【完結】隣の席の田中さん   作:儚夢想

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第26話 今までの分の感謝、心からの想い

 夜に近づきつつある紫色の空の下。駅前のイルミネーションはこれでもかと言うくらい光を放ち、今日という日を盛大に華やかなものにする。

 ──12月24日(クリスマスイブ)。かの聖人の誕生を祝う日で、世界的に家族と一緒に過ごす日として認知されている日だ。この日本では恋人と過ごす日という認識が強くなってしまっているが。恋愛には縁なんて無い日だと思っていたけれど、今年は──。

 

「──田中さん!」

 

 好きな女の子と一緒に過ごす日になった。

 

「漣が私より遅れるなんて珍しいねー」

「予定よりも30分早いんだけどな……」

 

 遅刻はマズいと思って急いで来たのに、田中さんはそれ以上に早かった。いつもは集合時間ギリギリかちょっと過ぎるかなのに。

 もしかして、田中さんも楽しみにしてくれてるのかな? そうならこれ以上嬉しい事はない。

 

「……結構楽しみにしてた。漣が来るの」

「……え」

 

 ドキッと、心臓が飛び跳ねた。

 田中さんが自分の気持ち素直に話すのは珍しい。思わず目を見開いた。

 

「ふふー、驚いたー? 驚いたでしょー」

 

 まるで分かってました、とでも言わんばかりの言葉。田中さんはいつも以上に楽しそうだ。

 

「驚くに決まってるよ……」

 

 いつもとは違う趣向のからかいにたじろぐ。あえて素直に気持ちを伝えることで俺の困った反応を見ようとするなんて想定できなかった。田中さんの技術がどんどん上がっていく……。

 

「漣をイジったしそろそろ行こー。まみみのエスコートよろしくー」

「うん、やれるだけやってみるよ」

 

 こうして俺達は歩き出す。

 ……遂に始まった、クリスマスデートが。緊張で心臓がバクバクしている。これからどうなるんだろう。なるようになると思っていても不安は拭いきれない。果たして、俺は田中さんにとっていい男なんだろうか。

 そんな考えが頭の中グルグルする中、田中さんが俺の手を掴んできた。いわゆる恋人繋ぎだ。

 

「……漣の手、温かい」

「逆に田中さんのは冷たい、ね……」

 

 でも、その冷たさが緊張で体温の上がった身体には丁度良い。ただ、それを意識すると余計に身体が熱くなる。

 あまり慣れていないというものあるけれど、単純に恥ずかしい。好きな女の子の手を引っ張るのは、意外と覚悟のいる行動だと思い知った。

なんて、

 

「──ヒッ!?」

「ふふー、冷たいでしょー」

 

 俺の頬に、田中さんの手の甲を当てられる。

 

「手を繋いでるんだからそれだと歩きづらいって……!」

「えー?」

「いきなりそういう事するのやめた方がいいよ」

「安心してよ。漣にしかやらないからー」

「だからって……!」

「それに、嫌じゃないってわかってるよー」

「ッ~!」

 

 確かに、今は田中さんに必要とされる事以上に幸せな事はない。

 

「とにかく! それとこれとは別! 行くよ!」

「はいはぁい」

「はいは1回!」

 

 叱るように、田中さんを諭す。

 ……周りの人達の微笑ましい視線がチクチク刺さって更に痛い。けれど、田中さんが望んでる以上繋いだ手は離さない。

 それから手を繋いだまま、無言で歩いていく。俺と田中さんの間に流れる沈黙は心地が良いものだった。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

 駅前のショッピングモールへやって来た。

 今日はクリスマスイブという事でいつにも増して人が多い。そこら中に家族連れやカップルがいて何だか落ち着かない。

 

「あ、あそこに店に行きたいかもー」

「うん、分かった」

 

 エスカレーターを上がって3階に到着すると、田中さんが行きたい店を指差した。ブランドショップのようだ。

 その店の前まで来ると、

 

「カップルの方ですか?」

 

 店員の声をかけられた。

 

「え……どうなんだろ」

「私に訊かれても困るんだケド……」

「実は本日に限りましてカップルの方のみ全商品20%割引セールを行ってるんです」

「あ、はい。私達カップルですー」

「反応早っ!」

 

 よく真顔で言えるなそんな事! 正式に付き合ってるならまだしも、そうじゃないなら恥ずかしすぎて絶対に言えない。確かに全ての商品が20%も割引されるのは魅力的だ。田中さんにとって恥ずかしいなんてデメリットは些末なものなんだろう。

 

「かしこまりました! ではどうか有意義な時間を!」

 

 女性店員は笑顔で手を振ってくれた。自惚れかもしれないけれど、純粋に俺達を応援したいと思ってる良い人なんだろう。そう、信じたい。

 そんな訳で店に入る。クリスマスらしく冬用の衣服がズラッと並んでいる。また、マフラーや手袋といったアイテムまで売られている。何が何でも買えという意思を感じる。隙が無い。

 ……にしても。

 

「どれも値段が高い……」

「ブランドものは割引でもそこそこするよー」

 

 安くても5000円、高いものは1万円を超える。普段5000円以下の安物しか買わない自分にとっては世界が違う。

 

「ねぇ、買いたいものあるから少しだけ待ってもらっていい?」

「待つの? 2人で一緒に行けばいいんじゃ……」

「いいから」

「う……うん」

 

 強めの口調に気圧されて、渋々納得する。田中さんのことだ。何か考えがあるのはわかってる。

 

「……ん」

 

 田中さんを待つために店を出ようとすると、あるものが目に留まった。店の入り口に置かれているマフラー。パネルにはアッシュグレー、男女兼用、5,500円と書かれている。

 

「いや高いな……!?」

 

 20%引きだとしても4400円。マフラーなんて1000円から2000円くらいじゃないのか。倍を軽く超えている。ファッションに興味が無い自分は追いつけそうにない。ブランドショップって高校生にはハードル高すぎないか? 田中さんってやっぱ凄いな……。

 

「そちらの商品が気になりますか?」

 

 ……さっきの店員のお姉さんに話しかけられてしまった。

 これで何も言わないのも人としてどうかと思う。ここは無視せず話すべきだ。

 

「あの、触ってみてもいいですか?」

「どうぞ」

 

 恐る恐るマフラーに触れてみる。

 

「ッ……!」

「こちらのマフラー、当店の人気商品となっております。彼女さんへのプレゼントにも最適ですよ」

 

 高いだけあって、今までに触れたどのマフラーよりも触り心地が良い。ゴワゴワした感覚は少しも無く、長時間巻いたとしても気にならないだろう。

 

「今なら20%引きで少し安く買えるので、ね? それに、彼女さんはとても可愛いので似合いますよ」

 

 買わせる気満々だこの人。意外と商魂たくましいな?

 

「……買います」

 

 店員のお姉さんに騙された訳じゃなく、俺自身でそう判断した。

 田中さんにプレゼントを贈るならやはりファッションアイテムが良いだろう。尚且つ実用的なものだとベター。

 今は12月。寒い日はまだ続く。となれば、今すぐにでも使うことができるマフラーが最適だ。

 

「ありがとうございます!」

「こちらこそありがとうございます。プレゼント、何にしようか迷っていたので」

 

 かなり時間がかかると思っていたから、こんなに早く終わるとは思わなかった。店員はお姉さんには頭が上がらない。

 田中さんにマフラーを見られないよう周りを確認しつつ、レジへ向かう。そのまま見つかることなく、会計を済ませた。

 

「田中さん、終わったよ」

「何買ったのー?」

 

 田中さんは俺の手に持つ紙袋を見て尋ねた。

 

「お楽しみはこれから。今教えたら面白くないからね」

「私の袋の中身、気にならないのー?」

「いや、凄く気になる。でも、何も訊かない」

 

 それを訊くのは今じゃない。もっと最適な時と場所と場合がある。

 

「行こう、田中さん。今日はまだ終わりじゃない」

 

 これから、その最適を目指す。

 俺達はショッピングモールを出ることにした。

 

 

 

   ※※※

 

 

 

 他愛ない話をしながら田中さんと駅まで歩く。

 できる限り平静を装ってるけど、内心では凄く緊張してる。ちょうどクリスマスツリーの目の前に来たのを確認して、それは加速する。

 ……ここが、潮時か。

 

「漣、どうして歩くのやめ──」

「田中さん」

 

 覚悟を決めて、クリスマスツリーの前で足を止める。

 

「これ、プレゼント」

 

 紙袋の中の包装されたプレゼントを渡す。

 

「いいのー? 悪い子にクリスマスプレゼントなんてあげても」

「悪い子にだって、クリスマスプレゼントがあってもいいって俺は思うよ」

「ッ……!」

 

 その言葉を受けて、田中さんの頬がほんのり赤くなった。珍しく照れ隠しをしない。

 田中さんは包装を開ける。

 

「グレーのマフラー……」

「田中さんって寒いの苦手だし、あったかくなれるものがいいと思って」

「へー、まみみのことよくわかってるねー」

 

 田中さんはマフラーを感触を確かめるように撫でる。見るからに上機嫌だった。

 良かった。失敗じゃなかった。ありがとうございます、店員のお姉さん。ちゃんと報われました。

 

「ねぇ、どうせなら漣が巻いてよ」

「え……うん」

 

 田中さんが俺にそう頼んできた。思わず面食らったけど、もちろんその提案を受け入れる。

 

「……じゃあ」

 

 ゆっくり、田中さんの首にマフラーを巻く。首回りに空気ができる限り入らないよう、丁寧に。

 無言でこれをやるの、凄く恥ずかしいな。こういう時、田中さんはからかってくるはずなんだけれど。

 

「できたよ」

「悪くないかなー」

「なら大丈夫だね」

「それじゃあ、まみみも渡すねー」

 

 田中さんから包装された箱を受け取る。

 包装紙を開けると、箱のふたを外す。その中から出てきたのは、

 

「白い……マフラー!」

 

 驚くことに、田中さんのプレゼントもマフラーだ。まさか同じものだとは思わなかった。

 

「……偶然だから。ていうか色が違うでしょ」

「まぁね」

 

 色まで一緒だったら学校でどう言われるか分かったものじゃない。そういう匂わせみたいなのは良くない。

 

「でも、互いに同じものを贈り合うなんて、何だか気持ちが通じ合ってるみたいで嬉しいよ」

 

 とは言え、田中さんがくれたものだ。間違っても雑に扱うことはしない。冬は間はお世話になるのは確定だ。 

 

「あのさ、田中さん」

「どうしたの?」

「えっと……」

 

 俺もマフラーを巻いて欲しい。言うべきか、言うまいか。でも、この機会を逃したら2度とはできない。だから──。

 

「田中さん、俺にも──」

「ひったくりィーッ!」

 

 どこからか、叫び声が響いた。

 辺りを見回すと、バッグを持って全力疾走する男を見つけた。その後ろで、被害に遭ったであろう女子が必死に追いかけている。

 すぐさまひったくり犯を追おうとするが──。

 

「ッ……!」

 

 ここには田中さんがいる。何も言わず離れる事はできない。しかし、目の前の悪事を見過ごす事も同様にできない。

 以前だったら迷わず真っ先に追いかけてただろう。俺がそうしないのは、田中さんを大切に想ってるからだ。

 田中さんを1人にさせる訳にはいかない。でも、ひったくり犯を何が何でも取り押さえなければ、被害を受けた何の罪も無い人が出てしまう。それも嫌だ。

 ダメだ。思考が無限にループする。追いかけたい、でも田中さんがいるから、でもそれでは被害者が──。決められない。どっちを選べばいいんだ?

 

「……行ってきなよ」

「え……」

「困ってる人を助けるんでしょ。悪いやつを見過ごせないんでしょ。私の知ってる漣だったら、絶対に行く」

 

 まっすぐ、俺の目を見つめて、田中さんは言った。

 いいんだろうか。田中さんだって今日という日を楽しみにしていたはずなのに。それなのに、行ってもいいんだろうか。心の中では嫌だと思ってるんじゃないのか。

 

「“人を助けられる人間で在りたい”。だから俺は人を助ける────これは、漣が言ったこと」

「うん」

「漣が人を助けるとこ、もっと見てたい────これは、私が言ったこと。あとはもうわかるんじゃないー?」

「……ッ!」

 

 あぁ、そうだ。既に答えは出てるじゃないか。焦るあまり忘れてしまっていた。

 田中さんはこんな俺を許してくれた。そう在りたいという俺の理想を肯定してくれた。なら、迷う必要なんて最初から無い。

 

「……ありがとう」

 

 こんな俺の背中を無理にでも押してくれる田中さんには感謝しかない。田中さんの目をまっすぐ見詰めてお礼の言葉を告げた。

 

「その代わり、絶対に戻ってきて」

「うん、約束する」

 

 その印として、願いを込めて小指を結ぶ。“絶対に戻ってくる”と。

 

「じゃあ、行ってくる」

 

 田中さんにそう言って、ひったくり犯の方に振り返る。そして、逃げるその男を追うために駆け出す。

 ────何の罪も無い人達に迷惑をかけるアイツを許してはならない。何より、田中さんとの時間を邪魔した事が許せない。何が何でも捕まえて、警察に突き出す。

 

「待てッ!」

 

 ひたすら全速力で追いかける。多少空いていた距離が少しずつ縮まってきた。このペースなら、届く!

 

「ッ!?」

 

 道を曲がろうとすると、雪で滑って転びそうになった。思った以上に雪が積もってる。全速力で走るのは危険だ。

 けれど、それで抑えていたら追いつけない。だから、多少の怪我は覚悟の上だ。

 それから少し経って、ひったくり犯との距離がかなり縮んでいる事に気づいた。恐らく、雪で滑る事を警戒して速度を落としたんだろう。

 ────行ける!

 全速力を維持してる自分と、速度を落とした相手。そのスピードの差は明らかだ。

 もうすぐ。もうすぐで手が届く。ひったくり犯を捕まえられる。この男に盗られたバッグを持ち主に返せる。それで、全て元通りだ。

 

「このッ!」

 

 遂にこの時がやって来た。

 自分でも驚くくらい強烈な握力でひったくり犯の腕を掴む。

 

「────」

 

 瞬間、文字通り天地がひっくり返る。気がついた時には頭から地面に激突していた。それも、ひったくり犯に押し潰される形で。

 ひったくり犯は腕を掴まれても走るのをやめなかった。対して、腕を掴んだ直後、俺は少し速度を落とした。それで男に引っ張られ、足を滑らせたのが原因だろう。

 

「……逃がすか……!」

 

 密着したことを好機と捉え、ひったくり犯を羽交い締めにする。

 コイツを捕まえて、その後で田中さんのいる場所へ戻る。ここが1番の踏ん張りどころだ。

 

「ッ……離せ……!」

「そんな訳無いだろ……!」

 

 そんなやり取りをしながら、抵抗する相手を押さえる。

 そういうしている内に────。

 

「警察だ!」

 

 声のした方を向くと、3人の警官が走ってやって来た。

 誰かが通報してくれたんだろう。助かった。

 

「君、犯人を捕まえてくれてありがとう。これからは僕達の仕事だよ」

「はい。お願いします」

「クソ、ダメか……!」

 

 ひったくり犯は警官に引き渡す。ここで初めて観念したらしい。

 良かった。これで役目を果たせた。早く田中さんのいる場所に戻ろう。

 

「……え!?」

 

 立ち上がった俺を見て、3人の内、1番若そうな男性警官が声を上げた。

 

「大丈夫!?」

「はい。転びはしましたけど、特に怪我はしてないです」

「それは良かった……じゃなくて! 君、凄くふらついてるよ!?」

「……え?」

 

 指摘されて初めて気がついた。この人の言う通り、足元がおぼつかない。

 

「大丈夫です。それでも歩くくらいならでき……」

 

 異常は無いと証明するために1歩進もうとする。だが、よろけてしまった。

 態勢を立て直す。しかし、頭が揺れている感覚のせいでちゃんと立てない。視界が揺れていて焦点が定まらないし、徐々に意識が朦朧としてきた。気を保つのが精一杯だ。

 

「全然大丈夫じゃないね」

「……みたいですね」

「僕達は後ろから君を追いかけて来たんだ。その際、転んで頭をぶつけるところも見た。それで君は今軽い意識障害になってるんだろう。だから今すぐ病院に行くべきだ」

「どうしてスマホを……?」

「救急車を呼ぶ」

 

 そう言って、警察官は手早く電話番号を入力し始めた。

 

「すいません。救急車は後にしてください。人を待たせているので……」

「ダメだ。放っておいたら悪化する可能性が高い。命に関わるかもしれないんだ」

「約束したんです、絶対に戻るって。だから、絶対に戻らなきゃいけないんです。どうか、お願いします……!」

 

 必死の思いで頭を下げる。

 この人の言っていることは何1つ間違ってない。ぐうの音も出ない正論。

 俺は今かなり危険な状態だ。自分自身で理解できている。しかし、それでも俺は田中さんとの約束を優先する。田中さんとの約束をもう2度と破らないと誓った。だから、ここで気絶する訳にも、病院に行く訳にもいかない。

 

「どうしてそんなに……?」

「相手が好きな子だからです。女の子を待たせておいて戻らない男なんて最低ですから」

「……なるほど」

 

 警官は少しの間考えて、

 

「……分かった」

 

 渋々ながら首を縦に振った。

 

「そんなに行きたいなら止めない。でも、救急車は呼ぶし、僕もそこに一緒に向かう」

「……!」

「だから、場所を教えてくれないか?」

「駅前のクリスマスツリー辺りです」

「そこまで肩を貸すよ」

「ありがとうございます!」

 

 もう1度頭を深く下げる。最大限自分の気持ちを汲んでくれたことへの精一杯の礼だ。

 男性警官が他の2人の警官と少しやり取りをして、再び戻ってきた。

 

「行くよ。ほら、肩」

 

 肩を貸してもらって、なんとか歩けた。1人だったらどうなっていたか想像できない。

 

「……どうして俺の無茶を受け入れてくれたんですか? 早く救急車を呼んだ方がいいって分かってるのに……」

「君を見ていたら昔の僕に思い出したから、かな。

 僕は警察官になるのが夢だった。困っている人を助けて、悪い奴を逮捕して世の中の平和に少しでも貢献したかった。学生の頃はそんな風に頑張ってた」

「なるほど……」

「それに、その夢を応援してくれたのが、当時彼女だった妻なんだ。僕は弱虫だから、警察官にはなれないって周りからバカにされたりしたけれど……妻だけは認めてくれた。背中を押してくれた彼女のためにも必死で頑張って、今こうして警察官としての責務を全うできている。本当に、感謝するばかりだよ」

「……俺もそんな感じです。人を助けられる人間で在りたいという信念をその子は認めてくれました。心の底から感謝してます」

 

 田中さんはこんな俺を受け入れてくれた。これほど幸せなことは無い。

 

「グッ……!」

 

 ここにきて更なる頭痛に襲われる。視界の揺れも酷くなった。平衡感覚が完全におかしい。

 

「……マズいな。急ごう」

 

 この人が支えてくれなかったら確実に倒れていた。時間が経って悪化してきたんだろう。このままだとすぐに気絶しかねない。

 でも、歯を食いしばって耐える。ひったくり犯を捕まえて、警察に突き出した。後は田中さんのところに戻る、たったそれだけだ。できない訳が無い。

 

「見えたよ。あそこだね?」

「はい」

 

 一歩、また一歩と進んで、ようやくクリスマスツリーの前に戻ってきた。ぼやけてはいるが、田中さんが見える。

 

「……ここからは1人で行きます」

「頑張ってね。あ、救急車は呼ぶから用は早めに済ませてくれると嬉しいな」

「はい。ここまで本当にありがとうございました」

 

 軽く手を振って、警察官と別れる。

 大人になったらこんな風になりたいと思わせてくれる素晴らしい人だ。人に好かれるのも、年若いながら結婚しているのも頷ける。これからも幸せでいてほしい。

 

「……田中さん」

「漣!?」

 

 ゆっくり歩いて、やっとたどり着いた。声をかけると、田中さんは驚いたように俺の名前を呼ぶ。

 

「……何があったの?」

「滑って転んだ。正直、意識がハッキリしてない」

「……それ、笑ってる場合じゃないでしょ」

「でも、約束はちゃんと守ったよ」

「怪我して戻ってきてとは言ってない」

「だよね、はは……」

 

 怒られた。まぁ、当たり前だ。

 無理もない。親しい人間が少し見ない間にボロボロになっていたら誰だってそんな反応をするに決まってる。

 

「ごめん。俺、ワガママだからさ。自分がそうだと信じたこと、やるべきだと思ったこと……そういうの全部、ちゃんと貫かないと納得できないんだ」

 

 自分でも面倒くさいと思う。姉さんのことはあまり言えたものじゃない。

 

「……わかってる。漣のそういうとこには何回も苦労させられてるからー」

「本当に、ごめん」

 

 自分の独断でどれくらい迷惑をかけただろう。最早数えるのも億劫なほどかもしれない、と考えると罪悪感でいっぱいになる。

 申し訳無さを感じて謝ると、

 

「ッ!」

「……ありがと。約束、守ってくれて」

 

 田中さんに抱き着かれた。その目には、薄っすら涙が見える。

 

「田中さん……」

「もし漣が戻ってこなかったらって思ったら……全部どうでもよくなってたかもしれない」

 

 表には決して出さないが、田中さんは寂しがり屋な一面がある。

 

「大丈夫。俺はここにいるよ」

 

 1人にはさせない。どこにいたって見つけてみせるし、傍にいる。

 

「ワッ……!」

「……重い」

「ごめん。さっきからずっと眠くて」

 

 唐突に力がフッと抜け、前に倒れそうになった。

 頭を打ったことによる意識の混濁が激しくなっている。自身の体を支えられるかどうかさえ怪しくなっている。田中さんに抱き着かれてなければ、確実に気絶していた。

 

「少ししたら救急車が来るから。その時は田中さんに任せる」

「……聞いてないんだケド」

「今はこうして話してるけど、実はかなり危ない状態なんだ。警察官の人にも怒られたよ」

「私以外にも怒られたんだ……」

 

 田中さんから出てきた言葉には多大な呆れが含まれていた。

 本当に他人に迷惑かけてばかりだな、と自己嫌悪に陥る。

 

「……田中さん。今寝たらしばらく話せないだろうから、言いたいことを言うね」

「何ー?」

 

 今日、ここで、ずっと伝えようと思っていた。今までの分の感謝と、心からの想いを。

 こんな状態だ。今日を逃したら次なんて無いと思った方がいい。

 

「まずは、その……ありがとう。田中さんが俺を受け入れてくれたから、今の俺があるんだ」

 

 俺は“俺自身がそうすべきだ”と思ったことからは逃げない。それが、困っている誰かを助けることに繋がるなら、尚更。

 それから逃げる俺は俺じゃない。困っている誰かを助けられる人間で在りたいと心の底から思ったから、最後までそれを貫く。

 ……本当に面倒な生き方をしてると思う。理想を持って生きるには、現実はあまりにも厳しい。はっきり言って、俺は生きるのに向いてない。

 それでも、田中さんはこんな俺を認めてくれた。田中さんが隣にいてくれるからこそ、俺は俺でいられる。そのことに、どうして感謝しないでいられるだろうか。

 

「好きだよ、田中さん」

 

 俺は田中さんを心の底から大切に想っている。1人の女の子として。

 最初は教室の隣の席の人という関係だった。それが、どういう訳か奇妙な関係が続いて、気がつけば教室以外でも隣にいることが当たり前になっていた。今では、田中さんが隣にいないなんて考えられない。これからも、それは変わることの無い事実だ。

 

「────ッ」

 

 伝えたいことを全て伝えると、瞬く間に安心感に包まれた。全身が重い。立っていられないほどに。

 俺はそれに抵抗せず、田中さんに抱かれたままゆっくりと目を閉じた──。




半年ぶりの投稿です。間隔が大幅に空いてしまい申し訳ありません。素直に謝罪です。
卒業研究やら就活やら何やらで遅れました。間違いなく人生で1番追い詰められた時期です。来月からは社会人です。普通に忙しくなると思います。
それでも、完結までは必ず書くつもりです。それまでこの小説にお付き合いいただけると幸いです。
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