最強のポケモントレーナーが誰かと問われれば誰と答えるだろうか?
誰もが彼の名前を答えるだろう。
『レッド』と。
先日のレッドとシロナの激闘は、世界中に震撼を与えた。
レッドとシロナ、両者は間違いなく長い歴史の中でも最強の実力を誇っている。
その二人の戦いは、まさしく未来永劫語り継がれることになるだろう名勝負であった。
そしてそれは、レッドの勝利で幕を閉じた。
すなわち、レッドこそが、この世で最も強いということが証明されたことでもあった。
そのレッドは、初めてポケモンリーグを制覇してから三年の時を経て、晴れてチャンピオンの座についた。
全トレーナーが待ちに待ったその時がとうとうやってきたのだ。
これまでも十分に盛り上がり続けてきたポケモン界だったが、レッドがチャンピオンになったことで、それは最高潮に達する。
その影響は、カントー、ジョウトに留まらず世界中に及んだ。
名実ともにポケモン界の頂点に君臨したレッドの影響力は絶大であった。
今こそがポケモン界の革命の時であり、新時代の『原点』であると、誰もが疑わなかった。
この日もまた、レッドはチャンピオンとして数々のバトルを繰り広げ、大勢に見守られる中、その圧倒的強さを発揮した。
レッドの周りは、常に大勢の人間で埋め尽くされ、誰もが英雄にでも接するようにキラキラとした憧憬の眼差しをレッドに向けた。
「お、俺、いつかレッドさんみたいになりたいですっ!」
「きゃーっ! レッドさんかっこいい!!」
「レッドさん、あ、握手してください!」
「どうやったらレッドさんみたいに強くなれますか?」
しかし、レッドは寄ってくる人々には目もくれず、帽子を深く被り、沈黙のままにその場を悠然と去っていく。
いちいち答えるつもりはない。
ただ黙って、俺の背中を見て追ってこい。
レッドのまだ少年の、しかし誰よりも大きな背中はそう語っていた。
人々はそのあまりに大きな存在の前に、呆気にとられ、少し遅れて、その偉大な立ち振る舞いに心が震え、益々レッドに魅入られていった。
陽が沈み、真っ暗な闇が支配する頃。
その中、当のレッドは一人で項垂れながら重い足取りで、ポケモンリーグの敷地内に与えられたチャンピオン専属の居住宅へと向かっていく。
その姿には覇気が感じられず、とても今世間を賑わせている人物とは思えなかった。
ちなみにここに帰って来たのは実に一週間ぶりであった。
この一週間、チャンピオンとして各地で大勢の人間に囲まれてポケモンバトル、訓練、ポケモンバトル、訓練、ポケモンバトル、訓練……、そして稀にテレビ出演などをこなしてきた。
9割がポケモンバトルか訓練で、残りがその他という感じである。
ようやく目的地に到着したレッドは、おぼつかない動作でドアを開く。
「お帰りレッド。今日帰ってくるって聞いてたから、このブルー様がわざわざ来て、ご飯を用意してあげてたわよ。どうせあんたのことだから放っておいたら何も食べずに寝そうだしね。」
玄関で靴を脱ぎ捨てていると、どことなく機嫌の良さそうなエプロン姿のブルーがやって来て迎え入れてくれる。
ブルーには、例の依頼の件もあり、何かと都合がいいと合い鍵を渡しているので、それで部屋に入ったのだろう。
俺は、『ブルーが料理を作って待ってるとか何事!?』なんて感想が出てこないほど疲れ切っており、ぼうっとブルーを見つめる。
そんな俺の様子を訝しく思ったらしいブルーは、「……なにしてるの? 早く上がりなさいよ?」と促してくる。
そんなブルーの言葉に応えることなく、俺はその場に膝から崩れ落ち、両の手を床につく。
……ブルー様。助けてください。
ストレスで死にそうです。
いや、もう無理。まじで。
元々、人と関わるのが苦手だったのに、今や毎日毎日、大量の人に囲まれるとか地獄でしかない。
ポケモンバトルや訓練自体は、まあいい。
シロナ戦以降、俺もポケモンバトルは続けたいと思っているからだ。
もっと言うと、もう一度シロナと戦いたいと強く思っている。
その理由は、この前のバトルではシロナが本気を出し切れていなかった可能性があると見込んでいるからだ。バトル後に俺と同じように倒れてしまったこともそうだが、バトル中、シロナについては謎が多い部分があった。
バトル後、録画されていた動画を見ながら色々推測してみたが、やはり分からなかった。
……まあ、仮にシロナが本気を出し切っていたと分かったとしても、やはり俺はもう一度シロナとは戦ってみたいと思うだろうが。
というわけで何としてでもシロナとお近づきになりたく、コミュ障の俺なりに頑張って、今ではシロナとメールのやり取りを行う関係にまで発展させることができた。
ただまあ、シロナからのメールの内容はよく分からないことが多いので、やり取りに困ってしまっているのが現状なのだが……。
……と、話が少々逸れたが、要はポケモンバトルや訓練をする分には特に不満は無い。
しかしだ、だからといって俺がチャンピオンになることを了承した覚えなんてない。ちなみに気づいたら勝手にチャンピオンになってた。
チャンピオンになってしまったせいで、嫌でも人と関わる機会が多い。……いや、というか人と関わらないことなど無い。
ポケモンバトルや訓練中でも常に掃いて捨てるほどの人間が周囲にいるのだ、たまったものでは無い。
特にテレビ出演……、これがもう本当に無理。
俺は絶対出たくなかったのに、「レッドさんの素晴らしさを、より世に広めるために少しでいいのでテレビに出てください! それ以外は思う存分、ポケモンバトルしてもらっていいので!」とか、訳の分からないことを言われて有無を言わさず、テレビ出演させられたのだ。
これまでも試合後のインタビューなどではテレビに出たことはあったが、それとは訳が違う。
……くっ、今思い出しても心が抉れるようだ。
話題を振られても結局まともに答えられなかったのだ。
ちなみにその場は、周りの奴らが勝手に俺の代弁をして、聞いているこちらが羞恥で死にそうになるほど俺を褒めまくり、勝手に盛り上がっていつの間にか番組が終わっていた。
まじで何の番組だったんだよ、あれ。
しかも視聴率がかなり良かったとか何なんだよ。
大体、世の中の奴ら馬鹿すぎだろ?「レッドこそが人類の宝だ!」なんてことを大真面目な顔で言ってすり寄ってくる始末だ。
何が人類の宝(笑)だよ。
頭おかしいんじゃねえの?
あまりのストレスにレッドの心の中は負の感情で満たされ、濁流の如く愚痴が止まらない。
この一週間は本当に精神がすり減る毎日だった。
何度ピカチュウに辺り一面を焼け野原に変えるよう指示しようか迷ったことか……。
これなら、まだシロガネ山の方が……、いや、あっちはあっちでもう嫌だな。
「何よ急に。いいじゃない、ちゃんとテレビ見てたけどレッド輝いていたわよ?」
……本気で言っているならまた泣かすぞ。
そんな想いを込めてジロリとブルーを睨むとブルーはプルプルと震えだし、やがて我慢の限界とばかりに笑い出した。
「……ふ、ふふ、あは、あっはっは! だ、だって、あんた、あんな顔真っ青にして、何答えたらいいか分からなくて困ってるんだもん。私テレビ見ながら笑っちゃったわよ。しかも他の人たちはそれに気づいてなくて勝手に盛り上がっていくし、ふふふ、あーおっかしい」
……もういい。
このままベッドに直行して泣いて寝るとする。
「ふふ……、はいはい、ごめんごめん。まああんたが、今の状況に耐えられるわけないわよね? 昔から一人でポケモンとばっかり接してきたもんね。」
……分かってるなら、冗談でもやめてくれ。
そんな俺の言葉にブルーは、それまでのふざけた雰囲気を引っ込めると真剣な表情を浮かべる。
「ま、ちょうどいいわ。シロナ戦の前にもちらっと言ったけど、今後あんたが静かに暮らせるかもしれない可能性が見つかったのよ。それについて夕食を摂りながら説明するわ」
そう言えば、そんなこと言ってたな。最近忙し過ぎて忘れていた。
ブルーはブルーで一応俺のことを考えてくれていたらしい。まあそういう契約だからか。
……本当、結局最後に何を要求されるか不明のままだから怖いんだよな。と言いつつも、今の状況を打破できるならなんでもいいやと思えてしまう。
その後、俺は約束通りブルーからその可能性とやらについて説明を受けることになった。
……ミュウ?
ブルーの口から発せられた予想外の単語に思わずそう聞き返してしまう。
「そうよ、ミュウ。レッドも聞いたことあるでしょう? すべてのポケモンの先祖とされる伝説のポケモンよ」
勿論知っている。というか知らないトレーナーの方が少ないだろう。けど、ミュウは目撃情報もなく絶滅したって聞いていたけど?
「まあ、聞きなさいよ。私が三年前から伝説のポケモンをずっと追いかけてきたのは知っているでしょう?」
そりゃあな。ブルーは俺やグリーン以上にポケモン図鑑の完成を夢見てたからな。
この前、シロナにも伝説の三鳥について必死に情報を聞いていたらしい。
ちなみに伝説のポケモンというのは、おおよそ人が寄り付かない地に住み着き、大勢の人の前には姿を見せることもほとんどない。
だからこそ、伝説のポケモン達に出会える可能性を少しでも高めるために、ブルーは自分自身が有名になって周りに人が寄ってくるのを防ぐために、テレビ放送などのメディアに一切顔出ししないという徹底ぶりだ。
これがかつて俺やグリーンと同等の実力を持ちながらもブルーが世間からの知名度が全く無い理由になっていたりする。
本当、俺もそんな器用なことができるようになりたかったよ。気づいたら有名になってたしな……。
「当然私はミュウについても調べていたんだけど、最近ミュウと思われるポケモンの目撃情報が出てきたのよ」
まじで!?
それ大発見じゃん!
完全に幻のポケモンと思われていたミュウが存在すると分かれば世界中が衝撃を受けるだろう。現に俺も興奮してしまっている。
……ん? でもそのミュウと俺が平穏に暮らすことに何の関係があるんだ?
「ミュウは、全てのポケモン達の先祖と言われているっているのはさっき言ったわよね? 当然だけど、ミュウはとてつもない力を秘めているとされているわ。ミュウはあらゆる技を覚えるとされているけど、同時に強力なエスパー使いのポケモンであるわ。そして文献によれば、ミュウはその身を守るために人間の記憶さえ操ることがあったと記述にあったのよ」
……つまり、ミュウの力で周りの人間の記憶をいじって俺が平穏に暮らせるようにするってこと? そんなことできるのか?
「正直分からないわ。だから言ったでしょう、あくまで可能性よ。でも、あのミュウよ? できたって不思議じゃないでしょう?」
……ううむ、まあそう言われてしまえばそれまでだが。
まあ、賭けてみる価値は十分にあるだろう。それに個人的にミュウに会ってみたい気持ちもある。
「じゃあ、決まりね。とりあえずその方針で動きましょう」
そう言えば、そのミュウが目撃されたのってどこなんだ?
「ハナダの洞窟よ。……といっても正直確証のある情報ってわけじゃないのよね。だからとりあえず私が一人で行ってみて、様子を見てこようと思うわ。本当にミュウがいて捕獲できそうだったらするわ。ミュウがいなかったり、捕獲が難しそうだったら、また協力を仰ぎに戻ってくるわ。まあミュウは穏やかな性格の持ち主だって言われているから大丈夫でしょう」
ハナダの洞窟……か。
あそこは確か、シロガネ山にも匹敵するほど強力な野生のポケモン達がいたはずだ。まあブルーなら心配ないと思うが。
ていうか俺も行きたいなぁ……。早くミュウに会ってみたいし、何よりこんな地獄から抜け出したい。
「あんたは、チャンピオンとしてすることが沢山あるでしょう。……そんな時間はかけないから、ちょっとくらい辛抱してなさいよ。」
……はい。
何はともあれ、僅かな希望の光が見えてきて、何とか俺の精神も崩壊せずに耐えられそうだ。
前の時もそうだが、なんやかんやブルーには助けられてばかりだな……。
ていうか俺、ブルーがいなかったらまじでどうなってたんだろうな……。
そんなことを考えながらぼうっとブルーを見つめる。
知ってたけど、やっぱりこうして見るとブルーって可愛いよな……。
「……何ジロジロ見てるのよ?」
ジト目でブルーにそう言われ、俺は正気に戻ると慌てて食事を口にかきこんだ。
ブルーは「……何なのよ」と不思議そうにそう言うとブルーもそのまま食事を続けた。
ちなみにブルーが作ったという料理は全部美味かった。味もさることながら全部俺の好物だったというのも大きかった。
うまい食事と希望が見えたことで多少心に余裕が戻った俺は、ベッドに横たわる。
色々と疲れていたこともあり、徐々に眠気が全身を包んでくる。
……そう言えば、今日もコトネを見つけることができなかったな。
結局コトネとは、以前ブルーとコトネが揉めてからまともに喋ることができていなかった。
コトネにも色々と協力してもらったからどこかでお礼しなくちゃと思いながら、毎日探しているのだが見つけることはできなかった。ポケモンリーグの関係者の人間も把握していないらしい。
……まあ、明日また探してみるか。
そう思いつつ、下りてくる瞼に逆らえずそのまま夢の世界へと旅立った。
俺の家に泊まっていったブルーは、次の日の朝一で早速、ハナダの洞窟に向かうべく出発していった。
そして俺もまた、チャンピオンとしての役割を果たすため、家を出る。
お腹が痛いって言って休めないだろうか?
……さて、ハナダの洞窟に行く前にハナダシティで情報収集ね。
早速、単身でハナダシティにやって来たブルー。
ハナダの洞窟でミュウの目撃情報があったとはいえ、信憑性に欠ける情報であることに違いはない。ハナダの洞窟が近くにあるハナダシティなら何か新たな情報があるかもと寄ってみたのだ。
しかし、すぐに様子がおかしいことに気付く。
……何よこれ。誰もいないじゃない。
いや、それよりも――。
ハナダシティは、本来美しい清流が流れる川に囲まれた景観の良い街である。私もかつては、この町に来たことがある為、その景色はよく覚えている。
しかし、記憶にあるハナダシティはそこにはなかった。
まるで何かに襲われたかのように建物はあちこちが破壊されていた。
何事かと思い、町中を歩いていると人影を見つけた。
近づいてみると、それは以前にもジムリーダーのバッジを賭けて戦い、そして最近もレッドの訓練にも協力してもらっていたカスミであった。
カスミは、怪我人とおぼしき住民に肩を貸し、介抱しているところのようだ。
「ちょっと、これどうなってるの?」
「っ!? ……あなたはブルー、ね。どうしてここに?」
最近までポケモンリーグでレッドの訓練中に顔を合わせていたこともあり、向こうもすぐにこちらの正体に気付いたようだ。
カスミはほっとしたように胸を撫でおろすが、その表情は暗く疲労の色が隠しきれていない。
普段、明るくお転婆といった表現が似合うカスミだったが、その面影は感じられなかった。
「それで、この町の有様はどういうこと? 何があったのよ?」
「それは――」
カスミに協力し怪我人を保護した後、改めてカスミから事情を聞く。
どうもつい最近、ハナダの洞窟の方から、強力なポケモンが町にやってくる事件がちらほらあったらしい。
しかし以前からもそういった事件はたまにあったし、最初は特に気に留めていなかったらしい。しかし、その頻度はどんどんと増していったようだ。
そして、とうとう今日に大量の野生のポケモン達がこのハナダシティを襲ったようだ。
カスミを含め、実力のあるトレーナーもいたが、ハナダの洞窟のポケモン達は一体一体がとても強い。さらにその圧倒的数を前に成す術は無かったようだ。
「野生のポケモン達が、集団で人に襲い掛かる……。そんなことが……」
ブルーも伝説のポケモンを追い求め様々な街を巡ったがそんな話は聞いたことがなかった。
基本的にポケモン達は群れることはしない。同属のポケモンであればその限りではないが、カスミの話では多種のポケモン達がまるで統制のとれた軍隊のようにこの町を襲ったらしい。
「それだけじゃないの。……なんというかポケモン達は理性を失っているようで、正気じゃない様子だったのよね。後、たまにハナダの洞窟には修行がてら行くんだけど、ポケモン達が私の記憶にあるよりも随分強くなっているみたいなのよね。」
「……ふーん。色々と分からないことが多いわね」
しかし、ここまで話を聞いてブルーはほぼ確信していた。
……これは間違いないわね。
ハナダの洞窟、そこに確実にミュウがいる。
こんな不可思議だらけの現象も、後ろに伝説のポケモンが控えていたとしたら納得ができる。
伝説のポケモンというのは、人々の考えも及ばないような力を持っているものだ。
気になることがあるとすれば、穏やかな性格を持つはずのミュウがこんな破壊行為を行うとは考えにくいことだ。
もしかしてミュウじゃないのかもしれないわね。
……まあ、それもこれも全部ハナダの洞窟に行けば分かる事よね。
でも流石に情報に不明点が多すぎる。いくら私でも危険な可能性がある。ここは一度戻って作戦を考えるべきだろう。
……いや。
普段のブルーなら間違いなく、一旦引いただろう。
しかし、ブルーはそうしなかった。
ちょっと、面倒なことになっているぽいけど、あのお馬鹿の抱えている問題を早く解決させないといけないからね。
……レッドももう限界のようだしね。
それにうまくいけば流石のレッドも私の事を意識するわよね、きっと。
ポケモンが大好きで根暗な幼馴染の顔を思い浮かべ、僅かに微笑みを浮かべる。
ブルーは、カスミに別れを告げ、そのまま単身でハナダの洞窟に向かった。
……ちっ、本当に強いわね。
ハナダの洞窟にやって来たブルーは、思わず舌打ちをする。
おおよその野生のポケモン達の強さも予測していたが、それを上回る強さを誇っていた。
ただ、話にあったように今は集団で動いているわけでは無さそうだ。洞窟に入った瞬間、野生のポケモン達が集団で待ち構えていたら即逃げるつもりだったが杞憂に終わった。
しかし、カスミの言う通り、ここにいるポケモン達はどれも理性を失っているようだった。
……というより、何かに操られているっていう感じだけど。やっぱりミュウの仕業ということかしら?
ブルーは予想以上の野生のポケモン達の強さに苦戦するも、トレーナーとしてトップクラスの実力を持つブルーは問題なく着実に洞窟の奥へと進んでいく。
……ここが最深部かしら?
多少消耗しつつもブルーは、そう時間をかけることなく洞窟の最深部へと到達することができた。
そこは、ちょっとした広間のようになっていた。天井も高く、ポケモンスタジアムのようであった。
辺りへの警戒を解かず、一歩ずつ進んでいく。
「っ!?」
先の方に何かの影が見え、身構えるブルー。
目を凝らし、その姿を確認する。
「――あんたはっ!?」
そこにいた『人物』にブルーは驚愕する。
「……どうして『コトネ』がこんな所にいるのよ?」
ブルーが睨む先には、ついこの前まで嫌と言うほど見ていたコトネの姿があった。
確かに最近姿を見せないと思っていたが、こんなところにいるとは……。
しかし様子が変だ。
コトネの瞳からは光が消えており、無表情でこちらを見据えている。
……この表情、ここの野生のポケモン達と同じだ。
「……ふんっ、何か言ったらどうなの?」
ブルーの挑発的な言葉にコトネは、答えることなく代わりに腰からモンスターボールを取り出すと、それを投げつけてきた。
これが意味することはポケモントレーナーであれば誰でも理解できる。
今、ブルーはポケモンバトルを仕掛けられたのだ。
「あはは、何するのかと思いきや、この前のリベンジでもするつもり? あんたの大好きなレッドはここにはいないわよ?」
しかし、コトネは答えない。
逆に早くポケモンを出せと促すように、光が消えた瞳でじっとこちらを見つめてくる。
「……ったく、意味が分からないことだらけね。ええ、いいわよ。また以前のように負かしてあげるわ。」
ブルーは強気な姿勢を崩さないものの、その額から冷や汗が吹き出していた。
……まずいわね。この前はコトネの心を揺らして勝ったけど、今のコトネにはそれが通用するようには見えない。それにこっちはここに来るまでに消耗している。
この条件で私がコトネに勝つ可能性は……。
これがただ町中で勝負を仕掛けられたのなら問題は無い(不快ではあるが)。
しかし今は状況が状況だ。コトネは、ミュウに操られていると見て間違いないだろう。
つまり、ここでコトネに負けるということは、私もコトネのように操られてしまうということになる。
……流石にここは引くべきね。
ブルーは素早くそう判断するとモンスターボールからサーナイトを繰り出し、そのまま続けて指示を出す。
「サーナイト! テレポートよ!」
ブルーとて何も無策でここにやって来たわけではない。こういった不測の事態に備えて、テレポート持ちのポケモンもしっかり用意していた。
しかし、頼みの綱のテレポートはいつまで経っても発動しない。サーナイト自身もなぜ技が発動しないのか分からないようでオロオロしている。
嘘でしょう!? どうして!?
あり得ない現象に一気に焦りがブルーを襲う。
……く、なら、自力で逃げるだけよ。いくらコトネが相手でも逃げに徹すれば十分に可能よ。
苦し気に心の中で自分自身をそう鼓舞し、後ろを振り返る。
そして今度こそブルーは絶望する。
いつの間にかブルーの背後には、大量の野生のポケモンが隙間なく詰めかけていたのだ。
無数の虚ろな目がにこちらを見つめていた。
しかし、襲い掛かってくることはなく、あくまで私を逃がさないようにしているようだ。
コトネの攻撃を凌ぎつつあれを突破するなんて絶対に不可能だ。
そして仮にここでコトネに勝てたとしても、その時の私には、最早周りにいる野生のポケモン達に勝つ体力は残されていないだろう。
ようやくブルーは、もうどうにもならない詰みの局面に追い込まれていたことに気付く。
……レッド
ブルーは、年相応のか弱い少女のように震えながら小さな声でそう呟いた。
ハナダの洞窟で異変が起こる少し前。
コトネは、レッドとシロナの戦いを見届けた後、誰に告げることなく、すぐにここハナダの洞窟にやって来ていた。
目的は、ここで修行をするためだ。
連日、コトネは己の限界を超えるべくここで修行を行った。
それは凄まじいもので、かつてのシロガネ山でのレッドやシロナにも引けを取らないほどの勢いで襲い掛かってくるポケモン達を次々に屠っていく。
……私がもっと強くなればレッドさんは私を見てくれる。
コトネのこの異様なまでのモチベーションはこれが全てだった。
コトネの頭には、ブルーの姿が思い浮かぶ。
まるでレッドと長年寄り添った妻のように振舞うブルーの姿が。
本来なら、レッドの隣にいるのは私のはずだった。
どうしてこうなったの?
いや、それは分かっている。
私がブルーとの戦いに敗れてしまったからだ。
あの時は、私の実力が足りていなかった。
あそこから全てがおかしくなった。
最近ではブルー以外の女もレッドの近くに寄ってきている始末。
だが私が弱いことが原因なら解決法は簡単。
私が強くなって、レッドさんの隣を力づくで勝ち取れば良いのだ。
待っていて下さい。レッドさん。
すぐにあなたの元へと戻りますので。
……ふぅ、でもここのポケモン達はシロガネ山のポケモン達に比べると少し……いや、かなり弱いかな。
元々、シロガネ山とハナダの洞窟のポケモン達は同じくらいの強さと聞いていたが、情報が間違っていたらしい。シロガネ山のポケモン達の強さはもっと精錬されたものだった。
今からでもシロガネ山の方に修行場所を変えた方がいいかな、そう思った時だった。
……ほう?
人間の娘にしては中々どうしてやるではないか。
「……誰!?」
突然のことに心臓が跳ね上がる。
こんなハナダの洞窟の最深部で声が聞こえてきたという事も驚いたことの要因の一つではあるが、驚くべきことは他にあった。
その声が、耳にではなく私の脳内に直接響いてきたのだ。こんな経験は初めてだ。
キョロキョロとあたりを見渡すも、周りには影も形も無い。
しかし、異様な雰囲気が辺りを満たしており、確実に何かがそこにいるのは、間違いなかった。
コトネはモンスターボールからメガニウムを繰り出し、臨戦態勢を取る。
……ん?
……くく、これは面白い。
お前は力を欲しているのか?
なら私がそれを叶えてやろう。
脳内に響くその声は、私の中にすぅっと入り込んでくる。
それが形容しがたい気味の悪さを感じさせ、本能が警鐘を鳴らしてくる。
次の瞬間、経験したことの無いほどの激痛が頭に走る。
「あああっ!!??」
あまりの痛みに絶叫し、その場に倒れてしまう。
そして痛みと共に、私の頭にある記憶と意識がどんどんと遠のいていくような感じがした。
……や、やめ、て。
しかしそんな私の抵抗は虚しく、どんどんと意識を支配されていく。
メガニウムもコトネの突然の様子に急いで傍に駆け寄るが、どうすればいいのか分からず何もできない。
薄れゆく意識の中、私は前方に気配を感じ、力を振り絞って視線を前にやった。
それは人間ではなかった。
ポケモンかどうかも分からない。
その何かは、しっかりとした二足歩行でこちらにゆっくりと近づいて来る。
これまで感じたことのないほどの邪悪な力を感じた。
ここで屈しては、完全に自分が自分で無くなると確信する。
「……っ、ハードプラントよっ!!」
意識が無くなる寸前、激痛に耐えながら最後の力を振り絞り、メガニウムに指示を出す。
メガニウムもコトネの意志の強さを受け取ったように、渾身の力を込め、ハードプラントを発動させる。
大地から無数の大樹が生み出され、凄まじい速度でもって目の前にいる何かに激突する。
その大きすぎる衝撃は周囲に拡散され、このハナダの洞窟を揺らした。
メガニウムはコトネの切り札であり、かつてのシロガネ山でレッドのポケモンを何度も追い詰めたほどの実力を持つ。
そのメガニウムが繰り出した草技最強の大技。
それをまともに食らっては、どんなポケモンでもただで済むわけが無かった。
……なるほど。いい技だ。
お前のことが気に入ったぞ、小娘?
しかし、謎の何者かは、なんでもなかったようにそう言うと、力を込める。
そのままコトネの意識は完全な暗闇に包まれた。