リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐ 作:烏賊メンコ
翌日。俺はメールで呼び出された通りに朝一番で理事長室を訪れていた。
有馬記念も終わり、今年も残すところ今日を含めてあと三日。さすがにサービス業を除く大体の職種は仕事納めで年末年始はゆっくりしようか、などと世間で言われている時期である。
トレセン学園においても今日が今年最後の出勤日――というわけではない。俺みたいに用事がある者はともかく、人によっては既に年末年始の休暇に突入しているのだ。トレセン学園はホワイト企業ですとも、はい。
理事長室を訪れた俺は、ノックして声をかけるとすぐに中へと通された。すると、俺の顔を見るなり理事長がパンッ、と音を立てて扇子を開く。
「謝罪ッ! 年末にも拘わらず呼び出してすまないっ!」
「申し訳ございませんトレーナーさん。ですが、こういった話は早い方が良いと思い、呼び出させていただきました」
謝罪する理事長と駿川さん。俺としては年末年始だろうと特にやることもなく、精々実家に顔を出すかなぁ、と考えていた程度だ。
そのため気にすることがないよう告げ、促されるままに応接用のソファーに腰を下ろす。
余談ではあるが、理事長室にはつい先日――といっても12月の頭頃になるが、来たばかりである。
その内容は冬の人事評価だ。夏から半年も経っていないが、冬のボーナスの支給に合わせて面談があったのである。
ウララが未勝利戦で勝利し、ライスの有馬記念が控えていた時期ではあったが、評価に関しては夏の頃よりも上がっていた。
点数でいえば90点といったところで、内容もウララの未勝利戦を評価する部分が多かった。もっとも、残業のし過ぎということで減点をくらったのだが、まあそれは仕方ない。
芝のレースに出走するウマ娘の情報のまとめもひと段落したし、ライスが有馬記念で勝ったことから次回の人事評価が楽しみである。ただし、ハッピーミークに4連勝させて阪神ジュベナイルフィリーズも獲った桐生院さんの評価が95点から90点に下がっていたため、何が原因で減点されるかわからないが。
――なんて、考えていたのが昨日までである。
「それで……チームの設立に関して相談を、という話でしたが……」
俺は窺うようにして尋ねる。なんでそんな話が出てきたか謎だが、仮にチームを設立するようなことがあれば次回の人事評価がどうなるかなどまったく予測がつかない。ぶっちゃけてしまうとウララとライスの育成に悪影響がないのなら、人事評価が下がっても別に気にはしないが。
「はい。トレーナーさんも担当のウマ娘がGⅠで勝利したことですし、これを機にチームを設立してはどうかと思いまして」
「担当しているウマ娘がGⅠで勝利したからチームを設立する、というのなら桐生院さんにもそういう話が出ているんですか?」
他人の情報を聞き出すようで心苦しいが、桐生院さんもそうなら割と気が楽である。新米トレーナーなのにいきなりチームを設立するとなると、チームを設立していない先輩もそうだが、同期連中からもなんと言われるか。
……いや、同期連中は案外、笑いながら肘鉄一発ぶち込んでくるぐらいで済むかもだけど。
「桐生院さんに関しては、担当しているウマ娘が一人ということ……それと、
「それだと俺……いえ、私は経験が足りているように聞こえるんですが……足りていませんよね?」
「足りていませんね。ですが、チームを設立して運営していくことが可能な水準に達したと我々は判断しています」
えぇ……なんだろう、この高評価。嬉しいよりも先に怖いって感情が湧いてくるぞ。
(というか、人事評価上の話だけじゃなくて、桐生院さんの評価が夏頃よりも低くなってる気がするんだが……)
あの人何をしたんだ? と内心だけで首を傾げる。
新人トレーナーが初めて育成を担当したウマ娘を鍛えて4連勝させ、その内の1勝がジュニア級とはいえGⅠの阪神ジュベナイルフィリーズとなると、100点満点でもおかしくないと思うのだが。
ただ、夏の人事評価もそうだったが、理事長も駿川さんもこちらが驚くほどしっかりと評価をしてくれている。俺からすれば桐生院さんは100点満点で良いと思うのだが、二人からすると何か減点に値するようなことをしているのだろう。
(まさかコミュしょ……人見知りする部分で減点されたとか? もしくはハッピーミークの育成で何か問題が……でも他所様の育成事情に首を突っ込むわけにもいかんしな)
そう考えた俺だったが、今は自分のことを乗り切らなければならない。
「しかし、いきなりチームを設立しないかと言われましても……人数がウララとライスの二人しかいないんですよ? 設立には5人必要だったと思うんですが……」
「今年配属されたのなら御存知ではないのも仕方ないですが、チームスピカは一時期チームのメンバーがゴールドシップさんお一人だけという時もありました。それでもチームを解散するという話は出ませんでしたよ。あくまで目安が5人以上というだけです」
「それ、解散理由にはならないですけど設立理由にもならないですよね?」
チームスピカを話に出してきたが、チームを設立してから人数が減るのと、規定より少ない人数でチームを設立するのは別の話だろう。
駿川さんの話を聞いた俺は、猜疑心が湧いてくるのを感じる。何か騙そうとしていないか?
「正直なところ、ある程度人数がいてほしいという思いがありますけど、それ以上に実績が物を言う業界でもありますから……GⅠを2回制したライスシャワーさんを担当している以上、チームを設立するのに実績不足ということもないですし」
「担当しているウマ娘の実績に不足がなくても、指導しているトレーナーが経験不足なんですが……」
自分を卑下するわけではないが、これは純然たる事実だ。俺はトレーナーになって一年未満の新米である。
そりゃあうちのライスはすごいウマ娘だ。菊花賞と有馬記念で1着を獲ったし、健気だし、可愛いし、良い子である。
しかし、チームを設立するとなるとこれまで以上に大変になるだろう。もちろん、それに見合ったメリットもあるのだが、仮にチームを設立しても上手くやっていけるかどうか。
「良いですかトレーナーさん。チームを初めて設立するトレーナーは、誰だろうと未経験なことに変わりはないんですよ?」
「そりゃあそうでしょうけど……普通は他のチームでサブトレーナーとして経験積んでるじゃないですか」
俺の同期はトレーナーの家系出身ばっかりだから、サブトレーナーではなくいきなりトレーナーとして活動している者ばかりである。しかも多少の問題はあっても上手く回しており、担当ウマ娘にメイクデビューや未勝利戦で勝たせている者ばかりだ。
トレーナーの家系でもないのにいきなりサブトレーナーではなくウマ娘を担当して、大変な目に遭う新人もいるのだ……いやうん、俺がそうなんだけど。
「こうして言いくるめようとしている感じがすると、余計に警戒心が出てくるんですが……」
黙っていようかと思ったが、さすがにあからさま過ぎて俺は警戒してしまう。
なんだろう、俺なんかを嵌めても何も得することなんてないはずなんだけど。ついでにいえば、優遇する理由も見当たらないんだけど。
「失敬ッ! 警戒させたことは謝罪するっ! 回りくどい話はなしにしようっ!」
俺が駿川さんと話をしていると、理事長がそう言って駿川さんを見た。すると、駿川さんはため息を吐く。
「こうして美味しい話に飛びつかない慎重さがあるというのが一点……あとは、トレセン学園の運営側の視点からチームの設立を要望しています」
「う、運営側から? なんでそんなことに?」
思わぬところから思わぬ言葉が出てきた。運営側というと理事長や駿川さんも含まれるのだろうが、他のお偉方からも何か言われているのだろうか。
「悲嘆ッ! 現状、我々トレセン学園が置かれている状況は苦しいっ!」
「経営状況が、という意味ではないですよ? それだとさすがに新人のトレーナーさんに相談しても意味がありませんから」
「そりゃまあ、そうでしょうね」
トレセン学園の経営に関して相談されてもさすがに門外漢で何もできない。だが、それならチームの設立は一体何に関係してくるのか。
「運営側が問題に思っているのは、トレセン学園に所属するトレーナーの数に関してです」
「あー……」
駿川さんの言葉に、俺は思わず納得の声を漏らした。
中央のトレーナーは高給取りだし、人気が高い。しかし中央のライセンスを取得する難易度もべらぼうに高いし、仕事は割と激務だ。以前も語った気がするが、ぶっちゃけ人手不足である。
「人手不足ですもんねぇ……いえ、そうだとしても、私がチームを設立する理由がわからないのですが」
思わず納得しかけた俺だったが、人手不足イコール俺がチームを設立する、とはならないだろう。
人手不足だからチームを設立して担当するウマ娘を増やせ、というのなら話はわかるが、確実に俺のキャパシティを超える。理事長も駿川さんもそれに気付かないわけがない。というか増やせと言われたら断るぞ俺は。
「暴露ッ! こうなっては全てをぶっちゃけてしまおうっ!」
「暴露しないでください……え? これ聞いたら本当にまずいやつです?」
ちょっと待って、と理事長を止める。暴露とか言われたら本当に警戒しちゃうんだが。今からでも逃げたら間に合う? ダメ?
「暴露ッ! こうなっては全てをぶっちゃけてしまおうっ!」
「同じことを繰り返しても駄目ですからね?」
いやまあ、さすがに本当に俺が聞いたら駄目なことをぶっちゃけるとは思わないけど。それでも警戒するからやめてほしい。
「トレーナーの数が少ないことに関しては、ライセンスの取得難易度を下げるわけにもいきませんから仕方ないと思っています」
「それはそうでしょう。ウマ娘達の人生がかかってるんですから」
駿川さんの言葉に頷くが、ウマ娘達の人生がかかっていると深く理解せずにトレセン学園に来たやつがいるんですよね。俺なんですけど。
今となっては昔の俺にドロップキックの一つでも叩き込みたいところだが、トレセン学園に来なければウララやライスに出会えなかった。
こうしてウマ娘の育成の難しさ、楽しさ、達成感などを知ることができたのは、昔の俺がトレーナーになろうと思ったからである。もっとも、今はまだトレーナーとしてようやく一歩を踏み出した程度の新米で、偉そうなことは言えないのだが。
「そうなると、今いるトレーナーの質を引き上げる必要があるわけです」
「それは……可能ならそちらの方が良いとは思いますが、難しいのでは?」
トレーナーの質と言われても、簡単に上がれば苦労はしないだろう。そもそも簡単に質が上がるのなら、中央のライセンスを取得できる者も増えているはずである。
また、これも以前語った気がするが、トレーナーの中には最低限度の育成はするものの必要以上の仕事はせず、家庭を最優先するタイプのトレーナーもいる。家庭を持っていない俺が文句を言う筋合いはないが、そういうタイプのトレーナーの質を上げるのは難しいのではないか。
なにせ、彼ら、彼女らはそれで満足しているのだから。
「質といってもすぐには上がらない……ごもっともです。しかし、やる気を引き出せれば自然と質も上がると思いませんか?」
「……仰りたいことがなんとなく見えてきました」
理事長と駿川さんが意図するところが見えてきて、俺は思わず頬を引きつらせた。
チームの設立と一言でいっても、当然ながらメリットとデメリットがある。
メリットとしてはいくつかあるが、まず最初にチーム専用の個室がもらえること。
これによってウララやライスがわざわざトレセン学園の更衣室で着替えるといった手間が減り、五分から十分程度の差だが練習時間が多く確保できるようになる。一日で見れば短いが、それが何十、何百日と積み重なれば大きな差になるだろう。
次に、チーム用の部費が割り振られること。
これによって今までできなかったことができるようになり、購入できなかった物も買えるようになるだろう。ストップウォッチなどの共用で使用していた物や筋トレの道具なども購入し、部室で管理できる。
最後に、真夏にウララの育成で苦労したが、室内プールなどの設備に関して優先的に使用できること。
これはウララやライスを育てていく上で非常に大きいメリットだ。チームリギルが夏の合宿を行ったように、普段と違う環境でトレーニングや療養に励むことができる。
デメリットもいくつかある。
ウマ娘の育成だけでなくチームの運営――もらえる部費の管理や経費の処理、チームとしての報告等も加わるため、俺の負担が増えること。
新人の俺がチームを設立した場合、育成しているウマ娘の対戦相手には確実に警戒されること。
同期は大丈夫だと思いたいが、チームを設立していない先輩方に睨まれかねないこと。
あと、本来はメリットになるが今の俺だとデメリットになることとして、ウマ娘のスカウトが容易になることが挙げられる。
『新人トレーナーですけど話を聞いてもらえますか?』
『チーム○○のトレーナーですけど話を聞いてもらえますか?』
この二択の場合、スカウトを希望するウマ娘はほぼ確実に後者を選ぶだろう。
前者を選ぶのは新人だけど高い能力があるとわかっている場合や、理屈ではなく直感で相性が良いと感じ取れるトレーナーとウマ娘が出会った場合ぐらいか。評判はともかく、相性が良いと思える二人が出会える確率など誤差に過ぎない。
(……で、残念なことにチームを設立してない先輩方から睨まれるってデメリットも、駿川さん達運営側からするとメリットになりそうってのが……チームを設立したから上ってわけじゃないけど、新人に負けられるかって発奮してくれる……といいなぁ……)
どんなに優れた組織、どんなに優れた人格者ばかりの職場だろうと、妬み嫉みは必ず出てくる。向上心がある者ならば俺も俺もと後に続こうとするだろうが、
(……ん? 待てよ? そういう人の場合、育成しているウマ娘に対しても手抜きだったり、あくまで仕事って割り切ってるパターンもあるのか……)
昔は情熱を持ってウマ娘を育成していたが、今となっては仕事と割り切っているトレーナーもいる。クビにならないようほどほどに成果を出しつつも、自分の生活を優先するタイプだ。家庭を守るための仕事としてトレーナー業をする者と比べると、やる気という点では少し劣るかもしれない。
もちろん私生活を犠牲にしてウマ娘を育成しろなんて口が裂けても言えないが、熱意のあるなしは非常に大きいと俺は思っている。そういったトレーナーにスカウトされた場合、少しでも速くなりたい、強くなりたいと願うウマ娘としてはどんな気持ちになるか。
「新人のトレーナーでも成果を上げればそれに見合った報酬がある……ってのもやる気を引き出すのに使えますか」
「そうですね……それで少しでも中央のライセンスを取得できる方も増えるのではないか、と考えています」
トレーナーは元々高給取りだと世間に知られているが、実績を上げれば新人でも評価されると聞けば食いつく者も出るだろう。中央のライセンスを取得しようとして失敗し、地方で燻っているトレーナーも再度中央を目指すかもしれない。
トレセン学園の運営としては、一人の新米にチームを持たせるだけで様々な効果を期待できる。当然ながら悪い方向に転ぶ可能性もあるが、その辺りは理事長や駿川さんが対処する問題だろう。
中央のトレーナーの数が増える
「ですが、下手するとチームを設立したいトレーナーが育成しているウマ娘に負担をかけるのでは? レースで実績を上げようと酷使する危険性があると思うのですが……」
俺がチームを設立することに関して、俺個人の意見としてはどちらでも良いというのが正直なところだ。いや、ウララやライスのトレーニングがより良いものになると思えば、むしろ賛成といってもいいかもしれない。
その対価として俺の仕事量が激増することが見込まれるが、さすがにその辺りを全部俺任せにはしないだろう……しないよね?
だが、俺のチーム設立に発奮したは良いものの、育成しているウマ娘に過剰な負担をかけるトレーナーが出るかもしれないという点は見過ごせない。
「それをウマ娘本人が望んでいるのなら、こちらとしては止めようがありません。ですが、明らかに負担を無理強いしているのなら止めます」
そう言って薄っすら微笑む駿川さん。なんとも頼もしくも恐ろしい笑顔である。
夏頃の人事評価を振り返って考えてみると、新米トレーナーに過ぎない俺の素行や育成状況を細かく把握していたのである。ウマ娘に無理をさせようものなら、即座にバレて呼び出されそうだ。
(監視カメラとか盗聴器とか仕掛けられてない……よな?)
そうなるとどうやってチェックしているのか謎だが、知ってしまえばどうなるか。俺は駿川さんの笑顔から視線を逸らすと、聞きたいことを尋ねることにした。
「仮に、なんですが……仮に私がチームを設立したとして、業務のサポートなどはしていただけるんですか?」
「もちろんです。その場合はわたしがサポートおよび指導を行います」
「え? 駿川さんが……ですか? お忙しいんじゃ……」
駿川さんは理事長秘書である。受け持っている仕事などは俺とは比べ物にならないほど膨大で、責任も重大だろう。そこに俺のサポートや指導まで加われば、どれだけの負担になるか。
「ご安心ください。わたし、スタミナには自信があるんですよ」
「そ、そうなんですね……ん? スタミナ? 体力ではなく?」
「こほんっ……体力には自信があるんですよ。それに、理事長秘書といっても常に忙しいわけではありませんから」
可愛らしく咳払いして言い直す駿川さん。なんだ、言い間違えただけか。
「もちろん、わたしの方でも仕事があるので四六時中付きっ切りというわけにはいきません。ですが、トレーナーさんのチームが安定するまでのお手伝いぐらいは余裕を持って務めることができます」
「なるほど……それは心強いですね。サブトレーナーを雇ったりは……いえ、無理ですよね」
トレーナーの下についてウマ娘の育成に携わるサブトレーナーがいれば、仕事を割り振ることもできる。だが、繰り返すが俺は新米だ。新しい新人が入ってくる来年度ならまだしも、今の状態でサブトレーナーにつく者が出るはずがない。
前世を含めればもう良い歳なのだが、自分の後輩や同期のサブトレーナーとしてつくのをよしとする者はそうそういないだろう。
「……少し、考えさせていただいても?」
駿川さんがサポートしてくれるのなら、先輩方のやっかみもかなり軽減されそうではある。いや、駿川さんにサポートをしてもらえるっていう事実でやっかみを受ける可能性もあるが。
「もちろんです。年末年始ゆっくりしながら考えていただければ、と」
「期待ッ! できれば前向きな返答を待っているっ!」
理事長と駿川さんにそう言われ、俺はソファーから立ち上がって一礼する。そして理事長室から退室する――その直前に、駿川さんから呼び止められた。
「すみません。もう一件、言い出すのが遅れてしまいました。こちらをお受け取りください」
そう言って差し出されたのは、一通の封筒である。給与明細やボーナス支給の通知書を入れるのに使う封筒で、俺は受け取りながら首を傾げた。
「あれ? 12月の給与やボーナスの明細はもらいましたよ?」
「え? 有馬記念の賞金に関する通知書ですよ?」
「……ありまきねんのしょうきん?」
俺はオウム返しに呟き、行儀が悪いと思いながらもその場で封筒を開ける。
有馬記念の賞金? そうか、ライスが1着だったもんな。ウララが未勝利戦で勝った時みたいに賞金が出るよな。
「…………?」
内容を確認した俺は、目を疑うように明細を上下逆さまにする。天井の電灯に透かしたり、上下に振ったりもするが、内容が変化することはない。
(おっかしいなぁ……8桁円振り込まれてあるっぽいんだが……有馬記念って賞金いくらだっけ? あ、3億か。その1割か……)
ふぅ、と俺は息を吐く。明細を丁寧に折りたたんで封筒に戻すと、理事長と駿川さんに一礼してから退室した。
そして、理事長室からしっかりと離れ、周囲に人がいないことを確認してから頭を抱える。
「ああああああああああああああぁぁっ! 忘れてたああああああああぁぁっ!」
チーム設立したら先輩の妬みがどうとか考えてた俺って馬鹿じゃねえの!? んなもんライスが有馬記念で勝った時点で嫌でも妬まれるわ!
ライスが有馬記念で勝ったこと、ウイニングライブでも受け入れられたこと、今のところレースで怪我をしたようにも見えないことなどを考えていたため、賞金のことなど頭から綺麗さっぱり吹き飛んでいた俺である。
源泉徴収等で引かれている部分もあるが、それでも2000万弱ほどの賞金が俺の口座に振り込まれているようだ。通帳に記帳をしに行けば、貯金の桁が一つ増えているだろう。
(ど、どうしよう……いっそライスの口座に全額振り込んで……いや絶対に受け取らないし、下手したらライスが勝ったことを否定されたって思って泣きそう……何か買う? 高級車? そんなもん買ってもウララとライスのトレーニングには役に立たんぞ?)
ものは試しにと買った宝くじで大当たりが出た気分である。宝くじと違うのは、運ではなくライスの努力と実力で得た金銭ということだろう。
(ウララとライスが欲しがるものでも買って……ウララはともかくライスの方が金持ちだよっ! いや待て、別に使わなくても老後のために貯めておけばいいんだ、うん。それに何か使う機会があるかも……)
そこまで考えた俺は、ふと閃いてスマホを取り出す。先輩トレーナーで妬んでくる者は嫌でも出てくるだろうが、同期連中ならまだどうにかなると思ったのだ。
『あ、もしもし俺だよ俺。詐欺じゃねえよ。帰省する? あ、しない? それなら今晩飯でも食いに行こうぜ。こっちに残ってる面子全員誘って……忘年会? うん、そんな感じ。あ、金は俺が全部出すから……なんでって? うちのライスが有馬記念で勝ったからだよ。そうそう、でかい賞金が入ったから飲み行こうぜ。みんなの担当ウマ娘も来年重賞を狙うだろ?
あぶく銭、などとは口が裂けても言えない。ライスが有馬記念で勝ったからこそ手に入った賞金なのだ。
それならば、俺は同期連中との仲を維持するために使おうと思った。帰省しない同期連中を連れて高い飯屋で高い酒でも奢って、年が明けたら今回誘えなかった面子を誘う。そうして横のつながりを維持しておけば、先輩トレーナーから何か言われたりされたりしても、まあ、なんとかなるだろう。
ついでにうちのライスが勝ったことを自慢すれば、やる気が出るどころか火が点く勢いで発奮してくれる気性の者が同期には多い。もちろん、同期からも妬まれることがあるかもしれないが、そこはもうどうしようもない。俺も諦める。
チームの設立に関しては、理事長や駿川さんの思惑を抜きにしても本当は受けたくないのだが――。
(ライスはどうにかなるだろうけど、ウララはもっと実力をつけないと来年がきつそうだ……予想より成長が早いけど、来年は……)
以前情報を精査した際にまとめた強敵相手とぶつかる可能性が高い。その時にトレーニング不足で負けたとなれば、俺はウララに顔向けできないだろう。
だが、チームを設立してトレーニングの効率が上がればウララの実力も比例して伸びると思う。それでも中央に移籍してくるオグリキャップ、チームリギルのエルコンドルパサーなどに勝てるかと問われると断言はできない。
ライスも有馬記念を制したものの、シニア級になって出場するGⅠはどれも激戦になるだろう。可能な限り、少しでも実力をつけられる環境を用意するのがトレーナーである俺の役目だ。
(増える仕事については……うん、無茶ぶりしたのはあっちだ。駿川さんを頼ろう)
俺はチームの設立に関する話を受ける方向で検討しつつ、自宅へと帰るのだった。
なお、年末年始のため帰省しようと思ったものの、母親から小学校や中学校の頃に同級生だった女子から俺がいつ帰ってくるのか、彼女はいるのかなど直接間接問わず探りが入っていると電話が来たため、一人寂しく年末年始を過ごす俺だった。