奴らは執拗で、残忍で、そして何より数が多い。数少ない生き残りである我々が奴らの支配する世界を生き延び、ひいては奴らから世界を取り戻すためには、力を合わせ、団結する必要がある。人類と奴らの最も重要な違いは生死などではない。意思伝達能力の有無なのだ。それによってもたらされる団結こそが、唯一にして最大の逆転の鍵となる事は想像に難くない。我々は団結しなければならない。
当然俺も例外ではない。少しばかりの事情があり、仲間を作ることを敬遠していたが、そうも言っていられないだろう。先日のコンビニ遠征失敗の件で、その事は身に染みて理解した。この世界は、非力な少女が一人で生き抜くにはあまりに厳しすぎる。
つまるところ、お菓子のストックが底をついたから、今日もコンビニに向かってみた所、いまだに先日のらぁめん屋ゾンビが仁王立ちをしており、窓でも開いてないかなとぐるっと回ってみると、裏手にはゴミが一つ蠢いていたので、そいつと協力してみよっかなぁというお話である。
◇
コンビニの裏手、小刻みに震えているゴミ袋を棒でつつくと、中から男が這い出てきた。黒のサングラス、無精ひげ、枝毛まみれなてっぺんだけ黒の金髪、薄汚れたスーツ、極めつけのきつい体臭。浮浪者か、そうでなければヤクザにでも追われているチンピラかのどちらかとしか思えないような姿だが、この終末世界では仕方のない事だろう。俺とてロクに風呂に入れていない。体はべたつくし体臭は気になる。せっかくの美少女なのだから、フローラルな香りを醸し出していることを切に願うばかりである。
それにしてもこの男はだいぶボコられたようである。ほとんど虫の息でしばらくはまともに動けそうにない。ゾンビは成人男性には少々当たりが強いのだ。少女になった俺の、数少ないメリットの一つである。あまりに釣り合っていない。デメリットのがでかすぎるだろ、バランス調整をちゃんとしてくれ。
しかしこの状況は好都合である。必ずしもこいつが協力者になってくれるとは限らない。念のため、今のうちに縛り上げておいた方が安全だ。リュックサックからビニールロープを取り出し、男の両手を背中側でまとめていると、彼が背負っている巨大なT型定規が目についた。これがこの男の獲物だろうか。エロ戦車出撃だろうか。思っていると、男が口を震わせた。
「お前、何しやがる、犬……」
犬。
以前つけられてしまった、この世界での俺の名前である。この男と俺は初対面だ、知り合いではない。しかし名前は顔に書いてあるのだ。便利な世の中である。男の額には『プリン』。安直な命名。この名前から、少なくともゾンビは色を認識していることが分かる。分かったところで意味はない。
しかしプリンか。男の頭髪を見る。てっぺんだけ黒の、金髪。いったん金髪にしたものの、そのまま放置したせいで髪が伸び、頭頂部だけ黒になってしまった状態である。果たしてこれから月日が流れ、金髪部分が全て無くなってしまったとき、この男の名前は依然プリンのままなのだろうか。それは詐欺じゃなかろうか。真っ黒の髪のくせにプリンという名前の男を見て、初対面の人は何を思うのだろうか。プリンという名前の由来に気づくことができるのか、黒ゴマプリンの事かなと勝手に納得するのか、それともポムポムプリンの親戚か何かと勘違いするのだろうか。いや、意外とゾンビは親切にも『ティラミス』とでも書き換えてくれるのかもしれない。それは流石にないか。
「おい、聞いてんのか、犬。」
それからさらに何年も何年も時が経ち、とうとう白髪頭になったプリンを想像する。もはやプリンでも何でもない。杏仁豆腐である。もしくはカビの生えたプリン。
白髪頭の老齢のプリン。そんな彼を子供たちが囲み、無邪気に聞く。ねえプリンじいちゃん、プリンじいちゃんは何がプリンなの? まんまるの目をキラキラさせた女の子の疑問に、悪戯好きそうな男の子が答える。お前知らないのかよー、プリンじいちゃんは昔は金と黒の髪だったんだぜー。えーうっそだー、そんな人みたことないもん。それはお前がバカなだけだろ、ばーか。バ、バカじゃないもん、ヒロくんがウソつきなんだもん! 俺はウソつきじゃねーよ!ホントのことだよ! ウソだもん! ホントだ!
ウソだ、ホントだと言い争いを始める男の子と女の子。その頭をプリンが撫で、そして少ししゃがれた優しい声で言う。ほっほっほ、ゾンビなどおらん平和な世界だった頃、人は髪の色を変えて遊んでいたんじゃよ。だからメグや、ヒロキの言っている事は本当なんじゃ。……すまんのぉ、お前たちにはこんなつらい世界しか残してやれなくて。プリンじいちゃんの目に涙が浮かぶ。しかし子供たちは元気いっぱいに答える。大丈夫だよプリンじいちゃん! じいちゃんたちの分、俺達が頑張ってあいつらから世界を取り戻してやるからさ!
「聞いてんのか犬!」
「ひゅぇっ!」
悠久の時の流れを感じている俺に、プリンの苛立った声が届いた。こらえ性の無い男だ。10秒かそこらでキレやがって。俺はその間に何十年もの時間を過ごしていたというのに。
しかし妄想に耽っていてもしょうも無い。とりあえず男に何を聞かれていたのか思い出す。そう、俺が何をしているのか、つまりは何故男の手を縛っているのかということだ。どう答えるべきか少し迷ったが、わざわざ嘘をつく理由もないだろう。正直に話すことにする。
「縛っているのは、もし断られてあなたに襲われたら怖いからです。それはともかくプリンさん、協力してコンビニの前のあいつをどうにかしませんか。」
「いくらなんでもお前みたいなガキ、襲わねーよ。協力するって話は乗った、が、俺は少し寝たい。悪いが見張っててくれ。」
え。じゃあ嫌です。今日は諦めて帰ります。そう言おうとしたが、プリンはもう意識を手放した様だった。すーすーと穏やかな呼吸。寝つきが早い。うらやましい限りだ。
見張り。辺りを見回してみる。今のところ近くに奴らはいない。しかしこの男が目を覚ますのがいつになるのかは分からない。めんどくさい。俺は家に帰ることにした。
◇
あれから二日が経った。すっかり忘れて家でのんびり過ごしていたのだが、最後の一つのプッチンプリンを食べているときに、そういやあのプリンとかいう男はどうしているのかなと思い出したのだ。手を縛り上げたまま放置したから、もしかすると彼は困っているかもしれない。俺の知ったことではないが。
ともあれ俺は再びコンビニに向かうことにした。やっぱりお菓子が食べたい。俺にとってプリンはお菓子ではなくデザートだ。お菓子とはポテチとかそういうもののことを指す。塩っけの効いたものが食べたい。しょっぱいもの欲しさにふりかけや青のりを直に食べるのはもう嫌だ。
◇
コンビニ。いつものゾンビに、今日もゴミ袋が一つ。暇を持て余して作ってみた手製のパチンコで狙撃すると、プリンが這い出して来た。ひえ。怒っていたらどうしようか。隠れようとも思ったが、そこを見つかれば恐ろしいことになる気がする。ならば先にこちらから話しかけたほうがいいかもしれない。ちなみにパチンコは一発でゴムが切れ、その短い生涯を終えた。悲しい。
「こんにちは、プリンさん」
「てめぇ犬……! この前は縛り上げたまま逃げやがって!」
今日は割と元気だった。立ち上がってキレるプリン。クソが、もっとちゃんとボコボコにしとけゾンビ。立てないように足狙え足。
怒りに顔を赤くしたプリン。ぶん殴られるのは勘弁である。なんとか切り抜けられないものか、適当に嘘をついてみることにする。
「その節はすみませんでした。ですけど逃げたわけじゃあないんですよ。ちゃんと見張りをしていたんですが、実はプリンさんが寝てる間に、えーっと、そうだな、そう、ゾンビの群れがやって来まして。私ひとりじゃどうしようも出来ないし、プリンさんもあの状態じゃ逃げきれないだろうなって思いまして、……なんだ、そう、アレです、アレ。私が囮になったんです」
「……そうなのか?」
「そうですそうです。大変だったんですよ? 聞くも涙、語るも涙の逃走劇。見ず知らずの一度会ったきりのプリンさんのために体を張って、飲まず食わずで今この瞬間まで私は奴らと追いかけっこをしてたんです。このいたいけな少女があなたのような大人の男の人のために。このいたいけな少女が。二日寝てないんです。おお、ねむいねむい」
「……怒鳴って悪かった。いや、すまんなほんとに。こんなんじゃ足りねえとは思うが、とりあえずこれやるよ。許してくれ。……こんな世界にも、いいやつってのはいるんだな。」
プリンはそう言ってばつの悪そうな顔をしながら、ポケットからチョコレートを取り出し、俺に渡した。アホだこいつ。感謝と謝罪もあり、大変に気分がいい。でもしょっぱいのがよかった。
「いえいえいいんですよ、ありがとうございます。……で、コンビニには入れましたか?」
「いや、全然駄目だ。あのゾンビが強すぎる。あいつは生前に格闘技をやってたな、ちげぇねえ」
生前の記憶や能力がゾンビになっても発揮されるのかどうかは置いておいて。少なくとも、奴が強すぎるという点には同意である。あの日の敗北以来何度もイメージトレーニングを重ねたが、空想の中でさえ俺は一度として奴に勝つことはできなかった。昨日の挑戦では睨みつけられただけで漏らした。もはや敗北癖である。
「それでですね、プリンさん。今度こそ協力してあのゾンビをなんとかしませんか? 見たところ、今日はそれほどやられていないようですし」
「俺もどうしようかと悩んでたところだし、それで構わねぇが……。犬、お前は大丈夫なのか?」
「? なにがです?」
「いや、お前疲れてねえのか?」
「??? どうしてですか?」
「……二日寝てないって言ってたじゃねえか」
「はえ? ……あーあーあー、疲れてます疲れてます。確かにちょっと疲れてます。いやちょっとじゃなくてすっごく。そこでですね、提案です。今回はプリンさんが囮を担当するというのはどうでしょうか。プリンさんがあのゾンビをひきつけている間に、私が中に忍び込んで物資を取って来る」
「……正直嫌な役回りだが、お前が俺にしてくれたことを、今度は俺がやってやるってだけだ。やるぜ、任せてくれ」
ふむ。無い恩を着せるというのはいいものである。こいつが俺の手のひらで踊っているという実感が精神的優位を作る。俺の心に余裕が生まれる。たぶん優しさとはこういうものなのだろう。
「で、プリンさんは何が欲しいんですか。取ってきますよ。私はスナック菓子と焼き鳥缶が目当てなんで、できればそれ以外でお願いします」
「そうだな……。こんなクソッタレな終末世界だ。何かが手に入るんなら、愛がほしいね、俺は」
きっしょ。
◇
陽動作戦は無事に進行している。俺を茂みに残し、プリンが巨大なT型定規を振り回しながら狂ったように笛を吹きつつ突撃すると、くだんのらぁめん屋ゾンビはプリンを追いかけ始めた。ちなみにエロ戦車出撃とは言わなかった。悲しい。ともかくそのまま彼らはどこかに姿を消した。口ぶりからしてプリンが奴に勝つことは無いだろうが、少なくとも俺がコンビニを漁る時間くらいは稼いでくれるだろう。
辺りを見回し他のゾンビがいないことを確認してから、コンビニの入り口に向かう。遮るものは誰もいない。あんなに遠かった自動ドアの前に悠々と立つ。開かない。マットを少し強く踏んでみる。ドアが開かない。センサーに向かって手を振る。やはり開かない。まって、なんで?なんで?え?俺ほんとは幽霊とかそういうオチのやつ?え?泣きそう。ちょっと涙出てきた。
一人涙ぐんでいると、電気が落ちている今自動ドアが自動で開くわけがない事に気づく。……いや初めから分かってたから。もしかしてここ電気通ってるかもって確認してただけだから。それだけだから。
隙間に手を指し込んで無理やりドアを開く。一歩を踏み出す。ああ待ちに待ったコンビニ。お菓子も焼き鳥も電池もジュースもなんだってある。ゾンビだっている。棚の影に4体もいた。さよならプリン。俺は家に帰ることにした。
振り返ったらいつの間にか背後に三体もいた。どっから沸いたの君たち。そのうちの一体は例のらぁめん屋ゾンビ。友達連れて帰って来たのね。早かったね、おかえり。奴の手に持ったゴミ袋に空いた穴から、ボロカスにされたプリンがこちらを覗いていた。
──プリンさん、思った以上に弱いですね。
──すまん。
俺とプリンは仲良くゴミにされた。完。