魔界には決して朝が訪れない闇の世界がある。
そこは、不気味な赤い月が輝く夜の世界だった。
ブラゴは久方ぶりに闇の世界に戻ってきた。
この地に二度と還らぬと心に誓って、孤独の身となっていたが、いざこの地に戻って来ると、なつかしさが身に染みた。
ブラゴは闇夜の森を黙々進んだ。
その道中、周囲の木々のいくつかが語り掛けて来た。
「ブラゴ、貴様、どの面を下げて戻ってきた?」
ブラゴは木の悪魔をにらみつけた。
その木の立派な幹には、真っ赤な鋭い目と牙を模した大きな口が浮かび上がっていた。
「一族の端。愚か者。貴様からはそれ以外の称号は見つからない」
「……」
「戒められていた王を決める戦いに参加したそうだな。そして、無様にベルのいかずちに撃たれた。クククク、弱き者のみじめな最期にふさわしい」
「ふん」
ブラゴは特にムキになることなく澄ました顔で歩きだした。
周囲の木はいずれも真っ赤な目をつけていて、ブラゴがやってくると、みな一様に笑い出した。
「力を求め外へ逃げ出した負け犬がのこのこと戻ってきおったか。今になってバベルガ様のお力にすがろうというのか?」
「出ていけ、貴様はもう兄弟ではない。去るんだ」
ある木の悪魔から、弦が伸びてきて、ブラゴにからみついた。
その力は強大で、ブラゴを掴めると、ゆうゆうと持ち上げた。そして、強い力でブラゴを締め付けた。
だが、ブラゴは表情1つ変えることなく澄ました顔をしていた。
「バベルガ様の怒りだ。預言者として選ばれておきながら、その慈悲に背いた者。闇の魔力に押しつぶされるがいい」
「闇の力か……」
ブラゴを締め付けるその力はかなりの強さだった。ブラゴは自分を捉えている弦の一部を握り締めた。
「そのような力、何も役に立たなかった。こんな力は何ももたらさん」
ブラゴはその身にたくわえられていた力を解放した。
すると、ブラゴを捉えていた弦は一瞬にして引きちぎられた。
「おおおおおお、な、なんだこの力は……」
木の悪魔がうめき声をあげた。
ブラゴは着地すると、その悪魔を見つめた。
「これは闇の力ではない……不快なオーラを感じる。貴様、人間界で何を身に着けた?」
「クリスチャンだ」
「なに?」
「アーメン」
ブラゴは空中に十字架を刻むと、何事もなかったように歩きだした。
やがて、森を抜け、巨大な石像が並ぶ不穏な空気が漂う街にやってきた。
ブラゴは石像の1つを見上げた。
「シェリーが来ているのか」
ブラゴは闇の化身から言葉を授かる特別な力を持っていた。石像を介して、ブラゴはシェリーがここに来ていることを悟った。
「シェリーを生贄に……ふん、悪趣味なくそジジイが」
ブラゴはそう言うと、町を歩いて行った。
周囲には不気味な赤い目をした狼が徘徊していて、通り過ぎるブラゴに敵愾心をぶつけた。
それでも、ブラゴは動じることなくまっすぐ堂々と歩いた。
ブラゴのもとに一人の魔物が舞い降りて来た。
漆黒の翼を持つどこかブラゴに似た風格を持つ魔物だった。
その魔物はブラゴよりも一回り大きかった。
ブラゴはその魔物を見ると、舌打ちした。
「不肖の帰還。ニューボルツ様の予言の通りだ。帰ってくる日を待っていたぞ」
その魔物はそう言うと、口元を緩めた。とてつもない力を秘めていた。
「翼はデーモンにとって高貴の証。その翼を失ってまで一族と決別し、何を得た?」
「……」
「それは後悔か? 未練か? 劣等感か。憎悪か。嘆きか?」
ブラゴは答えなかったが、ブラゴの目は何かを語っていた。
ブラゴの目を見たデーモンの魔物はうなずいた。
「そのいずれでもないようだな。クククク」
「そこをどけ」
ブラゴは小さくそう言うと、歩きだした。
そんなブラゴに対して、デーモンは手を前に突き出した。
そこからは強大な闇の力が生まれた。
その力がブラゴを地面に叩きつけた。
「この地に異教徒の女が一人紛れ込んだ。見たところ、どうも人間のようであった。不快になるほど我々の対極の光を心に持っていた。まさかとは思うが、貴様の得たものはその光か?」
「……」
ブラゴは自分を押しつぶそうとする強大な闇の力を、力ずくではねのけるのではなく、特別な力を使って消し去った。
「人間は不吉の象徴。ましてや、おぞましい光を持つ者。生かしておくわけにはいかぬ」
「……」
ブラゴは立ち上がると、再びデーモンをにらみつけた。
「だが、殺してしまってはその光の呪いにより、我ら一族は長きに渡り呪われる。それほどに不吉な光を持つ女だ。そこで、バベルガ様への生贄とし、腐れ縁なく粛清する必要がある。だが、問題が1つ起きた」
デーモンは敵意を消沈させた。
「バベルガ様はブラゴ、貴様との対話を望まれた。貴様が預言者として必要になったのだ」
「ふん、ならばそこをどけ。貴様には聞けぬ言葉なのだろう」
「……」
デーモンは闇の翼をはためかせると、ブラゴのために道を開けた。
ブラゴは何事もなかったように歩を進めた。
ブラゴの先には真っ赤な月がゆらゆらと揺れていた。
◇◇◇
ブラゴはバベルガの神殿を訪れた。4444段の果てしないほど長い階段の先に神殿はあり、選ばれた者しかその道を歩むことはできない。
ブラゴはその階段を1つ1つ上って行ったので、神殿にたどり着くまでにはかなりの時間がかかった。
神殿の前には2体のデーモンが待ち構えていた。
「来たか、ブラゴ。八つ裂きにしてやりたいが、バベルガ様が貴様を待っておられる。ゆくがいい」
「……」
ブラゴはデーモンの間を通って神殿の先を進んだ。
神殿では、たくさんのデーモンが地面にひれ伏して、目の前に祀られているバベルガの石像に祈りを捧げていた。
ブラゴはその光景を滑稽なものを見るような目で見ながら、バベルガの石像の前までやってきた。
見上げた先には、巨大な髑髏の石像があった。
モアイ像のように大きな石像で、それは不気味な骸骨の形をしていた。不気味だが、どこか知性と神聖さを感じさせた。
ブラゴがやってくると、その石像の目に赤い光がこもった。
バベルガはしゃべり始めた。
「おおおおおおおおお、我が息子よ、よく戻ってきた。よくぞ……我はこの時を待ち焦がれていたぞ……」
「御託をぬかすな、くそジジイ。シェリーはどこだ?」
「シェリー……そうか、あの光はシェリーというのか。我が……我が愛しのレミニカと同じ光を持つ者……」
バベルガは涙声でうめき声をあげた。
「我が息子よ、聞くのだ」
「……」
「遠き遠き過去、はるかなる太古の昔。私はレミニカを慈しみ愛した。レミニカは私の知らない光に満ち溢れていたのだ。私のさび付いた闇を癒してくれた。だが……クリアセウノウスは私の美しき恋心を否定した。私の体と心と魂と翼は引き裂かれてしまった。二度と愛する者のぬくもりを感じることもできなくなってしまった」
「なげえぞ、くそジジイ。さっさとシェリーがどこにいるか教えろ」
「バベルガの奈落。そう、この世で最も深い地底に落とした」
「……」
「かつて、その地底から抜け出すことができたのはバオウだけ。私はシェリーをそのような地底へ幽閉した。あの光が地上に届かぬようにとな」
そして、バベルガは問いかけた。
「我が息子よ、あの光は一族を分断する悪しき光となる。すべての秩序が断ち切られる。我がかつてレミニカの光によってそうなったようにな。だから、こうするほかなかったのだ。許せ、我が息子よ」
「ふん、それだけ聞けば十分だ」
ブラゴはそう言うと、バベルガに背中を向けた。
「待て、我が息子よ」
「……」
「バベルガの奈落に向かうというのか?」
「どこへ行こうとおれの自由だ」
「息子よ、闇の翼を失ったいま、奈落から抜け出す手はない。あきらめるのだ」
「ふん、奈落で生涯を終えるのも悪くない。バカどもの戯言を聞かなくて済むのだからな」
ブラゴはそう言うと歩きだした。ブラゴの行く先はすでに決まっていた。もう誰もブラゴを止めることはできなかった。
「そうか……止めることができぬか……レミニカ、それが恋心というものだったのか? 今の私には理解できぬことだが、私もかつてそうだったのか……」
バベルガはそのようにつぶやきながら、やがてその目から赤い光が消えていき、もとの石像へと戻った。