リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
『年の暮れが近付きつつある大井レース場。好天に恵まれた冬空の下、これから行われるのは第10レース、ダート2000メートルGⅠ、東京大賞典。バ場状態は良の発表となっております』
『今年開催されるトゥインクルシリーズ最後のGⅠということもあり、大井レース場は朝から超満員となっています。URAの発表によるとレース場の外も含めて集まったファンの数は60万人を超え、70万人にも届こうかという勢いらしいですね』
ファンファーレが大井レース場に響き渡り、実況と解説の男性がそれぞれ言葉を発する。
(70万人か……そりゃこれだけ大きな歓声になるわけだ)
ファンファーレが鳴り響くと観客席だけでなく、大井レース場の外からも歓声が上がった。その歓声の大きさに俺は思わず苦笑を浮かべてしまう。
東京大賞典は右回りで2000メートル。スタート位置は第4コーナーの出口付近になるため、観客席から見ると右手の方になる。そこからぐるっと一周走り、第1コーナー手前に設置されたゴール目指して走る形だ。
大井レース場のコースは起伏がないため、登り坂や下り坂でのスタミナの消耗を考慮する必要はない。ホームストレッチも向こう正面も直線の長さは一緒で、コーナーもそれは同様だ。
これまで何度も走ってきたコースのため、ウララも慣れている。しかしそれは他のウマ娘達も同様のため、条件は同じだ。
スタート位置に設置されたゲートの向こうにウマ娘達が集まっており、それぞれ紹介されてからゲートへ入っていく。まずは奇数番号からということで、ウララは3番目だ。
『3枠5番、ハルウララ。1番人気です』
『先日行われたチャンピオンズカップで1着になったことが影響したのでしょう。スマートファルコンを抑えての1番人気です。期待に応えることができるのか……いやぁ、実に楽しみです』
ワクワクとした声色でコメントする解説の男性。そしてそれに続くようにして観客席からも大きな歓声が上がる。
ウララを応援するその声は、はたして何万人によるものか、あるいは何十万によるものか。テレビの前で応援しているファンまで含めれば、もしかすると100万人を超えるかもしれない。
ウララはそんな歓声を受けて、笑顔でぴょんぴょんと跳ねながら観客席に向かって両手を振る。そんなウララの仕草にファン達は更なる歓声を上げた。
可愛らしい勝負服に身を包み、先日のクリスマスパーティで俺がプレゼントした耳カバーをつけた状態でゲートに入るウララ。そしてゲートに入るなりウララの雰囲気が一変し、真剣なものへと変わる。
(ウララ……)
そんなウララを見ながら、俺は心の中だけでウララの名前を呼ぶ。今の俺の心境を一言で表すのは難しい。嬉しさ、誇らしさ、僅かな寂しさ。様々な感情が混ざり合って、俺の胸の中を満たしていく。
『6枠11番、スレーイン。3番人気です』
『先日のチャンピオンズカップではスマートファルコンを抑えて2着になりましたねぇ。この子は現役のダートウマ娘の中ではトップクラスの実力があります。今日こそはライバルを超えて1着を獲るのか……期待しましょう』
スレーインは観客席に向かって手を振ると、自分の胸に手を当てながら大きく深呼吸をする。そしてゆっくりと、しかしたしかな足取りでゲートに入ると、前を見据えて気合いが入った顔付きへと変わった。
『3枠6番、スマートファルコン。2番人気です』
『1番人気こそハルウララに譲りましたが、人気、実力共に決して劣りません。ハルウララとの対戦成績は6戦3勝3敗と五分です。今日のこの東京大賞典で決着が付くのか、あるいは他のウマ娘達がそれを阻むのか……その辺りにも注目したいですね』
スマートファルコンは笑みを浮かべながら観客席に向かってポーズを取る。そして大歓声が返ってくるとますます笑みを深め、最後に投げキッスをしてからゲートへと入っていく。
さすがというか、緊張の色は見られない。それどころか注目されれば注目されるだけ勢いを増しそうだ。
ウララがスマートファルコンと出会い、敗れてから長い月日が流れた。ウララは他のウマ娘にも負けているが、やっぱり、一番のライバルはスマートファルコンだろう。
スマートファルコンに負けて、レースで勝つ難しさを知った。
スマートファルコンに負けて、悔し涙を流した。
スマートファルコンに負けて、レースで勝ちたいと心から願うようになった。
ウララはそんなスマートファルコンとの決着を、今日、このレースで付けるのだ。
ゲートインが完了し、大井レース場から徐々に音が消えていく。歓声一つ上げないよう、これからレースが始まるのを邪魔しないよう、観客達が口を閉ざしてキラキラとした眼差しでゲートへ視線を注ぐ。
『各ウマ娘、ゲートイン完了……スタートしました』
そして、バタン、という音と共にゲートが開き、ウララ達が一斉に飛び出した。
『各ウマ娘、揃った綺麗なスタート。最初に前に出るのはこのウマ娘、6番スマートファルコン。お手本のようなスタートと同時に前へ前へと駆けていきます。続いて4番ハートシーザー、8番ユグドラバレー。その後ろに2番ミニデイジー、3番ファイフリズム、9番ゴールドシュシュ、5番ハルウララ、10番ショーティショット、16番オンステージレビュ』
『いやぁ、実に綺麗なスタートです。各ウマ娘が集中していましたね』
『続いて1番ハートオブスイート、12番ミニロータス、14番マリンシーガル、15番アクアレイク。続いて7番ローカルストリーム、11番スレーイン、13番ルミナスエスクードがシンガリに控えています』
ウマ娘達がコースを駆ける音、観客達の歓声、実況と解説の声。それを全身で浴びながら、ウララをはじめとした各ウマ娘がダートを駆けていく。
全員が真剣で、全員が勝ちたいと願って、全員が一心に駆けるその姿。それを見ながら俺は胸に手を当て、ぎゅっと服を握り締める。
胸に去来する様々な感情。そして俺の脳裏に、ウララと初めて出会った時のことが思い起こされる。
『あー! 今日のレース終わっちゃった!?』
初めて出会った時、ウララは模擬レースに参加してはビリになり、どこのチームもトレーナーもスカウトをしないようなウマ娘だった。
そして俺も、あの頃はウマ娘を育てるということがどんなことかを知らない、トレーナーライセンスを持っているだけの半人前……いや、それ以下のトレーナーとも呼べない人間だった。
『わわっ! すごいすごいっ! トレーナーなんだ! それならわたしをスカウトしてほしいなっ!』
俺がトレーナーだと告げた時、ウララの方からスカウトしてほしいと言ってくれた。そして、自分はハルウララだと、前世で競馬をろくに知らない俺でさえ知っている名前を告げた。あの時のことを、今でも鮮明に思い出せる。
なあウララ、君は覚えているか? そして、信じられるか?
あの頃の君に、今、この東京大賞典という大舞台でGⅠ6勝目を賭けて、ライバルに勝ちたいと、俺に勝利をプレゼントしたいと言って走っているんだなんて言って、信じてくれるか?
『すっごく楽しかった! やっぱり走るのって楽しいねー!』
初めて出会って、育成を引き受けて、
短距離もろくに走れなくて、タイムは遅くて、トレーニングを忘れて商店街で売り子をやってて……でも、ウララはいつも笑顔だった。
『先頭のスマートファルコン、最初の直線を抜けて第1コーナーへと突入していきます。これはすごい逃げ足です。他の逃げウマ娘からも逃げるように駆けていきます』
『チャンピオンズカップの時は終盤にスタミナ切れを起こしたようにも見えましたが……今日はどうでしょうね。チャンピオンズカップより200メートル長いですけど、坂がありませんからね。それがどう影響するか……』
ホームストレッチを駆け抜け、第1コーナーに向かって走っていくウララの背中を見ながら俺は目を細める。遠くなっていくその背中を、じっと見つめる。
『ふぇー……すごいすごいっ! トレーナー、トレーナーみたい!』
そう言ってはしゃいでいたウララの姿が脳裏に過ぎる。
トレーナーの養成校に通って、中央と地方のトレーナーライセンスを取得して、トレセン学園に配属されて……まだ何も成していなかったというのに、ハルウララというウマ娘と出会えただけで俺は一端のトレーナーになれた気がした。
でもウララ、君はトレーナー
――君が、俺をトレーナーにしてくれたんだ。
あの日、あの時、あの場所で。俺と出会ってくれたのが君じゃなかったら、今頃どうなっていたんだろうか? 誰か他のトレーナーやチームのサブトレーナーとして働いていただろうか? それはもう、今となってはわからないけど。
きっと、今みたいにはなれなかった。トレーナーライセンスを持つだけの、トレーナーみたいな人間として生きていたんじゃないか、なんて思う。あるいは早々にトレセン学園から去っていたか。
『6番スマートファルコン、軽快に飛ばしていきます。これは良い逃げ足だ。3バ身離れて4番ハートシーザー、8番ユグドラバレーが2番手争い。その2バ身後ろに2番ミニデイジー、3番ファイフリズム、5番ハルウララ、10番ショーティショット、9番ゴールドシュシュ、16番オンステージレビュが続きます』
『各ウマ娘、コーナーの曲がり方も綺麗ですね。ほとんど減速することなく、上手いこと走っていますよ』
『先行集団から2バ身離れて1番ハートオブスイート、12番ミニロータス、14番マリンシーガルの3人が並んで走っています。それに僅かに遅れて15番アクアレイク。シンガリ付近に11番スレーイン、7番ローカルストリーム、13番ルミナスエスクード』
まだ中盤にも届いていないというのに、ウララは少しずつ前に上がり始めている。それを遠くに眺めながら、俺は思わず苦笑してしまった。
ウララの担当を始めて苦労したのは、スタミナのなさだけじゃなかった。走る時のフォームは雑でバラバラだし、コーナーを走るのは下手だし、足を溜めるなんて考えは微塵もなかったし、そもそも足を溜める前にスタミナが尽きて沈んでいたほどだ。
そんなウララが綺麗なフォームで、遠目に見ても良いと思える位置取りをして、第1コーナーから第2コーナーにかけて外に膨らむことなく駆けている。
良い走りだと、贔屓目なしに断言できる。しかしそれはウララが最初から持ち合わせたものじゃない。少しずつ、毎日のトレーニングで本当に少しずつ身に付けていった走りだ。
ライスにキングと、俺が担当しているウマ娘は他にもいる。だけど、最初から育ててきたのはウララだけだ。
ライスにはほぼ独力でGⅠを制するだけのスピードとスタミナ、そして何よりもミホノブルボンに勝ちたいという熱意があった。
キングには芝に限れば全距離を走れる距離適性と、天性のスプリンターとしての加速力、そして何よりも決して俯くことのない根性があった。
でも、ウララには何もなかった。あったのは天真爛漫な笑顔と、どんなトレーニングやレースでも楽しめる明るさ。ウマ娘としての才能で見るなら、ライスやキングとは比べ物にならないほど悪かっただろう。
だけど、ウララはどんなにきついトレーニングをさせても笑顔を絶やさなかった。疲れただとか、もう嫌だとか、もっと楽な方が良いだとか、そういったことは何一つ言わなかった……いや、疲れたぐらいは言ったっけか。そしてよく
それでも疲れた時も笑顔で、良い汗をかいた、といったニュアンスでしかなかった。俺も気を付けていたけど、擦り傷や切り傷、軽い炎症以外は怪我らしい怪我もせず、風邪すらひかなかった。
『先頭のスマートファルコン、向こう正面へと突入していきます。先頭からシンガリまでの距離は……約12……いえ、13、14バ身ほどでしょうか』
『掛かっている……というわけでもなさそうですね。見てくださいあの笑顔。走るのが楽しくて仕方ないって感じですよ』
先頭を駆けるスマートファルコンを見る。解説の言う通り、以前にはなかったような笑顔を浮かべて走るスマートファルコンの姿がそこにはあった。そんなスマートファルコンの後を追って走るウララもまた、笑顔を浮かべている。
最近のレースではゲートに入ってからゴールを通過するまで常に真剣な表情だったが、今のウララは心からレースを楽しむように笑顔を浮かべているのだ。
しかし昔のウララと比べると、その笑顔の意味は異なるだろう。
昔のウララはただ、走るのが楽しかった。どんなトレーニングだろうと、どんなレースだろうと、どんな相手だろうと、ウララは心底楽しそうに走っていた。
メイクデビューでアクシデントに見舞われて9人中9着になって。
未勝利戦で1回、2回と負けて。
そして挑んだ3回目の未勝利戦でレコード勝ちを記録して。
初めてウララが踊ったウイニングライブの光景は、今でも鮮明に思い出すことができる。
それからも、色んなレースを走ってきた。
ヒヤシンスステークスでオグリキャップやエルコンドルパサーに負けて。
昇竜ステークスでスマートファルコンやタイキシャトルに負けて。
端午ステークスでは春の天皇賞に挑むライスに勝利のバトンを渡そうと頑張って、勝って。
初めての重賞として挑んだユニコーンステークスではスマートファルコンやスレーインに勝って。
初めて挑んだGⅠのジャパンダートダービーではスマートファルコンやオグリキャップに負けて。
JBCスプリントでは初めてGⅠでの勝利を収めて。
去年のチャンピオンズカップではスマートファルコンにまた負けて。
今年に入ってからはフェブラリーステークス、帝王賞、JBCレディスクラシック、チャンピオンズカップで勝利して。
ウララはどんどん強くなった。それでも驕らず、曲がらず、真っすぐなままでいてくれた。
その姿勢に、その笑顔に俺がどれだけ救われていたか、きっとウララは知らないしわからないだろう。
ライスに出会って担当を引き受けるか悩んだ時、ウララは真っ先に賛成してくれた。
キングに出会った時も、ウララは決して反対しなかった。
そしてライスやキングと一緒に、どんどん強くなってくれた。
『先頭のスマートファルコンが残り1000の標識を通過しました。1000メートルの通過タイムは……58秒5です』
『チャンピオンズカップの時よりは遅いですが、相変わらずダートの良バ場とは思えないタイムですね。坂がないコースなのでタイム的には少し抑え気味と言えるでしょうか……いえ、このタイムで抑え気味というのもおかしな話なんですけどね』
『他のウマ娘達も続々と残り1000の標識を通過していきます。2番手は4バ身離れて4番ハートシーザー。3番手は8番ユグドラバレー。その2バ身と少し後ろに5番ハルウララが上がってきています』
半分を通過した時点で、ウララは4番手の位置まで上がってきている。しかしスマートファルコンとの差は6バ身半といったところか。このペースで逃げ続けられると、最後に捉え切れるかどうか。
向こう正面を走るウララの表情から、笑顔が消えていく。それを感じ取ったようにスマートファルコンからも笑顔が消え、互いに真剣な表情へと変わる。
ここからが本番だと、レースの残り半分が勝負所だとその表情が語っていた。
「ウララちゃーん! がんばれー!」
「今日も勝って人参ハンバーグだー!」
「ちゃんとお肉も人参も用意してるからなー!」
そんなウララの変化を感じ取ったのか、観客席から聞き慣れた歓声が飛ぶ。ウララを見つめているため視線を向けることはないが、声から判断する限り商店街の人々だろう。年末という書き入れ時にもかかわらず、応援に来てくれたらしい。
ウララを応援する声は、商店街の人々だけじゃない。ハルウララがんばれ、ハルウララがんばれと、多くの人がその名前を叫んでいる。
その声援の多さが、これまでウララが積み重ねてきたものの証明だ。勝ってほしい、勝ってくれと多くの人が願うウマ娘に、
『残り600の標識を通過してスマートファルコンが第3コーナーへと突入! 後続との差は広がるばかりか!? いや、そこで待ったをかけるのはこのウマ娘! 5番ハルウララが8番ユグドラバレーをかわして3番手へと上がってきた! クラシック級ながら東京大賞典に出走したユグドラバレー、もう苦しいか!? そしてシンガリ付近からはスレーインがロングスパートをかけ始めている!』
ウララが第3コーナーへと突入し、ホームストレッチに向かって駆けてくる。ウララの視線は前へと……先を駆けるスマートファルコンの背中へと注がれ、離そうとしない。
そんなウララの姿に、俺は体が震えるのを感じた。一生懸命で、全力で、必死で、勝ちたいと走るその姿が俺には輝いて見えた。
何の因果か生まれ変わって、前世と比べれば
興味が持てて、給料も良さそうで、安定性もある。手に持つ職としてはこれ以上のものはそうそうないと判断して、好奇心と打算から俺は将来の夢を定めた。
純粋にウマ娘に魅了されたから、などとはいえない不純さが俺にはあった。
――
『スマートファルコンが先頭のままで最終直線へと突入してくる! 残り400の標識は既に通過した! このまま独走か!? しかし2番手に上がったハルウララが、最強のライバルが3バ身後方に迫りつつある! そして更に! スレーインが後方から一気に上がってきているぞ!』
『さあここからが勝負所ですよ! 残すは直線のみ! 誰が勝つのか!?』
ウララ達がホームストレッチへ、最終直線へと駆け込んでくる。ドドド、と地面を駆ける音が近付くにつれ、観客席からの歓声も更に大きなものへと変わっていく。
俺はウララを応援しようと、大きく息を吸い込んだ。喉が裂けても構わない、力の限り叫ぼうとする――が、駆けるウララの顔を見て動きを止める。
「……お兄さま?」
「トレーナー?」
そんな俺をどう思ったのか、ライスとキングが怪訝そうな声をかけてきた。しかし俺はそれに答えることもなく、思わず苦笑を浮かべてしまう。
ああ、くそ、なんてこった……ウララの顔をしっかりと見たいのに、なんでだろうか? 涙で視界がぼやけてしまうのは。まだゴールもしていないのに、ウララが走るその姿を見て涙が溢れ出てくる。
必死で、真剣で、懸命で。勝ちたい、スマートファルコンに勝ちたい、ライバル達に勝ちたいとその顔が訴えかけてくる。
『ハルウララが上がってきた! 直線残り200メートルで! ハルウララがスマートファルコンの背中に追いつきつつある! しかしスマートファルコンは逃げる! まだ元気だ! そんな二人の争いに混ぜろと言わんばかりにスレーインも上がってきている!』
俺は服の袖で涙を拭う。今はまだ、最後のその瞬間までウララの姿を見ていたいのだ。
「勝て……ウララ」
俺は呟き、息を吸う。
「勝てええええええええええええぇぇっ! ウララアアアアアアアアァァッ!」
そして叫んだ。ウララの背中を押すように、声の限りを尽くして叫んだ。
「勝って! ウララちゃん!」
「勝ちなさい! ウララさん!」
ライスとキングもウララへと声援を送る。それが聞こえたのかウララの体が一瞬沈んで
『ハルウララが加速した! しかしスマートファルコンも最後の力を振り絞るように加速! そんな二人のすぐ後ろ! 1バ身のところまでスレーインが迫っている! っ!? ハルウララ並んだ! ハルウララがスマートファルコンに並んだ! ゴールまであと僅か! ハルウララどうだ!? かわすのか!?』
ウララが加速し、スマートファルコンもまた、加速する。そして並んだウララとスマートファルコンを差そうと、スレーインが突っ込んできている。
そうして競り合う3人の姿を見て、観客達は総立ちで大歓声を上げた。それぞれが応援するウマ娘の名前を叫び、他のライバルよりも先にゴールを通過してくれと一心に願う。
ウララは必死で、スマートファルコンも必死で、スレーインも必死だ。そしてそんな3人の後を追う他のウマ娘達も必死だ。
そこにあったのは、見ている者の心と体を震わせるレースだった。
そんなレースを繰り広げているのが自分が一から育ててきたウマ娘であることが本当に嬉しく、誇らしく、このまま勝ってくれと願い――俺は笑う。
勝ってくれ? 勝つさ。
――だってよ、ハルウララなんだぜ?
ほんの僅か、ウララがスマートファルコンよりも前に出る。そのすぐ後ろにはスレーインがいたが、抜かせることなく先頭に立ったままで。
『は、ハルウララがスマートファルコンをかわした! 僅かにかわしたぁっ!? そしてそのまま、ゴールッ!』
ゴールを駆け抜けるその姿を見つめ続けた俺は、頬を涙が伝い落ちるのを感じた。
ウララはゴールを駆け抜けると、徐々に減速する。そして隣り合ったスマートファルコンや追いついたスレーインと共に荒い呼吸を整えながら、顔を見合わせた。
次から次へと後続のウマ娘達がゴールを駆け抜けていく。そして最後の一人がゴールを通過すると、数十秒と経たない内に着順掲示板が点灯する。
『着順が確定いたしました。1着5番、ハルウララ。勝ち時計は2分0秒2でレコード勝ち。2着6番、クビ差でスマートファルコン。3着11番、ハナ差でスレーイン。4着2番、1バ身差でミニデイジー。5着4番、2分の1バ身差でハートシーザー』
一瞬、大井レース場から声が消える。しかし何が起きたかを理解すると、一斉に観客達が吠えるような大歓声を上げた。
観客席だけでなく、大井レース場の外からも一斉に声が上がる。ウララの名前を叫ぶ者、意味が感じ取れない雄叫びを上げる者、慟哭する者、様々だ。
そんな喧騒の中、ウララは勝利を誇るように両手を空へと突き上げる。右手を開き、左手は人差し指だけ立てて、GⅠ6勝目を示すように。
ウララのパフォーマンスに、更なる歓声が巻き起こる。ウララは肩で息をするようにしながら、にぱっと笑顔を浮かべた。
そうして笑うウララにスマートファルコンが抱き着き、スレーインが苦笑を浮かべて空を見上げる。ハートシーザーやミニデイジーもウララの傍へと駆け寄り、悔しそうにしながらも祝福するように肩を叩くのが見えた。
ウララはそんな周りからの祝福に心底嬉しそうに笑い――俺と目が合った。
するとウララの表情が一瞬驚いたものへと変わり、くしゃりと、笑顔が崩れて涙を流し始める。そして何を思ったのか、ウララはこちらへと向かって駆け出した。
「トレーナー! わたし勝った! 勝ったよー!」
涙声でそう叫びながら、ウララが柵を飛び越えてくる。そして両腕を広げて飛び込んできたため、俺も泣きながら必死に受け止めた。それでもウマ娘の飛びつきに耐えきれず、後ろに倒れそうになる……が、それを見越していたのか、ライスとキングが支えてくれた。
「ウララ! おめでとうっ!」
俺はウララを抱き締めながら、ウララと同じように涙声で祝う。
本当に強く、大きくなった。でもこういうところは変わらない。俺は全力で抱き着いてくるウララを好きにさせながら、一緒に涙を流すのだった。
そして、レースが終わればウイニングライブである。
クリスマスプレゼントを渡せたと言って笑顔でわんわん泣いたウララをなんとか泣き止ませ、ライスとキングに手伝ってもらって準備を整えたら送り出す。
俺はライスやキングと一緒に急いで観客席に戻ると、ウララのウイニングライブが始まるのを待った。
今年最後のGⅠレース、東京大賞典のウイニングライブだ。観客達は一人たりとも帰宅せず、観客席に座ったままでウララ達が出てくるのを待っている。
待つこと数分。大井レース場のコースの内側からステージがせり上がり、配置についたウララ達の姿が見えてくる。
センターがウララ、その左右にスマートファルコンとスレーインが控える形だが、それを見た俺は先ほど止まったはずの涙が再び溢れ出すのを感じた。
「もう……トレーナー、あなた泣きすぎじゃない?」
「そんなことないよキングちゃん。ライスも泣いちゃうぐらい嬉しいもん。ね、お兄さま?」
俺が再び涙を流し始めたのを見て、キングが苦笑しながら言う。ライスはそんなキングに抗議するように言うが、キングの目尻にも涙が溜まっているため声色が柔らかかった。
だってよ、ウララがセンターに立って踊るんだぜ? これまでの通算戦績でスマートファルコンに勝ってのウイニングライブなんだ。そりゃもう泣くよ。
だけどまあ、俺は涙を拭う。せっかくのウララのウイニングライブなんだ。滲んだ視界で見るわけにはいかない。
そう、思っていたんだが。
「あぁ……っ……」
ウララが歌い、踊る姿を見て涙が溢れてくる。ウララのウイニングライブを見るのは初めてじゃない。これまで何度も見てきたというのに、今日ばかりはどうにも涙腺が脆くて困ってしまう。
トレセン学園に配属されてから、ウララとはジュニア級、クラシック級、シニア級と一緒に駆け抜けてきた。
来年になればシニア級で継続して走れるのか、ドリームシリーズに進めとURAから言われるのか、あるいは海外に殴り込むのか。
それは未来になってみなければわからないが、これまでウララと歩んできた道のりが変わることはない。それだけは、絶対に変わらないのだ。
トレーナー人生で初めてとなる、俺が一から育てたウマ娘。そんなウララが笑顔で歌い踊る姿を見て、俺は思う。
この日のウイニングライブの光景を、俺は一生忘れることはないだろう。ウララがレースで見せた走りとあわせて、一生の宝物だ。
『トレーナー!』
歌の合間、伴奏によって歌声が途切れるほんの僅かな合間にウララが叫ぶ。
普段通りの笑顔のようで、それでいてどこか切なげな、大人びた表情を浮かべるウララと目が合う。ウララは俺と目が合うと、涙を零しながらも微笑んだ。
『
その言葉は、去年JBCスプリントで勝利してGⅠ初勝利を挙げた際のウイニングライブで聞いたものに似ていた。
その言葉を聞いた俺は、困った子だ、と苦笑を浮かべる。
本当に、困った子だ……何回俺の涙腺をぶっ壊せば気が済むんだろうなぁ。君が歌って踊る姿を最後までしっかりと見たかったんだけど。
俺は急速に滲んでいく視界に苦笑し、そんなことを思う。
こうして、ウララが挑んだ東京大賞典が、今年最後に挑んだレースが幕を下ろしたのだった。
――そして、3ヶ月の月日が流れる。
次回、最終話