八神と京也は、横浜にある億山グループのホテルの展望レストランで、横浜湾の夜景を見ながらディナーを摂っていた。
「いぶき、どうした風の吹き回しだよ。いつもならデートコースの途中にあるホテルを全て事前にチェックして、綿密に迂回路を調べてくる君が、自分から夕食の誘いを掛けて来るなんて?」
「今夜は、お別れを言いに来たの・・・」
「ふ~ん。面白い冗談だね。今朝、大学まで送ってあげた時は、また今度って言ってたのに・・・」
「冗談じゃないのよ。私、他に好きな人がいるの・・・」
「他に好きな人?・・・ひょっとして一刻館の五代さんのことかい?」
いぶきは、はっとした表情をして、飲みかけのワイングラスをテーブルに置くと暗い表情で俯いた。京也はいぶきの顔をじっと見詰めた。
「あはは。こりゃあ可笑しい。いぶきが妻子ある男に恋をしているなんて・・・やっぱり面白い冗談だよ。あははは!」
「私は真面目なのよ。五代さんのことを誰よりも愛しているの・・・だから、あなたとは、これっきりにしたいの」
「最後の晩餐という訳か・・・いいよ、ただし俺にも条件がある。最後の晩餐のデザートは、いぶき自身だ」
「え・・・?」
「最後の夜を一緒に朝まで過ごして欲しいってことだよ。今夜は君を帰さない」
「じ、冗談でしょっ!」
「冗談じゃないよ。このホテルのスイート・ルームを予約している。今夜は、いぶきからもいい返事がもらえると思っているよ」
「どういう事?言ってる意味が分からない」
京也は八神の問いを無視して煙草を咥えると火を点け、ふう~っと煙を彼女の顔に吹き付けた。
「だけどいぶきも、一刻館で幸せに暮らしている家族から男を奪おうなんて、悪い女だったんだね?実は俺も、悪い男だったんだ。悪い者同士、取引をしようじゃないか」
「今、Team億山は五代さんが勤めているしいの実保育園の土地を買う話を進めている。話が纏まれば、しいの実保育園は無くなり、五代さんは職を失うことになる」
「そこで取引だけど、いぶきを最後に抱かせてくれたら、その話は無かった事にしようと思うんだけど、どうかな?」
「あんたって最低の男だったのね」
「怒った顔のいぶきはやっぱり最高だね。いい夜になりそうな気がするなあ。さあ、どうする?」
京也は煙草を灰皿に置いてワイングラスを口に運んだ。いぶきはしばらく間をおいて静かに答えた。
「分かったわ・・・」
「いい返事をありがとう。それでは二人の夜に乾杯!」
京也が手に持ったワイングラスを、いぶきの前に置かれたワイングラスに軽く当てて言った。
いぶきの前のワイングラスには、微かにいぶきの口紅の跡が付いていた。
裕作は横浜に向かうタクシーの中で、今朝出掛ける時に響子に言った言葉を思い出していた。
「今晩の帰りは、いつもと同じで無くなっちゃったなあ。とにかく急いで何とかしよう!」
裕作は響子の不機嫌に怒る顔を思い起こしながら、ふう~っと溜め息を吐いた。
八神は顔を伏せたまま広々としたスイート・ルームの中で呆然と佇んでいた。
京也はスイート・ルームのドアに鍵をかけた後、ゆっくりと彼女に近付いた。
八神は顔を起こして京也の真剣な表情を見詰め、思わず後ずさりしながら顔を小さく振った。
突然、京也は八神に覆い被さり、ダブルベッドの上に自分の全身で押し潰すような形で彼女を押し倒した。
「ニットは胸がくっきりして、色っぽいね・・・」
そう言うと京也はニットの上から、八神の胸を揉みしだいた。
「あ・・・いや・・・」
八神は思わず声を上げた。京也が両足を彼女の脚を開かせるように絡ませて、右手を捲れ上がったスカートの中に持っていこうとした時、八神はびくっと体を震わせた。
京也は彼女に訊ねた。
「初めてなの?」
八神は体を小刻みに震わせながら、小さく頷いた。京也は彼女の髪を掻き上げると、強引に柔らかそうな唇を塞ごうとした。
「い、いやっ・・・シャワー、浴びさせて・・・」
八神は京也と自分の胸の間に手をこじ入れ、京也の体を押しやった。
彼女は浴室で白い肌にシャワーの飛沫を受けながら、自分自身を納得させる理由を探していた。
((これも五代先生の為だもの。今夜のことは、私の心の底にそっとしまっておけばいいのよ。私の心まで抱かれるわけじゃないんだし・・・・))
八神の真っ白で柔らかそうな乳房の膨らみの上で、シャワーの滴が四方に跳ねた。
裕作は八神と京也のいるホテルのフロントに来ていた。
このホテルは億山グループの所有物だから、人の大勢いる所で京也に詰め寄っても摘み出されることは裕作にも分かっていた。
裕作は二階堂に借りた「Team億山」の記章の着いた背広姿でフロント係に言った。
「Team億山の二階堂と申します。億山部長にこの書類を渡すよう言付けられて来たのですが・・・」
裕作は何も入って無い空の紙袋をフロント係に見せた。フロント係は預かろうと手を出した。
裕作は手を遮った。
「ああ、大事な書類ですから。それに部長からは、予約している部屋に直接届けに来て欲しいと言われていますので」
「それから部屋にいない場合、部屋で待っておくように言われてますので、スペアキーを貸して頂けませんか?」
フロント係は京也を呼び出して確認を取ろうとした。裕作が再び遮った。
「あっ、部長は女性と同伴のはずです。野暮なことをなさると叱られますよ」
フロント係は裕作に社員番号と内線番号を訊ね、裕作は二階堂に聞いた番号を答えた。
そして裕作はフロント係に渡されたスイート・ルームのスペアキーを持ってエレベーターの乗り口に急いだ。
八神は裸体にバスタオルを巻き付けただけの格好で、濡れて輝く長い髪からわずかに滴をしたたらせながら京也の待つ部屋に入った。
京也はダブルベッドの側で全裸になって、ウィスキーの水割りを用意していた。八神は京也の体から目を背けた。
「汗を掻いた後に飲もうと思ってね。いぶきも飲むだろう?」
京也は秘かに八神のグラスの中に睡眠薬を忍ばせていた。傍らにはカメラも隠していた。
彼女を眠らせて写真を撮ってしまえば、もはや自分から離れることは出来ないだろうという下衆な魂胆だった。
京也は目を背けている八神に背後から近付き抱き締めると、彼女の脚に右手を持っていき、バスタオルを捲れ上がらせながらゆっくりと太股へ這い上がらせていった。
八神は目を瞑ってなすがままになっていた。
京也が強引に彼女を振り向かせ、顔を近付けて唇を重ねようとしたその時、スイート・ルームのドアがバタンと乱暴に開く音がして、裕作が息を弾ませながら中に駆け込んできた。
「この野郎、そこまでだっ!」
「ご、五代先生っ!ど、どうして・・・」
八神が京也の手を振り払い、部屋の隅に逃げた。京也が慌てて脱ぎ捨てた服で前を隠した。
「ご、五代さん!あなた、どういうつもりですか?」
「ど~も、こ~もあるもんかっ。この女たらし野郎!お前が、どんな悪党かこっちにはぜ~んぶ分かっているんだっ!」
「あ、あはは。ご、五代さんこそ、いぶきをしつこく追いかけ回していたスケベ教師じゃないですか」
「今はいぶきをたらし込んで愛人にしようとしているみたいだけど・・・」
「何の話だっ?俺にはさっぱり意味が分からんが・・・とにかく八神を悲しませる様な真似は、絶対に許すわけにはいかんのだっ!」
すると部屋の隅にいた八神が、嬉しさの余り裕作に抱き付いた。
「きゃあ~。五代先生!やっぱり私のことを愛してくれていたのね~」
「や、八神。は、離れろ・・・お前、は、裸じゃないか・・・」
裕作は八神を振り切ろうとして、八神と足が交差し、二人ともその場に倒れ込んでしまった。
裕作は倒れ込んだダブルベッドの側に、隠してあったカメラを見つけた。
「おいっ!何だこれはっ?これで八神の写真を撮るつもりだったんだろう・・・なんちゅ~奴だっ。俺は許さんぞっ!」
「ひ、酷いわ・・・あんたっ~て男はっ。私も許さないっ!」
八神も京也の魂胆を知って叫いた。裕作は手に持ったカメラで全裸の京也の写真を撮った。京也は慌てて逃げ回った。
「な、何なんだっ!そ、そうだ。五代さん、あんた職を失ってもいいのか?」
「そんな脅しに乗ると思っているのかっ。そんなことで俺が八神を犠牲にする訳がないだろう」
「それにTeam億山の不正行為に関する情報は既にさる筋から入手しているんだ。もう逃げらんぞっ」
裕作は、すまんっ二階堂と思いながら、はったりを言った。京也も流石に諦めた様子だった。
「あ、謝るから・・・この事は、全て内緒にしておいて下さい。あの親父に知られたら半殺しの目に遭うから・・・す、済みませんでした」
「こ、この部屋、今晩は五代さん達で自由に使って下さい。それじゃあ、僕はこれで・・・」
京也は慌てふためき、服を着ながらスイート・ルームから逃げるように出て行った。
残された裕作は、ほっと胸を撫で下ろしながら、ふと八神の姿を見た。
八神は両手を合わせて感無量の表情を浮かべ、裕作の顔を見詰めていた。
体に巻き付けていたバスタオルは、いつの間にか無くなっていて、彼女は完全な全裸の格好だった。
「きゃあ~。素敵っ、五代先生!私を助けに来てくれるなんて。もうっ、大っ好きっ!」
八神は全裸のまま両手を広げて唖然としている裕作に飛び付き、思い切り抱き締めた。
彼女の柔らかな乳房の感触を胸に受けてくらくらとしている裕作の唇に、八神は自分の唇を重ねた。
裕作は思わず両手で彼女の腰を抱きとめてしまった。裕作は我を忘れ、そのまま目を閉じ、八神の柔らかな唇を吸った。
裕作の右手が無意識のうちに彼女の腰を優しく愛撫していた。
八神は恍惚の表情を浮かべ、塞がれた唇から軽く喘ぎを漏らした。
その時、裕作ははっと我に返り、両手で彼女の体を引き離した。
「だ、だめだっ!こ、こんな事は許されないっ!」
「ご、五代先生・・・私達、ここまで来たら、もう後戻り出来ないのよ・・・」
「や、八神・・・何を言うんだっ。これじゃあ、ミイラ取りがミイラになってしまうじゃないか。は、早まるな・・・もっと自分を大切にしろ・・・」
裕作は迫ってくる八神から離れるように後ずさりしながら、激しく首を振った。
八神は逃げる裕作に覆い被さり、ダブルベッドの上に押し倒した。
避けようとした裕作の左手が、ちょうど八神の乳房を包み込む様な形のまま、彼女と裕作の体の間に挟まれた。
「五代先生・・・私の胸、女子校生の時より大きくなったでしょ・・・」
「え。あ、ああ確かに。お、大きくなったねえ・・・」
「五代先生・・・好きです。やっぱり初めての相手は、五代先生しか考えられない。五代先生、抱いて下さい・・・」
「ぼ、僕には愛する妻も子供もいる。や、八神の気持ちは嬉しいが、君の気持ちに応えることは、どうしても出来ない。僕はもう帰るっ!」
「いや・・・今夜は、逃がさないんだから・・・」
「う、うわっ・・・」
八神が裸の体を密着させてきて、その感触に驚いた裕作は再び両手で彼女の体を引き離した。
「いーかげんにしないと怒るぞっ!」
裕作は額からしたたり落ちる汗を拭うと、ふとベッドの側に置いてあるウィスキーの水割りに気付き、グラスを手に取り一気に飲み干した。
「だいたい八神。お前、助けてもらっておきながら、俺を困ら・・・・」
突然、裕作の視界が真っ暗になり、裕作はダブルベッドの上にそのまま倒れ込んだ。
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「五代君、やけに遅いねえ。保育園は早退したって言ってるし、一体何やってるんだろうねえ?」
一刻館の管理人室で心配そうに俯いている響子に向かって一ノ瀬が言った。
四谷がちゃぶ台の上に用意された夕食に舌舐め擦りしながら呟いた。
「どっかで浮気でもしてるんですかね?お腹が空いたら帰って来るんじゃないですか?」
「犬じゃあるまいし・・・」
響子はちゃぶ台の上に伸びた四谷の手を、ぴしゃりと叩きながら答えた。
その時、廊下の隅の赤電話から呼び出しのベルが聞こえてきた。
「ああ。五代君からだよ、きっと・・・」
一ノ瀬が話しかけた時には、もう響子は席を立ち、管理人室の扉を開けて廊下へ飛び出していた。
慌てて一ノ瀬と四谷も席を立ち、響子の後を追った。響子は赤電話の受話器を取り上げ、いきなり怒鳴った。
「何やってんですか、あなたはっ!今朝、いつもと同じに帰って来るって言ったじゃないのっ!」
「わっ!ご、御免なさい、管理人さん。僕、何か悪いことしましたか?」
「え・・・もしもし・・・あなた、どちらさまですか?」
「あ、ご無沙汰しています。一刻館でお世話になった二階堂です」
「に、二階堂さん・・・こ、これはどうも失礼しました。こちらこそご無沙汰しています。お元気ですか?ほほほ」
「その様子じゃ、やっぱり五代さんまだ帰ってないんですね。実は僕、今は東京に戻って来ていて、億山の所で働いているんです」
「え。億山って、八神さんのボーイフレンドの億山京也さんの事ですか?」
「はい。それで今日、会社で五代さんと八神さんに会ったんです。二人は京也に会いに来たみたいでした」
「事情はあんまりよく分かりませんが、八神さんはケジメを付けたいって言って、五代さんは許さんぞって怒ってました」
「それで八神さんと京也は会社のリムジンで横浜のホテルへ逃げて、五代さんは八神さんを京也から引き離すとか言って二人を追い駆けて行っちゃいました」
「その時、五代さんに頼まれて僕の会社の服と記章を貸してあげたのですが、いつまで待っても・・・もしもし、管理人さん?」
響子は呆然と魂の抜けたような表情をして受話器を落とした。受話器は響子の前で力無くただブラブラと揺れた。
響子は振り返ると、そのまま幽霊のように静かに管理人室の方へ歩いていった。
一ノ瀬は不思議そうにブラブラと揺れている受話器を受け取った。
「ちょっとお、二階堂君。管理人さんに、一体さぁ何を言ったんだい?」
「へえー。つまり五代君が八神さんと本当に浮気をしていて、八神さんが億山さんと結婚する為に、五代君との関係を清算してケジメを付けたいって言ってるのを、五代君が許さないって怒っているわけね~」
「それで五代君が恐くて、八神さんは婚約者と横浜に逃げて行ったのを五代君が追いかけて行ったって話かあ」
「何て野郎なんだろ・・・ひっどい浮気者じゃないのお。五代君がそんな悪い男だったなんて、見損なったわっ!」
茶々丸で仕事を放っぽりだし、自棄酒を飲みながら一の瀬と四谷の会話に加わっていた朱美が叫いた。
「それで管理人さん、どうしてるのよ?」
「それがねえ。しばらく管理人室で泣いていたかと思ったら、管理人室の中の五代君の荷物を全部、5号室に運び始めてねえ。あれも一応、別居ってことになるのかねえ?」
一の瀬が一升瓶の酒をコップに注ぎながら朱美に答えた。四谷が泥酔状態で付け加えた。
「ひっく・・・ひっく、こりゃあ決定的ですなあ。もう別れるしか、ないんじゃないでしょうか・・・ひっく。」
話を聞いていたカウンターのマスターが朱美に言った。
「あの~ちょっと、そこの奥さん。働いてもらえないでしょうか?・・・だけど、あの五代君がそんな悪い男だとは、とても思えないんだけどねえ・・・」
「あんたは、甘いのよお~。男なんて結婚したら、み~んな変わっちゃうんだから。特に若い娘が側にいたときには、も~処置無しね~」
「ああ、ほんと悲しいわ~。飲まずにいられない。今夜は私がおごるから、みんなで朝まで飲もうっ!」
「あ、朱美さん・・・」
そう呟きながらマスターは、がっくりとカウンターの上に倒れ込んだ。
(次回へ続く)