リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第123話:新人トレーナー、キングとジャパンカップに挑む その1

 ジャパンカップの開催日が近付きつつある、とある日のこと。

 

 世間でもジャパンカップに対する関心が日毎に膨らみつつあるのをテレビやラジオ、インターネットや雑誌や新聞なんかで感じ取れる。そんな中、一つのニュースが飛び込んできた。

 

 ――凱旋門賞ウマ娘のブロワイエ、渡日する。

 

 フランスの空港から出発したブロワイエが日本の羽田空港に到着するってことで、ニュース番組の多くが生中継に切り替えて報道を始めたのだ。そのため俺も仕事を中断してコーヒーを淹れ、テレビの前に陣取る。

 

 ジャパンカップの人気もそうだけど、凱旋門賞ウマ娘が日本に来るってだけでウマ娘ファンは大興奮だ。生中継だし、多分、今頃大急ぎで羽田空港に向かっているウマ娘ファンも多いはずだ。交通網で事故が起きなきゃ良いけど……。

 

 ちなみに日本に来る前の事前インタビューでは、日本の芝に慣れるために早めに渡日するって話だった。

 

 日本と外国の芝のコースを比べた場合、外国のウマ娘からはよく『芝が硬い』なんて言われるそうだ。これは日本の芝と外国の芝……ブロワイエがよく走っているロンシャンレース場の芝とは根の張り方の違いが影響してそう感じるらしい。

 

 現地に行ったことはないが、逆に日本のウマ娘がロンシャンレース場に行くと『芝が深い』なんて感想が出てくるらしい。実際は日本の芝の方が背が高いらしいけど、根の張り方が違うからそう感じるようだ。

 

 ブロワイエは事前に日本に来て、十日ほどではあるが芝の感覚に慣れてからジャパンカップに挑むつもりらしい。つまりできることは全部やって、全力で勝ちに来るってことだ。

 

 そんなブロワイエに対して、キングもトレーニングは順調で調子は絶好調である。普段からキングは自己管理がバッチリだし、触診しても異常はない。日々のトレーニングがキングの体に与える負荷は許容範囲で、かつギリギリのラインまで追い込んで鍛えている。

 

 キングは元々トレーニングやレースに対する貪欲さがすごかったけど、最近はその傾向がより顕著になっている。GⅠをあと1勝すればシンボリルドルフに並び、2勝すればシンボリルドルフを超えるのだ。

 

 シンボリルドルフだけでなく、現時点でGⅠの勝利数はライスに並んでいる。GⅠであと1勝すればライスを超えるわけだが……でもライスは色々と偉業を達成しているし、超えたかと言われるとちょっと困る。

 

 ライスはGⅠ6勝、長距離GⅠ制覇、春秋天皇賞制覇、秋のシニア三冠、有記念2連覇。

 

 キングは現状でGⅠ6勝、春秋天皇賞制覇、全距離GⅠ制覇。

 

 こうして並べてみると……うん、ライスの方が実績ではまだ上かな? キングが達成した全距離GⅠ制覇はそれだけでライスを超えている気がしないでもないけど、この辺りは個人の感覚次第かな?

 しかしキングがシンボリルドルフに並ぶGⅠ7勝、シンボリルドルフを超えるGⅠ8勝以上を挙げたらどんな評価になるのやら。

 

 でも、来年もシニア級で走れるのならいずれは達成できる気もする。それこそキングが大怪我でもして長期療養にでも入らない限り、今年中に達成できなくても来年にはシンボリルドルフの記録を超えられるだろう、とも思う。

 

 ただまあ、キングが言っていたように、()()を見越して来年になったらURAからシニア級を引退するよう勧告が来て、ドリームシリーズに進む可能性もあるけど……その場合、海外のGⅠレースに殴り込んでも良いのだ。

 

 いっそのこと凱旋門賞を獲りにいくのも面白いかもな、なんて思う。何故なら、今年凱旋門賞で勝ったブロワイエとジャパンカップで競うのだ。どの程度通用するかで海外レースへの展望も拓ける。

 

『先ほどブロワイエさんが乗っている飛行機が羽田空港に到着したとのことです! もうじきブロワイエさんが姿を見せると思いますが……あっ! ブロワイエさんです!』

 

 そうやって考え事をしていると、件のウマ娘、ブロワイエがテレビに映った。それと同時に大量のフラッシュが焚かれてテレビ画面が激しく明滅する……うーん、目に悪い。

 

 俺はそっと視線を逸らしてコーヒーを飲むと、フラッシュが落ち着いたタイミングでテレビ画面へ再び視線を向けた。

 

 テレビに映ったブロワイエは私服姿だが、身長(タッパ)もあるしプロポーションも良いしでモデルみたいだ。ウマ娘は総じて美人だし、カメラや記者を前にしても堂々と胸を張り、薄く笑顔すら浮かべてみせるその姿にはたしかな強者の風格があった。

 

「うーん……もっと足を映してくれよ……」

 

 俺はチャンネルを変えまくるけど、ブロワイエの足回りをしっかりと映しているテレビ局が存在しない。全体像だったりバストアップでブロワイエを映していたりで、足がしっかりと見れない。テレビ画面越しだと筋肉の発達もそこまでわからないけど、画質が良いから参考にはなるんだが……。

 

 しゃあない、体全体を映している映像で我慢しよう。姿勢をチェックして……うーん、良い姿勢ですねぇ。夏の時期ならもっと薄着だから体形から色々読み取れるんだけど、少しだぼついた長袖の服を着ているから得られる情報が少ない。

 

(……トレーニングしているところを公開するようなら、一度見に行ってみるかな?)

 

 俺は記者に対して割合丁寧に対応しているブロワイエを見ながら、そんなことを思う。

 

 サービス精神が旺盛というか、大量のカメラや記者に囲まれるのを当然のことと考えているというか……身体能力もそうだけど、メンタル面も相当タフそうだ。

 

『ブロワイエさん、ジャパンカップでの目標をお聞かせください!』

 

 俺がテレビ越しにブロワイエを観察していると、記者の一人がそんなことを尋ねる。ブロワイエは傍にいた通訳の女性といくつか言葉を交わすと、通訳の女性が答えた。

 

『以前のインタビューでもお答えした通り、キングと呼ばれるウマ娘に勝ちに来ました。ジャパンカップの冠は()()()()()、だそうです』

 

 通訳の女性の言葉に、記者達からざわっとした声が漏れる。ジャパンカップで勝つことがついで扱いで、それ以上にキングへの勝利に重きを置いているというから当然だ。

 

『日本のレースはよく見ていますが、今のシニア級で最強のウマ娘は彼女でしょう? 海外のレースには出ていないとはいえ、日本国内でGⅠ6勝を挙げている『世代のキング』を倒してフランスに凱旋したい、とのことです』

 

 通訳の人がどれぐらいアドリブを利かせているかはわからないけど、ブロワイエの方は自信満々といった様子である。そんなブロワイエの態度に引っかかるものがあったのか、記者の一人が勢い込んで質問を飛ばす。

 

『『世代のキング』を倒すと仰いますが、キングヘイローはシニア級です。クラシック級のブロワイエさんよりも一年長くトレーニングを積んでいるわけですが、それでも勝てる自信があるのですか?』

 

 あっ、と俺は思った。質問した記者がキングを贔屓してくれているのか、あるいは日本のウマ娘が侮られてムッとしたのかはわからないけど、その質問は悪手だろう。

 

 通訳から質問内容を聞いたブロワイエはおかしそうに笑い、通訳に言葉を伝える。すると通訳は困ったように眉を寄せると、苦笑しながら答えた。

 

『えー……私は既に日本のシニア級で活躍していたコンドルよりも高く飛んでみせたわけだが、それでも勝てないと思うのか? とのことです』

 

 コンドル……エルコンドルパサーに勝ったことを言っているのだろう。その返答に記者は口を閉ざすと、悔しそうに引き下がった。

 

 日本のGⅠウマ娘であり、海外のGⅠでも勝ったエルコンドルパサーは間違いなく日本のシニア級のウマ娘の中でもトップクラスの実力者だ。そんなエルコンドルパサーを下した以上、クラシック級のブロワイエがシニア級のキングに勝てない道理はないだろう。

 

(うーん……良い度胸だ。海外のウマ娘はみんなこんなに鼻っ柱が強いのか、それともこの子がひと際強いのか……)

 

 この子いいなぁ、なんて俺は思う。この負けん気の強さは一つの才能だ。いや、自分の実力に対する自負がそうさせているのかもしれない。アウェーに乗り込んで、空港に到着して早々にこの返答ができるのは大したもんだ。

 

 実力があり、自負があり、度胸があり、アウェーに乗り込む精神力もある。エルコンドルパサーに勝って凱旋門賞で勝った以上、トレーニングもきちんとこなすタイプだろう。才能頼りのウマ娘ならエルコンドルパサーには到底勝てないだろうしな。

 

(海外にはこんなウマ娘がゴロゴロ転がっていたり……は、さすがにしないか)

 

 海外のウマ娘の中でもトップクラスの実力と精神性を持つであろうブロワイエと、キングが競い合う。トレーナーとしてはなんとも燃える話だ、と俺は思った。

 

『では、キングヘイロー以外に注目しているウマ娘はいますか? 日本のシニア級には『黄金世代』と呼ばれるウマ娘が複数いますが……』

 

 他の記者が新たな質問をすると、通訳から内容を聞いたブロワイエは外国人らしい大仰な仕草で肩を竦めてみせる。

 

『一緒に走ることはないでしょうが、サウジカップで2着になったスマートファルコン、それとハルウララに注目している、とのことです』

 

 おっと、芝のレースではキング以外に興味はありませんよって宣言かな? もしくはウララもスマートファルコンも今のシニア級ではトップクラスのGⅠ4勝を挙げているからか……というかそうか、キングがGⅠ6勝でトップだけど、ウララとスマートファルコンがGⅠ勝利数で2番目なのか。

 

 そう考えると、ブロワイエは自分よりもGⅠで勝っているウマ娘の名前を挙げただけとも取れる。問題は、それを聞いた記者がどんな風に捉えてどんな記事やニュースにするか、だが。

 

(もしかすると、ジャパンカップを盛り上げるためって可能性もあるんだよな……いやうん、これ以上盛り上げられたら、東京レース場周辺がとんでもないことになりそうだけど)

 

 はたしてどれだけのウマ娘ファンが東京レース場へ集まるのやら、と俺は思うのだった。

 

 

 

 

 

 そして迎えたジャパンカップ当日。

 

 予想通りというべきか、東京レース場周辺はとんでもないことになっていた。

 

 人、人、人、たまにウマ娘といった具合で大量の……いやもう大量って言葉が陳腐に思えるぐらいの人が押し寄せている。

 

 公共交通機関はどうせ無理だろうなってことで車で来たものの、歩道は人で埋まっている。ただし車道には人っ子一人はみ出しておらず、きっちりと列を作って東京レース場へと進んでいるようだ。

 

 車道にはみ出して事故でも起きて、レースに出走するウマ娘が遅れたらとんでもないことだから……なんて理由らしい。

 

 たしかに車で人を撥ねでもしたら、その車に乗っていたウマ娘はレースに出られないだろう。担当トレーナーが事後処理で拘束されたら、ウマ娘はレース場での手続きができないからだ。

 

 そういうのが怖いから公共交通機関を使う方が安全なんだけど、電車やバスを使って何かあった時に困る。というか今日、キングを連れて電車に乗ったらとんでもないことになるだろう。

 

 だから最近のトレーナーとウマ娘はトレセン学園に近いレース場でレースが行われる場合、タクシーか、こうして運転免許を持っていればトレセン学園から車を借りて運転するかの二択だ。

 

 東京レース場へ入場できなかったウマ娘ファン達だが、車道に出ないだけじゃなく、関係者用の駐車場付近もきちんと空けている。

 

 何も知らない子どもが入り込めば近くにいた大人が説明して連れ出し、『お、ここ空いてんじゃん』と何も気にせず陣取ろうとする輩はURAが手配した警備員に連れて行かれるのだ。

 

 だからまあ、駐車場に車を停めて降りてみると、他のウマ娘とも鉢合わせることがあるわけで。

 

「Bonjour」

 

 駐車場に随分と豪華な車が停まってるな、なんて思ったらブロワイエが下りてきた。そしてこっちを見るなり笑顔で声をかけてくる。

 

「ボンジュール」

「ぼんじゅー!」

「ぼ、ぼんじゅーる?」

 

 やっぱり良いガタイしてるなぁ、なんて思いながら答える俺。ウララは笑顔で手を振り、ライスはこれで合ってる? と言わんばかりに首を傾げている。

 

「Bonjour」

 

 キングはキングで、笑顔で返す。ずいぶん発音綺麗ですね。

 

「King halo」

 

 ブロワイエはキングを見てその名を呼ぶ。しかしそこで何かに気付いたようにウララとライスを見て、キングに視線を戻し……バッと音が立ちそうな速度で再びウララとライスを見た。

 

「Rice Shower! Haru Urara!」

 

 ブロワイエは表情を輝かせながらウララとライスに歩み寄ると、右手を差し出す。ライスは困惑しながらも右手を握り、ウララはブロワイエが掲げた左手にハイタッチをした。

 

 そして一緒にいた通訳の女性にすごい巻き舌でペラペラペラーっと喋ると、通訳の女性が口を開く。

 

「ライスシャワーさん、ハルウララさんに会えて光栄だ。ライスシャワーさんとは同じレースで戦ってみたかったし、ハルウララさんの可愛らしい笑顔には癒される。それに走りもパワフルだ、と言っています」

 

 通訳の女性がそう言うと、ブロワイエはウララとライスに向かってウインクを飛ばす。しかしブロワイエは表情を真剣なものに変えると、キングをじっと見ながら何かしらの言葉を通訳に伝えた。

 

「素晴らしい仕上がりをしている。今日のレースで貴女と競うのを楽しみにしていた。今日は良いレースをしよう、とのことです」

 

 通訳の言葉を待ってから笑顔になり、キングに右手を差し出すブロワイエ。

 

 テレビで見た時と印象がだいぶ違うな、なんて思っていると、キングが右手を握るなりブロワイエが好戦的な笑みを浮かべる。

 

「カツノハ、ワタシダ」

 

 続いて、片言ながらキングに勝つと宣言するブロワイエ。ただし、そこに陰湿なものは感じない。キングを強敵だと認めた上で、それでも勝つのは自分だと言っているのだ。

 

「ソレジャ、イイレースニシマショ」

 

 キングと握手を交わしたブロワイエはふっと表情を崩して微笑むと、俺達に背を向けて歩き出す。今の日本語もこっちに来て一生懸命覚えたのかな、なんて思っていると、キングが口を開いた。

 

「Il ne faut pas vendre la peau de l'ours avant de l'avoir tué.」

 

 キングの言葉にブロワイエの足が止まった。しかし肩越しに振り返ってキングを見ると、楽しげに笑う。

 

「À cœur vaillant rien d'impossible.」

 

 そんな言葉を返して今度こそブロワイエが立ち去るが……ここは日本だぞ。せめて英語で喋ってくれ。

 

「キングちゃん、なんて言ったの?」

 

 ライスが不思議そうに尋ねると、キングは肩を竦めた。

 

「日本のことわざで言うなら、捕らぬ狸の皮算用ってやつよ」

「ふわぁ……キングちゃんすっごいねー! どこの言葉かわかんないけど!」

 

 ウララは笑顔でキングを褒め称える。するとキングは胸を張り、髪を軽く払って笑みを浮かべた。

 

「当然よ。キングは超一流のウマ娘ですもの。外国語の一つや二つ、話せるわ」

 

 自分で超一流のウマ娘と言っちゃったけど、たしかに実績を見れば超一流だから間違っていない。しかし、おふくろさんが海外で活躍したウマ娘だから、キングも外国語を覚えたんだろうか?

 

「それじゃあブロワイエが最後に言ったのは?」

 

 本当に理解できているのだろうか、あるいは伝えたいことだけ覚えていたのだろうか。そんな疑問を込めてキングに尋ねると、キングは苦笑を浮かべて言った。

 

「フランスのことわざね。()()()()()()()()()()()……私もそう思うわ」

 

 

 

 

 

 思わぬブロワイエとの邂逅だったが、東京レース場に入場してキングを控室に送った俺はウララやライスと一緒にパドックへと向かう。

 

 今回もパドックへの道が人でいっぱいだし、パドックも大勢のウマ娘ファンが詰めかけている。

 

 ウマ娘ファン達はそれぞれ今日のジャパンカップについて話題にしているようで、あちらこちらからキングやスペシャルウィーク、オグリキャップやブロワイエの名前が聞こえてくる。

 

「今日勝つのはやっぱりキングヘイローかな?」

「ブロワイエも強いからなぁ……」

「秋の天皇賞の走りを見ればわかる。今日勝つのはスペシャルウィークだろ」

「いやいや、オグリキャップだって」

 

 それぞれ応援しているウマ娘が違うのだろう。他にもナイスネイチャを推す声だったり、ミークを推す声だったり……オイシイパルフェを推す声もしっかりと存在するあたり、GⅠレースとなるとそれぞれにファンがついているんだなぁ、なんて思う。

 

 なんとかパドックの最前列へと移動した俺は、数分待つと始まったお披露目にしっかりと目を向ける。俺だけでなくスピカの先輩やカノープスの先輩、桐生院さんや同期の姿もパドックにはあった。

 

『4枠6番、オグリキャップ』

 

 ゲートインと違って番号順に出てきたオグリキャップを見た俺は、思わず唸るような声を漏らす。

 

(ううむ……良い仕上がりだな。秋の天皇賞の時もそうだったけど、気合いのノリもこれまでと全然違う……)

 

 以前はパドックやゲートイン前はぼーっと空を眺めていたようなオグリキャップだが、最近はどんな心境の変化があったのか、表情に覇気が満ち溢れている。

 

 ただしこのオグリキャップ、先週開催されたマイルチャンピオンシップにも出てるんだよな……繫靭帯炎から復帰した体だし、てっきりジャパンカップは回避すると思ったんだが……。

 

 ちなみにマイルチャンピオンシップは強力なライバルも出ておらず、余裕で1着を獲っている。その勢いに乗ってジャパンカップも獲ろうって考えなんだろうか?

 

『5枠7番、ハッピーミーク』

 

 続いてパドックに出てきたのはミークだ。仕上がりはバッチリ、調子も良好って感じである。さすがは桐生院さんだ。

 

『5枠8番、マチカネタンホイザ』

 

 続いて名前を呼ばれたのはマチカネタンホイザ……なんだが。

 

「あれ? マチカネタンホイザ出てこないな?」

「マチタンどしたん」

「順番間違えたとか?」

 

 名前を呼ばれたマチカネタンホイザだが、何故かパドックに姿を見せない。そしてそのまま数十秒経つと、アナウンスが流れる。

 

『5枠8番マチカネタンホイザ、アクシデント発生により順番を飛ばします』

 

 いきなりのその発表に、観客達がざわめく。俺は反射的にカノープスの先輩がいた場所を見るが……あれ? いない?

 

『7枠11番、ナイスネイチャ』

 

 ざわめきが収まらない中、今度はナイスネイチャが出てくる。しかししきりに後ろを振り返っており、心配そうに眉を寄せていた。

 

 俺はお立ち台に出てくるための通路を覗き込むように見てみるが……おかしいな、さっきまでパドックにいたカノープスの先輩の後ろ姿が見える。別人かな? マチカネタンホイザは更にその向こうかな?

 

『7枠12番、キングヘイロー』

 

 そうやって見ていると、キングがパドックに出てくる。少し背後を気にしている様子だったが、それでも堂々と胸を張って微笑みを浮かべていた。

 

「キングヘイローだ……」

「やっぱり貫禄あるよなぁ」

「今日勝てばシンボリルドルフに並ぶGⅠ7勝か……楽しみだなぁ」

 

 キングの姿を見てウマ娘ファン達が口々にそう言う。キングはその声が聞こえても揺らがず、こっちを見て……ん? 俺じゃなくてライスを見てるな。

 

 キングは挑むような目付きでライスを見つめている。そんなキングの視線にライスは苦笑を浮かべているが、キングは小さく口を開閉してライスへ己の意思を伝えた。

 

 勝つわ、だろうか。あるいは超えるわ、だろうか。勝てばシンボリルドルフに並ぶのもそうだが、GⅠの勝利数でライスを超える。キングとしてはその辺も意識しているのだろう。

 

『8枠13番、スペシャルウィーク』

 

 続いて出てきたのはスペシャルウィークだが……思わず、おお、という声が俺の口から漏れた。

 

(秋の天皇賞よりも更に仕上がってるな……こいつぁ強敵だ)

 

 肉体の仕上がり、調子、精神の状態。その全てが完璧に整えられているといっても過言ではないだろう。

 

 今日のスペシャルウィークには鬼気迫る雰囲気が宿っているが、それでいて己の激情をしっかりと抑え込んでいるようにも見えた。

 

 間違いなく強敵で、難敵だ。キングもそう思ったのか、お立ち台に立つスペシャルウィークをじっと見つめている。

 

『8枠14番、ブロワイエ』

 

 今年のジャパンカップは出走人数が14人である。そのためブロワイエは大外枠になったわけだが……外枠にキング、スペシャルウィーク、ブロワイエが固まっている。

 

 しかしブロワイエは大外枠など気にしていないのか、堂々とした様子で勝負服姿を晒す。その雰囲気はさすがの凱旋門賞ウマ娘といった感じで、ウマ娘ファンの中には口を開いた状態で固まった人すらいた。

 

 勝負服に着替えたブロワイエを見た感想としては、外国でのレースにもかかわらずきちんと仕上げてきたな、といった感じだ。

 

 気候風土、食事どころか水すら違うのだ。その割にブロワイエの調子は良好で、体の仕上がりも良いように見える。おそらくはキングと同じで自己管理がしっかりとしているタイプなんだろう。

 

『5枠8番、マチカネタンホイザ』

 

 そして最後に、先ほど順番を飛ばしたマチカネタンホイザが出てきた。マチカネタンホイザは口元……というか鼻と口を隠すように右手を当て、左手で恥ずかしそうに手を振っている。

 

 一体何があったのか、顔が真っ赤だ。それと俺の気のせいでなければ、勝負服のあちこちに血痕がついているような……。

 

 本当に大丈夫だろうか? なんて考えていると、マチカネタンホイザはパドックに降りることなく、そのままじりじりと後ろへと下がっていく。

 

 ウマ娘ファン達も口々にマチカネタンホイザを心配する声を漏らすが、それが聞こえたのかマチカネタンホイザは更に顔を赤くする。

 

 腑に落ちないものがあるが、こうして、俺にとって二度目となるジャパンカップの幕が上がるのだった。


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