ウマ娘プリティーダービー〜企画短編集〜   作:ちゃん丸

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約束の果て、継がれる意思

 

 

 

 四月、今日は新しい生活が始まる日だった。

 桜の花が舞い散る通学路を、制服姿の二人が走っていた。

 短い黒髪を揺らしながら先を走る少女を、鹿毛の少女が長い髪を靡かせて追い掛けている。

 互いに髪を揺らし、そして腰にある“尻尾”を靡かせてながら、二人の少女が通学路を走る。

 

 

「だから言ったじゃない! 大事な日の前は早く寝なさいって!」

 

 

 頬に僅かに汗を滲ませながら表情に焦りを見せる黒髪の少女に、鹿毛の少女は呆れた声で叫ぶ。

 しかし黒髪の少女は、鹿毛の少女の言葉に思わず苦笑いしていた。

 

 

「だってだって! 緊張してなかなか眠れなくって!」

「だからと言って寝坊するのはダメだよ!」

「だって! ずっと楽しみにしてたんだもん!」

 

 

 言い合いをしながら走る速度を落とさず、二人が通学路を駆け抜けていく。

 車道を走っている車を“追い抜く”姿は、二人が人間とはかけ離れた存在というのが見て分かる。

 ウマ娘。走ることに特化した足を持った特別な存在。それが彼女達だった。

 今から向かう場所は、ウマ娘の目指す場所『トゥインクル・シリーズ』という晴れ舞台に飛び立つウマ娘を育成するトレセン学園。

 二人は今日、そこに入学する。待ちに待った今日という日を、黒髪の少女は待ち望んでいた。

 昨日から寝ることすらできないと思うほど心が高鳴る。憧れる人がいる場所で新しい生活が始まる。

 どんな生活が始まるだろう。そんな気持ちで胸が一杯になるような気持ちだった。

 二人が走って通学路を抜けていくと、すぐにトレセン学園が見えて来た。

 二人がトレセン学園の校門の前に立つ。周りを見ると、同じく新しく入学する初々しい生徒や、慣れた足取りで登校する在校生の姿が多くあった。

 校門の前で二人が立ち止まる。一歩前に進めば、今日からトレセン学園の生徒となる瞬間だった。

 緊張して前に進めない鹿毛の少女に、黒髪の少女がトレセン学園の校舎を見つめながら口を開いた。

 

 

「いよいよだね、ダイヤちゃん」

 

 

 黒髪の少女が、鹿毛の少女――サトノダイヤモンドに声を掛ける。

 待ちに待った日。ようやく始まる生活が楽しみで仕方ないと黒髪の少女は言いたげだった。

 そんな言葉に、サトノダイヤモンドは微笑みながら頷いていた。不思議と、先程まであった緊張はなくなっていた。

 

 

「うん。一緒に頑張ろ、キタちゃん」

 

 

 サトノダイヤモンドが黒髪の少女――キタサンブラックにそう告げる。

 そして二人が頷き合うと、校門に一歩足を踏み出した。

 二人がトレセン学園に入った瞬間、それは今日から新しい生活が始まる合図になる。

 ただ校門を通るだけの何も変化のないことだったが、二人には大きな一歩だった。

 校門を通ると、キタサンブラックは嬉しそうに笑っていた。

 

 

「今日からトレセン学園の生徒かぁ〜! なんだか楽しくなって来たよ! ダイヤちゃん!」

「私もだよ。キタちゃん」

 

 

 二人が校舎に向かっていく。

 過去に見学で来たことがあるので、二人は大まかに各施設の場所は理解していた。

 本来ならこのまま校舎に向かい、入学式を待つだけだろう。

 しかしふと、キタサンブラックが思いついたことがあった。

 折角、入学したのだから“あの場所”を見たいと。

 そう思うとキタサンブラックは、サトノダイヤモンドに提案していた。

 

 

「ねぇねぇ! ダイヤちゃん!」

「なに?」

「ちょっと寄りたいところがあるんだけど、良い?」

 

 

 キタサンブラックの提案に、サトノダイヤモンドが小首を傾げる。

 そんな彼女にキタサンブラックは楽しそうに微笑むと、とある方向を指差していた。

 サトノダイヤモンドが彼女が指差す方を向くと、そこには大きなドームのような施設があった。

 サトノダイヤモンドもその場所は覚えていた。過去に見学の際に尊敬する人から教えてもらった場所だった。

 

 

「走ってきたからまだ少しだけ時間あるから行けるけど……行きたいの?」

「うん! 私達がこれから走る場所を見たくて!」

 

 

 キタサンブラックの強い押しで、サトノダイヤモンドが渋々頷いていた。

 

 

「キタちゃんがそこまで言うなら良いよ。でも、時間あんまりないからね?」

「やったっ! じゃあすぐ行こう!」

 

 

 そう言ってキタサンブラックが練習場に向かって、駆けていく。

 先を走るキタサンブラックに呆れながら、サトノダイヤモンドは遅れるように彼女を追い掛けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日はトレセン学園の入学式だった。

 学内にある桜の木から、花弁が風に舞う。その光景は新しい季節と生活を知らせてくれているようで、それを見る人たちに新鮮な気持ちを与えてくれる。

 そんな新しい生活が始まるトレセン学園の入学式の朝は、当然のように賑わっていた。

 だがそんな賑わうトレセン学園にある練習場には、人は誰も居なかった。本来なら早朝から始業間際まで多くのウマ娘が練習に精を出して賑わっている。

 何故ならならば、今日は入学式だからだ。特別な行事がある日に練習をする生徒は居ないらしい。特にそれがトレセン学園に新しく入学するウマ娘が集まる行事なら、新しい生徒をチーム勧誘する為に在校生達が賑わっているだからだろう。

 

 そんな誰もいないはずの練習場に、一人のジャージ姿の少女が立っていた。

 

 鹿毛の長い髪をひとつに結ったポニーテイルと尻尾を揺らして、活発そうな風貌の少女が芝生の上で心地良さそうに柔軟している。

 鹿毛の中に混じった前髪の白髪を靡かせながら、少女こと――“トウカイテイオー”はのんびりと柔軟を続けていた。

 桜の花弁が青空に舞う景色を見ながら、トウカイテイオーは気長に待ち続けていた。

 待ちに待った時を、ようやく訪れた今日という日を、トウカイテイオーは待っていたのだから。

 

 

「お待たせしました」

 

 

 ふと、トウカイテイオーの背後から一人の少女が声を掛けた。

 芦毛の長髪に落ち着いた物腰の少女が、トウカイテイオーに朗らかな笑みを向ける。

 その芦毛の少女――メジロマックイーンに声を掛けられて、トウカイテイオーは振り向いた。

 振り向いた瞬間、目に映ったメジロマックイーンの姿を見て、トウカイテイオーは心が高鳴ったような気がした。

 元気そうに立っているメジロマックイーンに、トウカイテイオーはゆっくりと首を横に振っていた。

 

 

「ううん、ぜっぜん」

 

 

 待ってなどいない。そう、今までのことを思えば……僅か十分程度の時間など待つ内にも入らない。

 この時をどれほど待ち望んでいたのだろうか、トウカイテイオーは素直にそう思っていた。

 メジロマックイーンとトウカイテイオーの二人が交わした約束。その約束が果たされる日が、こうして来るとは思ってもいなかった。

 今日、その約束がようやく果される。そう思うと、トウカイテイオーは思わず口を開いていた。

 

 

「やっと、“一緒に走れる”んだね」

 

 

 トウカイテイオーが紡いだその言葉の重みを、メジロマックイーンも理解していた。

 トウカイテイオーと交わした約束。それは決して果されることのない約束だと、メジロマックイーン自身ですら思っていた。

 しかしそう思っていたのにも関わらず、今こうして二人は向かい合えているのだ。それはメジロマックイーンにとって心の底から喜ばしいことだった。

 互いに様々な苦難があった。二人が交わした“一緒に走る”という二人の勝敗を決める約束。その約束を叶えることができないと思えるほどの困難が数多くあった。

 

 トウカイテイオーは、足を故障した。三度の骨折、複数回の骨折により足に負荷を掛けることを禁じされ、二度と全力で走ることができないと医者から診断を受けていた。

 ウマ娘としての選手生命を絶たれた彼女は、文字通り“心が折れた”。

 

 メジロマックイーンも、足を故障した。左膝に脚部繋靱帯炎を発症してしまい、二度と走ることを許されなかった。

 文字通り靱帯の炎症であるそれは、走ることができなくなるほどの激痛を伴う病気のひとつとされている。足に負荷を掛ける行為をすると再発する恐れがあり、彼女も医者から走ることは二度とできないと診断を受けていた。

 ウマ娘として存在意義とも言える“走る行為を奪われた”彼女も、悲しみの中で心が折れていた。

 

 二度と走ることができない身体と二人は医者から言われていた。ウマ娘として名を馳せた二人でも、それは世間から様々なことを言われるキッカケになっていた。

 引退。そんな噂が世間には広がり、そしてそれは確かな現実となろうとしていた。

 

 しかし、トウカイテイオーはその苦難を乗り越えた。三回の骨折により自分は二度と全盛期と同じ走りができないことを悟り、心が折れていた時期があった。

 走りたいという自分の気持ちに蓋をして、引退しようと思ったこともある。

 しかし、トウカイテイオーには多くの支えてくれる人達がいた。自分に憧れるウマ娘がいて、仲間と、ファンが救ってくれた。

 トウカイテイオーというウマ娘が走ることを望む人達が少しでもいるのなら、強くなくても良いから自分の気持ちに素直になろうと彼女は決意した。

 そして――“メジロマックイーン”というウマ娘がいたから、トウカイテイオーは前に進むことができた。目標を失った彼女に、メジロマックイーンが目標と走る理由を与えてくれた。

 最強のウマ娘であり続ける自分に追いついて来い。そして全力の勝負で一緒に走ろう。そう、メジロマックイーンと約束したのだ。

 だからこそ、トウカイテイオーは乗り越えた。メジロマックイーンとの約束を果たす為に、彼女は二度と走れないと言われた困難を乗り越えられた。

 そう……メジロマックイーンがいたから、トウカイテイオーは前に進むことができたのだ。

 

 

「えぇ……」

 

 

 トウカイテイオーの言葉に、メジロマックイーンが小さく笑みを浮かべる。

 いつか近いうちに果されるはずだったトウカイテイオーとの約束。その間際に、メジロマックイーンは脚部繋靱帯炎を起こした。

 その病の意味をメジロマックイーンも理解していた。だからこそ病を乗り越える為に、彼女は練習に励んだ。しかし靭帯炎という病は、彼女の想像を絶するものだった。

 走るだけで倒れる程の激痛を伴う病。それが靭帯炎だ。その痛みを感じ続けることで、メジロマックイーンの心は“折れた”。

 二度と走れない。トウカイテイオーと交わした約束を果たせないことを理解して、泣き喚くほど悔しい思いをした。

 

 そのメジロマックイーンの折れた心を、トウカイテイオーが救ってくれた。

 

 年末に行われるG1という公式レースである有マ記念。そこで当時勝てるはずのないトウカイテイオーが誰よりも早くゴールすると、心が折れたメジロマックイーンに伝えていた。

 自分がもし強豪のウマ娘が集うレースである有マ記念に勝てた時、その奇跡を起こせたなら、メジロマックイーンも諦めないでほしいとトウカイテイオーの願いを約束として交わした。

 そして有マ記念で、トウカイテイオーは約束通りに誰よりも速くゴールしていた。それは文字通り“奇跡”と言えることだった。

 誰も、メジロマックイーンでさえも、有マ記念でトウカイテイオーが勝つと思っていなかった。クラシック三冠という偉業を成し遂げられる一人とも言われていた全盛期の“強さ”を失っていた彼女に、誰も期待はしていなかった。彼女の走る姿を見れるだけで満足、それが世間の答えだった。

 しかしそれを覆して、トウカイテイオーは有マ記念で勝った。約束通り、自分はその“奇跡”を起こした。

 その奇跡で、トウカイテイオーはメジロマックイーンに証明したのだ。奇跡は起こせると、だからこそ彼女はメジロマックイーンに望んだ。

 

 足の病に立ち向かってほしい。そして自分と走る約束を果たしてほしいと。

 

 トウカイテイオーのその願いを、メジロマックイーンは受け入れた。

 どんなに小さな可能性にも、メジロマックイーンは諦めることなく挑んだ。そして、彼女は病を克服していた。それこそ奇跡だと言われる脚部繋靱帯炎の治療を成功することができた。

 自分がこうして芝生の上に立てるのは、紛れもなくトウカイテイオーがいたからだとメジロマックイーンは確信している。

 トウカイテイオーがいたから、彼女との約束があったから、奇跡を起こすことができたのだから。

 だからこそ、待ちに待ったトウカイテイオーとの“約束”を果たす今日という日を、メジロマックイーンが楽しみにしていない筈がなかった。

 果されることがない約束。それが果される日が来たのだから。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 ゆっくりと深呼吸して、メジロマックイーンが歩を進める。

 視線の先にいるトウカイテイオーに向かって歩き、そしてメジロマックイーンは彼女の横に立ち並ぶ。

 トウカイテイオーがメジロマックイーンが横に立ったのを一瞥すると、彼女は僅かに微笑みながら前を向いていた。

 トウカイテイオーがコースの先を見据えたのを見て、メジロマックイーンも同じように微笑む。そしてトウカイテイオーと同じように彼女も前を見据えていた。

 既に約束はしていた。ならば、必要以上の言葉は要らない。メジロマックイーンはそう思い、淡々と告げた。

 

 

「芝、二千四百。天気晴れ。バ場状態、良」

 

 

 ウマ娘が二人しかいない競争。他の人が見れば、ただの練習風景にしか見えないかもしれない。

 しかしトウカイテイオーとメジロマックイーンにとって、このレースはかけがえのないレースだった。

 勝つ栄誉も、名声もない。あるのは、ただひとつだけだった。

 

 隣にいる“誰よりも強い”最強のウマ娘に勝ちたい。

 

 二人が思うのは、それだけだった。生涯、幾度も全力で競い合える相手。自分の最高を出し切って戦う価値のある相手にただ勝ちたい、それだけなのだから。

 運命の人だと言っても良い。自分が心の底から勝ちたいと思える相手がいる。自分がどこまでも走れるような錯覚さえ覚える最高の強敵「ウマ娘」がいる。

 だからこそ、二人には他人の意見など心底どうでも良かった。故に、誰にも見られなくても良い。

 この勝負は、トウカイテイオーとメジロマックイーンの二人にしか価値のないレースなのだから。

 

 

「負けて泣いちゃっても知らないから」

 

 

 そしてトウカイテイオーが前を見据えたまま、メジロマックイーンに告げる。

 その言葉を聞いた瞬間、メジロマックイーンは僅かに目を大きくしていた。

 過去に、メジロマックイーンも似たようなことをトウカイテイオーに言ったことがあった。たった一度だけ共に公式レースを走った時、自分も彼女に言ったことがある。

 まさかこの場で言い返されると思わず、メジロマックイーンはそれが遠い昔のことにも思えて、つい懐かしいと思ってしまった。

 

 

「ボク……最強のウマ娘だからね」

 

 

 そして誇らしげにトウカイテイオーが続けて告げた言葉に、メジロマックイーンは頬を少し緩めた。

 そう、だからこそ自分が全力で走るに値する相手なのだ。最強のウマ娘であり続ける確固たる意志があろうとも、横に立つのはメジロマックイーンが心から思う“最強のウマ娘”なのだから。

 

 

「――望むところですわ」

 

 

 メジロマックイーンの答えに、トウカイテイオーも嬉しそうに笑みを見せていた。

 トウカイテイオーが挑むのは、彼女が思う最強のウマ娘――メジロマックイーン。過去にトウカイテイオーは一度だけ彼女と共にレースを走り、負けた経験がある。

 メジロマックイーンが得意とする長距離でトウカイテイオーは挑み、そして敗北した。

 だが今日の勝負は、トウカイテイオーの得意距離で戦う。前回と違い、今回は彼女に分がある勝負だった。

 だからこそメジロマックイーンに負けたくない、勝ちたい。心の底からそう思える相手がいる。最強のウマ娘であり、自分が追い続けられる最強のウマ娘で在ろうとするメジロマックイーンに、ただ勝ちたい。

 その勝利を、自分を救ってくれた恩人であり、奇跡を起こして病から復帰したメジロマックイーンへの恩返しにする為に。

 互いに全盛期の力はないかもしれない。しかしそれでも、どんな形だろうとも――トウカイテイオーは油断などしない。自分の隣にいるのは自分にとって“最強のウマ娘”でしかないのだから。

 

 

 メジロマックイーンがジャージの右ポケットから、コインを一枚取り出した。

 

 

 取り出したコインを右手で握り締めて、メジロマックイーンが上に弾き飛ばせるようにコインに親指を添える。

 二人しかいない練習場に、スタートを告げる人はいない。それは二人の取り決めだった。

 コインを上に弾き飛ばし、そのコインが地面に落ちた時――それは二人の勝負の合図になる。

 ゆっくりとメジロマックイーンが親指に力を込める。そして次の瞬間――コインが空を舞っていた。

 

 

 空に舞うコインを視界に入れながら、二人が構える。

 

 

 走る準備は整っている。ならば、後は合図を待つだけだった。

 落ちていくコインが地面に向かうにつれて、二人が足に力を込める。

 発進を待つ車のようにエンジン(心臓)が高鳴る。ようやく始まる勝負に、二人の心が躍る。

 

 

 そして緩やかに落ちていくコインが地面に触れた瞬間――二人は駆け出していた。

 

 

 同時のスタートだった。スタートに意識を向ける二人のその集中力は、まさしく強豪ウマ娘と言えるほどの反応だった。全く遅れのない完璧なスタートを二人が切る。

 駆け出した瞬間、二人が即座に加速した。全く差の生まれない同等の速度で二人が走る。

 スタートから第一コーナーまでの直線を二人は横並びで駆ける。互いに真横に相手がいることを認識しながら、二人は速度を落とさずに直線を走り抜ける。

 そしてスタートから直線を抜けて第一コーナーに走った瞬間、レースが動いた。

 

 

(まずはボクが先頭だよ! マックイーン!)

(序盤の先頭なら差し上げますわ! テイオー!)

 

 

 第一コーナーに入った時、コースの内側を走っていたトウカイテイオーが先頭に立った。内側と外側、その僅かな距離の差がトウカイテイオーに先手を取らせた。

 逃げるつもりでトウカイテイオーが先頭を維持する為、メジロマックイーンよりも前のポジションを獲得する。

 しかしメジロマックイーンは“それ”を譲っていた。外側を走っていた時点でトウカイテイオーに先頭を取られるのは予測済みだった。

 序盤に先頭を取られるくらい問題ない。二人しかいない競争で先頭を取る有利を理解しているが、メジロマックイーンは動じていなかった。レースは最後にゴールした者が勝つ、最後に彼女を抜くだけで良いのだから。

 

 

(最後に勝つのは私ですわ!)

(抜かせないよ! マックイーン!)

 

 

 

 二人の脚質は同じ先行。しかしトウカイテイオーは先頭を走っている故に、逃げの位置についた。

 たが、トウカイテイオーは逃げる走りをするつもりは毛頭なかった。適正のない脚質で走るなどメジロマックイーンとの勝負には無粋である。自分の走りである先行の足で走るだけ、それだけのことだ。

 だからこそ後半で使う“足”を残しつつ、トウカイテイオーはメジロマックイーンよりも“前の位置”を維持することだけに意識を向けていた。

 

 

(相変わらず位置取りが巧いですわね!)

 

 

 メジロマックイーンがトウカイテイオーの走りを見て、彼女が逃げの走りを選択してないことを即座に察知した。

 逃げの特徴であるレースのペースを作る走りではなく、あくまでトウカイテイオーはメジロマックイーンの先を走ることだけに意識を向けている。

 先頭を走ることで背後にいる自分が抜きにくい位置で走り続けている。トウカイテイオーの才能でもある“ポジションセンス”が垣間見えた瞬間だった。

 トウカイテイオーが先頭を走る後ろ姿を、メジロマックイーンが見据える。彼女が先を走る以上、メジロマックイーンは彼女を追うしかない。

 しかしトウカイテイオーの後ろを走るからこそ、有利になることもある。背後から感じる圧力もなく、先を走る彼女の背後で走りやすい位置にいれば“足”が温存できるのだから。

 前を走ることで得られる利点、それは空気抵抗を減らして、足の負担を減らせることだ。それは間違いなくレースでは、有利になる。つまり、トウカイテイオーよりも力を温存できることだ。

 最後のラストスパートで温存している“足”の差で、トウカイテイオーを差す。メジロマックイーンはその機会を伺う為にトウカイテイオーの一バ身後ろを走っていた。

 第一コーナーを抜けて、二人が第二コーナーに入る。変わらずトウカイテイオーはメジロマックイーンより前の位置を維持していた。

 しかしトウカイテイオーが第二コーナーに走った瞬間、背後から強烈な威圧感を感じていた。

 

 

(すっごい気迫! でも負けないよ!)

 

 

 背中に感じる威圧感。メジロマックイーンから向けられる気迫に、トウカイテイオーが引き攣った笑みを浮かべる。

 先頭を走る者のプレッシャー、それをトウカイテイオーは感じていた。追う者ではなく追われる者としての経験が少ないトウカイテイオーにとって、メジロマックイーンの威圧は強烈だった。

 だがそのプレッシャーは、トウカイテイオーの身体を萎縮させるのではなく――不思議と心を高鳴せていた。

 メジロマックイーンから感じる威圧感は本物である。本来ならペースを乱されてスタミナを多く消費することだろう。しかしトウカイテイオーに、それは起きていなかった。

 メジロマックイーンが自分の後ろを走っている。自分を追い掛けてきている。それがトウカイテイオーの心を震わせていた。

 果たされた約束。ようやく果たした約束で、メジロマックイーンに弱い姿など見せるわけがない。

 身体の萎縮? スタミナの消費? そんなものはあり得ない。この勝負を長く待ち望んでいたのだ。メジロマックイーンという最高の相手に萎縮など誰がするものか。

 むしろ身体が動く。いつもより足が軽くなるような感覚さえする。トウカイテイオーには、メジロマックイーンの威圧は通用していなかった。

 

 

(そうでなくては――私の相手になりませんわ!)

 

 

 トウカイテイオーが先頭を走るプレッシャーを跳ね除けて駆ける姿を見て、メジロマックイーンも心を高鳴せていた。

 トウカイテイオーがレースで先頭を走るなど本来は有り得ない。これは二人のレースだからこそ起こり得ることだ。

 レースでトウカイテイオーが序盤から先頭を走る機会がないということは、彼女は先頭を走る者が受けているプレッシャーに対しての耐性がないことになる。

 慣れていないウマ娘が逃げをすれば、必要以上にスタミナを消費する。先頭を走りレースのペースを作る位置である以上、後ろから向けられる獰猛な威圧感に自分のペースを見出すウマ娘はとても多い。

 しかしトウカイテイオーには、それが見られなかった。全く気にも留めずに、自分のペースで走っている。

 僅かにメジロマックイーンが追い抜きやすいように走るコースを変更しても、トウカイテイオーが即座に合わせてペースを乱さずに彼女の前に移動している。

 間違いない。トウカイテイオーに先頭を走るプレッシャーはない。むしろ楽しげに走っている姿を見て、メジロマックイーンは思わず微笑んでいた。

 こうでなくては、トウカイテイオーという自分の全力を出す価値のある相手なら、これくらいのことをするのは当然である。

 

 

――楽しくなってきましたわ

 

 

 メジロマックイーンがトウカイテイオーの背中を見て、思う。

 これが本気で挑めるウマ娘の背中。自分の全力を尽くして挑むに値する相手なのだと。

 トウカイテイオーに全盛期の力がないと言われているが、メジロマックイーンにはそんなことは微塵も思っていなかった。

 それは既に有マ記念証明されていることだ。名のある強いウマ娘達が揃うレースで、トウカイテイオーは勝った。それが全てである。

 トウカイテイオーの背中から“決して前を譲らない”という意思を、メジロマックイーンが強く感じる。

 まだ第二コーナー、疲れるにはまだ早い。しかしメジロマックイーンはトウカイテイオーの背中を見るにつれて、心臓の鼓動が早くなっていた。

 メジロマックイーンの胸が高鳴る。スタミナはまだ十分残っている。まだ自分は疲れてはいない。むしろ走る速度が自然と早くなるような気さえした。

 不思議とメジロマックイーンは足が軽くなったような気がした。先程と変わらない速度で走っているはずなのに、足が前に向かっていく。

 

 

(なんだろ……この感覚?)

 

 

 第二コーナーを抜けて、直線に入っていたトウカイテイオーが背後から更なる強烈な気配を感じた。

 思わずトウカイテイオーが背後を一瞥して、メジロマックイーンの姿を確認する。

 その僅かな時間でトウカイテイオーがメジロマックイーンの顔を視認した瞬間、彼女の背筋に冷たいものが通るような感覚が襲った。

 

 

(マックイーン……!)

 

 

 メジロマックイーンの楽しそうな笑顔を見て、トウカイテイオーは心を震わせた。

 楽しそうな顔をしているのに、今にも襲い掛かると言わんばかりの威圧感。異様とも思えるその光景に、トウカイテイオーは堪らず笑みを見せていた。

 楽しくて仕方ないのは、自分も同じである。自然と笑顔を作っていたトウカイテイオーが、自分を抜こうとしたメジロマックイーンのコースを塞いでいた。

 先頭を譲るつもりはない。トウカイテイオーは背中に感じるメジロマックイーンの存在を認識しながら、彼女が抜けないように位置を再度修正していた。

 

 

(あぁ……もう、我慢できませんわ)

 

 

 トウカイテイオーが自身の特性である膝の柔軟性を使って速度を落とさず細かくポジションを修正する姿に、メジロマックイーンは笑顔を崩さなかった。

 ここまで完璧なマークを前でされてしまえば、おそらく抜くのは至難の技だろう。抜くためのコースを常に塞げられている以上、メジロマックイーンはレースセンスが特に優れたトウカイテイオーを抜くことはできない。

 

 だが、メジロマックイーンはそれでも笑みを崩さなかった。

 

 心が騒いで仕方ない。より前に、より速く、先に進みたい。

 いつもより足が軽い、スタミナもある。身体の調子が走る度に絶好調になっていくような気がする。

 足が次第に軽くなっていく。まだ自分は余力を残して、前に進める。

 そう思うとメジロマックイーンは笑顔のまま、足に僅かに力を込めていた。

 

 それだけで充分だった。

 

 メジロマックイーンが瞬く間に、加速した。

 蹄鉄が地面を抉る。たったそれだけのことで、トウカイテイオーは驚愕していた。

 

 

(えっ……?)

 

 

 トウカイテイオーが“それ”を認識した時には、既に遅かった。

 トウカイテイオーの走る位置は完璧だった。メジロマックイーンが抜こうとすれば分かるポジションに、彼女はついていたはずだった。

 

 しかし、トウカイテイオーは気づけなかった。

 

 いつの間にか――“自分より前”にメジロマックイーンが走っていることを認識するのに、トウカイテイオーは僅かな時間を要した。

 そしてメジロマックイーンに抜かれたと認識した瞬間、トウカイテイオーは目を大きくして驚きながら、更に笑みを浮かべていた。

 笑っているメジロマックイーンに、トウカイテイオーが彼女の底知れぬ強さを感じる。

 これが靭帯炎で引退間際まで追い詰められたウマ娘の走りとは到底思えない。むしろそれよりも凄みが増している。

 全盛期の強さはまだ取り戻していないはずなのに、メジロマックイーンから感じる威圧は過去最大とも思える。

 だからこそ、トウカイテイオーは抜かれたことによる驚愕よりも、メジロマックイーンを差し返すという思考に即座に切り替えていた。

 

 

(ならボクもッ――!)

 

 

 トウカイテイオーがメジロマックイーンを抜くために隙のあるコースを探す。そして見つけた瞬間、彼女は加速していた。

 しかしメジロマックイーンは、トウカイテイオーが走るコースを即座に塞いでいた。

 

 

(先頭が取れた以上は、簡単には譲りませんわ!)

(くっ……塞がれたっ⁉︎)

 

 

 立場が逆になった。トウカイテイオーが思わず顔を顰める。

 メジロマックイーンにマークされている。簡単に抜けると思っていたが、彼女の状況把握能力をトウカイテイオーは低く見ていた。

 完全にメジロマックイーンに背後を走る自分の位置を把握されている。第二コーナーを抜け、第三コーナーまでの直線ではコースラインが分かりやすくなっている以上、トウカイテイオーが彼女を出し抜くのは難しいだろう。

 トウカイテイオーが幾度となく直線で抜こうと仕掛けるが、メジロマックイーンは簡単に彼女のコースを塞いでいた。

 抜き返せない。トウカイテイオーが思わず奥歯を噛み締める。やはり直線ではメジロマックイーンを抜くことは困難を極める。

 

 

(直線だと抜けない! でも次のコーナーからならッ!)

 

 

 しかし直線が終わって、第三コーナーに入れば活路が見える。トウカイテイオーはそこに狙いを変更していた。

 第三コーナーから第四コーナーの間で抜き返す。トウカイテイオーはそう決めると、即座に位置を修正してメジロマックイーンの背後についていた。

 先程、メジロマックイーンが行なっていたことだった。前を走る彼女の背後につき、トウカイテイオーが“足”の負担を減らす。

 そしてトウカイテイオーは次の第三コーナーに入るまで根気強く待つことを選んだ。目の前で走るメジロマックイーンを抜けるタイミング、それが来るまで。

 

 

(やはりテイオーは……後ろにいる方が凄いですわ!)

 

 

 その気迫は、メジロマックイーンも感じていた。

 気を抜くと抜いてやる。そんな気迫が背後から感じる。

 前を走っていたよりも、後ろにいる方が明らかに強いと実感せざるを得ない。

 第二コーナーを抜けた直線で抜いてから、トウカイテイオーが幾度となく抜き返そうとするのを止めているが――メジロマックイーンは彼女のセンスに再度驚愕していた。

 明らかにメジロマックイーンが反応し難いコースを選んでトウカイテイオーが抜き返しに来ていた。

 後方から先頭に差す動きの良さ。前に進む為に最善のコースを選べるレースへの嗅覚が異常なまでに高い。そしてそれをウマ娘が出せる高速度で実行できる足の使い方がとてつもなく巧い。ステップをしているような軽快さで巧みにトウカイテイオーが走る位置を変えている。

 一瞬でも反応が遅れれば抜き返される。しかし勝ち取った先頭をまた譲るわけにはいかない。このまま先頭を維持して、コーナーを抜けてゴールまで持ち堪えるだけで良い。

 メジロマックイーンの足はまだ残っている。最後のラストスパートができる足は、まだある。

 

 

(まだっ……まだ見えないっ……!)

 

 

 直線を終えて、第三コーナーに二人が走っていく。

 トウカイテイオーがメジロマックイーンの一バ身後ろを駆ける。決して無理に抜くことはせず、淡々と彼女は狙いを定めていた。

 メジロマックイーンを視界に入れて、トウカイテイオーが彼女を抜けるコースを探す。

 半端なコースではメジロマックイーンに反応される。それは直線で理解させられた。直線では抜くためのコースが読まれてしまう。

 しかしコーナーなら話は変わる。直線とは違い、曲がる走りでは足の使い方が変わってくる。意識しなければ内側を走るつもりが緩やかに外側に向かって走っていることなどよくある話である。

 メジロマックイーンがそんなミスをするとは思えないが、トウカイテイオーは僅かな隙を待っていた。

 

 

(絶対に抜いてやる……!)

 

 

 第三コーナーに入った瞬間、メジロマックイーンが次第に加速していく。トウカイテイオーも距離を離されないように速度を合わせていた。

 メジロマックイーンには、底知れぬスタミナがある。故に長距離レースではスタートから距離が進むにつれてスピードを上げていき、そして押し切る走りをしている。

 故にメジロマックイーンにレースのペースを握られることをトウカイテイオーはあまり望んでいなかった。

 もし仮にメジロマックイーンと距離が離されれば、追いつくのに時間が掛かる。距離を先導されると、メジロマックイーンはそのリードを保ち続ける走りを見せる。それはトウカイテイオーが過去に見てきた彼女のレースで分かりきったことだ。

 だからこそ、距離を離されるわけにはいかない。そして、その時を待つことだけに意識を向けて集中していた。

 どんなウマ娘にも、僅かな気の緩みがある。それが訪れるまで、トウカイテイオーは足を溜めながらメジロマックイーンの背後に食らいついていた。

 

 

(狙ってますわね……!)

 

 

 しかしメジロマックイーンもトウカイテイオーの考えを読んでいた。

 もしトウカイテイオーが自分を抜くなら、第三コーナーから第四コーナーの間に仕掛けてくる。自分が僅かに見せた隙を狙って攻めてくると。

 それが分かっている以上、メジロマックイーンは気を緩めることはあり得なかった。

 先頭を走りながらメジロマックイーンが徐々に速度を上げていくが、トウカイテイオーがしっかりと背後にいるのが分かる。

 背中に感じる強烈な圧力が語っている。すぐに抜いてやるという意思が次第に強く威圧感となってメジロマックイーンに襲い掛かっていた。

 

 

(――ここで離しますわ!)

 

 

 第三コーナーを抜けて、第四コーナーに走った瞬間――メジロマックイーンが更なる加速をした。

 第四コーナーからトウカイテイオーを置き去りにする気持ちで、メジロマックイーンが前傾姿勢になって走る。

 メジロマックイーンには、トウカイテイオーのような力強い加速力がない。もし一瞬の加速で抜かれてしまえば、確実に置いて行かれる確信があった。

 トウカイテイオーが持つ唯一無二の足の柔軟性と力強いバネ、そこから叩き出される力強い加速力をメジロマックイーンは持ち合わせていない。

 諸刃の刃と言える加速力。それは過去に幾度となくトウカイテイオーの足を壊した程の加速力だ。それほどの加速にメジロマックイーンでは太刀打ちできない。

 だからこそ、メジロマックイーンは自分の力を最大限に理解して使っていた。

 自分の強みは瞬間的な加速ではなく、レース後半になるにつれて走る速度を次第に上げていき、最大速度でゴールまで走り続けるスタミナを最大限に使うことだった。

 

 

(今度は絶対に置いてかれないからね! マックイーンッ‼︎)

 

 

 しかし速度を上げるメジロマックイーンに、トウカイテイオーは距離を離されることなくその背後を走っていた。

 過去に共に走った長距離のレースで、トウカイテイオーは最後の直線で前を走るメジロマックイーンに追いつけなかった。

 最大速度で走り続けるメジロマックイーンに追いつけず、置いて行かれて敗北した過去がトウカイテイオーの頭を過ぎる。

 泣きたくなるほど悔しいと思ったあの気持ちに、二度となりたくない。メジロマックイーンに置いて行かれるなんて死んでも嫌だとトウカイテイオーは足を動かす。

 まだ足は残っている。スタミナも減っているが走れる。だから諦める必要などない。

 トウカイテイオーが僅かに見えたコースを走ろうとポジションを変更するが、メジロマックイーンも同じく走る位置を修正する。

 まだ隙がない。徹底的にマークされていることに、トウカイテイオーが不満そうに眉を寄せる。

 これ以上はメジロマックイーンに前を維持されるのは拙い。トウカイテイオーは彼女が隙を見せないことを察すると、すぐに作戦を変更した。

 

 隙がないなら、作るしかない。

 

 トウカイテイオーが口角を上げる。咄嗟に思いついた考えだったが、それは成功だろうと不思議と確信のようなものがあった。

 第三コーナーを抜けて、第四コーナーに進入する。残されたのは第四コーナーと残りの直線だけ、ゴールまでの残り距離が少なくなっていた。

 

 

(ここで終わらせますッ! テイオーッ‼︎)

 

 

 先行するメジロマックイーンが第四コーナーに入った時点で、彼女の速度は遂に最大速度へと至っていた。彼女には分かった。背後にいるトウカイテイオーから少しずつ距離を離していると。

 トウカイテイオーが差せるコースも塞いでいる。後はこのまま最大速度を維持して少しずつ彼女から距離を離せば、メジロマックイーンは彼女に追いつかれることなくゴールラインを超えられるはずだろう。

 少しずつトウカイテイオーから距離を離していき、メジロマックイーンが第四コーナーを抜けて最後の直線に入った。

 残りは五百メートル。たった二千四百メートルの二分半程度しかない短いレースが終わりに差し掛かろうとしていた。

 

 

(このまま走れば私の勝ちですわッ!)

 

 

 勝てる。メジロマックイーンが僅かに勝ちを確信していく。果たされた約束は、今度も自分が勝つと。

 その時だった。背後にいるはずのトウカイテイオーからではなく――右側の後方から強烈な圧力をメジロマックイーンは感じた。

 あり得ない位置だった。メジロマックイーンは、間違いなくトウカイテイオーの位置を把握していた。しかし彼女の感じた威圧感は、全く違う場所から飛んできた。

 思わず、メジロマックイーンが威圧感を感じた方に顔を僅かに向ける。

 そして向けた視線の先にいる人影に、メジロマックイーンは瞠目していた。

 

 

「どうして――そこにいますのっ⁉︎」

 

 

 思わず、メジロマックイーンが声を漏らした。

 間違いなくトウカイテイオーはメジロマックイーンの背後を走っていたはずだった。

 トウカイテイオーが大外に大きく移動して加速していた。理解の範疇を超えた出来事に、メジロマックイーンが反応に遅れる。

 

 その遅れを、トウカイテイオーは待っていた。

 

 メジロマックイーンが最大走度に至った時、彼女は勝ちを確信するだろう。そのタイミングでトウカイテイオーは大きくコースを変更していた。

 サイドステップの要領でトウカイテイオーが移動を行えたのは、彼女が持つ特性である足の力だった。

 ポジション調整のセンスがずば抜けて高いことに加えて、トウカイテイオーが持つ特別な足が生み出す瞬発力が導き出した稲妻のようなステップ――後に“ライトニングステップ”と呼ばれる技を彼女は作り出していた。

 それは咄嗟の判断だった。トウカイテイオーのレース終盤に掛けての臨機応変に対応できる能力は、メジロマックイーンも理解はしていた。

 トウカイテイオーはレース終盤でラストスパートで出遅れることは、まずない。それは彼女が見せる立ち回りの巧さの現れでもある。

 その巧さを、メジロマックイーンは理解はしていた。だが、まさかウマ娘が出せる高速度でステップをするという自殺行為をするとは思っていなかった。

 ウマ娘が出せる速度は、人間とは違い時速六十キロを優に超える。そんな速さで走りながら、転ぶかもしれないステップなどをするウマ娘などいる訳がない。転んでしまえば、間違いなく大怪我に繋がる。その結果、選手生命が絶たれる可能性すらあり得る。

 過去に数回の骨折を経験したトウカイテイオーなら理解しているはずだ。また骨折でもすれば、今後こそ選手生命が終わる可能性がある。

 それを平然と行ったトウカイテイオーの頭のネジは外れているのではないか、メジロマックイーンが右側後方から追い上げる彼女に瞠目していた。

 

 

(外側、もらったよっ!)

 

 

 メジロマックイーンの反応が遅れ、彼女がトウカイテイオーのコースを塞げないことは確定した。

 ならば後は走るのみ、トウカイテイオーの視界にいるメジロマックイーンの位置は、左側前方の二バ身先にいる。

 まだ二バ身の距離なら追いつける。残りは直線四百メートル、誰にも邪魔されずに持てる全てをここで出し切る。

 トウカイテイオーが軸足に力を込める。ここから先は足に負荷の掛かる走り方へ変える。それは彼女が最後のラストスパートでしか使わないと決めた走り方だった。

 軸足の蹄鉄が芝生を抉る。前傾姿勢になりつつ、足に掛かった負荷に思わずトウカイテイオーが顔を顰める。だがやめる訳にはいかなかった。

 メジロマックイーンに勝つ為に、自分が持てる全力で挑む。自分が思う最強のウマ娘に勝つ。それが今の望みなのだから。

 誰よりも強い筋肉ではなく、トウカイテイオーだけが持つ足の柔軟性とバネから作られる華麗な足取り(テイオーステップ)から作られた加速力が、彼女の背中を後押しする。

 その速度はトウカイテイオーを、まさしく“一陣の風”へと変えていた。

 

 

「マックイーンッ――勝負だァァッ‼︎」

 

 

 トウカイテイオーの背中を、風が押し出した。

 これが最後のラストスパートと言わんばかりの加速。それはメジロマックイーンも瞬時に理解した。

 残り四百メートルでトウカイテイオーが勝負を仕掛けに来た。前に行かれないように彼女のコースを塞ぐのは不可能。最大速度でメジロマックイーンが無理にコース変更をすれば、間違いなく大きく減速してしまう。

 メジロマックイーンには、トウカイテイオーのような繊細な足捌きはできない。そして間違えてしまえば転ぶことも懸念される以上、彼女にトウカイテイオーのコースを塞ぐという選択はなかった。

 二バ身あった二人の距離が一バ身半に縮まっていく。残りはされた距離は三百五十メートル。

 このままではトウカイテイオーに差される。メジロマックイーンはそれを肌で感じ取った。

 後ろから感じるトウカイテイオーの威圧感が、先程までとは比べ物にならないほど強くなっていた。間違いなく差しに来ている。

 このままでは、負ける。その思考がメジロマックイーンに過ぎった瞬間、彼女は足に力を込めていた。

 

 

(負けたくないっ! 特に――貴女にはッ⁉︎)

 

 

 本気で負けたくない。そう思える相手なのだ。

 自分の力を全て出せるウマ娘――トウカイテイオーに負けたくないとメジロマックイーンが心の底から思う。

 だからこそ、メジロマックイーンは越えなければならなかった。最大走度出している自分にでも追いつこうとしているトウカイテイオーが“追いつけない速度”を、誰も追いつけない末脚が必要だと。

 地面を強く踏みつける。ここで終わる訳にはいかない。トウカイテイオーと交わした約束で、自分は“全て”を出し切る。

 ゴール前で加速する末脚を全て使う。この直線で疲れ果てても良い。その思いでメジロマックイーンは――全身全霊の力を持って更なる加速をした。

 

 

「望むところですわッ‼︎ テイオーッッ‼︎」

 

 

 メジロマックイーンの加速に、トウカイテイオーが目を鋭くさせた。

 じわじわと追いついていた距離が縮まりにくくなっている。だがそれでも加速したメジロマックイーンよりも、トウカイテイオーの速度の方が一枚上だった。

 ほんの僅かにトウカイテイオーがメジロマックイーンに食らいつく。残りは二百五十メートル。二人の距離は一バ身まで縮まっていた。

 互いに全力を尽くして、ゴールへと駆ける。ゴールまで残り二百メートルとなった。

 ここから最後の勝負。最後のラストスパートの戦いだった。

 

 

「負けないッ――!」

 

 

 トウカイテイオーが叫ぶ。楽しいと心の中で思いつつも、笑顔を作る余裕はなかった。

 負けることは悔しい。悔しい思いをするのは誰でも嫌である。トウカイテイオーはその気持ちが誰よりも強かった。

 何度も挫折した。何度も悔しい思いをした。誰よりも悔しいという気持ちを味わったトウカイテイオーだからこそ、その気持ちは強かった。

 勝つことへの渇望。それがトウカイテイオーの足を限界まで酷使した。

 折れない心で、不屈の闘志を限界まで燃やしてトウカイテイオーはメジロマックイーンを追い掛ける。

 そう、誰よりも強い無敗三冠王と呼ばれたウマ娘に近づく為に、理想に少しでも近づく為に、トウカイテイオーは叫んだ。

 目の前を走る最高のウマ娘(ライバル)に勝つことだけを望んで、絶対に勝つことを譲らないと決意して。

 残りは二百メートル――トウカイテイオーは、最後の力を振り絞った。

 

 

 

「絶対はッ――ボクだァァァァァッ‼︎」

 

 

 

 最後の加速でトウカイテイオーが更にメジロマックイーンに迫った。

 距離を詰めて行き、二人の距離は半バ身まで縮まっていく。

 圧倒的な加速力と圧力に、メジロマックイーンが確信した。間違いなく背後にいるウマ娘(トウカイテイオー)は全盛期までの力に迫っていると。

 これだ。こんな勝負をメジロマックイーンはしたかった。気を抜くだけで負ける程の相手、自分の全部を尽くして走ることができる相手が欲しかった。

 メジロマックイーンの目指す“最強のウマ娘”を競い合える相手。自分の確信は間違いではなかった。

 トウカイテイオー。紛れもなく彼女は最強のウマ娘。メジロマックイーンが認めた最高の強敵(友達)

 抜かれたくない。負けなくない。だから身体を更に酷使する。

 最強の名を懸けて。メジロマックイーンが振り絞った。足という翼を羽ばたかせて、最後の飛翔(全力)を行う。

 

 

「見せて差し上げますッ――私の全力をッ‼︎」

 

 

 そしてメジロマックイーンが絞り出した全力に、トウカイテイオーは迫っていく。半バ身あった距離がつまり、残りは百メートル。

 終わりが見える。ゴールが目の前にある。メジロマックイーンとトウカイテイオーの二人は前しか見ていなかった。

 自分が勝つことだけを確信して、二人が全力で疾走する。蹄鉄が芝生を抉り、足を前へと進める。

 ゴールラインを越えるまで足を止める訳にはいかない。スタミナに限界を感じるトウカイテイオーと足に限界を感じたメジロマックイーンの二人が苦悶する。

 気の緩みすら許さない最後の百メートルを二人が走り切る。

 ゴールは二十メートル先、僅か数秒で終わる距離だ。

 

 

「――マックイーンッ‼︎」

「――テイオォォーー‼︎」

 

 

 横並びで走る二人が叫ぶ。

 負けたくないという意思を持って、二人が全ての力を持って競い合った。果たされた約束、しかしその約束はこの先を何度もあるだろう。共にまた走ろう、きっとまたそう約束すると互いに思う。

 しかし勝負は勝つか負けるか、それしかない。

 全力を持って挑んだ結果は、どのような結果だろうと受け入れなければいけない。

 

 二人がゴールラインを超えた。

 勝った者は上を向き、勝利に喜ぶ。

 負けた者は下を向き、敗北を悔やむ。

 

 そして二人がゴールした瞬間、片方のウマ娘が大声で叫んでいた。

 

 

 

「やったぁぁぁぁぁッ‼︎ ボクの勝ちィィィィッ‼︎」

 

 

 

 トウカイテイオーが空に拳を向けて叫んでいた。

 最後の数メートルで、トウカイテイオーかメジロマックイーンよりもほんの僅かにゴールラインを超えていた。

 トウカイテイオーはゴール間際に理解した。本当に少し、ほんの数センチだけ自分はメジロマックイーンより前に出たことを。だからこそゴールラインを超えた瞬間、彼女は勝ちを確信していた。

 

 

「はぁ……はぁ……負けましたわっ……!」

 

 

 そして負けを確信したメジロマックイーンが地面に倒れると、深い呼吸をしながら唇を噛んでいた。

 メジロマックイーンもゴール間際で“分かってしまった”。ゴールの瞬間、自分より先にトウカイテイオーの身体があったことを彼女は理解していた。

 だからだろう。ゴールした瞬間、喜びではなく悔しさが心を埋め尽くしていた。酷使していた身体が限界を感じて、思わずメジロマックイーンはその場で倒れていた。

 メジロマックイーンが仰向けになって空を見上げていると、彼女の隣で誰かが倒れる音が聞こえていた。

 思わずメジロマックイーンが横を向くと、そこには疲れ果てた顔をしていたトウカイテイオーの顔があった。

 

 

「だめだ……しばらく動けそうにないや……」

 

 

 自分と同じように深い呼吸をして、トウカイテイオーが大の字で倒れていた。

 

 

「私もです……ここまで走ったのは本当に久しぶりでしたわ」

 

 

 全く同感である。メジロマックイーンはトウカイテイオーの言葉に頷くと、小さく笑っていた。

 

 

「マックイーン、絶対隠れてトレーニングしてたでしょ?」

「してませんわ。私は、テイオーとは違いますのよ」

「嘘だね。最後の直線でビックリするくらい加速してたもん。マックイーン、加速苦手だったでしょ?」

「それを言うならテイオーもですわ。第四コーナー抜けた時にあんな方法で大外に行くなんて思うはずありません。絶対にポジション移動の練習してましたわね?」

「してないよーだ。思いついただけだもん!」

 

 

 レースの感想を話す二人が各々の意見を伝えて、口論のような形になっていく。

 そしてしばらく二人が口論を続けると、互いに満足したのだろう。二人は揃って空を見上げていた。

 

 

「ねぇ、マックイーン」

「……なんですの?」

 

 

 トウカイテイオーに呼ばれてメジロマックイーンが反応するが、彼女は一向にその先を口にしなかった。

 何を話すつもりだろうか……メジロマックイーンがそう思っていると、トウカイテイオーはポツリと口を開いた。

 

 

「また、ボクと……一緒に走ってくれる?」

 

 

 メジロマックイーンはその言葉を聞くと、思わず溜息を吐いた。今更、何を言い出しているのかと。

 そしてメジロマックイーンは、今回勝ったトウカイテイオーに自分に勝ったままにさせるつもりなど更々なかった。

 

 

「私、貴女に勝ち逃げをさせるつもりはありませんわよ」

 

 

 それだけで十分だろう。メジロマックイーンはそう言うと、疲れた身体を休める為に話すのをやめていた。

 トウカイテイオーもその先を口にすることがなかったメジロマックイーンに、小さく笑ってしまう。

 疲れ切ったのは、トウカイテイオーも同じだった。彼女も、そこから先を伝えるつもりもなかった。だから彼女もメジロマックイーンと同じように芝生に身体を預けて身体を休めることにした。

 

 果たされた約束は、これで終わらないだろう。

 また交わした約束は、いつの日か果される。

 その約束を二人が終わらせることはないだろう。

 いつまでも交わし続ける約束が終わる日まで、二人は走ろうと心かは思う。

 隣にいる最強のウマ娘に勝ちたい。その気持ちを胸に抱いて、二人は、ただ空を見上げた。

 

 

 

 

 

 

 二人のレースを見ている姿があった。

 黒髪の少女――キタサンブラックと鹿毛の少女――サトノダイヤモンドが、誰もいないはずの練習場の観客席で立っていた。

 偶然、キタサンブラックの提案で二人は練習場を見に来ていた。誰もいないと思っていたのに、二人の予想外の人達がいたことに最初は驚いていた程だった。

 それもそのはず、二人が心の底から各々が憧れているウマ娘がいたのだから、驚くのも当たり前だった。

 キタサンブラックはトウカイテイオーに憧れ、サトノダイヤモンドはメジロマックイーンに憧れていた。

 そんな人達が目の前にいたのだから、二人が揃って声を掛けようとした。だがそれは憚られた。

 二人が一緒に走ろうとしている。その光景を見て、二人は足が動かなかった。

 

 そして二人のレースを見て、二人は震えていた。

 

 選手生命が断たれそうになったウマ娘の走りとは、到底見えなかった。

 その走り、ゴールに向かって走る二人の気迫は――まさしく憧れ続けた姿そのものだった。

 

 

「あぁ……」

 

 

 キタサンブラックから吐息のような声が漏れる。

 ずっと見たかった姿だった。誰よりも速く、そして力強い走りを見せつけるトウカイテイオー。その姿にキタサンブラックは心をときめかせた。

 まだトウカイテイオーが走ってくれる。まだ私は、あの人の背中を追い掛けることができるのだと。

 

 

「マックイーンさん……!」

 

 

 サトノダイヤモンドも、メジロマックイーンの走る姿を見て心を震わせていた。

 足が病に罹り、二度と走れないと言われていたはずなのに……それを一蹴するような美しい走りだった。

 まだ自分はこの人を追い掛けても良いのだと、泣きたくなるような気持ちが胸に募った。

 

 トウカイテイオーとメジロマックイーンから感じた勝利への確固たる意志。

 

 それをキタサンブラックとサトノダイヤモンドは確かに感じた。

 あの人のように走りたい。あの二人のように、自分にも競い合える人が欲しい。

 

 そう思うと、二人は顔を合わせていた。

 

 そんな人が近くにいた。幼い頃からずっと一緒だったウマ娘(ライバル)が、隣に立っていた。

 自分も、あの人達のように走りたい。走れるようになりたいと心の底から二人は思った。

 

 

「キタちゃん……私負けないからね」

「私だって負けないよ……ダイヤちゃん!」

 

 

 二人が顔を合わせて、小さく笑う。

 そしてキタサンブラックが次に告げた一言に、サトノダイヤモンドは嬉しそうに頷いていた。

 

 

「私達も、いつか……一緒にレースで走ろうよ。どっちが強いか競い合うんだ……テイオーさんとマックイーンさんみたいに!」

「うんっ……! 私負けないから!」

 

 

 そして二人は、入学式の日に約束を交わした。

 一緒に、レースで競い合う。そんな簡単な約束を。

 強い意志に憧れたウマ娘がいた。そしてそのウマ娘に憧れたウマ娘が、その意思を引き継ぐ。

 繋がれていく意思は、途絶えることがないだろう。

 トウカイテイオーとメジロマックイーンの勝利への意志は、確かに今ここに、二人の幼いウマ娘に引き継がれたのだから。

 

 

 

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