Sword Art Online: Well-Done Knight   作:TM-303

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#06 古の守護者

[2026/08/25 9:15 | ヨツンヘイム上空 / キリト一行]

 

 草木の香りがほのかに漂う。穏やかなそよ風にそっと後押しされ、ゾウとクラゲを合わせたようなモンスター《トンキー》がヨツンヘイムの上空を飛んでいた。背部に四人の妖精を乗せて。

 黒髪童顔(どうがん)の《スプリガン》の青年——剣士キリト。

 淡い金髪のポニーテールが快活さを印象付ける《シルフ》の少女——キリトの妹リーファ。

 艶(つや)やかで明るいブルーヘアとハーフアップがゆれる《ウンディーネ》の女性——キリトの恋人アスナ。

 

 そして、まばゆい金色のロングヘア、白く透き通った肌、サファイアのような深き蒼に染まった瞳——。なによりも、三角形に尖った《猫耳》……彼女は《猫妖精族(ケットシー)》。

 アバターの名を《アリス》という。

 

 一行は、九時ちょうどにアルヴヘイムの上空に浮かぶ《新生アインクラッド》第二十二層に集まった。

 そこからヨツンヘイムにたどり着くまでにかかった時間、わずか十五分。

 俊足という言葉では言い表せないほどの高速度で滑空し、疾走し、央都アルンの裏路地を経由し——木戸が前もって解錠(かいじょう)されていることにも気づかず——極めて短時間でヨツンヘイムにたどり着いたのだ。

 ある種の新記録を樹立したにも関わらず、四人とトンキーの間には異様すぎる雰囲気が漂っていた。

 

 ——早く、早くたどり着いてくれ……!

 

 いつもなら、トンキーの不安定な運転に愚痴を言うはずのキリトは"そんなこと気にしてられない"といった感じで、真正面をにらみつけている。その表情は苦渋(くじゅう)そのもの。

 しかも、いつもの余裕を感じさせる軽口がない。

 四人と一体との間を重すぎる空気と沈黙が支配している。

 ゲームを楽しんでいる、という雰囲気ではなかった。

 

 ——どういうことだよ……。

 

 キリトはもう一度、もう何回繰り返したかわからない問いを心の中で反復する。

 

 ことのはじまりは早朝、MMOトゥモローのスクープ記事だった。

 キリトのたった一人の親友ユージオ。彼の愛剣たる《青薔薇》が、今日、VRMMORPGアルヴヘイム・オンラインにおいて伝説級武器(レジェンダリーウェポン)として追加されるというのだ。

 

 だからこうやって、できるだけ早くALOにログインし、氷の象徴と言っても過言ではないヨツンヘイムに来た。

 

 それで、ついさっき。

 いつものように央都アルンの裏路地にある、なんの変哲もない木戸を開けて、《秘密の地下通路》を通り、トンキーとの待ち合わせスポットに着いた時。

 かんたんに言えば、トンキーの様子がおかしかった。

 いや。"くぉーん!"と鳴いたり、人懐っこかったりする点は変わらない。

 それでも、こちらに到着する前から、傍(かたわら)に《青薔薇の探索》と書かれたウィンドウが表示されていたのだ。つまり、すでにクエストが始まっているということ。

 唐突に、強制的に、OKボタンをタップする前にクエストに巻き込まれたというバグなワケで。

 アリスとトンキーの初対面を楽しむ暇もなかったことが、キリトの不満を誘った。

 

 ——まあ、青薔薇の剣の探索が目的だったからいいんだけど、な……。

 

 手がかりを見つける手間が省(はぶ)けたというもの。クエストであれば青薔薇の剣の元まで、きっちり導いてくれるだろう。もしかしたら、本日中に手に入れられるかもしれない。そうなれば時間の節約にもなる。

 

 ——うーん。

 

 でも、キリトの胸のうちには心配な気持ちがつっかかっていた。

 ただでさえ巻き込まれ体質なのだ。嫌な予感しかしない。

 なにかしら、冒(・)険(・)が(・)は(・)じ(・)ま(・)る(・)ような気がする……。

 

「キリト君……?」

 

 固まっていた場を壊したのは、アスナだった。

 

「ん? あ、あぁ」

 

 アスナの方を見上げる。いまさらながら、キリトは自分が下を向いて、難しい顔をしていたことに気づいた。

 

「お兄ちゃん、トンキーは中央大空洞(グレートボイド)に向かってるみたいよ」

 

 今度はリーファが兄に話しかける。

 妹が右手で指さす方向……つまり正面に目を向けると、美しい巨大湖が待ち受けていた。

 湖の真ん中のあたりには、同じくスケールの大きなオブジェクトがそびえたつ。ゆるやかな螺旋(らせん)を描いて、途中でところどころ分岐しながら湖を覆いつくす物体。あれが世界樹の根だ。

 

「これがわずか数ヶ月前まで凍える大地だったとは、とても思えないものです」

「ああ、そうだな」

 

 ヨツンヘイムをはじめて目にするアリスの感嘆(かんたん)に応じて、キリトが同意した。

 地上を見れば、緑豊かな生態系が広がっている。

 ゲームの世界だとは思えないほど、おだやかで平和なフィールド。

 危険の多いエリアのはずなのに、むしろ癒しをもたらしてくれる。

 

 そういえば……と、キリトは最近聞いたヨツンヘイムのウワサを思い出した。

 ダンジョンを突破できるほどの腕を持ったプレイヤーが《一人になりたい時、リフレッシュのために訪れる》というパターンが鉄板になっているらしい。上層のアルヴヘイムは人であふれているから疲れるそうだ。

 

 そんなワケで。今のヨツンヘイムに、かつての"殺伐とした"雰囲気は微塵もない。

 とはいえ、この光景を作り出したのは、結局のところキリトたちなのだが。去年の暮、キャリバーを求めて探検した際に起こした現象である。

 

 ——あれ……?

 

 そういえば、今回のトンキーはやけに安全運転だ。さっきからとてもゆっくり、ゆったりと飛行している。

 

 ——どうせなら、いつもこの調子でいいのになあ。

 

「くぉーん!」

 

 キリトの心の声が通じたみたいなタイミングで、トンキーは雄叫びを上げつつ、鼻をクネクネと曲げた。こころなしか喜んでいるようにも見える。

 いよいよ湖に近づいてきたのだ。

 

「みんな、あれを見て!」

 

 急にアスナが大声を上げた。トンキーの毛皮を片手でしっかりつまみ、立ち膝で前のめりになって必死に皆をせかす。彼女が見つめる方向へ目線を移すと……。

 

「なんじゃありゃあ!?」

「なんですか、あれは!」

 

 キリト、ついでアリスが叫ぶ。

 湖の一角に《まるい大穴》が開いていた。キッチンの排水トラップに水が流れ込んでいくように、湖の大量の水が放出されている。

 トンキーも陥没穴を確認した瞬間。

 

 "ウヮアァアアアアアア!!" "キャアアアアアアアア!!"

 

 四人それぞれの叫び声がこだました!

 トンキーが、なんの前触れもなく激しい急降下を開始したのだ。大穴に向かって。

 それでも恐怖は長く続かなかい。

 

「なぜです……?」

 

 と、まずはアリスが戸惑いながらつぶやいた。

 ほかの三人も「あれれれれ?」と言った感じで、キョトンと目をパチパチさせる。

 たとえるなら、絶叫マシンが意外と怖くなかった……みたいな感じ。

 なぜかトンキーが海抜(?)0メートル——陥没穴の真上で静止したから。

 

「くおぉぉぉおん……」

 

 すこし前の嬉しそうな様子が嘘のように、寂しげな声を出すモンスター。

 

「お、おい……、どうしたんだよ。トンキー?」

 

 キリトも困惑の気持ちを深めつつ、おそるおそるモンスターに声をかけた。

 リーファは迷子の子供を慰めるかのようにトンキーの背中をさする。

 どちらにせよ、四人はそろって困惑していた。

 

「まさか、トンキーはこの先に行けないのか……?」

 

 青年がたどり着いた答えはこれ。次に。

 

「もしかして、《おつかい》系のクエなのかも?」

「ああ」

 

 アスナが続きを言ってくれた。

 

「ちょっと待ちなさい。その……おつかい系くえ、すと……? というのは何なのですか」

 

 横文字に慣れないアンダーワールド人・アリスが、ちょっと怒りが混ざった顔で疑問を呈(てい)した。

 

「えっとね……《おつかい》っていうのは、たとえば村人さんが『何かを探してくれ』って感じで、依頼をしてくれることなんだよ」

 

 猫耳少女の疑問に答えたのはリーファだ。アリスは納得した様子で、それ以上は追求しない。

 

「ってワケで、たいてい《おつかい》を任せてくれる村人は《情報》を案内してくれても、クエスト——遠征についてくることは少ないんだ」

 

 キリトがさらに付け加える。

 

「だから、ここから先は私(・)た(・)ち(・)だ(・)け(・)で(・)行(・)か(・)な(・)く(・)ち(・)ゃ(・)いけないんだと思う」

 

 ウンディーネの少女がやっと結論を語った。

 つまり、青薔薇の剣に続く道という《情報》の案内が完了したため、トンキーとはここでお(・)別(・)れ(・)だということ。

 ここから先は、四人だ(・)け(・)で挑(いど)む冒険の始まりだ。

 こうして四人が情報を共有できたところで、リーダー(?)がまたもや口を開いた。

 

「問題は……この穴に飛び込まなきゃいけないってところだな」

 

 難しい顔で真下の水流を眺めるキリト。

 彼に続いてほかの三人も上半身を乗り出した。

 

 ザッバッ————————————ン!

 

 目の前には、迫力満点の滝が待ち受けていた。

 絶え間なく、大量の水流が吸い込まれ続けている。

 

 ——もし落ちたら?

 

 ごくり。

 四人全員が、最悪の結果を想像してしまう……。

 でも、ここに飛び込まなければいけないのだ。

 ここに落(・)ち(・)な(・)け(・)れ(・)ば(・)、青薔薇の剣の元にはたどり着けない——。

 

「……キリト、やむをえません。落ちるほかないでしょう」

 

 三人が、まん丸な目つきでいっせいにアリスを見た。

 こういう時、彼女が騎士であったという事実を思い出させてくれる。アンダーワールドを守った《整合騎士》アリス・シンセシス・サーティなのだ。

 騎士アリスは端厳(たんげん)な姿で、水流の向こう側……すなわち暗闇を見つめているようだった。

 そのまま顔をそらさず、威勢のいい低い声でパーティメンバーに語りかける。

 

「ともかく、行ってみないとわからない……。青薔薇のありかを含めて、す(・)べ(・)て(・)——」

 

 アリスは噛みしめるように言った。

 ハッと。キリトが衝撃を受ける。

 

 ——ステイクール。ステイクールだろ!

 

 相棒に関する記憶の中で、一番と言っていいほど思い出深い言葉。

 

 ステイクール。

 

 このワードが今のキリトを力づける。

 こんなところで怖気(おじけ)づいてはいられない!

 

「そうだな……アリスの言う通りだ」

 

 キリトはクシャッと笑って言う。

 彼の顔つきに、つい数分前までの苦悶(くもん)の表情は見当たらない。

 対して女騎士もフッと笑う。

 

「やっといつもの調子に戻ったようですね。

 おまえ、ユージオのことだからと焦りすぎている——そう見えましたから」

「そ、そうか……?」

 

 青年は否定したくなる。

 しかし、アリスの援護射撃とばかりに、背後から恋人と妹の笑い声も上がった。

 いつの間にかパーティの雰囲気が明るくなっている。

 たしかに、女騎士が言うように"いつも通り"だ。

 

「さあ、行きましょう、キリト」

 

 アリスが。

 

「行こう、キリト君!」

 

 アスナが。

 

「うん、行こうよ。お兄ちゃん!」

 

 リーファが。

 

「ああ、行こう!!」

 

 最後に、キリトが。

 いま、四人の想いがち(・)ゃ(・)ん(・)と(・)そろった。全員がほほ笑み合って、左右に、交互に顔を向け合う。

 

「じゃあ、行ってくるね。トンキー」

 

 トントンと、モンスターの背中をかるくたたくリーファ。

 兄がそれを見届けると、いよいよ出立の時が来る。

 

「なにがあってもいいように、翅(はね)を出せる準備はしておこう。

 それじゃあ」

 

 これから行く場所はヨツンヘイムとは違うから、飛行禁止の枷(かせ)は外れているかもしれない——。

 キリトはこう考えて、アスナ、リーファ、アリスに声をかけた。

 彼女たちも真剣なまなざしで、首を縦に振る。

 準備はできた。

 

「せーの……ッ!」

 

 キリトのかけ声が聞こえると同時に、四人はトンキーの上を進んだ。

 いくらトンキーの背中が広いとはいえ、助走するには心もとない距離だ。

 だから一人ずつ順番に思いきりジャンプ! 勢いよく飛び降りた!!

 いつかSNSで見たスカイダイビングのショートムービーみたいに、四人は落ちていく……。

 最後に一行が聞いたのは、「くぉーん」という心配そうなトンキーの叫びだった。

 

 ——ところで。

 アスナ、リーファ、アリス、キリトはまだ知らない。

 つい数時間前、亜(・)麻(・)色(・)の(・)髪(・)の(・)青(・)年(・)も(・)同(・)じ(・)道(・)の(・)り(・)を(・)進(・)ん(・)だ(・)ということ。

 四人は、知らず知らずのうちに、ユ(・)ー(・)ジ(・)オ(・)の(・)跡(・)を(・)追(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)ことを。

 

 ……まだ、知らない。

 

 

 

 

 

[2026/08/25 9:00 | 白竜の洞窟? / ユージオ]

 

 かすかに青白さを纏(まと)い、透明感のあるオブジェクト。

 地底湖を覆い隠す氷は、青薔薇の剣とまったく同じ色、および質感で輝いていた。

 しかし、氷の一角が赤いバラのような、あざやかな赤に侵食される。

 

「く……ぅ……」

 

 腹部を片手で覆い隠して、必死に「見ないように……見ないように……」と念じて何分経ったんだろう。

 初期装備のジャケットはもともとパステルブルーだったはず。

 でも、片手で隠しきれない部分も、ところどころ赤に染まっている。

 アバターの真下では、この赤い液体が水たまりをつくってた。

 

「やるじゃねぇか、青年君……」

 

 エコーがかかったような敵の美声が、緊張感と威圧感を増幅させていた。

 この惨状をつくりだしたのは、ユージオの目の前にたたずむ巨体。

 クエストのボスキャラたるドラゴンは、かつてユージオが暮らしたアンダーワールドの守護者《白竜》であった。

 竜の横に表示されているHPケージは残り二本。とはいえ、両方とも百パーセントの状態。

 ぜんぜん減っていない。

 

 ——どうしよう……!

 

 ウンディーネ族の新米剣士ユージオは、苦悩している。

 感覚を強調して伝える、というVRマシンの性質が今回は負の方向に働いていた。痛みのせいか頭がフラフラする。

 当初は三本あった白竜のHPケージ。そのうち、なんとか一本は消すことができた。

 でも、直後——!

 

 初期装備の剣が寿命を迎えた。

 

 この致命的な隙が見逃されるはずはなく。白竜の前足でなぎはらわれ、勢いで飛ばされて。

 しかも、同時に《爪ひっかき攻撃》も食らったから、こうして傷を負ってしまった。

 結局、ドームの壁に背中からぶつかり、現在は岩にもたれかかるように座っている。

 

「次は、俺の攻撃だ」

 

 ドラゴンの声を聞けば、憤りに燃えているとかんたんに察せられた。

 たぶん、今度のドラゴンのアタックは《本気》なんだろう。

 絶対的な余裕は感じられても、戦いの前みたいに面白がっているようには思えない。

 ギシ……ギシ……と白竜が動く。ユージオが正面になる位置——そこへ移動するため、方向転換を行っている。

 氷が割れてしまうんじゃ? と心配になるほどの重厚感。

 

 ——怪獣みたいだ。

 

 ついに白竜のフロントフェイスが妖精の真正面に向いた。同時に鋭い目つきでウンディーネの青年を睨(にら)みつける。

 次に竜は首を大きく動かして……

 嫌な汗が、悪寒(おかん)というパターンでユージオを攻め立てた。

 

 攻撃が、くる——!

 

 逃げなきゃ、と頭ではわかってる。

 

 ——でも!

 

 どうしようもない畏(おそ)れが青年のアバターを固定してやめない。

 動けない……!

 まるで爬虫類(はちゅうるい)の頭部の動きや、ドキュメンタリーで見る肉食恐竜のCGを見ているようだ。

 ドラゴンはユージオから目を離さず、狙い撃つように口(・)か(・)ら(・)何(・)か(・)を(・)吐(・)き(・)出(・)し(・)た(・)。

 

「ブレス……!?」

 

 泡(・)だ。シャボン玉のような泡の大群が、ドラゴンの鋭い口元からふんわり舞い散った!

 次の瞬間、まとまったと同時に妖精目掛け、一直線に突っ込んでいく……!

 あっという間に、ほんとうにわずかな時間のうちに、ブレス攻撃はユージオの元に到達!!

 ブレスの到着は、彼が「ひっ!」と口を歪めたタイミングと同時だった。

 

「あ、ああああああああああああああああ!!」

 

 まるで手足を拘束されているかのような圧迫感。勢いで一気に体を押し付けられ、強制的に長座位にさせられる。残念だけど、反撃しようにもまず動けない。

 泡は、ブレスはとても冷たい。氷で構成されているみたいだ。だからこそ、単純だけど絶大な効果を持っている。

 本当に泡なのかな……? ナイフのように鋭く、切り刻まれているような攻撃じゃないか——!

 しかも、ブレスから漂うどこか幻想的な冷気と蒸気が、アバターを濡(ぬ)らしてやまない。凍結させられているような冷えを招く。

 一番の問題は、泡の数が多いこと。だから押されているんだ!

 冷たい……寒い……アバターの手足から、確実に感覚がなくなっている。

 己のHPを確実に減らしているという現実が、直感的な感覚として……《不快感》というかたちでユージオを襲っていた。

 しかし、しょせんは氷。一定の時間が過ぎれば、プログラムで決められた《溶ける》という現象には抗(あらが)えない。

 

「……よかった」

 

 やっと、叫ばずにはいられなかったブレス攻撃から解放された。泡はすべて水に還ったのだ。

 刃物を突き刺されたような痛みだったというのに、青年のアバターにも服にも切り傷は見(・)当(・)た(・)ら(・)な(・)い(・)。それもそのはず。《ユージオをビショビショにする》という結末に終わったから。

 だとなのに、一種の生理的嫌悪感が消えることがない。

 いま、ユージオは《脱力感》に支配されている。つまり、ブレスに、泡の大群に、H(・)P(・)を(・)吸(・)い(・)取(・)ら(・)れ(・)た(・)のだ。

 もちろん、泡ひとつひとつに絶望的な力が備わっていたワケではない。

 証拠を見つけるために、自身のHPケージを見てみた。もともと残り七割程度だった棒グラフは、ちょうど半分の位置まで後退している。減少値は二割程度。

 

「これで終わりじゃねぇぞ」

 

 竜から嫌な通告をされた。

 何度もブレス攻撃をされたらまずい。一撃二割のダメージでも、あと三回繰り返されるだけでHPが全損してしまう計算になる。

 ドラゴンは通告通り、次のブレス攻撃を駆使しようと動き始めている。

 

 ——なんとかしなきゃ。なんとかしなきゃ!

 

 ウンディーネの青年は、《Eugeo(ユージオ)》は、悠地(ゆうち)は、ただただ焦る。

 でも、諦めたワケじゃない。

 怠(だる)い体をなんとか動かそうと、重い思考でもなんとか閃(ひらめ)こうと、自分を鼓舞(こぶ)しよう。

 そうだ、と。悠地(ゆうち)は思う。

 思い出せ。

 記憶を漁れ!

 そうだ……!! 《アンダーワールドのユージオ》の……《彼の親友》は、諦めなかった。

 

 ——何度でも、立ち上がった……!

 

 それに……。

 たったいま、ALOで感じている痛さは、アンダーワールドの比じゃない……!

 

 ——あの世界で感じた痛みは、もっと……もっと痛かった!!

 

 結局、ALOの痛覚はペインアブソーバーである程度ゲーム向けに制限されたもの。

 でも、アンダーワールドでは、現(・)実(・)と(・)同(・)じ(・)、圧倒的な苦しみが待っていたんだ!

 

 ——それに比べたら……!

 

 なんとか、垂れ下がっていた両手を上げる。

 十本の指すべての先端に、淡い光の粒が実った。そのまま手のひらを白竜に向ける。

 そして、ドラゴンからブレスがあふれる瞬間を狙う!

 

「ディスチャージッ!!」

「なにッ!?」

 

 カキーン!!

 甲高い効果音が、洞窟内に響く。

 神聖術が使えるならできるはずだと、ユージオは確信していた。《晶素》系神聖術——《ミラークリエイト》。

 鏡だ。

 敵の攻撃を《跳ね返す》鏡だ。

 実際、ユージオの目の前で、氷のブレスが源たる白竜に向けて方向を転換している。

 作戦成功。

 

 ——でも、まだ、これは気休めだから……!

 

 ユージオは油断していなかった。

 神聖術の素因(エレメント)から生成された道具は、すぐに壊れてしまう。

 今でさえ、氷の体当たりによってミラーにはヒビが入り始めている。だんだんと、耐久値は底に向かっているのだ。

 だから、このミラークリエイトは《時間稼ぎ》の道具でしかない!

 真の策は。

 

「《俺》に力を貸してよ……」

 

 叫ぶ。心の底から叫ぶ!

 

「《赤薔薇》ッ!!」

 

 あの時——《アンダーワールドのユージオ》が、最期の力を振り絞って生成した《赤薔薇の剣》を……もう一度、もう一回だけ造り出してみよう。

 幸いあの時と同じで、手元には自分の血液がある。これを《変換》すればいいんだ。

 前回は親友のため、今回は自分のため。

 

 剣がないなら造ればいい。

 

 アンダーワールドの世界は《想起》——つまり、《イメージ》の力が大切だった。ALOのこの世界でも、神聖術が使えるならイメージが《具現化》するかもしれない!

 想いをこめて、願いをこめて、《赤薔薇の剣》の姿をイメージする!

 いまこの瞬間も、正面の鏡はブレス攻撃を防いでくれている。でも、その分……終わりも近い。

 

 ——はやく、はやく……。

 

 なかなか難しい。でも、しかたない。

 前回は、真っ二つに折れた青薔薇の剣が側(そば)にあって、それを変化させて造り出した。でも、たったいま、青薔薇は手元にない。

 しかも今回の血液は純度が高くない。氷ブレスの影響で水が混ざっているから。

 つまり、ここから一(・)か(・)ら(・)青薔薇の剣を想像して、うり二つの《赤薔薇の剣》を生成しないといけない。

 手汗がにじんだ。

 しかし、その時——

 

『——その役目、《僕》が引き受けるよ』

「え……?」

 

 聞こえた。

 たしかに、《Eugeo(ユージオ)》の——悠地(ゆうち)の脳内に響(・)い(・)て(・)聞こえた。

 

 ——どうして……?

 

 困惑のただ中で、チクリ。悠地(ゆうち)の胸のどこかが痛んだ。

 でも、そんな青年の心情を無視して、ことは勝手に進みだす。

 

『ほら、はじめよう?』

 

 そこから先は、幻想的な光景が広がっていった。

 緋色の液体がおだやかに波をうつ。

 次の瞬間には、あざやかに輝きはじめる。まるで燃え盛るたき火の炎を眺めているみたいに。

 最初はほのかだった灯(あかり)が、だんだんとレーザービームのような光へ変化する。

 やがて光線になった時。

 まぶしさが、落ち着きを取り戻していく。

 現れたのは深紅の剣。柄(つか)や鞘(さや)には精巧なバラの彫刻。刀身は、透明感のあるクリスタルレッド。

 そして、花びらのようにゆらゆらと、ユージオの両手に納まっていく。

 

「ああ——」

 

 床に座っている状態なのに横へ倒れそうになった。

 この剣は、ずっしり重い。《アンダーワールドのユージオ》の記憶にある青薔薇の剣と、ほんとうによく似ている。

 だけど感覚はぜんぜん違った。

 ALOの世界だから? 使っているVRマシンが《STL》じゃないから……?

 いや、違う……ね。

 確かめるために柄(つか)を右手で握ってみる。

 

 ——熱い。

 

 氷でできた青薔薇とまったく真(・)逆(・)の《感覚》。

 そうだ。

 この燦然(さんぜん)と輝く《燃え上がるような赤》は、《ユージオの想いと願い》で構成されている。

 つまり、《赤薔薇》は己の情熱の分身——そして、一心同体の剣。

 とっくに冷たくなった、ついさっき白竜にやられた、上半身のひっかき傷がうずいた。

 自分自身のグチャグチャな感情が、心の中で爆発する。

 

「赤薔薇の……剣だと」

 

 このバトルで一番の驚愕を見せた白竜に対し、ユージオは高らかに剣先を向けた。

 

「はい。これで、あなたを殺します」

「やっぱり面白いな……。

 でもさぁ、負けるワケにはいかねぇ」

 

 今までよりも強烈な量の泡が、ドラゴンから放出される。

 

 パリン!

 

 皿が割れるように、鏡が限界を迎えた。

 跳ね返されなかった分のブレスが、いまかいまかとユージオに向かって突撃する。

 

 ——《俺》は、負けるワケにはいかないんです。

 

 熱い衝動が、ユージオを動かす。

 刃の先端を両手で氷に突き刺し、杖がわりにした。すると、氷が溶ける!

 剣を支えにして、鉛(なまり)のように重い体を無理矢理起き上がらせた。

 一回、大きく深呼吸。荒かった息を無理矢理落ち着かせる。

 熱湯のように沸き上がる想いに身を任せ、右手で剣を引き抜いて——

 

「なん……だと」

 

 白竜は、ただ唖然(あぜん)としている。

 大量のブレスを一撃でなぎ払い、消滅させた——。

 ユージオも敵の隙を見逃さない。剣を構えて突撃の準備をする。

 

「待てよ」

 

 しかし、竜が予想だにしない一言を放った。

 青年は驚いて動きをとめる。怪訝(けげん)な顔で"何をする気なんだ?"と白竜を疑う。

 

「ククク……」

「なにが面白いんです?」

 

 ウンディーネの新米剣士は、不信の表情を強めた。

 

「まあ待てよ、青年君。おめぇ、《人界》で青薔薇の剣の使い手だったんだろ?」

 

 ハッと、ユージオはマヌケな顔で驚いた。剣をおろさざるを得ない。

 ドラゴンが《人界》という言葉を使ったから。

 

 ——アンダーワールドを覚えているのか……?

 

 眉をひそめ、ドラゴンを見上げる。

 

「ああ、おめぇの《赤薔薇》、俺(・)の(・)青薔薇とそっくりだ。

 だからかな……。そうとしか考えられねぇ」

 

 竜は自身の足元にある青薔薇と、ユージオの手元にある《赤薔薇》を交互に観ながら、比較したらしい。

 ユージオは警戒心をそのままに白竜の次の言葉を待った。

 

「《最期の記憶》は、昔遊んでやった小僧が、俺を殺しに来た時で終わってる……」

 

 ユージオは目を見開いて驚いた。

 ビンゴだ。

 小僧。つまりベルクーリのことを覚えている。

 脳裏には、アリスが連れ去られる前日に観た光景——傷だらけの白竜の骨が思い浮かんだ。

 

「気が付いた時は、この《異世界》に来ていたワケだがな。

 ずっと元(・)の(・)青薔薇が気になっていたが、おめぇみたいな凄腕に使われていたなら安心だ」

 

 元アンダーワールド人の青年は、もうなにも言葉を返せない。

 竜は、もはや敵ではない。人界の元守護者としての顔を見せている。

 

「なぁ、青年君」

 

 そして竜は、なぜか間を置いてから言う。

 

「——俺の《竜騎士》にならねぇか」

 

 まるで某人気シリーズの名シーンみたいに「問おう」と聞かれているような構図で。

 あまりに神秘的な光景が、そこにあった。

 

「…………………………え?」

「なんだ、青薔薇は竜騎士専用武器なんだぜ。青年君は知らなかったのかあ?」

 

 片方のほほが引きつってしまい、固まるユージオ。

 ルーリッドのおとぎ話には、青薔薇の剣が竜騎士専用武器なんて話は出てこなかった。

 

「そんなすごい武器を……自分は使っていたんですか……?」

「おうよ」

 

 竜がニヤリと笑った、気がする。

 ユージオは、戦慄した。

 しかし白竜はそんな青年の様子を気にしない。話を続ける。

 

「それに《物質組成変換》も使えんだ。俺の目に狂いはないはずだぜ」

 

 物質組成変換。《赤薔薇の剣》を生成したのも、この能力によるところが大きい。

 本来、アドミニストレータと、ユージオが世話になった賢者カーディナルの二人以外には使えないはずの技。

 悠地(ゆうち)が記憶を除去できなかった理由でもある。

 

「で、どうなんだ。やんのか、やんねぇのか」

 

 そんな思考の渦(うず)に悠地(ゆうち)が戻ることを許さず、せっかちな白竜は決断を迫ってきた。

 ピコン。ユージオの目の前に《白竜をテイムしますか?》というウィンドウが現れる。

 

「《俺》が……あなたをテイム……あなたを服従させるっていうんですか……?」

「テイムって言うのがなんだかわかんねぇが、従うって意味で言えばそん通りだ」

 

 ウィンドウに届きそうになった手が、どうしても震えてしまう。

 伝説の竜を従えるというんだ。ほんとうに自分で良いのだろうか。

 でも、OKボタンを押せば青薔薇が手に入る——。

 口をつぐんで「なるようになれ!」と心の中で叫ぶしか、なかった。

 

「よくやったぞ。

 これからよろしくな、ユージオ」

「は、はい……」

「フッ……そんな堅苦しくなるんじゃねぇよ。

 それじゃあな」

 

 今まで"青年君"呼びだったのが、テイムしたことで、プレイヤーネームに変わった。それがなんだかこそばゆい。

 

「終わったんだ……」

 

 中断の末、バトルは唐突に終了に至った。敵のHPケージは、もうどこにも見当たらない。

 ファンタジックで豪勢なファンファーレが再生される。《白竜をテイムしました!》というウィンドウが表示されると同時に、ドラゴンは消えた。ユージオのアイテムレジストリに格納されたのだ。

 大きくため息を吐いて、ユージオはいったん落ち着こうと目を閉じた。

 

 ——こんなかんたんに、ボスクラスの竜をテイムしちゃって良かったのかな。

 

 さっきから、いわれのない不安がユージオの心を圧迫している。

 たとえば《ドラゴンのテイムを目指しているケットシー》の知り合いができたら、怒られそうな成果だ。なにせ、テイムスキルは持っていないのだから。

 結局、もう一回ため息をついてしまった。

 

 

 

 

 

[2026/08/25 9:30 | 白竜の洞窟?]

 

 やっと気分が安定傾向を取り戻したところで。

 いまユージオは、白竜が立っていた位置——宝山の側(そば)に立っていた。

 この目が痛くなるほどの宝は、すでにユージオの持ち物だ。持ち主たる白竜を彼が楽々とテイムしてしまったから。

 とはいえ、ユージオはお宝には興味がない。

 視界に入っているアイテムは美しいひと振りの剣だけだ。

 

 ——やっと。

 

 いや、やっとじゃない。それは自惚(うぬぼ)れだ。

 ALOに登録してわずか五、六時間。短時間で目的地にたどり着いた。

 しかも、目的のアイテムを手に入れられたんだ。

 幸運じゃないか。

 

 ——落ち着け。落ち着け。

 

 でも、のばした右手は小刻みに揺れている。ここまできて、自分はとても緊張しているらしい。

 目標はもちろん一番上に置かれた青薔薇の剣だ。

 軽々と手が届いてしまった。持ち手をつかんで、サッと持ち上げる。

 

「おかえり……」

 

 急に、ジーンと目頭が痛くなる。

 自然と感嘆……感動の声が出た。

 

「せいッ!」

 

 気を引き締めるために、軽く素振りしてみる。

 それに、試してみたい。

 

 ——ああ、しっくりくる。

 

 ALOとアンダーワールドの青薔薇の剣は、違うんじゃないか——。そういう考えが、ずっと頭に貼り付いていた。

 でも、大丈夫だった。

 彼は、《アンダーワールドのユージオ》は、何年もかけて青薔薇の剣と向き合っていたんだ。その毎日行っていた稽古(けいこ)の時と、まったく同じ《感覚》なのだから。

 

 安心。

 

 不安が解消してしまえば、もう抑えきれない。

 ついに、ユージオのほほをひとすじの涙が流れた。

 ウンディーネの青年が、氷った地底湖の中心で澄んだ涙を流す。氷の薄い青とウンディーネの淡い青が合わさって、とても幻想的な光景が完成した。

 

「ダメだよ」

 

 自分に言い聞かせるように、一言。

 泣いてちゃいられない。気持ちを変えなきゃ。

 

 ——でも、どうやって気分を変えよう。

 

「あっ」

 

 とっさにユージオは左手に《赤薔薇の剣》を持たせてみる。

 赤と青。対照的な二色が交差した——!

 

 ——やっぱり似合わないな。

 

 二刀流。

 親友の特技を真(・)似(・)し(・)て(・)み(・)た(・)んだけど……と心の中で続ける。

 地底湖の氷に、困った顔をするウンディーネが映った。本人にしてみれば、とても滑稽(こっけい)な姿に見えてしまう。

 でも、自嘲(じちょう)的な気分になったおかげで、感傷的な気分とおさらばできた。

 ホッと息をついて肩をほぐす。

 

 なのに。

 

「ユ……ユー、ジオ……?」

 

 背後から。不意打ちとばかりに聞こえてきた他者の声。

 しかも、その声には聞(・)き(・)覚(・)え(・)がある。

 

 ——なんで。

 

 せっかく落ち着いたばかりの心が、また大きく揺さぶられる。吐き出した息は、どうしようもないほど震えていて。

 わかってた。現実は甘くないってことくらい。

 できるだけ、ゆっくり振り向こう——。

 

「キリ……ト」

 

 振り返って、黒づくめの男性アバターが目に入った瞬間。

 自分自身の小さな口からも、自然と相手の名前が飛び出した。

 ほとんど音にならないカスレ声には、当惑の気持ちが顕著(けんちょ)に現れている。

 

「なぜ……?」

 

 相手の口から零(こぼ)れた疑問の言葉。彼は"信じられない"と言いたげにユージオを見つめて。

 アバターは黒い髪に黒い服のスプリガン。

 間違いない。

 目の前の青年は《アンダーワールドのユージオ》の《親友》。

 いや……デスゲーム《ソードアート・オンライン》をクリアに導いた《英雄》……黒の剣士キリトがそこにいた。

 ほかに三人の女性プレイヤーが同伴しているらしい。彼女たちも目を見開いて驚いている。

 そして、そのうちの一人——金髪少女がユージオの視界に入った瞬間。

 ユージオはギュッと、強く胸を締めつけられた。

 

 幼馴染三人が、ついに再会を果たす——。

 

 ——《俺》は、会いたくなかったよ。キリト、アリス……。




まずはお読みくださりありがとうございます。
好きかも! と思った時には、[評価]や[感想]をお寄せいただきますと作者が舞い上がります。

補足:
今回の《赤薔薇の剣》は、賢者カーディナルの杖と同じようなプロセスで生成されています。
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