リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第106話:新人トレーナー、2度目の宝塚記念に挑む その2

『辛うじて天候が持ち堪えている阪神レース場です。これから始まるのは芝の2200メートルGⅠ、宝塚記念。バ場状態は稍重の発表となっております』

『今年もこの時期がやってまいりました。年末の有記念、そしてこれから始まる一年の折り返しの宝塚記念。ファン投票によって選出された12人のウマ娘が出走します。夢のレースが始まります』

 

 阪神レース場にファンファーレの音色が鳴り響き、実況と解説の男性がそれぞれ声を発する。

 

『本日も阪神レース場は超満員です。URAの発表によると、レース場の外には60万から70万もの人々が押し寄せているとのことです』

『すごいですねぇ……私も今日のレースの解説を担当するにあたり、同職の者に羨まれました。解説の担当が決まった時は小躍りして喜びましたよ』

 

 実況が阪神レース場の周辺に集まった人数を発表すると、解説の男性はレース前に軽い冗談を飛ばす。すると観客席からも笑い声が上がり、レース場に僅かに弛緩した空気が広がった。

 

 だが、ウマ娘達がゲートに近付いていくとその空気も一瞬で消え失せる。

 

 宝塚記念は2200メートル。右回りでスタート位置は第4コーナーの出口付近となっており、観客席から見ると右手側にゲートが設置されている。

 

 そしてスタートすると内回りでコースを1周し、最後にホームストレッチを駆けてゴールを目指すことになる。

 

 宝塚記念は春の天皇賞と比べれば1000メートル短い。そのためキングも余裕でスタミナがもつ……とはならないのがレースの難しい部分だ。

 

 距離が短いと、その分スピードが上がる。スピードが上がると当然スタミナの消耗も激しくなるし、()()()()()()の判断も難しくなる。

 

 フルマラソンと100メートル走ほど極端に違うわけじゃないけど、距離が短くなったからその分楽になるなんてことはない。

 というか、時速60キロから70キロで走るのだ。スタミナの消耗は当然激しいのである。

 

『1枠1番、ツインターボ。8番人気です』

『今日のターボエンジンの調子がどうなっているか……これに尽きますよ。この子はそれ以外ありません。それが全てです』

 

 そして各ウマ娘の紹介とゲートインが始まった。しかしこの解説の人、ずいぶんと弾けてるな。宝塚記念の解説になれたのがそんなに嬉しいんだろうか。

 

 ツインターボは観客席に向かってギザギザの歯を見せつけるように大笑いすると、そのままゲートに入る。

 

『3枠3番、オイシイパルフェ。12番人気です』

『大阪杯、天皇賞春と着順はともかく観客の記憶にはしっかりと残っているでしょう。今日は一体どんな走りを見せてくれるのか……非常に楽しみです』

 

 距離が春の天皇賞より短い……それはすなわち、オイシイパルフェの走りが予測できなくなるってことだ。ツインターボといいオイシイパルフェといい、自分の望んだように全力で走り、そのまま力尽きる姿は一レースファンとしては心が躍る。

 しかしトレーナーとしては心臓に悪い。どうせ力尽きるから、なんて油断していたらそのまま1着でゴールしそうな怖さがあるのだ。というか、ツインターボは去年のオールカマーでそれを実現してトウカイテイオーに勝っている。だからこそいつになっても油断できない。

 

『5枠5番、グラスワンダー。7番人気です』

『再度の故障を乗り越えて、このウマ娘が戻ってきました。その期待を表すように7番人気です。長期療養明けかつこの面子で7番人気は非常に高い期待の表れと言えるでしょう』

 

 グラスワンダーは折り目正しく観客席に向かって一礼すると、レース場の空気を味わうようにゆっくりとした足取りでゲートへ入る。

 

 グラスワンダーにとって久しぶりのGⅠレースだ。その思いは強いだろう。

 

『7枠9番、スペシャルウィーク。3番人気です』

『黄金世代の一人ですね。ただ、同じ黄金世代のビワハヤヒデに大阪杯で、キングヘイローに天皇賞春で敗れています。ここで巻き返すことができるのか注目です』

 

 そんな紹介と共にスペシャルウィークは観客席に向かって手を振る……ん? 観客席というか、特定の場所を見ているような……ああ、チームスピカの面々も応援に来てるわな。

 

 俺達と同じように最前列に陣取ったチームスピカ。その中でもサイレンススズカに向かって手を振っているようだ。

 

 うーん……?

 

『8枠11番、マチカネタンホイザ。6番人気です』

『ツインターボに続いてチームカノープスから2人目の出走です。この子といいナイスネイチャといい、GⅠの常連ではありますがまだ勝ち星がありません。そろそろ戴冠した姿を見たいですね』

 

 マチカネタンホイザは胸の前で腕を構え、むん、と気合いを入れている。たしかにGⅠの勝ち星はないけど、それで油断できるかはまた別の話だ。ツインターボと同様に、警戒対象である。

 

『2枠2番、ナイスネイチャ。4番人気です』

『大阪杯で3着、天皇賞春で3着と好成績を収めています。この宝塚記念でも3着となるのか、それとも勝利を掴むのか。注目したいですね』

 

 そして最近の調子を見る限り、チームカノープスで一番の警戒対象はやっぱりこの子だ。今も苦笑するように笑いながら観客席に向かって手を振っているけど、GⅠのレースにも慣れたものだ、といわんばかりに落ち着きがある。

 

 怖いかと言われると、それほどでもない。しかしGⅠレースに何度も出走した経験がそうさせるのだろうが、不要な緊張は全て抜けているのだ。

 

 自身の力を一切損なうことなくレースで発揮できる。ナイスネイチャはそんなウマ娘である。

 

『4枠4番、ハッピーミーク。5番人気です』

『マイルのGⅠ阪神ジュベナイルフィリーズ、短距離のGⅠ高松宮記念で勝利しているGⅠ2勝ウマ娘にして黄金世代の一人です。先日のヴィクトリアマイルでは惜しくも2着に敗れましたが、実力は間違いなくシニア級でもトップクラスのウマ娘ですよ』

 

 ミークは観客席に向かってぺこりと頭を下げる。その小動物みたいな仕草に観客――主に女性客から『可愛いー!』なんて声が飛んだ。

 

 たしかに可愛い……特にあの、フランスパンみたいな靴が可愛い。勝負服といい、アレで速く走れるんだからウマ娘は本当に不思議な生き物である。

 

『6枠8番、ビワハヤヒデ。2番人気です』

『キングヘイローと並び、今回のレースでの注目株の一人です。天皇賞春では4着に敗れましたが、大阪杯ではキングヘイローに競り勝って1着ですからね。本日のレースにも期待が持てるウマ娘です』

 

 ビワハヤヒデは堂々とした足取りでゲートに入っていく。さっきパドックで観客がキングに風格が漂い始めているって言ってくれたけど、ビワハヤヒデもそれは同じだ。恵体な分、佇まいはキングより風格があると言えるかもしれない。

 

『7枠10番、キングヘイロー。1番人気です』

『大阪杯で2着、天皇賞春で1着のGⅠ3勝ウマ娘が堂々の1番人気を獲得しました。これまで勝ったGⅠはスプリンターズステークス、マイルチャンピオンシップ、そして天皇賞春と短距離、マイル、長距離のGⅠで勝っています。今回勝てば中距離のGⅠでも勝ったことになり、全距離のGⅠを制覇したことになりますね』

 

 解説の男性の話を聞き、観客席からはざわめきが広がる。

 

 去年菊花賞に出た時は観客から俺宛にブーイングが飛んできたりもしたけど、その菊花賞で世界レコード並のタイムを出したこと、そして春の天皇賞で勝ったことで、キングへの距離適性の不安なんてものは全て吹き飛んだ。

 

 キングは凛とした顔付きで優雅に一礼して見せる。そして観客達の声援を受けながらゲートに入っていく……と、何やら左目でウインクをしてきたな。それに気付いた俺は笑いながら頷きを返した。

 

 ――あとは結果を出すだけだぞ、キング。

 

「むっ……」

 

 ぺちり、とライスの尻尾が俺のふとももを叩く。それに気付いて隣を見てみるとライスの頬が大きく膨らんでいたため、指で押し込んで空気を抜いた。

 

 そうやっていると、各ウマ娘のゲートインが完了する。そして阪神レース場から徐々に音が、歓声が消えていく。

 

『各ウマ娘、ゲートイン完了……スタートしました』

 

 バタン、という音と共にゲートが開き、宝塚記念が始まる。春の天皇賞の時のように大きな出遅れは……ないな。

 

『各ウマ娘揃って綺麗なスタートを切りました。そして飛び出していくのはやっぱりこのウマ娘、1番ツインターボ。それを追うようにして5番グラスワンダー、8番ビワハヤヒデ、10番キングヘイロー、4番ハッピーミーク、6番ミニキャクタス、9番スペシャルウィークが続きます』

『さあ、今日のターボエンジンはどんな調子でしょうね』

『更に先行集団を追うようにして2番ナイスネイチャ、11番マチカネタンホイザ、7番フリルドピーチが続きます。シンガリ付近に12番アンチェンジング、3番オイシイパルフェ』

 

 スタートを切ったウマ娘達がホームストレッチを駆けてくる。スタート直後のため大きな差はないが、それでもツインターボがぐんぐん加速して後続を引き離し始めた。

 

 観客達はホームストレッチを駆けるウマ娘達の姿に興奮し、早くも大きな歓声を上げている。

 

 レースの度に整地をしているけど、それでも第11レースまで進むとコースが荒れてしまう。特に今日みたいにバ場状態があまり良くない日だとその影響は顕著だ。うん、顕著のはずなんだが……。

 

『先頭の1番ツインターボ、足場の悪さもなんのその。後続との距離をどんどん離していきます』

『今日はバ場状態が稍重ですし、内ラチはかなり荒れているはずなんですが……気にした素振りも見せませんね』

 

 最短距離である内ラチを走り続けるっていうのは良し悪しだ。距離は短いけどバ場が荒れやすいし、距離が短いって言っても何百メートルも変わるわけじゃない。大外を走り続けることと比べたらけっこうな差が出るけど、バ場が荒れている状態だと足を取られるしスタミナの消耗も激しくなる。

 

 しかしツインターボはそれに構わず、どんどん先へと駆けていく。これまでのレースでウマ娘の蹄鉄で抉られ、ところどころ地面に穴が空いているのが観客席からも見えるんだけど……ツインターボは器用に穴を避けていく。

 

(まさか、穴の位置を常に把握しながら走っているのか……? あの速度でそんなことができるなら、器用なんて言葉じゃ足りないが……)

 

 ツインターボは前を向き、後先考えずに突き進んでいるように見える。その姿を見る限り、足元が不安定なことを気にした様子はない……もしかして、気付いていない?

 

 そんな馬鹿な、と思いながら周囲を見回すと、ちょっと離れたところにチームカノープスの先輩がいた。先輩は常のように薄く微笑みつつ、レースを眺めている。

 

 あの余裕……ツインターボは狙って内ラチを走っていると見るべきだな。気のせいか先輩の額に冷や汗が浮かんでいるようにも見えるけど、多分、雨だろう。今日は天気が怪しいしな。

 

『先頭のツインターボが後続を引っ張るようにして進んで行きます。第1コーナーに突入していきますが2番手の5番グラスワンダーまで約3バ身ほどの距離。グラスワンダーのすぐ傍には8番ビワハヤヒデ、10番キングヘイローが併走しています』

『ハナからシンガリまでは……既に10バ身近い差がついていますね。スタートから600メートル程度ですが、序盤にもかかわらず大きな差ですよ』

『キングヘイローに続いて4番ハッピーミーク、6番ミニキャクタス、9番スペシャルウィーク、2番ナイスネイチャ、11番マチカネタンホイザ、7番フリルドピーチ、12番アンチェンジング、3番オイシイパルフェの順。少しずつ縦に伸びつつあります』

 

 ツインターボはいつも通り、スタートから全力全開だ。後先考えずにひた走るその姿は見る者の心を不思議と熱くする。

 

 それはキングのトレーナーである俺も同様で、ツインターボの姿に思わず苦笑してしまった。

 

(カノープスの先輩……戦略とか関係なく、ただ単純にツインターボの走りが好きなだけ……なんてこともあり得るのかな?)

 

 あまり親しく話したことがないから、未だにカノープスの先輩の性格もよくわからない。多くの先輩トレーナーがそうであるように、嫌われているのかと思えばそんな雰囲気はないし……というか、俺の方がなんか怖くて苦手意識を持っているぐらいだ。

 

 勝つ時は勝つ。負ける時は大負けする。そんな浪漫溢れるツインターボから視線をずらし、俺はキングをじっと見つめる。

 

 現在4番手の位置にいるが、競り合っているグラスワンダーやビワハヤヒデとはほとんど差がない。ふとした拍子に互いの位置が入れ替わり、順位が変動するぐらいの差しかないのだ。

 

(キング……)

 

 栗色の髪をなびかせて走るその姿に、俺は柔らかく目を細める。

 

 キングがうちのチームに来て、早一年が経過した。元々はウララ経由での知り合いでしかなく、『キングちゃん』と呼んで多い時には毎晩のように電話をしていた。

 

 毎晩のように電話を、とは言うものの特別色っぽい関係というわけでもない。というか、()()()()()()と呼んでいた頃は直接顔を合わせたこともなかったのだ。レースの映像は見ていたため、顔自体は知っていたけども。

 

 最初はウララがへとへとに疲れ果て、キングが世話を焼かなければまともに生活できないことへの抗議の電話が交流の切っ掛けだった。

 

 今日はウララさんが眠りながら晩御飯を食べていた、今日はウララさんがお風呂で寝落ちしかけていた、今日はウララさんが宿題をやらずに眠ろうとしていた……そんなことを毎晩、部室で仕事の休憩がてら聞いていたのを今でも覚えている。

 

 あの頃は毎晩のように遅くまで残業をしていたし、キングの……いや、キングちゃんの怒ったような、それでいてウララを甘やかしてしまうその声が癒しだったのだ。

 

 そんなキングちゃんの育成を引き受けて、キングと呼ぶようになって、全距離重賞制覇という目標を掲げて、その目標が全距離GⅠ制覇という目標に変化して。

 

 スプリンターズステークス、マイルチャンピオンシップ、春の天皇賞を勝って、今ここにいる。

 

 レース前に今回勝てば目標達成だと発破をかけようかな、と思った。しかしキングの顔を見て、俺は何も言わなかった。

 

 キングはいつでも掲げた目標に向かって邁進している。トレーナーである俺が驚くほど真剣に、一生懸命に。

 

 俺が育成を引き受けるまで、ライスはミホノブルボンに勝ちたいという一心で強くなった。しかしキングは己の中にある目標を超えるために頑張ってきた。

 

 最初は母親のような一流のウマ娘になるために。しかし今ではかつての自分(キング)を乗り超えて、新たな領域へ挑もうとしている。

 

『1番ツインターボ、先頭のまま向こう正面へと駆けていきます。2番手に変わったビワハヤヒデとの間に5バ身から6バ身ほど差をつけています』

『1000メートルを通過して……タイムは58秒6ですか。稍重のバ場状態でこのタイムはかなりのハイペースですよ』

 

 普段通り大逃げをしているツインターボだが、ハイペースの割に後続との差がそれほど大きくない。いや、5バ身ちょっとは十分大きいんだけど、キングやビワハヤヒデ、グラスワンダーはそれ以上の差をつけさせずに喰らい付いている。

 

 そんな3人より更に後ろでは3バ身ほど離れた位置にミークが、そこから更に2バ身ほど離れた位置をスペシャルウィークが走っている。そしてスペシャルウィークのすぐ後ろにはナイスネイチャが控えているが……あの顔、スペシャルウィークを壁にして風の影響を抑えているな。さすがに強かだ。

 

『向こう正面をウマ娘達が駆けていきます。この大歓声、私の声が聞こえていますでしょうか? レース場の外からも大きな歓声が聞こえてきています』

『阪神レース場周辺に集まった人々も中継の映像を見ながら盛り上がっているようですね。この実況席も先ほどから歓声の振動でずっと震えているように感じるほどです……本当に地震が起きてないですよね?』

 

 ツインターボが逃げ、他のウマ娘達が追う。最近のGⅠレースでは見慣れた展開だが、問題はツインターボがどこまで逃げるかだ。あと、シンガリに控えたオイシイパルフェも気になる。

 

『先頭のツインターボ、残り1000を通過しました。あとは第3、第4コーナー、そして最終直線を残すのみです。今日もツインターボがターボエンジンを吹かしながら盛大に逃げていますね』

『今日のターボエンジンは燃料が満タンだったのでしょうか? 普段と比べて余裕があるような気がしますね。まあ、それでもいきなりエンストして逆噴射するので油断はできないのですが……』

 

 残り1000メートル……つまり1200メートル走った時点で、ツインターボの表情に大きな変化はない。必死な形相で小さな体を一生懸命動かし、バ場状態の悪さにも構わず駆けている。

 

(あの表情……演技じゃなければ、今日は最後までもつ……か?)

 

 向こう正面を抜け、第3コーナーへと入っていくツインターボの表情に俺はそんなことを考えた。普段の逆噴射する時と比べて、汗をあまり掻いていないような気がしたのだ。

 

 仮に最後までペースがもつとすれば……どうだ? キングは差し切れるか? 

 

 そんな危惧と共に、キングへ視線を向ける。聞こえるかわからないが叫んで指示を出そうと思ったが、キングも同じことを考えたのか前へと上がり始めていた。

 

『ここで動いたのは10番キングヘイロー。競り合っていたビワハヤヒデ、グラスワンダーをかわして上がっていきます』

『先頭のツインターボとの距離をじわじわと詰めていってますね。おっと、それに釣られたのかビワハヤヒデとグラスワンダーも徐々に上がってきていますよ』

 

 勝負を仕掛ける、と呼ぶほどではない加速。しかしたしかにスピードを上げたキングがツインターボとの距離を詰め始めた。

 

 だが、背後からの圧力を感じたのか、ツインターボが更に加速して逃げ始める。

 

『おおっとツインターボが更に加速した!? ターボエンジン全開です! エンジンが焼き付くのが先かゴールを通過するのが先か!』

『キングヘイロー達だけでなく、後続も徐々に加速し始めていますからね。ここで更に距離を稼ぎたいところでしょう』

『先頭のツインターボ、第3コーナーを抜けて第4コーナーへ。残り600の標識を通過しました。2番手のキングヘイローとの差は約4バ身ほど……っと、ここで更に動いたのはシンガリ3番オイシイパルフェ! 一気に加速して大外から前へ前へ駆けてくる!』

 

 残り600の標識を通過するなり、オイシイパルフェがシンガリから一気に上がってくる。ロングスパートではなく短時間で最高速まで加速し、一気にかわすつもりらしい。

 

『オイシイパルフェが抜け出してくる! シンガリから一気に4、5、6人とかわして――ここで動いたぞスペシャルウィーク! オイシイパルフェと併走するように加速して一気に上がっていく! それを見たナイスネイチャも前へと上がり始めた!』

 

 オイシイパルフェが前に立とうと動き、それをさせじとスペシャルウィークも加速した。中団に控えていたスペシャルウィークがオイシイパルフェと共に前へ上がり、その陰に潜むようにしてナイスネイチャもスペシャルウィークを追走する。

 

 大外をぶん回してオイシイパルフェとスペシャルウィークが上がっていく。それに気付いたのかキングヘイローやビワハヤヒデ、グラスワンダーも動き……いや、動かない。それまでのペースを保っている。

 

『最終直線を目前にして一気にレースが動きました! 先頭は変わらずツインターボ! しかし2番手にスペシャルウィークとオイシイパルフェが並んで上がってきた! それに続いてキングヘイロービワハヤヒデグラスワンダーナイスネイチャが並んでいる!』

『第4コーナーを今……抜けました。あとは最終直線約350メートル。ここが勝負どころです』

『残り400を切って先頭はまだツインターボ! ツインターボだ! 今日もターボエンジンを盛大に鳴らしながら先頭をひた走る! 最後までもつのか!?』

 

 一気に上がってきたスペシャルウィークとオイシイパルフェだが、先頭のツインターボはまだ逃げ続けている。その距離は3バ身ほどまで縮まっているが、ツインターボはここが意地の張りどころだと言わんばかりに足を緩めない。

 

 スペシャルウィークはおそらく、ツインターボが失速すると思って勝負を仕掛けたのだろう。そのまま先頭に立ち、ゴールを駆け抜けるつもりだったのだろう。

 

 オイシイパルフェは多分、残り600の時点で仕掛けるって決めていただけだと思う。だが、スペシャルウィークは勝負所だと判断して仕掛けた。そして()()()()

 

『最終直線、ツインターボが下がらない! ターボエンジン全開だ! 2番手になったスペシャルウィークが届かない! 届いていない!』

 

 あの速度で走りながら、どうやればツインターボに余力が残っていると判断できるのか。俺は全体が見れるしツインターボの表情も見れたからまだわかりやすいが、ツインターボが先頭に立って逃げている状態でキング達が()()を見抜くのは困難ってレベルじゃないと思う。

 

 だが、走りながらもツインターボのスタミナがもつと見抜いたのが3人――いや、5人いた。

 

『残り200! ここからゴール手前まで登り坂になっている! 各ウマ娘、この坂路をどう攻略するのか!?』

 

 阪神レース場の最終直線。ゴール前200メートルから100メートルちょっとの距離に、高低差2メートル近い坂道がある。

 

 そこを勝負所だと見定めたウマ娘が、一気に動いた。

 

『逃げ続けたツインターボ、さすがにきついか!? 顎を上げながらも懸命に坂を登っていく! それに続いたスペシャルウィークも僅かに減速! オイシイパルフェは一気に減速している! そしてそんなオイシイパルフェを抜き去って上がってきたぞビワハヤヒデ! グラスワンダーとナイスネイチャも上がってきた! そして後方から一気に上がってきたのはハッピーミークだ!』

 

 抜けると思って仕掛けて抜けなかったスペシャルウィークが、坂路で僅かに足が鈍らせる。その隙を突くようにしてビワハヤヒデとグラスワンダー、ナイスネイチャにミークが加速した。

 

 キングもそれに続いて加速するがワンテンポ遅い。いや、わざと遅らせたのか。

 

 キングの体が大きく沈み込む。まるで引き絞った弓のように、駆けながら一気に力を溜める。そしてキングは一気に息を吸い込んで止めると、後方に芝と土を撒き散らす勢いで地面を蹴った。

 

「いっけえええええええええええええええええええええぇぇっ!」

 

 俺はシンプルに叫ぶ。コースと観客席を隔てる柵を邪魔だと殴りながら、腹の底から声を出す。

 

 坂路を物ともせず、キングが駆ける。それまでも速かったが更に加速し、蹄鉄によって抉られた芝が何十メートルも後方へと吹き飛んでいく。

 

「キングちゃんがんばれええええええええええええぇぇっ!」

「い、いけっ! キングちゃあああああああああんっ!」

 

 ウララとライスも叫ぶ。俺はいけ、かわせ、と言葉を変えながら叫ぶ。

 

 先にスペシャルウィークをかわしたのはグラスワンダーだった。スペシャルウィークを置き去りにするような速度でかわし、そんなグラスワンダーに並んでいたビワハヤヒデもスペシャルウィークをかわす。

 

 中盤はスペシャルウィークの後方に控えていたナイスネイチャも牙を剥く。僅かに遅れたもののビワハヤヒデに続き、更に後方からミークが突っ込んできた。

 

 キングは更にその外。前に誰もいない、ゴールしか見えない位置につき、一歩一歩、地面を蹴りつける度に加速していく。

 

『上がってきた! 上がってきたぞグラスワンダーにビワハヤヒデ! それに僅かに遅れてナイスネイチャとハッピーミーク! 更に更にその外! キングヘイローが上がってきているぅっ!』

『ですがまだツインターボも逃げていますよ! 逃げ切るのか誰かがかわすのか!?』

 

 残り100メートル。

 

 僅かに残った坂道。それを抜ければあとは、平坦な直線が残るだけだ。

 

 先頭を逃げ続けるツインターボは、まだ粘っている。しかしそのすぐ後ろ、1バ身もない距離までウマ娘達が迫っている。

 

 キングの位置は、先頭から6番手。それでも開いた距離は1バ身と少し。残り100メートルで、ウマ娘達が横並びになりつつある。

 

 息を切らしながらも諦めていないツインターボ。

 

 終盤に鋭い切れ味を発揮してすさまじい加速力を見せるビワハヤヒデ。

 

 長期療養を挟んだとは思えないグラスワンダーの足。

 

 的確にレースを読んで仕掛けたナイスネイチャ。

 

 最後の最後で一気に伸びてきたミーク。

 

 それらを相手にキングが勝てるのか?

 

 そんな不安と疑問を俺は一蹴する。もちろん、勝つさ。

 

『ほぼ横並びで先頭のツインターボを追うがあと僅かっ!? 力尽きたかツインターボ! ここで後続に飲み込まれっ!? い、一気に抜けっ、キングヘイローがっ!?』

 

 ――だってよ、キングヘイローなんだぜ? 

 

 残り50メートルどころか、ゴール手前10メートル。そこで横に並んだライバル達をかわしきったキングが、先頭に立っていた。ライバルをまとめて抜き去ったその速度に、実況の男性は状況を飲み込めなかった様子で言葉を乱し――その勝利を宣言する。

 

『き、キングヘイローがぶち抜いたぁっ! 末脚一閃! 残り僅かな距離での大逆転劇! 最後の最後でライバルをねじ伏せたぁっ!』

 

 ギリギリのところでキングがかわし、そのままゴールを駆け抜けていく。着差は僅か。しかし写真判定が必要ないぐらい明確な差をつけて、キングがゴールを通過した。

 

『これでキングヘイローはGⅠ4勝! GⅠ4勝です!』

『いやぁ、すさまじい足でしたねぇ……最後、一人だけ遅れたかと思ったんですが……瞬きしたら抜いてましたよ……』

 

 実況が興奮したように叫び、解説は呆然とした口調で話す。そうしている間にウマ娘達が続々とゴールを通過していき、長い時間をかけることなく着順掲示板が点灯した。

 

 そして、阪神レース場から一瞬、音が消えた。

 

『着順が確定いたしまっ!? れ、レコードです! レコードの文字が光っています! 1着10番、キングヘイロー! 勝ち時計は2分10秒9! 宝塚記念のレコードを更新しましたっ!』

 

 そんな実況の声に、数秒遅れて爆発的な歓声が上がる。いやもう、歓声というか音の波が衝撃波みたいな勢いで阪神レース場を揺らし、俺は一瞬、平衡感覚を失いかけた。

 

「わわっ!? お兄さま!?」

 

 それに気付いたライスが俺をすぐさま支えてくれるが、よくよく見てみるとライスはウマ耳を器用にぺたんと倒し、音の影響を避けていたらしい。

 

「ふわー……なんかすっごく目が回るよー……」

 

 そしてウララは耳を立てていたため、俺以上にフラフラになりながら俺へともたれかかってきた。ライスはそんな俺とウララを慌てて支える……って、やっぱりウマ娘の腕力、すごいですね。

 

『すごいタイムが……って、キングヘイロー、これで短距離、マイル、中距離、長距離のGⅠで勝ちました……よね? 短距離のスプリンターズステークス、マイルのマイルチャンピオンシップ、長距離の天皇賞春、そして今回の中距離の宝塚記念……つまり……』

 

 そうやって俺はキングが勝ったことで気が抜けた感じになったものの、解説の男性の言葉を聞いてすぐに我に返る。

 

 そうだ、そうだとも。今日の勝利はただのGⅠでの勝利じゃない。ライスでさえ成し得ず、あのシンボリルドルフでさえ成し得なかった、前人未到の記録を達成したということになるのだ。

 

『キングヘイロー! まさかまさかの前人未到! 全距離GⅠ達成です! とんでもない偉業を達成しました! 全距離で重賞を制したタケシバオーを超える、全距離GⅠ達成いいいぃぃっ!』

『これはなんとも……黄金世代の中でも頭一つ……いえ、二つ三つと抜けた、『世代のキング』とでも呼ぶべき偉業ですね……今日の解説に来れて本当に良かったですよ。本当に……ああ……最高のレースでした……』

 

 最後には声が裏返る勢いで叫ぶ実況の男性と、最後にはしみじみと語る解説の男性。そんな二人の言葉に再度阪神レース場から音が消え――今度こそ、両手で耳をふさがなくてはいけないほどの大きさで大歓声が上がったのだった。

 

 

 

 

 

 1着10番、キングヘイロー。

 

 2着8番、クビ差でビワハヤヒデ。

 

 3着5番、ハナ差でグラスワンダー。

 

 4着2番、ハナ差でナイスネイチャ。

 

 5着4番、クビ差でハッピーミーク。

 

 レコードの文字が光る掲示板を見つめた俺は、深々と息を吐く。そしてゴール先でビワハヤヒデ達に祝福されるように肩や背中を叩かれているキングを見た。

 

「次はウララの番だな」

 

 俺は隣に立つウララの頭に手を乗せながら、そんな声をかける。すると見ただけではわからない、かすかな震えが手を通して伝わってきた。

 

 視線を移してみれば、ウララのウマ耳と尻尾がピンと立っているのが見える。今のキングの走りを見て、興奮して武者震いを起こしているらしい。

 

(良いバトンを渡してくれたな、キング……GⅠ4勝で全距離GⅠ制覇……掲げた目標は達成したけど、GⅠ4勝か……)

 

 ()()がゴールではないのだ。キングにはまだまだレースがあり、更に上を目指せる。

 

 だけどまあ、ライスのGⅠ6勝もそうだけど、こうなるとシンボリルドルフのGⅠ7勝っていうのが本当にとんでもない偉業だって嫌でも理解できた。

 

 今回は勝ったが、秋から始まる数々のGⅠはどうなるか……。

 

「トレーナー!」

 

 しかし今だけは、笑顔で駆け寄ってくるキングをウララやライスと一緒に祝福することだけに全力を尽くそうと思った。

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