リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第22話:新人トレーナー、決断する

 ライスと話をしたいと要望するミホノブルボン。それを聞いた俺は、ひとまずインタビュー会場の近くから離れ、以前ライスと初めて会った際に利用した保健室へと足を運んだ。

 

 さっきあれだけ騒いだというのに、ライスとミホノブルボンが一緒にいるところを見られたら余計な騒動になりそうだからだ。また、ミホノブルボンの雰囲気から、余計なギャラリーは邪魔だろうと思ったのである。

 

「ブ、ブルボンさん……えっと、その、足は……」

「コンディション、不調であると返答いたします。マスターの指示により静養に努めていますが、完治までにかかる時間は現状、計測不能です」

 

 中々独特な喋り方をする子だが、話をまとめると完治の目途が立っていないということだろう。ミホノブルボンはギブスなどで固定はしていないが、右足を庇うような動きをしながらベッドに腰を掛けた。

 

 ミホノブルボンがマスターと呼ぶトレーナーは、トレセン学園に所属するトレーナーの中でもスパルタな育成で有名な人物である。その代わり、ミホノブルボンのように強いウマ娘を育てることで定評がある人でもあるのだが。

 

「……ライスと一対一で話がしたいって要望は理解した。だが、ライスは明後日に有記念が控えている身だ。すまんが、俺とウララも立ち会わせてもらう」

 

 ミホノブルボンがライスを害することはないだろうが、万が一ということもある。また、ミホノブルボンにそのつもりがなくとも、ライスの心を傷つける可能性は無視できない。

 

 そのため俺は近くにあった椅子に座り、ここから動かないということを意思表示する。ウララは少しだけ困惑した様子だったが、俺を真似るようにして椅子を運び、俺のすぐ傍で椅子に座った。

 

「……了解いたしました。押しかけたのはこちらです」

 

 ミホノブルボンは少しばかり思案したものの、すぐに納得したように頷く。そしてライスに視線を向けると口を開き――何かに迷うようにして、口を閉ざす。

 

「……困りました。こういう時に、どのように話せば良いか私はよくわかりません」

「ブ、ブルボンさんの好きなように話せばいいと思う、よ? ライス、いくらでも待つから」

 

 ライスは戸惑っている様子だが、ミホノブルボンと話をしたいと思っているのだろう。ミホノブルボンの前に立ち、時間がかかっても良いからと待ちの姿勢を取る。

 

「好きなように話す……了解いたしました。少々お待ちください」

 

 ミホノブルボンは視線を宙に向け、数十秒かけて何かを考えていく。俺の隣でウララが不思議そうな顔をしているが、ミホノブルボンなりに何か大切な話をしにきたと察しているのだろう。俺がわざわざ話す必要もないぐらい、大人しくしている。

 

「完了いたしました……最初に、ライスさん。私はあなたに謝罪しなければなりません」

 

 そう言って、ミホノブルボンが頭を下げる。しかし、ライスとしては予想外の話の切り出しだったのだろう。困惑したように首を傾げる。

 

「な、なにを? ライス、ブルボンさんに謝ってもらうことなんてない……よ?」

「いいえ、あります。菊花賞のウイニングライブで観客が見せた振る舞い……私はアレを止めるべきだったと後になって判断しました。しかし、当時の私の中には何故あんなことが起きたのか理解できず、エラーが多発していたのです」

 

 菊花賞のウイニングライブと聞き、ライスの表情が強張る。俺は思わず椅子から腰を浮かしかけたが、ミホノブルボンの表情を見てすぐに思い留まった。

 ミホノブルボンは、機械的な物言いをしながらもその表情を悔しそうに歪めていたからだ。

 

「私にはクラシック三冠を制覇するという夢がありました。そして、マスターの指導のもと、それを成せるだけのトレーニングを積んできたという自負がありました。しかし私はライスさん、あなたに負けました」

「…………」

 

 ライスは何も答えない。ただ、ミホノブルボンから語られる事実に顔を俯かせ――。

 

「俯くな、ライス」

 

 俺はそれを遮る。何も恥じることはない、誇るべきだとその背中に声をかける。

 

「そうだよライスちゃん。ライスちゃんはいっしょうけんめーがんばっただけだよ」

 

 そしてウララもまた、俺の言葉に同調して声をかけた。そう、ライスはミホノブルボンに勝つために一生懸命頑張って、勝った。ただ、それだけのことである。

 

「申し訳ございません。誤解を招く物言いでした。私は、ライスさんを糾弾するためにこの場を設けたわけではありません。むしろ逆です」

 

 ミホノブルボンは言い方が悪かったと即座に謝罪する。

 

「……逆?」

 

 ライスは俯きかけた顔を上げ、ミホノブルボンを見る。ミホノブルボンはライスの視線を受けると、言葉を探すように再び宙を見つめた。

 

「あの時私の中に発生したエラーの多くは、何故ライスさんに負けたのかという疑問でした。皐月賞で勝ち、日本ダービーでも勝った。菊花賞は私の適性距離からすると少々……いえ、かなり厳しいものがありましたが、その不利を補えるだけのトレーニングをしたと私もマスターも分析しています」

 

 そう話すミホノブルボンの顔は表情の変化に乏しい。しかし俺からすると、そこには『悔しい』という感情が透けているように見えた。

 

「ですが、私は敗北しました。あなたが私の背後にいたことは理解していました。あなたが私に勝つべく様々な努力をしていたことも理解していました。ですが、私はあなたに勝つと、勝ってみせると思いながら走り……敗北しました」

 

 そう言って、ミホノブルボンの耳と尻尾が垂れる。

 

「それが何故なのかわからず、そしてウイニングライブが何故ああなったのか理解できず、私は多くのエラーを起こしたのです」

 

 そう話すミホノブルボンだが、無敗でクラシック三冠に王手をかけるというのは尋常ではない難業だ。ミホノブルボンがそれを成そうと人並み外れた努力をしてきたのは、その体つきを見れば理解できる。

 

 それでもライスに負けた。それが理解できずに、ミホノブルボンは苦しんでいた。

 

「私は自分の感情が理解できなかった。それでも理解しようとして、あなたが置かれた立場に気付くのが遅れてしまった……先ほどの謝罪は、そういうことです」

(ライスに負けたことが悔しかった……いや、悔しいと思うことさえ初めてだったのか)

 

 ミホノブルボンの話を聞いた俺はそう考え、すぐにあることに気付いて苦笑する。

 

(そりゃそうか……この子は()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ。なんでロボットみたいな喋り方をしてるのかはわからないが、負けたのが初めてで悔しさを理解できなかったのか……)

 

 負けても悔しいと言わず楽しかったと言えるウララと似ているようで、まったく違う。ミホノブルボンはウマ娘として初めての敗北を味わったものの、抱いた感情が大きすぎて理解の範疇を超えていたのだろう。

 

 勝利に向かってミホノブルボンは努力をした。それは間違いのない事実だ。無敗でクラシック三冠に王手をかけるほどとなると、勝利への執念は並外れたものだろう。

 

 だが、結果だけで述べるならば。

 

 レースに勝とうとしたミホノブルボンと、()()()()()()()()()()()()()()()()()の差が出た――それだけのことだろう。

 

 ミホノブルボンが1着になれる実力があったからこそ、そんな彼女を差し切ったライスが菊花賞で1着になった。

 

 レースに絶対はない。しかし、ミホノブルボンの走りは見る者に勝利の確信を与えるほどにすさまじいものだった。

 だからこそライスが目標として定め、ミホノブルボンを凌駕するほどの走りを見せたのは運命の悪戯か。

 

(いや、運命の悪戯なんて言葉、ライスへの侮辱だな……ミホノブルボンも必死だったけど、ライスはそれ以上に必死だった。それだけだ)

 

 そして菊花賞で勝った結果があのウイニングライブだったと思うと、俺は今更ながらに怒りで腸が煮えくり返りそうになる。元々怒りを抱いてはいたが、ミホノブルボンとライスの話を聞いて怒りが燃え上がったように感じた。

 それでも、この怒りを表に出すことはない。怒り、悲しみ、傷ついたのは俺ではなくライスだ。自分が悪いと、自分が周りを不幸にするのだと涙ながらに訴えたライスだけが怒る権利がある。

 

(でもそこで怒ってくれないからこそのライスなんだよなぁ……自分が悪いって……ああ、くっそぉ……)

 

 自分が悪いと抱え込んでしまうライスだからこそ、俺も支えたいと思ったのだ。もしも菊花賞のウイニングライブでブーイングを浴びた際に、『負けたのが悪い』と言い切れるメンタルがあったら俺が育成なんてしていない。というか、ライスも新人トレーナーの俺に育成を頼むはずがない。今も一人でトレーニングに励んでいただろう。

 

 俺が発散しようのない感情を抱いていると、ミホノブルボンがライスを見詰めながら言葉を続ける。

 

「あのあと、私はあなたに何度も声をかけようと思いました。ですが、それはできなかった……あなたが掴み取った勝利という栄光を汚したのは、私です。声を……かけられませんでした」

 

 そう言ってミホノブルボンが再び頭を下げた。それは謝罪のためではなく、自責の念で勝手に頭が下がってしまったのだろう。

 そんなミホノブルボンに困惑した様子のライスだったが、すぐに唇を引き結び、震える声で尋ねる。

 

「じゃあ、なんで……今日は、ライスに声をかけたの?」

 

 その疑問は心からのものだろう。ライスからすれば、声をかけることができなかったと話すミホノブルボンがわざわざこうして話し合いの場を設けたのだ。

 ミホノブルボンは視線を彷徨わせたかと思うと、何故か俺を見る。

 

「本当は、必要がない、と判断していました。しかし、今日もまた、私のせいで迷惑をかけてしまった……」

 

 その言葉に、俺は眉を寄せた。それではまるで、自責の念から逃れたいがためにライスに話しかけたように思えてしまう。

 しかし、そう考えた俺とは違うのだろう。ライスはただ黙ってミホノブルボンの言葉を待っている。

 

 ミホノブルボンは体を震わせていたが、やがて、絞り出すようにして呟いた。

 

「あなたはすごいウマ娘なんです、ライスさん」

「……え?」

 

 そして、その言葉はライスの予想を遥かに超えるものだったのだろう。何を言われたのかわからない、といわんばかりにライスが目を見開く。

 

「菊花賞の最終直線……あなたに抜かれたあの瞬間。差し返そうとして縮まらない距離に私は絶望しました。ですが、同時に思ったのです。私の目の前を駆けるウマ娘は、なんてすごいんだ……と」

 

 ミホノブルボンは両手を顔に当て、懺悔する罪人のように言葉を吐き出していく。

 

「あの背中に追いつきたいと、そう思いました……ですが、そう思えたあなたは称えられるどころか、非難された……それで余計にエラーが……私は、わからなくなりました。私が幼い頃から抱いていたクラシック三冠という夢を超えて、あなたに勝ちたいと思ったのに……私は……」

 

 おそらく、ミホノブルボンも自分が抱いている感情を完全には理解できていないのだろう。体を震わせながら吐き出す言葉は支離滅裂で――だからこそ、彼女の本心だと思えた。

 

「それでも、あなたは立ち上がりました。二週間前にあなたが走った模擬レースを見て、私は確信しました。ライスさん……あなたはそちらのトレーナーと共に、更に強く、速くなる……ですが、私はもう……あなたに追い付けないっ!」

 

 涙さえ滲んだその言葉と内容に、俺は口を挟むまいと思っていたにも拘わらず口を開いてしまう。

 

「まさか君、その右足……」

「……菊花賞から約二ヶ月。静養に努めてきましたが、一向に良くなる気配がありません。適性のない距離に挑んだツケが回ってきた……ということなのでしょう」

 

 自嘲するようにミホノブルボンが言う。それを聞いた俺は、音が鳴るほどに奥歯を強く噛み締めた。

 

「君のトレーナーは、何て言ってるんだ?」

「マスターは……無茶をさせすぎた、すまない、と……マスターは私の夢を否定せず、背中を押してくださっただけなのに……」

 

 悲しそうに語るミホノブルボンだが、そこに担当トレーナーへの負の感情は欠片も感じられない。むしろ十分以上の信頼があり、トレーナーもまた、ミホノブルボンのことを信頼しているのだろう。

 

「もちろん、私も再び走ることを諦めてはいません……ですが、回復するとしてもかなりの時間がかかると予測されます」

 

 そこまで語ったミホノブルボンは、何かに気付いたように首を横に振る。

 

「いえ、話したかったのは私のことではありません。ライスさん、私はあなたにお願いがあって来たのです」

「え、と……ライスに、お願い?」

「はい……許していただけるならば、有記念で走るライスさんを応援させていただきたい、と。私が望むのは、ただそれだけ」

 

 ライスは戸惑ったように尋ねる。すると、ミホノブルボンは真剣な表情で頷いた。

 

「私にとっての英雄(ヒーロー)を応援したい……それだけ、なのです」

「――――」

 

 ミホノブルボンの言葉に、ライスは完全に沈黙する。しかし、そこにあったのは否定の感情ではない。

 

(……ライス?)

 

 声をかけるのが戸惑われるほどの、不可視の熱意。ミホノブルボンの言葉がライスの何に触れたのかはわからないが、驚くほどの激情がライスの中で渦巻いているようだった。

 

「ライス、ブルボンさんに応援してもらえるなら心強いよ」

「……では?」

「うん……ブルボンさんが望むのなら、ライスのこと、応援してほしい」

 

 ライスがそう答えると、ミホノブルボンは相好を崩す。それは心から浮かべた喜びの表情で――俺は、何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 ミホノブルボンが去った保健室。そこで俺は、ウララと共にライスをじっと見つめていた。

 

「トレーナーさん……ライスね、やっぱり悪い子なの……」

 

 不意に、ぽつりとライスが呟く。いつもならば即座に否定に走るウララも、この時ばかりは沈黙してライスの言葉を待っている。

 

「トレーナーさんがライスのこと、一生懸命考えてくれてるってわかってる……でも、ライスね……」

 

 それは、そうさせるだけの気迫が、熱量が、ライスから放たれているからだ。

 

「――有記念で勝ちたい」

 

 空間が揺らいでいるのではないかと錯覚するほどの熱意が込められた、覚悟の言葉。

 

「ブルボンさんがライスのこと、すごいって言ってくれたの。わたしのこと、英雄(ヒーロー)だって……言ってくれたの」

 

 俺はライス本人ではない。だから、ライスが今、抱いている感情の全てを理解できるとは言えない。

 

 しかし、だ。ライスの紡ぐ言葉が、嘘偽りのない心からのものだと理解できた。

 

 俺のトレーナーとしての理性は、止めるべきだと叫んでいる。たしかにライスの体は復調しつつあるが、今はまだ、無理をできる体ではないと。

 しかし、ライスのファンとして、そして()()()()()()()()かけるべき言葉は、俺の理性とは別物だった。

 

「勝ってこい、ライス」

 

 今はまだ、自分が無茶をできる体ではないとライスも知っている。しかしそれでも勝ちたいと、ミホノブルボンの期待に応えたいと、そう願っているのだ。

 

 もちろん、全力を出して走ったからといってライスの体が絶対に壊れると決まったわけではない。ライスと出会って今まで、可能な限り彼女の体のケアに努めてきたつもりだ。

 確率で語れるようなことではなく、どう転ぶかはふたを開けてみなければわからない。走り終わった後、案外ケロッとしている可能性もある。

 

 同時に、限界を迎えてしまう可能性も、当然ある。

 

 それでもライスの背中を押すのは、本当に単純な理由だ。

 

 だって、そうだろう?

 

 ――ライスが、俺のウマ娘が、()()()()と望んでいるのだから。

 

「……いい、の?」

「いいさ。ライスがそう望んだんだ。ここで絶対に勝ちたい、勝った姿をミホノブルボンに見せたい……そう思ったんだろ?」

「……うん」

 

 俺の言葉を聞いたライスが驚き、すぐに、嬉しそうに微笑む。

 

「だったら勝ってこい、ライス。有記念は通過点だ。ゴールじゃない。無理は……なるべくしてほしくないけど、ライスシャワーってウマ娘がどれだけすごいか……それをファンに、ミホノブルボンに、見せつけてこい」

 

 ――俺に言えるのは、それだけだった。

 

 

 

 

 

 そして迎えた、有記念当日。

 

 天気は朝から晴れ渡る青空で、一日天気が崩れることはないだろう。バ場状態は間違いなく良で、今日のレースを走るウマ娘にとっては追い風になるだろう。

 ライスにとっても、それは間違いない。

 

 有記念は本日行われる10のレースの内、第9レースになる。しかし、有記念こそが本日の中山レース場におけるメインイベントになることは疑いようもない。

 中山レース場では既に来場者数が15万人を超え、有記念が行われる時間帯に合わせて更に観客が増えていくと予想されている。

 

 ウララやライスと共に中山レース場を訪れた俺は、有記念が始まるその時が来るのを待っていた。

 

 ライスがミホノブルボンと言葉を交わしたのは二日前だが、ライスの決意が変わることはなかった。むしろ、二日という期間の間により強く、より固く、決意を抱いている様子である。

 

 そんなライスの様子に、さすがのウララといえど普段通り接することは難しいらしい。時折ライスに声をかけては困ったように俺のところへ戻ってくるというサイクルを繰り返している。

 

(とうとうこの時が来たか……)

 

 有記念で走るということもあり、最終調整は疲労を残さないよう軽めのものを選んだ。ライスはそれに粛々と従ったが、その内側に凄まじい熱意が込められていることを嫌でも感じ取る。

 ここまでくれば、俺にできることは少ない。だが、その少ない役目こそが今日のライスの結果を左右する。

 

 俺の役目――それは、ライスがマークする相手を選ぶことだ。

 

 それぞれ勝負服に身を包んだウマ娘達がパドックで紹介され、その姿を晒す。それを見て、俺はライスが誰をマークするか決断しなければならない。本当はもっと事前に決断するべきだったが、当日のライバル達の調子を確認しなければ決断を下せないほどに、GⅠに出走するウマ娘達は強敵揃いなのだ。

 

 今日のライスはこれ以上ないほどに気合いが乗っている。しかし、マークする相手を間違えばどうなるか。

 

 本命は去年、無敗の三冠候補だったトウカイテイオー。あとは今日の調子次第だが――。

 

 俺がライスを見送り、パドックでのお披露目を待っていると、とうとうその時が来た。 

 

『1枠1番、ナイスネイチャ』

 

 最初に姿を見せたのは、ナイスネイチャだ。今回の有記念において4番人気という高評価を得ているのは、彼女が大抵のレースで安定した実力を発揮するからだろう。ここ最近のレースで勝ち星はないが、大体のレースで3着になっている。

 

 癖とボリュームがある明るめの栗毛を左右で留め、黒いワンピースタイプの勝負服を身に纏ったその姿を、俺はじっと見る。

 

(体の仕上がりは良さそうだし、気合いも乗ってる……さすがはチームカノープスのリーダーってところか……)

 

 有記念という大舞台だからか、ナイスネイチャの表情には緊張の色があった。しかし、それと同時に大舞台に対する期待と覚悟がその表情に宿っている。

 戦法は先行や差しを得意としているため、ライスと競う可能性が高い。そして何より、1枠1番と芝の長距離で有利なスタート位置にいるのが大きい。

 

『2枠3番、メジロパーマー』

 

 俺が次にしっかりとチェックしたのは、メジロパーマーだ。今日の人気は15番人気と、ほぼ最下位である。前走の秋の天皇賞で17着、更にその前は京都大賞典で9着と、ここ最近のレースではいまいち成績がよろしくない。

 

 しかし、その前のレース二つでは共に勝っており、なおかつ勝ったレースが今日の有記念と同様にファン投票で選出される宝塚記念である。

 

 ナイスネイチャとは異なるが癖のある栗毛を背中まで伸ばし、勝負服は黄色いシャツに短いベスト、緑色のミニスカートでへそ出しルックというギャルっぽい感じだ。

 

(ん? この子……)

 

 俺はメジロパーマーの足をじっと見る。距離があるため確実なことは言えないが、かなり仕上がりが良いように感じた。そしてメジロパーマーの表情を確認すると、有記念を前にしても落ち着きがあり、それでいて気合いが乗っているように見える。

 

(前走、前々走とは別人じゃないか……)

 

 秋の天皇賞や京都大賞典は映像で確認しただけだが、一体何があったのか、メジロパーマーの纏う雰囲気には大きな変化があったように感じられた。

 

 戦法は逃げ――それも大逃げを得意とする珍しいウマ娘で、勝つ時は勝つし負ける時は逆噴射して負けるという特徴がある。

 

『3枠5番、トウカイテイオー』

 

 その次にチェックしたのは、俺の要警戒対象にして有記念の大本命。当然のように1番人気を獲得したウマ娘が姿を現した――のだが。

 

(……なんだ? この子がトウカイテイオー……なのか?)

 

 赤色を基調とした勝負服を身に纏うトウカイテイオーを見た俺は、思わず困惑する。長い栗毛をポニーテールにまとめ、前髪に白い髪がひと房伸びる彼女の顔は、どう贔屓目に見ても調子が良いとは思えなかった。

 

 俺がレース映像で見たトウカイテイオーは勝ち気なウマ娘といった印象で、ライスのようにレースで一気に雰囲気が変わるタイプじゃない。

 

 ライスと当たる可能性が高いからとこれまでのパドックでの映像も研究したが、トウカイテイオーはファンサービスもばっちりのウマ娘で、ファンにテイオーステップと呼ばれる独特の動きを見せることがよくあった。

 

 それがないというだけで調子の良し悪しを決めるのは危険で、トウカイテイオーがわざと調子が悪いように装っている可能性もある。しかし、トウカイテイオーはそのような小細工を弄するタイプでもない。

 

 得意な戦法は先行で、レース序盤から前方につけて最終コーナーから最終直線にかけて一気に加速して抜き去る。

 ライスと似た走り方だが、ライスが1着になりそうなウマ娘をマークして抜き去るマーク屋だとすれば、この子はそんなことは関係ないと言わんばかりにごぼう抜きして1着を獲る。

 

 そのはず、なのだが――。

 

『4枠8番、ダイタクヘリオス』

 

 次に重点的にチェックしたのは、7番人気のダイタクヘリオスだ。

 

 外見は少し暗めの栗毛をポニーテールにし、前髪のところどころに青い髪が混じっているのが特徴的だろう。服装は青いシャツに白い短パンで、オシャレのためなのか腕輪をしている。

 

(この子は……よくわからんな。出ているレースの傾向から考えると、明らかにスプリンターかマイラー……でも去年も有記念に出走して5着、今年の宝塚記念で5着……)

 

 調子は悪くなさそうだが、良くもないといったところか。体の仕上がりはさすがの一言だが、この子はライスと比べて一枚劣ると俺は判断した。

 

『6枠11番、イクノディクタス』

 

 ナイスネイチャと同様に、チームカノープスに所属するウマ娘だ。

 

 明るい栗毛を肩の辺りでバッサリとカットし、それでいて後頭部付近だけ伸ばした長い髪が三つ編みになって揺れている。

 白色を基調としたシャツに赤いネクタイを締め、スラっとした白いズボン。そして緑色を基調とした上着を勝負服として纏っている。

 

 この子は今年に入って4度の勝利を挙げているが、その勝利はオープン戦やGⅢだけだ。重賞で勝利しているというだけでも要警戒なのだが、戦績だけで見れば他のウマ娘より劣るだろう。今回の有記念で16番人気になっているあたり、それは他の者の目にも明らかだ。

 

 直近で秋の天皇賞、マイルチャンピオンシップ、ジャパンカップと連続してGⅠのレースに出ているが、その全てで9着と成績が良いとは言えない。しかし、短距離から長距離まで数多くのレースに出走し、高い経験値を持つ点は注意が必要だろう。

 

『8枠16番、ライスシャワー』

 

 最後にパドックに姿を見せたのは、ライスだ。2番人気に推されており、実力だけでなく人気も高いという証拠である。

 

 黒いドレス風の勝負服に身を包んだライスの姿に、パドックに詰めかけていたファンからは様々な声が漏れる。

 

「なんか、すごく気迫を感じるような……」

 

「菊花賞でミホノブルボンの三冠を阻止した子だろ?」

 

「この前のインタビューで見た時と印象が全然違うな」

 

 ライスが纏う雰囲気に戸惑う者、期待を寄せる者、菊花賞を引き合いに出す者。パドックに押しかけた観客達はそれぞれが呟いているが、ライスの耳に届いているようには見えない。

 

 普段の気弱さは何処に行ったのか。ライスは堂々と胸を張って観客達に姿を晒している。

 

(8枠16番……一番外枠か……)

 

 俺はライスのスタート位置を再確認して眉を寄せる。1枠1番のナイスネイチャは最初からコースの最短距離を走れるが、ライスは外枠のため余計な距離を走らされる。それを思えばライスは最初からかなり不利な条件と言えるだろう。

 俺はそんなことを考えながら、既にお披露目を終えて出走前の準備運動をしているウマ娘達へと視線を向けた。

 

(あれは……)

 

 そして、何やらメジロパーマーとダイタクヘリオスが仲良く話しているのを目視する。レース前にも拘わらず1着を競うライバルではなく、気安い親友同士といった雰囲気が感じ取れた。

 

 ダイタクヘリオスと話すメジロパーマーは表情が柔らかくなっており、余計な緊張が抜けているようだ。それを見た俺は、頭の中で必死に思考を巡らせる。

 

(ライスにはトウカイテイオーをマークさせるつもりだったが……あの調子で本当に1着を狙えるか? ダイタクヘリオスとイクノディクタスは他のウマ娘よりも強そうだが、1着を狙えるかというと微妙に見える……そうなると……)

 

 この時点で俺は、1番人気のトウカイテイオーをマークから外すことにした。パドックで見たトウカイテイオーからは、何が何でも1着を獲ってやるという気迫が感じ取れなかったからだ。

 

 ジャパンカップで1着を獲ったため警戒していたが、今のトウカイテイオーはまるで空気が抜けた風船のようである。これで出走するレースがオープン戦ならやる気が見えないトウカイテイオーでも1着を取れるかもしれないが、今から走るのは有記念だ。

 

 ()()()()()()()()()()を重視するか、今日の調子を重視するか。その二択で後者を選べるほどに、トウカイテイオーには覇気がない。

 

「トレーナーさん」

 

 思考を巡らせる俺のもとへ、ライスが寄ってくる。パドックの柵越しにライスが向けてくる視線は真っすぐで、俺の決断を待っているかのようだった。

 

「……事前の予定じゃ、トウカイテイオーをマークさせるつもりだった。でも、今日の様子を見る限りあの子は伸びないと思う」

「うん、ライスもそう思う。今日のテイオーさんは()()()()よ」

 

 ライスも俺と同意見なのだろう。迷うことなく頷くその姿に、俺も頷きを返す。

 

「その上で、誰をマークするか……なんだが……」

 

 俺は迷いから視線をさまよわせる。元々警戒していた5人のウマ娘以外では、これといってライスの脅威になりそうな子はいなかった。

 そして、警戒していた5人のうち、トウカイテイオー、イクノディクタス、ダイタクヘリオスはマークから外して良いと思っている。

 

 残るは4番人気にして1枠1番のナイスネイチャと、15番人気のメジロパーマーの二人だ。

 

 枠番と人気、そして体の仕上がりを見た限り、マークするのはナイスネイチャだろう。俺はそう思う、のだが――。

 

(あのメジロパーマーからは、何か仕出かしそうな雰囲気がある……この大舞台で大逃げかまして先頭で逃げ切る? 15万人以上の観客の前で? それとも何か秘策がある? 中距離のレースはともかく、長距離のレースでの成績は良い方じゃない……2500メートル、体力がもつとは思えん……)

 

 出走の時が迫っている。いつまでも悩んでいる時間はない。それでもライスは黙って俺の決断を待っている。

 

 俺の隣に立つウララが、ハラハラと尻尾を揺らしているのが見えた。俺とライスを交互に見て、握った拳を上下に振っている。

 そんなウララの姿を見て、俺はほっと息を吐く。そしてウララの頭をひと撫ですると、ライスへ視線を向けた。

 

「ライス、俺は今からバ鹿な作戦を言う」

「うん、聞かせて。ライス、トレーナーさんの言うことならなんでもするし、なんでも信じるよ」

 

 マークする相手は二人まで絞ったが、そこから先の判断ができない。確信をもって判断できるほど、俺にトレーナーとしての経験がないからだ。

 だから、俺はライスシャワーというウマ娘の力を信じることにした。今のこの子なら、俺が今から口にする難題にも応えてくれると信じているからだ。

 

「元々警戒していた面子で調子が良さそうなのは、ナイスネイチャとメジロパーマーの二人だ。ただ、メジロパーマーはここ最近のレースを見る限り大逃げするだろうが、体力がもつとは思えない。かといって、ナイスネイチャが素直に1着になれるかは怪しいところだと思う」

「うん」

「だから……ナイスネイチャをマークするけど、2周目の第3コーナーに入ってもメジロパーマーの足が鈍らないようならそこから差しにいってくれ」

 

 それは本来、作戦とも呼べない代物だ。中山レース場の2500メートルコースでの第3コーナーからゴールまでの距離は、約800メートル。ナイスネイチャをマークしながらメジロパーマーの動向を窺うなど、不可能に近いだろう。

 

 外側からレースを見ている俺はともかく、コース上を駆けているライスが見ることのできる範囲には限りがある。しかし、最初からメジロパーマーをマークして大逃げされた場合、さすがのライスでも体力が持たずに後方から差し切られる可能性がある。

 

 我ながら中途半端な作戦だと思う。ライスに負担をかけるだけの、愚策だとも思う。

 

 だが、俺の言葉を聞いたライスは何も聞き返すことなく、微笑みながら頷いた。

 

「任せて」

 

 その微笑みからは、これからのレースに向けて隠しきれない熱が滲んでいる。入れ込み過ぎだと注意を促そうとした俺だったが、それよりも先にウララが声を上げた。

 

「がんばってねライスちゃん! わたし、トレーナーといっしょに()()()()()からね!」

「うん……行ってくるね、ウララちゃん」

 

 ライスは僅かに目を見開いたかと思うと、体から余計な力を抜いて微笑む。それを見た俺はウララの頭を撫でると、ライスの背中を見送るのだった。

 

 

 

 そしてこの日。

 

 俺は、ライスシャワーというウマ娘の本当の姿を見ることになる。


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