ウメちゃんとセカンドちゃんが出走していたNHK杯から、約一週間たった五月十六日。
日本ダービー前の一叩きとして出走した、今日のオープンで、私は初めての敗北を喫した。
『まさかの結果となりました! 一着はヤマニンシロ、ヤマニンシロです! 一番人気のシンザンは二着に敗れました!』
実況の声が鳴り響く東京レース場のターフで、私は電光掲示板を見上げている。
そこに表示されている、アタマ差での敗北結果。勝者は、今日十四人のウマ娘の中で十一番人気での出走をしていたヤマニンシロ。皐月賞にも出ていたウマ娘だが、その時は二十二着。言葉は悪いが、お世辞にもあまり強いとは言えないウマ娘だ。
ただ、なぜだろう。
初めて負けたというのに、実力も勝っているだろうというウマ娘に負けたというのに。
私の心は、凪いでいた。
***
「急に呼び出してしまってすまない」
「いえいえ! そんな、めっそうもない!」
部室の中、私はいま、一人のウマ娘と二人きりになっていた。
明るい栗毛、白いメッシュの入った前髪に、端正な顔立ち。小柄な体格だが、それを感じさせない貫禄があり、堂々とした佇まいをしている。
おそらく、現在チームアルタイルに所属しているウマ娘はもちろん、トレセン学園に所属しているウマ娘は誰一人として名前を知らない人はいないであろう、超スーパースター。
コダマ先輩が、目の前にいた。
「でも、コダマ先輩が私なんかになんの用ですか?」
「私なんかということはないだろう。無敗で皐月賞を勝ち、世代のトップに立ったんだ」
「は、はい」
「……まあ、先日のオープンは随分と体重増で出走していたようだが」
「それトレーナーから聞きました!?」
私の言葉に、コダマ先輩は「ああ」と頷いた。
トレーナーの命日が確定した。
「まあ、それ自体はいい。成長期だし、体重が増えることもある。レースに出れば負けることもある」
だが、とコダマ先輩は続ける。
「昨日、負けた時悔しかったか?」
「悔しかったか……ですか?」
「いや、質問を変えよう。皐月賞で勝った時、嬉しかったか?」
「えっと……?」
言葉に詰まった私を見て、コダマ先輩は続ける。
「それじゃあ、スプリングステークスで勝った時はどうだった?」
「それは……とても、嬉しかったです」
スプリングステークスで勝った時は、それはとても嬉しかった。
初めて出走した重賞レースで、初めてウメちゃんと走れたレースで、しかも勝てたのだ。嬉しくないわけがない。
「はじめ、君の目標はウメノチカラと同じレースに出たい、というものだったと聞いた」
「あ、はい」
元々、私のデビュー予定だった日に見た、ウメちゃんのレース。
誰よりも早くゴール板を駆け抜けたあの背中に、私は憧れていた。
「では今の君に、そのような目標はあるか?」
「……ない、ですね」
それは、スプリングステークス後からなんとなく考えていたものでもあった。
今の私には、以前のような目標がない。
もちろん、まだウメちゃんと一緒にレースに出たいという気持ちはある。
けどそれはもう、目標とは呼べない。以前の私、つまりスプリングステークス以前の私はまだ、デビュー戦とオープンしか勝利しておらず、一方でウメちゃんはすでに朝日盃にも勝利していた。
しかし今となってはもう、私も重賞レースに出走するウマ娘になれてしまった。ウメちゃんと同じレースに出ようとすれば、いくらでも出走することができる。それこそ、コンビニに行くような感覚で。
「目標がないというのは、例えるならゴールのないレースを走るようなもの。君は頭がいいと聞いているから、この意味はわかるだろう」
「はい」
ゴールがなければ、走り続けることしかできない。いつかはペースが狂い、潰れてしまう。
「その……コダマ先輩の目標はなんだったんですか?」
「それは……まったくなかったな」
「なかったんですか!?」
意味ありげな沈黙の後に告げられた言葉に、私は思わず大声をあげてしまった。
「うん、恥ずかしながら全く。まあ、強いて言えば三冠取りたいなーってくらいで」
「そんな軽いノリで三冠取りたいって思う人、他にいませんよ……」
照れ隠しみたいに笑って言ったコダマ先輩。気がつけば先ほどまでの少し張り詰めていたような空気は霧散していた。
「まあ、私強かったし」
「いや、そうですけど……」
こんな軽いノリで「私強いから」なんていう人、初めて見た。
「無敗で二冠を達成して、あー私三冠とれるなーって思ったんだよね」
でも、とコダマ先輩はそれまでの軽い声色を重くして続けた。
「脚部疲労を引き起こして、さらに長距離に適性がなかった私は菊花賞に負けた。三冠を逃して、私には何もなくなった。有馬記念も負け、出走する予定だった天皇賞も回避する羽目になった」
だから、とさらにコダマ先輩は続ける。
「あのとき、私に目標があれば、って今でも思う日がある。菊花賞に負けた後でも、目標にできるような夢があれば、もっと違う結果になっていたんじゃないかって、今でも思う」
「そう、だったんですね」
今まで知らなかった、スーパースターの隠れた一面。
誰もが憧れるスーパースターにも、弱い一面があることを、初めて知った。
「目標ができれば、レースに勝つことがうれしくなる。負けることが悔しくなる。そのうれしさや悔しさが、次のレースへの糧になる。ゆっくりでいいから、目標を探してみるといい」
コダマ先輩の言葉に、私は「わかりました」と頷く。
ダービーまでは後二週間ほどある。ゆっくり、次の目標を探そう。
なんか筆が乗らなくて、執筆が進まないんですよね。謎です。
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