52Hz21g   作:10猫

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急1

・存在する記憶

「魂ってさ、重さがあると思うかい?」

 また不思議なことを聞くなと思った。だが、彼らしい問いなのかもしれない。それは彼の術式しかり、彼の興味しかり。彼の好奇心は基本的に魂という曖昧で一般的には不可視の、けれども間違いなく存在している物に向いていることが多い。

『俗説では、21gと言われている』

「へぇ……」

 スマートフォンに打ち込んだ文字を見せれば、何かを考えるように顎に手を持っていく。21g、という言葉を何回か繰り返し呟く動作は、どうしてか母の儀式に重なって見えた。

「じゃあ、21gってどのくらい?」

 どのくらい。そう聞かれると咄嗟の返答に困る。21gというのはかなり抽象的だった。仮に一キロと聞かれていたら一リットルのペットボトル飲料と答えられる。だが21gというものを丁度表すものを即座に思い浮かべることは難しい。それに彼が根城にしているここには、重さの代わりになるものはあまりない。

 しばらく考えて、ふと、自分の財布を取り出した。小銭の多さや重たさを特に気にしない性格が幸いしたのかもしれない。目視で枚数が足りるか計算すれば、丁度必要な枚数入っていた。その硬貨たちを取り出して彼に握った手を差し出せば、掌が出される。受け皿となったそこへ落としたのは、二十一枚の一円玉だった。

『一円玉は一枚1グラムだと、どこかで聞いた』

 打ち込んだ文字を見せれば、彼は自分の掌と画面を見比べて、それからしみじみと口を開いた。

「なら、この二十一枚が魂の重さってことか」

『俗説でしかないが、そうなる』

「いや、俗説でも面白いよ。俺は魂に重さがあるなんて考えたことなかったから」

 一体どうやって測ったんだろう?と呟く彼に、俗説にまつわる情報を思い出して、スマートフォンに打ち込む。

『たしか、人は生前と死後では体重が21g軽くなると調べた人が居た』

「その消えた21gが魂だって?」

『発見した人によると、そうらしい。犬で検証した時は体重に変化は無かったそうだ』

「へぇー!」

 人間って変なこと調べるね。心の底から思っていそうな口調で掌の上の硬貨を弄んでから、こちらを見た。

「ねえ、君の魂はどのくらい軽い(・・)?」

 彼の目には、悪意は無かった。ただ純粋な興味を持って、胸の内に生じた疑問を口に出したと言わんばかりだった。

 だからそれに答えてやる為に、その掌から硬貨を取り除いて(・・・・・)いく。

 一枚。二枚。三枚。四枚。

 また一枚、また一枚と取り除くたびに、掛けて来た呪言を思い出した。

 貴方はその呪縛を持ちえない(有らず)

 貴方は生きていてはいけない(在らず)

 貴方は生きていてはいけない(在らず)

 貴女の命はここで尽きない(非ず)

 貴方を苦しめる味はしない(非ず)

 貴女は起きていてはいけない(非ず)

 貴方の術式は起動しない(非ず)

 貴方は起きていてはいけない(非ず)

 貴女の夢は醒めない(非ず)

 その効果は持ちえない(有らず)

 お前は存在してはいけない(在らず)

 貴方の命はここで尽きない(非ず)

 貴方は非術師を殺してはいけない(非ず)

 そうして掌に残された一円玉たちを握りしめて、真人はそれを額へと近づけた。

「ははっ……、軽いなぁ」

 何故だかその仕草は祈りのそれによく似ているように見えた。

 

・在りし日の手帳、その一部

「術式の対価を魂と固定し、呪言の使用回数をこれを含め21回とし、それ以上使用しない」

「手帳に記載された名前を知らないものは、姿を記憶することは出来ない」

「この手帳に記載された事項は、必ず遂行しなければならない」

「この呪言以降、当術師は呪言以外の言葉を話すことはできない」

 

2001年10月1日、■■県■■市■■町■■■総合病院西病棟■階■■■号室

対象:与……の胎内

内容:天与呪縛保持の否定による天与呪縛からの解放

(以下、省略)

 

・あらず

 ずっと、終わりを探していた。

 半分以上は惰性で生きた永遠の繰り返しを、何処かでどうにか終わらせたかった。

 

 

 私には、前世の記憶があった。その記憶によれば、私が生まれたこの世界はかつての世界では紙面上の世界だった。そしてこの世界の行末というものを私は知っていた。前世の私はその紙媒体をよく読んでいた、熱心な読者であったから。

 幸か不幸か、私には術式が宿っていた。私が前世を思い出した六歳の時に発現したその術式に、私は間違いなく喜んでいた。

 私の術式は「望んだことが実現する」というものだった。当時見かけだけは幼い子供だった私は、見かけに見合わなかったが、試しに宝くじが当たることを望んだ。そうして親に強請って私のお小遣いで買ってもらったそれは、暫く経って公表された当選番号と全く同じ数字だった。

 これは偶然か。親はラッキーだと言っていたが、私は違うと確信があった。これは間違いなく、私の術式の力。私が望んで、それが叶えられたという証明だった。

 この結果を受けて私が考えたのは、前世で何度も繰り返し読んで、台詞まで読み込んだようなあの漫画。この世界の紙面。そしてその紙面の中で命を散らしていく何人ものキャラクターたちだった。いや、もはや同じ世界で生きるのだから、キャラクターなんて呼ぶのは相応しくない。この世界で彼らは間違いなく、生きている一人の人間だった。

 であるならばこそ。生きていると認識しているのであればこそ、なおさら「救わなければ」という感情が湧いて出た。きっと自分以外の誰も知り得ないだろうこの世界の一つの結末を。彼らの人生の結末を、どうにかして変えることは出来ないかと思ってしまった。勿論、かつて読んだ紙面の登場人物に対する情でもあった。でもそれ以上に彼らが生きているという事実を噛みしめる度に、自分の胸に手を当てた時に聞こえる心臓の鼓動と同じように、彼らの心臓が鼓動を刻むのだろうと思う度に、彼らが呼吸をして生きていくのだろうと考える度に、彼らの結末を見過ごすことができないと思うようになった。

 ノブレス・オブリージュ。きっと正しい意味ではないが、「知っているのなら、それに相応しい振る舞いをするべき」だ。私の心の中は、六歳ながらに壮大な決意で満ちていた。

 最初の私は(・・・・・)、救いたい彼らに近い年齢で生まれていた。後輩として入ってくる彼らの顔を見た時、やはり彼らが生きているのだと強く感じられて、同時に自分の決意を何度も改めた。呪霊と戦うとはいえ、学生らしく青い春を謳歌する彼らを見る度に、なんとしてもあの未来たちを回避しようと思わされた。

 彼らの青い春はあまり紙面で描かれることはなかったから、彼らの過ごす貴重な時間と遭遇する度に、それを遠くで見守った。同級生だった歌姫からは、「保護者みたいな視線をしてる」とよく言われてしまうほどだった。「そんなことないよ」と答えながら、「そのとおりだ」と心の何処かで思っていた。保護者と言うよりは擁護者だと、自分で少し驕った事を考えていたりもした。あの頃の私は、自分が彼らを救うのだと、そういう思いでいっぱいだった。

 けれど私は、何一つ救えなかった。

 私という異分子の存在など何一つ問題視していないかのように、世界はあるべき未来へと突き進んでいった。

 そうしてたどり着いた結末に、私はひたすら、「どうして」という疑問を並べていた。

 どうしてこうなったのだろう。

 どうして救えなかったのだろう。

 救えるはずじゃなかったのか。

 救える術式だったはずだ。

 私が望めば、叶えられるはずだった。

 それなのに何故。

 どうして?

 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。

 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。

 ひたすら何故かを考えて、それから、自分の術式の致命的な欠陥に気づいた。

 私の術式は、「望んだことが実現する」術式だった。でもそれは「実現可能な範囲内で、望んだことが実現する」という、至極当たり前な制約がついて回る術式だった。

 宝くじが当たったのは、実現可能な事だったから。限りなくゼロに近い小数点以下とはいえ、私が宝くじに当たる可能性というのが存在するから「実現可能」だった。

 でも、可能性が存在しないなら?

 可能性が見いだせないものに、私の術式は作用してはくれなかった。

 血の海に倒れた人たちを生かしたいと思っても私がその場で彼らの命を彼岸から遠ざけられなかったのは、その瞬間の私に彼らを救う可能性が備わっていなかったから。どれだけ行かないでくれと引き留めても離れて行く彼が足を止めなかったのは、その時の私に彼を止められる可能性が残っていなかったから。どれだけ憎んで恨んで死んでほしいと願ってた奴らの息の根が止まらなかったのは、その時の私が彼らを斃せるという可能性が一つもなかったから。

 無力だった。

 限りなく無力だった。

 私には何もできないのだと、間違いなく私自身の術式に、ハッキリときっぱりと、宣告されてしまったのだ。

 

 

 自分に出来ないことは、実現できない。

 私は1%を100%にすることはできても、0%を1%にすることはできない。

 ならその0%を1%にしたのなら、私はなんでも出来るようになる。

 そう思った。そう思うしかなかった。そう思って、次の人生(・・・・)を始めた。

 一度前世の記憶を持って転生したという事実は、私に再びの転生の可能性をくれた。既に一度起こり得たことは0%ではない。例え小数点の下に無数にゼロが連なっても、その果てに1という数字があるのなら、それを私は100にすることが出来た。

 次の人生は術式を自覚した六歳の時から始まっていた。それに不満を抱いたことは無かった。むしろ好意的に受け取っていた、身体が動くのなら、やれることがたくさんあった。

 自分が天才だと思ったことは一度もない。器用な方だと思ったこともない。だから愚直に、地道に、努力を重ねるしかないのだと、最初から分かっていた。失敗の数だけ、やり直せばいい。一度や二度で成功するはずがない。何度でもやり直せる人生だと気づいた以上は、何度だってやり直していけばいい。

 自分にできることを考えた。自分に出来ないことを考えた。自分に出来ないことの方が出来ることより何倍も多かった。それでも1%でいいから、私が可能性を見出せるようになれればいい。それ以上の高望みをするつもりは無かった。その1%が既にもう、身の丈に合わない高望みであることは、十分に理解していた。

 私が彼らを救うのに必要なものは、山ほどあった。それがたった一回の人生で全て手に入るとは思わなかった。だから何度もやり直してやり直して、そうした先で、彼らを救えればいい。そう思って努力をした。血反吐を吐くような努力をした。いつだって自分の現状を甘んじないで、もっともっとと努力して見せた。

 それでも、何度だって救えなかった。何度だって同じ結末を迎えた。

 私の掌から零れ落ちたたくさんの命。袂を分かった可愛い後輩たち。やがて来る結末を知りながら何もできない自分がどれほど虚しくて、どれほど憎らしかったか。今は準備しているときだと何度自分に言い聞かせても、その間見捨てた彼らの事を思うと罪悪感で一杯になった。自己満足の罪悪感だった。それでも、知っているのに何もしない自分に対して罪の意識はやめられなかった。そしてその罪悪感を抱える度に、絶対にいつか救って見せると決意を改めた。今は無理でも、今回は無理でも、いつか。次とは言えないかもしれないけど、いつかは絶対、自分の手で救って見せる。そう思っていた。

 十回目が百回目になって、百が千になり、その頃にはもう数えるのを辞めた。何度も何度も繰り返して繰り返して、何度も何度も失敗して、何回も何回も悔しい思いをした。

 我武者羅だった。ひたすら目の前の事に打ち込む日々だった。何百回目の同級生は私を努力家だと褒めてくれたが、心の底から「そんなことない」と返した。この頃にはもう、自分が擁護する側の人間だなんて到底思えなかった。

 自分には呪術師としての才能がまるでないということを、何百回何千回と生きる中で痛感した。自分の術式が弱いことを知ってしまった。自分に出来ることはとても限られていて、その限られたものの中に、救いたい人たちを救うという事は含まれていないのだと、何度も宣告された。

 術式で無理やり底上げして使えるようになった反転術式も、他人にかけることができないから結局誰かを救うことは出来ない。

 術師としての実力が無いから、誰かの任務を肩代わりすることも出来ない。

 大事な場面に居合わせられるだけの、力もない。

 袂を分かとうとする人を踏み留められるだけの、人格がない。

 敵を斃すだけの力も無い。

 何千回と繰り返した人生で、私は結局、何一つ変わっていなかった。

 

 

 天才は、99%の努力と、1%のひらめきで生まれるという。

 では99%を持ち合わせても、1%を持ち合わせなければ、人は天才にはなれないのだろうか。天才とは言わずとも、成功者にはなれないのか。その事を体現するように、私は生きているのだろうか。

 何万と繰り返した中で拾えた1%のひらめきなど、両手の指ほどもない。人生を何回分とつぎ込んで、ようやく得ることが適ったものばかりだった。

 やめようと思ったことは何度もあった。でもやめたら全てが無駄になると思うと、もう引き返せなかった。

 何千何万と繰り返したこれが、踏み台にしてしまった何万回分の彼らが、自分の意志一つで投げ捨てられてしまうのは、酷く肩が重たくなる話だった。逃げれば楽になるどころか、逃げることを選択する瞬間が何よりも苦しい。

 逃げたら、自分の負けを認めるようなものだ。無力な自分は、結局何万回の繰り返しをしたところで、誰も救えないのだと認めるようなものだった。それだけは、認めたくなかった。何度も踏み台にしてしまった彼らのためにも、それだけは、絶対に、認められなかった。

「馨さ、五条のこと好きなの?」

「なんで……?」

 同級生である歌姫の言葉に首をかしげる。どちらも任務帰りで、この後は学生らしく教室で座学が待っていた。座学を教えるのは術師の仕事ではなく教職の資格を持つ補助監督たちだ。こういう道もあるということなのだろう。私はそれを選ぼうとは到底思えないけれど。

 私が教えてやれることなんて、なにもない。人生一回の短さが、どれだけ短いかくらいしか教えてやれない。人間が一生の内に出来ることには限界があるとか。そういう、後ろめたい希望のないことしか教えてやれない。第一何回も生きている事自体がズルだ。

「いや、よく見てるじゃん」

「ああ……別に、そんなんじゃないよ」

 好きと言われても全く身に覚えはなかったが、彼が視界に入るとたしかに視線で追っていた自覚は有る。しかしそれはそんなキレイで可愛らしい感情からではなかった。

 自分の繰り返しの回数を思うと、全てを持ち合わせた後輩がどうしようもなく羨ましくて、恨めしくて、ひたすら妬ましくて。そう思うと彼という存在が、どうしようもなく眩しいのだ。出来ないことの方が少ないと豪語出来るだけの才気に満ちた彼の存在そのものが羨ましい。そしてそんな感情を抱いてしまう自分が、どうしようもなく醜いと思う。

 何万回呪術高専に入学し、何万回と学んで、何万回と実践を積んでも、私の術師としての才能が育つことはない。最初から頭打ちされた術式なのだ。言霊を叶える呪言とはまた作用が違いすぎる。

 私が呪霊に対して消えて欲しいと願っても、私が消せるのは私の等級以下の呪霊ばかり。私が祓える可能性が存在する相手にしか、私の術式は作用してくれない。1%の壁というものをこれほどまでに高く感じたことはない。いや、1%ですら無いのか。

 小数点がどれだけ続いても1が最後についてさえいればなんとかなる術式だ。つまり私にはコンマ以下の可能性すら無いと。そういうことなんだろう。

 何万回の試行錯誤を経て、ようやく上り詰めた二級術師の世界。元々一般家庭出身で、武術や戦闘に心得が有るわけではなかった。運動神経が優れているわけでもない。だか何千回分の人生を注ぎ込んで、やっと使えるくらいになってきた。戦闘面を鍛えようとした人生は軒並み早死してばっかりだった。

 それでも、才能を持つものには敵わないのだろう。私は所詮99%を補えても1%を持ち得ない凡人でしか無かった。後輩たちを見る度にそう思う。五条はその筆頭では有るが、五条以外の後輩たちだって、私の目には才気に溢れて見えた。少なくとも自分よりもずっとずっと、才能がある。

「ただ、眩しいなぁって。それだけ」

 自分が何万回と繰り返してもたどり着けないだろう境地に、既に生まれ落ちたときから立っている彼らが、ただどうしようもなく眩しい。

 

 何万回と繰り返している内に、自分の死に対して特に何か恐怖を感じることは無くなった。自分が怪我をしても、痛みも特に分からなくなった。ただ守りたい彼らが傷つくと、自分が傷を追ったときの何倍も痛く感じた。幻の痛みではあったが、自分の無力さにひたすら胸が締め付けられた。何万回と繰り返しているのにまだ何も救えないのかと言われているような気分になった。

 繰り返し続けている内に、事件がいつ起きるかというのを覚えているようになっていた。彼らを取り巻くように発生するそれらの日付を覚えて、時刻を覚えて、それに間に合わせるように駆けつけても、何一つ救うことは出来なかった。

 トラックに跳ねられた彼女にどれだけ応急処置を施しても、私が彼女を救える可能性は0%だった。反転術式をかけようにも、「私が反転術式を使える」可能性と「私が反転術式を他人に施せる」可能性は全くの別問題だ。私がどれだけ十全に反転術式を使えるようになっても、「他人に施す」という高い壁は絶対に超えられなかった。

 それは、等級違いの呪霊と戦って重傷を負った後輩を前にしてもそうだった。救いたいと思う心に対して、私の身体は、私の技量は、私の能力は、何一つついてきてはいなかった。

 離反する彼を止めようとしても、私は彼を理解してやる事はできない。彼のように術師全体を憂うような気持ちは、正しい意味で「持ち得る者」にしかできない。きっと私のそれよりもずっと、「ノブレス・オブリージュ」なのだろう。

 私は彼に理解を示してやることも出来なければ、彼の憂いに同調することも出来ない。ただ私は、自分の都合が通らないことに地団駄を踏む小さな子どものように彼を引き止めるしか出来なかった。それで立ち止まってくれる彼ではないことは、何万回も前からわかっていたはずだった。

 何十何百何千何万と繰り返した。自分の人生を何度も使い潰して死に物狂いで努力して来た。それでもまだ、私は望む1%を手にできはしない。そもそも努力すれば手に入れられると決まっているわけではない。

 だがそれでも、どこかで報われて欲しいと願ってやまない。報われるものだと思いたい。そうでなければ、私のこれまでの人生は一体何だったのか。私が繰り返した永遠に近いような歳月は、一体何だったのか。全てが分からなくなってしまうから。

 

 術師として生きると決めてから、余り実家に近寄ることはしなくなった。それは一回目の頃からずっと変わらない、決まりのようなものだった。庇護される側から庇護する側へなることを夢見た、甘えからの決別に近かった。

 それでも救えるものは限りなく少なくて、たとえ人を救っているとしても自分が本当に救いたいと思っている人たちばかり救えなくて。結局自分が夢見たそれは夢でしかないのかもしれないと、実家をみると思い出した。

 揚々と家から高専へと住まいを移した一回目のあの自分と、心にどうしようもない淀みを抱えて実家を訪れる自分。酷い対比もあったものだった。

 何万回と繰り返す人生の中で、ふと、気付いたことがあった。私は全く同じ人生を繰り返しているつもりだったが、それはどこかで何かを起点に、ふとしたことで違う未来を辿ることがある。蝶の羽ばたきが未来を変えてしまうように、どこかで、何かが、私が失敗した前回の世界とは違う未来を引き連れてくる。

 久しぶりに実家に戻って来た私に母が渡してきたのは、小学校中学校と仲のよかった同級生の結婚式の招待状だった。書かれた送り主の名前に、前回の人生ではこんなことはなかったと思い出す。

 彼女から結婚式の招待状が来るのは、何万回と繰り返した人生の中でもそう多くは無かった。件の同級生は女性で、とても自立したタイプだった。どちらかと言うと結婚の幸せより独身でいることを楽しんでいる印象が強い。そんな人だった。彼女もそういったかつてそういった話題に花を咲かせたときは「結婚しない」と豪語していた。

 だがそんな彼女であっても、こうして何万回も同じような人生を繰り返していれば、時に結婚を選びたくなる時があってもおかしくは無かった。一体どこで彼女に心境の変化が生じるかは流石に知らないが、これもまた一つのバタフライエフェクトなのだろう。

 彼女のことを知っている母に、結婚するなんて意外だと言えば、「授かり婚なんですって」と言われる。その言葉に硬直した私を、母は「やっぱり意外よね」と笑うが、私は彼女の結婚の理由に硬直したのではなかった。

 そうだ。なぜこんな簡単なことに気づかなかったのだろう。

 無いなら作る。0を1にする。ずっとそれをやって来たじゃないか。ならばこれも、その延長に過ぎないのではないか。

 コレしかないと思った。むしろ、これ以外に方法があるのかとも思った。

 子供。

 子供を作る。

 私にとって都合の良い子供を。

 私に代わって、この世界を救ってくれる子供を。

 

 

 子供は一人では作れない。種になる男が必要だった。伴侶としての必要性は求めていない。ただ子種だけあればよかった。

 だがただの子種ではいけなかった。非術師との間に子供を設けても、どうにもならない。私の術式を継がせても意味がない。必要なのは、全てを救える力だった。方法はどんなものでもいい。どんな手段でもいい。結果的に、私が救いたい人たちを救ってくれるのであれば、それが正しい。それが正解だった。

 しかしそうなるとやはり、術式を持った子供を産まなければならないだろう。そういう考えに至るのは自明の理だった。ではどんな術式が良いだろう。

 五条家の『無下限』は確かに最強だが、全てを救うという点において運用は厳しい。おそらくは六眼だって継承させられるだろうが、そうなってくると子供は五条家に囲われる可能性が高くなった。

 直近の後輩たちの能力は、軒並み役に立ちそうになかった。強みはそれぞれたくさんあった。ただそれらが、私の目的に対して上手く利用できるかと言われると話が違った。

 結論から言うと、私が目を付けたのは呪言。狗巻家が相伝し、なおかつ捨てようとしている、先の細くなった術式だった。

 だがここで一つ問題があった。私が今子供を産んでも、生まれた子供が十全に使えるようになるまでに、幾つもの命を取りこぼすことになる。それだけはハッキリしていた。

 だから、母となる私が過去に生まれる(・・・・・・・)ことにした。

 何万回も繰り返す中、バタフライエフェクトというのは時に私の生没年にまで作用したことがある。私が本来なら後輩である彼らの同級生として生まれたこともあれば、同級生だった歌姫の先輩として生まれてきたこともあった。だからその「本来の生没よりも早く産まれる」という可能性を余すことなく使い、解釈を拡大し、ひたすら自分の誕生年月を早めた。私の母が子宝に恵まれず、四十代で私を産んでいたこともうまく可能性の中に巻き込んだ。

 「母が子宝に恵まれる」可能性。

 「バタフライエフェクトで本来の誕生日より早く産まれる」可能性。

 他にも幾つもの可能性を絡めて纏め上げて一つに撚って、私は本来よりも二十年近く早く産まれるが出来るようになった。

 本来よりも早く産まれた私は、ひたすら色々な可能性を引き寄せて手繰って、どうにか狗巻家の血を持っている男に接触することが出来るようになった。本家の人間ではない、狗巻家が自ら規模を縮小していく中で廃絶した分家の内一つの血を継いでる、一般人の男性だった。だがどれだけ本家から離れた血でも、どれだけ薄まった血でも、それが狗巻家に繋がっているのであれば、私が可能性を引き寄せられる。だから本家の人間を狙う必要は何処にもなかった。

 確率を操作できる私にとってすれば、人心の掌握なんて赤子の手を捻るようなものだ。少しでもこちらに気があるようであれば、いくらでも懐柔することが出来る。そうしてもはや骨抜きにしたと言っても過言ではない男とまぐわって、子種(かのうせい)を手に入れた。私の術式を使えば「父親の術式を相伝する」確率も「一回の性交渉で妊娠する」確率も幾らだって底上げが効いた。

 そうして手に入れた子供に全てを救わせるのには、また幾つもの障害があった。主だったものは、呪言という術式の限界だった。

 呪言は万能なものではない。強い言葉を言えば、それだけ自分に反動が返ってくる。掛ける相手の強さによって呪言の作用する度合いも変化する。そういったデメリットは、私の計画においては邪魔になる要素でしかなかった。

 だからそのデメリットを極端に作用しなくなるようにする必要があった。

 術師が一番簡単に自分の能力を底上げする方法は、命を賭けるという縛り。これを応用して、これに類する縛りを子供に設けさせることにした。それから術式の使用する回数を制限することで、さらに能力を底上げできることも発見した。

 そして私が考案した計画の中で引き起こす殺人事件で子供が捕まることの無いように、目撃者の記憶から子供の容姿に対する情報を消せるような作用を設けた。もはや因果律に関わるようなものであっても、最初に指定した対価のお陰で正常に作用することが出来た。

 ここまで来るのに、何回も自分の子供を使って研究をした。でも何回だってやり直せた。失敗したらやり直して、男を引っかけて、子供を産む。毎回やり直すたびに大人になるまで待たなければいけなかったけれど、そんなのは幾らでも待てた。これまで惰性と絶望で続けて来た繰り返しに比べればよっぽど有意義で毎回収穫があった。

 当然ながら、子供に言うことを聞かせるのは簡単じゃなかった。まあ子供なんてそんなもんだろう。だからなるべく従順になる様に育てた。呪術高専に所属してないとはいえ、武術や体術が損なわれるわけではない。子どもが術式を発現させて、縛りを結ばせたら母親としてではなく、武術の師として子供に接した。反抗したいのなら実力で示せと言いつけ、反抗する度に打ち負かした。そうしていけば次第に従順になることを理解した。子どもに対して接する正しい方法ではないと分かっていたが、今更倫理観なんてものと付き合ってはいられなかった。

 そうやって何度も子供を育てて、失敗して、またやり直して。何百と失敗を繰り返した。ただそれでも間違いなく成功に近づいている気がした。自分が救えなかった彼らを救う未来を子供が手繰り寄せる度に、終わりの気配を着々と感じていた。だから私は、何もせずに待っていればよかった。生きていくのに必要な資金を手に入れることだけを考えていればよかった。

 

 

 部屋のリビング。テーブルに置いてあった未開封の煙草を開けて、火を着ける。何万回と繰り返す中で、煙草はもはや手放せない嗜好品になっていた。何度やり直しても、何度肺が綺麗になっても、これで肺を汚した。嗜好品の一つもなければ、こんな人生やっていられなかった。

 カートンで買ったそれもこれが最後の一箱らしい。また買っておかなければ。火のついたそれを吸い、肺に落としていく。吐き出した煙と薫る香りに、そういえば私に煙草を教えたのは何千回と前の同性の後輩だったなと思い返した。今頃の彼女は、禁煙をしているんだったか。

 灰皿に煙を落としつつ、テーブルに置かれたスマートフォンを一瞥する。

 前回は、最後の最後で失敗した。あろうことか呪霊に情を入れすぎた挙句、あれほど厳重に縛った魂を奴に改造させてしまった。だからやり直した。あの呪霊が一番やっかいなのだ。私が目を付けたものと全く同じものに目をつけているせいで、やりづらい事この上ない。まあ私がそれに目をつける理由になったきっかけ自体が彼なのだから、仕方がないとは思うけれど。

 暫くしている内に咥えた煙草が短くなり、灰皿に押し潰す。次の一本を取り出そうかと机に置いたそれに手を伸ばしたとき、ふとその隣のスマートフォンが振動した。メールの着信通知だ。

 スマートフォンを手に取ってロックを解除し、閲覧したメールフォルダにあったのは、子供からの新着メールが一件。タイトルは無かった。

 

――終わった。

 

 たったその一言。それだけだった。だがそれこそが、私が永遠に待ちわびていた言葉だった。

 言葉が出なかった。送られて来たたった四文字のそれに、思わず疑問を抱いてしまう。それくらい至極、あっさりとした終わりだった。

 終わりを喜ぶつもりでいた。やっと叶ったのだと拳を握るつもりだった。

 だが、そんな感情はやってこなかった。

 私の中にあったのは、ひたすらの虚無感と、終わってしまったのだという寂寥だった。

 ……寂寥感?

 自分の考えに首を振る。終わってしまった?終わらせるべきだったことだろう。それを何故惜しんでいる。永遠の繰り返しに対して名残惜しさでも生まれてしまったのか。

 立ち上がろうとして、不意に立ち眩む。思わずテーブルに手をついて、身体を支えるも黒ずんでいく視界は止まらない。黒ずんだ視界が幻視したのは、積み上げられた無数の死体の山たちだった。

 私がやり直した回数。救えなかった回数。救うために犠牲にしてきた回数。千や万ではもう足りないほどの、繰り返しの回数。その象徴たちが、此方に笑いかけてくる。終わったね。終わってよかったね。

 無造作に積み上げられた彼らの蒼白な顔が、救えなかった彼らの死の際の表情が、不気味に、無理やりに笑んで、そうやって語り掛けてくる。嗚呼違う。こんな、こんな光景が見たかったわけじゃない。私はもっと、皆が幸せになってほしかっただけだったのに。

 たった一回、成功するために何万回と犠牲にした。それが正しいなんて分からない。これが正しいだなんて主張できない。だってもう、何が正しいかなんて私には分からない。これが正しいと思って突き進んできたわけじゃない。私はただ、一回目の結果にどうしたって満足できなかった、我が儘なだけの、どうしようもない女でしかないのに。

 私以外の誰も、誰もこの繰り返しを知覚できない。するはずがない。でも私だけは、憶えている。分かっている。知っている。この世界が、私の都合で数えるのも恐ろしいほどに繰り返してきたってことを。私だけが。我が儘だった私だけが。

 立ち眩みの暗闇が引いて無くなるころには、見える景色がまるで違っていた。永遠の繰り返しの中で色褪せていたはずの視界は、いつの間にか鮮やかな色を取り戻している。ただそれでも、自分の視界に移る自分の身体だけは、色を取り戻した世界に置いて逝かれたように灰色のままで。それはまるで、色褪せた古い写真のようで。その時自然と、自分の世界はここではないのだと悟ってしまった。

 何万回と世界とやりなおして、繰り返しても、私という人間だけは、やり直して(・・・・・)いない。皆は全て知らなかった。憶えてるはずが無かった。でも私は全てを憶えていた。だからたとえ生まれ直っていたとしても、二回目からは巻き戻って(・・・・・)いただけだった。だから何万回と繰り返しても、何万回とみんなや世界がやり直しても、私だけは、この私だけは、一回目の私でしかない。

「……嗚呼、馬鹿だ」

 吐露した言葉は、心の底からの言葉だった。

 こんなところまできて、一体誰と、喜びを分かち合いたかったのだろう。

 暗幕の裏から糸を引くようにみんなを救って、何になりたかったのだろう。

 ただ、幸せに生きててほしかった。

 その中に、自分が居たかったはずだった。

 いや違う。

 きっと、先立ってしまう彼らに、置いて逝かれたくなかっただけだ。でももう、私は遥か昔に、とっくに置いて逝かれてしまっていた。なんでそんな簡単なことに気づけなかったんだろう。私は昔から、いつもそうだった。でもやっと分かった。

 みんな待ってて。今会いに行くから。

 

・新聞記事のスクラップ

[2018年9月■■日の新聞記事]

 ■■日、東京都■■区……の近隣住民から通報が入り、警察が駆けつけたところ、住居者である廻矢馨(めぐりや かおる)さんの遺体が発見された。発見時、遺体は死後数日が経過しており、警察は現場の状況から自殺と断定。

(以下省略)

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