グスタフはガロウ教の神官を務める男と面会することになった。
グスタフは神殿にあった立派な面会所に通された。
まずは趣き深い室内の様子を確かめ、それから目の前に待っていた神官一行と向かい合った。
神官はフードで顔を覆ったまま、冷たい目だけを輝かせていた。
グスタフは歓迎していないという意思を込めて神官の目を見つめた。
「失礼、私の顔は邪悪な呪いがかけられており、むやみやたらにさらすわけにはいかないのです。このままでご納得いただけるかな」
「呪いですか。わかりました」
「人間界からはるばるお疲れでしょう。どうぞ席へ」
グスタフは特に疲れていなかったが、言われて一目散に席についた。
グスタフの隣にはチェザラが腰かけた。
グスタフと向かい合うように神官とその付き人が腰かけた。
グスタフは横眼でチェザラを見た後、目の前の神官に視線を向けた。
こうしてテーブルを囲うと、チェザラは少し場違いな存在だった。
チェザラはもともと魔界の王を決める戦いに参加する予定だったという。年齢はまだ15歳だという。
人間界ではまだ未成年である。
魔界では、まだ幼い者が魔界の王を決める戦いに出たり、あるいは世界を治める立場に従事している。グスタフはとてもシビアな世界だと感じた。
グスタフのもとに飲み物が用意された。
「このハーブはこの極寒の大地で生きる活力を与えてくれます。どうぞ、ご賞味ください」
グスタフは使いの者がくれたハーブティーを一口すすった。
一口で体全体が温かくなるのを感じた。
「これは良く効く薬草ですな」
「これであなたも魔界の地を歩むことができるでしょう」
グスタフは改めて神官と向かい合った。
話し合いは最初からビジネスライクに進んだ。
グスタフは人間界のことを数多く話し、神官は魔界のことを数多く話した。
年配の男たちのビジネスライクな会話は若い女性には退屈さを覚えるものだったようで、途中から隣にいたチェザラは退屈そうな仕草を取っていた。
「なるほど、1000年の間に人間界も大きく変化したようですね。魔界では考えられないことです」
「1000年の時を一代で過ごす魔族と人間では時の流れる速度に大きな違いがあるのでしょう。人間は急ぎ過ぎているのかもしれませんな」
「私がグスタフ氏と同じころはまだ子供扱いでした。私は出来が悪かったので、何度も学校に入り直し、卒業したのは220歳のときでした」
人間界では何代も受け継がれる年数が、魔族では学業に従事する時間に過ぎなかった。人間にとって魔族の生き方は、良く言えばあまりに雄大であり、悪く言えばあまりに冗長だった。
続いて話はシルビーア地方のことに及んだ。
「先ほどお話ししたとおり、シルビーアは非常に長い間宗教対立が続いています。何度も決着をつけようとしましたが、決着はつきませんでした。魔界の王を決める戦いのたびに決着がつくはずでしたが、今日までつくことはなかったのです。果たして1000年後はどうなるでしょうかな」
1000年後の話は、人間にとっては縁のないものに等しかった。
「カムドア教徒の神官、フリゴーザとはどういう人物なのですか?」
グスタフが尋ねた。
「暴君だ。やつがカムドアの支配者になってから各地でクーデターが頻発するようになった」
神官ではなく、先ほどまで少し退屈そうにしていたチェザラが答えた。
「力で現状を変更しようとするならば、こちらも力を持って立ち向かうしかない。神官様、シルビーアの決闘、私にその使命をお与えください。必ずやこの対立に終止符を打ってみせます」
「チェザラ、少し黙っていなさい」
「失礼しました」
チェザラは黙り込んだ。
グスタフは横眼でチェザラのしゅんとした姿を見た。
責任感のある立派な少女だと思った。ちょうど、人間界で若くして活動する人権活動家や環境活動家を彷彿とさせるところがあった。
意識の高さは褒めていいのかもしれない。
しかし、同時にその若さやカリスマ性を周囲の大人が利用している構図が見て取れた。
グスタフはチェザラが利用されている身であることをすぐに見抜いた。
「不用意な対立はさらなる対立を生むばかり。グスタフ氏ならわかっていただけるでしょう。仮にチェザラが勝利しても、カムドアの者はチェザラの勝利を認めることはありません」
「ふむ、そうであろうな」
「だからと言ってこのままでいいのですか? このままでは一生対立は終わらない」
再びチェザラが声を出したが、神官が静かににらみつけると、同じように自制した。
「グスタフ氏のお考えをお聞かせください」
神官が尋ねた。
グスタフは神官が喜ぶ答えをあえて返した。
「私も不用意な対立は避けるべきだと思いますな。戦いは怨恨を増やすのみで物事を根本的に解決することにはなりません。しつこく話し合いを続け、うまく折り合っていくしかないのではないですか?」
「なるほど、さすがは人間界の賢者です」
「……」
グスタフは神官に不穏な目を向けた。
グスタフの先ほどの回答はあくまでも神官を持ち上げるためのもの。
グスタフは完全に見抜いていた。
シルビーアの混沌の張本人は、この神官であることを。
平和主義者を取り繕いながら、この対立を利用して利益を得ている。
グスタフはこの立派な神殿もまた対立から生み出された財力によって成り立っていることも理解していた。
チェザラもおそらくは利用されている。
おそらくは利用されていることにも気づいていない。
宗教支配の巧みな戦術によって世界は突き動かされていた。
世界中の政治家を傀儡にして、裏から差し金を入れているグローバリズムの支配者たちと同じ構造だった。
とはいえ、この構図をどう変えることができようか。
グスタフはすべての構図を紐解いてもなお、この構図を変える手はないと考えていた。
だから、グスタフは長いものに巻かれるほうを選んだ。
「私は人間界から参った身として魔界、ついてはこの地に貢献したいと思っております。私にできることはありますかな?」
「当然です。人間界から参られた賢者、魔界の発展に大きく貢献していただけることでしょう。わたくしどもも大変厚い待遇で迎えたいと思います」
神官は嬉しそうにそう言った。人間界の悪知恵を手に入れるチャンスと見ていたようであった。
◇◇◇
その後、グスタフはチェザラの案内で家を借り受けることになった。
チェザラは移動用のトナカイがやってくる間、ため息をついて不平を述べた。
「神官様はどう懇願しても決闘のお許しを下さらないのだ。私はこの対立を終わらせる方法がそれ以外にないと確信しているのに」
「熱心だな。そこまでしてガロウ教の正しさを誇張したいか?」
「誇張? この地から対立をなくすためだ。断じて自分の力を誇るつもりなどない」
チェザラはそう言ったが、まだ幼い身である。己の力を誇示したいという気持ちは覆い隠せていなかった。
「ところでお前さん、恋人はいないのかね?」
「なに?」
「ぶしつけな質問だったな。最近、ワシの相棒に恋人ができたのでな。あんな野蛮な男にも恋人ができるんだ。お前さんのような立派な娘ならば、男が放っておかないと思ってな」
チェザラは少し照れるように目をそらした。
世界のために戦うと述べていたが、それ以上にその意識があるようだった。
グスタフは口元を緩めた。
「世界平和のために戦うのもいいが、もう少し身近なところに目を向けてみてはどうかな。そうすれば平和のありようもまた違ってくるさ」
「あいにく恋に呆けていられる立場ではないのでな」
チェザラは意志の力で少女としての自分をかき消した。しかし、かき消すほどに意識は大きくなるものだった。
「グスタフ氏、1つ聞かせてくれ。そなたのパートナー、バリーと言ったか、あやつに恋人がいるとは思えないが、それは本当なのか?」
「気になるか?」
「いや……そういうわけではない」
チェザラはとても興味がある様子だった。
「ワシも驚いたんだ。お前さんがやつの恋人を見れば卒倒することだろうよ」
グスタフはコルルのことを思い浮かべた。いまだに信じられないようなことだった。
◇◇◇
神殿の前にそりを引いたトナカイがやってきた。
この地では、トナカイの魔物が主要な移動手段になっていた。
かなりの速度でそれでいて安定して移動することができるという。
グスタフ、チェザラとその順にそりに乗り込んだ。
「もう1人、人間がこの地に来ているんだ。グスタフ氏の知る者かどうかはわからないが」
「ほう、名は?」
「しおりだ」
「しおり……しおりちゃんがどうのこうのとあの娘が話していたな」
「知り合いか?」
「いや、会ったことはない。しかし、おそらくあのパートナーだろう。ちょうどいい、面会させてやってくれ」
「いいだろう、その娘とやらはどこにいる?」
「フリズドマン氏の家だ。留守を守ってくれている」
トナカイは方向を変え、フリズドマンの家のほうに進み始めた。
◇◇◇
こうして、しおりは久方ぶりにコルルと再会することになった。
二人の再開は、共に笑顔で行われた。
コルルは終始笑顔だったが、しおりは感涙して言葉を詰まらせるほど強く感動した。
グスタフはその様子を少し離れたところから見ていた。
グスタフは昔のことを思い出していた。
ソビエト崩壊の前線にいたグスタフは、留学先から帰ることができなくなった娘のために不法入国に手を出した。
そして、最愛の人と最愛の娘が涙の再開を果たすことになる。
しかし、その場からグスタフは除外されることになる。
長らくシベリアの強制労働施設に入り、そしてようやくシャバに戻ったころには、最愛の人も最愛の娘もいなくなっていた。
後に、資産家の裕福な男と再婚し、フランスに渡ったという手紙を受け取った。
あなたには感謝しています。そして愛しています。
手紙にはそう書かれていたが、グスタフはその手紙を火にくべて消滅させた。
この世に愛などない。
あるとしても、それは100万ドルのはした金で買えるゴミだった。
グスタフはその後さまざまなビジネスに手を出した。
人を何度も騙した。
後に自殺することになる男から凄みのある顔でこう言われたこともある。
「あんたみたいなやつを血も涙もない悪魔って言うんだ。一生呪ってやるから覚悟しろ」
グスタフはその言葉を受けて、自分が何者かを悟った。彼が言ったことは寸分も違ってはいなかった。
だが、グスタフは後に自分にもまだ涙はあったことを知る。
王をも超える男の拳がグスタフの凍り付いた心を打ち砕いてくれた。
グスタフはしおりとコルルの再開を見て目頭が熱くなるのを感じていた。