リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第110話:新人トレーナー、帝王賞に挑む その後

 ウララがスマートファルコンを破り、帝王賞で1着を獲った。

 

 着差はほんの僅か。クビ差もないぐらいだったが、勝ちは勝ちである。

 

 俺はウララがスマートファルコンを抱き締めている光景を眺めながら、ほっと安堵の息を吐いた。そしてそのあと、困ったように頬を掻く。

 

 スマートファルコンの仕上がりは万全だった。だが、肉体面はともかく、精神面は万全とは言えなかった。

 

 そうして遠目に見えるスマートファルコンの様子を再度確認した俺は、これからのことを思う。

 

(スマートファルコンが精神的に持ち直したら……はてさて、一体どれだけ強くなるのやら……)

 

 確実に精神が持ち直すと決まったわけではない。それでも、ウララに抱き締められたまま涙を流すスマートファルコンの姿は、少なくとも今よりはマシになるのでは、と思わせる。

 

 今回は勝ったが、次も勝てるとは限らない。思いの強さやその時の感情で実力以上の力を発揮するのがウマ娘だ。逆に言えばその時々の感情で勝てると思った相手にも負けることがあり得てしまうわけだが……。

 

(……ま、今それを考えるのは野暮か)

 

 そう判断した俺は、ウララ達に向かって拍手を送る。パチパチと、特に強く叩くこともなく自然とそうしていた。そうするだけの光景が、ゴール先にはあるのだ。

 

 ウララが勝って嬉しい。だがそれ以上に、スマートファルコンを気遣って抱き締めていることが嬉しい。

 

(子どもが成長するのは……早いもんだ)

 

 そんなことを思いながら拍手をしていると、ライスとキングもパチパチと拍手をし始めた。すると他の観客もその音に気付いたのか、拍手をし始める。

 

 もちろん、観客の全員がそうするわけではない。それでも数えきれないほどの人々が手を叩き、徐々に拍手の音が大井レース場全体を包み込んでいく。

 

 雨の音を打ち消すように、今日のレースで走り抜いたウマ娘達を称賛するように、拍手の雨が降り注ぐ。歓声とは違う観客からの称賛に、負けたウマ娘達も俯いていた顔を上げて観客席に向かって手を振り始めた。

 

 中には悔しさで涙を流している子もいる。しかし頑張ったなと、よくやったなと、言葉以上に伝わるものがそこにはあった。

 

 拍手の雨が降り注ぐ中、ウララ達がコースから引き上げていく。ウララはスマートファルコンに寄り添うようにしてゆっくりと、入場口兼退場口へと歩いていく。

 

 普段ならウララを追って、裏に引っ込んだら思う存分褒め称えて甘やかしたいところだ。だがまあ、今は野暮ってもんだろう。ウララは俺に視線を向けたかと思うと、パチリ、とウインクをしてくる。そんなウララにウイニングライブを楽しみにしている、なんて思いを込めて笑って返した。

 

 拍手に背中を押されるようにして引き上げるウマ娘達が、どこか名残惜しそうにしながら専用通路へと消えていく。

 

 そうしてウララ達を見送った俺だったが、一応、関係者用の通路には足を向ける。ないとは思うが、ウイニングライブをすっぽかすととんでもないことになるから注意をしておこうと思ったのだ。

 

 勝負服に付着した泥などを落とせる時間ギリギリまで待って、それでもウララからスマートファルコンが離れなければ一声かけよう。そう思って関係者用の通路に足を運んだ俺だったが。

 

「いやぁ、ハルウララは大したもんだね」

 

 ふと、そんな声が聞こえた。俺以外にもウマ娘やトレーナー、大井レース場の関係者がいるため誰かが漏らした声かと思ったが、不思議と俺に向けられたものだと感じ取れる。その声に振り向くと、そこにはスーツ姿の男性が立っていた。

 

 全く知らない他人……だったら、まだ良かったのだろうか。そこに立っていたのは、スマートファルコンの育成を担当しているトレーナーだった。

 

 たしか、年齢は俺よりも5歳ほど年上のはず……外見はどこにでもいるような男性、と言ってしまうと俺もブーメランが突き刺さるが、スピカの先輩みたいにイケメンって感じでもない。かといってカノープスの先輩みたいな優しげな風貌って感じでもない。いや、カノープスの先輩は一見優男って感じなのに、どことなく怖いけど。

 

「正直なところ、うちのファル子に勝てるかは微妙なところだと思ってたよ。今日のハルウララは調子が絶好調って感じだったし、仕上がりも良かったから可能性はゼロじゃないと思ったけど……予想以上に強かったな」

「……ありがとうございます、先輩」

 

 スマートファルコンのトレーナーはトレセン学園の勤務年数的に先輩になる。普段は絡みがない……というか、トレーナー同士でガンガン絡んで酒飲みに行ったり煽り合ったりっていうのは、意外となかったりする。

 

 うちの同期や後輩を除くと、俺が知っている範囲で仲が良いなって思えるのはスピカの先輩と東条さんぐらいか。いや、あの二人は単純に仲が良いっていうのも違う気がするけど。もっと強いつながりを感じるし。

 

 トレセン学園のトレーナーにとって、他のトレーナーはライバルであり商売敵だ。同着にならない限りレースで1着になれるウマ娘は1人。その1着という限られた椅子に自分が育てるウマ娘を座らせるため、他のトレーナーとは必要以上に絡まないって先輩も多い。

 

 東条さんぐらい突き抜けた手腕と実績を持っていると表立って反発するトレーナーもいないが……まあ、どんな人間だろうと陰口の一つや二つ叩かれる。むしろ周囲が何一つ不満に思わず褒め称えるだけなら逆に怖いしヤバい。

 

 俺の目の前にいる先輩は……他のトレーナーと親しくしているって話は聞いたことがなかった。少なくとも同期や後輩からそういった話は聞いていない。

 

 だからこうして、()()()()()()()()()()話しかけられると警戒してしまう。

 

 一部を除いて多くの先輩方に嫌われていることは自覚しているが、この先輩は別だ。そういった敵意や隔意は感じられない。むしろ……なんだ? なんというか、表情や声から判断するなら感謝されているような……。

 

「あれ? 何か警戒されてる?」

「ええ、警戒しています」

「ははは、素直で良いね」

 

 俺が答えると、先輩は何故か楽しそうに笑った。どうしよう、マジで警戒心が強まっていくんだが。

 

「それで……何か御用ですか?」

 

 相手の目的がわからないためストレートに尋ねてみる。すると先輩は不思議そうに首を傾げた。

 

「お礼を言いに来ただけだよ」

「お礼?」

 

 何のだろうか。そう思って眉を寄せていると、先輩は控室の前でウララに抱き締められているスマートファルコンへ視線を向ける。

 

「これでファル子もようやく前に向かって進めそうだからね……そのお礼を言いに来たんだ。ありがとう」

 

 そんな先輩の語りかけに、俺は小さく眉を寄せた。そしてライスとキングにウララの世話を頼むと、先輩と連れ立って距離を取る。

 

「……それは俺に言うべきことじゃないですよね? それに、他人事のように聞こえますが」

 

 スマートファルコンに勝ったのはウララだ。俺は何もしていないし、俺じゃあウララのようにスマートファルコンに影響を与えることはできないだろう。

 

 それでも先輩の言葉がどこか他人事のように聞こえて、思わず噛みつくようにして言葉をぶつけていた。すると、先輩は苦笑を浮かべる。

 

「ああ、言い方が悪かったね。でも、これで俺もファル子も前に向かって進めるよ。感謝している……君が思うよりもずっと、ね」

 

 そう話す先輩に裏は感じられない。本当に心から感謝している、と言わんばかりの声色だった。

 

「……わかりませんね。スマートファルコンの体付きを見れば、あの子を故障しないギリギリのところで徹底的に鍛えてきたっていうのがわかります。でも肉体的にはともかく、あの子をあそこまで精神的に追い込む理由がわかりません」

 

 そう、スマートファルコンの体付きを見れば眼前の先輩がどれだけ注意を払って鍛え上げてきたのかがわかる。

 

 これでスマートファルコンが名義を貸すだけのトレーナーの下で、自分で考案したトレーニングに沿って自身を鍛えているっていうのなら俺ももっとあの子に踏み込んでいた。だが、あの子の体の仕上がりを見れば、自ずと担当トレーナーの手腕も理解できたのだ。

 

 かつてのライスのように自主トレーニングだけで鍛えていると、どんなに注意していても歪に育つ。客観的に己の肉体を見ることは難しく、どんなに自己管理が上手なウマ娘だろうと限界があるからだ。

 

 初めてスマートファルコンを見て以来、レースで見かける度にその仕上がりに感嘆した。そんな育成手腕を持つトレーナーがついているからこそ、俺もスマートファルコンのあの様子には何か理由があるものだと思ったが……。

 

()()()()()が出るってことは、君は俺がスマートファルコンのメンタルケアを一切せず、むしろ追い込んでいた……そう認識しているってことかな?」

 

 怒るでもなく、苦笑混じりに尋ねてくる先輩。その反応がまた、俺の中で疑問と混乱を巻き起こす。

 

 俺の言葉を受け止め、先輩はどこか疲れたようにため息を吐く。

 

「まあ、そう思われても仕方ないか。実際のところ、俺は何も解決できなかったしね。できたのはその時々の調子に合わせてトレーニングの量を増やしたり減らしたり……あとはあの子が路上ライブをやりたいって言うから、警察に申請しに行ったり法被着て応援したり……それぐらいか」

 

 そう言って先輩は遠くを見るように目を細める。ウララによしよし、と頭を撫でられているスマートファルコンを見てなんとも形容し難い表情を浮かべた。

 

「そうだな……ああ、そうだとも。さっきのファル子の顔を見ればわかるとも。()()()()()()とも。ここ数ヶ月、何の効果もないメンタルケアを続けていたってね。まったく、君のハルウララはひどい子だ。レースで勝って、抱き締めて、声をかけただけであの頑固な子の仮面をぶち壊すんだからね」

 

 ひどい子だ、と言いながらも相変わらず苦笑が混ざっている。いや、むしろ感謝すら感じ取れる。

 

「最初はね、あの子もハルウララのことをすごい子だって、笑顔が魅力的でウマドルとして負けられないって張り切ってたんだよ。でも、実力や戦績はまだしも、人気で勝てないのが堪えたらしくてね……気付いた時には()()()()()()()よ」

「気付いた時には、ですか?」

 

 それはどうなんだろうか、前兆はなかったんだろうか、と俺は疑問に思う。すると先輩は苦笑を深めた。

 

「近くにいるとわからないものさ……なんて、言い訳をしたいところだけどね。あの子はウマドルの仮面を被るのが上手で、俺はそんなあの子が内側にどんな思いを秘めているかわからなかった」

 

 節穴だったよ、と先輩は言う。

 

「去年のJBCレディスクラシックの時だったかな……あの子が急におかしくなった。いや、おかしくなったって表現は違うか。俺でもわかるぐらい、歪さが()()()()()()()()()()

 

 JBCレディスクラシックといえば……ウララがJBCスプリントに出た時だ。あの時スマートファルコンはウララに声をかけにきたが、ウララは……。

 

「そこからはもう、ズルズルと、だね……どんな言葉をかけても、どんな行動をしても、あの子は心から笑えなくなった。あんなに歯痒い思いをしたのは人生でも初めてだね」

「……そんなにまずかったんですか?」

「ああ。トレーナー養成校で習うようなことは全部やったし、可能な限り調べて試しもしたよ。それでも駄目だった。声を荒げて怒ってみても意味はなかったし、泣いて元のファル子に戻ってくれと頼んでも駄目だった。物は試しにと思ってなんとか宥めすかしてハルウララ以外にも目を向けさせようとしたけど、海外のウマ娘でも駄目だったなぁ」

 

 ファル子にとってハルウララは何か違うらしい、と先輩は言う。

 

「サウジカップは2着になったけど、あの子にとって海外レース初挑戦で2着なんて興味も湧かなかったみたいでね……賞金を全額ファル子の口座に叩き込んで通帳を見せてみたけど、何の反応もなかったから海外への挑戦も意味がなかったんだなって頭を抱えたよ」

「それは……なんとも……」

 

 ぺらぺらと喋ってくれる先輩だが、もしかすると誰かに話したくて仕方なかったのかもしれない。それがスマートファルコンが()()()()()原因(ハルウララ)の、その担当トレーナーが相手だとしても、だ。

 

「スマートファルコンの路上ライブに関しては……」

「さっきも言っただろう? 警察への手続きも全部俺がやったって。そもそもあの子はウマ娘と言っても未成年だから手続き関係は保護者がやるべきだったし、夜間は保護者がついていないといけないしね。君も一度路上ライブを見に来たことがあったよね?」

 

 え? あの時先輩いたの? ()()()()()()()()()はいなかったんだけど。

 

 いたのは精々、法被着てハチマキ巻いてスマートファルコンを応援していた人達ぐらいなんだけど……あの中にいたのか? そういやさっき、法被着て応援してたって……。

 

「でも、さっきの姿を見て確信したよ。ようやく前に進めるってね……本当に、長かった……」

 

 そう言って先輩は懐に手を入れる。そしてぐしゃぐしゃと音を立てながら何かを丸めたかと思うと、近くのごみ箱へ歩み寄って叩き込んだ。

 

「改めてお礼を言うよ……ありがとう。これで、あの子は殻を破って更に強くなる。ウマドルとしては……俺にとっては()()()()()()()輝いて見えたから、これ以上成長するのかわからないけどね」

 

 言いたいことは全て言った、といわんばかりに先輩が背中を向けた。その行く先はスマートファルコンがいる方向とは別の方向だが……。

 

「先輩、ウイニングライブはどうするんですか?」

「もちろん見に行くよ。でも着替えを入れたバッグを更衣室に置いてるからね。またあとで、だ」

 

 そう言って先輩が去っていく。それを見送った俺は、一つ大きなため息を吐いてからライスとキングのもとへ戻るのだった。

 

 

 

 

 

 帝王賞のウイニングライブは満員御礼。というか、人が多すぎて最前列にいけないほどぎゅうぎゅう詰めである。

 

 さすがにライスとキングを連れて人波を掻き分けながら進んで行くのも厳しいな、なんて思った俺だったが、物は試しにとごめんなさいハルウララのトレーナーです、なんて言いながら進んだらあっさりを道を譲ってくれた。

 

 結局時間ギリギリまでかかってしまったため、ウララの勝負服から大急ぎで泥を落として送り出し、こうして観客席に到着するのもギリギリになってしまった。

 

 時間がなかったためスマートファルコンの様子は確認できなかったが、ウイニングライブを行えるのかどうかが……なんて、思っていたのだが。

 

(ん? んん……?)

 

 ステージに出てきたスマートファルコンを見て、俺は目を疑う。ウララに手を引かれておずおずと、不安そうな顔つきでステージにスマートファルコンが出てきたのだ。

 

 そんなスマートファルコンに困惑したのは俺だけではないらしい。周りの観客からも戸惑いの声が上がり、中にはスマートファルコンだとわかっていない人すらいた。

 

 しかしウララに手を引かれ、スレーインに背中を押されたスマートファルコンは覚悟を決めたような顔付きでステージを進んで行く。その表情は先ほどまでと比べてもなお、()が覗いて見える。

 

 そうして始まったウイニングライブは、これまでのスマートファルコンを知る者からすれば驚くほど大人しい――しかし、一生懸命で必死だった。

 

 今までの練習やウイニングライブを忘れてしまったのかと首を傾げるような、歪な歌とダンス。それでも必死に歌って踊る姿にはきっと、これまでとは違う印象を抱く人が多かったんじゃないか、なんて思う。

 

 最初は戸惑っていた観客達も、ウララにスマートファルコンにスレーインと、現役ダートウマ娘の中でもトップクラスの面々が行うウイニングライブに我を忘れたように熱中し始める。

 

(……良い笑顔で歌えるじゃないか)

 

 スマートファルコンのぎこちない、しかし心からのものと思える笑顔を見て、そんなことを思う。

 

 そうしてウララがセンターを務める帝王賞のウイニングライブは、これまでにないほど大盛況のうちに終わりを迎えるのだった。


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