「うーん……」
三者面談が終わって、教室を出て項垂れる。
結局進路は明確に定まらなかった。とりあえず大学に行こうとか、そんな漠然とした事しか考えられてない。先生には「三峰くんは成績優秀だから……」と励まされた。純粋に応援してるのは分かる。けれど、逆に辛い。これでやっていけるのか心配だ。
「安心しなさい。この時期の高校生なんてこんなものよ」
「そうかなぁ……」
「私はそうだったわ。結華だってお兄ちゃんだってお父さんだって、この時期には将来の事なんて決めてなかった」
廊下を歩きながら母さんと会話する。
そう言えばそうだった。姉さんも兄さんも受験勉強に本気で打ち込んだのは3年になってからだ。それでちゃんと第一志望に合格するんだから凄い。それが俺にできるかどうか……わからない。
「大丈夫よ。漣は真面目だもんね。全く、心配性なんだから」
「……これからも頑張るよ」
「珍しいわね、漣が謙遜しないなんて。これも摩美々ちゃんの影響かしら?」
「田中さんは関係無いでしょ」
「あらあら、照れちゃって~」
「そういう言い方しないで!」
煽られると余計に意識する。
「摩美々ちゃんが嫁に来たら将来安泰ね。絶対に逃がしちゃダメよ。あの子は漣にとって運命の女の子に違いないわ」
「気が早いって。まだそんな歳じゃないし。そもそも彼女でもないし」
「この段階で恋人じゃないの、ホントどうかしてるわよ……」
実際付き合ってないんだからしょうがないだろ。
でも、まぁ……運命だって信じたいのは確かだ。入れ込みすぎるのは決して良い事とは言えないけど、俺はもう田中さんに心を奪われた。この気持ちは変わらない。
「あ、忘れ物した。母さんは先行ってて、追いつくから」
「うん、あまり遅くならないようにね」
教室に忘れ物があったのを思い出した。ただ、俺の次の人が三者面談が始まった可能性がある。となると、多少遅れるかもしれない。
「それでも、急ぐ意味はあるか……」
ワンチャンまだ始まってないかもしれない。それに賭けて、走ってみるのは悪くない。とは言え、全力ダッシュで音を立てるのは迷惑だ。問題にならないように小走りで教室まで戻ろう。
そうやって走っていると────
「いっ……!」
通り過ぎようとした人の肩にぶつかってしまった。
「すいません! 大丈夫ですか!?」
「はい、大丈夫です」
「ホントにすいませんでした!」
頭を下げて、教室へ向かうために足を進める。
「────あの、これ落としましたよ」
そう言われて振り返る。
戻ると、落としたらしい俺の生徒手帳を差し出された。
「ありがとうございます」
「あなたがあの“漣”、ね?」
「っ……!?」
女の人の言葉に、思わず目を見開く。
何で名前を知ってるんだ? きっと生徒手帳で俺の名前を見たからだろう。なら、それは何も不思議な事じゃない。
けれど、問題はそこじゃない。この人はあたかも以前から俺という人間を知ってるように、確認するように問いかけてきた。一体、誰なんだ……?
「────どうも、田中摩美々の母です」
「……え?」
母? 田中摩美々の、母? え……?
「えぇぇぇぇ────!?」
驚きのあまり叫んだ。しかも学校の廊下で。周りに他の人がいたら恥ずかしくて死んでた。
「こ、こちらこそ……! お世話に、なってます……!」
お世話になってるって何様だよ……! 相手は田中さんのお母さんだぞ……!
慌てて頭を下げる。少なくとも、これだけは絶対にしなきゃいけない。パニック状態でもそれだけは分かった。
「ふふ、そんなに身構えなくてもいいわ。ただの挨拶だから」
「い、いえ、そういう訳には……!」
相手が相手なので、と心の中で付け加える。本当に心臓に悪すぎる。こんな事ある?
……大丈夫か? 殺されないか? 怒りを買ったらどうすれば許される? 即座に腹を切って詫びることも頭の内に入れておく必要があるかもしれない。偶然にしてももっとこう、心の準備をさせてくれ。
まあ、好きな女の子の親を前にして平常心でいられるかと言われれば……ありえない。どうしたって身構える。
「でも、驚いたわね。まさか男の子だったなんて。摩美々ちゃんの電話での話し方的には女の子だと思ってたのだけれど」
「はぁ……」
「あ、そう。漣くんに会ったら2人で話してみたいと思ってたの。いいかしら?」
「はい。お構いなく」
男だって知らないって……田中さん、親と俺について話してないのか。
い、一体どんな事を言われるんだ……? 一応の覚悟はできてるけど……。
「────ありがとう」
「え……?」
「あなたは摩美々ちゃんの友達でしょう? だから、会ったらまずお礼が言いたくて」
「は、はい……」
「2ヶ月前くらい前かしら。それまで友達がいるって知らなくて、そういうの初めてだからとても嬉しくて……」
田中さん、余計な人付き合いは必要無いってタイプだからな。ていうか、この人が俺を知ったのってそんな最近なのか。友達になったの4月だぞ。想像以上に親と会話してないんだな……。
「摩美々ちゃん、普段は口数の少ない子なの。でも、漣くんと話してる時、あの子いきいきとしていたわ。今思えば、あんなに楽しそうだったのは初めてかもしれない」
「っ……」
「私も夫も、ずっと仕事が忙しくて摩美々ちゃんに構ってあげられなかった。だから、一緒にいる時はつい溺愛しちゃって、イタズラや夜遊びに対しても叱るに叱れなくて……それが逆効果だって気づくのに遅れてしまったわ」
途切れること無く語られる田中さんへの想い。罪悪感、愛情、それ以外の様々な感情がこもっているのはハッキリと理解できた。
「漣くんは摩美々ちゃんが悪い事をしたらちゃんと叱って、真正面から向き合った。私達にはそれができなかった。きっと、あの子にとってはあまり良い親ではないのでしょうね……」
ひとしきり胸中を打ち明けたところで、田中さん母は俯いた。今まで娘と接する機会をちゃんと作らなかったことを悔いてるんだろう。表情からそうだと見て取れる。
────でも、俺は知ってる。不器用ながらも話してくれた田中さんのその気持ちを。嫌いだと思ったことはないという親に対する愛情を。だから────
「そんなことないです」
伝えなきゃいけない。心の底から娘を愛するこの優しい母親を放っておくことなんてできない。完全に拗れる前に改善できれば、そう思わずにはいられなかった。たとえ、それがお節介だとしても。
「田中さんは両親が嫌いだなんて思ってません。だから、良い親ではない、なんてことはありません」
「……それが、摩美々ちゃんの本心なのね?」
「はい。決して嘘なんかじゃないです。本人から直接聴きましたから」
「……そう。摩美々ちゃん、が……」
それから噛み締めるように「そう、なのね……」と零して、
「……漣くん」
「はい」
「ありがとう。摩美々ちゃんの気持ちを教えてくれて本当に、ありがとう……! これでようやく話す勇気が持てた……!」
目に涙を浮かべて礼を言う田中さん母。
これは心の底からの本音なんだろう。表情、言葉、行動から見て取れる。
こうして感謝されたってことは、俺はこの人の助けになれたってことだ。これで田中さんとの関係はある程度解消されたはず。もしそうなら、それは何よりも嬉しい。
「こうして話してみて分かったわ。摩美々ちゃんは漣くんだからこそ信頼しているんだって」
「そうであれば嬉しいです」
「謙遜しなくていいわ。だって私もあなたのことを信頼しているもの。もっと自信を持っていいのよ」
「……ありがとうございます」
「これからよろしくね、漣くん」
「こちらこそよろしくお願いします」
頭を上げると、そう言われて手を差し出された。そして、それに応じて握手をする。
ひとまず、悪いようにはならなくて安心した。一気に肩の荷が下りる。ここから険悪になる可能性は十分にあった。そうならなかったことを喜ぼう。
なんて良い感じにまとまってホッとしていると、
「────え」
唐突にやって来て驚きの声を上げる人が1人。
「田中さん……!?」
「これ、どういう状況ー?」
「漣くんと話してたの」
「三者面談の時間なのに来ないから急いで来たのに……こんなことあるー?」
「あぁ、うん……」
当たり前だ。田中さんのお母さんとばったり会うだなんて思うはずがない。こうして目の前にいて話したのに、未だに驚いてるくらいだ。
「漣、何話してたのー?」
「……まぁ、色々と」
「……いつも気を遣うなって言ってるでしょー」
「分かった。分かったから睨まないで」
流石にあの話は田中さんにとって地雷な気がするけど……大丈夫なのか?
田中さんのお母さんの方を見ると、どこか気まずそうだった。いきなり来たから尻込みしてるんだろう。まぁ、すぐにでも変わろうというのは難しいに決まってる。勇気を持てたと言えど、迷いを完全に振り払うのは簡単な事じゃない。
「……田中さんの話をしてた」
「あー……」
「この話は俺からじゃなくて田中さんのお母さんから直接聞いた方が良いよ。気まずいかもしれないけど」
俺に語ったのは、娘である田中さんへの想いだ。本人に直接言って初めて伝わるものだ。なら、これ以上入り込むべきじゃない。これは親子間の問題だ。
「では、俺はこれで失礼します。母さんを待たせてるので」
田中さんのお母さんに廊下を曲がり、階段を降りようとする。
……でも、これからどうなるか気になる。2人が和解できなかったらどうしようと考えると気が気でない。田中さんなら大丈夫なはずだ。でも、もし、万が一、という事があるかもしれない。
俺はこれに関してあくまでも第三者だ。踏み入るのはどうかと思う。同時に、このまま見過ごすのもどうかと思う。この後どうなるか見届けたいという気持ちを抱かずにはいられなかった。
結果、階段の前で足を止めて、2人から見えないようにこっそり見ることに決めた。盗み見は良くないけどバレなければ……って、何だか田中さんみたいだな。癖が伝染ったか?
「……ねぇ、摩美々ちゃん」
「どうしたの?」
「その……ごめん!」
「え……?」
「仕事の忙しさにかまけてちゃんと構ってあげられなかった。溺愛して怒ることも叱ることもできなかった。摩美々ちゃんが求めてるものと、私が求めてるものが違うってことを理解するのに時間がかかっちゃった。本当に、今まで迷惑をかけて、ごめん……!」
今まで募らせてた想いを全部打ち明けて、田中さんのお母さんは頭を下げる。その横顔からは、涙が溢れていた。この人の子を想う気持ちに嘘は無いという証拠だ。やっぱり、良い親ではない、なんて事はありえない。
「……ママもパパも悪くない。2人のおかげで私は自由に過ごせてるってわかってるから。謝る必要なんて……無い。だから、頭上げてよ。2人のこと……全然嫌いじゃないから」
ゆっくりと、田中さんは心の内を語る。その頬は若干赤かった。きっと、こうして好意的な言葉を直接言うのに慣れてないからだろう。その相手が母親からなら尚更だ。
それから数秒間。互いに言葉を交わさず、ただ目を合わせる。そんな沈黙の中────
「ありがとう摩美々ちゃん……! 私のことを好きでいてくれてありがとう……!」
涙声で娘に愛を伝え、抱き寄せる。対する田中さんはそれに抵抗せずに受け入れる。
うぅ、めちゃくちゃ良い話だなぁ。見てるこっちも泣けてくる……。
俺の心配は杞憂だった。丸く治まった。今はまだぎこちなくても、時間が経てば関係は改善されてくだろう。
……で、そろそろ帰らなきゃ。母さんと連絡するの忘れてた。スマホを見ると、数分前の通知がいくつもある。間違いなく催促だと見なくても分かる。
「……そこでのぞき見してる悪い子はどこの誰ですかねー?」
「っ!?」
気づかれてる……!? マジか……!
田中さんがこっちに向かって歩いて来てる。バレたからにはしょうがない。ここで逃げるよりは大人しく出た方が良い。
「……ごめん、盗み見して」
「どーせ漣のことだし、2人が心配だから見過ごせない、とか思ってるんでしょー」
「……うん、正解。親しい人と仲が悪いってのは嫌だし、どうしても気になった」
「はぁ……ほんとお節介」
田中さん、俺だったらどうするかって完全に分かってるよなぁ。俺の心を読んでるんじゃないかって疑うくらいだ。ホント敵わないや。
「……改めてありがとう、漣くん。こうして私達が話すきっかけを作ってくれて」
「ママ……」
「摩美々ちゃんの友達があなたのような優しい男の子で良かった。本当に助けられたわ」
「俺は人を助けられる人間で在りたいと……そう思っているので」
「ふふ、それは素敵ね。これからも頑張ってね」
「はい」
感謝の印として一礼する。田中さんのお母さんの言葉と信頼に報いたい。信念を貫かなきゃいけない理由がまた1つ増えた。
「ん」
スマホが唐突に着信音を鳴らす。電話だ。ポケットから取り出して画面を見る。かけてきたのは当然母さんだった。
『ねぇ漣、遅すぎるんじゃないかしら?』
「あ……うん。次の三者面談が始まってて教室に入れなくて」
『とか言って摩美々ちゃんと話でもしてるんでしょ?』
「えっ……いや全然ないよそんなこと」
『はい嘘。その間は何?』
「ごめんなさい……」
教室に忘れ物をした事なんて完全に頭から吹き飛んでた。どうしよ、もういいかな。明日だって学校あるし、教科書なんてみんな持ってるんだから盗む人もいない。色々ありすぎて疲れた。
「親に呼び出されたので今度こそ失礼します!」
2人に慌てて頭を下げる。
母さんは怒ると怖い。姉さんよりも怖い。だから、絶対に怒らせちゃいけない。早く行かなきゃいけない。
「漣くん、最後に1ついいかしら」
「……?」
「────摩美々ちゃんをお願いね」
衝撃。時が止まったような感覚。満面の笑みで放たれたその一言に、目を見開く。
「────はい!」
田中さんのお母さんにそう言われたからには、それに報いなきゃいけない。
田中さんは俺にとってこの世の誰よりも大切な女の子だ。これからも一緒に過ごして、幸せを共有して、愛し合うような、そういう関係で在りたいと思う。
────覚悟は、決まった。
いつも読んでくれてありがとうございます。前回の話が日間ランキングに乗っているのを見て、この小説を読んでくれる方が予想以上に多いということを実感しました。これからも頑張って書いていきます。