清磨は鈴芽とモチノキ駅の裏山にやってきていた。
このあたりは人通りも多いが、駅から降りた人は繁華街のほうに向かうため、ほとんど人がいなかった。
都心の中にあって風の音を聞くことができる数少ない場所の1つだった。
清磨は繁華街の喧騒よりも自然の音を聞いているほうが良かった。
自然の中にあれば、気分は少し楽になった。
いつもは一人でここにやってくることが多かったが、今日は隣に鈴芽がいた。
「ここが高峰君のお気に入りの場所?」
「ああ、退屈な場所で悪いな」
「ううん、私もすごく気に入ったよ。小鳥のさえずりが聞こえるね」
鈴芽にしてみると、清磨と一緒にいられる場所ならどこでもよかった。しかし、自分の思いを清磨に打ち明ける勇気はなかった。
清磨も恋愛に積極的ではなかった。というよりも、すべてを理解できる清磨にとって、人との関わりは最も恐ろしいことの1つでもあった。
しかし、鈴芽との関わりは、清磨にとってそれほど負担ではなかった。
鈴芽の純粋無垢な心は、清磨にあまり多くのことを考えさせなかった。清磨は自然体でいることができた。
清磨は自分から話を振らなかったので、鈴芽が話題を持ちかけた。
「高峰君、私の将来の夢話したことあったっけ?」
「たしか料理人になることだったか」
「覚えてくれてたんだ。嬉しいな」
鈴芽は嬉しそうに笑った。
「一応ね、将来は自分のお店を持てたらと思って、いまはファミリーレストランでアルバイトをしているの。でも、私ってドジでしょ。あんまりおいしい料理を作れなくて。包丁さばきには自信あるんだけど」
「そうだな……」
清磨は難度か鈴芽が作ってくれた料理を食べたことがあった。アンサートーカーに言わせると、その料理は論外。とても客に出せるものではなかった。
しかし、清磨にとってはその料理は決して悪くなかった。むしろ、最も安心して食べていられる優しい味だった。
「ならこうしよう、水野」
清磨は体を起こした。
「おれがメニューとレシピを考える。店の経営もおれがやってやる。お前は一生懸命料理を作れ」
「え、それって……」
「お前の一生懸命な気持ちがあればなんだってうまくなる。必ずうまくいく。おれが保障するよ」
「……」
鈴芽はどういう表情を作っていいか分からなくなって、照れを隠すように顔を覆った。
「で、でも、それじゃ悪いよ。高峰君、頭いいからさ。高峰君はもっと大きな会社の社長さんになる人だよ」
「おれなんてちっぽけだよ。それに、大きな会社なんて興味ねえ。だからさ……作ろうぜ、世界に1つしかないおれたちのお店を」
清磨は立ち上がると、鈴芽に微笑みかけた。それは清磨にとっての愛の告白のようなものだった。
あまりに遠まわしだったから、鈴芽にはそこまで理解することができなかった。
「まあ、苦労することになるとは思うけどな。飲食店なんて現れては消える世界だからな」
「大丈夫だよ。清磨君、カレーの鉄人なんだもの」
「それはお前の誤解だろ」
「でもほら、中学校の林間学校の時は、みんな気を失うほどおいしそうにしてたよ」
「あれは逆の意味だぞ」
清磨はそう言いながら、そういえばそんなときもあったなと懐かしく思い出していた。
あのときはガッシュもいた。バルカン300と遊んでいるガッシュの光景が遠く懐かしい思い出になろうとしていた。
清磨は空を見上げた。
ガッシュはもういないが、ガッシュが授けてくれた大切なものは清磨の周りにたくさんあった。それが清磨に力を授けてくれた。
その時――。
突然、空に強い閃光がほとばしった。
「きゃっ」
突然のことに鈴芽は目を覆った。
「なんだ?」
強い閃光と同時にモチノキ町の上空はどす黒い雲に覆われた。
「高峰君、いったい何が起こったの?」
「雷雲が発生したのか? しかし、先ほどまで雲1つなかったぞ」
アンサートーカーである清磨はすぐにこの現象の背景にあるものを感じ取った。
魔物。
魔物が関わった現象としか言いようがない。
清磨は魔界から何かが介入したことを悟った。
清磨は自分の心の中に何かメッセージが流れ込んでくるのを感じていた。
「聞きなさい、選ばれし人間たちよ」
その声は清磨の心に直接流れ込んできた。
それは紛れもなく清磨の心だけに入り込んできたものだった。
「水野、何か声が聞こえたか?」
清磨は一応確かめた。
「声? なんの?」
「いや、聞こえなかったならいい」
やはり、それは清磨にだけ語られたメッセージだった。
「これから話す内容は、魔王の戦いに参加した人間たちにのみ届けることだ」
声は荘厳とした女性のものだった。
魔王の戦いに参加した人間というのは、王を決める戦いのことだろう。だとすると、清磨以外にも、その戦いに参加した者にも聞こえているのかもしれない。
「いま、この世界は転換期を迎えようとしている。大いなる地獄のいかずちが目覚め、この世界の秩序を破壊しようともくろんでいる」
声は淡々とそう述べた。
「我々は神託を受けて魔界と人間界を分け隔て、世界の秩序を守ってきた。あなたたちが参加した魔王の戦いは神のお告げによるものだ。それは魔界と人間界の秩序を決定づける重要なものだ」
清磨にはその声が言ったことを理解することができた。アンサートーカーとしてこの世界のありようを理解したとき、「人間界と魔界はかつて1つの世界だった」ということもまた理解した。
王を決める戦いは分け隔てられた2つの世界の平衡を保つためになくてはならないものだった。
しかし、その平衡は解かれようとしていた。
「その戦いの末、ガッシュ・ベルが魔王の地位を得た。これは我々にとって真に恐れる事態だった。ベルの一族に封印されたバオウは禁忌を犯した堕天使。その力がかつてないほどに高まってしまったのだ」
声はバオウの脅威について話した。当事者である清磨にとっては無視できないことだった。
「我々はどうしてバオウがこれほどまで力を得たのかについていまだに心得ていない。しかし、人間との接触の過程にそれがあったことは明白。我々は神のお告げを受けた。それは我々の存亡をかけた戦いだ」
それから、声は核心を話した。
「これは我々とバオウの戦いになるだろう。この戦いの勝者が魔界と人間界の秩序を決定する。バオウはかつて人と魔物が共存することを望んだ。しかし、我々はそれを禁とした。人間は心身ともに軟弱。生きる価値のない存在。しかし、数々の天使をたぶらかす不思議な力を持っていた。バオウをはじめあらゆる天使が人間との共存を図り堕天使となった。選ばれし人間たちよ、今度はあなたたちが魔界に来るのです。そして、神に示すのです。隔離か共存かを」
声は淡々と話すと、選ばれし人間たちの手元に強い輝きを放つ光をもたらした。
清磨は両手でそれを受け止めた。
その光はやがて「魔本」へと姿を変えた。
清磨にとっては、それは懐かしいものだった。
それはかつてガッシュと共に戦った力の原動力。
清磨は赤い本をゆっくりと開いた。
「高峰君、その本はいったい?」
「水野」
清磨は振り返って、ジッと鈴芽のほうを見つめた。
「少し用事ができてしまったみたいだ。今すぐ行かなければならない」
「え? どこに行くの?」
「おれにもわからない。しかし、しばらくは帰って来れないかもしれない」
「……」
鈴芽は不安そうな表情を作った。
「だが、約束する。必ず戻ってくる」
「高峰君……」
「その時は……」
清磨がその後の言葉を紡ぎ終える前に、輝く光が清磨の体を包み込んだ。
「高峰君!」
鈴芽はその光に向けて手を伸ばしたが、その手が清磨に触れることはなかった。
清磨の体は光に包まれ、この場所から消えてなくなってしまった。
それから、何事もなかったかのように空は晴れ、かつての静寂が戻ってきた。
「……」
鈴芽の目の前には清磨はいなかった。
しかし、清磨は言った。必ず戻ってくると。
鈴芽はその言葉だけに集中してうなずいた。
「必ず戻ってくるんだよ!」
鈴芽は空に向けて大きな声を張り上げた。
魔物と人間のありようを決める戦いが始まることになった。