世界はかつて1つだった。
そこには魔物と人間が暮らしていた。
魔物と人間は厳しい秩序のもと管理されて暮らしていた。
魔物は恵まれ、人間は奴隷のように生活することを余儀なくされていた。
それは神から啓示を受けたという天使の一族が取り決めたルールだった。
大天使の頂点に立つクリアセウノウスは人間を奴隷にし、魔物に従わせるように世界の秩序を作り上げた。
それに異を唱えたのは、クリアセウノウスと並び立つ大天使バオウだった。
バオウは天使の秩序に意見した。
バオウは美しい翼を持つ雷の天使であった。
美しい顔立ちに切れ長の目が映える好青年であり、バオウは歳を重ねるにつれ、天使の秩序に疑問をいだくようになっていた。
「なぜ、人間というだけでこのような劣悪な環境で生きることを余儀なくされるのか?」
バオウはそのことを疑問に思い、ある時期を境に天使の秩序に背くようになった。
バオウは人間の世界に降り立ち、貧しい人たちのために尽くし始めた。これは天使の秩序の禁に触れることだった。
しかし、バオウは人間のために尽くすことを決めた。
とある老人がバオウに尋ねた。
「どうしてあなたはこのように弱い人間たちのために尽くしてくださるのですか? 私たちに力はありません。私たちには何もすることはできないのです」
「力のある者だけが生き残る。それが正しいとは思わないのです。考えてもみてください。私たち天使も神にとっては取るに足らない存在。神は私たちのように弱い天使を生かしているのです。ならば、私たち天使も神が我々を生かした理由を知るため、人間と手を合わせる必要があるはず」
「なるほど、あなたは叡智溢れる天使だ。しかし、私たちを助けていると知れれば、あなたは追放されてしまいます」
「そのときは、戦うつもりです」
バオウは鋭い視線を天に向けた。
人間に救いの手を差し伸べたバオウはある人間の少女に恋をするようになった。
その少女は病気の身であり、長くは生きられない存在だった。
弱い人間族の中でも、ひときわ弱い存在であり、人間の世界の中でも差別され、「不吉な存在」として排除されてしまった。
バオウはその少女を楽園へと導いた。
「すまない。私の力では君を助けることはできそうもない。クリアセウノウスの力があれば君の病気を治すことができるかもしれないが……」
バオウは苦い顔をした。天使に背いている以上、クリアセウノウスの力を借りることはできなかった。
「いいえ、十分です。あなたは私にとても美しい景色を見せてくださいました。それだけで、私はこの地に生まれたかいがありました」
少女はうつろな目の中に穏やかな表情を込めて、バオウを見つめた。
「この世界にはもっと美しいものがある。だから、まだ目を閉じてはいけない」
バオウは少女の手を握り締めた。
「ありがとう、優しい天使さん。でも私は世界で一番美しいものを見ることができました」
「……」
バオウはどうしても少女を助けたかった。
だから、バオウはクリアセウノウスにすべてを打ち明けることにした。
しかし、天使に「愛」という感情は理解できなかった。
神の啓示がすべて、法と秩序こそがすべてという天使たちにとって、バオウの切な思いはただの反逆の態度にしか映らなかった。
「あなたは禁を犯したようですね。もはや天界にとどまる資格なし」
クリアセウノウスはためらいもなくそう言った。
「なぜわからない? 人間は私たちにとって大切なことを教えてくれる。人間は私たちが知らなければならない真に大切なものを持っているんだ」
「消えなさい、バオウ」
クリアセウノウスは翼を広げると、消滅の力を解放した。
「上等だ。ならば、お前を打ち倒し、お前のその力をこの手に収めてみせる」
バオウの表情は天使のものではなく、人間特有のものに染まっていた。
大天使の戦いは死闘の末に決着することになる。
クリアセウノウスの力が勝り、バオウの美しい翼は完全にかき消された。
バオウをまとっていた雷は消え去り、バオウは落下した。
「地獄の底でその罪を償うがいい」
バオウはクリアセウノウスのその言葉を聞きながら手を伸ばした。
しかし、バオウは完全に飛行能力を失っており、落下を止めることができなかった。
落下の途中、バオウは涙を流した。
涙。
天使には存在しない概念。
バオウが流した涙は人間から学んだものだった。
誰かを愛する感情。それがバオウに涙をもたらしていた。
しかし、涙に交じっているのはそれだけではない。
未練、憎しみもまた涙にこもっていた。
バオウの瞳に少女の姿が映った。
助けられなかった。
クリアセウノウスのせい?
己が無力だったから?
でもいつか……あの子に……自分の思いを……。
さまざまな感情を残したまま、バオウは地の底の底へと消え去っていった。