秘密の魔法少女くん、すなわち花沢大樹にとって、天国とはすなわち百合の花園である。女の子が女の子と手を取り合い、会話を重ね、誰にも邪魔されることなくその関係性を深めていく光景こそ彼が理想とする景色である。
しかし、この言い分には一つ、大樹が大樹であるが故の大きな矛盾が存在した。百合の花園に立ち入れるのは女性のみ。であるならば、内に持つ精神性が男である大樹その人は、どうあがいても──それこそある朝突然女性の体を手に入れたとしても──天国に立ち入ることはできない。
もちろん、彼がこの矛盾に気づかない道理はない。そして既に結論を出していた。眺めるだけで構わない、何なら眺めることができなくてもあると想像するだけで充分なのだ、むしろそこに割り込むことは自分自身が許せない、と。
「そんなに怖がらなくてもいいじゃない。別にお金取ろうってわけじゃないんだから。もうちょっと肩の力抜きなさいよ」
「は、はい」
「大丈夫、安心して。魔法少女のお姉さんたちが道案内してあげる。お名前は?」
「えっ、あー、あー」
ゆえに彼は、たとえ天国から手を差し伸べられたとしても、必死に知恵を絞ってその手を振り払わなければならないのだ。
話は少し前、銀髪少女の自室にまでさかのぼる。
「地図があると便利だろうか……」
ふと、ぬいぐるみはそうこぼした。
「地図ですか?」
「ああ、正確に言えば路線図だろうか。今までは方角と大雑把な距離をもとに目的地に向かっていたが、路線図があればもっと近い駅を目指したり、万が一で行き止まりにたどり着くことを防ぐことができたりするだろうからな。行き先がわかったほうが大樹も安心だろう」
「あー、確かに、そうですね」
既に障壁の外にちょっかいを仕掛けに行く日常に慣れつつあった大樹は、また何度か道の先を予見できずに目的の方角からずれていってしまったことを思い出す。
「それじゃあ、外の地下鉄に路線図を探しに行きますか?」
「だな、ついでに内側の路線図も記録して、どこの駅からなら人目に付きにくいかも予想できれば御の字だ」
そうして、彼らは最寄りの駅──トーキアの東側でも比較的大規模な駅*1──に向かったのである。
「こっちと、こっち、それからここ。南で外につながってそうなのはこれぐらいでしょうか」
「だな、南のほうには何か有名な建物はあったか?」
「さぁ……僕はそんなに詳しくないですね……ただ、沿岸の埋め立て地は緩衝地帯扱いされてますから、人は寄らないでしょうね」
「なるほど、ねらい目だな」
改札口、切符売り場の近くに掲げられた路線図の前に立つ銀髪少女。彼はリュックサックを抱えており、ジッパーをわずかに開けてささやいていた。リュックの中からはぬいぐるみが少しだけ顔を出してスマホをいじっている。
あまり大声で話せる内容でもないし、魔法を持たないただの少女の傍にフェーリがいるというのも不自然だということで用意した警戒策であった。フェーリの呼吸は声を発するためだけの機能に由来するために、生存には関係ないが故のアイデアだった。
「よし、次は西だな」
「そうですね。えっと……西となると……」
マートンの一言に同意して、再び考察に戻ろうとしたその時。
「あの……何か困ってるの?」
と、声をかけられて、反射的に振り返り、天国に迫られていたことに気づくのであった。
トーキア内における一般市民の移動手段は主に地下鉄である。地上に道路がないわけではないものの、燃料不足と生産の壊滅により一般道を使えるのは物流と公共交通機関に限られている。
また、地上の鉄道路線はどうかというと、日本全土から受け入れた避難民が生活するための再開発により、点検整備のための施設を残して軒並み姿を消した。この決定にはトラジストへの対抗策で地下鉄網が拡大したことも関係している。*2
その日、チームヒイラギは非番だったため、新垣晴香は親友にしてチームリーダーの大沢千代とともにショッピングモールへ買い物にでも行こうかという話になった。その道中、千代が何かを見つけた。
「晴香、あれ」
彼女が指さした先には、路線図を前にして固まっている銀髪の女の子がいた。その女の子は値段を確かめるわけでもなく、道順をを確かめているわけでもなく、ただ眺めてぼそぼそと呟いているだけで、周囲から少し疎外されている印象を与えてくる。
「どうしたのかな、千代ちゃん」
「何か困っているんじゃないかしら。聞いてみましょう」
そう言葉を交わして二人はその少女に近づいた。背丈は晴香と千代より一回り小さく、年下のように見えた。
「あの……何か困ってるの?」
と、晴香が声をかける。
「んぇ……あっ、なっ、なんでしょう」
振り向いた少女はかなり動揺したようだった。慌てて抱えていたリュックのジッパーを閉じている。
「何か、困っていることはない?」
「あっ、いえ、いえ、なんでもないです……その、道に迷っただけで……」
「迷子ってことじゃないの。大問題じゃない」
「あー、えっと確かに、そう、ですねぇ」
千代の一言に少女が納得したところで、晴香は必要な情報を聞き出すことにした。
「親御さんと一緒? それとも一人?」
「一人、です。えっと、親はぁ、ですねえ、仕事で忙しくて……」
「どこに行きたかったか、覚えてる?」
「……服……を、買いに行こうと、えっと、ショッピングモールに」
「えーっと、もしかしたら、私たちと同じところに行きたいのかも。千代ちゃん、どう思う?」
「財布の中身はいくらかしら?」
「えっ?」
「あー、電車代はどれくらい持ってるかしら」
「千円ぐらい、です」
千代はスマホを取り出すと、地図アプリを開く。
「こっから片道500円以内のショッピングモールは……そうね、当たりだわ」
千代と晴香は目を合わせる。お互い、聞きたいであろうこと、答えるであろうこと、その両方を察した。
「あのね、君が行きたいお店は、私たちが行きたい場所の近くにあるの。だから、案内してあげる!」
「はぇ?」
それを聞いた女の子は、半端な鳴き声をあげて動かなくなった。それを聞いた二人は再起動を待つ。
「あっ、いやいや、別にお二方の手を煩わせるわけには……」
途端、早口になる銀髪少女であった。
「そんなに気にする必要なんかないわよ。行き先が一緒ってだけなんだから」
「あっ、そうですか。えーっと、だからと言ってですね……わざわざ一緒に行く必要もないと思うんですよ。ほら、道順を教えてもらうだけで大丈夫ですから、ね?」
「でも、一緒に行ったほうが確実だと思うな。また迷いそうになっちゃっても、私たちについてくれば平気だから」
「ひえぇ、でもですね、でもですね……」
女の子はおびえていて、必死に逃げる口実を探っているようだった。どうしてだろうと頭をひねっていた晴香は、その実自己紹介をしていなかったことに思い至った。なるほど、素性のわからない人についていくのは確かに怖いものだ。
「そういえば自己紹介してなかったね。私は新垣晴香」
「私は大沢千代。晴香と一緒に魔法少女として活動しているわ」
「ひえぇぇ、魔法少女だぁ」
女の子はより一層深くおびえているようだった。魔法少女という存在はどちらかというと希望であったりとか、憧れであったりとかするわけで、そのため魔法少女であると明かすと大抵の人は感心したり、喜んだりするのだが。この子はどういうわけか余計に恐れをなしている。一体全体どうしてだろうか。全く不思議なものである。
「そんなに怖がらなくてもいいじゃない。別にお金取ろうってわけじゃないんだから。もうちょっと肩の力抜きなさいよ」
「は、はい」
「大丈夫、安心して。魔法少女のお姉さんたちが案内してあげる。お名前は?」
「えっ、あー、あー」
女の子は一瞬考えると、
「ぼ……いや、わたしは、えーっと、花沢、
と、諦めたかのように自己紹介をした。
「ゆりちゃんね、よろしく!」
「あっ、よろしく、お願いします。えっと、千代さん、晴香さん」
千代はそれを聞いて頷く。
「よし、それじゃあ、早速行きましょう」
そして、音頭を取った。
「あっ、ごめんなさい。ちょっと、お手洗いに……」
「ん、全然かまわないわ」
「はい、ありがとうございます……」
そういうや否や、花沢は駆け足でお手洗いに向かった。その背中を見た千代は、
「……怖がらせちゃったかしら」
と、こぼす。
「大丈夫だよ、千代ちゃん。ゆりちゃんは多分、初対面の人と話すのが苦手なだけだったのかもしれないし、私たちが急に話しかけたから驚いて状況が吞み込めなかったのかもしれないし、とにかくきっとすぐに仲良くなれると思うよ」
「そうね、ていうか、何度も会う気なのね」
晴香はすぐ前向きに励ます。千代はその楽観を簡単に受け入れた。やがて、お手洗いからふらふらと出てきた花沢を迎え、三人は改札を通り抜けた。