「酷いよ、漣君」
「酷い?」
「私よりも他の誰かのことを気にするなんて酷いよ」
────酷い。この時はそう言われた理由を理解できなかった。
「俺は正しいことをした。だって、俺が助けに行かなかったらあの子の命は無かったかもしれないんだから」
「正しい? さっきのが? 漣君だって死んでたかもしれないのに?」
「人を助けるってことは何よりも正しいことだよ。それに、死ぬことは怖くない。こういうことをする以上覚悟はできてるから。でも、もちろんそうならないように努力はしてるつもりだよ」
「……どうしてそこまでするの?」
「俺は人を助けられる人間で在りたいから」
この信念は、今も、今までも、そしてこれからも決して変わることはない。断言できる。
「だったら、他の人なんて助けなくていい。漣君は私だけを助けて」
この言葉を聞いた瞬間、自分の中で何かが切れた。プツンと、張り詰めた糸が切れたみたいに。こんなことは初めてだった。
「……ふざけるな」
気がつけば感情のままにこの女の子を罵ってた。さっき助けた子どもや、自分が今まで助けた人たちの笑顔を否定された気がしたから。今までのこともあったし、もう我慢なんてできなかった。今まではこの女の子の心を傷つけないように怒るのは控えてたけれど、こんなことを言われたらそういう訳にもいかなかった。言うべきことはハッキリ言った方が良いって学んだ瞬間だ。
「君はそうやって人の優しさに甘えて優越感に浸りたいだけだ。助けて欲しいだなんて一切思ってない」
「……違う!」
「何が違うんだ。自分以外の誰かを助けないで欲しい。でも、自分だけはちゃんと助けて欲しい……虫が良すぎるよ、そんなの」
自分の利益のために誰かを利用する、それを許せないのは今も昔も変わらない。自分だけが得をして、もう一方は損をする。そんなの、バカげてる。
「悪いけど、俺に君は助けられない。助けるとか以前の問題だよ」
「そんな……!」
だから、拒絶した。
最初は助けたいと思った。でも、それはこのどうしようもない人間性を根底から変えるってことだ。そのためには助けられるかもしれない誰かを見過ごすことになるし、同時に人を助けられる人間で在りたいという信念まで捨てることになる。大切なものをたくさん犠牲にしてまで助けたいとは思えなかった。
こう思ったのは初めてだった。自分じゃどうあがいても助けられない人間がいるんだなと思って胸が苦しくなった。
「漣君、最後に1つだけ訊いてもいい?」
「……内容による」
「好きな男の子を独り占めしたいってそんなに悪いことなの?」
「ッ!」
言われるまで俺はこの女の子に恋愛感情を抱かれてるなんて気づきもしなかった。何か知らないけどストーキングしてくるし、俺のリコーダーをしゃぶるし、プレゼントに盗聴器や隠しカメラを仕込む危ない人という印象が強すぎてそれどころじゃなかった。今までの行動の動機は俺への嫌悪感だと思ってたけど、その実俺への好意だった訳だ。
恋は盲目────これは例えでも何でもない。恋には自他共にその在り方を歪ませるほどの力がある。今こうしてこの夢を見てるのは、俺自身がそうなりかけてるからだ。
「……分からない」
その問いに対する答えは出なかった。けれど、肯定する気は湧かなかった。
俺は『人を助けられる人間』として人を助けてみんなを笑顔に幸せにする。恋愛をするとそれができなくなる。そのために自分の在り方を捻じ曲げたくない。更に、大切に想ってくれる人の心を傷つけることになる。ついでにその人間の性格が最悪という可能性もある。良いことなんて何1つ無い。だから恋愛は好きじゃない。
「漣君がそう言うってことは、きっとダメってことなんだね」
女の子は涙を浮かべて、ぽつりと呟いた。
「……ごめん」
最後にそう告げて、俺は女の子の前から逃げるように離れた。
罪悪感はあった。歪んではいたけれど、涙を流すほど自分のことを大切に想ってくれてたから。そんな子の悲しむ顔なんて見たくなかった。
でも、自分の信念を貫くため、最良の結果を得るため、時には犠牲が必要だ。少なくとも、この時の自分にとっては最善の判断だったと思う。今でもそれは変わらない。
────俺は最低最悪の破綻者だ。みんなを笑顔に幸せにしたいと願っていながら、人の心を傷つける。本来1番に優先すべきは大切な人だと信じていながら、自分は人を助けること以外を1番に優先できない。必要な犠牲なんてあっちゃいけないと理解していながら、犠牲は必要だったと割り切れる。
そんなヤツに、1人の女の子を好きになる資格なんてあるはずがない。酷いと言われるのも当然だ────。
※※※
「漣、ホテル着いたぞ」
「……え」
目が覚めると、バスの中には俺と本田以外誰もいないことに気づいた。
「みんなは?」
「荷物を部屋に持って行ってるところだ」
「じゃあ本田だけここにいるのは?」
「お前の面倒を見てたからだ。同室だから都合が良いと思ってな」
「……そうか」
「にしても、お前寝てる時すげー苦しそうだったぞ。汗も半端ないし。嫌な夢でも見てたのか?」
「……ああ、ちょっとな」
本当に嫌な夢だった。ちょっとどころじゃない。おかげで身体は重いし、気分も悪い。
「無理もねぇか、今日は戦争の話ばっかだったからな。でもよ、気分を悪くするくらいならバスん中で待ってるって手もあったろ」
修学旅行1日目。今日の予定は戦争の歴史を学ぶことだった。ひめゆりの塔、平和祈念公園、沖縄戦を生き延びたおじいさんの話。どれも惨たらしくて、目を背けたくなるような内容だった。
「お前の言う通りだな。でもさ、これを知らずにいるのはダメだろ。人間として」
「相変わらず真面目っつーか優しいっつーか……ま、それがお前の良いところだけどな」
「んじゃ、そろそろ行くぞ」と本田は後に付け加え、一緒にバスから出た。
そのままホテルのロビーに入る。そして、修学旅行前にここに送った自分の荷物が入ったスーツケースがあることを確認した。
「お前の荷物貸せ。部屋に持ってってやる」
「良いのか?」
「気分わりぃんだから無理すんなって」
「……ありがとな」
「あ、そういやホテルの裏の海、晩飯の時間まで開放してるって聞いたぜ。せっかくだから行ってみたらどうだ?」
海か。遠くからちょいちょい見えてたけど、まだ間近で見てないな。
「ああ、行ってみる。後で何かお礼しなきゃな」
「別にいいっての。ただ助けたくて助けただけだ」
「だったら、尚更だよ」
「うーん……だったら進展聞かせろよ」
「は?」
「当たり前だろ? ある意味1番楽しみなんだからよ」
そう言えば、コイツは最初から俺と田中さんの関係を気にしてたな。改めて意識するとめちゃくちゃ恥ずかしい。いざ自覚すると言葉に詰まる……。
「まあ、努力はするよ」
本田には悪いけど、もう進展は無い。田中さんとの仲はこれ以上深めないって決めたから。でも、田中さんとの仲が悪くならないように努力はするつもりだ。一応嘘は言ってない。
「以外だな、お前がそう答えるの」
「別に普通だって」
「そうか。ま、頑張れよ」
この様子だとバレてないみたいで助ける。
※※※
海の力とは偉大なもので、悪かった気分もいくらかマシになった。透き通る青い水面、波の音、磯の香り、海に沈む夕日。沖縄というのもあって、どれもいつも以上に良いと思え────。
「ッ!」
いきなり首筋に冷たい感覚が走った。
「ふふー、不意打ち成功ー」
「ちょっ、今あんまり調子良くないんだから……!」
「だから軽めにしてあげたんだケド」
「軽めって……」
田中さんか。今1番会いたくない相手だ。
「これあげるー」
「……ありがと」
渡されたのは未開封の缶ジュース。軽めのイタズラなのは本当らしい。悪い子だって言いつつも何だかんだ気にかけてくれるあたり良い子だと思う。何て言うか……そういうところ。
「……ねぇ、話がある」
「話せることだったら何でも言って」
「最近まみみのこと避けてないー?」
────バレてる。やっぱり田中さんは何でもお見通しなのか。何だか俺以上に俺のことを理解してるみたいだ。そうやって心配してくれるのは嬉しい。
でも、だからと言って「はいそうです」とは答えられない。田中さんと一緒にいると、あの時のことを思い出す。あれだけは何が何でも繰り返しちゃいけない。そうしないためにも、俺は本音を隠す。
「いや、いつも通りだよ。避ける理由なんて無いし」
「ほんとー?」
「ホントだよ」
「ほんとにほんとー?」
「だからホントだって。心配しなくても大丈夫だよ」
やけに念入りに訊いてくるな。これは間違いなく探りを入れてる。ボロが出る瞬間を待ってるんだ。身構えておこう。
「あーあ、まみみ傷ついちゃったかもー。漣が素っ気ないからー」
「ッ!」
「……引っかかったねー」
「クッ……!」
的確に地雷を踏んでくるなんて……! そこまで知られてるなら、隠す意味なんて無いじゃないか……!
「下らない嘘とかやめて。バレバレだから」
「……上手くいくと思ったんだけどなぁ」
「漣は表情を取り繕うのも、嘘を言うのも上手い。でも、雰囲気までは誤魔化せてない」
小さい頃からずっと見てきた姉さんの騙し方を参考にしてもダメか。結構自信あったのに。雰囲気なんてどうやって誤魔化せばいいんだよ。無理があるだろ。
「漣ってさ、ほんとバカみたいに優しいよねー」
「え?」
「さっきの戦争の話の時、凄く辛い顔してたでしょー」
「うん、それはそうだよ。だって、あのおじいさんは凄く辛そうな顔をしてた。辛くて、悲しくて、悲しい経験をして……そういうのって、嫌に決まってるから。だから、あの時辛い思いをした誰かを1人でもいいから助けられたらって……そう思った」
そうだ、誰かが傷つく姿なんて見たくない。それは今も昔も変わらない真理だ。
「そこまで人を助けたいのー?」
「当たり前だよ。だって、俺は人を助けられる人間で在りたいから。それに、俺にとって人を助けるってことは使命で、役割で、存在理由だから。助けを必要としてる人を放っておくことなんてできないよ」
もっとも、それは歪んだものだ。けれど、それでもいいから俺はそう在りたい。だって、人を助けるってことは何よりも正しいんだから。何があっても諦めたくないし、逃げたくない。
「ほんと、良い子って感じの答えだねー」
「良い子、か。俺はそうは思わない。寧ろ逆じゃないかな」
「逆?」
「だって、俺は人を助けるために人の心を犠牲にして傷つけた。それをできるヤツが良い子な訳ないよ」
田中さん的に言えば、俺は悪い子だ。今まで「良いヤツ」だとか「優しい」だとか何度も言われてきたけれど、そんなことは決してない。
ただ、人を助けるのに良い子も悪い子も関係無い。何であろうと俺は人を助ける。たとえ、何かを犠牲にして、人の心を傷つけてでも。その対象が自分を大切に想ってくれる人でも。
「もちろん、そうしないために最大限頑張ってるつもりだよ。犠牲なんて無いのが理想だから」
何も失わず、誰も傷つけず。そうやってみんなを笑顔に幸せにするのが1番良い。だから、犠牲にするとか切り捨てるとかは絶対にしたくない。
でも、残念ながら現実は理想とは程遠い。どうにもならなくて、そうしなきゃいけない時もある。最良の結果を得るために犠牲が必要だと判断すれば実行する。それは、理想からはあまりにもかけ離れた行動。致命的な矛盾。
「……漣は何も犠牲にしたくないのにできちゃうのが嫌なんでしょ」
「うん。だって、こんなの普通じゃない。おかしいよ」
「そうだねー」
もっとおかしいのは、それが矛盾してると理解していながらも、正しいと信じ続けてることだ。だから犠牲にしてでもなんて判断ができる。
「だからって、それを否定するつもりはないケド」
分かってた。だから、文化祭の時に田中さんは言った。『もし私が漣の彼女だったら人助けを最優先したって問題無い』って。今思えば、あれは冗談でも何でもなかった。田中さんは俺よりも早くその気持ちを自覚してたんだ。そう考えれば俺の抱える矛盾を肯定してることにも納得できる。
俺はあの時気づこうとしなかった。今みたいになるのが嫌だったから。でも、気づいてしまった以上もう遅い。
「ダメだよ」
俺ら2人はそういう関係にはなれない。これ以上一緒だと田中さんの心を傷つける。だから、ここで終わりにする。今ならまだ、間に合う。言いたくないけど、言うしかない。ハッキリさせる時が来たんだ。
「田中さんは俺の考えを肯定しちゃいけない。犠牲になって傷つくことになる」
「え……?」
「だから、もう終わりだよ。これ以上は……仲良くなっちゃいけない」
……卑怯だな。田中さんは自分の気持ちをちゃんと伝えてくれてるのに、俺はそれに応えようとしないんだから。まあ、田中さんなら俺がこんな救いようの無いヤツだって分かったからすぐに諦めてくれるはずだ。
「漣……」
「────え」
────涙。田中さんの目から、一粒の涙がこぼれた。
知ってる。この時に流れる涙が何を意味してるのか。大切に想ってる人に拒絶されたのが辛くて、悲しくて、苦しくて。あの女の子と同じように、田中さんはそこまで俺のことを大切に想ってくれてたのか。
「ッ……!」
やった。やらかした。これじゃ、あの時と同じ────いや、それ以上だ。「ごめん」というたった3文字の言葉を言えない。硬直して声が出ない。
俺は田中さんの心を傷つけたくて、泣かせたくてこんなことをした訳じゃない。でも、田中さんは今泣いてる。これじゃあ何も違わない。
「フッ、アハハハ……!」
やっぱり、俺は最低最悪の破綻者だ。こうやって、信念を貫くために自分を大切に想ってくれて、かつ自分が大切に想う女の子すら傷つけられるんだから。何より、これで良いと思ってる自分がいるから。あまりにもおかしすぎて笑えてくる。
俺は田中さんの気持ちを裏切った。犠牲にした。でも、これで人を助けられる人間で在りたいという信念を貫き続けることができる。この先の人生でこれ以上辛くなることは無いから。きっと、何かを犠牲にしても耐えられる。だから、これでいい。
「……そろそろ、夕食の時間だよ。早く戻った方が良い、寒くなるから」
とっとと謝れよクソ野郎、何やってんだ、バカかよ、ふざけんな────これほどのことをしておいて割り切れてる自分に罵詈雑言を浴びせながら、ホテルに戻った。
この主人公、序盤の頃から思ってたけど頭おかしいですね。まあそれはそれとしてヤバすぎて面白いし曇って絶望する顔が美しいので続けます。