現代に生きる結界師は頼られがち 作:固形炭酸
*
──ミルコ ──
「礼は、言わねぇぞ?」
「えぇ。かまわない。気になって来ただけだから」
時織のやつ。
目は合っているというのに、私の事を見てもいない。
ただそれも、いつものことか。
「それで、その気になったってヤツァもういいのかよ?」
「そうねぇ。もう、ないみたい。と言う事は、後少しかしらぁ」
相変わらず何を言ってんのかも考えてるのかもわからねぇ奴だ。
ただ、間違いなく言えるのはこのミルコよりも、強えって事だ。
「なぁ時織。この先、何が起きるんだ?」
そう言った私に、いつもの薄い笑みを浮かべると小さく答えた。
「さぁ。なんでしょうね?」
その顔には、時織の感情を感じた。
感情のない、いつもの笑みとは違う。
なぜだか心底嬉しそうに見えたその顔に恐怖を感じる。
そして、改めてアイツはコイツの弟なのかと思った。
時織は早々に島を去り、地元警察に意識不明だった人たちを預けて、ようやく島を後にしたあとの空気は妙に澄んでいた。
血の匂いも、妖気のざらつきも、もうほとんど残っていない。
終わった、というより"区切りがついた"だけ。
そんな感じだ。
正直に言うとさ。
私はまだ、全然理解できてない。
唯守。
あいつは、戦ってる最中に変わった。
いや、違うな。
削ぎ落とされた、が近い。
さっきまで人の顔してたのに、急に余計な感情というか、心というか、そんな人の思いってのが全部消えた。
怒ってるのは分かる。
でも叫ばない、力まない。
ただ静かに、確実に──滅するためだけの存在になる。
あれはヒーローの戦い方じゃねぇ。
でも、ヴィランでもない。
んー……なんつーか。
"ナニカを守るために、人を捨てた顔"ってやつだ。
私にも妖って奴を感じる事はできる。
だから、あいつが滅却した“寄生型”ってのがどれだけ歪んだ存在かも分かった。
寄生ってんだから実体があるし、だから殴れるし壊せる。
でも、存在そのものを否定するあのやり方は、私にはできない。
アイツの結界が閉じた瞬間、あの妖が“この世に居場所を失った”ってのがはっきりわかった。
まぁ、実際目にした時はゾッとしたな。
でも同時に、目が離せなくなった。
レイ子も、同じ体験をしてたはずだ。
アイツは感情を表に出さないけど、戦いのあと、ほんの一瞬だけ手が止まってた。
あれは、怖れだ。
幽霊だの呪いだのを知ってる側の人間が、
"それでも知らなかったもの"を見ちまった時の反応。
影宮は……あれやこれや考えすぎる奴だな。
戦闘が終わったあとも、ずっと視線が唯守を追ってた。
あいつは自分のできる事を、理解できない唯守を理解しようとしてる。
理解できないと、前に進めないタイプだ。
でも、たぶん一番危ういのは唯守だ。
アイツ、滅却のあとで自分の左腕を一瞬だけ見やがった。
袖の下にあるあの古い傷。
私は理由を知らない。
でもわかる。
あれはアイツにとって過去じゃなくて、今も続いてる傷だ。
寄生型の妖を前にしたとき、あいつの心は一色に染まった。
守れなかったもの。
守ると決めたもの。
その思い全部をひとつに染め上げて、結界に叩き込んでやがる。
ヒーローってのは、もっと単純でいいはずなんだ。
殴って、倒して、守って。
そんで、みんなで笑いあう。
それでいい。
でも、アイツは違う。
まるで世界そのものと殴り合ってるみてーだ。
私は強い。
そう自負してる。
けど、やっぱり時織の弟だ、アレは。
普通とは、種類が違うってな。
あん?
あぁ、そりゃあ怖ぇよ。
でも嫌いじゃねぇ。
むしろ、この先何を背負って、どこまで行けんのか。
それを見届けたくなった。
……まったく。
今の雄英はとんでもない一年坊主を抱えちまったもんだ。
*
──柳レイ子──
島から帰ったあと、ホテルのベッドへと腰掛けると、自分の指先をじっと見つめていた。
いまだに震えていた。
そして、何も掴めていなかった。
私は、そこにいただけだ。
妖の気配も、危険の兆しも、確かに感じ取れていた。
頭の中では、行動の選択肢も並んでいたのに、実際の戦場というのはそれを許さない。
未知は敵となり、プロが走り出し、結界が張られ、調査が戦闘へと移行した瞬間に、私は完全に置いていかれた。
頭ではわかっていた。
ただ、それはどうやらつもりだったらしい。
身体はまったくと言っていいほどついてこなかったから。
悔しさより先に、冷たい理解が落ちてくる。
これが今の自分の立ち位置だ。
自分を納得させようと、刃鳥さんとミルコの2人が先頭に立っていたのは、プロだからだと言い聞かせた。
だが、それじゃあ説明のつかない人物がいた。
間 唯守。
彼は戦闘になると、空気が変わる。
怒ってるのか、悲しんでるのか、私にはわからない。
でも、いろんな思いを、すべてを一つに束ねていたように思えた。
無駄がない。
迷いがない。
それでいて、乱暴でもない。
頼りになる、と思ってしまった。
戦力として、じゃない。
同級生ということも忘れ、彼になら、任せてしまってもいいと。
それが、悔しかった。
同時に、胸の奥が静かに温かくなるのも否定できなかった。
彼はきっと、誰かを守るために自分を削ることを選び続けてきた人だ。
だからこそ、あれほど静かで、強い。
そして、壊れやすい。
私は何もできなかった。
でも、目は逸らさなかった。
あの背中を"スゴイ"と認めた瞬間、自分の未熟さもはっきり見えたから。
いつかは、並びたい。
守られるだけの存在ではなく、同じ場所に立てる存在として。
何も思えなかった時よりは、成長できたのかな…
そう思えたことだけが、この戦いで私が得た、唯一の前進だった。
*
──巻尾慎矢──
「そーか。昨日で終わったのか」
耳郎の職場体験を終えて、戦闘班として見た評価は、単純だ。
「前に出るタイプじゃねぇな」
腰が引けていた。
足も震えていた。
だが。
「折れなかったな」
踏み込めないなりに、踏み留まった。
巻尾は拳を軽く握る。
「怖ぇなら、それを打ち消すように攻めればいい。それがガキのやり方だ」
だが、あの娘は違う。
怖いものを、怖いまま相手にしていた。
それは、純粋にやりあうよりずっと危険だ。
恐怖を感じた瞬間の呼吸。
呪音に触れたときの心拍の乱れ。
それでも逃げなかった選択。
たかだか数日で、まったく大した者だ。
裏の家業で、音に関する個性の者は比較的多い。
だが、あれは攻撃音じゃなかった。
押し潰す音でも、切り裂く音でもない。
止める音。
「……優しすぎる」
そんな思いや気構えってのは、致命的でもある。
それはあくまで一般的とは異なる世界の話でしかないが、妖にとってそれは蜜だからだ。
無視されること。
理解されること。
共鳴されること。
恐怖されること。
妖は、反応する者を執拗に追う。
この世に未練を残したもの、恨みのあるもの、負の感情が彼らを産むのだから。
とはいえ、あのまま成長していったなら、厄介だな。
敵に回したくない、という意味で。
最前線ではない。
攻撃的ではない。
だが、深い。
沈める音。
終わらせる旋律のような、綺麗な音。
「……だからこそ、こっち側に来るべきじゃない。俺たちと違って、まだ何にでもなれる。
頭領は、あの子をどうしたいってんだ?」
*
──鑑平助──
暁の時は静かだった。
自身のいる部屋に余計な気配は一切入り込まない。
鑑はティーカップを机に置き、ふうと一息ついた。
「……葉隠透、か」
名を口にしただけで、部屋の空気が微かに揺れた気がした。
もちろん偶然だ。
彼女がここにいない以上、特に干渉は起こらない。
「最後まで、自分がどこにいるかを他者に悟らせなかったな」
呪術師として、それは異常に近い。
透明化という個性。
それ自体はさほど珍しくない。
だが、呪力の流れまでも周囲から隠蔽する力は、偶然では説明がつかない。
彼女は怯えていた。
声は震え、足取りも頼りなかった。
それでも──最後まで逃げなかった。
見えないものを見た。
感じないものを感じた。
それでも、手を引っ込めなかった。
鑑は、ティーカップの縁を指でなぞる。
「恐怖を知っている者ほど、その経験が多い者ほど、判断を誤らない」
彼女はヒーローとして、ここにきたわけじゃあない。
ただ、
この世とあの世の間の世界の者たちから目を逸らさない。
それと、彼から離れたくない。
そんな、正義と幼稚が入り混じった気持ちでいたのだろう。
「くくくっ……ヒーロー社会は、あの子を軽い存在して扱うだろう」
明るい。
無邪気。
突拍子もない事をしでかす危うさはあれど、それが人目につく事はない。
とりわけ普通の存在。
だが、ある一定の者こそ、そういう人間を好む。
気づいてしまう者。
見逃さない者。
「もしも──」
鑑はそこで言葉を切った。
もしも、彼女がこちら側に足を踏み入れ続けたなら。
もしも、呪いの扱いを本格的に覚えたなら。
「いや……今はまだ、早すぎるか」
未来は、まだ霧の中。
鑑はティーカップを手に取り、冷めた紅茶を一口含んだ。
「……さて」
彼女がどんな道を選ぶにせよ、経験は消えない。
記憶はいつか必ず、彼女自身を動かす。
あるいは──この世界を裏側から、揺らすことになるかもしれない存在。
鑑は、誰もいない部屋で静かに微笑った。
その表情を見た者がいたのなら、
きっとこう思っただろう。
この男は、
“動かした”のではなく、
ただ、“眺めている”だけなのだと。
「君は、僕に何を見せてくれる?」