大人になるまで4月1日というものはエイプリルフールの楽しみばかりだったが、しかし社会染められていく過程で不安の比重のほうが余程大きくなってしまった。
それまでに上手く業務を締められるか。そして、その上で入社してくるモラトリアム期間終了直後の若者たちとの関わりには何時も悩みを抱かされる。
とはいえ、もう成人となってからもう数十は新年度に因する苦労を存分に味わってきたからには、覚悟とまではいかなくとも十分に慣れはした。
嫌でも行わなければならないなら、その後の余暇を楽しみに乗り越えるだけだ。
「ぷは」
3月末の華金に予定していた飲み。楽しみだったそれを存分に味わうことこそ、今大事にしている。
苦みに顔をしかめた過去を忘れてもう美味いだけの酒を呷りながら、私は伴にしていた部下からこんな話を聞く。
「ウチの部署にも二人入ってくるみたいっすね、先輩」
「ああ。男女一人ずつ。両方随分といいガッコウの出だ。緊張していたからかもしれないが、どちらも真面目そうだった」
「はぁ……さいですか。前まではオレみたいに中退して遊び尽くしてた人間でも問題なく入れたくらいなのに、賢そうなのからしか選ばないなんて随分とまあウチの会社も偉くなったもんで」
「それこそここ十年は合併に吸収が続いたからな……これまではそのためのマニュアルに制度更新のためにも残業が嵩むからって、新年度周りは私も憂鬱だったな」
「ですねー。まあここんところは落ち着いてますが」
「そうだな……」
別に多少奮発してもいいのだが居酒屋の雰囲気に慣れきった私達は、繁華街の飲み屋で豆をつまみながら喧騒の中で時に仕事の会話もしてしまう。
面白みのない私に、しかしヒヨコのように後をついて来てくれたこの男とももう干支一回りは関わってきたのだろうか。
若くから私よりもずっと白髪の多い部下はどうも洒落たものばかりを飲むのを好むようで、これまでオレと同じ酒を飲んでいたためしがない。
今日も、違うカクテルを三杯いただいた彼は、私にこう問った。
「そういえば、息子さんそろそろ小学上がる頃でしたっけ?」
「ああ……何だか派手な色のランドセルを欲しがってな。買ってやったらもう遊び道具にしちまってな、今朝見たらもう色んなところに傷を作ってたよ」
「微笑ましいっすねー……いやゆうくんもそんな年か……」
下手をしたら親の私より感慨深そうに呟く部下。どうもこの男は私の息子の成長を年が重なる実感としている節がある。
相手を変え続けてばかりいないで落ち着けばいいのにと思わなくもないが、そこまでは流石に押し付けられないのが現状だった。
部下が発した、ゆうというひらがな二文字。それがそのまま私の一人息子の名前だ。
母親に似たのか利発で、しかし私に似たのかブレーキの利き辛いところもあるゆうは、あまりに元気だ。
それこそ、やんちゃして友達を泣かしてしまう等当たり前。前は幼稚園を脱走してしまったと連絡があり、私が迷惑をかけた先生方に頭を下げに行ったことだってあった。
子供というものは果たして何時成長してくれるのか。それが新年度きっかりだったらありがたいのになと私は思わなくもない。
私は小学校に上がってからゆうが周りに合わせられるかどうか確信が持てず、ついこう呟いてしまう。
「あいつが小学で団体行動をやっていけるか、不安だな……」
「ぷ。先輩、お父さんしてますねー。大丈夫っすよ、ゆうくんなら!」
「そう言ってくれるのはありがたいがな」
「いや、お父さんが息子さん信じなくてどうするんすか?」
「……それもそうだな」
いくら不安でも結論としては、親として信じるだけ。
そんなのは親の当たり前なのかもしれないが、新年度を前にそれを部下に教わるというのは少々情けないか。
「ぷは」
だから、照れを誤魔化すように酒を飲み続けた私は直ぐに酩酊して迷惑そして恥の上塗りをしたようだが、あまり憶えてはいない。
そして、来る新年度。
気を新たに仏壇に線香をあげて、準備万端で万事取り組もうとしたその矢先。
「お父さん」
「なんだ?」
「今日は嘘をついてもいい日なんだよね?」
「ああ、そうだな」
「なら、僕ね……」
二人分の弁当を作っていたところにゆうが声をかけてきて。
「お父さんと一緒だから、僕寂しくないよ」
今は亡きあいつの名前で傷つき過ぎたランドセルを背に、そんなことを口にしたのだった。