・ほうまつ
母によれば、何かの物事の結末は、必ず何処かの物事に影響を及ぼすのだそうだ。俗に言うパラレルワールドというものだろう。その選択肢を取ったか、取らなかったか。それによって未来に変化が訪れる。その未来の枝分かれは無数に存在し、人生、そして世界の行く末は無数の選択肢があった中の一つを選んで進んでいる。
では私のこの行いも、そうなのだろうか。何かを選び、そして何かを捨てている。親しくもない他人と呼ぶに値するだろう彼らの為に、自分の人生を捨てている。ただそれは、決して自らやりたくて行い始めたわけではない。ただ、そう在るように全てを仕組まれただけのことだった。
この私の一連の行いの中で最も懸念される存在が、特級呪霊である真人だった。どうして懸念されているのかは分からない。そういう事を考えるのは私の仕事じゃない。私はただ計画のとおりに行動し、それを完遂すれば良い。計画の内容について疑問を持つことも反発することも、無駄なことだと分かっていた。
彼との接触は存外簡単だった。不思議なことに、彼自身の方から接触があった。そして接触するに至った彼の好奇心の詳細を聞き、納得した。彼は彼で突きつめたいことがあり、その内容に私の存在が絡んだ程度のことだった。そして彼の話を聞いて、何故彼が懸念されるのかということに、なんとなく気づいた。
裏切られると思っているのだろう。
彼の術式を上手く使えば、私がこれまでのくびきから解き放たれることを、分かっているのだ。まるで、かつて誰かにそうやって、裏切られたかのように。
――貴女
母の言葉は時折、名状しがたいズレを持っていた。本人が意識しているかは分からない。だがその名状しがたくとも、はっきりと存在するそのズレ。まるで未来を自分で見てきたかのように語り、私以外にも子供が居たかのような言葉を投げかけ、そして予言書さながらの手帳を生み出してみせた母の、その違和感。
私を道具として扱うようになるまでに至った母の過程は、きっと誰も知り得ぬのだろう。
・手帳主要内容、一部抜粋 その二
2007年8月■日、■■県(中略)■■■山にて
対象:一級呪霊
内容:存在の否定による抹殺
2007年8月■日、■■県(中略)■■■山にて
対象:灰原雄
内容:生命活動の低下に対する否定による延命
2007年9月■日、■■県■■市(旧■■村)にて
対象:夏油傑
内容:対象の非術師に対する攻性行動の否定
・銀色
無為転変。
触れた手から順平に掛けようとしていた術式は、明確な拒絶を持って弾かれた。黒い稲妻が順平の内側から発せられて、こちらの掌を焼く。
何が起こったのか分からなかった。だが自分の術式が作用しなかったことだけは、明快だった。
咄嗟に順平から距離を取り、同時に虎杖からも距離を取る。今の瞬間を隙だと認識した虎杖の猛攻を躱しながら、なんとか廊下の方へと逃げた。
順平を守った今の術式。虎杖の物ではないということは直ぐに分かった。では誰のものか。それもすぐに分かった。あの空気に溶けそうなほど
まさか順平の魂に加護を施すとは思わなかった。だがつまり、そう言うことなのだろう。そもそも自分たちがはっきり味方として結託していたわけではない。裏切られたというには、俺達はまだその段階に居なかった。ただお互いに興味を持って、傍に居た。それだけの事。
パッと後ろに感じた気配に振り返れば、少し遠くに居た光を供さない目と視線が絡む。いつからそこに居たのか。いつからこの状況を読んでいたのか。そんなことはもはやどうでもいい。激情を知らないと言わんばかりのその眼、その体の内側にある
嗚呼成る程。最初からそのつもりだったわけか。悟るのは直ぐだった。
しかしなんとまあ――、
「熱烈じゃないか」
「虎杖くん!」
咄嗟に耳を塞ぐ順平に、やはり賢いなと思う。彼女は既に自分と順平に術式の開示を行っていた。だからこそ順平は耳を塞いだ。それを見た虎杖もとっさの判断で同じように耳を塞いだ。
いいんじゃないか?
もしこの先の言葉を自分以外が聞いたと思えば、恐らく自分は聞いた奴らを皆殺しにする自信があった。これから放たれる言葉は、正真正銘自分にむけて放たれる言葉だ。だからこそ、独占したい。
思い出したのは、彼女との何気ない、意味のないやり取りで。あの時掌に残された銀色が、走馬灯の癖にやけに目に焼き付く。あの内の一つを順平が与えられたのは分かった。そして恐らくは自分自身にも、きっと今すぐ与えられる。
そのことにどうしようもなく悦ぶ自分がいることが不思議でならなかったが、でも間違いなく興奮した。その三文字の為に全てを投げうつ君のその
「あらず」
だからこそ、祓われる間際だっていうのに、どうしようもなく笑みが零れた。
・「記憶阻害術式保持者」遭遇者による供述 その六
虎杖四級術師、及び吉野順平による供述。
対象は特級呪霊真人を祓い逃走。
吉野順平によれば、対象は特級呪霊と共に行動をしていたとのことだが、その後の行動からして祓う為に傍に居たのではないかと考えられる。
対象の容姿に関してはどちらも記憶していないとのこと。
・手帳の記述、一部抜粋 その四
自分にはどうしようも出来ないと分かっていました。
繰り返すこの循環を断ち切るのに必要なのは、私では実力不足だった。でもそれでも自分で何とかしたかった。
だから、
簡単なことだと気づきました。なんでこんなに簡単な事に気づかなかったのだと自分を責めました。
私が望む未来を掴み取ってくれる存在を、私が生み出してしまえばよかっただけだった。
それはきっと私という人間が犯した最大の罪でしょう。しかしそれが私という人間にできる最良の手段でした。
・=4
真人の秘密基地。そこに置かれた手帳を手に取って、なんとなく開く。
誰の物かは分かっていた。あの人のものだ。誰にも中身を見せることは無かったが、時折それを見返すように読んでいたことを知っている。けれど、彼女がそこに何かを書き込んでいる所は見たことは無かった。
書かれていた内容は、目を疑うようなものだった。
「何か見つかりましたか」
「あ、いえ……なにもなさそうです」
「そうですか。では手筈通り、始末する方向で手筈しますから、私達は高専に戻りましょう」
補助監督の言葉に、咄嗟に否と唱えて手帳を自分の服のポケットに滑り込ませる。
真人が根城としていた河川のトンネル。順平はその場所を知る人間として、その現場へと案内を任せられた。結果的に生還したが術師としてはっきりと発現したことで、順平の所属は呪術高専に移ることになったらしい。説明をしてくれたのは悠二と、悠仁が親しげに愛称で呼ぶ大人だった。順平としても、それに異存は無かった。あの高校に居たいという気持ちは既に無かった。母だって、順平を嵌める為に真人が殺してしまった。だからもう、あの場所に順平の名残はなかった。
手帳に書かれていたことは、余りにも現実味が無かった。けれど内容を架空のものだとは、今の順平には思えなかった。呪術というものと出会っていなければ多分信じられなかったかもしれない。だがあの人が真人を言葉一つで殺したのも間違いないし、その言葉が呪いであることも間違いなかった。
手帳の内容はどこか、予言に似ていた。いつ、どこで、誰がどうなるのか。事細やかに記されていたそれと、そしてそれに対して何か彼女が策を施したかと思われるような、手記。
これは一体、なんだろう。
その謎が解けたのは、順平が呪術高専に入って一週間と少しが過ぎた頃。京都にある姉妹校との交流戦ということで、やって来た京都高の生徒を見たときだった。両足を義肢で補っている、一つ年上の少年。「むた」と呼ばれた彼に順平の脳裏に手帳にあった記載がよぎった。
2001年10月1日、総合病院西病棟――。
「
「は?」
首を傾げる与に、しかし順平は答えない。順平の中に過ぎった情報。だがしかし、拭い切れない違和感。恐らく考え方自体は間違っていない。だが、どうしても何かが喉に引っかかる様に残っている。
そう同じ名字がいる名前ではない。
手帳に記載されていた日付を考えれば、彼できっと間違いない。
だが、本当に
自分で口にした言葉に、今自分で、疑問を抱いていた。
「順平?」
不意に、脳裏に記憶がよぎる。
真人と彼女の、奇妙なやり取り。自分はそれを眺めていただけで、特に何かをした訳ではなかった。他人と他人の交流に、順平はそこまで興味はない。だがそれでも、それが何かの儀式のようだったから、傍目で見ていただけの順平の記憶に焼き付いて離れなかった。
銀色。
真人の掌に残されたアルミの銀色は、全部で四つだった。あのときにはもう、四つしか
同時に手帳に書かれていた予言の項目の数を思い出す。
――数が合わない。
彼が一回目なら、もっと
「おい、順平。大丈夫か?」
「そうか。
「は……?」
耳の奥で血の気が引いていく音がする。悠仁たちを置いてけぼりにしていることは分かっているが、それでも自分が辿り着いてしまった事実に、どうしようもなく体が冷えるような錯覚があった。
そうだ。彼が五回目なら、全ての辻褄が合う。全ての歯車が噛み合う。あの時真人の掌に残されたたった四枚の硬貨の数に辿り着いてしまう。
あの黒く塗りつぶされた四行は、ただのメモではない。恐らくはあれも
でもそれなら、もう彼女に残された回数は――。
「おい順平!どうしたんだよ!」
痺れを切らした悠仁に肩を掴まれて、順平はようやく思考の海から舞い戻って来た。気づけばその場にいた全員の視線を集めていて、集まる視線の量に思わず半歩足が下がる。
「ゆ、悠仁」
「体調悪いなら保健室行くか?」
「違う、違うんだ。僕じゃなくて……」
真人が祓われた後、順平は彼女の顔を見ていた。恐らくは悠二も見ただろう。普段はマスクをしていて顔の全貌を見ることがほとんど出来ない人が、呪言を使うためにわざわざマスクを顎まで下げていた。ついぞこの間まで思い出せなかったはずのそれが、なぜか今ははっきりと
被ったパーカーのフードで彼女の顔に落ちる影が、蛍光灯の明るい廊下と対比してとても黒く見えた。そしてその黒い影の奥で一際暗くて無機質な目。まるで機械のような、感情の灯らない目。
自分とあの人が同類だとは思わない。だがきっと、人生を蔑まれてきた人なのだろうとは思っていた。それが誰によってなのかは、手帳を見るまで知らなかった。
いい人か悪い人なのかは分からない。でも自分の命を救ってくれたあの人は、真人と違って悪人ではないと思いたい。だがあの日自分が衝動に身を任せたように、彼女が同じように衝動に身を任せないと言い切れる保証は何処にもなかった。
「はやく、はやくあの人を見つけないと……!」
彼女が次に取ろうとしていることは、既にもう手帳に書かれていた。
・手帳主要内容、一部抜粋 その三
2018年9月■日、神奈川県川崎市(中略)にて
対象:吉野順平
内容:他者からの介入の否定による魂の保護
2018年9月■日、神奈川県川崎市(中略)桜里高校にて
対象:真人
内容:存在の否定による抹殺
【「はは」と書いていたと推測される筆跡】
※此処の文字だけ他と筆跡が異なる。
※現在は消されているが、消されてもなお分かるほどの強い筆圧で書かれている。
・手帳の記述、一部抜粋 その五
叶うことならば、謝りたい。
しかし一体何に対して謝ればいいのかもわかりません。
最初から利用するつもりで産んだ子供に、産んでごめんなどと言えばいいのでしょうか。
その謝罪はきっと、自己満足でしかない。
だからこそ、謝れませんでした。
もし私が自分の行いを間違っていると思えば、私の行いはきっと、誰からも肯定されない行いになるでしょう。そうなれば、その行いを遂行するように決められたあの子は、一体誰から肯定されるのでしょうか。
誰があの子の行いを間違っていないと言ってあげられるのでしょうか。
だからこそ、私は、自分の行いを間違っているとは認められないのです。
それがきっと、間違っていることだとしても。