『すまん貴音、ちょっと
「とらぶる、とは?」
『なんでも、スタジオのそばで死体が見つかったとかで…それもひとりふたりじゃないとか…まるで猛獣に食い殺されたみたいだとか…俺も先方から連絡を貰っただけで詳しいことはわからないんだが…とりあえず美希やスタッフさん達に被害は無いらしいから安心してくれ』
「猛獣…ですか」
『いや、街中にそんなものがいるはずないし、なにかの間違いだとは思うんだが…とにかく今日の仕事は中止して美希を迎えにいかなければいけない』
「承知いたしました。プロデューサーもお気をつけて」
ぱちり、とガラケーの画面を閉じた貴音の表情は暗い。
(まったく、この街はどうしてしまったのでしょう…)
駅へと向かう道すがら、貴音は近年街で起きた事件の数々を思い出していた。
連続幼女誘拐未遂事件。
格闘家の集団失踪事件。
765プロからそう遠くないコインパーキングでOLが3人組の男に乱暴されたこともあった。
(もともと治安のよい街ではありませんでしたが、それにしても最近は物騒なことばかり起きている気がします)
OLの事件のときは場所が近かったこともあり、社長直々に厳重注意を呼びかけられた。
怯える
今回、美希が無事だったことには安堵しているが、このところたて続けに起きている物騒な出来事がまたしても自分たちのすぐそばをかすめていったことに、多少なりとも恐怖を感じずにはいられなかった。
(そういえば、女性に乱暴した犯人たちはまだ逮捕されていないのでしたね)
(しかし噂では全員、とてもむごい制裁を受けた状態で見つかったとか…)
あれこれ考えているうちに駅が近づいてきた。
サラリーマン、学生、その他諸々の人だかりがぞろぞろと構内に吸い込まれていく。
まるで群れを成す魚のような光景だが、その魚を狙って店を構える飲食店が駅前には数多く存在する。
ある店は美味しそうなメニューで誘い、ある店は集魚灯のような目立つ看板で誘い、またある店は店員が直接声をかけて誘う。
空腹の魚は群れを外れて釣りあげられ、腹を満たしてから駅に向かうのだ。
(なぜ、食事をしに行く人を見ると急激に空腹になるのでしょう)
これは経験から来る条件反射、要は酸っぱいものを見るだけでよだれが出るのと同じ現象だが、サビキにかかった魚につられて他の魚が次々に針に食いつくのに似ている。
(しかし、今は何かと物騒…我慢して真っすぐ帰りましょう)
足早に改札をくぐり、電車に飛び乗るが、一度空腹を訴えだした摂食中枢はそう簡単に静まってくれない。
そこで貴音は気を紛らわすため、目を閉じてドラマの台本を頭の中で復習することにした。
――――――
――――
――
――時は昭和、舞台は山奥の小さな村。
主人公の民俗学者は取材のために村を訪れ、客人として地主の屋敷に向かい入れられる。
そこで貴音が演じる地主の一人娘に出会い、次第に心惹かれてゆくが、じつは地主の一家は古くから村に伝わる生贄の儀式を司っており、娘はその巫女だった。
新月の夜に村人の中から生贄が1人選ばれ、巫女はその血肉を神とともに食すことで祈りを捧げる、文字通り血塗られた儀式。
主人公はやがて、年に1度村の外からやってきたマレビトを生贄にする『大祭』の存在と、自分がそのために村に招かれたことを知る。
村からの脱出を図る主人公だったが、巫女の執拗な妨害によって失敗し、捕えられてしまう。
刻一刻と儀式の日が近づく中、主人公の運命やいかに――
――――――
――――
――
(ふう……)
電車の扉が開いて何人かの乗客が下車し、間髪入れずにそれ以上の数の乗客が乗り込んでくる。
(まこと…難しい役です)
普段はおしとやかな少女、儀式の際は嬉々として人の血を啜る物の怪。
悪役でありながらヒロインでもあるという二面性。
監督からも色々と指導を受けてはいるが、まだ納得のいく演技が掴めないでいた。
(そもそも、何故わたくしにはこういった悪役のおふぁが多いのでしょう)
今回の仕事はアイドルの仕事で演じたバンバイアが好評だったために声をかけられたのだが、思い返せば以前からどちらかというと悪役を任されることが多かったことに気づく。
(わたくしはそれほど悪いおんなに見えるのでしょうか?)
(本当ならば、もっと――)
ゴッ!!
突如、電車が急停車した。
つり革を掴んではいたものの大きく体勢を崩し、斜め後ろの乗客に背中をぶつけてしまう。
「すみません」
振り返って頭を下げた貴音と、背後にいた乗客との目線が合った瞬間。
「あっ」
2人の口から、ほぼ同時に驚きの声が漏れた。
ぶつかった相手は、コートを着た大柄な男――まぎれもなく、先日ラーメン屋で出くわした男性だった。
(なんと…このような偶然が……)
予期せぬ再開に絶句する貴音に対し、男が何かを告げようとする。
――が、それよりも早く男の左側、貴音から見て真後ろにいた中年女性が男の腕を掴んで声を張り上げた。
「あんた私のおしりを触ってたでしょっ!」
「えっ」
男が目を丸くする。
「いやらしいわねっ!」
「えーっ…」
間髪いれず、貴音が2人の間に割り込んだ。
「待ってください、恐らくわたくしの手が触れてしまったものかと…」
「はあ?」
「その、先ほどの急停車の際に手が何かに触れた感触がありまして…」
事実だが、女性の剣幕はおさまらない。
「いやいやそんなはずないわよ。明らかに男の手の感触だったし」
「そんな、触れられた感覚だけで男性か女性かなどと…」
「アタシにはわかるの!とにかく誰か車掌さん呼んで!痴漢、痴漢よっ!痴漢がいるのよっ!!」
もはや、何を言っても無駄な状況になってしまっていた。
男の顔を見やると、なにか言い返そうとしつつもその言葉を奥歯ですり潰しているような、なんともいえない表情がそこに浮かんでいた。
――――――
――――
――
けっきょく、貴音を含めた男女3人は次の駅で下車し、駅員立ち合いのもとで話し合いを行ったのだが、中年女性はひたすら自分が正しいと連呼するばかりで全く会話にならない。
挙句、乗っていた車両に防犯カメラが無かったことを告げられると、今度は駅員に「信じられない」「時代遅れにも程がある」と罵声を浴びせ、最後は夕食の時間に遅れるからと勝手に帰ってしまう始末。
駅員もあきれ果てており、貴音と男も早々に解放されたのだった。
「この前会ったよな。面倒に巻き込んで済まなかった」
「いえ、お気になさらず」
「しかし、芸能人がわざわざこんなことに首を突っ込むのはあまり利口とは言えんな」
「まあ、お気づきでしたか」
「当たり前だ。顔も隠さずに歩いているのだから」
「そうでしょうか?わたくしも事務所の同僚たちも、あまりそういったことには気を遣わずに出歩いておりますが」
「ふうん…」
貴音も同僚たちもそれなりに名の知れたアイドルではあるのだが、不思議とあまり「身バレ」することはなく、あってもたまにサインをねだられる程度で騒ぎになることは少ない。
「とにかく、アンタには借りができた。この前のこともあるし、飯でも奢ろう」
「いえ、大したことはしておりませんので――」
お気になさらず、と最後まで言い終わらないうちに、貴音の胃がゴロゴロと大きな音を立てた。
「遠慮するな。このあたりには馴染みの店も多いんでな」
ニイ~ッと口角をつり上げた男に案内され、2人は駅からほど近い場所にある中華レストランに入ることになった。
道すがら、男は名を