リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第125話:新人トレーナー、握手をする

 ジャパンカップの翌日。

 

 昨晩は寝付けなかったため寝ることを諦めた俺は、普段利用しないコンビニでスポーツ新聞を買い漁ってからトレセン学園へと向かう。

 

「あー……今日もいるなぁ……」

 

 最近は通勤する際の道を変えても記者が待ち構えているため、面倒に思いながら迂回する。

 

 しかしどのルートを通っても記者が待ち構えているため、どうすんべ、と思っていたらトレセン学園の近所に住んでいる女性と目が合った。壁越えをする際によく挨拶をする人である。

 

 すると俺が困っていることに気付いたのか、苦笑しながら庭を通るように言ってくれた。そのため感謝の言葉を返し、お言葉に甘えさせてもらって庭を抜ける。そうすれば記者の背後を突くようにして道路に出られたため、あとはダッシュだ。

 

 いっそのこと車を買って、止めようとする記者を振り切るようにした方が良いかもしれん……あるいは単車で記者を避けて……って、寝不足だからか思考が怪しい。

 

 俺はトレセン学園の壁をひょいと乗り越え、その足で部室に向かう。時刻は七時半とだいぶ早いが……ま、いいか。家にいてもすることがない。

 

 そう思って部室に到着……と? あれ? キングがいる。

 

 朝早くだというのにしっかりと制服を着込み、部室の扉に背を預けたキングは口元に両手を当てて息を吐いている。12月が迫るこの時期の朝は吐く息が白く染まるぐらいには寒いため、待つのも寒くて大変だろうに。

 

 だけど、部室前で待つキングの姿には既視感があった。あれは宝塚記念で勝った翌日のことだったか。()()()は全距離のGⅠを制覇した実感が湧かなかった、なんて言ってたっけ。

 

 俺が近付くと、キングのウマ耳がピクピクと動いてから俺の方へと向き直る。

 

「おはよう、キング」

「おはよう、トレーナー」

 

 挨拶をして、俺は部室の鍵を開ける。するとキングは当然のように俺に続き、カバンを机に置くとその足をコーヒーメーカーへと向けた。どうやらコーヒーを淹れてくれるようだ。

 

「…………」

「…………」

 

 お互いに無言だが、嫌な沈黙ではない。俺は買ってきたスポーツ新聞を手に取ると、ソファーに座って読み始める。だけどさすがにキングの様子が気になって視線を向けると、キングも俺の方を見ていた。

 

「……今日も、正門以外から通勤したのかしら?」

「ああ……でもどのルートを通っても記者に捕まりそうでなぁ。ご近所の庭を通って来たよ」

「それって不法侵入じゃないの?」

「住んでる人がな、大変そうだしどうぞ通ってくださいって言ってくれたんだ。いつもトレセン学園の壁を乗り越える時に挨拶する人なんだけど……いやぁ、挨拶はしておくもんだなぁ」

 

 そう言って俺が肩を竦めると、キングは口元に手を当ててくすりと微笑む。

 

「もう……おばか。怪我しないよう注意するのよ?」

「そこは止めるべきじゃないかなぁ……」

 

 でも記者に捕まったら、昨日のレース結果について絶対質問攻めをくらうだろうしな。

 

 これで普通のインタビューなら答えるんだけど、昨日も『キングヘイローがスペシャルウィークに負けたことに関してご感想は?』とか聞いてくる記者もいるし……怒らせてどんな失言を引き出したいのやら。

 

 スペシャルウィークがキング以上に素晴らしい走りをした、とだけ答えておいたけども。

 

(うーん……新聞も一面は昨日のジャパンカップに関する記事ばっかりだな)

 

 GⅠレースがあった翌日は仕方ないとはいえ、紙面には様々な文字が躍っている。

 

『スペシャルウィーク、ジャパンカップで勝利!』

 

『スペシャルウィーク、キングヘイローの独走に待ったをかける!』

 

『スペシャルウィーク勝利! 次のレースは有記念か!?』

 

『スペシャルウィーク、『世代のキング』と凱旋門賞ウマ娘に勝つ!』

 

 これもいつものことだが、1着になったスペシャルウィークがゴールを通過する瞬間やゴール後、肩を貸したキングに支えられて観客に向かって拳を突き上げる姿やウイニングライブでの写真が掲載されている。

 

『キングヘイロー、無念の2着』

 

『『世代のキング』、GⅠ7勝目ならず』

 

『キングヘイロー、シンボリルドルフに並べず』

 

 そんな感じで、中にはキングが負けたことに関して一面で記事を掲載している新聞社もあった。ただし、批判するというよりキングが負けたことを残念がる論調である。

 

 そうやって新聞を読んでいると、コーヒーを淹れてくれたキングが俺の対面のソファーに腰を下ろした。俺はコーヒーを受け取り、一口飲んでほっと息を吐く。すると、それを見計らったようにキングが口を開いた。

 

「負けたわ」

「負けたな」

 

 悔しさ半分、清々しさ半分といった口調で呟くキングに言葉を返した俺だけど、俺は悔しさ7割、清々しさ3割ってところか。

 

 キングは万全で、調子も絶好調だった。だが、そんなキングをスペシャルウィークが超えていった。差はほんの僅かで、しかしたしかな差がもたらした敗北である。

 

 負けたことは悔しい。多分、今夜も眠れないし、明日の夜も眠れないかもしれない。だが、それはそれとして俺のキングに勝ったスペシャルウィークに対する称賛と敬意があった。

 

 驕っていたわけでも、油断していたわけでもない。全力で競って敗れたのだ。だからこそ清々しく――やっぱり、悔しい。

 

「最後の最後……競り合っている最中に、絶対に私に勝つんだ、なんて執念を感じたわ。あなたと出会って、GⅠで6勝して、私には絶対に勝つという執念が薄れていたのかしら?」

 

 対面に座るキングがそう言ってくるが、それは愚痴や弱音というよりも確認のように感じた。

 

「そういうわけじゃないだろうさ……ただ、気持ちの面でスペシャルウィークが君を上回った。そういうことなんだと思う」

 

 キングに限って、勝ちへの執念が薄れるということはないというのが俺の見立てだ。同時に、勝つことに慣れたってわけでもないと思う。

 

 本当にただ、スペシャルウィークの勝利への執念がキングを上回っただけで。その差が僅かであればある分だけ、悔しさが滲む。

 

 キングもそれを理解しているのだろう。テーブルに置いた新聞に目を向けながら、その整った顔立ちを悔しそうに歪めている。

 

 こういう時、ウララやライスが相手なら思う存分甘えさせるなり、励ますなりするのだが……相手はキングだ。そういった対応を望むこともあるけど、今日のキングが求めているのは違うことのように思える。

 

 それを示すように、キングは俺の隣ではなく対面に座ったのだ。勝った時にはそれとなく甘えてきて、負けた時は厳しく己を律する。

 

 そんなキングの姿に、俺は苦笑するようにして笑った。

 

「でもまあ、ある意味シンボリルドルフに並んだな」

「と、いうと?」

 

 キングが不思議そうに首を傾げる。そんなキングに対して、俺は()()()()()()()()()()()()()記事が載っている新聞を指さした。

 

「勝利ではなく、敗北したことに関して語られるウマ娘になったってことさ」

 

 シンボリルドルフはドリームシリーズに移る前で3敗しかしていないが、その結果、勝利よりも敗北に関して語られるウマ娘、なんて呼ばれることもある。

 

 今回のジャパンカップで敗北したキングだが、1着になったスペシャルウィークに関する記事だけでなく、キングが2着になったことを取り上げる新聞社もいくつか出ているのだ。

 

 キングが負けるのはこれが初めてじゃないし、シンボリルドルフと比べれば多く負けている。それでもこうしてキングの敗北が記事になっていることが、シンボリルドルフに匹敵するウマ娘になったことの証だと思えた。

 

「そう……ね。そういう考え方もあるのね」

 

 俺の言葉にきょとんとした顔になったキングだが、やがて気が抜けたように微笑むのだった。

 

 

 

 

 

 そしてその日の放課後。

 

 直近のレースとしてはウララのチャンピオンズカップが次の日曜日に控えているため、追い込みの時期の真っただ中である。開催場所は大井レース場ではなく愛知県の中京レース場になるため、平日ではなく日曜日の開催である。

 

 キングは昨日レースだったため軽い調整メニューで、ライスはウララのサポートをしつつもそれなりに強度の高いトレーニングに取り組んでいる。すると、ポケットに入れていたスマホが着信を告げるように振動し始めた。

 

(電話……って、たづなさん?)

 

 この時間はトレーニングの最中のため、電話がかかってくることは滅多にない。そのため珍しいな、なんて思いつつ俺は電話に出る。

 

『あ、もしもし、トレーナーさんですか? 急なことで申し訳ないのですが、キングヘイローさんに会いたいという方がトレセン学園に来ていまして……』

「本当に急ですね。取材ですか?」

 

 昨日のレースに関してURAから許可が出た記者でも来たんだろうか、なんて考える。もしくはテレビ局だろうか。でもURAが許可をしたのなら変な人は来ないし……一名ほど例外はいるけども。

 

 しかし、そんな俺の予想に反してたづなさんは苦笑の混じった声で告げる。

 

『トレセン学園に来られたのはブロワイエさんです。帰国する前にキングヘイローさんに直接会って話をしたいとのことですが……どうされますか?』

「少し待ってください……キング!」

 

 俺はスマホの通話口を指で押さえてからキングを呼ぶと、たづなさんから言われたことをそのまま伝える。すると小さく苦笑を浮かべて頷いた。

 

「別に構わないわ。わざわざ私に会いに来たんですもの。追い返すのは一流のウマ娘がすることではなくってよ」

「そうか……わかった」

 

 俺は通話口から指を離すと、たづなさんとの会話を再開する。

 

『聞こえていました。それでは今からブロワイエさんを連れて行きますね』

 

 おっと、どうやら俺とキングの会話が聞こえていたらしい。しっかりと通話口を押さえていたつもりだったけど、声が大きかったかな? それともたづなさんの耳が良いのか?

 

 俺が首を傾げていると、数分としない内にたづなさんがブロワイエを連れてくる。ブロワイエは豪奢な私服姿だったが、服装に関係なくやっぱり華がある子だなぁ、なんて思う。

 

 たづなさんはまだ案内があるからかすっと身を引いたもののこの場に残り、ブロワイエはそんなたづなさんに一礼する……妙に敬意を感じる一礼だ。ブロワイエの表情が畏まって見える。

 

 それでもブロワイエはキングへと向き直ると、通訳の女性に向かってペラペラと何かを話す。

 

「忙しい中、時間を割いていただき感謝します。フランスへ帰国する前にこうして話をしてみたかった、とのことです」

「構わないわ。今日は軽めの調整メニューだし、時間はあるもの」

「Merci beaucoup」

 

 キングの口振りと表情で何を言っているのか理解したのだろう。聞き覚えのある感謝の言葉を口にしたブロワイエは小さく微笑む……が、通訳の女性が何事かと伝えるとギョッとした顔でキングを見て、続いて俺を見た。

 

「昨日レースだったのにトレーニングをして大丈夫なのか、今日は休むべきではないか、とキングヘイローさんを心配しています」

 

 非難するような目で俺を見るブロワイエ。なんかこう、甲子園で連投する高校生投手を心配するような気配を感じる。マジかよお前……みたいな。

 

「心配いらないわ。だって、このキングのトレーナーが決めたことなのよ?」

 

 そう言って俺の前に立ち、胸を張るキング。表情は見えないが、多分自信満々なんだろうな、なんて思う。

 

 そんなキングの言葉を通訳から聞いたブロワイエは、俺とキングの顔を見て何やら肩を竦めてみせた。しかしすぐに表情を真面目なものに変えると、通訳の女性に何事かと告げる。

 

「キングヘイロー、あなたに負けることはあっても、他のウマ娘に負けることがあるとは思わなかった。しかし日本のウマ娘はあなただけじゃない。強いウマ娘が多くて、今回は私の方が弱かった、と」

「あら、私はいつでもそう思っているわよ。周りは強いウマ娘ばかりで油断したら負ける、油断できる相手なんて一人もいない、とね」

 

 ブロワイエの言葉に真っすぐ返すキング。ブロワイエは通訳越しに聞いたキングの言葉に苦笑を浮かべる。

 

「GⅠで6勝を挙げたウマ娘の言葉とは思えないな、と言っています」

「GⅠで6勝を挙げたからこそよ。あなたもわかる日が来るわ」

 

 それは、キングなりの励ましの言葉か。()()()()()()()()()()()ってことは、ブロワイエがまだまだGⅠで勝つと考えているのだろう。

 

 クラシック級の時点で凱旋門賞ウマ娘になり、あれほどの走りを見せるのだ。もっと強くなるに違いない。

 

 ブロワイエは通訳から言葉を聞いてきょとんとした顔になったが、やがてキングの言いたいことを理解したのだろう。笑みを浮かべて右手を差し出す。

 

「Merci beaucoup King halo」

「De rien」

 

 キングも差し出された右手を握る。ブロワイエは満足そうに頷くと視線を俺に向けて何事かを言う。

 

「トレーナーは彼女を手放さない方が良い。勝ち負けに限らず、彼女のようなウマ娘は他にいない、と言っています」

「俺のキングだぞ。手放すわけないだろ、と伝えてください」

 

 何を言ってんの、と脊髄反射で答える俺。勝とうが負けようがキングはキングで、キングの方から手を放さない限りトレーナーとして何でもやるぞ。いやうん、手を放されてもがっちり掴んで、しっかりと話をして、それでも駄目なら手を放す……と見せかけてやっぱりがっちり掴むかもしれないけど。

 

「っ……おばかっ! そんなことを言っている場合じゃないでしょう!?」

「言ってる場合だよ。あ、キングは最高のウマ娘なんで他にいないのは当然って伝えてください。あとはまあ……」

 

 頬を桜色に染めたキングからちょっと怒られたけど、手を放すわけないんだよなぁ。

 

「言いたいことはわかるけど、トレーナーって立場の人間からすると他にいないってのは当然で、()()()()()()()()()()()だよ。君が、ブロワイエが君だけであるようにね。昨日は良い走りだった。君のこれからのレースに幸いがあることを祈ります」

 

 通訳できるかな、と思って視線を向けると、通訳の女性はバチっとウインクをしてくる。どうやら大丈夫らしい。

 

 ブロワイエは通訳さんから俺の言葉を聞くと、ふっと微笑んで俺にも右手を差し出してくる。俺が握手に応えると、ブロワイエは笑みを残して背を向ける。

 

「それではお忙しいところ失礼しました。これからブロワイエさんをスペシャルウィークさんのところに案内してきますね」

 

 話が終わるなり、たづなさんがそんなことを言ってくる。どうやらキングだけでなく、勝ったスペシャルウィークにも話をしに行くようだ。何か接点があったのかな?

 

「HaruUrara!」

「わわっ! たかーい!」

 

 そんなことを思っていたら、ブロワイエは何を思ったのか、ダートを走り終えて駆け寄ってきたウララを捕まえて高い高いを始める。

 

 その顔はなんとも嬉しそうで……俺が今まで見た中で一番の笑顔だった。


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