そばそば短編集   作:茶蕎麦

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テーマ:流れる

 

 【流される】と【流れる】は文字とすると対して代わり映えがしないが、その実態は大きく異なるものだと僕は思っている。

 まず流されるというのは流れの中で主体を失った状態のことだと大雑把に理解していた。

 そしてその上で僕は、流れるというのは主体を忘れないまま流れに逆らわずにいるものだと解釈をしている。

 

 まあ、簡単に言えばその流れに気づいているかどうか、そればかりが僕がこの言葉達を使い分ける大きな基準なのだ。

 そして、今現在の状態を表すに適当な言葉は何かと考えると。

 

「流される、だよなぁ……はぁ」

 

 もはや急流の中で息だけを継ぐために顔を出しているだけが精々の、そんな主体足らずの状態。

 状況は目まぐるしく変わっていて、その中で変わらないものが流されていく。

 何になりたいのか、どうなれば正しいのかも分からずに僕は。

 

「うぅう……」

「ほら。手を出して」

 

 昨日まで友達だった、今日から恋人になったばかりの彼女の汚れた手を蛇口で濯ぐのだ。

 蛇口から垂れ落ちる水は黒から次第に深く赤い色を持ち、薄く広がってやがて透明に戻ることだろう。

 

「ごめんね」

「いいよ」

 

 けれども、眼の前の流れる水の中に罪の色はどこにも見当たらず、故に彼女はこの後に罰を受けずにはいられないのだった。

 

 

 

 僕には友達がそう多くもない。そしてその中から異性の友を挙げるとするならば二人くらい。

 その内の一人、本屋くらりという子とは、それこそ幼馴染と言ってもいいくらいに仲良くしている。

 

 自画像を描きやすいと当人は気に入っているまるで何時でも瞑っているかのような細目なんてもう見飽きてしまった。

 むしろ、どうにも彼女のハスキーな声色を聞かないでいると気持ちが悪くなるくらいでもあるのが、困りもの。

 とはいえ、ずっと隣に置くにはどうにも活動的すぎてついて行けない。深夜にカラオケに誘ってくるのはもう止めてほしいものだ。

 

 とはいえ好きか嫌いかで語れない存在、それこそ家族のようなくらりとは、付かず離れずのこの仲のままだと僕は思っていた。

 

「私たち、付き合っちゃおうか」

「マジ?」

 

 しかし、頬を紅くしながら酔いに流された彼女はそんなことを僕に提案する。

 あまりに自然に溢されたその言葉に僕は危うくグラスの外を伝う透明な雫のようにこっくりと、そのまま頷くところだった。

 僕は今夜はやけに薄着だなと思った相手が、今夜こそはと自分をアピールする勇気を出して、つまりそういう覚悟で来ていたかもしれないことに今更気づく。

 今日はすっぴんじゃないんだなとかほざいた先の僕を、急に強かに殴ってやりたい気持ちになった。

 

「いやでも、急だな……」

「むしろ遅いぐらいでしょ」

「そうかなあ」

 

 とはいえ、簡単に流されるのも嫌だなという子供じみた感情が、中々首を縦に振らせない。

 しかし、くらりを改めて少し見ただけでも白いうなじとか照れに口を隠すさまとかまあ、魅力的なところが多々見受けられはする。

 勿論僕にだって彼女を拒絶するようなつもりはない。相性というものがあるならば、間違いなく僕と彼女は良いことだし。

 

 とはいえ何とも付き合いきれない相手が寄せてきた一歩に困ってしまうのは、どうしようもないことだ。

 求める気持ちを上回る狼狽にてそれらしく愛を囁くことすら難しい僕は、だから誤魔化すようにこう言ってしまった。

 

「ま、取り敢えずはお試しで……」

 

 彼女の心が流されて出来ただけの、クラムボンのような儚いものでありますように。

 そんな願いを持ってしまった僕は、そもそも彼女の恋人には間違いなく足りていない。

 けれども、ここまで来ても幸せにしてあげたいとまで想えない意気地なしの僕に、くらりは目の端に涙を浮かべさえして喜ぶのだった。

 

「やったあ!」

「その喜びはどうしてだ?」

 

 請いに試しも何もないだろうと思ってしまう僕はだからこそ失礼なことを言ってしまったなと内心凹んでいたが、しかし反してくらりは有頂天に心届かせたような満面の笑み。

 深い喜びは彼女の顔面パーツ全体を線のようにさせるが、まあこれはこれで可愛いと思える僕はやはり多少なりとも彼女に惚れ込んでいて。

 

「だってあなたって誰よりも付き合い、いいもの!」

 

 そんな一時の約束を永遠と勘違いしてしまうそんな恋心だって、嫌いにはなれそうになかった。

 

 

 

 さて。このままでは僕と彼女は幸せになってしまう。流されるがままに、恋人同士として手を結び合うのが自然なのだ。

 

「センパイ。それ、格好悪いっすよ?」

「そう、だよなあ……」

 

 ただ、それを職場の後輩に聞いてみたらバツを返される。

 眼の前の瞳が零れんばかりに大きな細身の年齢一個下。

 吉田ミウというこの子は職場の後輩でありながら、僕はもう一人の異性の友と数えていた。

 

「だって、それじゃセンパイの気持ちが追いついてないっす」

「そうだなあ……」

 

 何年か前の新人教育の際一度意見ぶつかって仲が険悪になった後、ケアのためにコミュニケーションを深めたら話の合うことこの上なく。

 今も何より僕の気持ちに寄り添うような体を見せてくれるのだから困ってしまう。

 もし一等好かれている異性を挙げるならばミウなのではと思っていたくらいだから、僕も馬鹿らしい。

 だがこの意外にも自己を大事にするチワワみたいなもう一人の友だちはこう言ってくれた。

 

「流されるのは、ダメっす」

 

 僕はそれはそうだなと思う。何より愛は一方通行であっては良くないなという理性から。

 だがしかし、僕はそんな風に悩んでしまう億劫な性のために。

 

「くふふ」

 

 きっと少し首を下げれば見つけられただろう後輩の悪い悪い笑みを見逃してしまうのだった。

 

 

「ごめん。付き合えない」

「え?」

 

 僕は、流されない。流れるほうが本意だ。

 そう思い込んで独りよがりにも料理をしてくれていたくらりに話した結果。

 

「やだ」

「っ!」

 

 彼女の包丁は行き場をなくして、彼女の手首へと向かう。

 慌てて止める僕の手のひらにも赤い筋が出来、その場に沈黙が降りる。

 やがて、くらりの細い瞳の端から端から、雫が溢れていく。

 それを見ていられなかった僕は、がちゃんと刃物を手放し赤い手のひらを持って彼女に初めて遠慮なく触れたのだ。

 

「うぅう……」

「ほら。手を出して」

 

 昨日まで友達だった、今日から恋人になったばかりの彼女の汚れた手を蛇口で濯ぐのだ。

 蛇口から垂れ落ちる水は黒から次第に深く赤い色を持ち、薄く広がってやがて透明に戻ることだろう。

 

「ごめんね」

「いいよ」

 

 ごめんね。それは何に対してか。それすら分からないほど僕は馬鹿ではない。

 だから。

 

 今度こそ流れるように、こう続ける。

 

「次はこの怪我が消えるまで付き合い直してもらうから」

 

 それが本心であるのは明白で。

 

「うわあん」

 

 流れる彼女の涙がまた僕の決意の正しさを教えてくれた。

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