「あ、千代ちゃん、電車遅れてるって」
スマホを眺める新垣晴香が話す。その肘には小さな手提げの紙袋が引っかかっている。彼女は声を掛けた大沢千代とともに買い物に行った帰りだった。
「あら、最近多いわね」
千代の体感のとおり、ここ最近電車の運行が乱れる事が少し増えていた。
「線路に異物って言われるのが増えたよね。誰かのいたずらじゃないといいんだけど。それで……」
駅員も大変だろうな、と考えながら、晴香が話題を移す。
「今日の戦利品はどんな感じ?」
「あまり良くなかったわ……晴香は?」
「えへへ、今日は自信あり、ですよ」
そう言って二人はそれぞれが持っていた手提げ袋を手渡す。互いの右手から互いの左手へ、交換された手提げ袋を、彼女たちはせーので開いた。
「花のヘアピン、折り鶴のストラップ……ん、このオレンジのブレスレット、気に入ったわ」
「波が書いてあるマグカップに、青色のヘアリボン……わあっ、グラデーションになってる!」
二人は袋の中身を初めて確認したようだった。それもそのはず、二人は一緒に買い物に行くが、そろって商品棚を見ることはほとんどない。なぜならば、彼女たちは幼少からの付き合いの中で、買い物という行為そのものを、二人の間で執り行われるささやかな遊びへとと昇華させていたからだ。
「やっぱ晴香はセンスあるわね」
「千代ちゃんこそ、毎回微妙だっていうけどすごい素敵なもの持ってくるよね。……このリボン、編み込んでみよっかな」
簡潔に言えば、相方に贈るものだけを買ってくるという遊びである。お互いかぶらないように店をいくつか選び、そこで自分が欲しいと思ったものではなく、相手が身に着けると似合いそうな服やアクセサリー、喜ばれそうな日用品や雑貨を選んでくる。それをこうして帰り道で渡して確かめあうのであった。
例の銀髪少女が見たら悶絶しながら呪文を垂れ流しそうな光景である。そうして化けの皮が剝がれる可能性を考慮すれば、あの場面で二人から離れたのは最善の策だっただろう。
実際、自らの分を完全に相手にゆだねるという行為は、非常に長い付き合いとその間絶えず育まれてきた友情があるからこそである。
すなわち、相手なら自分のことをよく理解しているであろうから、自分の趣味嗜好に合う物、あるいは、自分では見逃してしまっていたかもしれない素敵な物を持って来てくれるだろう、という抜群の信頼を確かめあう、ある種の儀式なのであった。
そして、その期待は訓練校に入りたての頃に晴香が突拍子もなく提案してから今日に至るまで裏切られることはなかった。行うたびに成功することもあってか、長年買い物に行くたびにこの遊びをしてきたため、いまや彼女たちの私物の大半は相方が選んだものであり、整理しようにも捨てられるものがないのが二人共通の悩みであった。
「それで、今回も隠し玉は無しでいいのかしら?」
「うん、えへへ、まだまだ見せるつもりはないよ、なんて言ったって隠し玉だからね」
「ヒントぐらい教えてくれたっていいじゃない。もうずっとその調子なんだから」
「ダメだよ、えへへ、わかっちゃったらつまらないからね」
晴香はこの遊びが始まった当初から、千代に対して“隠し玉”の存在をほのめかしていた。ある時は驚くようなものとぶち上げ、しかしある時は喜んでくれるかわからないと不安を漏らすその隠し玉を、千代はどんなものか予測できずにいた。
同時に、晴香のセンスならはずれはないと思っている千代からしてみれば、徹底してその正体を伏せられている隠し玉に大きな期待を寄せるのも当然だった。はたして、隠し玉とは。その正体は、やはり晴香しか知らない。
「ゆりちゃん、ちゃんと帰れたかなぁ」
「大丈夫でしょ、道が分からなかっただけなんだから」
地下鉄の微震を受けながら話す二人の話題は、行きで出会ったゆりと名乗る
「次会えたら連絡先を……あ、でも、スマホ持ってるのかな」
「確かに、持ってなかったら難しいわね……それにしても、相当気に入ったみたいじゃない、ゆりのこと」
「うーん、ほっとけないんだよね。なんかすごいおびえていたみたいだし、なんだろ、守ってあげたくなる、みたいな」
「ああ、確かにそれもあるわね」
「それと、せっかくお話しする時間があったのに、全部私たちの思い出話で終わっちゃったから、もっとしっかり会話したかったなって」
「聞くのが楽しいって言ってたけど、三人で話したほうがもっと楽しいってことでしょう?」
「うん、そうだ、カフェでゆっくり話せばいいんだ」
「ああ、それいいわね」
二人の会話は弾む。もちろん、あくまで仲良くしたいという純粋な思いからなのだが、例の本人からしたら恐怖のあまり崩れ落ちるほどの濃密な計画であった。
こんな時代においても、大衆文化、とりわけインターネットを介した文化は維持されていた。流石にトラジスト発生以前の情報やサービスはほとんど消失してしまったが、比較的早い段階からトーキア内部で代替となるサービスが次々と稼働したために、スマホやパソコンの利便性、娯楽性はある程度保たれたのである。
「ふいー、戻った戻った」
自室に戻った銀髪少女はリュックとレジ袋をおろし、ジッパーを開けてぬいぐるみを取り出すと空中に放し、自身は畳の上にころんと寝転んだ。
「なあ大樹、食品を買ってきたんだろう? 普段は何を食べているんだ?」
室内を漂うマートンが言う。帰り際に大樹が食事の備蓄がないことに気づき、道中で買い物に寄っていた故の疑問だ。
「あー、マートンさん、暇さえあればどっか行きますからね」
実際、大樹が食事をしている時、マートンは魔石の生成や触媒の調達に出かけているため、今まで同席することはなかった。
「カップ麵です。手軽でおいしい、大正義ですよ」
「そうなのか、カップ麵とはなんだ?」
「うぇ?」
「ああ、すまない、人間の食事事情は疎くてな……フェーリは何も食べなくても生きていけるから、興味がなかったんだ」
「なるほど……カップ麵ていうのは、えっと、まぁ、直接見てもらったほうが早いですかね。お腹もすいたことですし」
上体を起こした大樹はレジ袋の中からコップ状の容器を取り出す。そのまま立ち上がって台所に向かうと蓋を半分開けて置く。
「ここに熱湯を注いで閉じると三分でできるんですよ」
説明しながらやかんに水を注いで火にかける。
「なるほど、確かに便利だ」
やかんが叫ぶまで待ち、お湯を注いで蓋を閉じる。手元のスマホを手早くいじり、三分のタイマーをスタートさせた。
「あぁ、忘れてた」
ふと、そうつぶやいた大樹は机に向かい、パソコンの電源を付けた。
「どうした?」
「忘れてたんですよ、今日配信日だってこと」
「配信? 大樹がするのか?」
「いえ、見る側です」
台所からカップ麵を取ってきた大樹はログインを済ませ、椅子にぴょんと飛び乗ると、慣れた手つきで操作する。あっという間に動画共有サイトにたどり着いた。
「む、これは動画か」
「はい、このサイトだと生配信……まぁ、リアルタイムで動画を収録しているところを見れるんですよ」
「ビデオ通話みたいなものか」
「んー、プレゼンテーションって言った方が近いと思います。発表者の画面を見て、僕ら視聴者側がコメントをする……ま、そんなに堅苦しいものじゃないですけどね」
そう言いながら画面を遷移させ、一つの配信ページにたどり着く。すでに始まっていたようで、画面には二人の少女が映し出された。その右側では文字が登っていっている。
『──そんで、訓練終わりに抱き着いてやったんっすよ。そしたら腰抜かしちゃいましてね』
『はた目から見れば抱きつくというより突進だったぞ。あれが急に来たら誰でも腰抜かすだろう』
「おお、今日はこのコンビか」
カップ麵のふたを開けながら大樹が漏らす。
「ん、この二人……」
マートンは二人に見覚えがあるようだった。そしてすぐに思い至る。
「攻撃隊じゃないか!」
「あ、やっぱわかりますか」
「やっぱも何も、攻撃隊は魔法少女たちの象徴みたいな存在だろう。名前はわからないが、いたるところで見る顔だぞ」
攻撃隊というのは魔法少女の中でも少数の精鋭で構成されており、領土奪還や障壁外の探索を担当する。生存圏の拡大を担う故に、一般市民からの期待を真っ先に集める存在であるため、政府もそれにこたえる形で積極的な情報発信を行っている。結果として、トーキア市民が魔法少女と聞いて真っ先に憧憬する姿は、攻撃隊の面々なのである。
「なんでも、広報を兼ねての道楽らしいですよ」
「そうなのか」
トーキアの拡大ペースは防衛力を基準にしているため、攻撃力をもてあますことが多い。そうして余った時間は個々人の自由であり、この配信もそれに準ずるものだ。
『んまぁ、いいや、そんでミャーさん』
『どうした、鷹峰』
『面白い話聞いてきたんっすよ。防衛隊に行った同級生にバッターって呼んでる奴がいるんすけど……あれ、バッターの話ってしましたっけ?』
『これで五回目だ』
『んおぁ、やっぱそういうとこ律儀っすよね。そんで、ちょっと前に会いに行ったんっすよ。そしたらね、こっちでもちきりの話題があるんだぜって教えてくれたことがあって』
『なんだ』
『なんでも、トラジストと戦ってると、ロボットが現れるんだとか!』
大樹の箸が止まる。
『ロボット?』
『そうっす! 突然空から降ってきて、レーザーとかミサイルとかばら撒いてあっという間に壊滅させちゃうらしいんっす!』
銀髪少女とぬいぐるみは顔を見合わせる。
「これってもしかしなくても……」
「ああ、大樹のロボットのことだ」
画面の中の二人は会話を続ける。内容は今日の間に大沢千代と新垣晴香から聞いたことと全く同じで、彼らを呼び出しているの存在はいまだわかっていないこと、政府は鋭意捜索中であることだけだった。
「よし、まだ尻尾はつかまれていないようだな」
「流石に数日でそんな進展はしないでしょうから、これでひとまずは安泰ですね」
マートンが安堵して、大樹もそれにつられる。
『ロボットに出会えたら? もし会えたら肩に乗ったりとかしてみたいっすね。いい景色が見れそうっす。あ、ミャーさん、そろそろ本題やりましょ』
『そうか、今日の本題はなんだ、鷹峰』
『ずばり! ミャーさんのゲーム特訓企画っす!』
『私のか、今の実力でも問題ないと言われているのだが。ほら、視聴者も同意しているぞ』
『それは取れ高的な意味での話っす! いい加減コントローラーも体も振り回す必要がないってこと覚えてほしいっす!』
「おおー、そうきたか」
「このミャーさんはゲームってやつが苦手なのか」
「そうですね。破滅的に下手です……もしかして、ゲームって言われてもわかりませんか?」
「ああ、すまない、教えてくれ」
その後、ゲームという概念を理解したマートンは、鷹峰がミャーさんを手取り足取り指導している所を見て、大樹がこの配信をよく見ている理由を悟った。実際、リスナーの大半は百合好きの紳士淑女である。
攻撃隊の方々の出番はしばらく後になります。今回はちょい役。