リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第18話:新人トレーナー、悪い子におしおきする

 ウララの育成に加え、ライスの担当も務めるようになって五日あまり。

 

 この五日間は正直なところ、これまでとは比べ物にならないほどの勤務状況であると言える。

 ウララとライスのトレーニングを行うのは、放課後から日暮れにかけての時間である。冬が近づくこの季節は日暮れが早いためナイター設備を使用してのトレーニングも含め、平日だと大体一日あたり3時間から4時間程度。これが土日になるともっと長時間、トレーニングのために時間を取る。

 

 すなわち、それ以外は俺が自由に使える時間でもあった。トレセン学園から回ってくる仕事を可能な限り手早く片付ければ、空いた時間はウララとライスの育成のための情報収集や研究に使えるのである。

 

 同期の連中に土下座って情報回してもらって、もらった情報を精査して、ライスの育成に使えそうなものを選別して、駿川さんからもらったライスが出走したレースの映像をメイクデビューから菊花賞に至るまで穴があきそうになるまで見続ける日々。

 当然、並行してウララの方も手を抜かない。ウララを今後出走させるにあたりどんなトレーニングを積ませて、どのレースに出すか。どのレースならばどんなライバルが出てきて、どんな戦法を得意としているか。

 様々な情報を片っ端から洗い出し、役に立ちそうな情報はパソコンでまとめて印刷してファイリングし、家に持ち帰って読み返すという日々だった。

 

 残業をし過ぎると駿川さん辺りから注意が入るため、自助努力という名のサービス残業である。前世だと残業なんてクソだと思っていた気がするが、なるべく早く情報をまとめて育成方針を立てなければライスだけでなくウララの育成にも影響が及びかねないのだ。

 だが、まだまだ終わりそうにない。というか芝のレース、マジで選手層が分厚過ぎる。その分、集めなければいけない情報が多すぎて、てんやわんやのしどろもどろだ。

 

「あー……野菜ジュースと栄養ドリンクのチャンポンが胃と脳に染みるぅ……」

 

 トレセン学園の購買部で売られていた栄養ドリンクを箱単位で購入し、健康のために買った野菜ジュースとまとめて飲みながら呟く俺。もちろん、用法用量はきちんと守っている。トレーナーが倒れたら洒落にならないからね。でも栄養ドリンクって疲労感は軽減しても疲労は取ってくれないんだぜ? ふとした拍子に疲労が襲ってくるもん。

 

 俺は日曜日の日の出前からトレーナー用の共用スペースを借りてウララとライスの育成に使用する情報をまとめていたが、10時になった段階で切り上げた。今日は日曜日だから、これからウララとライスのトレーニングがあるのだ。

 

 ただし、今日は二人にトレーニングをさせるつもりはない。私服で俺のところに顔を出すよう言ってある。長い練習時間を取れる休日ではあるが、今日のところは少々企み事があるのだ。

 

「あっ、トレーナー! おっはよー!」

「お、おはようございます、トレーナーさん」

 

 俺がトレセン学園の正門まで行くと、オーバーオール姿のウララと私服姿のライスがいた。ウララの私服は何度も見ているが、ライスの私服姿を見るのは初めてだ。

 

 普段は頭にかぶっている黒い帽子がなく、薄い橙色のリボンで飾った黒髪。服は肌色と黒色を基調とした、ドレスに似た膝丈まで伸びるコート。靴は黒の……ローファーだろうか?

 

 御伽噺か絵本にでも出てきそうな格好で、元気いっぱいなウララとは色々な意味で対照的だった。

 

「おはよう、二人とも。ちゃんと私服で来たな」

「うんっ! それでトレーナー、今日はなにするの?」

 

 ウララが尻尾を振りながら聞いてくる。それを聞いた俺はにやりと笑うと、視線をライスに向けた。

 

「それを教える前に、ライス……俺が君のトレーナーを担当するようになってまだ一週間も経ってないけど、君は相変わらず『自分が悪い』とか『周りを不幸にする』とか言うよな?」

「う、うん……ごめんなさい」

 

 ライスの育成を担当して気になったのは、どうにもライスは自分に対する自信がないという点だった。その代わり、レースに対する熱意や自身の実力に関する自負はかなり強い。

 

 そう思えるだけのトレーニングを自力で積んできたのだからそれも当然かもしれないが、それはそれとして、自分のことを運が悪いだとか、周りを不幸にするだとか、そういった類の発言が多いのだ。

 

 その度にウララが無邪気に褒めて喜んで胴上げワッショイし始めるのだが、これまでしてきた過度なトレーニングのせいで俺にも迷惑をかけていると思っているのか、調子の浮き沈みが激しい面がある。

 

 あとはやはりというべきか、他者からの評判に怯えるところがあった。ミホノブルボンの無敗でのクラシック三冠を阻止したことから、何かある度に自分が非難されているのではないかと怯えるのである。

 

「そんな悪い子にはおしおきが必要だと俺は思うんだが……どう思う?」

「えっ……お、おしおき?」

 

 俺の言葉を聞いたライスは怯え――てない? あれ? おしおきって言い方がダメ? おしおきって言っても特別メニューをやらせるとかそういうわけじゃないよ?

 

 俺は気を取り直して咳ばらいをすると、『ライスちゃんは悪い子じゃないよー!』と言いながら俺の背中をよじ登るウララを背負い直し、表情を引き締めた。

 

「今日は日曜日……つまり、休日だ。わかるな、ライス?」

「う、うん……でも、トレーニングする人、多いよ? ライス、頑張らないとレースに勝てないし、これからトレーニングでも……」

「焦る気持ちはわかるけど、無理は禁物だ。本当はしばらく休養させたいぐらいなんだが……有記念、出たいんだよな?」

 

 俺としてはライスの体のことを知った以上、有記念は回避しても良いか、とも思っている。俺の見立てでは本当にギリギリで、無茶しなければ体も悪化しないかな、という程度にしか回復しないと見ていた。

 だが、体のこともそうだが、ライスの場合精神面の回復の方が重要だと俺は思っている。アスリートと同様に、ウマ娘も精神状態がパフォーマンスに大きく影響するからだ。

 

「うん……ライス、まだまだ怖いけど……やっぱり、走りたい」

 

 俺の問いかけに対し、ライスはしっかりと頷く。レースを見た観客に何を言われるか怖いという思いと、ウマ娘としてレースに出て走りたいという気持ち。その二つがせめぎ合っているのだろう。

 

「そっか……でもな、ライス。この前も言ったけど、ライスの体はかなりボロボロになってるんだ。ウマ娘として走りたいって気持ちはわかるけど、俺がトレーナーになった以上、無理は認めない……いや、違うな」

 

 俺は背中によじ登ったままのウララが未勝利戦で見せた走りを思い出し、一つ頷く。

 

「無理無茶無謀も必要な時があるだろうけど、可能な限り少ない方が良いんだ。でも、ライスは必要じゃない時に無理をしようとしてる。それはわかるな?」

「……う、うん」

 

 未勝利戦というGⅠと比べれば小さく思える舞台でさえ、己の限界を超えてでもレースで勝とうとするウマ娘を俺は見た。だからこそ、無理をしてでも1着を取ることを俺は否定できない。そこまでしてでも1着を取りたいと願うウマ娘を止めることなど、本人ぐらいにしかできないのだから。

 

「今のライスに必要なのは、本当は休息だと俺は思う。でも、ライスが望むなら俺は可能な限りライスの体を休ませつつ、レースにも出られるよう仕上げていくつもりだ」

「で、でも、それはトレーナーさんに迷惑をかけちゃうから……ウララちゃんも、トレーナーさんが指導する時間が減っちゃって迷惑かけちゃうから……」

 

 ライスは俯き、弱々しく言葉を紡ぐ。それを聞いたウララが俺の背中から即座に飛び降り、ライスの手を取って笑顔を浮かべた。

 

「そんなことないよっ! わたし、ライスちゃんと一緒にれんしゅーできて楽しいもん!」

「ウララちゃん……」

 

 ウララの言葉に目に涙を浮かべるライス。そんな二人の姿を見ながら、俺は懐に手を入れる。

 

「話を戻して、だ……ライスが自分を悪い子だと言うのなら、そんな悪い子なライスにはおしおき……いやさ、罰が必要だと思ったわけだ。というわけで……」

 

 俺はバッ、と音が出る速度で懐から手を引き抜く。そして折り畳んだ一枚の紙を広げると、ウララとライスの二人に読みやすいよう差し出した。

 

「罰として、今日は練習は一切禁止! ライスはウララと一緒に遊んでくること! なお、途中で商店街に寄って、この紙に書いてある食材を買って帰ること! 帰ってきたら俺が晩飯として人参ハンバーグを作るから、それを完食すればおしおきは終わりとするっ!」

 

 俺がそう宣言すると、ウララが目を輝かせて俺の腕を引く。

 

「えっ!? 今日はライスちゃんと遊んできていいの!?」

「おうとも。俺も一緒に行きたかったんだが、ちょいと大事な仕事があってな……ウララ、外出の際はどうするんだっけ?」

「ふしんしゃに付いていかない! お菓子を買い過ぎない! 車に気を付ける! 何かあったらトレーナーにすぐ連絡をする!」

「よーしよし、その通りだ。お小遣いは残ってるか? 財布は?」

 

 俺は元気いっぱいに答えたウララの頭を撫でつつ、ウララが持っている財布を受け取る。そして中身を確認するが、まったくお金が入っていなかった。

 

「また商店街でおやつを買ったな……今度八百屋のオヤジさんに会ったら、ウララには一日あたり人参は三本までって伝えとかないと……」

 

 そう言いつつ、俺はウララにお小遣いを渡す。ライスにも同じようにお小遣いを渡すと、買い物用に経費を入れた封筒を差し出した。

 

「こっちのお金は……ライスが持っていてくれ。商店街で買い物をしたら領収証を頼む」

「え? ら、ライスが持ってたら落としちゃうかも……」

「落としたらその時は俺が自腹で買ってくるからいいよ。それに、ウララと一緒なら大丈夫じゃないか? ウララも見ててくれるよ」

 

 俺がそう言うと、ウララは任せろといわんばかりに自分の胸を叩いた。なんだかんだでウララもしっかりしている……うん、しているから、大丈夫だろう、多分。

 

「それじゃあ行ってくるね、トレーナー! 行こっ、ライスちゃん!」

「えっ、う、うん……行ってきます、トレーナーさん」

 

 ウララに手を引かれて歩き出すライス。年齢差と身長差を思えばライスの方が姉のようなものだが、ウララに引っ張られる姿を見ると、はたしてどちらが姉で妹なのか。

 

 俺は鼻歌まじりに歩き出したウララと、困惑しながらもどこか嬉しそうなライスの後ろ姿を見送る。そして周囲に人影がないことを確認すると、すぐさま動き出した。

 

「……よし、行くか」

 

 俺は近くの更衣室に入ると準備しておいたスーツを着込み、伊達眼鏡をかけ、靴を革靴に替えるとウララとライスの二人を追うのだった。

 

 

 

 

 

 俺がわざわざスーツを着込んで伊達眼鏡をかけて革靴まで履いたのは、変装のためである。最近はもっぱらジャージ姿のため、ウララとライスに見つかっても気付かれにくいと思ったのだ。

 

 最初はサングラスにマスク姿でついていこうかと思ったが、どう考えても不審者にしか見えないのでやめた。その点、スーツ姿ならその辺でも見かけるだろうし、通報されることはないだろう。就職活動用に使用していたビジネスバッグも手に提げれば、どこからどう見てもサラリーマンにしか見えない出で立ちである。

 

 そんなこんなでウララとライスの追跡を始めた俺だったが、ウララが積極的に話しかけ、ライスがそれに答えるという普段通りのコミュニケーション風景だ。

 

 俺がわざわざ日曜日に、ウララとライスの情報をまとめる仕事があるのにこんなことをしているのには理由がある。

 

 まず第一に、ライスを休ませること。ただ単純に休ませようとしても渋るだろうが、ウララと一緒に遊びに行くという形ならライスも楽しめて、なおかつ精神的なリフレッシュになると思ったのだ。

 

 第二に、ライスの精神状態を確認すること。ライスは菊花賞で1着を取ったことによってファンから否定的な態度をぶつけられてしまったが、それがどこまでライスの中で根を張っているかわからない。そのため、外出させることで周囲に対してどんな反応を見せるか確認したかった。

 体に負った外傷は目に見えるし、体の内側の傷も現代医学ならほとんど把握できる。だが、ライスがどれだけの心の傷を負っているかは目には見えないのだ。

 

 第三に、ウララも休ませることだ。ウララはこれまで頑張ってきてくれたが、ライスほどではないが疲労が溜まってきているように思える。そのため、ライスと一緒にリフレッシュさせようと思った。

 

 そして最後に、俺のリフレッシュである。肉体的には休まらないが、ウララとライスが遊んでいるところを眺めていれば気分的には大いに休まるだろう。さすがにちょっと疲れた。本当はウララやライスと一緒に遊んでもいいが、二人ともなんだかんだで年頃の少女である。トレーナーと一緒だと休まらない部分があるだろう。

 

(ウララは喜んでくれると思うけど、ライスはなんだかんだで気を遣いそうだしなぁ……)

 

 そんな思いから、ウララとライス二人での外出を見守る形を取ったのだ。それに、これから先のレースなどを思うと、丸一日しっかりと休ませる機会はあまりないかもしれない。

 

 俺の視線の先で、手をつないだウララとライスが道を歩いていく。ウララは非常に上機嫌な様子で尻尾を振っており、ライスもなんだかんだで楽しそうだ。私服から伸びる尻尾がウララと同じように揺れている。

 すれ違う人達も二人の様子に頬を緩ませ、中には挨拶する人もいる。それにウララが元気よく答え、ライスも控えめながら挨拶を返していた。

 

「あっ、猫ちゃんだー! 待って待ってー!」

「わわっ! 待ってよウララちゃん!」

 

 すると不意に、野良猫を見つけたウララが突然走り出した。それによって手をつないだままのライスも引っ張られるが、すぐに駆け出してウララと一緒に野良猫を追いかけ始める。

 

「っ!?」

 

 俺は即座に車が走ってきていないかを確認する。ウマ娘であるウララとライスならば音で気付くだろうが、目視確認は大事なのだ。確認ヨシッ!

 

「あっ! あっちでクレープ売ってる! にんじんクレープだー!」

「わわっ、ウララちゃん!?」

 

 野良猫を追いかけていたウララだったが、その興味が公園に来ていた移動式のクレープ屋へと移る。ライスは引っ張られるがままだが、俺としてはウララがああやって引っ張っていく方が今のライスにはいいのではないかと思えた。

 

「こんにちわー! にんじんクレープください!」

 

 ウララが笑顔でクレープ屋に突撃し、人参クレープを二つ買う。そして一つをライスに渡すと、近くのベンチに座って二人で食べ始めた。

 

(この世界ってウマ娘用の料理がけっこうあるけど、人参クレープってどんな味なんだろうか……)

 

 さすがに食べたことがないが、人参は生なのか、それとも茹でているのか。意表を突いて焼き人参だろうか。

 

 そんなことを考えながら、俺はウララとライスが人参クレープを食べるところを見守る。

 

「おいしいね、ライスちゃん!」

「う、うん……美味しいね、ウララちゃん」

 

 ウララは頬が汚れるのにも構わずクレープにかぶりつき、ライスは端の方から齧るようにして食べていく。その辺りからも二人の性格の違いが垣間見えて、俺は懐から取り出したメモ帳に記入した。

 

(ライスはやっぱり控えめなタイプか……そういえば食事量はどんな感じだ? クレープ一個をあのペースで食べるのなら小食な方かもしれんな……後で人参ハンバーグを作ってやるし、確認しとこう)

 

 ライスの体の小ささ、細さは小食が原因かもしれない。まあ、細いといってもトレーニングで引き締まった体なのだが。

 

「わわっ……ウララちゃん、ほっぺにクリームついてるよ」

「えっ? どこ? ライスちゃん取ってよー」

「ふふっ……ほら、ここだよ?」

 

 クレープを食べ終わったウララだったが、左頬にクリームがべったりと付着していた。俺は懐から洗濯済みのハンカチを無意識の内に取り出していたが、いやいや待て待てとすんでのところで踏み止まる。

 

 そんな俺の視線の先で、ライスがウララの頬についたクリームを指で拭う。

 

「ウララちゃん、取れたよ?」

「わー、本当だ……あむっ」

 

 そして、ウララは何を思ったのか、クリームが付着したライスの指を口に含んだ。きっとクリームを食べたかったのだろう。仕方のない子である。いや、ナイスだウララ。良いおしおきだ。

 

「……うむ」

 

 俺は意味もなく呟き、かけていた伊達眼鏡をクイッと上げた。意味は特にない。本当にないのだ。

 

 ライスはウララの行動に驚いた様子だったが、仕方ないなぁ、といわんばかりに微笑んでいる。そうだぞライス、それは仕方のないことだぞ。だって相手はウララなんだぜ?

 

「すみません、少しお話をよろしいですか?」

「……?」

 

 俺がそうやってウララとライスを観察していると、不意に肩を叩かれる。何事かと思って振り返ってみると、そこには二人組の男性警察官が立っていた。

 

「あなた、さっきからここで何をしているんですか?」

(うぇっ!? 警察!? なんで!?)

 

 馬鹿な! 今の俺はどう見てもサラリーマンスタイル! 不審に思われるいわれなどないはずだ! ジャージにサングラスかけてマスクをつけたザ・不審者って格好じゃないんだぞ!?

 

「お仕事お疲れ様です。少し公園で休憩をと思いまして……ははは、外回りはお互い大変ですねぇ」

 

 内心では盛大に慌てた俺だったが、笑顔を浮かべて返答する。こういう時、取り乱すから怪しいのだ。堂々としていれば問題はない。

 

 俺はただ、公園のベンチに座ってクレープを食べている自分の担当ウマ娘二人をじっくり観察していただけなんだぞ!

 

「今日は日曜日ですよ? この辺りはビジネス街というわけでもないのに、何故スーツ姿でこんなところにいるんですか?」

(正論ッ……くそ、たしかに日曜日にスーツ姿は逆に目立つか? 優秀だな日本の警察!)

 

 日曜日だろうとこっちはスーツ着て仕事なんだよぉっ! と逆切れしてみようかとも思ったが、どうにも流れが悪そうである。というか、下手すると公務執行妨害で捕まる。

 

 俺は懐に手を入れると、名刺でも差し出すようにしてトレーナーライセンスを警察官に見せた。

 

「私こういう者でして……」

「え? ああ、トレセン学園のトレーナーさんなんですね。でもその格好は……」

 

 持ってて良かったトレーナーライセンス。ウマ娘のレースが国民的娯楽になっているからか、トレーナーもそれなりに社会的信用度があるのだ。

 

 よくよく考えたら、先輩トレーナーの中には黒い中折れ帽子をかぶってサングラスかけて、上下白色のジャージ着てるけどシャツは着てないから腹筋剥き出し、みたいな人もいたわ。それと比べるとスーツ姿のトレーナーなら普通だよね。

 

「あ、先輩。向こうのウマ娘ライスシャワーですよ。ほら、菊花賞で勝ったウマ娘です」

「ああ……ミホノブルボンの三冠を阻止したっていう……」

 

 俺に声をかけてきた警察官と一緒にいた若い警察官がライスに気付き、声をあげる。それを聞いた先輩警察官が呟くように言った一言に、俺はピクリと眉を動かした。

 

 繰り返しになるが、ウマ娘のレースは国民的娯楽だ。だからこそGⅠクラスの有名なレースに出るウマ娘は相応に有名だし、顔も知られている。

 しかし、ウマ娘達がどれほどのトレーニングを積み、どれほどの熱意を持ってレースに挑むかを知る者はそれほど多くないだろう。

 

 誰が勝った、誰がどんな記録を残した、誰がすごい。そういう面にだけ目を向けるのも、仕方がないと言える。

 

 ――()()()()()これはチャンスだと俺は思った。

 

「やはり、ミホノブルボンの三冠を阻止したという風に思われますよね……」

「ええ、まあ……」

「お、あっちの子はハルウララじゃないですか。あの子、近所の商店街でも有名なんですよねー。俺、あの子の走り好きですよ。明るくて元気で一生懸命って感じで。この前未勝利戦で勝った時なんて、思わず手に汗握っちゃいましたよ」

 

 後ろのお兄さん、あなた通だね? 今度一緒に飲みに行きましょう……じゃない。

 

「ライスも一生懸命なんですよ。いえ、一生懸命なのはライスだけじゃなく、ウマ娘ならみんなそうです。一生懸命トレーニングをして、必死にレースで走って1着を目指す……それはウマ娘ならみんなそうなんです」

 

 ここで、ライスの苦労を知らずに何を言うのかと詰め寄るのは簡単だった。というかそうしたい。だが、俺は意識して苦笑を浮かべ、いつの間にかライスのクレープを二人で分け合って笑い合っているウララとライスを見る。

 

「自分が応援しているウマ娘が負けると悔しい……そう思っていただけるのはトレーナーとしても嬉しいですけど、勝ったウマ娘も必死に頑張っているんです。どうか、それだけはご理解いただけないでしょうか?」

 

 今のご時世、インターネット上でライスのことをアピールしたとしても、もっと大きな声と数で押し潰されるだろう。だが、こうして面と向かって一対一で話すのならば、割とどうにでもなる――と、思いたい。

 

 たとえば、レース場でライスがミホノブルボンに勝った直後に『ミホノブルボンの三冠を見たかった』と誰かが口に出せば、それに同調する人は少なからず出る。しかし時間を置き、なおかつ自分の意見に同調する人がいなければ、話を聞くだけは聞いてくれるだろう。

 

 それでも中には『俺はミホノブルボンが無敗で三冠を達成するところを見たかったんだ!』と言う人もいるだろうが、それはもう仕方のないことだ。俺はライスのファンだから肩を持つが、ミホノブルボンにも彼女の活躍を心から望んだファンがいるのである。

 

 その辺は人の気持ちだから、どうにもならない部分がある。しかし、目の前の警察官はそうではなかったらしい。

 

「なる、ほど……いえ、たしかにそうですね。ウマ娘もみんな頑張ってるんだ……それに、ああして見ると他のウマ娘と変わらない……いえ、小柄で可愛らしいぐらいで」

「先輩、その発言、隣で聞いてるとちょっとやばいです。俺、先輩に手錠かけたくはないですよ」

 

 きちんと話せばわかってくれる人だった。だから俺は笑顔で感謝を告げて、移動し始めたウララとライスを追うのだった。

 

 ちょっとやばいと思って逃げたわけでは、断じてないのである。

 

 

 

 

 

 さて、相変わらずウララとライスの休日ウォッチングをしている俺だが、俺が思っていた以上にライスシャワーというウマ娘が持つ知名度は大きいようだ。

 

 町を歩けば多くの人が気付き、その名前を呟いている。中には険しい表情を浮かべる者、不満そうな表情を浮かべる者もいるが、直接ライスに何かを言う者はいなかった。

 

 それでもライスは周囲の雰囲気を感じ取っているのだろう。居心地が悪そうに身を縮こまらせる――なんて暇は、なかった。

 

「ライスちゃん? 次はあっちに行こーよ!」

 

 周りの空気など知ったことか、と言わんばかりに笑顔でライスの手を引くウララが傍にいたからだ。最初はライスのことを不満そうに見ていた者も、バツが悪そうな顔になってその場を去っていく。

 

 ライスは手を引くウララを、眩しいものでも見たような顔で呆然と見つめる。ウララはそんなライスの表情に首を傾げていたが、ふと、何かに気付いた様子でスマートフォンを取り出し、尻尾をピンと立たせた。

 

「あっ! もうこんな時間になっちゃった! ライスちゃん、今度は商店街に行こー! トレーナーがにんじんハンバーグ作ってくれるって言ってたから、材料買っていかないと!」

「えっ、う、うん……」

 

 ウララはライスの手を引いて再び駆け出し――笑顔で振り返って言った。

 

「えへへー……ライスちゃんと一緒に遊んでたら、すっごく楽しくて時間を忘れちゃった!」

「っ……」

 

 ライスの耳がピクリと動く。そして表情が一瞬だけ歪んだものの、すぐにほころぶような微笑みを浮かべた。

 

「うん……うんっ! ライスもね、ウララちゃんと一緒だと楽しいっ!」

 

 その言葉にどれほどの思いが込められているのか、俺には想像することしかできない。

 

 だが、ライスの嬉しそうな表情を遠目に確認できた俺は、小さく笑ってその場を後にする。

 

 あとは商店街で買い物をして、トレセン学園に戻ってくるだけだ。ウララと一緒に商店街に行けば、ライスも必ず受け入れられるだろう。

 

 そう判断した俺は、トレセン学園へと足を向ける。本当は最後まで見ていたいが、これから料理の準備があるし、トレセン学園で仕事をしていたってアリバイを作らなければならないのだ。

 

 

 

 

 

「それでね! それでね! ライスちゃんと一緒に買い物に行ったらね、やおやのおじちゃんがこーんなににんじんをくれたの!」

「うんうん、そうかそうか。それは良かったなぁ、ウララ」

「そのあとお肉屋さんに行ったらね、おばちゃんがこーんなにお肉をサービスしてくれたんだよ!」

「なるほどなぁ……そうなのかぁ」

 

 俺はトレセン学園に戻ってきたウララとライスを笑顔で出迎えると、二人と一緒に調理室へと足を運んだ。

 もちろん、スーツではなくジャージ姿である。伊達眼鏡も外して証拠は隠滅済みだ。いや、何の証拠かはわからんが。

 

 そうやって今日あったことを一生懸命話すウララに相槌を打つ俺だったが、額には冷や汗が一筋流れていた。何故かって?

 

「ところでライス……それ、本当に重くないのか?」

「平気だよ?」

 

 ウララとライスが一抱えもある段ボールにぎっしりと肉と野菜を詰めて持ち帰ったからだ。しかも、二箱である。重さはひと箱でも軽く10キロを超えて20キロ近いかもしれないというのに、ライスには程よい重さでしかないのか、二箱まとめて平然と抱えていた。GⅠウマ娘ってすごい。

 

(というかコレ、使い切れるか? 野菜は日持ちするからいいとして、肉はどうしよう……)

 

 ウマ娘の中では小柄なウララでさえ成人男性の俺よりもたくさん食べるが、さすがに量が多いのではないか。そう思ったものの、この後人参ハンバーグを作った俺は度肝を抜かれることとなる。

 

「なん……だと……」

 

 なんと、ライスは俺の想像を遥かに超えて大食いだったのだ。

 

 俺が作った巨大人参ハンバーグ三段重ねピーマン仕込みをペロリと平らげ、おかわりを希望してもう一皿ハンバーグを食べ、ごはんもどんぶりでおかわりを繰り返した。

 

(お、おかしいな……体積から考えると明らかに食べきれる量じゃないんだが……まさか、食べた端から消化してエネルギーに変換している? くそっ、やっぱりトレーナーとしての経験不足が痛いなっ!)

 

 養成校じゃこんなことは習わなかったぞ! たしかにウマ娘はたくさん食べるって習ったし、ウララも外見以上に食べるけども!

 

「トレーナーが作ってくれるにんじんハンバーグ、おいしいでしょ? わたしね、すっごく好きなんだー!」

「うん……すごく美味しい」

 

 お世辞ではなく、美味しいと思ってくれているのだろう。次から次へと平らげていったライスの姿を見ればそれはわかる。

 

「そりゃ良かった……ライス、今日は楽しかったか?」

 

 幸せそうにハンバーグを食べ終えたライスを眺めながら、俺は尋ねる。すると、ライスは目をパチパチと瞬かせてから頷いた。

 

「ライス、とっても楽しかった……今までにないぐらい楽しかったよ」

 

 そう言って柔らかく笑うライスに、俺は何度も頷いた。

 

「それなら良かった……よし、後片付けはやっとくから、ウララもライスも今日はしっかりと休むこと。おしおきだから自主トレーニングも禁止な。でも、明日から気合いを入れてトレーニングだ。いいな?」

「はーい!」

「う、うん……がんばるぞ、おー」

 

 両手を上げて元気よく返事をするウララと、胸の前で拳を構えて小さく呟くライス。

 

 二人のそんな姿に笑顔を浮かべ、俺は調理室を出て行くウララとライスを見送る。

 

「さーて、俺も頑張るかぁ」

 

 ウララとライスのはしゃぐ姿を見て元気が出た俺は、後片付けを済ませてからトレーナー用の共用スペースへと向かうのだった。


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