人が生きるために必要なものとはなにか。
崩壊前の世界であれば、『金』というのが答えの一つだっただろう。俺もそう思っていた。が、今の世界においてはそんなもの、ケツを拭く紙にもなりはしないのである。ザラザラして痛いのである。
このクソッタレな終末世界において人が生きるために必要なもの、それは『水』だ。
そしてその大切な水が、尽きかけていた。物資の調達が芳しくない事に加え、最近雨が降らないのだ。風呂はもちろん濡れタオルで体を拭くことすらためらってしまうほどには、水のストックが無くなっていた。
ところで最近何故かいろいろな物資の減るペースが速いような気がするのは、気のせいだろうか。気のせいではない。十中八九A.A.の仕業である。奴が来てから作った閻魔帳を開き、パチられた物を順番に書き留めていく。そのうち全部利息コミコミで取り立てよう。
ちなみにそのA.A.に生きるために必要なものは何か、と聞いたところ、遠い目をしながら「『愛』よ、ワンちゃん。人が生きるために必要なのは、愛なのよー……」などとほざきやがった。ぺっ。
◇
「というわけで、私たちは飲み物を調達しなければなりません」
「えー……。ワンちゃん取って来てよー」
「一人で行ってもいいですけど、あなたの分は取ってきませんよ。働かざる者食うべからずです」
「めんどくさいなー……」
暇だから漫画読ませて、と俺の部屋に侵入してだらけているA.A.に事態を説明したが、この女、まるで乗り気では無かった。誰のせいで飲み物が無いと思っているんだ。さすがこの終末世界で姫をやっていただけはあるふてぶてしさである。というか漫画読みながらお菓子を食うんじゃねえ、割りばしを使え。本が汚れる粉が散る。俺はこいつを養ってやるつもりなど毛頭ない。働かざる者食うべからずである。
「だいたい飲み物って言ってもどこに取りにいくのよー? ゾンビがいるからコンビニもダメ、スーパーもダメなんでしょ? ……川の水なんていやよ?」
「それはさすがに最終手段です。一応あてはあるんで、行ってみましょう」
◇
「……で、自販機、ねえ」
それから数分。アパートから徒歩三十秒の道路わきに置かれた、自動販売機の前。
横に立ったA.A.が腕を組みながら見下ろして来る。その視線は「こんなもん動くわけないでしょ。アホなの?」と雄弁に語っているが、俺は口にされていない事は知らんぷりする主義である。
「お店はどこもゾンビが群がっていて、私達では入れませんし。これなら安全です」
「ねえワンちゃん? 電気通ってないと自動販売機は動かないのよ? わかる?」
何やら優しい声色で俺の頭をぽんぽんと叩き、髪がベタついていることに顔をしかめるA.A.。しょうがねえだろ。お前も油で髪テッカテカになってGみたいになってんだぞ。
「それをとりあえず試してみましょう。お金は持ってきました」
しかしあえてそれを言及することはない。今のところあたりにゾンビはおらず、安全地帯であるアパートもすぐそばであるが、それでもここは外なのだ。早急に済ませたほうがいい。
ポケットから500円硬貨を取り出し、自販機に投入する。カランという小気味よい音が鳴った。が、もちろん液晶に『\500』と表示されることはない。念のためボタンを押してみるが、当然反応は無し。
「私の500円が飲まれた……」
俺は膝をついた。コンクリートの上に散らばる小石が刺さり、鋭い痛みが走る。なぜだろうか。何の役にも立たない金なのに無性に悲しくなってしまうのは。
「ほらー、ダメじゃないの。どうするのよー」
「まあ流石にこれでいけるとは思っていませんでしたよ。他にも色々持ってきました。一個ずつ試していきます」
まあそんなことはどうでもいい。背負って来たリュックを降ろし、口を開く。A.A.が中を覗き、ごちゃごちゃと物が詰まっていることを確認して俺に言った。
「帰っていい?」
「別に構いませんが、それでもし中身を取り出せたら全部私の総取りですからね」
「はーい……」
◇
まずリュックからマイナスドライバーを取り出し、自動販売機の鍵穴に突っ込んでみる。ガチャガチャといじること数分。全く開く気配は無い。退屈そうにみているA.A.にやってみるかと聞くと、「わたしそういう器用なの無理なのよー」との返事。期待はしていなかったが、役に立たない。
ピッキングは諦め、今度は地面に寝そべり取り出し口からL字に折り曲げたハンガーを突っ込んでみる。上下左右に動かしてみると、何かに引っかかっているような気はする。一旦取り出し、少し形状を変えてからもう一度突っ込む。やはり何かに引っかかっているような気はする。が、ひっかかっているからなんだと言うのか。バカにしてんのか。
怒りまじりにガチャガチャと自販機の中をかき回していると、冷ややかな目でこちらを見ているA.A.に気付いた。なんだその目。俺だってこんなみじめな事はしたくないんだ。立ち上がり小石を払う。そしてA.A.にビンタをかます。ゲンコツが返って来た。
気を取り直し、フライパンを構えて自販機に向かってフルスイング。金属のぶつかる甲高い音。俺の両手がじんじんと痺れただけに終わった。
こんなもんで壊せるのならば苦労はない。しかし力仕事ならばこいつがいる。
俺よりも二回りほど大きいA.A.にお前がやれというと、奴は一言。
「わたし乙女なのよねー。だからそういう野蛮な事は、ね?」
風呂にも入らず同じ服を着続けている俺達に、乙女らしさなどどうすれば見出せるというのだろうか。あまりにうぬぼれが過ぎる。俺達風情が乙女だというのならば、アホ面晒してハナクソほじくってるクソガキだって乙女である。
「あなたの方が私よりもずっとデカいんですから、やって下さい」
「……そんなに大きくないもん」
「いやデカいですよ」
「そんなじゃないもん」
「じゃあいくつなんですか、身長」
「……169」
「なに鯖読んでんすか」
「読んでないもん」
「どう考えても170超えてる人の答えですよねそれ」
「超えてないもん」
「……♪ お~お~きなのっぽのA.A.さ」
「……うるっさいわねー! やりゃいいんでしょ、やりゃー! ほらフライパン貸しなさい! ぅおりゃー!」
がちーん。A.A.が悶絶しただけであった。いい気味である。
◇
「ダメじゃないの! 全然!」
フライパンを地面にたたきつけ、地団太を踏みながらA.A.が叫ぶ。
「そうですね」
「どうすんのよ!」
「どうしましょうか」
「……え、なに、ワンちゃんもう考えてきたこと底尽いたの?」
「尽きました」
「……」
信じられない、といった表情で口と目を開いてこっちを見るA.A.。あーあー聞こえなーい。聞こえない言葉は俺には届きませーん。無視を決め込む。いろいろ考えてきたのがこれだけ? こんなんで何とかなると本気で思ってたの? なんでわたし連れてきたの? 聞こえないはずの言葉が宙を舞い、そして俺を通り過ぎる。スルースキルとは大事である。
とはいえ実際俺の案ではどうにもならなかったのも事実である。そしてこの自販機の中身を取り出せなければ、なかなかにまずい事態になるということも。なんとかしなければならない。とりあえず相談してみることにする。
「まあ、少し方法を考えてみましょうよ。幸い近くにゾンビもいないようですし」
「考えるって言ってもねー……。景気よくどーんと車でぶつかってみる?」
A.A.の案その一。車でぶつかる。
「危なくないですか? 私は嫌ですよ」
「わたしも嫌」
反対多数により却下。はい次。
「……なんか、すごい酸で溶かしてみるとか」
A.A.の案その二。すごい酸で溶かす。
「持ってるんですか?」
「……あったらいいなって」
そんなものはない。はい次。
「ワンちゃんもっとちゃんとした工具は持ってないの? ハンドドリルとかそういうのなら壊せるんじゃない?」
その三。ハンドドリル。
「……ホームセンターでも探せば見つかりますかね」
「本末転倒ねー。そもそもわたし達じゃあゾンビをどうにもできないから、自販機なんて壊そうとしてるんだし」
「ホームセンターなんてゾンビ映画じゃ定番も定番ですし、まあうじゃうじゃいるでしょうね」
「ダメかー」
はい次。
「んー……。あ、なんか自販機にラベル貼ってあるじゃない。えーっと、連絡先住所?」
「……なるほど、そこに行けばカギが見つかるかもしれませんね」
その四。自販機のカギを探す。
「で、どこなのこれ。……ワンちゃん住所見てそれがどこにあるか分かる?」
「……」
悲しいかな、俺達には学が無かった。却下。
「むぅ……。そうだ、電気が流れてないから動かないんでしょ? 電気を流せば動くんじゃない?」
その五。電気を流す。
「ふむ。って言っても発電機とか持ってませんし、そもそも仕組みをよく知りませんし。……スタンガンでもバチっとしたらジュースの1本くらい出てきませんかね。A.A.さん持ってます?」
「無いわ」
「はい」
電気を流すモノが無い。却下。
「はぁ。そこそこ考えてみたけど全部ダメねー……」
ため息をつくA.A.。案自体はそれなりの数が出たが、結局モノや知識が足りずにどれも実行できそうにない。一番現実的なものは、車で突撃することだろうか。放置された自動車自体はたくさんある。探せば動かせるものもいくらでも見つかるだろう。必要なのは勇気だけだ。ケガの危険と水を天秤にかける。空は晴れ渡り、雨は当分降りそうにはない。水分を含んだ食料もあまり残っていない。
「……仕方ない。車を探しましょう、A.A.さん」
「うううぅ。危ないのは嫌いなのに、車でぶつかるなんて……いや、思い出した! 思い出したわワンちゃん!」
諦め半分に車を探そうとした時、A.A.が声を上げた。
「思い出したって、何をですか?」
◇
「ほらワンちゃん! どうよ!」
「おおー……。すごいじゃないですか、A.A.さん。お手柄ですよ」
「でしょー?」
ふふーん、とドヤ顔をしているA.A.はうざいので置いておいて。興奮気味の彼女の後をついて歩くこと十分ほど、少し入り組んだ路地の裏で見つかったのは、自動販売機の補充用トラックであった。
確かにこれならば自販機の鍵も見つかるかもしれない。それにたとえ鍵がなくとも、荷台には大量のペットボトルが詰まっているはずである。今のところ誰か他の生存者に荒らされた形跡も無い。俺達にとって、これはまさに宝の山であった。
「前にワンちゃんに見殺しにされた後、寄生先を探してうろうろしてるときに見かけたのよねー。……前にワンちゃんに見殺しにされた後にねー」
「……それは水に流すって言ってたじゃないですか」
「気にしてないわよー? ただ、そういうこともあったってだけよー?」
「……」
これ以上話を続けても、俺にとって不愉快な結果にしかならないだろうことは容易に想像できる。ちらちら嫌味ったらしくこちらを見てくるA.A.を放置して、運転席の様子をうかがう。中にはゾンビが一体。微動だにせず運転席に座っていた。そしてそのゾンビの腰に鍵の束が見える。あれだ。
「よし、私がこっちから鍵取りますんで、A.A.さんはそっち側から窓を叩いて、このゾンビをひきつけて下さい」
「え? いやよ?」
「……じゃあ私が窓叩きますんで、A.A.さんが鍵を……」
「い・や・よ?」
「……は?」
「わたしはもう十分仕事したじゃない。ここまでワンちゃん案内したのよ? じゃあここから先はワンちゃんの仕事でしょー? 働かざるもの食うべからず。いい言葉よねー?」
こいつマジか。……こいつマジか。
俺が呆気に取られている間に、A.A.はわちゃわちゃ苦戦しながらトラックの荷台に上る。そしてふちに腰掛け、ポケットからベビースターラーメンを取り出して食べ始めた。A.A.の顔を見る。ニチャリと歪んだ黒い笑顔。完全にあの日の意趣返しである。ちくしょう。しかし俺にはこいつへの反論は思いつかない。悔しい。悔しいよぉ。
「……せめて、見張っててくださいね」
「りょー」
仕方がない、一人で鍵を奪い取ることにする。静かに、静かにと意識しながら車のドアに手をかけると、ロックはされておらず、あっさりと開いた。中のゾンビは動かない。そろそろ腕を伸ばし、キーチェーンをベルトから取り外す。反応は無い。ゾンビに注視しながら、ゆっくりドアを閉じる。ゾンビの動きはない。意外と簡単に取ることが出来た。
「取れた、鍵取れましたよA.A.さん」
「ちっ……」
「何ですか今の」
「なにもー」
「……とりあえず、荷台の方の中身確かめてみますね」
トラックの横に回り込み、鍵の束から一つづつ荷台の鍵穴に差し込んでいく。はずれ、はずれ、はずれ、あたり。カチャリと音がして鍵が開いた。がらがらと扉を動かすと、ダンボールの山。一つに穴を開け中を見てみると、コーラがぎっしり。
「おおー……」
「おー、すごいじゃなーい」
いつの間にか降りてきていたA.A.が、俺の横から中を覗き込み歓声を上げた。そして彼女は右の手のひらをこちらに向ける。は? なに? とりあえず俺も右手をA.A.に向けると、苦笑しながらパンと手のひらを叩かれた。ハイタッチのつもりだったらしい。……まあ、悪くはない。
「んー……、トラック動かすには道路に障害物が多すぎますし、リュックにはあまりたくさん入らない。カギだけ確保して帰りますか? たぶん近くのこの会社の自販機なら、全部これで開けられると思いますし」
「そうねー。……でもちょっとは持って帰らない? わたしこれにしよ」
そう言ってA.A.はミルクティーのダンボールに手を突っ込み、ペットボトルを取り出して飲み始める。ごくごくと飲み干している様子を見ていると、喉が渇いてくる。俺も近くのダンボールから取り出す。いちごミルク。
「うわ、あざとっ」
「あ?」
「いやいや、ほめてんのよー? ワンちゃんっぽい感じだしねー。わたしとタイプが被ってないところも高ポイント!」
「はぁ。ありがとうございます……?」
そのまま適当に会話をしながら立ち飲みを続けていると、いつの間にかゾンビに囲まれていることに気づいた。
ふむ。とりあえずA.A.をゾンビの方に突き飛ばして時間を稼ごうと思い横を向くと、奴はすでにスタートダッシュを決めていた。この野郎。こういう時ばっかり早え。ゾンビの包囲を抜け、高笑いを上げながら走るA.A.。すっころぶA.A.。悲鳴を上げながらゾンビに捕まるA.A.。ははっ、ウケる。笑って見ていた俺もゾンビに捕まる。ははっ、ウケる。
完。