リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
11月前半に行われるJBCシリーズ。
去年と同様に平日水曜日に開催されるダートのGⅠレース3連戦だが、レースが開催されるよりも先に大きな話題が生まれていた。
「トレーナーさん、一応……ええ、一応ですけど確認させてください。ハルウララさん、スマートファルコンさん、スレーインさんの間で出走レースに関して何かしらの
それは現在のダート界でトップ争いをしているウララとスマートファルコン、そしてそんな二人に次ぐ実力者だと見られているスレーインが、それぞれ違うレースに出走するということだ。
ウララがJBCレディスクラシック。
スマートファルコンがJBCスプリント。
スレーインがJBCクラシック。
これをウマ娘に関してそこまで詳しくない者が聞けば、何が問題なのかと首を傾げるだろう。でも、こうしてレース前日に朝からたづなさんに呼び出されて質問を受けるぐらいには問題だったりするのだ。
「そういったものは一切ないです……というか、こちらとしても予定外のことでして……」
「そうですよね……トレーナーさんやハルウララさんがそういったことをするとは思えませんが、立場上確認しないわけにもいきませんから」
そう言って苦笑するたづなさん。
スレーインが中距離のJBCクラシックに出走することに関しては、まあ、問題はないだろう。これまで何度も中距離ダートのGⅠに出ているし、3着にもなっている。
だけど去年JBCスプリントで勝ったウララがJBCレディスクラシックに、去年JBCレディスクラシックで勝ったスマートファルコンがJBCスプリントに出るというのがちょっとした問題になっていた。
ウララは今でこそマイルや中距離も走れるようになったが、元々はスプリンターである。短距離以外スタミナがもたない……短距離でもかなり怪しかったが、一番向いている距離は短距離だ。
スマートファルコンは短距離から中距離まで走れるものの、短距離、マイル、中距離の3つを比べると短距離が一番苦手だったりする。
つまりスマートファルコンが短距離のJBCスプリントに挑むのは距離適性から見てもおかしいし、短距離が一番得意なウララがマイルのJBCレディスクラシックに挑むのはおかしい、なんて話が出ているのだ。
去年に続いて2連覇を狙うより、お互いに意識しているライバルと戦おうと相手の土俵に乗り込んだら誰もいなかった……そんなすれ違いが起きたなんて考えるのは、ウララ達の関係性をよく知っている者ぐらいだ。
ちなみに俺の同期は事の経緯を聞いて爆笑していた。桐生院さんを除き、言葉の意味通り爆笑していた。でも桐生院さんも堪えきれなかったようにちょっとだけフフッて笑っていた。
「ウララがスマートファルコンと勝負したいって言うんで、向こうの土俵に上がったつもりだったんですけどね……まさかスマートファルコンも同じことを考えるとは思いませんでしたよ」
スマートファルコンが比較的苦手な短距離で勝負を挑もうとするなんて、考えの埒外だったわ。つまりスマートファルコンの中でウララがそれだけ比重を占めているってことかもしれんが……肩透かしを食らった感じが否めない。
「昨日、JBCの3レースに関して出走表が発表されてからトレセン学園にも問い合わせが続いていまして。一部の記者からは八百長ではないか、と」
「八百長するぐらいならウララは一番向いてる距離のJBCスプリントに出しますよ……」
確実に勝てるとは言わないが、ウララが一番勝ちやすいのは短距離だ。それも2連覇がかかっているのにわざわざ避けて八百長やる理由が俺にはわかりません……いや、あるいはウマドルとして目立つことに腐心するスマートファルコンならこのすれ違いすら読んで、ウララとの対決がよりいっそう盛り上がるように仕向けた可能性も……ないか。
そうしてたづなさんに説明を行った俺は、明日のレースに思いを馳せながら部室へと向かうのだった。
そして訪れたJBCシリーズ当日。
去年出走したJBCスプリントと違ってJBCレディスクラシックは第8レース、出走時刻は16時30分になるため少し早めに準備をしてから大井レース場へと向かう。
ウララは夕方からレースがあるということで去年と同じく朝から公休扱いで授業を休み、ライスとキングもチームメイトの応援ということで公休扱いで午後から授業を休んだ。
スマートファルコンと一緒のレースではないと知ったウララは少しだけ落ち込んだものの、持ち前のポジティブさを発揮して精神的にも持ち直している。体の仕上がりもばっちりで、今日のレースに向けて意気込みは十分だった。
そう……ウララは大丈夫だった。
「ウララちゃん……」
大井レース場に到着したら、なんか暗い目をしたスマートファルコンに遭遇した。あ、遭遇したって言い方は感じが悪いな……って、これ去年も同じこと思った気がする。
「ふふふ……ファル子、馬鹿みたいだよね……ウララちゃんに勝ちたいって思ったのに、ウララちゃんが出ないレースに出るなんて……ふふふ……」
そう言って俯くスマートファルコン。ちょっとそこで後方他人面しているトレーナーさん、この子大丈夫? え? これで平常運転なの……そうなの……。
「ファル子ちゃん……」
そんなスマートファルコンの様子に、さすがのウララもたじたじだ……なんてことはなかった。
ウララはぱっと笑顔になると、スマートファルコンの手を取って両手で包み込む。
「ファル子ちゃん、わたしと戦いたいって思ってくれたんだよね? わたしもそうなの。だからいっしょだね!」
おそろいだね、と笑顔で言い放つウララ。それを聞いたスマートファルコンはそれまでの暗い顔が嘘のように、急速に表情を明るいものへと変える。
「ウララちゃんっ!」
そして感極まったようにウララに抱き着くスマートファルコン。本当に大丈夫なんだろうか、なんて思ってしまう俺は心が汚れているのかもしれない。
「ふふっ☆ 元気出ちゃった☆」
ウララに抱き着いたスマートファルコンはしばらくそうしていたが、やがて顔を上げて笑顔でそう言う。蕩けるようなその笑顔は気合い十分……これ気合いで良いのかな? とにかく精神的に充実した様子だった。
「よし」
スマートファルコンのトレーナーが呟く。いや、『よし』で済ませて良いんですかね?
ウララに抱き着くスマートファルコンの様子を観察してみると、今日も今日とて肉体の仕上がりはバッチリといった感じだ。つまり、あとは精神面さえ持ち直せば大丈夫だとスマートファルコンのトレーナーも思ったのだろう。
ライバルの存在で精神を持ち直す――そう言えば聞こえは良い気がするけど、それはどうなんだろうか……まあ、俺もウララセラピーで癒される身だし、スマートファルコンのことは強く言えんか。
「それじゃあウララちゃん、ファル子、ウララちゃんを応援してるからね?」
「うんっ! ありがとうファル子ちゃん! わたしもね、ファル子ちゃんを応援してるからねっ!」
笑顔でウララを応援するスマートファルコンと、そんなスマートファルコンを笑顔で応援するウララ。二人とも笑顔だけど、笑顔の種類が違って見えたのは……きっと、俺の目の錯覚なんだろう。
「…………」
笑顔を向け合うウララとスマートファルコンのその向こうで、たまたま通りがかったスレーインが二人の様子を見てこめかみに血管が浮き出てそうな笑顔を浮かべたのが見えたけど……それもきっと錯覚だ。
ウララが挑むJBCレディスクラシック。距離は1800メートルだが、今のウララにとっては特に問題ない距離だ。
そして、
『ハルウララが抜け出した! ハルウララ強い! どんどん差をつけていく! 残り200! いや100! その間に差が広がって――ゴール!』
『鎧袖一触って感じですねぇ……出走人数が少ないのも原因ではありますが、やはりこの子は強いですよ』
特に波乱もなく、ウララが勝った。しかしそれはなんというか、ウララの実力から考えれば当然だったかもしれない。
スマートファルコンやスレーインといったライバルがおらず、ミニデイジーやハートシーザーといった何度もレースでぶつかり合ってきたウマ娘もおらず、その上で出走人数が9人とGⅠレースとは思えない人数だったのだ。
多分だけど、スマートファルコンが出てくると判断した陣営が多かったのだろう。そしてJBCスプリントにはウララが出てくると判断した陣営が多かったのか、JBCスプリントも出走ウマ娘が9人である。
JBCスプリントもJBCレディスクラシックもJBCクラシックも、フルゲートなら16人での出走だ。それだというのにJBCレディスクラシックもJBCスプリントもフルゲートどころか二桁人数に届かず、JBCクラシックは出走登録したウマ娘が多すぎて抽選漏れした子が大量に出てしまったらしい。
スレーインやミニデイジー、ハートシーザーなどは出走するようだが、抽選で出られなかったウマ娘が何人になるのやら、といった感じだ。
JBCスプリントに出てもウララが勝ち、JBCレディスクラシックに出てもスマートファルコンが勝つ……そう判断したのかもしれない。
しかしウララとスマートファルコンは出るレースが逆だし、二人が出ないと判断したJBCクラシックがフルゲートどころか溢れる結果となったわけである。
ダートはGⅠどころかGⅡ、GⅢ含めた重賞自体が少ない。そのため重賞のレースはほとんどいつもフルゲートだが、今日は
ウララとスマートファルコンが出そうなレースを避けた結果、大渋滞を起こして出られなかった子が増えた、と……。
(俺やウララが何か問題のある行動をしたわけじゃないし、気にする必要もないんだろうけど……うーむ……)
ライバルと戦おうと思って出走レースを決めたら、相手も同じことを考えてすれ違いました……そう言って信じてもらえるかなって……いやうん、誰に信じてもらうのって話だけどさ。
「順当な結果といったところかしら?」
「ウララちゃん、最後の直線で5バ身差をつけたもんね……」
レースを見ていたキングが呟き、ライスが同意するように苦笑を浮かべる。
勝ちタイムはレコードにも届いていないし、走り終えたウララは息を整えながらも笑顔で観客達に手を振っている。いや、手を振っているというか、その場で両手を突き上げてぴょんぴょんと跳ねている。
そして何かを思い出したかのようにハッとした顔になると、胸を張って四本指を立てた右手を空に向かって突き上げた。
(うん……マイルなら余裕をもって走り切れるな。まあ、1800メートルだから割とギリギリだけど……)
走り終えたばかりだというのに笑顔で飛び跳ねているウララの姿に、俺はそんなことを考える。夏の合宿でスタミナがついたおかげか、以前と比べると走りが力強くなったし最後の最後まできちんとスタミナがもつようになった。
(あとはスマートファルコンと当たる時にどうなるか、だな)
スレーインも侮れないけど、やっぱり一番の警戒対象はスマートファルコンだ。最近、あの子の情動が理解できなさ過ぎて余計に怖いってのもある。
だけどまあ、実際にレースでぶつかってみなければわからないだろう。そして、ウララならきっと勝ってくれると信じている。
「今回は1着おめでとうございます。それはそれとして、何故JBCスプリントではなくJBCレディスクラシックに出場されたのですか?」
「去年勝利したJBCスプリントではなく、わざわざJBCレディスクラシックに出たのは何故ですか?」
「JBCスプリントの2連覇よりも大切なものがあったんですか?」
でまあ、なんだ……ウララの勝利後、勝利者インタビューを受けていたら全然めでたくない感じの質問ラッシュに襲われている俺である。
さっさと美味しいネタを吐いてくれよ、失言してくれよ、みたいなオーラを感じるけど、せめてそういうのは隠してほしい。あるいは乙名史さんみたいに突き抜けてくれるとこちらとしても逆に付き合いやすいんだが。
ウイニングライブの準備をしているウララじゃなくて担当トレーナーの俺に聞きに来たあたり、最低限の礼儀は弁えている……って、多分ウララに聞いても答えが返ってこないと思っただけかもしれんね。
「まだ勝ったことがないレースに出るのがそんなに不思議ですか?」
それでも尋ねられたからと素直に答えるかどうかは時と場合と相手次第である。
これで乙名史さんが相手なら、スマートファルコンに挑もうとしたら向こうも同じことを考えてて、物の見事にすれ違いましたってゲロるんだけど……どうにもゴシップ記者っぽいからテキトーに流しとこう。
ちなみにスマートファルコンに挑もうとしたら向こうも同じことを考えてて、なんて言った場合、乙名史さんはライバル同士のすれ違いですねっ! って白目剥きながら大喜びしてくれる。
しかしこれがゴシップ記者の場合、スマートファルコンの名前を出すと面倒な記事を書いたりするのだ。ウララがスマートファルコンから逃げてJBCレディスクラシックに出た、とか、逆にスマートファルコンがウララから逃げてJBCスプリントに出たとか。
事実はどうでもよく、とりあえず見た者の興味を惹きそうでなおかつ可能性としてはゼロじゃない、なんて記事を仕上げてくれるのである。スマートファルコンに挑もうとしたら、とか言ったが最後、じゃあスマートファルコンが逃げたんですね、なんてことを言い出しかねないのだ。
そのため俺は軽くすっとぼけてウララのウイニングライブがあるから、と逃げ出す。ちなみにライスとキングはウララの方についてもらっているから、記者が来ても安心だ。何かあればキングが蹴散らしてくれるだろう。
というかライスとキングは2人合わせてGⅠ12勝、ウララも合わせりゃ3人でGⅠ16勝と発言に対する影響力もとんでもない。記者も迂闊なことは尋ねないだろう。精々、ウララに今日のレースはどうでしたか、みたいな質問をするぐらいだと思う。
そうやって俺は逃げ出し、ウララのウイニングライブを見届け、せっかくだからと次のレースであるJBCスプリントも見ていくことにした。ウララ達も一緒である。
そしてJBCスプリントではこちらも順当に、というべきか、スマートファルコンが2着に3バ身差をつけて勝利した。
これでスマートファルコンもウララと同じでダートのGⅠ4勝である。それ自体は素直に喜んで良いんだろうが……。
「ファル子、次はチャンピオンズカップに出て、年末の東京大賞典にも出るねっ☆」
トレーナーに絡む記者を自分から捕まえに言って、そんな宣言をするスマートファルコン。ただ、ちょっとやけくそ気味に見えるのは気のせいだろうか。
1着おめでとう、なんて声をかけるか、あるいは周囲の目があるからやめておこうか、なんて考えていたらスマートファルコンがニッコリ笑顔で出走レースの宣言をしたのだ。
(スマートファルコンはチャンピオンズカップと東京大賞典の両方に出るつもりなのか……そっか……)
聞く気はなかったが、記者の前での宣言である。ゴシップ記者だろうと普通の記者だろうと、喜んで記事にするだろう。
だけど、記者向けのサービスというより、ウララがどちらに出ても対戦できるようにという意思表示なのかもしれない。
(挑むなら1800メートルのチャンピオンズカップだが……)
チャンピオンズカップは12月前半、東京大賞典は12月後半に行われる。より正確に言うなら、チャンピオンズカップは12月の第一日曜日、そして東京大賞典は12月29日に開催されるのだ。
つまり、チャンピオンズカップまで今から1ヶ月近い期間があり、チャンピオンズカップから東京大賞典までは3週間近い期間がある。これでチャンピオンズカップの翌週に東京大賞典がある、なんて状態ならどちらか片方だけ出走させるんだが……。
(3週間あればレースの疲労も抜ける……問題はウララが走りたいか、か)
3週間近い期間があるというのが曲者だ。それだけの期間があればレースで溜まった疲労も抜ける。故障の可能性も低いから挑もうと思えば挑めるわけだ。
言って聞かせれば、ウララも納得してくれるとは思う。だが、
スマートファルコンのトレーナーはといえば、言いたいことだけ言ってウイニングライブの準備に向かったスマートファルコンの背中を見送り、笑顔で頷く。
「というわけで、ファル子の次のレースはチャンピオンズカップ。そこで2連覇を狙います。更に年末の東京大賞典にも出ます」
(マジか……止めないどころか背中を押すのか……)
いや、スマートファルコンのトレーナーが施すトレーニングは毎回完璧だし、スマートファルコンが大きな故障をしたとも聞かない。つまり、1ヶ月の間にGⅠレースに2回出走しても問題ないと思っているのだろう。あるいは、問題ないように仕上げる自信があるのか。
(……ウララと相談して決めるか)
相談した結果、今回みたいなすれ違いを招いてしまったわけだが……スマートファルコンがチャンピオンズカップと東京大賞典に出るというのなら、どちらに出るか、あるいは両方出るか。
両方出ないなんて選択肢はないだろう。問題は、ウララがどうしたいかだ。
それでも、ウララがどんな答えを返すかは確信できるが。
そしてその後。
JBCクラシックに出走したスレーインが見事1着となり初のGⅠ勝利を飾ったのだが、勝利者インタビューでこちらもチャンピオンズカップと東京大賞典に出走すると宣言し、世間を大いに賑わせたのだった。