シルビーア地方に大きな対立が生まれたのは1000年前だと言われている。
力が絶対的な権限を持っていた時代だった。人間界でも、戦が世界を動かしていたが、魔界では、それ以上に戦が世界を動かしていた。
力の証明。
その唯一の方法は1000年に一度の王を決める戦いに勝利すること。
王の力こそが、魔界のすべてを動かす唯一のものだった。
シルビーア地方にも大きな力が興った。
氷の暴君フリズドマン。
彼はガロウ教徒期待の力だった。
フリズドマンは暴れると手が付けられない不良であったが、その力は正真正銘、シルビーア最大のものだった。
当時からカムドア教があちこちでクーデターを起こしていたが、現在ほどの力はなかった。
王を決める戦いで、フリズドマンが王になれば、この争いもなくなり、シルビーアはガロウによって治められるだろうと誰しもが思っていた。
王にならずとも、カムドアの者を打ち破れば十分だった。
だが……。
フリズドマンは敗れた。両者の対決はカムドア陣営が勝利を収めたのだ。
さらに、フリズドマンはカムドアに敗北しただけでなく、大陸のバーサーカー「デモルト」の怪力にいとも簡単に屈したという。
「王を決める戦いが始まり、たった1週間で負けて帰ったなどと……なんというふがいない」
フリズドマンが魔界に早々と帰還すると、身内からも反逆が起こった。
「ガロウなんていなかったんだ。やはりカムドアこそが唯一神。フリズドマン、貴様は結局、ガロウの力を見つけることができなかった。つまり、ガロウなどいなかったということ」
カムドア教徒の主張が説得力を帯びるようになった。
また、フリズドマンはデモルトの一撃に震え、闘争心という概念そのものを失っていた。
彼が頑張れば、ガロウとカムドアの争いを抑えることができたかもしれないが、フリズドマンはひっそりと隠居した。
ゆえに、対立を抑える者がいなくなり対立が激化した。
1000年後、今度こそ白黒がつくと思われたが、レイコムは早々と敗北し、フリガロもブラゴの前に屈したという。
白黒つかなかったうえに、この戦いはいずれも不完全燃焼だった。
フリガロはカムドア最強の力ではなかったし、レイコムに関してはガロウ教徒の落ちこぼれと言われていた。
王を決める戦いでも白黒がつかなかったため、今日でも対立が続いていた。
◇◇◇
バリーはサウナから戻って来たガロウに話をした。ガロウはサウナで消耗していたが、バリーの言葉を聞いて表情を固めた。
「どうなんだ、答えろ。てめえが神なんだろ。てめえはこのくそみてえな対立をよしと思ってんのか?」
「……」
ガロウは答える代わりに、先ほどバリーが破壊した壁のほうを見た。
「このままじゃ、じじいが殺されちまう。てめえが神のくせして氷の中に引きこもってたからだ。そうだろ。違うか?」
「おい、バリー。ガロウ神に向けてなんという物言いをする」
「うるせえ。何にもできないで引きこもってる神なんてな、イモムシにも満たねえクズなんだよ」
バリーはグスタフの忠告も無視して、大きな声を上げた。
やり取りをはたから見ていたコルルはガロウの背中を心配そうに見つめた。
ガロウは神。
しかし、幼い神だった。
100万年の年月のほとんどを氷の中に眠っていたから、心はまだ幼かった。
ガロウは考えをまとめると、バリーのほうに向きなおった。
「すまぬ。たしかにバリーの言うとおりである。我は人々の対立も知らず、極点にこもり続けていた身。すべての責任を放棄した神の座にふさわしくもない存在だ」
「よくわかってんじゃねえか」
「しかし、いま我に何ができようか? 我無き間に膨れ上がった偽神の絶大な力に比べ、我の力など無力。もはや、我は神ではない」
ガロウは己の無力さを素直に表現した。
「ならよ、ガロウ。今すぐ神になれ。わからせるんだよ、連中に」
「我こそがガロウであると名乗ったところで、誰が信用するものか」
「力があれば伝わる。てめえが本当に神の力を持ってるってんならな」
バリーは拳を握り締めた。
「神の力か……」
ガロウはいまの自分にその力がないことを知っていた。
他のすべての神々が神への信心に篤い者たちによって継承され、その力が高められてきた。
ガロウは誰にも継承されなかった。まだ誰の信心も集めない孤独な力だった。
その力が世界に伝わることはないとわかっていた。
「いいか、ガロウ。おれはじじいを助ける。それ以上のことはもうどうでもいいさ。宿の世話になったんだ、家賃はきちんと払わせてもらう」
バリーはフリズドマンの救済に向かう決心を固めていた。
しかし、ガロウはバリーの決心に同調しなかった。バリーのその意志になびかない意思表示をするように、静かに椅子に腰かけた。
「我が何を言おうとそなたを止めることはできぬだろう。だが、我はおぬしの力にはなれない」
ガロウは仕方ないと言うふうに首を横に振った。
「やはりこの地に降りてくるべきではなかったな。もう我のやるべきことは何もないのだから。我は再び極点を戻ろうと思う。今度こそ、永遠の眠りにつこうと思う」
「ああ、そうかい。だったらさっさと帰りな」
ガロウはバリーの言葉にうなずくと立ち上がった。
この地に自分がいることで、かえって世界の秩序を乱してしまう。
ガロウは世界のために、極点にて永遠に眠る決断をした。100万年前に眠りにつくと宣言したその日と同じ心だった。
ガロウは玄関口に向けて歩き出した。
「待って待って、本当に帰っちゃうの?」
コルルが呼び止めて、ガロウは一度だけ足を止めた。
「世話になったな、コルル。そなたは大変優しい娘であった。その優しさがあれば、きっと多くの者を救うことができよう。頑張るのだぞ」
ガロウは最後にコルルに優しく微笑みかけた。
その笑顔には寂しさが込められていた。死よりも深い眠りにつかんとする者の絶望の色が見えた。
コルルは色々思案したが、ガロウの決心の堅さを痛感して、止めることができなくなった。
100万年生きた神の決断に、まだ幼い自分が意見できるものではなかった。
「本当に世話になったな。そなたたちと出会うことができただけでも目覚めることができて良かったと思う」
ガロウは最後に、バリーたちに出会えたことを良い思い出として話し、そのまま深い雪景色の中に消えて行った。
「ふん、せいせいするぜ。あんな腰抜けの神様なんていらなかったんだ。神なんて頼ってても問題は解決しねえってことがグスタフもわかったろ」
バリーは拳を握り締めると、これからガロウ神殿に乗り込むべく気合を入れた。
グスタフは何も言わなかったが、バリーの闘争心が湧き上がるのを感じたのか、魔本を手に取った。
「バリー、本当に行くの?」
コルルが尋ねた。
「ああ、コルル。お前はここにいろ」
「でも」
「なーに、暴力反対。話し合いに行くだけさ。グスタフもいるんだ。心配はいらねえよ」
言われて、グスタフはフリズドマンからいただいたパイプを口にくわえた。
「しょうがないわね。じゃあ、優しくなれるおまじないをしてあげる」
コルルはそう言うと、持っていたマッチを取り出した。
このマッチはコルルが引き継いだもう1つの力が込められている。
それはすべての者を守るための力である。
「シン・ライフォジオの光。グスタフさんもこれでどんな攻撃もきっとへっちゃらよ」
コルルがマッチをすると、すごく穏やかな魔力が部屋中に飛散した。
シン・ライフォジオ。
シンの術は人間との絆からしか生まれ出ないとされている最高の魔術である。
コルルは魔界を去るまさにその直前に、シン・ライフォジオを身に着けていた。
パートナーのしおりとの別れのまさにその瞬間、コルルは己が手にしたもう1つの力をマスターしていた。
「なんと心地の良い光か。心が安らぎに包まれるようだ」
グスタフはシン・ライフォジオの光を受けて、悟った。
この光があれば、世界のすべての争いを終わらせることができるかもしれないと。
◇◇◇
ガロウはシルビーア極点に向けて歩み出した。
しばらく進むと、冷気が濃くなり、もはや尋常の魔物では生命機能を維持できないほどの冷たさ。
だが、ガロウにはその冷たさは心地の良いものだった。
「心地よい……か」
ガロウは自分が感じたものを口にして違和感を覚えた。
見渡しても誰もいない。そんな場所に立つことが本当に心地よいのか。
それよりも、コルルが見せてくれたシン・ライフォジオの輝きのほうが心地良かったような気がした。サウナの中、ガロウには苦しい場所だったが、その光はたしかに心地よかった。
さらに進むと、もはやすべての魔物が立つことさえもできない凍てついた世界に入った。
目の前には、美しいオーロラが見える。しかし、それは悲しみを含んだ美しさだった。ガロウは町に降りて、もっと美しいものを知ったから、そのことを理解できた。
ガロウは前に進もうとしてちゅうちょした。
「踏み入れれば二度と引き返せぬぞ」
ガロウは自分で自分に言い聞かせた。極点に入れば、二度と戻ることはない。永遠の孤独の身となる。
そのためらいの間に、背後に気配が現れた。
ガロウが振り返ると、そこには少年が一人立っていた。
冷たい目をした少年だった。
ガロウは自分と同じ目をしていることに気づいた。
この少年は深い孤独の中に生きて来たのだと。
「バリー以外にこのようなところに足を踏み入れる者がいようとは。そなた、何者だ?」
ガロウがそう尋ねると、少年はしばらくガロウの振り返った目を見ていた。
そして、少年も何かに気づいた。
「おんなじ冷たさだ……」
少年はつぶやいた。
「おんなじ?」
ガロウが尋ねると、少年は握り締めていたガロウの氷像の爪をあらわにした。それは少年の手を凍えさせていた。
「それは?」
「ガロウの爪。お前はそれと同じ冷たさだ。お前こそ何者?」
少年は名前を尋ね返した。
ガロウは「ふっ」と笑うと、少年のほうに向きなおった。
「効いて驚くな、少年。我こそが、ガロウじゃ」
「ガロウ……」
信ぴょう性はない。だが、少年は目の前の存在から感じる力で、悟っていた。前方の少年はガロウに間違いないと。
「ちょうどいい。そなた……我の継承者にならぬか?」
ガロウは少年にそう尋ね直した。
同じ目をしている者、何より同じ孤独を知る者。
ガロウもまた悟った。彼こそが己の力を継承するにふさわしい存在であると。