リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第12話:新人トレーナー、涙を流す

 夏を過ぎ、季節が秋めいてきた10月の半ば。

 

 今日はウララの4戦目、東京レース場で未勝利戦が行われる日だ。俺は以前と同じようにウララを連れて東京レース場まで来たものの、それまでは普段通りだったウララの様子がおかしくなっていることに気付く。

 

「ウララ? どうしたんだ?」

「んー……なんだろー。なんかね、落ち着かないんだー」

 

 ウララは何故か小さく体を震わせていた。それを見た俺はまさかと思ってウララの額に手を当てるが、熱発を起こしている様子はない。

 

 ウララに一声かけてから口を開けさせて口内を確認したり、首回りに触れたりしてみるが、喉や扁桃腺が腫れているようなこともなかった。

 

「どこか体におかしなところはないか?」

「ううん、今日もぜっこーちょーだよ。でもね、なんだか落ち着かないの」

 

 そう話すウララは耳を小刻みに動かし、尻尾も忙しなく左右に揺れている。普段通り笑顔を浮かべているものの、それがぎこちなく見えるのは気のせいではないだろう。

 

「体調が悪いってわけじゃなさそうだな……緊張してるのか?」

 

 俺はウララの腕を取って脈拍を確認するが、脈拍はやや速い程度で問題があるとは思えない。これまでウララがレースに臨む際の様子を思い起こす限り、緊張するような性格でもなかったはずだが。

 

「きんちょー、なのかな……なんかね、すっごく走るのが楽しみなの。うずうずして、バーンッて!」

「走るのが楽しみなのはわかるけど、最後の擬音はよくわからんぞ……本当に体調が悪いわけじゃないんだな?」

「うんっ!」

 

 体調が悪いのならば棄権することも視野に入れるが、ウララの様子を見た限り体調自体は本当に良いようだ。かといって緊張しているわけでもない、となると。

 

(……武者震い? ウララが?)

 

 まさか、と俺は思う。しかし体調不良や緊張で震えているわけではないというのなら、それぐらいしか思い当たらない。

 

「ウララ、落ち着いて深呼吸をしろ。とりあえず5回だ。それが終わったら、次は3秒でいいから全身にぐっと力を入れてみてくれ」

「うん……すぅー……はぁー……」

 

 俺の指示を聞き、ウララはゆっくりと深呼吸をする。そして深呼吸が終わると全身に力を込め、3秒が経ってから脱力した。

 

「どうだ?」

「落ち着いた……かも?」

 

 ウララは自分の体を見下ろしながら言う。俺は膝を折ってウララと目線の高さを合わせると、意識して笑みを浮かべた。

 

「もしもまた震えそうになったら深呼吸をしたり、体に力を入れてみるといいぞ。そうすれば落ち着くからな」

「うんっ! わかった! それじゃあトレーナー、わたし行ってくるね!」

「おう、楽しんでこい」

 

 着替えのために控室へ向かうウララを送り出し、俺は観客席に向かう。

 

 1着になってほしいという気持ちは変わらずあるが、俺ももう開き直った。成すべきことを成していれば、結果も自ずとついてくるだろう。

 ウララが武者震いを起こしているのが気にかかったが、ウララなりにレースに対する思いに何かしらの変化があったのかもしれない。

 

 俺はそんなことを考えつつ、まずはパドックの観客席に向かう。今日出走するウララのライバルウマ娘達の様子を観察し、少しでも情報を得ようと思ったのだ。

 

 ウララも既に4戦目である。つまり、他のウマ娘もメイクデビュー以降、何戦かレースを経験したウマ娘になる。

 そのためレースの映像は既に分析済みだし、戦績やタイムから読み取れる情報は全て読み取ったつもりだ。あとは実際にレース前の様子を確認すれば今日の調子も読み取れるだろう。

 

 俺はそう考え、パドックでのお披露目を待つ。しかしすぐさま違和感を覚えて首を傾げた。

 

(人が少ないな……今日は観客自体はかなり多かったんだが……)

 

 今日はウララが出走する未勝利戦だけでなく、芝のレースでGⅡの毎日王冠や府中ウマ娘ステークス、GⅢのサウジアラビアロイヤルカップ、オープン戦のグリーンチャンネルカップやオクトーバーステークス、そしてダートレースのプラタナス賞が開催される。

 

 さすがにGⅠが開催される時と比べれば観客の数が減るが、それでも軽く5万人を超えるウマ娘ファンが東京レース場に駆け付けているのだ。

 

 それだというのに、パドックを見に来る観客の数は少ない。雑誌記者と思しき者が数人に、観客が十数人、ウマ娘のトレーナーが俺を含めて5人と少々物寂しい。

 

 レースの合間にパドックを見に来て、時間が来ればレースを見に行く。そういった気合いの入ったファンもいるが、家族連れなどは大人しく観客席で待つか、レース場の傍にある出店に行っているのだろう。

 

(ウララはこれで4戦目だけど、ジュニア級の未勝利戦自体は芝も含めればこれで7戦目だ。見込みのあるウマ娘はどんどん上のクラスにいってるし、今の時期に未勝利戦に留まっているウマ娘となると……)

 

 多分、ここまで未勝利戦に残っているウマ娘への注目などほとんどないのだろう。優れたウマ娘はとうの昔に頭角を現し、それぞれレースで活躍しているのだ。

 

 桐生院さんのところのハッピーミークも、つい先日オープン戦ながらサフラン賞で1着を取った。そして今度は10月後半に行われるGⅢのアルテミスステークスに出走する予定らしい。12月前半に開催されるGⅠレース、阪神ジュベナイルフィリーズに向けて準備は良好のようだ。

 

 それらを考えると、言い方は悪いが時期が進めば進むほど未勝利戦に残っているウマ娘は弱くなる。そして、トレーナーの中には何度も未勝利戦に勝てないウマ娘の育成を諦め、担当を辞める者が出始めていた。

 担当こそ辞めないものの、活躍している他の担当ウマ娘の育成に注力して未勝利ウマ娘は最低限面倒を見たり、自主練習させて放置したりするという者もいる。

 

 ウララが出走した3戦目のレースの事故でトレセン学園のトレーナーには注意喚起が行われたが、トレーナーがウマ娘に割り振れるリソースは有限である。芽が出ないウマ娘の扱いはどうしても悪くなってしまいがちだった。

 

 それらの事情により、トレセン学園でも既に学園を去った者、地方に移籍した者がちらほら出始めている。走ることを諦めてしまった者、故障してしまった者、中央では勝てないからせめて地方で勝ちたいと願う者、様々だ。

 

 その点、俺はトレーナーの中では割と異色な方になるのかもしれない。傍目から見ればメイクデビューで最下位で、未勝利戦でも2敗しているウマ娘を一生懸命育てているのだから。

 

 そうやって俺が周囲を観察していると、パドックにウマ娘達が姿を見せ始める。胸ポケットから出バ表を取り出した俺は、その内容に目を落としながら各ウマ娘を観察していく。

 既に未勝利戦が何戦も行われているからか、今回のレースでウララと一緒に走るウマ娘達はそれぞれ一度は見たことがある者ばかりだ。

 

 着ていた上着のジャージを脱ぎ、体操服姿を晒すウマ娘達の姿に俺は目を細める。

 

(これは……)

 

 他のウマ娘達の仕上がり具合を確認した俺は、思わず表情を歪めてしまった。同時に、持っていた出バ表がぐしゃりと音を立てて折れ曲がる。

 

 真夏のトレーニングを乗り越え、更にここ一ヶ月のトレーニングを経たウララの体は前回のレースよりも仕上がっている。そんなウララに比べて、他のウマ娘達は大きな成長は見られなかった。

 トレーナーがきちんと監督し、トレーニングメニューを考案しているのならばあんなことにはなるまい。中にはバランスを考慮せずに自己流のトレーニングに励んだ者もいるのか、筋肉のバランスが悪い者もいた。

 

 今すぐ体を壊すほどではない。だが、このままでは二、三度レースに出るうちに故障が出かねない。

 

 他のトレーナーが担当するウマ娘ではあるが、今日のレースが終わってから理事長に報告書を上げておこうと俺は思った。あの理事長ならば、俺みたいな新人トレーナーの報告でも無下にはせずに確認をしてくれるだろう。

 そうしてウマ娘達を観察していると、とうとうウララの出番が来た。ウララは普段通りの笑顔でジャージを脱ぎ、その仕上がりぶりを衆目に晒す。

 

 すると、少ない観客達から感嘆の声が上がった。脱ぎ捨てたジャージをいそいそと拾うウララの姿を見ながら、そこかしこから声が聞こえてくる。

 

「あの子、本当にこの時期まで残っている未勝利のウマ娘か?」

「地方からのスカウトで転入してくる子もいるし、そっちのパターンじゃ……」

「ウララちゃーん! 今日も応援に来たぞー!」

「今日こそ1着を期待しているぞ! 1着取ったら今度うちに来た時に人参をプレゼントするからな!」

 

 ついでに、いつの間にやら商店街の人達もパドックに来ていた。今日は東京レース場という近場のため、応援に駆けつけてくれたらしい。

 

「わー! みんな、ありがとーね!」

 

 それに気付いたウララは笑顔で両手をブンブンと振る。ついでに尻尾も左右に激しく振られており、先ほどまでの武者震いがどこかに消えてしまったかのようだ。

 

 ありがたい応援だ。俺は素直にそう思うのだった。

 

 

 

 

 

『晴れ渡る秋空のもとで始まります、東京レース場第3レース。ダート1300メートルの未勝利戦。バ場状態は良の発表です』

『今日はどのウマ娘が1着の栄誉を手にして未勝利から抜け出すのか。目が離せませんね』

 

 ファンファーレが鳴り終わると共に、実況と解説の男性の声がレース場に響く。そしてそれぞれウマ娘がゲートへと入りだし、それに合わせて名前などが読み上げられていく。

 

『続きまして8枠8番、ハルウララ。笑顔が眩しい1番人気です』

『メイクデビューで9着、2戦目で5着、前走で3着と順調に順位を上げていますからね。今日こそは期待できるのではないでしょうか。見てくださいあの仕上がりを。正直なところ、私としては今の状態で上のクラスのレースを走らせても好走すると思いますよ』

 

 今日のウララは外枠かつ、初めてとなる1番人気だ。ウララの紹介が行われると、観客席のあちらこちらからウララを応援する声が飛ぶ。

 

 ウララはその声援に応えるように両手を振ると、ゲートに入って深呼吸をした。そして胸の前で両手を握り締める動作を行い――俺は僅かに眉を寄せる。

 

(ウララのやつ、緊張して……いや、アレはさっきの武者震いか?)

 

 先ほど教えたばかりとはいえ、今までのレースでは見せなかったウララの仕草に俺は違和感を覚えた。しかし、ウララは目を閉じながらうつむいて再度深呼吸をしたかと思うと、ゆっくりその顔を上げる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「おっ……」

 

 ()()()を見た時、俺は思わず声を漏らしていた。

 

 そこにあったのは、普段と異なるウララの笑顔だ。適度に緊張しつつもこれから始まるレースに期待して、ワクワクしながらも集中力を研ぎ澄ませたような、レースに挑む者の顔付きだった。

 

(まさか……これは……)

 

 そのウララの顔を見た俺は、ドクンと心臓が高鳴る音を聞いた。レースが始まる前だというのに、期待で胸が膨らみ始めたのだ。

 

 各ウマ娘の紹介とゲートインが完了し、レース場に沈黙が満ちる。この数秒間は独特の緊張感があり、その沈黙を破るかのようにバタンとゲートが開く音が響いた。

 

『さあ、ゲートが開きました。各ウマ娘、揃って綺麗なスタートを切った』

『未勝利戦ではありますが、これまで何戦もしてきたウマ娘達ですからね。スタートも慣れたものなんでしょう』

『真っ先にハナを切ったのは5番シャバランケ、僅かに遅れて7番ハートシーザー。2バ身離れて1番グリーンシュシュ、9番キンダーシャッツが先行。更に1バ身離れて8番ハルウララ。そこから3バ身離れて2番ワイズマンレンズ、シンガリ付近に3番ブームアバング、4番スレーイン、6番ベータキュビズムが固まっています』

『これは……ハルウララは差しではなく先行でしょうか? 普段と違う戦法を選んだのでしょうか?』

 

 そう言って困惑したような声を漏らす解説の男性。ウララは丁度真ん中の5番手に位置しているが、差しにしては前のほうにつけているのだ。後方でも中団でもなく、先頭集団の最後尾を駆けている。

 

『シャバランケに引っ張られる形でコーナーへ突入。タイムはややハイペースか? ハートシーザーも先頭を狙っているぞ。しかしすぐ後ろではグリーンシュシュ、ハルウララ、キンダーシャッツが隙をうかがっている。中団との距離は先頭から5バ身ほどか? シンガリはそこから更に4バ身離れている。この展開、どうでしょう?』

『逃げている二人もややハイペースですが、ハルウララも少しずつペースを上げているように見えますね。コーナーだというのにあまり減速していないように見えるのですが……パドックでの仕上がりを見た限り、それが可能なぐらい足腰を鍛えてあるんでしょうね』

 

 実況と解説の声を聞きながら、俺はじっとウララを見詰める。バクバクと高鳴る心臓をなだめるように腕組みをして、握った腕に力を込めながらだ。

 

『さあ、大ケヤキを抜けて4コーナー! 先頭はハートシーザーに変わった! しかしシャバランケもすぐ後ろを追走している! もうすぐコーナーを抜けるが抜き返すことはできああっと! ハルウララだ! ハルウララが上がってきた!』

『かなり早い位置でスパートをかけてきましたね。残り500メートル、体力はもつのでしょうか?』

 

『コーナーを抜けて最後の直線! ハルウララが迫る! ハートシーザー逃げる! シャバランケも逃げ――きれない! ハルウララが2番手に上がった! ハートシーザーとの距離はもう1バ身もないぞ! このまま捉え切れるのか!?』

『言ってる傍から並びました、ハルウララ。東京レース場の直線には上り坂がありますが、このまま差し切っておおっ!?』

 

 解説の男性の驚いたような声。俺はそれとほぼ同時に観客席とコースを隔てる柵に向かい、体当たりする勢いで身を乗り出した。

 

『ハルウララ完全にハートシーザーをかわした! 坂道を物ともせずに駆け上がってくるぞハルウララ! これはすごい足だ! 後方のウマ娘達もスパートをかけ始めたが届くのか!?』

 

 一歩一歩、砂の地面を抉る勢いでウララが坂道を駆け上がっていく。その表情は必死で、一生懸命で――それでいてどこか楽しそうだ。

 

「いけえええええええええええぇぇっ! ウララあああああああああああぁぁっ!」

 

 その姿を見た俺は腹の底から叫んでいた。観客達も歓声を上げていたが、それに負けるものかと声を張り上げる。

 

 5万人を超える観客による、地響きのような声援の中で俺の声が届くのか。今やウララを応援する声で一色に染まりつつある声の中で、果たして届くのか。

 

「――――」

 

 ほんの一瞬だけ、ウララが俺の方を見た。そして口元が小さく、何かの言葉を形取る。

 

「いけええええぇぇっ! いけええええええええええぇぇっ!」

 

 それに応えるように俺は拳を突き出しながら再度叫んでいた。ウララはその声が届いたように笑い、地面を駆ける両足に力を込める。

 

 蹄鉄が打ち込まれたウララの靴が砂地を蹴り割り、陥没させる勢いを以てウララの体を前へ前へと押し上げていく。

 

 その速度は俺が今まで見たウララの走りの中で、最も速いと断言できるものだった。

 

『ハルウララがんばれ! ハルウララがんばれ! ハルウララ初めての勝利が見えてきた! 後続との差はグングン広がっている! 4バ身、いや5バ身! まだまだ広がる!』

 

 観客だけでなく、実況すらもウララの走りを応援していた。それほどまでにウララの走りは群を抜いていたのだ。

 

 ウララが坂道を登り切り、直線を駆けて行く。最後まで速度を緩めることなく、むしろ加速するように。

 

『ハルウララ! 最早独壇場! 一人旅だ! 後続はいない! 誰もいないぞハルウララ! その差は何バ身だ!? 残り100! 50! これは決まりだハルウララァッ!』

 

 先頭を駆けるウララの前には、当然ながら誰もいない。加速し切ったウララの後ろにも、誰もいなかった。

 

「ああ……ああっ!」

 

 そして今、ウララがゴールを駆け抜ける。俺はその光景を目に焼き付けようとしたのに、視界が歪んで上手く見ることができなかった。

 

『ゴールイン! ハルウララ、1番人気に応えてみせたっ! ハルウララ1着です!』

 

 その言葉を聞いて、俺は視界を遮る涙を拭う。

 

 ゴールを駆け抜けたウララは徐々に減速すると、何が起きたかわからないように後方を振り返った。そして立ち止まった自分の周りを見て、自分が一番最初にゴールインしたことを確認すると、ふるふると震えながら拳を握り締める。

 

「~~~っ! やったぁ!」

 

 ウララは歓喜の声を上げると共に、拳を突き上げるようにしてその場で飛び跳ねた。それを見た観客が更なる歓声を上げ、東京レース場を揺らしそうなほどの音量になる。 

 

「はぁ……はぁ……やったよトレーナー! わたし勝った! 勝ったよー!」

 

 額に汗を浮かべたウララが飛び跳ねるようにしながら俺のもとへと走ってくる。尻尾をブンブンと振り回しながら近付いてくるウララの姿に、俺は再度涙を拭ってから大きく頷いた。

 

「ああっ! 見てたぞウララ! でも怪我はないか!? 大丈夫か!?」

「もちろん! ケガしちゃったらトレーナーに怒られるもんね!」

 

 そう言ってピースサインをしてくるウララに、俺は安堵の息を吐く。1着は嬉しいが、普段以上の力を発揮したように見えたため体に負担がかかっていないか心配だったのだ。しかしウララの動きは疲労こそあっても普段通りで、どこかを痛めたようには見えない。

 

 俺は歓喜を噛み締めるように何度も頷くと、その視線を着順掲示板へと向けた。ウララに遅れるようにして他のウマ娘達がゴールを切っていき、最後のウマ娘がゴールを駆け抜ける。

 

 そして僅かな間を置き、着順掲示板が点灯した。

 

 1着8番――ハルウララ。

 

 着順掲示板に表示され、なおかつ確定の文字が表示されている。つまり間違いでもなければ夢でもない。だが、俺はウララの番号よりも、そのすぐ隣に表示された数字へ視線が釘付けになっていた。

 

 言い様のない喜びが溢れ出るよりも先に、今の俺はきっと、とても間抜けな顔をしていたに違いない。

 

「……マジかよ」

 

 そこに表示されていたのは、ウララが記録したタイムだ。そして、タイムのすぐ上に、見慣れない文字が表示されている。

 

『ただいま着順が確定いたしま――んんっ!? ハルウララ、レコード勝ちだ! このコースでの未勝利戦におけるレコードタイムを記録しました! 勝ち時計は1分19秒47! 1分19秒47です! これまでの記録を2秒以上短縮しました!』

『これ、は……驚きましたね。1番人気が1着というのはある意味順当なんですが、未勝利戦レベルとはいえレコードが出ましたか……』

 

 解説の男性が言った通り、この時期になると有力なウマ娘はほとんど上のクラスに進んでいるため、レコードといっても短距離ダートという括りで見れば極めて優れたタイムというわけではない。

 だが、1着はともかくレースレコードはさすがに予想外だった。俺は言葉が出ずに口をパクパクと魚のように開閉していたが、見間違いでないことを三度確認してからガッツポーズを取る。

 

 上のクラスのウマ娘ならば今回のウララ並のタイムを出せる者もいるだろうが、その割合は大して多くないだろう。

 

 ウララの方に視線を向けると、いつの間にか俺の近くから離れてレースで戦ったウマ娘達と言葉を交わす姿があった。ウマ娘達の中には涙を流している者もいるが、ウララに声をかけている者は妙に晴れ晴れとした、苦笑にも似た笑みを浮かべながらウララの背中を叩いている。

 何を話しているかまでは聞こえない。しかし、まるで未練を断ち切るかのように笑うウマ娘達の姿に、俺は彼女達の今後を察して目を伏せる。

 

 傲慢な考えではあるが、せめてウイニングライブで最後の時を――とそこまで考えたところで、俺は小さく冷や汗を流した。

 

(ウララ、初めてのウイニングライブだけど大丈夫か? 一応練習はさせてきたし、ライブで着る服も持ってきてはいるけど……)

 

 レースと同様にウイニングライブも一発勝負だ。しかも、ウララはウイニングライブに出るのは初めてである。3位を取った時は中止だったため、今回が初のウイニングライブということになるのだ。

 

 そうやって心配する俺だったが、ウララならどんなライブでも形になるだろうと笑うのだった。

 

 

 

 

 

 ウイニングライブ。

 

 それはレースで3位以内に入賞したウマ娘だけが出ることを許される、()()()()だ。

 

 ライブ用の衣装を身に纏い、特設のステージに立ち、ファンに向かって歌って踊る特別な場所である。

 

(初めてみたウイニングライブは……うん、何だこの番組って思ってたっけ。ところでうまぴょいって何? トレーナーになった今でもわからないけど、うまぴょいってなんなの?)

 

 俺はウララのステージが始まるのを待ちながら、テレビ越しながら初めて見たウイニングライブのことを思い出す。

 

 ウイニングライブと一口に言っても、勝利したレースによって歌が変わる。GⅠになるとウマ娘達は各々の勝負服を身に纏い、勝利すればウイニングライブで件のうまぴょいなる不思議な歌を歌うのだが、未勝利戦では違う歌になるのだ。

 

 トレセン学園で採用されているGⅠ以外のレースのウイニングライブで着用する服は、大きさこそ違えどデザインが統一されている。

 

 ワインレッドのベストに短いズボン。白色と藍色を基調とした上着に、腰回りを覆う前方だけ開いたスカート。靴は白いブーツで靴下に藍色のオーバーニーソックスと、統一したデザインの服を着てライブを行うようになっている。

 

 まるでアイドルのような扱いだが、ウマ娘はある意味アイドルでもあるのだ。整った外見に優れた身体能力を持つウマ娘が可愛らしい衣服に身を包んで踊るその姿は、アイドルと表現するほかない。

 もっとも、俺はレースでの勝利はともかく、ウイニングライブではどんな気持ちを抱くか。さすがに俺は恥ずかしく思うのではないか――などと思っていたのだが。

 

 ウイニングライブが始まり、勝負服を身に纏ったウララが笑顔でステージに出てくる。その左右には2着と3着のウマ娘が並び、ウララと一緒に歌い、踊り始めた。

 

「…………」

 

 そんなウララの姿を、俺は無言で見つめる。

 

 自分が育てているウマ娘がレースで走っている姿もそうだったが、ウイニングライブで踊る姿はまた格別だった。恥ずかしさなど欠片もなく、むしろ誇らしさだけが湧いてくるようだ。

 

 小さな体で精一杯、一生懸命に、楽しそうに踊るウララ。時折振り付けや歌詞が間違っているが、一緒に踊っているウマ娘も観客もまったく気にしていない。

 

 ウイニングライブでセンターを務めるのは、レースで勝ったウマ娘だけの特権だ。2着でも3着でもない、1着を取ったウマ娘だけがセンターで歌い、踊ることを許されるのだ。

 

「あぁ……っ……」

 

 ああ、くそ、駄目だ。あまりにもウララが躍る姿が眩しくて、視界がぼやけてきた。今日で二度目だ。こんなに涙もろくなるほど歳を取った覚えはないんだが。

 

 ウララ達の歌がサビに突入し、観客達のテンションもうなぎ登りに上がっていく。俺はウララの歌声と観客の声援を聞きながら、ただ静かに涙を流す。

 

 ウララは未勝利戦を勝っただけで、ウマ娘としてはようやく一歩目を踏み出せただけに過ぎない。ここからオープン戦や重賞のレースを走り、少しでも上を()()()()()()()権利が与えられただけに過ぎないのだ。

 

 メイクデビューというスタート地点に立って、一歩も前に進めないまま未勝利戦を戦って、結局はスタートすら切れないまま引退するウマ娘が多くいる。

 そんなウマ娘達と比べればウララはスタートを切れただけマシで、ここからどこまで進んで行けるかはウララの頑張りだけでなく、俺の働きが影響する部分も大きい。

 

 先を見ればキリがなく、足元すら見えない五里霧中のような状態だが、俺はこれまで通りできることをやるだけだ。

 

 俺は指で涙を弾いてからウララが踊る姿を目に焼き付けて行く。

 

 もしかしたら、これが最初で最後のウイニングライブになるかもしれない。逆に、これからもレースに出る度ウイニングライブで踊るウララの姿が見れるかもしれない。

 

(……いや、ウララならやれるさ)

 

 いつか、ゆくゆくはGⅠの夢舞台で踊るウララの姿が見れることを、俺は願ってやまない。そしてそのための一助となることを改めて誓った。

 それでも今日ばかりは、ウララが無邪気に踊る姿を見て素直に喜ぼうと思ったのだった。

 

 

 

 

 

 ただ、この時の俺は知らなかった。

 

 重賞クラスで戦うウマ娘達の強さを。

 

 ――そして、新たにウマ娘と出会うことを。


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