──目が覚めると、見知らぬ天井が映った。
「漣!」
「……姉さん?」
次に視界に入ったのは、見知った顔。どこか落ち着かない様子の姉さんだった。
どうして姉さんがここにいるんだろう。理由が分からず、困惑気味に呼んだ。
「良かった……病院から電話が来た時は家族みんなして驚いたんだから!」
「病院?」
真っ白な天井。殺風景な部屋。
ゆっくりと辺りを見回して、ここが自宅ではなく病院であることを理解した。
「何で俺ここにいるの?」
「何でって……やっぱり覚えてないか……」
「?」
寝起き直後のぼんやりした頭で思い出す。
──昨日はクリスマスイブだった。だから、絶好の機会だと思って田中さんとデートをした。
そのデートでは、田中さんへのクリスマスプレゼントとしてマフラーを贈った。田中さんからのプレゼントは色違いのマフラーだった。それは、ハッキリと覚えてる。
そして、その後。
「……あ」
田中さんに告白しようとした。自分の気持ちや感謝を伝えようとした。でも、いきなり現れたひったくり犯のせいでそれはできなかった。その時、田中さんと会話をした。確か……絶対に戻るって約束をした。その後で、男を追いかけた。
それから──。
「……?」
思い出せない。その先の出来事が。
どれだけ思い出そうとしても、何も出てこない。その部分だけ綺麗に抜け落ちてる。
「……田中さんは?」
「まみみんはまだ来てない。まだ朝早いし、これから来ると思うよ」
時計の針は9時を回ってた。
田中さんは朝が苦手な上に、冬も苦手だ。冬休みの今、温かい布団の中で寝られるだけ寝てたいと思ってるはずだ。
「……」
ひったくり犯を追いかけてからの出来事は、その場にいた田中さんに訊くのが手っ取り早いだろう。そう思ってズボンのポケットからスマホを取り出そうとすると。
「……あれ?」
無い。何回確認しても、そこにスマホは無かった。
「スマホや財布は検査の際に取り出したよ。今は母さんが持ってる」
「母さん? ここにはいないけど」
「買い物に行ってる。近い内に戻ってくると思うよ。あ、ちなみに父さんと兄さんは仕事ね」
母さんが来ないと深い話はできそうにない。とは言え、概要程度なら一応知ることはできるかもしれない。
そう思って、姉さんにそう訊ねることにした。
「昨日俺に何があったか知ってる?」
「ひったくり犯は捕まった。盗まれた物は元の持ち主に返された。その後、戻ってきて私の前で気を失ったんだって。まみみんから直接聞いたから間違いないよ」
自分のことなのに、どこか他人事のように感じる。覚えていないとこうなるのか。
「……そうなんだ。良かった」
少し考えて、独り言のように言葉が零れた。
とりあえず、俺はやるべきことをちゃんとやったらしい。それを知ることができて安心した。まぁ、田中さんに怒られるかもしれないけれど。その覚悟はできてる。
「……ごめん。眠いかも」
安心して力が抜けたのか、強い眠気が襲ってきた。
体調はまだ安定していないようだ。
「うん、おやすみ」
「田中さんが来たら起こして」
「……うん」
姉さんの優しい声を聞いて、目を閉じた──。
※※※
「……」
行くべきか、行くべきじゃないか。三峰姉弟の会話をドア越しに聴きながら、そんなことをずっと考えてる。
どうやら、漣には気絶する直前の記憶が無いらしい。ということは、あの言葉も……。
「ッ……」
どうしてこう、ああいう時ばかり思い切りがいいんだろう。自分ばかり言いたいことを言って、私には何も言わせない。その姿勢に無性に腹が立つ。
漣は私と話したがってる。なら、このまま部屋に入らない方がいい。そうすれば、私の答えが欲しい漣は困るに決まってる。ひとしきり困らせた後で部屋に入って、その表情をじっくりと見てやろう。
そう思って、ドアをほんの少しだけ、気づかれないように開けようとすると。
「──あら、摩美々ちゃんじゃない。こんな所でどうしたの?」
「え……?」
声をかけてきたのは、漣のお母さんだった。
「もしかして部屋に入りたいの?」
「え、いや……」
「確かに今は結華と漣が2人きりだもんね。入り辛いわよね」
ダメだ。話が通じない。なんというか、こういう人に気を遣う優しさは漣によく似てる。そして、若干押しが強いところは姉の方に似てる。なんというか、すごく血を感じる。
「私と一緒なら大丈夫?」
自分の考えてることを人に言う訳にはいかない。言ったら面白くないし。
否定しづらい。かと言って首を縦に振りづらい。となると、
「……まぁ」
曖昧な返答をするしかない。
……でも。
「良かった!」
この手の人は好意的に解釈する。
……なんというか、“この親にしてこの子あり”という言葉をここまで強く実感したことはない。
いきなりの展開に感情が追いつかないまま、ドアが勢い良く開かれる──。
※※※
「漣! 摩美々ちゃんを連れて来たわよ~!」
「ッ!?」
いきなりの大声に驚いて、反射的に飛び起きる。時間は9時20分。思ったより早かった。
……この人はここが病院だってわかってるんだろうか。声量がおかしい。
でも、それよりも驚いたのは田中さんが一緒にいることだ。こんなに早く来るとは思ってなかった。どうしよう。心の準備ができてない。
「……」
話しづらい。こみ上げてくる申し訳無さが躊躇いを生んでいる。こうしていざ対面すると何から話していいかわからない。
とは言え、話さなきゃいけない。じゃなきゃ昨日何が起こったかを正確に知ることはできないから。
「結華、ここを出るわよ」
「は~い」
「漣、これはここに置いとくわ」
そう言って、母さんは袋に詰めた果物をテーブルに置く。買ってきたお見舞いの品だろう。
その後、2人は俺に手を振って部屋から出て行った。
「「……」」
2人きりになったはいいものの、互いに口を開かない。気まずさが部屋を支配する。
このままじゃダメだ。俺と田中さんの間に何かあることを察してくれた母さんと姉さんに悪い。
俺から訊かなきゃ、何も変わらない。受け身でいるのはダメだ。俺は男なんだ。なら、勇気を出して──。
「……ねぇ、田中さん」
「なにー?」
「俺、昨日どうなったの?」
恐る恐る、訊ねる。
「……ちゃんと、戻った」
「約束、守れたんだ。良かった」
本人から聞いて初めて実感が湧いた。
どうやら自分はできるヤツらしい。よくやった、と昨日の自分を内心で褒めた。
「……良くない」
「え?」
「良くない。漣、昨日私に何を言ったか覚えてる?」
「……?」
悲しいかな全く覚えてない。少し時間を置いても、何1つ思い出すことはできなかった。
「じゃあ、当ててみてー。漣が私に何を言ったか」
……随分な無茶振りだな。記憶が無いのに。寝ぼけた状態で白いジグソーパズルを解けと言われてるのと同じだ。
田中さんは俺を試してるんだろう。以前にも何度かそういうことがあった。今回は特に難易度が高いけれど、それでもやってみせる。できなければ田中さんの隣にいる資格なんて無い。
「……ありがとう?」
「言ったケド正解じゃない」
考えて、真っ先に思い浮かんだ言葉を口にする。それは正解では? そう思ったけど、田中さん的には不正解判定らしい。
これ、もしかして全部田中さんのさじ加減で決まる? 難易度とかいう問題じゃなかった。ヤバいかも。
「……ごめん?」
「それはいつも言ってる」
「……ごめん」
確かにいつも言ってる。もはや口癖と言ってもいいレベルだ。
「答え知りたいー?」
「いいや、自分で考える。これは自分で考えなきゃいけないことだから」
「ふふー、真面目だねー」
楽しんでるなぁ、田中さん。いつもの、俺をからかってる時の笑顔だ。よっぽど困らせたいらしい。
「うーん……」
田中さんがここまで強く問い詰めるってことは、必ず何かしら原因があるはずだ。
田中さんは「何を言ったか覚えてる?」という切り出し方をした。恐らく、俺はとんでもないことを言ったんだろう。
昨日、俺は何を言おうと思った? そこは思い出せるはずだ。何が何でも思い出せ。
「──好き?」
唐突に閃いて、思わず言葉に出してしまった。
でも、とんでもないことは何かと考えると、これくらいしか浮かばない。
「ッ……!」
直後、田中さんの頬が赤くなる。すぐに耳まで真っ赤になった。
……え、マジ? ホントに言ったのか俺。覚悟決まりすぎじゃないか?
けど、冷静に考えると告白する機会としてはこれ以上無い最高の条件だ。そもそも言わなきゃこんなことにはなってないだろ。
正解だ。正解だなこれ。違うならハッキリそう言うはずから。
……マジか。遂に告白したのか。どういう精神状態だったんだろ、昨日の俺。クリスマスデート、相当気合入ってたんだな……。
何はともあれ、昨日の俺ができたなら今日の俺にもできる。だから、もう1度、
「……うん。好きだよ、田中さん」
──想いを、告げる。
「悪い子と言いつつなんだかんだ優しいところが好き。ちゃんと自分を持ってるところが好き。楽しそうにからかってくるのが好き。何より……笑顔が好き。一言で言い表せないくらい……田中さんが大好き」
元々昨日やろうと思ってたことだ。今更躊躇する理由なんて無い。もうなるようになれ。
「……田中さんが俺を受け入れてくれたから、ずっと隣にいてくれたから、今の俺がある。
東京に来てから初めてちゃんと話したのが田中さんで良かった。もしそれが田中さんじゃなかったら……なんて考えられない。この気持ちを知ることもなかったし、それが幸せだって知ることもなかった」
運命というものがあるのなら。きっと、あの日、あの出会いのことを指すのだろう。
今でも鮮明に思い出せる。東京に引っ越して初めての通勤通学ラッシュ。あのおびただしい人間の中で田中さんを見た瞬間、時が止まったように感じた。閃光のように強く輝いていた。
まさか、その直後に同じ学年で、同じクラスで、隣の席だと判明するだなんて思いもしなかった。
──きっと。否、間違いなく。俺は生涯あの日のことを忘れないだろう。
「……これが昨日言おうとしたこと」
完全に一致しているかは今となっては分からない。それでも、これは自分の心の中から湧いた本音だ。嘘な訳がない。
「……そこまで言われると調子狂うんだケド」
「今まで色々あったからさ。いい機会だから、言いたいことは全部言おうと思って」
「ほんと、よくもまぁこんなにクサいこと言えるよねー」
田中さんはせわしなくツインテールに触る。口では上手く受け流そうとしてるけど、焦りを隠せてない。
これほど照れてるところは初めてだ。褒め慣れてないとかそういうレベルじゃない。明らかに冷静さを欠いてる。
それから、少し間を置いて。
「──好き」
今度は自分の番だとばかりに、田中さんが口を開いた。
その声は震えてる。場の雰囲気に耐えられなかったのか、すぐに後ろを向いた。
「……」
あまりにも衝撃的すぎて言葉が出ない。
“好き”。言葉にすればたった2文字。あまりにもシンプルなそれは、シンプルだからこそ強い意味を持つ。
「……」
──そうであって欲しいと思って、いざ本当にそうだったとして。
確信はしていたつもりだけど、それでも実感するのには時間がかかる。事実、その言葉を受け止めるのが精一杯で、声が出ない。返事ができない。
「……」
無言の状態が続く。先程とは違って、不思議と気まずさは無かった。寧ろ、心地良ささえ感じる。
「……ありがとう。あの時、まみみを見つけてくれて。その後も傍にいてくれて」
後ろを向きながら、田中さんは口を開いた。
その感謝には、田中さんの想いの全てが詰まってる。すぐに理解できた。
「どこにいても、誰も私のことなんて見てないと思ってた。ずっと1人だと思ってた。漣に会うまでは。
それからもどうせすぐいつものように離れていくんだろうなって思ったケド、そんなことなかった。漣は頑固で、しつこくて、1度そうだと決めたら絶対に曲げないし諦めないから……そうやって隣にいてくれて、ぶつかってくれたから……誰かと一緒にいるのって、いいなって思えた」
田中さんは振り向いて、俺の目をマジマジと見る。
その表情は笑顔だ。純粋な感謝と喜びがこもった笑顔。太陽のような輝きと、夜空の月のような綺麗さを兼ね備えた笑顔。
自分の気持ちをあまり素直に表さない田中さんが見せる直接的な表現に、俺は見惚れることしかできなかった。
「……ねぇ」
「?」
「漣はまみみと一緒にいたいって言ったでしょ?」
「うん、言った」
「まみみも、これからも漣と一緒にいたいって思ってもいい?」
目を見開く。田中さんからそんな言葉が出てくるなんて思わなかった。
「……もちろん。そう思ってくれて、ありがとう」
返す言葉は最初から決まってる。肯定と、ありったけの感謝以外に無い。
「田中さんが負い目を感じる必要なんて無い。思う存分俺に構って、頼って欲しい。
まぁ、俺はこんなだから、これからも迷惑をかけるかもしれないけど……それでも、よろしく」
田中さんが俺を好きだなんて嘘みたいだ。こんなにいい子が自分を選んでくれて、求めてくれて。1人の人間としてこれほど嬉しいことは無い。
「これから漣は彼氏で、まみみは彼女だねー」
「そう……なるね」
「もしかして自信ないー?」
「いや、そういう訳じゃ……!」
「ま、その方が漣らしいケドー」
「田中さん……!」
正式に付き合ってもこういうのは変わらないんだな……。
まぁ、その方が俺達らしい。彼氏と彼女という関係になって、変に気を遣われるよりマシだ。
「俺達の関係は変わるけど、俺達自体は今までと変わらない。いつもと同じように挨拶して、話して、隣にいる。友達の延長線上だよ」
「じゃあ、今までと同じってことー?」
「うん。俺らはその方が長く続く。……まぁ、頼れる彼氏になりたいって思うけどね」
「変わらないって言ったじゃん」
「あはは……そのためにも、俺は俺にできることを精一杯やる。理想に近づくには、結局そうするしかないから」
「それでこそ漣って感じー」
言葉を交わして、互いに笑い合う。それが心の底から心地良い。永遠にこの時間が続けばいい。そう強く願うほどに。
「……ありがとう、田中さん」
思わず感謝が零れた。今日だけで何度言ったかわからないけれど、その中でも特段気持ちがこもっていると思う。
1度は否定した、大切な人と触れ合う幸せを受け入れることができたのは、田中さんのおかげだ。本当に、こんなに恵まれていいんだろうか。
「……えっ」
「え?」
「漣も泣くんだねー」
田中さんにそう指摘されて、目頭を触る。すると、指が濡れた。
間違いない。涙だ。
「……はは、思ったより嬉しいみたい」
感動して泣くのは初めてだ。こういう時、どうすればいいか分からない。ただ、感情に身を任せることしかできなかった。
今この瞬間は頭を強く打って見てる夢なんじゃないかとつい疑ってしまう。もし夢なら、もうしばらく見させて欲しい。
「泣くほど嬉しいなんて、ほんとにまみみのこと大好きなんだねー」
「……当たり前だよ。だって、悪い子の田中さんだから」
「ふふー、それはそうかもー」
自分以外ありえない。そんな自信たっぷりの返答。
俺の彼女は本当に頼もしい。心の底から信頼できるし、誇りに思う。
「これからも悪い子のまみみをよろしくね。良い子の漣」
田中さんは満面の笑みをたたえて、誓いにも似た言葉を告げる。
俺は涙を流しながらも笑顔で、首を縦に振った──。
ようやく告白シーンを書くことができました。ここまで長かったなと思います。
次回でいよいよ最終回。終わりが見えてきました。最後までこの作品に付き合ってくれると嬉しいです。
感想や評価等があれば是非。