・手帳の記述、一部抜粋 その三
自分で未来を変えたいと思っていたのは、間違いありませんでした。
でも私一人の力では、どうにもならないのだと知ってしまった。
ちっぽけな人間一人にできることなんて、そうそう多くは無いのだと知りました。
私がもっと術師として強い才能を持っていれば、話は違ったのかもしれません。
だから、私には出来っこないのだと悟ったとき、どうしようもなく、絶望してしまったのです。
・12
罪悪感とは、一体何だろうか。自分にはよく理解できない。
母に騙されたあの日から、知っていることが自分を守ることになると学んだ。無知であることは、自分の弱さであると教えられた。だから時間があれば、本を読むようになった。話すことが満足に行えない自分は、誰かと会話することで何かを得られるという機会が少ない。だから活字で、知識を得た。知るという行いをひたすら行っていた。それが果たして自分を強くしたのかは分からない。
罪悪の感情を抱くには、それが罪であると理解していなければいけないらしい。物語の主人公やエッセイの著者、そういった人物たちが罪悪感を抱くときは、その感情を湧き起させる行いが「罪」であると理解してた。理解していたからこそ、罪悪感という感情が湧くのだろう。
では自分はどうなのか。
自分はこの行いに、罪悪感を抱けるのだろうか。
先回りした場所で待って、やって来た三人を前にし最初の行動をとる。意識を失った女性が石畳に倒れ込まないように支え、そのままゆっくりと地面に横たえた。立ち上がれば、こちらを見つめる二つの視線と自分のそれが絡む。一つは困惑、一つは敵意。当然だ。そう取られても仕方がないだろう。特に今回の事に関しては。
此処は本来、人が易々と入って良い場所ではないらしい。部外者であるならば尚の事。そして自分は紛れもなく部外者だった。そう言うことも含めての敵意であり困惑なのだろう。上で起きた一連の出来事を思えば、こちらを敵と認識することはごく自然の流れでもある。
敵意を向けてくる彼と出会うのは二度目だった。しかし彼が憶えていられるかまでは分からない。そういう作用を施しているから。
元々彼とは、巡り合わせが多くなるように予め取り決められている。自分としては彼に対して興味は無いが、彼に対する懸念は多いということなのだろう。それについて自分が考える必要はない。自分はただ、与えられた役目を果たせばよかった。
空間に黒い虚を生じさせる青年に、交戦するつもりがあるのだろうと推測する。戦闘においてはこちらが不利だ。彼の術式も把握している。だからその手を封じる必要があった。
「あらず」
「なっ……!?」
自分の意図に反して虚の穴が勝手に閉じたことに動揺する青年を見ながら、術式が上手く作用したのだと確認する。予定にないではあったが、許容範囲内だった。むしろ必要になるだろうとは予め踏んでいた。そして彼を相手にするときは、近づかせるのが得策でないことも知っている。
「あらず」
先ほどの女性と同じように意識を失って倒れた青年が起き上がらないことを確認してから、少女の方を見る。
震えていた。震えていても、こちらを睨みつける姿に逃げる意思は無かった。気丈に振る舞うその姿を、人はきっと健気と呼ぶのだろう。
何を言うわけでもなく口を開いて、それからまた閉じた。
もし、今自分に言葉を十全に操る資格があったのならば、彼女に何を言うつもりだったのだろう。
謝罪の言葉か?
それとも、自分の行いを正当化するための言葉か?
なぜそんな言葉を吐こうとしているのか、自分でも検討がつかなかった。なぜこの見知らぬ少女に対して許しを請おうとしているのかも分からない。しかし、冷静な部分が急げと自分を急かしていた。与えられた時間は多くは無い。狩人である彼がやってきてしまったら、全てが狂ってしまう。それだけは、避けなければならなかった。
「来ないでっ!」
「あらず」
呪言を受けて体を傾いだ少女を受け止める。華奢なそれに、どうしてか胸のあたりが痛かった。 これが罪だとでも言いたいのだろうか。自分の中の知覚できないものが、これを罪だと認識したのだろうか。だとしたら、随分と遅いものだと思わざるを得ない。
今更誰に償ったところで、最早どうしようもないところまで来ているのに、一体誰に許しを請うつもりなのだろうか。
・「記憶阻害術式保持者」遭遇者による供述 その三
天漿体保護者黒井美里による供述。
2006年(中略)、薨星宮参道にて遭遇。対象が薨星宮内部に侵入した経路は未だ不明。
対象と遭遇後、呪言により意識を失う。
その現場を夏油特級術師及び天内理子が目撃したと、夏油特級術師が供述。
対象と遭遇したことは記憶しているが、容姿は思い出せない模様。
なお、夏油特級術師及び五条特級術師に与えられた任務は
・7
帳が降りることは予め記載が成されていた。どの地点に、どの範囲で、どの時間に降りるかまでもが事細かに記載された手帳を閉じて、惨状と化したその場所に立つ。
帳の中は電波が通じなくなるらしい。そのことはあくまで知識として知っていた。だから要救助者がいれば、帳の外まで連れ出さねばならない。もしくは、その場で見捨てる必要がある。
だが彼は、見捨てはしないだろう。
二人しかいない同学年。相棒と呼んで差し支えないだろう関係。同じ任務を幾つもこなした仲。そういうような、同じ場数を踏んできた相手には、一入の情が宿るものだ。少なくとも読んできた本たちはそうだった。現実が整然とした文字の連なりの様に小綺麗なものかは分からないが、どうしてか、そうであればいいと思う自分がいた。
帳の中に人が入っていることを考慮していなかったのだろう。こちらを見て驚く異国の血交じりの青年に、耳を塞げとジェスチャーをする。次いで自分の口を指さして示せば、こちらの次の行動を悟ったのか、それとも藁にも縋るつもりなのか、示した通りに耳を塞いだ。
倒れ伏すもう一人の青年の方の耳を、自分の手で塞ぐ。本来ならこのようなことはあまりしなくても問題ないが、どうも含めるものによっては周りに被害が出やすい。今回のは特に顕著に出る可能性があったから、耳を塞いでいてもらった方が都合が良いと判断した。
こちらへと手を伸ばしてくる呪霊を見つめながら、その三文字を紡ぐ。
「あらず」
思えば、正真正銘の呪霊に使うのは初めてだった。
果たしてどうなるかと思えば、呪霊の頭部と思しき箇所が吹き飛ぶ。それは奇しくも、いつかの日のそれとよく似ていた。
自分には付け焼刃のような知識しかないが、呪霊というのは頭が弱点であるらしい。手帳にはそのように書いてあった。手帳曰く呪術と脳というのも関わりが深いそうなので、呪霊の弱点が心臓ではなく頭であることもきっとそこらへんと関係があるのかもしれない。
断末魔を上げて消滅していく呪霊を他所に、耳を押さえていた青年の容態を見る。医術に心得があるつもりはないが、重傷だった。致命傷が一つあるわけではないが、幾つもの傷が総じて、彼の命を奪って行こうとしているようだった。
本来なら、下半身が丸ごと無くなってしまうのだったか。彼の傷を思えば、きっと負傷で動きが鈍くなったところを喰われたのかもしれない。何事も事細かに記載される手帳ではあるが、彼の死の瞬間については、余り明確な記載はされていなかった。どちらかと言うと、死体の状態の方が細かに書かれていた。
彼の耳から手を離し、またも三文字を紡ぐ。
良くも悪くも自分が人に施せるのは、これしかなかった。
・「記憶阻害術式保持者」遭遇者による供述 その四
七海一級術師及び灰原二級術師による供述。
2007年、指定された任務先にて遭遇。
目撃者は七海一級術師(当時、二級術師)、被呪言者は灰原二級術師。
想定されていた等級よりも強い呪霊と交戦し、灰原二級術師が重傷。
七海一級術師が撤退を考える中、対象が出現。耳を塞ぐようにジェスチャーを示し、七海一級呪術師がそれに応えたのち、意識の無い灰原二級術師の耳を塞いだうえで呪言を使用。
七海一級術師によると、唇の動き「A、A、U」から呪言は「あらず」と推測。
その後重傷の灰原二級術師に対して呪言を使用。こちらの呪言も「あらず」であったと供述。
七海一級術師対象と遭遇したことは記憶しているが、容姿は思い出せない模様。
・手帳主要内容、一部抜粋 その一
【黒く塗りつぶされて読めない】
【黒く塗りつぶされて読めない】
【黒く塗りつぶされて読めない】
【黒く塗りつぶされて読めない】
2001年10月1日、■■県■■市■■町■■■総合病院西病棟■階■■■号室
対象:与……の胎内
内容:天与呪縛保持の否定による天与呪縛からの解放
2002年9月■日、宮城県仙台市(省略)
対象:虎杖……
内容:存在の否定による抹殺
2002年■月■日、襲来した相手の排除
対象:詳細不明
内容:存在の否定による抹殺
※ここの文章は他と筆跡が異なる。
※後から書き加えたような形跡
2003年■月■日■■時■■分、……県(中略)■■町■■マーケット前交差点
対象:伏黒……
内容:生命活動の低下に対する否定による救急隊到着までの延命
2005年■月■日、東京都……(省略)
対象:夏油傑
内容:呪霊取り込み時の味覚の一時的機能の否定による、呪霊操術の負担緩和
2006年■月■日、(中略)薨星宮参道
対象:黒井美里
内容:覚醒状態の否定による強制的な意識の剥奪
2006年■月■日、(中略)薨星宮参道
対象:天内理子
内容:覚醒状態の否定による強制的な意識の剥奪
2006年■月■日、(中略)薨星宮参道
対象:夏油傑
内容:覚醒状態の否定による強制的な意識の剥奪
補足:術式の拘束に呪言を一回分使用 ※この補足のみ他の項目と筆跡が異なる。
2006年■月■日、(中略)薨星宮参道
対象:結界
内容:天元の結界の効果の否定による内部侵入
※各項目に対して状況の推察が事細かに記載されていたことが確認されている。
・5
憎悪を抱いたことはある。ただそれが果たして正しく憎悪であるのかは分からない。比べるものが無いからだ。
私を文字通り嵌めた母に対して、激情を抱いたことはあった。怒りを抱いたことはあった。あれが憎しみと呼べるのであれば、きっと憎しみだった。ある日突然母に全てを奪われた日に、私の人生は全てが決まった。そしてそこから、私の人生は始まったのだ。
地図にも載らないような閉鎖的なコミュニティでは、お互いのつながりというものを非常に重んじる。そしてそのつながりの中では、異端というものは許容され難く、そしてとても迫害されやすい。情報の共有が行き届く小さなコミュニティの中で、異端の存在がその身を隠すことは容易ではない。地方の過疎地における術師の才能を持つ者に対しての迫害は、中世の欧州にあった魔女狩りによく似ていると思う。
そしてそれを、心の底から憂いているのだろう。二人の少女が置かれた現状に心の底から怒っているのだろう。自分の為ではない。誰かの為。誰かの為に、それほどの激情を燃やせるのか。誰かのために人を殺そうと思えるのか。
その激情は、きっと私には理解のできないものだ。
「あらず」
「お前……!」
非術師に呪霊をけしかけようとしていた彼に呪言を放てば、彼の使役下に置かれていた呪霊たちが全て消えてなくなる。祓ったわけではない。使えなくしただけだ。
私個人の感情としては、彼がどれほどの悪行をしようとも、彼がどれだけ非難されようとも、何も思わない。だがそれでも止めなくてはならない。これは私に課せられた仕事なのだ。仕事と呼ぶには、余りにも無機質で情の無い、横槍のような仕事だった。しかしその横槍こそが望まれるものなのだろう。これがやがてどういう結果を生むのかは、私が知るところではない。
こちらに攻撃を仕掛けようとする彼から咄嗟に距離を取って、構える。武術は覚えがあるが、勝ち目があるとは思えなかった。彼が集めた村民たちを盾にするように距離を離して行けば、人垣の向こうから声が聞こえた。
「なんでお前は、いつも邪魔をするんだ……!」
何故。それは私にも分からない。
私はただ、与えられた仕事をこなしているに過ぎない。ひょっとすると仕事なんて上等なものでもないのかもしれない。ただ機械的に無機質に、望まれたことを行う。それだけだった。
だが彼の言葉に、純粋な驚きがあった。
憶えているのか、この私を。
記憶に残ることがないこの私を。記憶に残すことが出来ない私を。貴方は、憶えているのか。
それが遭遇したことを事象として記憶しているだけだと分かっている。私自身が彼に認識されているのではないことくらい分かっている。だがそれでも、問いたかった。私を憶えているのかと聞きたかった。それでも私は、その問いを口に出すことが許されていなかった。私が音として発せられる文字は、たったの三つしかないのだから。
・「記憶阻害術式保持者」遭遇者による供述 その五
夏油特級術師による供述。
2007年9月、■■県■■市(旧■■村)にて対象と遭遇。
非術師への攻撃を行おうとしていたところ、「あらず」の呪言により非術師への攻性行動を抑制される。また当任務以降、夏油特級術師の精神状態に変調が見られたものの、現在は沈静化している模様。
容姿の記憶はしていないが、夏油特級術師は声帯から女性ではないかと推測。
※なおこの記録は秘匿情報とし、一般的な公開を禁ずる。