TSゆるゆるゾンビサバイバル地獄篇   作:ちいたまがわ

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第2話 日向ぼっこ

 ゾンビによる終末の世界(ゾンビ・アポカリプス)では、娯楽は貴重品である。

 

 電線はとうの昔に無用の長物になり果てた。switchもPS4も動きはしない。steamのライブラリの隅で埃を被っている積みゲーたちは、もはや一生日の目を見ることはなく、twitterの青い鳥は、生まれて初めての静寂を噛み締めているのであろう。

 電気の無い世界は、俺達現代人には退屈だ。

 

 とあるゾンビ映画に『小さいことを楽しめ』という言葉があったことを思い出し、そしてそれが真実であると痛感する。猫は好奇心に殺されるが、人は退屈に殺されるのだ。辛く厳しい今の世界で、吹けば飛んで行ってしまいそうな生きる希望を、それでも固く握り続けるためには、崩壊前の世界では見向きもしなかったような、そんな小さな幸せを探し続けなければならないのである。

 

 

 よって、今日は天気がいいので、俺は日向ぼっこをすることにした。

 

 

 ◇

 

 

 三階建てのアパート。その西側に備え付けられた鉄さびの酷い階段を登り切り、共用廊下を歩いて二十秒、一番奥の部屋。308号室。

 そこが、崩壊以前と変わらない俺の住居である。

 

 こんな世界になる前は、宅急便のおっちゃんおばちゃんには随分と苦労をかけ、俺自身アクセスの悪さに辟易とさせられた部屋であるが、今ではそう悪くない場所だ。

 せっせと階段に自転車を積み重ねて作ったバリケード、それだけでここは簡易な要塞へと変わったのだから。

 

 内側からダンボールを貼り付け目張りと補強をした窓をそろそろと開き、隙間から鏡を突き出して外の様子を確認する。

 近くに奴らはいないようだ。安全確認、よし。お菓子、水筒、漫画を詰め込んだリュックサックを背負い、窓を開けてベランダへと足を踏み出す。

 

 以前の外出以来の外の空気を肺いっぱいに吸い込む。排気ガスの混ざらない、終末前よりほんの少しだけおいしい空気。小さな幸せ、一つ目。

 東京二十三区のような人口過密の都市であれば腐敗臭が酷いのかもしれないが、幸いにしてここはそれほど栄えていた場所ではない。都会とも田舎とも言えない、よくある日本の街の一つである。終末前も、終末後も、変わらず住みよい街だ。

 

 何度かベランダで深呼吸を繰り返してから、屈伸。固まっていた足を十分にほぐす。そして手すりに右足をかけた。屋上に向かって縦に伸びる配管を滑らないようしっかり握りしめ、体を上に引っ張り上げる。手すりの上で立ち上がる。いったんそこで深呼吸。その場で半回転し、アパートの方に向き直る。極力下を見ないようにしながら配管を握る手と反対の手を伸ばして屋根のへりを掴む。おそるおそる配管を手放し、その手も屋根のへりを掴む。ばんざいの格好で手すりの上に立つ。もう一度深呼吸。落ちてしまえばシャレにならない。えいやと気合を入れてジャンプをしながら体を持ち上げ、空中でバタ足。あがくこと数秒、何とか右足が屋根の上にかかった。そのまま少しの格闘、ようやく屋根の上に登ることが出来た。

 

 ふう、と息をつく。

 適度なスリルと達成感。小さな幸せ、二つ目。

 小柄な体ではサイズが合わず、ワンピースの様になってしまったTシャツ。その下からはみ出たしっぽが、うれしげにぴょこぴょこと揺れた。

 

 

 ◇

 

 

 屋根の上に寝っ転がり、漫画を読みながらお菓子をぼりぼり貪っていると、世界の平和を感じる。ぴんぴんちゅーちちち、と鳴く鳥の声。そよそよ吹く緩い風。ざわざわ揺れる木の葉。ぽかぽか暖かい日の光。すぐ足元では地獄の釜が開いて死者が蠢いていることなど、すっかり忘れてしまいそうなほど、穏やかな時間。

 

 人間が求めるべき本当の幸せとは、こういうものなのだ。幸せというものは、何かで一番になるだとか、お金をたくさん稼ぐだとか、そんなつまらないものではない。それを心で理解する。世界が壊れてしまってからそんなことに気づくとは。世界が壊れてしまったからこそ気づけたのだろうか。

 

 と、俺が哲学をしている時。どこかから叫び声が聞こえた。

 

「だっ、誰か! 誰かぁ! 助けてー!」

 

 漫画を傍らに置き、屋根から身を乗り出して声の方を見やる。遠くの方で女が一人、奴らに追われていた。女にしてはかなりの長身で、170かそこらはあるだろうか。年はおそらく二十前後、そして顔がバリクソに良い。が、平たい。どことは言わないが、平らである。俺も大概貧相ではあるが、彼女はもはや板かと見まごうほどだ。どことは言わないが。

 

 そんな彼女は息も絶え絶え走っているあたり、ずいぶん長い事追われているのだろう。追いかけている奴らは四体と、そこそこの数である。奴らは走ったり走らなかったりするし、無限の体力でひたすらに追い続けてくるときもあれば早々に諦めることもある。彼女はなかなかに運が悪いようだ。

 

 しかしどうせ捕まっても袋叩きにされた後ゴミにされるだけなのだから、観念してさっさと諦めてしまえばいいのに。そう思ったのだが、よく見ると彼女の額には何も書かれていない。なるほど、()()()かと納得する。

 

 名無しには大きく分けて二種類いる。一つは先日までの俺のように、運よくゾンビ共の手から逃れ続けてきた幸運な者。もう一つはゾンビ共をばったばったとなぎ倒す、食物連鎖の頂点に立つ者である。

 二種類いるとは言ったが、後者を見たことはない。まあたぶんどっかにはいるだろう。たぶん。知らんけど。

 

 悲鳴を上げながら逃げている様子を見るに、彼女は間違いなく前者である。そしておそらく、彼女は知らないのだ。ゾンビに捕まった人間がどういう目に合わされるのか。初めは俺も食われるのだろうと恐怖したものだ。捕まったところで命の危険などありはしないのに。ボコられて不名誉な称号が与えられるだけだ。

 

 そう思うと、そんなことも知らずに必死こいて逃げている彼女が笑えてきた。我ながら性格が悪いと思うが、面白いものは仕方がない。『小さいことを楽しめ』である。ふふっ。

 

 そよ風や鳥のさえずりに幸せを感じていた自分が途端にアホらしく思えてくる。あんなもんのどこが楽しいのか。馬鹿にしてんのかふざけやがって。こっちの方がずっと楽しいだろうが。

 人間の幸せとはつまりこれである。他人の不幸。これこそが変わらぬ世界の真理。プーさんの大好物。つまりは蜜の味である。

 

 漫画をリュックにしまって屋根の端に座りなおし、黒コショウ味の世界一うまい堅めのポテチを片手にほくそ笑みながら、彼女の地獄のマラソンを眺める。

 助けられるものなら助けてあげたいのだが、所詮俺は一対一で敗北する程度の貧弱少女。無理なものは無理である。俺が彼女にしてやれることなど何も無いのだ。

 ……よし、自己欺瞞完了。これで心が痛むことはない。高みの見物さいこー。がーんばれ、がーんばれ。ほらほら捕まっちゃうぞー(笑)。

 

 何度も振り返り、そのたびに奴らを振り切れていないことに絶望の表情を浮かべながら、それでも走り続ける女。最高のエンターテイメントである。愉快愉快。デスゲームを観戦するお金持ちの気分だ。

 

 捕まりボコボコにされ、わけのわからん落書きをされて唾を吐きかけられた後、ゴミ袋から這い出たときに彼女は一体どんな顔をするのだろうか。その時彼女の額には何と書かれているのだろうか。黒い笑顔が止まらない。止めるつもりもない。

 

 もう限界をとうに超えていたのだろう。とうとう彼女は足をもつれさせ、転んでしまった。奴らがゆらゆらと近づいてくる。立ち上がることもできずに這いつくばったまま、それでも必死に逃げる彼女の右足を、ついに奴らの一体がつかんだ。ひっと声を上げ、涙を浮かべる彼女。振り払おうともがくが所詮無駄な抵抗である。掴む手を引きはがすことはできない。そんなことをしている間に、もう一体、またもう一体と奴らが彼女に覆いかぶさる。血と腐肉に押し潰されながら、彼女は絶望の中何かに縋るように視線を泳がせ、そして、俺と目があった。……あっ、やべ。

 

「たっ、助けて! ねえ! お願い助けて! ねえって……は……? な、なに笑って……なに笑ってんだおまえぇ! なに見てんのよ! 助けなさいよ! 助け、助けろ! ふざけん……!」

 

 絶望から憤怒に変化した彼女の顔は、そのまま奴らに飲み込まれ、見えなくなった。

 

 草。

 

 

 ◇

 

 

 数分後。

 

 奴らは唾を吐き捨てどこかへ去っていき、あとに残されたのは、もぞもぞ動くゴミ袋だけであった。

 

 ポテチも食い終わったしそろそろ部屋に戻りたい。はよ出てこい、顔が見たいんじゃと空袋を丸め、ゴミに向かって投げつける。命中。ナイスコントロール。少しの間の後、ゴミ袋を破り中から這い出てきた彼女の額に書かれていた文字は『A.A.(エーツー)』。ご丁寧にフリガナまで振られていた。彼女の平たい胸を見る。もう一度額の文字を見る。平たい胸を見る。ぷぷ、ひでぇ。まあちょっとおしゃれな感じでいいんじゃないですかね? ぷぷぷ。

 

 その『A.A』がゆらりと立ち上がり、幽鬼の様な顔でこっちを指さして、言った。

 

「覚えてなさいよクソガキ……」

 

 ちょっと、ちびった。

 

 

 ◇

 

 

 後日。

 解体されたバリケード、その跡地に殴り書きされた『思い知れアホが』との文字。

 人はなぜ分かり合えないのか、どうして互いを憎しみ、争い合うのか。

 俺はひとり涙を流すのだった。

 

 

 

 

 

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