不起訴が確定し、細川は今日付けで釈放されることが決まった。
細川は1年前に起こった謎の宝石店襲撃事件の犯人として自首したのだが、証拠不十分ということで検察は起訴を見送った。
宝石店襲撃事件は同年に生じた不可解な事件の1つであり、モチノキ市の宝石店が巨大な氷による襲撃を受けたというものだ。
総額1億円近くの宝石が盗まれるという衝撃的な事件だった。
警察はこの不可解な事件の解決に手を焼いていたが、突然細川という男が自首してきた。
細川は犯人は自分一人だけであると訴え、盗んだ宝石のうち現金に換えていなかったものをすべて警察に提出した。
だが、細川の自首は受け入れられなかった。
宝石店の襲撃は、巨大な氷が宝石店に突き刺さる形で生じている。細川がそんな氷をどう作り、どうやって宝石店にぶつけたのかが立証できなかったため、証拠不十分となった。
また、細川の提出した宝石がその宝石店が所有していたものであるかどうかを特定できなかった。
「どうやってあの巨大な氷を用意したのか?」
「偶然空から降ってきたのです」
細川は事情聴取の際にそう答えた。かつての相棒レイコムの名前はあえて伏せた。魔界に住んでいるとはいえ、レイコムを巻き込みたくない思いがあった。今の細川は完全に過去の自分のありようを反省していた。
「あの日は快晴だったと記録が残っている。それも気温は23度を記録している。どうして氷が降って来るだろうか?」
「それは私にもわかりません。しかし、本当に空から降ってきたんです」
「たしかに去年は世界中で不可解な事件が起きている。南アメリカで謎の巨大兵器が目撃されたり、衛星が異常な熱エネルギーを感知したり。では、君は偶然そこを通りかかっていて、突発的に犯行に及んだのかね?」
「はい」
「それにしてはあの事件は計画的だった。ものの数分の間に宝石がすべて盗まれている。普通、氷が突き刺さっていたら、面くらって店に近づけないが、君は氷の隙間をかいくぐって一目散に宝石だけを盗み出したのかね?」
「は、はい……」
細川は自分の訴えが矛盾めいていることを自覚していたから、語調にキレがなくなった。
とはいえ、この矛盾が細川の不起訴につながることになった。
不起訴になったことを喜ぶことはできなかった。
細川は心から罪を償って更生したいと思っていたから、このまま釈放されても、心が晴れることはなかった。
細川は釈放された日、ぼんやりとモチノキ市をさまよった。
気温は25度。暖かい日だった。
しかし、細川は凍えていた。とても冷たく感じた。
親は細川を汚いもの扱いした。アパートの審査もことごとく通らず、結局市営住宅に入ることになった。
勤め先も決まらなかった。
不起訴とはいえ、細川は表向きには犯罪者だった。
罪を犯したのだから、細川はその孤独が正当な報いだと考えていた。しかし、頭でわかっていても、孤独でいると、心はどこまでも冷たくなった。
何を食べても温かみを感じられない。
細川はそうして抜け殻のように過ごしていた。
ある日、細川はたまたまスーパーのアイスクリーム売り場を歩いていた。
そのとき、とある商品に目がいった。
「ああ、これは……レイコムが好きだったやつだな」
細川は懐かしさに導かれて、その商品を手に取った。
何でもないソーダ味のアイスバーだったが、細川はそれを見て、涙ぐんだ。
「あいつ、どうしてんだろな……せめてちゃんとした服の一着でも買ってやりゃよかったな」
細川は後悔の気持ちを感じながら、その商品を買い物かごに入れた。
細川がレジに並んでいたとき、不思議なことが起こった。
突然、店全体がまばゆい光に包まれた。
脈絡もなく生じた光に、多くの客が悲鳴を上げた。
細川がその光に包まれたとき、細川の耳にだけ、謎の言葉がかけられた。
「王の戦いに参加した戦士たちよ、いま一度戦いの時が来た」
「こ、これはまさか……」
「次の戦いは王を決める戦いではない。人間と魔物の運命を決める戦いだ。共生か分断か。運命は戦士らのその心に託された」
「……」
細川は目の前にかつて、レイコムから受け取った魔本の姿を見ていた。その魔本はゆっくりと自分のほうに近づいてきて、手が届く距離に来たところで、細川は右手を伸ばした。
「戦士に尋ねる。お前は共生を望むか? それとも分断を望むか?」
「……」
細川はその質問に答えるよりも優先して、目の前の本を掴むことに集中した。
そして、手が魔本に届いた。
「レイコム……」
細川はその本と自分をつなぐ存在の名を呼んだ。もう一度会えたら、あの時とは違うものを与えてやりたいと思った。
レイコムはいつも言っていた。
「おれも細川と同じ。孤独なんだ。でも、力があれば偉くなれる。馬鹿にされることもなくなる。だから、おれは強くなりたいんだ」
レイコムは少し歪んだ方向性の力を語った。しかし、それを語るレイコムはとても前向きで清々しかった。
そのとき、細川はうなずいて、レイコムの話を聞いた。
「その通りだ。強くなれば偉くなれる。バカどもに従う必要もなくなる。安月給でこき使われることもねえ」
細川はレイコムの思いをそのまま肯定し、そして、力を獲得しようと邪悪な世界に足を踏み入れた。
「なあ、細川。すげえ力があるんだ。その力がおれに身に付けば、誰にも負けない。その力が目覚めるまで、その本を唱えてくれ」
「すごい力?」
「ガロウっていうんだ。すべてを凍り付かせる最強の狼さ。誰にも負けない孤高の一匹狼さ」
レイコムはそう言っていたが、魔本に「ガロウ」の魔力が刻まれる前に、レイコムは魔界に帰ってしまった。
細川はそのときのことを思い出しながら、魔本をしっかりと手に掴んだ。
「今度こそそのすごい力を引き出してやるよ」
細川はそう言って、最後に謎の声に答えた。
「おれは共生を望むぜ。今度こそ、あいつにあいつが欲していたものを与えてやりてえんだ」
「……」
謎の声は何も言わなかった。
◇◇◇
気が付くと、細川は謎の場所にいた。
「うお、寒い……なんだここは?」
細川は体を包む冷気に震え上がった。
「寒い? 何言ってんだ? こんな温かいところは他にないぞ」
「え?」
細川はすぐに声のほうに目を向けた。
目の前には、人間離れした異様な存在が細川のほうに訝しい顔を向けていた。
「あんた、不思議な格好をしてるな。何者だ?」
「ええっと……私は細川という者ですが……ここは?」
「ほそかわ? けったいな名前だな。しかし、びっくりした。突然、お前さんが落下してきたんで、頭を打っちまったよ」
「……そ、それは失礼しました」
細川はまだ状況がつかめなかったが、目の前にいる異様な存在は人間ではなく、魔物と見て間違いなかった。
細川も魔物という存在と関わったことがあったから、それ以上に驚くことはなかった。
「ここがどこか知りたいと言っていたな。ここはガロウ教徒のメッカであるシン・ガロウ大神殿の管理室だよ」
「ガロウ……?」
「ガロウも知らんのかね。昔はガロウ教徒が治める地だったのに、気づけばカムドア教徒にすっかり侵食されてしまった。お前さんもカムドア教徒の者か?」
「い、いえ、私は……ガロウ教徒です」
細川は適当にそう答えた。
「なんだ、同胞だったか。突然上から落っこちて来たからびっくりしたもんだ」
「すみません。わけあって。実は私……人間なのです」
「人間?」
目の前の魔物は強く驚いていた。どうやら、人間界とは違う場所で間違いなかった。おそらくは、ここが魔界なのだろう。
レイコムから聞いていた予備知識のとおり、魔界でも、人間界の言葉が通じるようだった。
「人間が魔界にやってくるとは実に珍妙なこと」
「そうなのですか」
「あんた、ひょっとして魔王を決める戦いに参加した者か?」
「え、ええ」
「そうだったか。誰と戦いを共にしたのかね?」
「レイコムという少年です」
「レイコム? いま、レイコムと言ったか?」
「は、はい」
細川はまずいことを答えてしまったのかもしれないと思った。魔物の目に怒りがこもった。
「あのろくでもない泥棒のパートナーがやってくるとは。いや、お前さんに言っても仕方ないか」
「泥棒……? レイコムが何か悪事を働いたのでしょうか?」
「悪事も何も。ガロウ様の氷像の一部を砕いて盗み出したのよ。ガロウ教を冒とくする禁断の行為だ。見つけ次第、氷の地獄に永久に幽閉しなければならん」
「……」
細川は開いた口をふさぐことができなかった。
レイコムを追いかけて、おそらくは魔界にたどり着いた。しかし、ついた矢先で、レイコムは泥棒になってしまっていた。
しかも、宝石を盗んだというようなものではなく、宗教支配の根強い場所で、とんでもないものを盗み出していたようだった。
「そ、それは申し訳ありませんでした」
「謝って住む話か。それに、あんたが謝っても仕方ないことだ。だが、不思議だ。なぜ、魔王を決める戦いにてシルビーアから代表として選ばれたのが、負け組のレイコムだったのか。なぜ、ガロウ様への信心に篤く、ガロウ教徒から絶えない尊敬を受けるチェザラが選ばれなかったのか」
魔物は首をかしげた。
「チェザラが代表ならば、今頃、チェザラが王となり、カムドア教徒をすべて抹殺し、シルビーアはガロウ様のもと、平和な世界になっていたろうに。魔王を決める戦いはどうしてこれほど理不尽なのか。ええ、君はどう思う?」
魔物は愚痴をぶつけて、細川にも意見を求めた。
「私に聞かれましても。ところで、チェザラという方はどういうお方なのですか?」
「次期ガロウ教の神官を継承することになっている。本来は、魔王となりシルビーアを治める予定だったが、理不尽なシステムによって計画は崩れた。結果、カムドア教徒の横暴がさらにも増した。王となったガッシュ王がカムドア教徒をすべて残したためだ。ガッシュ王は王にふさわしくない。ええ、君はどう思う?」
「ガッシュ?」
細川には聞き覚えがあった。たしか、レイコムと共に戦った魔物が、そういう名前で呼ばれていた。
同一人物かどうかはわからない。いや、きっと違うだろう。細川には、あのときの魔物が魔王になったとは思えなかった。
ただ、異様に正義心の強い目をした魔物であった。いま思い出しても、あの目は強い目だった。あの戦いの後、細川も更生を心に誓ったが、いまガッシュの目を思い出すと、偉大な者の目に感じられた。
「愚痴を言っていても仕方ない。こうなったら、ほそかわと言ったか、お前さんにもレイコム探しを手伝ってもらおう。魔王の戦いは終わった。お前さんもレイコムなんかと関わらず、もっと立派な魔物と関わるべきだ」
細川は一応うなずいたが、このとき細川は決心した。この地の者たちをすべて敵に回したとしても、レイコムの味方になろうと。細川は地面に落ちていた魔本を取り上げると、大切に抱え込んだ。
◇◇◇
そこはどこまでも深い氷獄。
シルビーア極点よりもさらに寒い場所。
孤独。
それはこの世で最も凍える世界だった。
絶対零度の境地さえも超えた世界だった。
レイコムはその氷獄の中をさまよっていた。
いずれたどり着けると信じて、いずれ報われると信じて、いまは歩むしかない。
家はない。
故郷はない。
友達はいない。
家族はいない。
師匠はいない。
誰もいない。
レイコムはかつて1000年前に魔王の戦いに参加した一族に生まれた。
1000年前、一族の代表者が戦いに敗れ、結果としてレイコムの一族は村八分にされた。
物心ついたときには、吹雪の中を歩いていた。
行く先はない。レイコムを暖かく迎える場所はない。
「見ろ、あいつが負け組のレイコムだ」
レイコムが町を歩くと、人々は氷のつぶてを投げつけて来た。
「出ていけ。負け組が歩いていると、町に不吉なことが起こる」
「出てけ」
「出てけ」
「出てけ」
町のすべての者がレイコムに氷のつぶてを投げた。
レイコムはそのつぶてを頭や背中に受けながら、その場所を離れた。
それでもレイコムは前を向いていた。
「力があれば……あんなやつら……力があれば」
レイコムはいまあるものを握り締めていた。手を開くと、そこには、爪のかけらがあった。
ガロウの氷像から奪ったものだった。
「あんなやつら全員氷漬けにして、何も言えないようにしてやれる。教えてやる……」
孤独の恐ろしさを……。