リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
ハルウララの担当トレーナーになった日の翌日。
俺は授業を終えたハルウララと合流し、早速育成に取りかかっていた。
午前中の内に理事長と駿川さんに呼び出された時は一体何事かと思ったが、ハルウララを育成すると断言して退室してきた。
二人とも何か言いたげだったが、前途有望なハルウララと引き離そうとしてもそうはいかない。新人トレーナーの俺ではなくベテランのトレーナーに任せたかったのかもしれないが、俺が望み、ハルウララも応えてくれたのだ。
新人の俺にはトレーナーとしてのプライドなどと呼べるものはないが、引き受けてくれたハルウララを別のトレーナーに任せるつもりなど毛頭なかった。
「よし、それじゃあ早速トレーニングに入る……といいたいところだけど、ハルウララ!」
「うんっ! なになに?」
「まずは君にテストを受けてもらう!」
ジャージに着替えた俺はハルウララの前でそう宣言する。すると、俺と同じくジャージ姿のハルウララは耳をへにょりと倒して首を傾げた。
「て、てすと? わたし、勉強は苦手だよー?」
そう言って自信なさげに尻尾をへたらせるハルウララ。それを見た俺は苦笑すると、用意していた備品のストップウォッチを見せる。
「テストっていっても勉強のテストじゃないさ。お前さんがどれだけ走れるか確認したいってだけだよ」
ウマ娘と一口に言っても、その適性や能力は千差万別である。
ウマ娘が参加するレースでは距離によって短距離、マイル、中距離、長距離という分類がされており、レースによって求められる適性と能力が大きく異なる。
短距離走が得意なスプリンター。
マイル走が得意なマイラー。
中距離走が得意なミドルディスタンス。
長距離走が得意なステイヤー。
中にはどんな距離でも走れるオールラウンダーも存在するが、それは非常に稀だ。
さらに、ウマ娘にはそれぞれが得意とする走り方も存在する。
レースのスタートと同時に先頭を取り、そのままゴールまで駆け抜ける逃げ。大逃げや溜め逃げという分け方もあるが、基本的には逃げと表現して問題ないだろう。
逃げよりも後方に位置するが全体で見れば前方につき、隙あらば逃げるウマ娘を抜き去る先行。
バ群の中団ややや後方に位置しながら駆け、レース終盤に最終コーナー辺りから加速して前のウマ娘を抜き去る差し。
レースの終盤まで最後方に待機し、最終直線辺りでバ群の大外から一気に抜き去る追い込み。
基本的にこの四つの中から自分に合った走り方を選び、レースに挑むことになる。
得意な距離を得意な戦法で走ることでウマ娘は力を発揮しやすくなるが、他のウマ娘にブロックされたり、マークされたり、状況によってはぶつかられたりすることもある。
出走する他のウマ娘やバ場、天候といった要素も重要だが、まずはハルウララがどんなウマ娘かを知ることが最重要なのだ。それによって今後の育成方針や出走するレースを決めていくことになる。
「……とまあ、こんな感じでな。お前さんがどんなウマ娘かを知るためのテストだ」
俺が説明をすると、ハルウララはぽかんとした顔になった。しかしすぐに笑顔になると、はしゃぐようにしてその場で飛び跳ねる。
「ふぇー……すごいすごいっ! トレーナー、トレーナーみたい!」
「うん、トレーナーだからね? 俺、ちゃんとライセンスを持ってるからね?」
ウマ娘のレースを観戦する一般人でも多々知っている程度の知識だったが、ハルウララからすれば感心するに足る情報だったらしい。遠回りに馬鹿にされている可能性もあったが、ハルウララの純粋な笑顔を見ているとそんなことはあり得ないだろうと思えた。
「というわけでハルウララ、お前さんには……そうだな。準備運動をしてから各距離を一本ずつ走ってもらう。他のウマ娘はいないけど、本番のレースだと思って本気で走るように……どうした?」
俺が指示を出していると、ハルウララがじーっと見つめてくる。そのため何事かと首を傾げると、ハルウララはにぱっと笑顔を浮かべた。
「わたしのことはウララって呼んでほしいなー! だめ?」
「ん……お前さんが構わないならそう呼ぶか。えー……ウララ」
「うんっ! それじゃあじゅんびうんどーするね!」
いっちにーいっちにーと言いながら準備運動を始めるハルウララ――ウララの姿に俺は頭を掻く。
やけに人懐こく思えるが、ウマ娘を育成するのが初めてのため適切な距離感がわからない。ウマ娘を愛称で呼ぶトレーナーがいるとは聞いているが、まさか自分が育成初日にそんなことになるとは思ってもみなかった。
だが、ここ最近ウマ娘をスカウトしようとしては袖にされ続けた身としては、その距離感の近さが嬉しくもある。
「トレーナー! じゅんびオッケーだよ!」
「っ……よし、それじゃあまずは短距離走からいくぞ! 怪我しない範囲でいいけど、なるべく全力で走るように! 走り方はウララが好きなように走って構わないぞ!」
準備運動を終えたことを元気良く報告してくるウララに対し、俺も負けじと声を張り上げる。ウララがここまで意気込んでいるのだ。トレーナーである俺が暗い顔を見せるわけにもいかない。
「よーしっ! がんばるぞー!」
「その意気だ! 準備はいいな? それじゃあ……よーい、スタート!」
俺はワクワクしながらストップウォッチのボタンを押す。それと同時にウララが駆け出し、コースを走り始めた。
最初に走らせるのは短距離走として芝のコースで6ハロン1200メートルだ。トレセン学園には多くのウマ娘が在籍しているため練習コースも大量に用意されており、その内の一つを使ってのタイム計測となる。
(育成を始めたばっかりだし、本番のレースってわけでもない。まずは1ハロンあたり13秒……いや、14秒を切れば良い方か?)
ウマ娘は時速60キロオーバーを叩き出す生き物だが、さすがに最初から最後までトップスピードを維持することはできない。それでも最高速度で70キロを超え、平均速度でさえ60キロを超えるウマ娘がザラにいる世界だ。
ウララに課した短距離のレースは、本番で最高速に乗れば1ハロン200メートルを大体10秒から11秒台前半で走ることになる。1ハロンを12秒台で走れば時速60キロ前後、13秒台で走れば時速54キロ前後だが、さすがに短距離を走るウマ娘で1ハロン13秒台はかなり厳しい。
それでもウララは育成を始めたばかりのため、これからどんどん速くなっていくだろう。仮にタイムが悪くても、短距離向きではないウマ娘という可能性もあるのだ。
本番と違って競う相手がいないため本気が出しにくいかもしれないが、他のウマ娘に邪魔をされないという意味では優れたタイムを出しやすいとも言える。
俺はコースを走るウララを観察しながらラップごとのタイムを測りつつ、そんなことを考えていたのだが――。
(フォームがバラバラだし半分も走ってないうちにバテてるように見えるけど、気のせいかな?)
ウララの走る姿を見た俺は、思わずそんなことを考えた。養成校やレース場で様々なウマ娘の走る姿を見てきたが、ウララの走る様は明らかに未熟で精彩を欠いている。
「ふぅ……ふぅ……ゴールっ!」
そして今、ウララが1200メートルを走り切った。息を乱し、額からは汗が流れているが満面の笑顔である。
「……?」
そして俺は、ストップウォッチに表示されたタイムを見て首を傾げていた。好きなように走れとは言ったが、タイムを見る限りスタート直後が最も速く、ゴールが近付くにつれてどんどんタイムが落ちている。
その傾向だけを見れば逃げを選択したのかと思ったが、ウララの速度ではスタート直後に他のウマ娘に捕まってそのまま後方に置き去りにされてしまいそうだ。
「はぁ……はぁ……楽しかったー! トレーナー! どうだったのー!?」
嬉しそうに笑いながら駆け寄ってくるウララにウマ娘用のスポーツドリンクを渡しつつ、俺は曖昧に笑う。
「お、おう! えーっと、なんだ……休憩したら次はマイル走だけど走れるか?」
今の本気で走ったか? などとは聞けなかった。出会って一日しか経ってないが、ウララが手を抜いて走ったようには見えなかったからだ。
「うん! 今日のウララはぜっこーちょーだからね! まいる? でもなんでもドンとこいだよ!」
ウララは文句の一つも言わず、休憩が終わると楽しそうにスタート位置まで駆けて行く。
「そ、そっか……絶好調なのか……」
ウララの背中を見送った俺は、小声でそう呟いていた。
(短距離が苦手? いや、仮に短距離が苦手でもそれなりのタイムが出るはず……ということは長距離が得意な可能性が……走り出してすぐにバテてたよな……)
育成が始まったばかりだが、トレセン学園に入園できるウマ娘は子どもの頃から走るのが速く、地元では負け知らずだったという者も珍しくない。これからの育成でどんどん成長していくにしても、入園の時点である程度の能力があってもおかしくないのだ。
どういうことだろうか、と頭を悩ませながら俺はマイル走のタイムを測る。
「…………」
そしてタイムを確認すると、再度ウララを休憩させてから今度は中距離走のタイムを測った。
「………………」
そして最後に、長距離走のタイムを測った。
「……………………」
その度に俺の表情は変なことになっていった。こんな時どんな表情をすれば良いのかわからなかった。そんな俺と違い、ウララは終始笑顔だった。
「ぜぇ……ぜぇ……トレーナー、どうだった?」
いくら休憩を挟んでいるとはいえ、さすがに各距離のコースを走って疲れたのだろう。ウララは肩で息をしながら問いかけてくるが、そこには笑顔と共に達成感らしきものが見て取れる。
「うん……そう、だな……うん……」
俺は意味のない言葉を呟きながら、これまた意味もなく頷く。
(やっぱり遅い……遅くない? 養成校で教わった平均タイムよりかなり……いや、滅茶苦茶遅いような……)
養成校ではしっかりと勉強したつもりだったが、ウララのタイムを見た限りウマ娘としては平均どころか最低に近いタイムのはずだ。下手するとウララが疲労した状態なら、100メートル走に限っては人間の方が速いかもしれないほどである。
ウララは走らせる距離が伸びるにつれて1ハロンあたりのタイムがどんどん悪くなっていったが、短距離と長距離を比べた場合それは当然のことである。さすがのウマ娘といえど、長距離を短距離と同じような速度で走り続けられるほど生き物の枠から外れていないのだ。
だが、ウララの場合は距離が伸びたからと言い訳もできないほどにタイムが悪くなっている。長距離の後半などバテバテで、走っているのか歩いているのかわからないぐらい遅くなっていた。その状態のウララと競争すれば俺の方が速く走れると思ったほどだ。
他の中等部のウマ娘と比べた場合、ウララの能力はかなり劣っている。もしかすると地方のウマ娘よりも劣るかもしれない、と危惧するほどに。
(本当にこの実力でトレセン学園が入園を許可したのか? でも手を抜いているようには見えない……笑顔を浮かべちゃいるが全身汗だくで息も荒いし……つまり、これで全力?)
各距離を一本ずつ走らせただけだが、現状では短距離しか向いていない――正確に言えば短距離しか体力がもたない。しかも、体力がもつと言っても中盤に差し掛かる頃にはバテてしまっていたので、最もマシなのが短距離というだけだ。実際のレースになれば練習通りの力を発揮するのも困難だろうから、もっと早い段階で力尽きるかもしれない。
(適性距離は短距離として、走り方は……追い込みで体力を温存させる? 無理だ。ウララの足じゃ後方で待機したままの形でゴールを通過しかねんぞ……かといって逃げじゃあ途中で力尽きるだろうし、先行も前を走るウマ娘をマークしきれるか……そうなると差し、か)
これからのトレーニングでウララがどんな成長を見せるかによるが、差しで走らせるのが無難だろうか。
まずは根本的な問題として走るフォームを改善し、スタミナをつけさせ、最高速度を上げ、レースの展開によってどう走るべきかなどを教えなければならないが、それによって他の距離を走ったり、戦法を選んだりできる水準まで鍛えることができるのか。
(他に何か……何かないのか……この子の長所になりそうな部分は……)
短所が多すぎて、他のウマ娘にとって平均レベルのことさえウララにとっては長所になってしまいそうだ。
(何かあるはずなんだ……そうじゃなきゃ、前世であれだけハルウララって馬の名前を見かけるわけがない。最初が勝てないだけで、後々ものすごく強くなるとか? 大器晩成型か?)
そうであるならば、トレーニングを積む前のウララの足が遅く、体力に乏しい理由にもなる。だが、そうであるならばこれからの俺の育成手腕がウララの将来を左右するということになりかねない。
「……ウララ、各距離を走ってみてどうだった?」
俺はウララの分析もそこそこに、本人の感想を求める。すると、水分補給をしていたウララは花が咲くような笑顔を浮かべて満足そうに言った。
「すっごく楽しかった! やっぱり走るのって楽しいねー!」
「楽しかった……か」
ウマ娘全般に言えることだが、彼女達は走るために生まれ、生きていく。少しでも速く、他のウマ娘よりも速く、レース場を駆けることが存在意義であり生き様なのだ。
中には走ることではなく他のことに興味を持つウマ娘もいると聞くが、彼女達ウマ娘にとって走ることは人間でいうところの三大欲求に近いものがある。
それでも走ることを心から楽しんでいるように見えるウララが、俺の育成次第で落ちぶれ、その笑顔を曇らせていくことになる――かも、しれない。
「…………」
俺は無言で静かに、しかしウララに悟られないようブルリと体を震わせた。
トレーナーはウマ娘の将来を預かることになると知識では知っていたが、俺は愚かにも今このタイミングになって強く実感してしまったのだ。
それを思えば、模擬レースに参加していたウマ娘達が俺のスカウトを一顧だにしなかったのもよく理解できた。新人トレーナーという以前に、俺に自らの将来を預ける気になれないと判断したのだろう。
「トレーナー、どしたの? どこか痛い? だいじょうぶ?」
そんな俺の様子に気付いたのか、それまでの笑顔から一転してウララが心配そうに覗き込んでくる。俺はすぐさま表情を取り繕って薄く笑うと、余裕を示すように首を横に振った。
「いや……大丈夫だ。それじゃあ休憩が終わったら次はダートで走ってみようか」
「だーと?」
「そう、ダートだ。芝生のコースじゃなくてあっちの……ほら、地面が砂になっているコースがあるだろ? あそこで走るんだよ」
ウララに説明をすると、再び笑顔を浮かべて元気よく走っていく。先ほどまで疲れていた様子だったのに大した回復力だと俺は苦笑を浮かべた。
そして、ダートコースで短距離、マイル、中距離、長距離と走らせた俺は一つの確信を抱く。
(この子、芝じゃ死ぬほど遅いけどダートならまだマシだな……足場が悪い方が力を発揮するのか? 足場が悪いのに芝より良いタイムが出るってのはどんな理屈だ?)
ダートは砂に足を取られるため、芝と比べて走りにくいものだ。それだというのにウララはダートの方が良いタイムが出ている。
これもウマ娘という生き物だからこそ起こり得ることなのか、ウララだけの現象なのか。長距離を走らせてみても、芝のコースと比べてダートのコースの方がスタミナがもっているようにも見える。
芝のコースでは短距離でさえ絶望的だったが、ダートのコースなら短距離に加えてマイルまで走ることができそうだった。
つまり、ウララはダートかつ短い距離のレースに特化したウマ娘なのだ。
スタミナを鍛えていけば中距離以上も走れるようになるかもしれないが、ラップタイムを見たところ中距離以上は明らかにタイムが悪くなっている。長くてもマイル走までに留めておくべきだろう。
(芝のレースは避けてダートのみ。ダートだと先行の方が有利で差しは伸びにくいって聞くが、走り方はやっぱり差しだな……追い込みもいけそうだけど、まずは一つの戦法で鍛えた方が良さそうだ)
俺はラップタイムを書き込んでいたメモ帳に自らの所感を書き加えていく。
育成初日のため今後新たな問題点が出てくる可能性もあるが、当面の育成スケジュールを立てることができそうだ。
「はふぅ……ねえねえ! どうだった!?」
そうやってメモ帳にペンを走らせていると、ある程度息を整えたウララが駆け寄ってきた。そんなウララに対し、俺は先ほどまでのものとは違う、心から笑顔を浮かべる。
「芝と比べると断然速かったぞ! よくやった、ウララ!」
「ほんとっ!? やった! やったー!」
レースに勝ったわけでもなく、新人トレーナーに過ぎない俺が褒めただけだというのにウララは大喜びだった。両手を上げてぴょんぴょんと飛び跳ねるその姿は、ウララが小柄というのもあってよく似合っている。
芝でのタイムはすさまじく遅かったが、ダートのタイムはまだ見れるレベルである。それでも他のウマ娘と比べればかなり劣るが、それでも俺はウララのダートでの走りぶりに光明を見出した。
それと同時に、午前中の内にウララの育成に関して啖呵を切った理事長と駿川さんがにっこりと笑う姿を幻視し、俺は密かに体を震わせるのだった。
――大丈夫だよな? ハルウララなんだし……。