画面には彪が渾身の右ストレートを鬼龍に叩き込む姿が映し出されていた。
もはや鬼龍は顔面から鎖骨に至るまで血染めの状態で、先ほどまで浮かべていた挑発的な笑みも、いや、そもそもどんな表情をしているのかすらわからない。
そしてその体がぐらりと揺れ、前のめりに倒れる。
「鬼龍さま!!」
しかし、貴音の悲痛な声に呼び覚まされるかのように鬼龍の左足が前に動き、すんでのところで踏ん張ってダウンを回避した。
さらに流れるような動きで彪の左膝を左手で掴み、引き寄せる。
『なにっ』
ちょうど“膝かっくん”をされた状態になった彪が体勢を崩し、上半身ががくりと下がった瞬間、待ってましたとばかりに鬼龍の右拳が落ちてきた彪の顔面に突き刺さった。
『“
彪の頬骨が陥没し、鼻血が噴出し、歯が何本か飛び散った。
『はうっ』
もんどりうって倒れかける彪だったが、すぐさま体勢を整えて大きく間合いを取る。
しかしその呼吸は荒く、無抵抗で殴られ続けていたはずの鬼龍と同じくらい消耗しているように見えた。
『“攻め疲れ”か。まるで素人だな』
対する鬼龍は両手のひらでアゴから顔面、額をぬぐい、自身の血で髪形をオールバックに整えた。
血まみれになりながらも不敵に嗤う姿は、まさに“悪魔を超えた悪魔”そのものだった。
「灘神影流“秘拳” 捩突。完璧に放てば一撃で相手の脳を損傷たらしめる。さすがにダメージが大きすぎて本来の威力ではないけど、それでも視界がぼやけて立っているのがやっとだろうな」
「なだしんかげりゅう…?」
「あ、すいません。珍しい技が見れたのでつい興奮しちゃって」
『俺から自由になりたいと言っていたな。だがその額にあるものは何だ?』
『えっ』
彪が額に触れた瞬間、その皮膚が
『あ………あーっ!?』
『
獲物にかぶりつくハイエナのような笑みを浮かべた鬼龍がゆっくりと間合いを詰めていく。
その様子は、先ほど喜太郎にトドメを刺したときの龍星にどこか似ているように感じられた。
『安心しろ。自由はくれてやる。俺からも、この世からもな』
『うあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』
やぶれかぶれで彪が繰り出した拳を、鬼龍は避けるそぶりすら見せなかった。
代わりにその姿が蜃気楼のように歪み、確実に当たったかに見えた拳が虚しく空をきる。
「
龍星が言い終わらないうちに鬼龍の右手、人差し指と薬指が深々と彪の両目に突き刺さった。
『ぎゃっ』
悲鳴を上げようとする彪だったが、こんどはその喉を左手の親指と人差し指で掴み、喉仏を握り潰す。
さらに眼窩から引き抜いた右手を股間に打ち下ろし、2つの睾丸を一撃で叩き潰した。
『生殺与奪権は我にあり!』
最後は首すじに渾身の回し蹴りをお見舞いし、2メートルはあろうかという巨体を部屋の端まで吹き飛ばす。
彪の体は何度か痙攣したものの、それっきり動かなくなった。
――――――
――――
――
「“四玉突き”かあ。珍しい技を使うんだな」
「よんたま?」
「目玉2つに喉と金玉を潰して四玉突き。まあ金玉は2つあるから五玉突きって言ったほうが正確かもしれないけど」
「き…きんたま……」
「…あっ!?すいません、女性の前で………つい、興奮しちゃって」
貴音に怪我がないか診察していた龍星がばつの悪そうな顔で謝る。
足を拘束していた縄はデゴイチが食いちぎってくれていた。
「鼓膜は問題なさそうですね。後頭部もこぶにはなってませんけど、場所が場所なので医者に診てもらってください」
「はい。まこと、ありがとうございました」
「いえ、巻き込んじゃったのはこちらのほうなので。それに――」
『終わったのならさっさと引き上げるぞ』
なにやら言いかけた龍星の言葉をタブレットの中の鬼龍が遮る。
「はいはい。ところで、そっちは大丈夫なんですか?作戦とはいえずいぶんやられてましたけど」
『へッ、下衆の拳など効きもしないわ』
そう言って通話を切ろうとする鬼龍を、今度は貴音が制する。
「お待ちください。まだ――」
聞きたいことが山ほどある。
鬼龍の正体。なぜ命を狙われているのか。龍星とはどのような関係なのか。
しかし、鬼龍が画面越しに恐ろしい形相で睨みつけてきたため、それ以上言葉を続けることができなかった。
2人は蛇と、それに睨まれた蛙のようにしばし見つめ合っていたが、やがて鬼龍がゆっくりと口を開く。
『――良い目だ。俺を畏れているな』
「え?」
『それでいい。お前には地獄で生きる素質がないことの証拠だ』
そう言った瞬間、画面から鬼龍の姿が消え、ぐるぐると辺りの景色をデタラメに映し出す。
どうやらタブレットを放り投げたらしい。
『借りは返した。俺は消える。お前は日常に戻れ』
最後に一瞬、空中のタブレットに蹴りを放つ鬼龍の姿を映して通信は途切れた。
「地下駐車場に車を待たせてあるのでそれに乗ってください。部屋を出てすぐのところにエレベーターがありますよ」
気が付くと、龍星は既に入ってくるときに割った窓から脱出しようとしているところだった。
背中にはまだ気を失っている喜太郎を背負っている。
「本当にすみませんでした。コイツはもう二度とあなたにちょっかいを出せないようにしておきます」
「待って―――」
「行くぞ、デゴイチ!」
引き留める間もなく、2人と1匹の姿は窓の外に消えた。
貴音が窓に駆け寄り、外を見回すと、目に入るのは一面に広がる夜の闇――そして遥か下でうごめく人の光。
あとでわかったことだが、ここは喜太郎が所有するビルの最上階だったのだ。