リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
1ヶ月半ほど行われた夏の合宿がとうとう終わりを告げた。
そして合宿が終わればトレセン学園も2学期が始まるため、俺達はトレセン学園へと戻ってきた……のだが。
「出勤早々にお呼び出ししてすみません」
「いえ、それは別に構いませんが……何か問題が?」
俺は出勤すると同時に理事長室へ呼び出され、理事長とたづなさんを前に首を傾げていた。
何かあったっけ? と疑問に思うが思い当たる節はない。合宿中も仕事はしていたし、合宿で大きな怪我をしたウマ娘もいなかった。あっても精々、擦り傷や切り傷、軽い捻挫程度のものである。捻挫も一日二日休ませたら元気にトレーニングを再開できるぐらいのものだった。
ウララ達は怪我しなかったけど、今年初めて合宿を行ったウマ娘の中には張り切り過ぎて怪我をした子が数人いた。それでもウマ娘のトレーニングでは擦り傷や切り傷、軽い捻挫ぐらいは日常茶飯事のため、トレーナーは全員慌てることもなかったんだけど……。
「まずはこちら、URAから送られてきていたライスシャワーさんの新しいグッズです」
「ありがとうございます」
たづなさんが一抱えほどある段ボールを渡してくる……って地味に重い。たづなさんが平然と渡してきたため俺も涼しい顔をしながら受け取ったけど、思わず落としかけるぐらいの重さだ。理事長の補佐をするには腕力も必要なのかしら?
でもさすがに重たいから床に下ろすと、たづなさんは今度は一通の封筒を差し出してくる。
「続いてこちら、ライスシャワーさんが出走したサマードリームトロフィーの賞金の振り込み用紙です。トレーナーさんとライスシャワーさん、どちらがどれぐらいの割合で受け取るかはきちんと相談してくださいね? ライスシャワーさんに全額振り込むのはなしですよ?」
「ははは、そんなことするわけないじゃないですかいやだなぁ」
にっこり笑顔で釘をさすたづなさんに、俺もにっこりと笑顔を浮かべて答える。5500万円だっけ? 1割でも俺の半年分のボーナス込みの給料に匹敵するんだけど。豪勢な端数だけど500万受け取ってあとはライスの口座に振り込んどくか。
「ちなみにチームリギルの場合は折半だそうです」
「東条さんの育成手腕があればこその結果ですし、当然かと」
「ちなみにチームスピカの場合はウマ娘が7割、トレーナーが3割だそうです」
「それって聞いて大丈夫な話です?」
普通に情報漏洩じゃない? なんて思っていたら、たづなさんは凄味のある笑顔を浮かべた。
「他のトレーナーもみんな3割から5割は受け取っていますし、チームリギルもチームスピカも、教えるのがあなたなら別に構わないそうです」
どういうことだってばよ……きちんと受け取れっていう先輩達からのサインかな? 仕方ない、3割受け取ってこっそり部費に回せば……。
「ちなみにチームごとで管理している口座に関しては、こちら側でも入金と出金を厳しくチェックしていますからね?」
「……チームの口座にお金を入れておいて税金の回避とかしそうですもんね」
部費に回す? そんな怖いことできないよ、うん。とりあえずウララ達に食べさせる人参ハンバーグとかの材料費に使うか。担当ウマ娘へのご褒美に使いますって言えばたづなさんも怒るまいよ。額が額だけに、使い切るまでにトレーナー引退してそうだけど。
俺がそんなことを考えているとたづなさんは小さくため息を吐き、そこから再度笑顔を浮かべる。
「続いてこちらをどうぞ」
「これは……なんです?」
追加ででかい封筒を渡されたけど、こっちは思い当たる節がマジでない。差出人は……合宿で利用した地域の商工会?
「チームリギルやスピカ宛てにもありますけど、感謝状が送られてきました」
え? なんで?
「トレセン学園への寄付金の申し出や、合宿に参加したチームやトレーナー向けに商品券を発送したいという話もありましたけど、こちらは癒着と疑われそうなので断っています。そのため感謝状だけですが、是非にと」
「は、はあ……むしろ迷惑をかけたと思うんですけどね」
たづなさんから出されていた
でも商工会から感謝状が来るってことは、向こうさんは気にしてないってことでいい……のかな? それだけ商魂たくましい人達ばっかりなのか? 前世でも今世でも商売に手を出したことはないから想像でしか語れないけど、それだけ喜んでもらえたのなら嬉しく思う。
合宿の結果、最高でも現状維持が精一杯のライスはともかく、ウララやキングだけじゃなくて同期や後輩、新人の担当ウマ娘達も各段にレベルアップしたと胸を張って言える。普通に練習するより何倍も効果があっただろう。
それとあわせて合宿に利用した場所からもこうして感謝の意を伝えてもらえるのなら、今年の合宿は大成功だったと言えるだろう。
「感謝ッ! 思わぬ形でトレセン学園の名前が売れたっ! 今回の件に関してはURAからも肯定的な話が届いているっ!」
「来年以降の合宿に関しては、開催地をどうするかで頭を悩ませそうですけどね。他の自治体からも来年は是非うちで、なんて話が既に何件か来ていまして……」
それは喜んで良い……のかな? 話が大きすぎて俺には判断がつかないぞ。
「とりあえず、合宿に関しては参加したトレーナーやウマ娘が気にすることは何もない、ということです。面倒事はこちらで全て片付けますから。あとは……そうですね」
俺が首を傾げていると、たづなさんは意味深な笑みを浮かべる。
「合宿に参加したウマ娘達がこれからのレースでどんな結果を残すか……それによっては来年以降の合宿は形を変えていくことになるかと思います」
そう言って微笑むたづなさんに、俺は苦笑しながら頭を掻くのだった。
そして理事長室を退室した俺は、段ボールを抱えて歩きながらポツリと呟く。
「来年、か……」
ウララやキングはシニア級としてまだ走り続けていると思う。ライスも引退するほどの故障をしていなければドリームシリーズで走っているだろう。
でも仮に、今年度みたいに新入生のウマ娘のスカウトや育成が上手くいかなかったら俺はどうしているんだろうな、なんて。
(いや、まだまだ先のことだな)
俺はそう内心で呟いて、部室へと歩いていくのだった。
秋……正確に言えば、9月以降になると芝のレースは重賞が増える。クラシック級もシニア級もGⅡ、GⅢのレースが増えるし、ジュニア級でもGⅢのレースがいくつか開催される。オープン戦も含めると毎週のように何かしらのレースが開催されることとなり、トレセン学園でも誰がどのレースに出るのかで盛り上がるのだ。
俺は部室で仕事をしつつも、ふと、今後の予定に関して意識を飛ばした。
同期も後輩も、そのほとんどが重賞を狙って担当ウマ娘を出走させる予定である。
うちのチームはGⅠ狙い……というか、ウララは出られるダートのレースがほぼオープン戦しかない。一応9月後半にGⅢのシリウスステークスがあるけど、それ以外は11月前半のJBCシリーズまでオープン戦しかないのだ。
調整のためにシリウスステークスかオープン戦に出しても良いけど、逆に言えば調整以上の意味合いがない。合宿で毎日のように模擬レースをしていたし、レース勘は鈍るどころか磨かれている。
合宿で鍛えに鍛えたからか、成長が鈍化していたウララは以前のように成長が強く実感できるようになっていた。ただし、以前のようにといっても育て始めた頃のように鍛えれば鍛えただけグングン成長する、なんてことはない。
ウマ娘としては一般的な成長速度に収まっているが……限界だと思っていたところから更に伸びているのだ。そして今も成長を続けている。
(ウララのことだから全力で走るだろうな……全力を出すだけならともかく、誤って限界を超えたら……)
ウララの成長は嬉しいが、今のウララは少々不安定な状態だ。昨日より今日、今日より明日の方が強く成長している。レースで手を抜いて走れ、なんて言えないし、ウララもその辺りの加減は上手くない。
調整目的でレースに出したら故障して、本命のGⅠレースに出られませんでした、なんてことになったら目も当てられない。これで収得賞金が足りないとか、そのレースに勝たなければGⅠレースに出られない、なんて条件があれば出すんだけど……ウララは収得賞金も今もダートならトップクラスだしな。
しかし今年に入って2月後半のフェブラリーステークス、6月後半の帝王賞、そしてJBCシリーズに出すなら11月前半と、ウララの体にかかっている負担は大きくない。キングと比べれば蓄積している疲労も雲泥の差だろう。
もっとも、11月前半のJBCシリーズ、12月前半のチャンピオンズカップ、12月後半の東京大賞典、といった形で短期間で出走させ続ければ負担がかかるだろうから、このペースは故障を防ぐという意味では丁度良かった。
(チャンピオンズカップを飛ばせばもっと負担はかからないが……その辺りはウララと相談だな)
レースで勝ちたいのか、それとも
ウララは帝王賞でスマートファルコンに勝ったが、あの時のスマートファルコンは体の仕上がりこそ完璧だったが精神面での仕上がりはボロボロもいいところだった。勝ちは勝ち、しかし納得のいく勝利かというと微妙なところである。
そこまで考えた俺は、椅子の背もたれをギィ、と鳴らしながら苦笑する。
(納得のいく勝利を求める、ねぇ……本当に随分とまあ、遠くに来たもんだ)
どうやればウララを勝たせることができるのか、と頭を悩ませていた日々が嘘のようだ。だが、今の世代ならウララは間違いなく国内でトップクラスのダートウマ娘である。それは過信でも自惚れでもなく、客観的な事実だ。
しかしウララが今の世代で最強かと聞かれれば首を傾げざるを得ない。スマートファルコンというダート界を牽引する片割れが……あの子こそが最強だと断言するウマ娘ファンも多いだろう。
今のところ戦績は2勝3敗と負け越しているし、全力全開、本気のスマートファルコンに勝ったとは言えない状態だ。
だが、
ウララが今のスマートファルコンに勝ちたいと思っているかを確認して……いや、あの子にとってもスマートファルコンは特別だしな。問題は、どのレースで戦うかだ。
JBCスプリントの1200メートル、JBCレディスクラシックの1800メートル、JBCクラシックの2000メートル。あとはチャンピオンズカップの1800メートルに、東京大賞典の2000メートル。
JBCシリーズは同日の開催だから、今年中にGⅠでスマートファルコンとぶつかるチャンスは3回だ。JBCスプリントにスマートファルコンが出てくるとは思えないし、スマートファルコンが勝ったJBCレディスクラシックが直近のレースになるだろうか。
まあ、スマートファルコンのことだから、
(そしてあとはキングか……)
今のところGⅠ4勝で、捕らぬ狸の皮算用だけど秋のシニア三冠を獲れればGⅠ7勝とシンボリルドルフに並ぶ。今年中に追い越すならもう1勝、スプリンターズステークスに出しておきたいところだ。他のGⅠだと出走間隔が短すぎてさすがにきつい。もっとも、スプリンターズステークスに出すのも大概だが。
(9月後半にスプリンターズステークス、10月後半に秋の天皇賞、11月後半にジャパンカップ、12月後半に有馬記念……いくらGⅠがたくさん開催される時期といっても、限度があるよな)
まあ、去年のスプリンターズステークスの1200メートルから菊花賞の3000メートル、そこからマイルチャンピオンシップの1600メートルよりは楽かもしれないけど。
これから毎月GⅠに出走させたら、キングのファンに生卵ぶつけられても文句は言えん。でもキングが望むなら、怪我しない範疇で走らせてやりたいって気持ちもある。
「というわけでキング、スプリンターズステークスに出たいか?」
「出るわ」
で、放課後になって本人に聞いてみたら、即座に返答があった。しかも出たい、ではなく出る、である。
「それだとこれから毎月GⅠに出ることになるし、そんな無茶をしなくても来年もシニア級として走れるんだぞ?」
「本当かしら? URAから要請があって、来年になったらドリームシリーズに出ることになった……なんて可能性もあるわよ?」
「それは……まあ、ないとは言わんけど……」
キングは中等部で、今年シニア級になったばかりだ。怪我をしなければあと3年は走れるだろう。
キングは全距離走れて既に全距離のGⅠを制している。そんなキングが来年以降、3年間もシニア級のレースに出続けたらどうなるか。
(同時期に開催されるGⅠレースを除くと、キングが出られるGⅠレースは……年に10回ぐらいか。これから1年にGⅠ1勝ずつ挙げても7勝には届くよな……)
実際は開催期間が近いレースを回避するだろうから、
そしてまあ、キングの実力を客観的に見て考えた場合、3年間シニア級として活動し続けることは可能なんだろうか?
シンボリルドルフのGⅠ7勝は今でも伝説として語られているような状態だ。しかしキングならGⅠ7勝どころか二桁勝利も可能だろう。
(キングの言う通り、来年になったらURAから何かしら
最初の頃は良いかもしれない。だが、仮にキングがGⅠで勝ち続けた場合何かしら言われそうだ。もちろんキングが勝ち続けることができるのかっていう問題があるけど、この子頑丈だし、今からが最盛期ではあるけど限界はまだまだ先だ。
来年以降、黄金世代以上にとんでもなく強いウマ娘が現れてキングが勝てなくなるって可能性もあるけど……。
(来年だとナリタブライアン、再来年だとダイワスカーレットやウオッカ、それとテイエムオペラオーか……)
しかしキングは全距離出られるし、GⅠの勝利数を稼ぐだけなら話は簡単だ。強力なライバルが出てこないGⅠレースに出れば良い。
ただしこれはキングの性格的に拒否反応が強いだろう。俺もレースに出すなら強いウマ娘と競わせたい。それでも強い相手が必ず出てくるとは限らないのがレースなわけで。
(あれ……本当に来年もシニア級として走れるか? 大丈夫かこれ……一定以上の実績を出したらその時点で次の年からはドリームシリーズに進む、なんてURAから言われたらどうすんべ……)
先人が遺した偉大な記録を更新されないように運営側が手を打つ……なんてことをURAがするとは思いたくないけど、絶対はないのだ。
それも踏まえて考える。キングをスプリンターズステークスに出し、そこから秋のシニア三冠に出した場合どれだけ負担がかかるか。
(夏の合宿でも鍛えまくったし、スタミナは以前以上についた。体の頑丈さは折り紙付き。というか突発的な事故以外でこの子に怪我なんてさせねえし……問題は疲労か)
チームカノープスは一ヶ月に2回出走、なんてことをよくやっているけど、アレはカノープスの先輩が上手いことウマ娘の疲労を抜いているからだ。あと、カノープスのメンバーが頑丈っていうのもあるだろう。それでもたまに故障して療養しているから、上手く疲労を抜けば大丈夫ってわけでもない。
だから、俺としてはキングが挑みたいというのなら全力でサポートするけど、不安は不安っていう微妙な感じだ。もちろん露骨に表には出さないけど。
しかしキングはそんな俺の表情に何を思ったのか、柔らかく微笑みを浮かべる。
「あなたが心配してくれるのは嬉しいわ。でも、挑戦してみたいのよ。ルドルフ会長はクラシック級でGⅠ4勝、シニア級でGⅠ3勝を挙げたわ。それを超えて、あなたのキングこそが最高のウマ娘だって証明したいのよ」
「キング……」
シンボリルドルフのGⅠ7勝はキングが言った通り、クラシック級で4勝、シニア級で3勝した結果だ。しかもシニア級1年目で3勝している。シニア級2年目以降は一度海外挑戦をして7人中6着っていう結果で戻ってきた。
キングなら年数をかければシンボリルドルフのGⅠ7勝を超えられると俺は信じている。だが、キングがシンボリルドルフを
「そう、だな……そうだよな……挑むか」
「ええ」
俺の返答に、キングは満足そうに頷いた。
そして9月後半。
キングは2年連続となるスプリンターズステークスに挑み、見事に勝利してGⅠ5勝目を挙げるのだった。