。
それはまるで堰を切った濁流のようだった。触手の怒濤に押し流され、朧は一瞬だけ鉤爪で数条の触手を断ち切って抵抗したが、すぐに武装を剥がされ、戦闘スーツをズタズタにされて――。
「ちょ、ちょっと・・・・・・止めてあげて。朧と仲がいいわけでもないし借りがあるわけじゃないけどお気に入りの店のオーナーだし――あ、貫通した」
何が、どこからどこまで貫通したのかはさておき、朧の言葉にならない呻きと無数の触手が蠢く擦過音。そしてビチャビチャとか、ミチミチ、グポっといった水音や空気音をBGMに、淫魔王は据わった目をしながら不知火に囁く。
「心配するな不知火・・・・・・そなたはもっと凄いことになるから♡ 」
「ヒエッ・・・・・・い、いやいや! 急にどうしちゃったのよ!?」
「しかと聞いたぞ・・・そなたの心の声を。願ったではないかッ。孕みたいと! 淫魔の母になる決心がついたのであろう!」
「な!? あなたまた私の心を覗いて! あっ」
後ずさりながら壁際に追い詰められた不知火は淫魔王に手首を掴まれ、身をよじった
「や! やあよッ! あなた勘違いしてる! ちょ!? やめ――」
「何が勘違いだというのだ! 遠く離れていたが『孕みたい』というそなたの思念だけはしかと感じ取れ――」
「だれもあなたの子を産みたいとは言ってない!!!」
「え"っ」
しゅん・・・となった淫魔王が肩を落とし、不知火の腕を掴んだ手を離した。一気に脱力したせいか、朧をドロドロに溶かさんばかりにあんなことやこんなことをしていた触手も消失する。
宙に浮いていた朧が色んな体液がない交ぜになった水たまりの中に落ちた。
「ハァッ、ハァッ・・・・・・もう、とんだ勘違いよ!」
「す、すまなかった――」
呆然とした表情で淫魔王は反射的にこたえたが、思考停止した状態から段々と疑念が湧いてくる。
――ん? いやでも確かに不知火の孕みたいという思念は感じ取ったぞ
――どういうことだ? 孕みたい。だがそれは余の子ではない。
――つまりそれはッッッッ
再度、今度は壁ドンしながら不知火の腕を掴む淫魔王。
「痛い!」
「だ、誰だ! 不知火! 誰の子を産みたいと思ったのだ!!??」
「ほ、本気じゃないわよ! 前にもいったでしょ!? 頭の中でチラッと思ったことを真に受けないで!!!」
「でもほんのちょっぴりは思ったのだろう! 余の子を孕みたいとはそのほんのちょっぴりすら思ってくれないのに!!!」
ゴホン、という咳払いが背後から聞こえ、
「落ち着きなよ。今の君はとても見苦しい」
淫魔王は歯がみしながら振り返った。少年ブラックがそこにいた。
「でしゃばるなエドウィン・ブラックッ。これは淫魔族にとって一大事なのだ」
「口を出すに決まってるだろ。ここはノマドの縄張りで今し方、君が性欲爆発ドッカンギンギンの孕ませ最大パワーでグチャグチャにしちゃったのはノマドの幹部なんだけど?」
「・・・・・・」
「それに、レディの密かなお気に入りの名前を聞いてどうするの? 探し出して殺すのかい? 君も僕と同じように今回はやり方を変えるんじゃなかったのか?」
淫魔王は床に倒れたままの朧を見た。「あっ、あっ、あ・・・・・・」と断続的に声を漏らしながらビクンビクンと痙攣していて、見るも無惨な有様だ。
続いて不知火を見つめる。不知火は視線に気づくとぷいっと横を向いてしまった。
「――ッ」
淫魔王はその場から逃げるように走り去っていった。
「・・・・・・あらら」
「君は昨日の坊や・・・・・・あなたがノマドの総帥、エドウィン・ブラック・・・・・・」
「助けたお礼と言っては何だけど僕のことは誰にも言わないで欲しい」
「・・・・・・わかったわ」
「ありがとう」
ブラックは倒れている朧の側に行って座り込む。
「おい、朧・・・・・・だめだ。完全に壊れてる」
どうしようかとブラックは思案する。
この世界でブラックは対魔忍の甲河家を滅ぼしてはいない。
甲河朧の死体がなければ朧は誕生しないことになる。
だが、朧という存在はいなければいないで寂し――面白くなかった。
色々と苦労して別のやり方で生み出した存在だ。
ブラックは自らの右手首を左手の爪で切り裂いた。
「特別サービスだぞ、朧よ」
ブラックはつかの間、本来の口調に戻ってそう呟くと、右手首の傷口を直接、朧の口にあてがって血を飲ませた。
すると朧の瞳に生気が宿り、カッと目を見開いてブラックの手首を握って強く吸った。
「ん――ゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴク!」
「ちょ、くすぐったい」
そこで声にハッと気づき、朧は顔を上げた。
「ブ、ブラック様」
「うん」
朧は半身を起こして周囲を見回し、そしてもう一度ブラックを見つめた。
「・・・・・・・・・・・・もしかして、あたしを助けてくださったんですか?」
「ん~~~~、まあそうなるかな」
カアッと頬を赤らめ、目尻をだだ下がりにしながら朧は喜色満面になった。
「はぁ~~♡ あ、ありがとうございましゅぅぅ♡」
「ただ、このことは誰にも言っちゃダメだよ?」
「はいっ。仰せのままにっ」
この後、朧はエドウィン・ブラックに助けてもらったこと、血を直飲みするという恍惚とした体験と栄誉をノマド総帥秘書のイングリッドにメチャクチャ自慢し、イングリッドは家出した。
困り果てた新総帥、心願寺紅がブラックの元を訪れるのだがそれはまた別の話だし、書くかどうかも分からない。