リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第98話:新人トレーナー、反省する

 4月と言えば春である。東京では桜の花が綺麗に咲き誇り、気温も真冬と比べれば遥かに暖かくなってきている。

 

 暖かいということは、真冬と比べてトレーニングで怪我をする可能性もぐっと低くなるということだ。もちろんそれは入念な準備運動をしてからの話で、本格的にトレーニングに復帰したライスも今のところ問題はない……いや、問題がなさすぎる、というべきか。

 

(故障する前と比べると、スタミナは確実に落ちてる……でも長期療養で疲労が抜けた分、動き自体は悪くないんだよな……)

 

 普段から疲労には気を付けていたが、長期間、毎日のようにハードなトレーニングを続けてきたのがライスというウマ娘だ。

 

 トレーニングを続けながらでは体の芯に溜まった疲れは中々取れないが、怪我で動くことができず、完治するまでは休むしかないとあって疲労が徐々に抜けていったのだ。

 

 その結果、なんともビックリなことではあるが。

 

「はぁ……はぁ……さすが、ね……」

「ふぅ……ふぅ……スタミナ、だいぶ落ちちゃった……」

 

 長期療養から回復し、三週間ほどかけて少しずつ走る量を増やし、そして今日、キングと併走させてみたらほぼ互角の走りを見せたのだ。

 

 三週間ほど走らせた、とはいうものの、足の骨がくっついてからはプールで泳がせて身体能力が落ちないようにしていたし、療養中も極力歩かせて体が鈍らないようにしていた。

 

 その結果、ライスは今のキングに勝るとも劣らないスタミナを保持していたのだ。

 

 ただし、併走を繰り返す度にキングが有利になっていく。いくらライスでも長期療養で体が鈍るのは防げなかったため、一回の併走ならまだしも、併走を繰り返すとスタミナの回復が追い付かず、キングに負けてしまうのだ。

 

「さすがは……ライス、先輩だわ……少しだけ、自信、なくしそう……」

「うぅ……ふぅ……はぁ……キングちゃん、スタミナついたね……ライス、嬉しい」

 

 長距離を5本走らせてみたら、1本目はギリギリライスが勝ち、2本目はほぼ同着。3本目以降はキングが1バ身、2バ身、3バ身と差をつけて勝った。

 

 しかしキングとしては長期療養明けのライスに負けたことが信じられず、ライスはキングの成長を感じ取ったのか嬉しそうである。

 

 もちろん、お互い本気で走っているわけではない。トレーニングという面で見れば本気だが、これが本番のレースなら勝ってたのはおそらくキングだろう。ライスはまだ、全力で走るのには不安があるしな。

 

 ただ、ライスが故障して以来ここ最近ではなかったことだが、ライスに併走で負けたことでキングの瞳にはメラメラと炎が燃え盛っているように見える。持ち前の負けん気を発揮しているのだ。やっぱり、キングは競う相手が常にいると一気に伸びるタイプの子だと思う。

 

「うわぁ……ライスちゃん、復帰したばっかりなのにすごいねー! よーし! わたしも負けないぞー!」

 

 ウララは今日も元気にダートを走っている。しかし走り始めるまでは笑顔だが、走り出すと真剣な表情になって駆けていく。トレーニングにも常に真剣で、じわじわとだが確実に成長していっている。

 

 ウララもこれからのレースに向けて、毎日頑張っている。キングはライスが復帰したことで発奮しており、最近は気合いのノリが非常に良い。そして復帰できたライスは走れるだけで楽しいのか、常に笑顔だ。

 

 だが不意に、そんなライスの笑顔が真顔になった。

 

「ところでお兄さま……その、手に持ったヘルメットは何に使うの?」

 

 そう言ってライスが視線を向けてきたのは、俺が左腕で抱えているフルフェイスのヘルメットだ。

 

「これか? これは俺の私物……バイクに乗る時に使ってるやつなんだけど、ゴルシちゃんにフルフェイスがお勧めって言われてな……」

「おすすめ……え?」

 

 何の話? とライスが首を傾げる。そのため俺はスマホを取り出すと、カメラで撮影しておいたチームスピカのメンバー募集のポスターを表示した。

 

「これを見てくれ」

「これは……えっと……ごめんなさい、お兄さま。ライス、これがなんなのかわからないよ」

「チームスピカが作ったチームメンバー募集のポスターだ。このポスターにはウマ娘を惹きつける何かがあると俺は思ってる」

 

 俺が写真を見せると、ライスは困ったように微笑む。キングは『ああ、正門から入ったところにあったわね』なんて呟いていた。ちなみにウララは写真を見ても楽しそうに笑っている。

 

「それでトレーナー、あなたがヘルメットを持ってきたことと、この写真。何の関係があるのかしら?」

 

 キングが疑問をぶつけてくるが、答えは簡単だ。どうやってポスターを撮ったのかゴルシちゃんに電話で聞いたら、フルフェイスのヘルメットをかぶってたって教えてくれたのだ。

 

「まず、ダートコースに穴を掘るだろ」

「う、うん……」

「次に、このフルフェイスのヘルメットをかぶるだろ」

「……先が読めたけど、続けて?」

 

 俺はフルフェイスのヘルメットをかぶりながら説明する。ライスは戸惑い、キングは呆れた様子だ。

 

「で、俺がダートに掘った穴に頭から飛び込むだろ」

「…………」

「そこで腰まで埋めてもらって、写真を撮るんだ」

 

 完璧だ。このフルフェイスのヘルメット、高い金出して買ったやつだからしっかりと頭を防護してくれるのである。通気口もあるけどそこは蓋がスライドして閉められるし、砂は入ってこないはずだ。あ、でも、首回りから砂が入ってくるかも……かぶったあとに首回りにタオル詰めときゃ平気か。

 

 さすがにウララ達をダートに埋めるわけにはいかないし、とりあえず俺がやってみよう、の精神である。

 

 俺がそうやって説明すると、真っ先に反対したのはライスだった。

 

「だ、だめだよお兄さまっ! お兄さまが危ないし、それでチームに来てくれるの、ゴールドシップさんみたいなウマ娘だけになっちゃうよっ!」

「ゴルシちゃんみたいな子が来てくれるなら良いじゃないかっ!」

「そうなのっ!?」

 

 むしろゴルシちゃんみたいな子が来てほしい。それかダイワスカーレットみたいな子が来てくれるなら万々歳だ。

 

 チームスピカのパクリになってしまうが、何事も最初は模倣から始まるのである。トレーナー業だって、最初は先人が遺した知識を元に育成校で学んでいくのだ。

 

 俺にはチームスピカの募集ポスターの何がウマ娘を惹きつけたのかわからない。だから、まずは模倣から始めようと思ったのだ。

 

 俺はヘルメットを脱ぎながら力説するが、キングヘイローが苦笑しながら俺からヘルメットを取り上げる。

 

「もう……あなたは変なところでおばかなんだから。そんなことをしなくても、うちのチームに来てくれる子はちゃんと来てくれるわよ」

「そうだよトレーナー! 見て見て! あっちにたくさんしんにゅうせいの子たちがいるよ!」

 

 ウララが笑顔で指をさす……って、指をさしちゃ駄目っていつも言ってるでしょ。あとウララ、そうやって意識すると視線がたくさん飛んできてるのがわかるから、見たくないの……。

 

「あはは……すごい人数だね、お兄さま」

「チームリギルは毎年一人か、多くて二人しか加入させないし、チームスピカもダイワスカーレットとウオッカが入ればそれ以上は取らないだろうしなぁ……」

 

 今のところ選抜レースをするとか言ってないのに、うちのチームの練習を見に来る新入生が多いのだ。

 

 手前味噌だが、チームキタルファも今ではトレセン学園でトップクラスのチームである。昨年度の成績を振り返ったらそう言うしかない。これでうちはしがない新造のチームでやんす、なんて言ったら同期にどつき回されて蹴り倒される。

 

 それでいて、チームとして最低人数である5人に到達していないのだ。新入生からしたら、狙い目じゃないかって思われてもおかしくはない。

 

(たづなさんからも、今のところ募集をかけてないのに入部の申請が大量に来てるって言われてるんだよな……)

 

 去年も大概だったけど、今年はなんとビックリの50人超えである。入部希望の数でいったらチームリギルに並びそう。しかし、そんなに希望されても無理なものは無理である。10分の1でも5人か6人。普通に俺がパンクする。

 

(というか、リギルが1人、スピカが2人、カノープスは今のところ誰かを加入させたって話は聞かないし、うちも今のところ0人……それでいて新入生は500人近い、と……)

 

 毎年それだけの数の新入生がトレセン学園に入ってきて、勝てずに引退したり、故障で引退したりしている。それでもトレセン学園全体で見れば2000人近い生徒が在籍しているわけで、トレーナー不足が本当に深刻である。

 

 ちなみに、今年は新人トレーナーが20人ほど入ってきた。近年では、というか普通に過去最多らしい。それでも20人なのだ。

 

 ウマ娘もそうだけど、トレーナーも引退したり休職したりクビになったりと数が減る。人手不足だからクビを切られることは滅多にないけど、()()()()()()()()()()()()と高を括って不祥事を仕出かすと普通にクビを切られる。

 

 ここで言う不祥事とは、業務上横領だったり過度なサボりだったり担当ウマ娘に暴力を振るったりと、まあ、普通にそれやったら駄目だろってことをやっちゃった場合クビになるのだ。

 

 かといって名義貸しをしてウマ娘は自分で自分を鍛えてレースに出る、なんてパターンは今のところ放置されている辺り、トレセン学園のトレーナー不足は本当に深刻だ。

 

 名義貸しも推奨はされていないものの、中にはライスみたいな自力でGⅠに勝つウマ娘が出てくるため、禁止するとそういったウマ娘の将来すら完全に潰してしまう。あと、極僅かだけど自分の考えで自分を鍛えてみたい、なんて子もいたりするんだよな……。

 

 そんなわけで、今年度入った新人達が1人あたり1人のウマ娘を担当しても新入生の10分の1にも届かない。3人担当してようやく10分の1を超えるぐらいだ。だから、どうあっても新入生は担当がつかないってことがありえるわけで。

 登録申請のギリギリの時期になると、名義を貸すだけでいいからって理由で担当トレーナーが決まっていないウマ娘が名義貸しをしているトレーナーのもとに殺到するのである。

 

(……あれ? ちょっと待って……そんな状況なのに、ウララ以外担当を引き受けてくれなかった俺の1年目って……)

 

 おかしい……とんでもない売り手市場だったはずなのに、誰一人としてトレーナーとしてどころか名義貸しとしても見向きもされなかった奴がいたらしいですよ? うん、俺のことなんだけどね。

 

「お兄さまっ!? 突然膝をついてどうしたのっ!?」

「ちょっとね、心がきゅーっとしちゃってね……」

「わわっ! トレーナー、だいじょぶ? おむねいたい?」

 

 思わず膝をついた俺を、ライスとウララが心配してくれる……でもキングは苦笑しながら俺を見るだけだ。ただ、口元が柔らかく『おばかな人』と動いている。

 

「よっこいしょ、と……まあ、冗談はこれぐらいにしとくよ。いやうん、先日な、この子いいな、育てたいなって思った子にことごとく逃げられてショックだったけどさ」

 

 しゃあない、切り替えていこう。でもこっちを見てチームへの加入を虎視眈々と狙っている子達もいるし、どうしたもんかなぁ……あ、閃いた。

 

 俺はスマホを取り出すと、メッセージアプリを開いてポチポチと入力する。

 

『今年新入生をスカウトする予定の人ー』

『ノ』

『ノ』

『ノシ』

 

 同期と後輩達にメッセージを送ったら、すぐさま数人から反応があった。そのため更にポチっとな。

 

『合同で選抜レースしない?』

『え?』

『マジか。やろうず』

『今年入った新人のトレーナー、誘ってもいいです?』

『養成校の後輩が入ってきたんで、誘いたいんですけど』

 

 お、割と前向きなのが多い。というか同期の面々、新入生をスカウトしたら担当が5人超える奴が出てくるし、そろそろチームを設立するつもりかな? 俺が言うとなんかおかしいけど、トレーナー3年目でチーム設立はかなり早い方のはずだ。

 

 一度選抜レースをやって、それでも育てたいって子が見つからなかったら今年度はもう見送ってもいいかもしれん。ダイワスカーレット、ウオッカ、テイエムオペラオーぐらいビビッとくる子がいれば良いんだけど……もしくは才能が感じられなくてもど根性タイプの子。

 

 複数のトレーナーを巻き込めば、それだけ多くの新入生が集まってくるだろう。それだけ数がいれば、育てたいなって思える子も一人や二人、いるはずだ。

 

 そうやって選抜レースを開いて、駄目な時は駄目って割り切らないと新入生の子達も他のトレーナーを探しに行けなくなる。もしかしたらチームに入れるかも、と期待を持たせてずるずるいって、担当を決める時期を逃す方が大惨事だ。

 

 俺はそう思い、一応たづなさんに確認を取ってから同期や後輩、それと入ったばかりの新人トレーナー達を交えての合同選抜レースを行うことにしたのだった。

 

 

 

 

 

 そして、なんといえば良いのか……困ったことになった。

 

 育てたいウマ娘が他のトレーナーとかぶったとか、そういう話じゃない。単純に、予想を超える数のウマ娘が集まったのだ。軽く100人を超えている。

 

「お前ってさ、思いつきで動いて自爆するタイプだよな」

「何も言い返せねぇ……」

 

 仲の良い同期に言われた言葉に反論できず、俺は頭を抱える。

 

 平日の放課後だとウララ達のトレーニングがあるし、とりあえず土曜が半ドンだから昼飯食ってからで良いよね、なんて思ったわけだが。

 

「たくさん集まったなぁ……あと二人担当増やしてチームを設立したかったから、丁度いいけど」

「うちはあと一人だったけど、チーム組んでない個人のトレーナーって新入生にとって後回しなのよねぇ。なるべく早いうちにチーム設立したかったから助かるわ」

「いやー、早い段階でたくさんの新入生がチェックできるから助かるな」

 

 同期連中は俺の行動に呆れつつも、前向きに捉えてくれている。というか多分、俺より遥かに貪欲だ。あとやっぱり、チームを設立しようって考えのやつがちらほらいる。

 

 中には担当ウマ娘が重賞で勝ってる奴もいるし、チーム設立の最低人数である5人まで揃えて申請したら普通に通ってチームを作れるだろう。

 

「先輩、俺に合いそうな子がいたら教えてくださいよ」

「あ、わたしもお願いします」

「俺もお願いします。あと、今度飯食いに連れてってくださいよ」

 

 後輩も貪欲……いや、貪欲というか、相性良さそうなウマ娘を見繕えって言ってきてる。誰だよこの後輩達を指導したやつ。飯は食いに連れて行くけどさ。

 

「あ、あの、本当に俺達も参加していいんですか?」

「声をかけてもすぐ断られるから助かりました……」

「新人のトレーナーは後回しって言われました……」

 

 先日トレセン学園に配属されたばかりの新人君達は、まだ慣れていないからかオドオドとしている子が多い。どうやら新入生に声をかけても袖にされていたようだ。

 

 で、集まってくれた新入生のウマ娘達は本人達の自己申告で得意な距離で10人1組に振り分け、それぞれレースをさせる。もちろん、しっかりと準備運動をした上で、だ。

 俺達トレーナーはその走りを見ていって、全員走り終わったらこれはと思う子達に声をかけるのだ。

 

 そしていざ選抜レースが始まると、俺も同期も後輩君達も真剣にレースを見る。ただ、新人君達も真剣にレースを見ているけど、どこか表情が固い。

 

「1着になるウマ娘だけに注目するなよー。自分にとって相性が良さそうな子、育てやすそうな子を選ぶのも手だからなー。育てやすいってのは性格もあるけど、自分が育ててみたい戦法を得意だって言ってる子を選ぶのもアリだからなー」

 

 俺は新人君達にそんな声をかけながら、レースを見る。新入生はトレセン学園に入ったばかりだから、まだまだ粗いし弱い。でも全国からトゥインクルシリーズを目指して集まってきた子ばっかりだし、それなりに光るものも感じる。

 

 最初に自己紹介させて、芝とダートに振り分けて、借りてきたゲートに入れてスタート切らせて、それぞれが申告した短距離、マイル、中距離、長距離を走らせて。その走りぶりやレースでの駆け引きなんかをチェックしていく。

 

 最初は遠慮していた新人君達もレースが進むにつれて貪欲にチェックを始めていた。うんうん、自分にとって育てたい、()()をしっかりと見つけるんだぞ……って。

 

「先輩、あの子どんな感じですか?」

 

 後輩の一人に袖を引かれ、選抜レースを走っている子の一人に関して尋ねられた。

 

「お前さん、差しウマ娘育てるの得意だっけ? あの子どう見てもバリバリの差しタイプだぞ」

「先行は無理っすかね?」

「教えたいならそれを教え込むのがお前さんの仕事だろうに……でもまあ、うーん……覚えきれると思うけど、差しが一番得意で、先行よりは追い込みの方が向いてそうな気がするなぁ」

「どこを見ての判断です?」

「足の筋肉」

 

 トレセン学園に入ってくるウマ娘達は、程度の差こそあれ入学までに地元で走ってきた子ばかりだ。自分がどんな距離を走れるか理解しているし、得意な戦法も把握している子がほとんどである。

 

 まあ、中にはウララみたいな例外もいるっちゃいるけど……最初から得意な戦法を伸ばすのと、覚えられそうな戦法を一から教えて鍛えていくのではかかる時間と手間に大きな差がある。

 

 うちのチームの場合、ウララが差しが得意で追い込みもできる。ライスが先行が得意で逃げもできる。キングが差しが得意で先行もできる。みたいな感じで、メインの戦法とサブの戦法の2種類を覚えているような感じだ。

 それでいて、日頃から一緒にトレーニングをしている相手の戦法も理解していて、レースで思わぬ位置についてしまった場合に使用する、なんてこともある。ウララやキングが、ライスのロングスパートを使えるのもその辺りが理由だ。

 

 それを考えると、これまでの育成の経験的に俺が育成に向いていそうなのは先行か差しを得意とするウマ娘、なんて話になる。その反面、逃げと追い込みが得意なウマ娘も一応育てられるだろうけど、ノウハウが乏しい状態だ。

 

 あとは育てているウマ娘の距離適性的に、ダートの短距離からマイル、芝の短距離もしくは長距離の育成ノウハウが豊富って感じである。ウララのダートに、ライスの長距離、キングの短距離って感じで、育てているウマ娘の得意な距離の育成ノウハウは豊富に手に入るのだ。

 

 ダートの中距離以上は……2000メートルまでは走らせてるし、それ以上の距離のレースがほとんどないためそこまで気にしなくても良い。

 だけど、芝のマイルや中距離を得意とするウマ娘を育ててないからそのあたりのノウハウが不足している。ライスが中距離も走れるけど、あの子は生粋のステイヤーだしなぁ。キングは本来スプリンターで、努力で長距離まで問題なく走れるようになったタイプだし。

 

 そんなわけで、それまで育てたことがあってノウハウがある距離や戦法、芝やダート適性で育てるウマ娘を決めるか、あるいは新たな境地を切り開くべく育てたことがない距離や戦法を得意とするウマ娘を迎え入れるか。

 

 トレーナーの中には、たとえば逃げウマ娘で中距離が得意なウマ娘しか育てない、なんて人もいる。適性や才能を限定させて、それに特化させたウマ娘を育ててレースで勝つっていうスタイルだ。

 

 ミークみたいなオールラウンダーにするか、特定の距離や戦法だとめっぽう強い尖ったウマ娘にするか……まあ、ミークみたいなオールラウンダーは本当に珍しい。キングみたいに芝なら全距離走れるってだけでも珍しいのだ。複数の適性を持つウマ娘を育てつつ、育成ノウハウを蓄積するのが普通だろう。

 

 それでも俺としては、うちのチームと相性良さそうな子、根性がありそうな子を求めてレースを眺めていく。

 

(うーん……どうにもビビッと来ないな……)

 

 100人以上ウマ娘がいるため、1人ぐらいは育てたいって思える子がいると思ったんだが……というか、いつの間にか人数増えてない? クラシック級とかシニア級のウマ娘がレースの列に並んでない?

 

 クラシック級の未勝利の子、シニア級のメイクデビューや未勝利戦で勝ったもののそれ以降勝てていない子がレースに参戦しようとしてるんだけど。

 

「す、すいません、先輩。あそこに並んでる子、ジュニア級のウマ娘じゃないですよね?」

「ああ……あの子はクラシック級の子だな。戦績は……えーっと……たしか6戦0勝ぐらいだったような……」

 

 今のクラシック級の子はそこまで詳しくない。そのため新人君の質問にも曖昧な返答を返してしまうが、声をかけてきた新人君は何故か目を輝かせている。

 

「あの子、スカウトしてもいいですか?」

「……理由は?」

「なんというか……相性が良さそうだなって……いえ、すいません! そんなあやふやな理由で!」

 

 今日の選抜レースは新入生を対象としたものだから遠慮してもらわないと、なんて思っていたら、新人君が思わぬことを言ってくる。俺の反応にどこか恐縮そうな様子だけど、その目はクラシック級の子を見て離さない。

 

「それに、この時期になっても未勝利でも諦めずに、こうして選抜レースに出ようって子はすごくガッツがあるんじゃないかって……駄目、ですかね?」

「……いや、いいんじゃないか?」

 

 新人君の言葉に、俺は胸にストンと落ちるものがあった。

 

 新入生の選抜レースに押しかけた形になるが、()()()()()()()()()トレーナーを見つけたい、なんて考える子達なのだ。負けても次こそは勝ちたいと、一年以上思い続けてきた子達なのだ。

 

 駄目なんてことは、ないのだ。

 

(駄目なのは……俺の心構え、か)

 

 ()()()()()()()はいくらでもいる。だというのにしっかりと見ていなかった。

 

 ウオッカ、テイエムオペラオーは眩しいばかりの才能がありそうで、なおかつ才能に加えて滅茶苦茶育ててみたいと思ったダイワスカーレット。

 

 そんな3人と比べると才能は劣るかもしれないが、磨けば光りそうなウマ娘はいくらでもいるのだ。なにせ、ここは天下のトレセン学園。いるのは日本全国津々浦々、トップクラスのウマ娘達――の、卵だ。

 

 そう……磨けば光るのだ。そして磨くのがトレーナーの役割だ。最初から輝いているウマ娘を更に磨き上げるのも一つの道だろうけど、そんなウマ娘は極僅かである。

 

 今ではダート界でトップクラスのウマ娘になったウララも、最初はどうやってトレーニングに集中させれば良いのか、どうやって育てれば良いのか、なんて頭を悩ませるような子だった。

 

 トレセン学園側の評価も、筆記試験も実技試験も壊滅的で面接での一点突破。まさかここまで育つとは思わなかった、なんて言われたものだった。

 

 そんなウララを育てて、縁があってライスが加入して、キングも加入して。知らず知らずのうちに、育てたいって思えるウマ娘がウララやライス、キングを基準としたものになっていたのかもしれない。

 

 だからこそ、東条さんが加入を認めたテイエムオペラオー、将来確実に強くなりそうなウオッカ、そして強くなる上に育ててみたいって思えたダイワスカーレット以外に目が向かなかったのかもしれない。

 

 そんな強くなるであろうウマ娘達と、いつの日かレースで競い合わせる。

 

 それはとても心が躍ることじゃないか?

 

 もちろん、そこまで育て切れるかわからないし、育つ保証もない。それでも少しでも強く、速く走れるようにするのがトレーナーだ。

 

 自惚れていた……のだろう。それに気付いた俺は、この場で膝を突きたくなった。さすがに人目が多すぎるためやらないが、せめて頭を抱えたくなる。

 

 それでも俺は気合いを入れ直し、改めて真剣にレースを見始める。仕事にも慣れたし、1人もしくは2人までなら育てることも可能だろう、と判断して。

 

 そしてこの日、俺は2人の新入生をチームキタルファに迎えることとなった。

 

 互いに支え合えるように、ウララとライス、あるいはウララとキングのような関係になれるよう、芝のコースを走った子と、ダートのコースを走った子の中から一人ずつ、迎え入れたのだ。

 

 ――だが。

 

「トレーナーの方針とトレーニングにはついていけません。退部します」

「わたしもです。辞めさせてもらいます」

 

 もうじきキングの春の天皇賞が行われるというタイミングで、その2人は退部を申し出たのだった。


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