リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第1話:新人トレーナー、ハルウララをスカウトする

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園――通称トレセン学園。

 

 全国津々浦々、前途有望なウマ娘が門を叩く日本でもトップクラスのウマ娘の育成機関。

 東京都府中市に存在するその学園は、全寮制の中高一貫校にして総生徒数が二千人弱というマンモス校である。

 

 そんなトレセン学園の一室、理事長室に三人の人影があった。

 

「確認ッ! 君の意思を尊重したいが、もう一度聞かせてほしい! 担当するウマ娘は本当に彼女で良いのかっ!?」

 

 そう言いつつ、手に持った扇子を音を立てながら開く少女。

 

 女性にしても小柄だが、紺色のスーツと白いドレスを合体させたような衣服を纏うその少女こそトレセン学園の理事長、秋川やよいである。

 太ももまで届きそうなほど長く伸びた栗色の髪は一部分だけメッシュのように白く染まっており、室内にも関わらず帽子をかぶり、更には何故か帽子の上に猫が乗っている。

 

「我々としても、新人トレーナーである貴方に最初からチームを結成してもらおうとは思っていません。まずは一人か二人、専属に近い形でウマ娘を担当して経験を積んでもらえればと思っています。ですが、彼女はその……」

 

 やよいの言葉に続くようにして、一人の女性が困惑するような言葉を漏らした。

 

 トレセン学園の理事長――すなわち、やよいの秘書として補佐を務める駿川たづなである。

 

 やよいとは異なり、きっちりとした緑色のスーツ姿。しかしこちらも何故かやよいと同様に帽子をかぶっており、言葉と同様に困惑が込められた表情を室内にいる最後の一人へと向けた。

 

「問題ありません」

 

 そう答えたのは、スーツで身を固めた青年だった。

 

 小柄とも大柄ともいえず、中肉中背。顔立ちも悪くはないが良くもない、どこにでもいそうなものである。

 しわ一つない清潔感のあるスーツをきっちりと着込んでいるため、見る者に不快感を与えることはないだろう。同時に、印象にも残らないとも言えたが。

 

 その青年は、今年になってトレセン学園へ配属された新人トレーナーである。

 

 所属するウマ娘の数が数だけに、トレセン学園に在籍するトレーナーの数もまた多い。その青年は今年配属となった新人トレーナーの一人だったが、配属されて二週間と経たない内に個人面談という形で理事長室へ呼び出されていた。

 

 面談で取り上げられた内容はただ一つ。担当するウマ娘に関してである。

 

 トレーナーである以上、ウマ娘を育成するのは当然のことだ。新人とはいえその青年は中央のトレーナーライセンスを取得しており、資格の上でも申し分はない。

 

 申し分はない――のだが。

 

「懸念ッ! この学園に迎え入れた以上、彼女にもトレーナーが必要だ! だが、新人の君が担当するには些か――」

「問題ありません」

 

 青年は失礼とは思いつつも、やよいの言葉を遮るようにして言った。

 

 そしてその青年は、新人トレーナーは、表情に自信を滲ませながら言葉にする。己が担当すると決めたウマ娘の名前を。

 

「――彼女はハルウララなんですから」

 

 その返答に、やよいとたづなは困ったように頬を引きつらせるのだった。

 

 

 

 

 

 死因はよく覚えていないが、俺は死んで生まれ変わったらしい。二十代の半ばまで生きた記憶があるが、目が覚めると赤ん坊の体になっていた。

 しかも前世とは若干、いや、盛大に異なる世界に生まれたようだ。

 

 おぎゃあと生まれ、ある程度の思考ができるようになってからようやくその事実に気付いた。

 

 一日の大半を寝て過ごし、時折目を覚ましては前世の自分より若い母親から授乳され、我慢しようにもどうしようもないシモをぶっ放し、その感触に泣き喚くこと幾星霜。

 たまたまついていたテレビに映ったその存在が、この世界を前世の地球とは異なる場所だと教えてくれた。

 

『シンザンが一番外を通った! シンザンが大外を通りました! 一番外を通ったシンザンです! シンザンが一番外を通りました!』

 

 テレビから聞こえてきたのは興奮を含んだ男性の声。その声につられるようにしてテレビを見た俺は、思わず噴き出していた。

 

 テレビに映っていたのは、頭部に動物の耳を生やした少女達が疾走する姿。耳だけでなく臀部には尻尾が生えており、走行に合わせて波打つように揺れている。

 

『まだシンザンが出ない! シンザン出るか!? シンザン出た! シンザン出た! シンザンが出た! シンザンがゴールイン! シンザン五冠達成!』

 

 ボルテージが上がり、声を張り上げる実況の男性。それと同時にテレビ越しでもわかるほどの大歓声が聞こえた俺は、テレビに映し出された光景が理解できずに目を白黒させる。

 

(なんだこの番組……女の子に耳と尻尾つけて走らせるとか……実況もプロみたいに上手いし、観客はエキストラかな? どっかのレース場を貸し切ったのかぁ……日本始まり過ぎだろ)

 

 この番組を撮るのにいくらかかったんだろ、なんて思うぐらいには盛り上がっているように見える。それと同時に、この番組は一体どんな視聴者層に向けたものなのかと最近やっと据わった首を傾げた。

 

「勝ったのはやっぱりシンザンか……」

「本当に強いわねぇ」

 

 うむうむ、と訳知り顔で頷く今生の父と母。

 

 今の番組を真面目に見てたの? と聞きたいが赤ん坊がそんなことをいきなり聞いたらホラーである。そのため黙ってテレビを眺めていると、先ほど謎のレースを繰り広げていた少女達が何やら特設ステージに集まっているのが見えた。

 すると、妙にポップで耳に残る曲を歌い、踊り始めたではないか。

 

 センターを務めるのは、レースに勝利したシンザンと呼ばれる少女。その左右には二着、三着になった少女が並び、軽快でキレのあるダンスを披露している。

 前世のテレビで見たアイドルが裸足で逃げ出すような美少女達が歌い、踊る姿。そしてそれを盛り上げるようにサイリウムを振る観客達。会場のボルテージはどんどん上がっていき、歌もダンスもそれに合わせて力強いものになっていく。

 

 ところでうまぴょいって何? 歌う方も聞く方も盛り上がってるけど、うまぴょいって何?

 

「……うむ」

「うむ、じゃないですよあなた。彼女達のどこを見て頷いたのかしら?」

 

 そしてセンターで踊る美少女を見て口元を緩めた父と、不満そうににじり寄る母の姿を見て俺は思った。

 

 この番組、やっぱり変じゃね? と。

 

 

 

 

 

 そして、これをきっかけとして俺は前世との違いに気付くようになった。

 

 俺が生まれたのは前世と同じく地球の、日本と呼ばれる国である。少なくとも俺はそう思っていた。

 

 だが、テレビをつければ動物の耳と尻尾を生やした美少女――ウマ娘が走る姿が頻繁に映ったり、先日見たシンザンという少女に関する特集が組まれていたりするのだ。

 

 ニュース番組で普通にケモミミ美少女が取り上げられているのを見た時の心境は、俺自身何とたとえれば良いかわからない。前世の記憶を辿ってみればオタク文化も大衆に根付いて珍しくなくなったが、ここまで大々的に取り上げられるほどではなかったはずだ。

 

(この……なに? なんなの? あの子たちはなんなの? ウマ娘ってなに? 新手のアイドルグループ?)

 

 前世でもアイドルに詳しいわけではなかったが、生まれ変わった世界ではコレが普通なのだろうか。美少女に動物の耳と尻尾をつけて走らせるのがブームなのだろうか。実は転生したというのは勘違いで、病院のベッドの上で末期の夢でも見ているのだろうか。

 

 そうして混乱すること数日。両親に連れられて外出することになった俺は、目の前を通り過ぎた存在に目を奪われることとなった。

 

 テレビに映っていたような、獣の耳と尻尾を生やした少女――否、幼女である。

 

 両親に手を引かれて楽しそうに笑うその幼女は、ご機嫌ぶりを示すように耳をピクピクと動かし、尻尾をブンブン振り回していた。

 

(え? あの耳、本物? 尻尾も? そういうオモチャ? よく見たら普通の耳がついてないような……)

 

 幼女にケモミミと尻尾のオモチャを付けるとか両親の良心はどうなってんだ、なんて笑えないギャグを思い浮かべたのも束の間。風が吹くような音が聞こえたかと思うと、とんでもない速さで車道脇を爆走するケモミミ少女が視界に映った。

 

 車道を走る車を追い越し、あっという間に視界から消える少女。母に抱っこされた俺が視線を落として見ると、車道のすぐ傍にはもう一本、細い道路があった。

 そこには非常口マークを女性っぽいシルエットに変え、頭に例の動物の耳を、臀部に尻尾を生やしたようなマークが描かれている。ついでにいえば速度制限なのか50キロという数字も書かれていた。ちなみに車道の速度制限は40キロである。意味がわからない。

 

「おー、今の子けっこう速いな。どこの子だ?」

「あの制服ならトレセン学園の子じゃないかしら?」

 

 そして、驚きもせずに感心したような声を漏らす両親も意味がわからない。

 平然としてるが時速50キロといったらオリンピック選手を軽く超える速さだ。しかも速度制限で時速50キロということは、それ以上の速度で走れる可能性もある。

 

 もしや、この世界はウマ娘なる宇宙人と我々地球人が共存する不思議な世界なのではないか? 前世と同じ地球だと思ったのは間違いで、ただ似ているだけのファンタジー世界だったのか?

 

 知恵熱を起こしそうなほどに悩んだ俺はその場で泣き出した。ついでに盛大にシモをぶっ放した。だって赤ちゃんだもの。

 

 

 

 

 

 ケモミミと尻尾を生やした謎の美少女型生命体。

 

 最初は宇宙人に侵略された世界なのかと戦々恐々としたが、彼女達はウマ娘と呼ばれる存在らしい。アイドル名ではなく、そういう生き物なのだ。

 

 この世界には馬が存在せず、代わりにウマ娘が存在する。ぱっと見た限りケモミミと尻尾を生やした美少女にしか見えないが、彼女達はヒト族とは僅かに異なる生き物のようだ。

 

 自分の足で立って歩き、喋ってもおかしくない年齢になった俺は真っ先に両親に確認を取った。そうしてそれらの事実を知った。

 初めてテレビで見たウマ娘も有記念と呼ばれるレースに出走していたらしく、ウマ娘が繰り広げるレースは日本だけでなく世界中の人間の娯楽であり、注目の的なのだ。

 

(というか有記念って……競馬じゃん。よく知らないけど競馬じゃん。見直してみたら馬の漢字が少し違うけど……)

 

 父が録画していた有記念のレースを見直して気付いたが、『馬』の字の下部分を構成する四つの点が二つの点という謎の漢字になっている。これはウマ娘が四本足ではなく二本足で走るからだろうか。

 ついでにいえば、家にあったことわざ辞典を開いてみると馬に関することわざや熟語まで意味が変わっていた。

 

(馬子にも衣裳がマ子にも衣裳になってる……意味が近いのは鬼に金棒かな?)

 

 馬の代わりにウマ娘が存在することで俺が知っている歴史や文化とは異なっているが、差異があるといえばウマ娘に関わることだけでそれ以外は前世と大差がない。

 

 テレビがあれば車もある。都心には高いビルが建ち並んでいるし、空には飛行機だって飛んでいる。国の名前や政治の形態も調べた限りでは前世と変わりがない。

 

 ウマ娘という存在がいることで競馬や競走馬は影も形も存在しないが、元々競馬はほとんど知らないのだ。テレビで取り上げられている有力なウマ娘も、そのほとんどがピンとこない名前ばかりである。

 前世のニュースで盛大に取り上げられたことがある馬の名前はおぼろげながらに覚えているが、この世界においてもその名前を冠するウマ娘が存在するかはわからない。

 レース名に関しても、有馬記念や天皇賞などの有名なレース以外はよく知らなかった。

 

 ただ、ウマ娘のレースは競馬と異なり、観戦こそするが馬券を買って金を賭けるといったことはしないらしい。それでも有力なウマ娘が出走するレースでは10万人を超える観客がレース場に詰めかけることも珍しくないようだ。

 

 野球やサッカーも存在するが、ウマ娘のレースより注目度が低い。俺が生まれ変わったのはそんな世界なのだが、覚えていないだけで前世ではこんな世界に生まれ変わるような因業を成してしまったのか。

 それでも生まれた以上、生きていくしかないのが人間である。ウマ娘というイレギュラーこそあれど、二度目の人生だ。それも前世の記憶というアドバンテージがある以上、前世ではできなかったようなことができ、就けなかったような職にも就けるかもしれない。

 

 前世では平々凡々とした人生を送っていたが、それでも大きなアドバンテージである。高校や大学で習った内容は怪しいが、さすがに義務教育レベルなら一から学び直す必要もない。

 ウマ娘が存在することで前世と異なる歴史や社会制度に関しては学ぶ必要があるだろうが、他人と比べれば有利な立場にあることは間違いなかった。

 

(勝ったな……)

 

 何に対しての勝利か自分でもわからない。だが、この時の俺はバラ色の人生が待っていると信じて疑わなかった。

 

 

 

 

 

 そして、十で神童十五で才子、二十すぎれば只の人――などと言われるよりも早く、俺のメッキは剥がれていた。

 

 さすがに小学校の勉強で周囲に遅れを取ることはなかったが、中学生になるとテストで俺よりも高得点を取る同級生が僅かとはいえ出始めたのだ。

 中学二年生、三年生と時が経つにつれてその数は増え、有名な私立高校を受験する者達には歯が立たなくなる。

 

 もちろん俺も手をこまねいていたわけではない。真剣に授業を聞き、塾に通い、勉学に励んだ。それと同時に運動にも精を出したが、勉強と同様に自分よりも優秀な者が何人も出てくる。

 学校全体で見れば上位と呼べるだけの成績と運動能力を持ってはいたが、それは所詮カンニングのようなものだ。凡人は生まれ変わっても凡人で、努力を重ねても凡人の域を出なかった。

 

 周囲から見れば十分に秀才と呼ばれるだけの成果を出していただろう。客観的に見れば俺もそう思うに違いない。

 だが、俺の中にあったのは周囲の評価など耳に届かないほどの焦燥感だった。前世では他者に誇れるような人生など送れなかったが、今世ではもっとマシな人生になるのではないかと、そう、思っていたのだ。

 

 焦りは余裕をなくし、余裕がなくなれば視野も狭くなる。ただ漠然と、このままでは駄目なのだという思いだけがあった。それは日に日に膨らみ、不安と焦りを大きくしては余裕をなくすという悪循環に陥らせる。

 

 そんな俺のことを案じたのだろう。とある休日、両親に連れ出された俺は東京レース場に足を運ぶこととなった。

 気分転換にウマ娘のレースでも見に行こう、とのことらしい。正直勉強に時間を割きたかったが、平日は仕事で忙しい両親が休日を潰してまで気遣ってくれたのだ。その気遣いを無下にすることはできなかった。

 

 ――そして、圧倒された。

 

 どこにこれだけの人がいたのかと目を疑いたくなるほどの観客数。レース場の観客席が端から端まで全て埋まり、ウマ娘達がターフを走る度に地鳴りのような歓声が上がる。

 観客達にはそれぞれ応援しているウマ娘がいるのだろう。ゲートが開き、ターフを走り、鎬を削るようなデッドヒートを見せるウマ娘達の姿に喉が裂けんばかりの声援を飛ばしている。

 

 その活気と熱量はそれまで生でウマ娘のレースを見たことがなかった俺を圧倒し、そして、それ以上に興奮させた。

 

 テレビ越しに見ていた時には感じ取れなかった熱狂が。

 

 耳と尻尾を除けば美少女にしか見えないウマ娘達の疾走が。

 

 音が、空気が、振動が、その全てが。

 

 それまで感じたことのないような興奮を俺にもたらし――ふと、閃いた。

 

 これは、これからの俺の人生に転機をもたらすものではないか?

 

 前世の世界には存在しなかった、ウマ娘という存在。これに関わることが運命ではないか。そうでないならば、何故前世の記憶など持って生まれ変わったというのか。

 

 天啓だ。これはきっと、天啓なのだ。他人が聞けば中二病と笑われるかもしれないが、俺は中学生だ。前世のことは見ないこととして、中学生なのだ。中二病ではない。いや、中学二年生の頃に罹患するから中二病で合っているのか。

 

 興奮によって混乱する頭で、俺はこれからの人生プランを練り上げていく。

 

 これまでは学校で良い成績を取るという目的で勉強していたが、それは本末転倒だ。俺は今世における一歩目から間違っていたのだ。

 

 テストのために勉強するのではなく、目標のために勉強するべきだったのだ。

 

 そうと決まれば動きは早い。俺は自宅に帰ると父のパソコンを借り、インターネットでウマ娘に関する情報を集めていく。

 

 当然ながら、俺はウマ娘ではない。娘ではなく息子だ。たとえるならヒト息子だ。それでもウマ娘に関わる仕事というものは、探せばいくらでも出てくる。

 

「トレーニングセンターの職員……レース場の整備士……蹄鉄職人……衣装職人……料理人……料理人? ウマ娘向けの料理人? い、いや、料理の世界って厳しいらしいし、他は……」

 

 そこで俺の目に、とある単語が映る。

 

「ウマ娘のトレーナー……これだ」

 

 ウマ娘はそれぞれ自分の意思で走るため、騎手は存在しない。しかしウマ娘にトレーニングを施すトレーナーは当然のように存在した。

 

 トレーナーと一口に言っても学ぶべきこと、やるべきことは多岐に渡るらしい。

 

 ウマ娘の育成は当然のこと、所属するトレーニングセンターでのチームの運営、担当するウマ娘のレースの出走申請、ウマ娘のスカウト等々。細かい部分まで挙げればキリがないが、コーチング技術やスポーツ医学などの様々な知識が求められるようだ。

 しかもトレーナーになるためにはライセンスを取得する必要がある。何故か地方と中央という区分で分けられており、地方のトレーナーライセンスは比較的容易に取得できるようだが、中央のトレーナーライセンスを取得するのは非常に困難らしい。

 

 その二つで何が違うかというと、取得難易度もそうだが取得後の待遇もまったくの別物のようだ。

 

 今日レースを見に行った東京レース場や阪神レース場、京都レース場、中山レース場といった有名なレース場で開かれるトゥインクル・シリーズ。

 

 帯広やカサマツ、名古屋や高知といった地方のレース場で開かれるローカルシリーズ。

 

 前者に出走するウマ娘を育てるためのライセンスが中央のもので、後者に出走するウマ娘を育てるためのライセンスが地方のものになる。

 

「うーん……中央と地方の差がえげつねぇ」

 

 マウスをカチカチとクリックしながら情報を漁ってみるが、中央と地方では観客数やトレーニングセンターの規模が段違いどころか桁違いである。

 

 そもそもウマ娘の質も桁違いで、中央のトレセン学園に入学できるウマ娘は一握り。いわばエリートと呼べる者達ばかりのようだ。

 中央に入学できなければ地方のトレセン学園に入学することになるが、地方出身のウマ娘で高名な者はほとんどいないらしい。

 

 ついでに俺――というか労働者にとっては死活問題だが、トレーナーに支払われる給料や待遇も桁違いのようだ。

 担当するウマ娘の成績次第ではあるが、中央のトレーナーは狭き門になる代わり高給取りになれる可能性が高い。それなりレベルでも活躍できるウマ娘を育てられれば一生食いっぱぐれない職といえるだろう。

 

 興味が持てて、給料も良さそうで、安定性もある。手に持つ職としてはこれ以上のものは早々ないだろう。

 好奇心と打算から、俺は将来の夢を定めた。純粋にウマ娘に魅了されたから、などとはいえない不純さが俺にはあったのである。

 

 そうして俺は、トレーナーになるべく進路を変えた。

 

 思い立ったが吉日といわんばかりに両親に進路の相談をし、受験予定だった高校をトレーナーの養成校に変えた。

 後々振り返ってみれば勢い任せの愚かな選択だと自分を罵ったかもしれないが、せっかくの二度目の人生を大人しく公務員やサラリーマンになって過ごす気にはならなかった。いや、トレーナーもある意味サラリーマンみたいなものかもしれないが。

 

 それでも若気の至りか、それまでぼんやりとした人生にガチッとハマる何かがあったのか、俺はトレーナーになるべく勉強に励んで、励んで、励み続けた。

 

 養成校でウマ娘の育成方法や必要な知識、関連する法律を学び、実地での研修を行い、ライセンスを取得するための試験に挑む。狙うはもちろん中央のライセンスで――落ちた時に備えてこっそり地方のライセンスも受験したが、無事に中央と地方のトレーナーライセンスを取得することができた。

 地方のライセンスは余裕をもって取得できたが、中央のライセンスに関しては合格点ギリギリである。試験が終わった後に自己採点して、思わず顔面から血の気が失せるぐらいのギリギリ加減だったが、合格は合格である。

 

 こうして俺は中央の新人トレーナーとして、トレセン学園に就職することになったのだ。

 

 

 

 

 

 そして、初っ端から躓いた。それはもう、盛大に躓いた。

 

 トレセン学園に所属するウマ娘の数はおよそ二千人である。中等部と高等部という区分はあるが、在籍するウマ娘達は地方にいけば一人だけゲームが違うと言われそうなほど無双できるぐらい差がある。

 

 問い、そんな優秀なウマ娘あるいはウマ娘の卵が求めるトレーナーはどんな人物か?(配点:俺のこれからの人生)

 

 答え、経験豊富で優秀なトレーナー。

 

 そして俺は配属されたばかりの新人トレーナーである。経歴真っ白、尻に殻がついたヒヨコどころかようやくヒビの割れ目から顔を覗かせたぐらいのド新人だ。

 

 トレセン学園には数多くのトレーナーが在籍している。俺のような新人から、その道数十年のベテランまで、名前を覚えきれないほど多くのトレーナーがいるのだ。

 

 トレーナーはウマ娘をスカウトし、チームを結成する。チームは基本的に五人以上のウマ娘が所属するのだが、ウマ娘からすれば有名なチームに入りたいと思うのが人情もといウマ情というものだろう。

 繰り返すが、俺は配属されたばかりの新人トレーナーである。当然ながらチームなど結成していない。実は養成校時代に優秀な成績を収めていて有名だった、なんてオチもない。

 

 ウマ娘は有名なチームに所属したいが、チームを率いるトレーナーとしても一人でも多く優秀なウマ娘を集めたい。トレーナーが面倒を見ることができるウマ娘の数は限りがあるが、優秀なウマ娘が集まるチームならば自分も優秀になれると思うのも当然の話だろう。

 

 トレーナーは自分の生活がかかっているが、ウマ娘にとっては自分の人生ならぬウマ生がかかっているのだから。

 

「あああああ……誰もスカウトに応じてくれねぇ……」

 

 だから、こうして俺が嘆くのもある意味当然だったのかもしれない。トレーナーになりさえすれば上手くいくんじゃね? などと思っていた過去の自分を殴り倒したい。

 

 トレーナーへアピールするためなのだろう。ウマ娘達は放課後に行われている模擬レースに参加し、己の実力を示す。そうすることでスカウトを待ち、自らを育成するに足るトレーナーを決める。

 俺も当然のように模擬レースを観戦し、なるべく上位の成績を取ったウマ娘に声をかけるようにしていた。しかし、本番ではないとはいえ模擬レースで上位に入るようなウマ娘は他のトレーナーも目をつける。

 

 そこから先は簡単な話だ。新人トレーナーの俺よりも、先輩トレーナーの方がウマ娘に選ばれるのだ。

 

 それならばと成績が芳しくないウマ娘に声をかけても、結果は変わらない。既に模擬レースで負けている以上、他のウマ娘よりも劣っているという事実がある。

 

 そんなウマ娘が、育成手腕も不明で実績もない新人トレーナーに自らの将来を託すだろうか?

 

 そんなはずがないのである。現状ただでさえ周囲より劣っているというのに、自分より優れたウマ娘が優れたトレーナーやチームにスカウトされ、自分は新人トレーナーに育てられるとなるとその差は時間を追うごとに大きくなっていく。

 

 ウマ娘側も新人である以上、少しでも優れた環境に身を置きたいと思うのは当然のことだった。育成手腕が不明だがトレーナーの将来性に賭けてみよう、などと自分の人生をベットできるウマ娘は早々いないのだ。

 

「やべえよ、このままじゃあ社内ニートになっちまうよ……」

 

 トレセン学園が所有するレース場傍にあったベンチに座り、俺はため息と共に愚痴を吐き出す。

 

 10人立ての模擬レースで最下位だったウマ娘に声をかけたものの、けんもほろろに断られてしまい、最早お手上げ状態だった。スカウトの期間は定められているが、まだ時間的余裕があるからと断られたのである。

 

 有力そうな新人ウマ娘は既に有名なチームやトレーナーがスカウトしてしまった。このままではスカウト期間ギリギリになったタイミングで、同じように焦っているウマ娘をなし崩し的にスカウトすることになりそうだ。

 

 時間がなくなれば相手がスカウトに応じる可能性も高まるだろうが、それでもなお断られる可能性がある。模擬レースで他のウマ娘に負け続けた結果、自分には才能がないと諦めてしまい、スカウトに応じないどころかそのまま退学を選ぶウマ娘も出ると思われるからだ。

 

 負けてもなにくそ、と発奮できるウマ娘ならスカウトできるかもしれないが、そもそもそんな根性があるなら既にスカウトされているだろう。トレーナーとしては新人で経験が浅い俺でさえ、日が経つにつれて模擬レースに参加しているウマ娘の顔から絶望が読み取れるのだから。

 

 スカウトを始めた当初は大量にいた同僚のトレーナー達も、そのほとんどが姿を消している。残っているのは新人トレーナーの俺と、数年のトレーナー経験があるものの育成が下手だったり、評判が悪いと噂される先輩トレーナーが数人といったところだ。

 

 そんな状況でさえ、ウマ娘が選ぶのは俺ではなく先輩トレーナー達である。新人だからこそ丁寧に、礼儀をもってウマ娘に声をかけるものの、どうにも上手くいかなかった。

 

「何が駄目なんだ? 顔が駄目とか生理的に無理とか言われたらもうお手上げなんだが……むしろ泣くぞ俺」

 

 実際にそんなことを言われたわけではないが、仮に言われたらその場で崩れ落ちて泣くかもしれない。大の大人が恥も外聞もなく泣き喚くかもしれない。しかし、そんなことをしてもウマ娘はドン引きするだけでスカウトに応じることはないだろう。

 

 俺はイケメンではないが、ブサメンというわけではない。極度に太っていたり痩せたりもしていない。顔立ちは地味で、集団に紛れたらどこにいったかわからないと言われたことはあるが、不快感を与えるほどではない――と思いたい。

 

 そうやってへこむ俺だが、ウマ娘は顔立ちよりもトレーナーとしての力量を優先する。つまり、イケメンではなくトレーナーとしても未知数な俺は、ウマ娘からすればまったく惹かれないのだろう。

 

 トレーナーはウマ娘を育成するからトレーナーなのであって、担当するウマ娘がいないトレーナーなどただのライセンスを持っているだけの人間である。

 新人である以上、先輩トレーナーの下についてサブトレーナーとしてウマ娘の育成に携わるという道もある。むしろそちらの方が先輩の手腕を学べて良いかもしれない。

 しかし、話を聞いてみれば同期の新人トレーナー達は既に育成するウマ娘のスカウトに成功している者達ばかりだった。彼ら、彼女らの多くは代々ウマ娘の育成に携わるトレーナーの家系らしかった。

 

 そのため本人に育成の実績がなくとも、○○というウマ娘を育てたことがある××という家の者です、と名乗ると新入生のウマ娘も興味を持つのだ。トレーナーライセンスを取得できるだけの知識もそうだが、実家で学んだ育成ノウハウがあるためウマ娘もスカウトに乗りやすいのである。

 

「なんか秘伝書みたいなのを持ってる人もいるし……うちにはそんなのねえよ。技マシンかよ」

 

 スカウトができないならサブトレーナーになるのも仕方ないかな、と思っていたが、同期で一人だけスカウトに失敗したとなると非常にまずい。

 ウマ娘もそうだが、トレーナーも実力が物を言う仕事だ。育成するウマ娘の成績次第では給料が減るし、解雇もあり得る。新人だから大目に見てもらえるかもしれないが、他の新人ができているのに自分一人だけができていないというのは大きなプレッシャーだ。

 

 半ば諦め気味に模擬レースを行っているウマ娘達の姿を眺めながら、俺は頭を抱える。ウマ娘側としてもトレーナーがいないとレースに出走できないが、何度考えても実績も経験も実家のバックボーンもない新人トレーナーを選ぶメリットが少なすぎる。 

 

 それでも動かなければどうしようもない。そう思った俺は気合いを入れるように頬を叩くと、本日最後の模擬レースを終えたウマ娘達の元へ向かおうと立ち上がり。

 

「あー! 今日のレース終わっちゃった!?」

 

 そんな、元気いっぱいな声が聞こえた。

 

 それに何事かと振り返ってみれば、そこには一人のウマ娘がいた。

 

 ウマ娘の中では小柄な体格で、身長は140センチに届くかどうか。桜色の髪に赤い鉢巻を締め、トレセン学園指定の赤と白でデザインされたジャージを身に纏っていた。尻尾も綺麗な桜色で、レース場を見ながらブンブンと振り回している。

 見覚えがないウマ娘だが、身長を見る限り中等部の子だろうか? 模擬レースがどうと言っているが、遅刻するにしてもあまりにも到着が遅過ぎる。

 

「ちょうど今、模擬レースが終わったぞ?」

 

 一応声をかけてみると、そのウマ娘は赤い耳当てで覆われた耳をピクリと動かしてこっちを見た。おしゃれに気を遣っているのか、左の耳当ての根本にはリボンが結ばれている。

 

「そうなの? うー……わたしも走りたかったなー」

 

 ウマ娘は残念そうな顔をすると、何故か俺の方に近付いてくる。

 

「ところでそこで何してるのー? きゅーけい?」

「休憩……うん、そうだな、休憩だな。そろそろスカウトに戻らないとな」

 

 そう言いつつも、俺はそれまで座っていたベンチに再び腰を下ろしてしまった。毒気を抜かれたというのもあるが、視線の先で先輩トレーナーが模擬レースをしていたウマ娘達に声をかけたのが見えたからだ。

 すると、何が楽しいのか桜色の髪をしたウマ娘も俺の隣に腰を下ろす。そして妙にキラキラとした視線を俺に向けてきた。

 

「スカウト? トレーナーなの?」

「……トレーナーライセンスを持ってるだけの新人だけど、な」

 

 ライセンスを持ってはいるが、胸を張ってトレーナーと名乗ることなどできない。そのため冗談めかして告げてみると、桜色のウマ娘は桜の花びらのような瞳を輝かせた。

 

「わわっ! すごいすごいっ! トレーナーなんだ! それならわたしをスカウトしてほしいなっ!」

「うーん、スカウトって言われても……スカウト?」

 

 まさかの発言に反応が遅れる。そして自分の耳を疑いながらそのウマ娘に視線を向けると、相変わらずキラキラとした瞳と視線がぶつかった。

 

(なんでいきなりスカウト? 新人って伝えたよな? 模擬レースに参加しようとしたってことは担当がいないんだろうけど、社交性もありそうだし実力さえあれば割と早くスカウトされそうなもんだが……)

 

 ほんの短い会話しかしていないが、天真爛漫と表現するべき雰囲気を持つウマ娘だ。ウマ娘に関して見る目があるとは口が裂けても言えないが、少なくとも先ほどまで模擬レースを行っていたウマ娘達と違って生き生きとした表情が好印象だった。

 

「わたしねー、がんばって走るんだけどスカウト? っていうのを全然してもらえないんだー」

 

 俺の反応をどう思ったのか、桜色のウマ娘が身を乗り出すようにしながら言う。

 

 他のトレーナーがスカウトしていないということは、能力に問題があるのか。もしくは他の欠点があったのか。

 実際に走るところを見てみないと何とも言えないが、ウマ娘の方からスカウトを持ち掛けてきた割に切羽詰まっている様子もない。自分の能力に自信があるのか、俺が彼女の希望に適うだけのトレーナーに見えたのか。

 

「スカウトするかは別として……お嬢ちゃん、名前は?」

 

 ひとまずもう少し人柄――ウマ柄を確認しておこうと俺は尋ねる。そうすることで見えてくるものもあると思ったのだ。

 

「わたし? わたしはねー、ハルウララっていうんだー」

「おっ、良い名前……って、ハル……ウララ……?」

 

 その名前を口に出した途端、俺は脳が刺激されるのを感じ取った。 

 

 ――ハルウララ。

 

 前世では競馬に全く詳しくなかったが、そんな俺でも聞いたことがある名前だ。何をしたかまでは知らないが、全国区のニュースで何度か取り上げられていた――ような気がする。

 

 今世においてウマ娘のレースは賭け事の対象ではないが、前世において競馬は公営ギャンブルだ。有名なレースならば大金が動くはずである。それこそ何十億、何百億という途方もない金額が動いてもおかしくはない。

 

 実際、名前までは憶えていないがどこかの馬が負け、賭けられた百億円以上を紙くずに変えたとニュースになっていたのだ。黄金の船が沈んだという見出しでニュースに取り上げられ、興味が引かれたのを覚えている。

 

 それほどの大金が動く競馬という競技において、全国区のニュースとして取り上げられるほどの馬と同じ名前のウマ娘。

 

 この()()()()()()()()()()()()()()()()で、なおかつ前世でも聞いたことがある有名な名前。正確な名前までは思い出せないが、GⅠなどの第一線で活躍しているウマ娘はどこか前世で聞き覚えがある名前が多い。

 

 つまり、目の前のウマ娘は一体どんな奇跡が起こったのか、俺が知っているほど有名な名前のウマ娘でありながら他のトレーナーにスカウトされなかったのだ。

 

 ばくん、と心臓が一気に高鳴った。予期せぬ幸運が、予期せぬタイミングで降ってきたようなものだ。たまたま残っていた宝くじを一枚買ったら一等を引き当てたような気分だった。

 

「せ、是非スカウトさせてくれ! 俺を君の担当トレーナーにしてくれ!」

 

 だからすぐさまそう叫んでいた。他のトレーナーに渡すまいと思った。何をしたかは知らないが、あの有名なハルウララの名前を冠するウマ娘なのだ。スカウトを受けてくれるならば土下座もするし、足を舐めろと言われれば舐めるのもやぶさかではないほどだ。

 

「えっ!? わたしのトレーナーになってくれるの!? ほんとに!?」

 

 隣に座るウマ娘――ハルウララがより一層瞳を輝かせながら袖を引っ張ってくる。その好感触に俺は自然と笑顔を浮かべ、自身の胸を叩いた。

 

「おうよ! こっちも新人だからそっちに不満がないならな!」

「ないよっ! やったー! これでレースに出られるー!」

 

 ハルウララは喜びを表すように、ベンチから降りてその場で飛び跳ねる。両腕を上げてぴょんぴょんと跳ねるその姿に嘘や偽りはなく、本心から喜んでいるように見えた。

 

 そんなハルウララの姿を見ながら、俺は密かにガッツポーズを取る。

 

 トレーナーとしてスタートと同時に盛大に躓いてしまったかと思ったが、結果オーライだ。スカウトの残り期間を思えばハルウララ以外にスカウトできそうにないが、一人でもスカウトできているのならどうとでもなる。

 担当するのがハルウララ一人だろうと、レースで結果を出せばトレセン学園の上層部からも文句は言われないだろう。新人トレーナーだから担当ウマ娘は一人にした、という言い訳もできる。

 

 そのため俺はハルウララの気分が変わらないよう、すぐさま担当ウマ娘として登録するよう手続きを行った。そうして俺は正式にハルウララのトレーナーとして登録されたのだ。

 

 俺はこの時有頂天だった。一からウマ娘を育てるのは初めてだが、ハルウララならきっと素晴らしいウマ娘になると信じて疑わなかった。

 

 翌日理事長と駿川さんに呼び出しを受けることになるわけだが、そんな未来が訪れるとは知る由もなく、また、自分の未来もハルウララの未来も輝いていると思っていたのだ。

 

 ――だってよ、ハルウララなんだぜ?

 


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