リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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昨日の更新で感想数が合計1000件を超えました。
いつも感想や誤字脱字の報告をいただきありがとうございます。

昨日の更新は過去最短の文章量だったので、今回は過去最長の文章量でお届けします。


第30話:新人トレーナー、目を疑う

 とうとう迎えたヒヤシンスステークス当日。

 

 今日は朝から良い天気で、予報によると雨の心配は必要ないらしい。もうじき春が訪れるからか2月の下旬にしては暖かな陽気で、絶好のレース日和と言えるだろう。

 

 ウララが走るヒヤシンスステークスは東京レース場で行われる本日のレースのうち、第9レースになる。発走時間は14時30分と余裕があるためトレセン学園で軽くウォーミングアップを行い、今日のウララの調子を確認してから東京レース場に向かったのだが――。

 

(ウララの調子は良い……天気も良いし、レースにおける不安はない……ないんだけどなぁ……)

 

 ウララは絶好調で、体調も万全だ。レースに挑むにあたり、コンディションとしては最高といえるだろう。

 

 だが、ウララやレースに対する不安はなくとも、今回出走する相手に不安がある。正直に言ってしまえば不安がありまくりだ。

 

 トレセン学園の最強チーム、チームリギルからエルコンドルパサーが。

 

 そして何よりもオグリキャップが出てくるのだ。

 

 つい先日芝のクラシック路線よりはマシだよね、などと思った俺を勢いつけて殴りたい。

 

「今日のレースはエルちゃんが一緒に走るし、オグリちゃんも出るんでしょ? わたしすっごく楽しみー!」

 

 東京レース場に到着した俺達だったが、ウララは非常にご機嫌である。ワクワクと笑顔を振り撒いており、一緒に歩くライスはどんな反応をすれば良いのかと困ったように微笑んでいる。

 

(この物怖じしないところはウララの長所だよなぁ。ウララにとってクラシック級の初戦、去年の未勝利戦以来の公式戦だ……ライスが走るところを見ていたし、レースが楽しみだったんだろうけど……)

 

 短距離だけでなくマイルも走れるようになったとはいえ、ダートのレースの少なさが痛い。そして何よりも、もともと警戒していたウマ娘の中から二人も出てきたのが痛い。

 

 警戒していた面子が出てこなければ、今回のヒヤシンスステークスもかなり良い勝負ができると俺は見込んでいた。

 

 ライスと一緒にトレーニングをしたことでスタミナも増えたし最高速度も上がっている。なにより仲の良いライスと練習ができるため、ウララのやる気が常に高い水準でキープされていたのが大きい。

 

 レースで走るのが好きで、トレーニングも大好きなウララだが、その日によって微妙にやる気に差があったりする。

 他のウマ娘との違いを探せるほど育成をしていないためなんとも言えないが、常にやる気満々に見えるウララでも最大値を100とすると90~100ぐらいの間でやる気がいったりきたりしているのだ。

 

 これがライスと一緒だと、ほぼ確実にやる気が100を維持する。同時にライスもやる気が100になるため二人の相性はばっちりと言えるだろうが、高いやる気を維持し、なおかつ可能な限りトレーニングを施してきたと断言できるというのに、今回のレースでの勝算はかなり厳しいと俺は見ている。

 

(10回に1回、勝ちを拾えるか……オグリキャップかエルコンドルパサーのどちらか片方だけなら5回に1回って言いたいところだけどな……)

 

 俺の見立てでは、オグリキャップやエルコンドルパサーがいなければ6~7割ぐらいの確率で1着を獲れる。ダートのレースは選手層が薄いというのもあるが、GⅠの冠を2つ被るライスとのトレーニングというのはそれだけウララの力になっているのだ。

 

 ダートと芝の違いはあるが、常に格上の相手と競うようにしてトレーニングができるというのは非常に大きい。俺はそう思っている。しかし、だ。

 

(常に格上と一緒にトレーニングするっていうと、エルコンドルパサーの方がやばいんだよな……)

 

 シンボリルドルフを筆頭としたチームリギルで徹底的に鍛えられているであろう、エルコンドルパサー。出走しているレースが少ないためその実力は全貌が明らかになっていないが、芝もダートも走れて得意な距離はマイルから中距離、戦法は先行や差しが得意と、今回のヒヤシンスステークスは彼女の適性に合致している。

 

 事前の人気に関してはエルコンドルパサーが1番人気、ウララが2番人気、オグリキャップが3番人気だ。

 

 レース数ではウララやエルコンドルパサーよりもオグリキャップの方が多く経験しており、なおかつ勝利数も上だが、元は地方で戦っていたウマ娘というのが大きく響いているらしい。

 芝のレースでは既に結果を出しているが、中央のダートで通用するのか。チームリギルのメンバーであるエルコンドルパサーに、未勝利戦ではあるがレースレコードを出したウララに勝てるのか、そういった部分が人気に影響したようだ。

 

 それでもしっかりと3番人気に推されているあたり、やはり()()()()()()()()があるとレースファンも感じているのだろう。

 

(いくらウマ娘のレースのファンといっても、トレセン学園での練習風景までは見れないからな……ウララが2番人気ってのは嬉しいんだけど、素直に喜べねえ……)

 

 ウララがレースに挑むのは、これで5回目になる。しかし、レース前にここまで不安になったことはない。それこそ初めてのレースの時でさえ、もっと自信と希望に満ちていたはずだ。

 

「お兄さま……」

 

 俺の心情を察したのか、ライスが俺の手をきゅっと握ってくる。その手の温かさで我に返った俺は、頭を振って意識を切り替えた。

 

(そうだ、ウララもこれまでしっかりとトレーニングを積んできたんだ。エルコンドルパサーやオグリキャップが相手でも、勝ってくれるさ)

 

 前世でも聞いたことがないし、少なくとも知名度ではウララの方が上だったはずだ。でもオグリキャップはなんとなく聞いた覚えもある気がするけど……気のせいだろう。

 

 俺が前世で知ってた馬なんて、名前をしっかり覚えていたのがハルウララだけだからアテにはならない知識である。あとは120億円ほど吹き飛ばした馬がいたとか、大物演歌歌手が馬主を務める馬がいたとかニュースで取り上げられた記憶があるぐらいだ。

 

 他の馬なんて松風と赤兎馬ぐらいしか知らんぞ、俺は。エルコンドルパサー? オグリキャップ? こっちはハルウララだ。

 

(……よし、落ち着いた)

 

 余計なことに思考を割いたおかげか、気分が落ち着いてきた。今から走るのはウララである。トレーナーの俺が落ち着きをなくしていたら、ウララにも悪影響が出てしまうだろう。

 

「あっ! にんじん焼きだ! ねえねえトレーナー! まだ時間あるし、買っちゃだめ?」

「……レース後のご褒美に好きなだけ食べさせてあげるから、今は我慢しなさい」

 

 いや、やっぱり悪影響はないかもしれん。俺はそんなことを思い、苦笑を浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 もうじきレースということもあり、ウララは控室に向かった。そのため俺はライスと共にパドックへと足を運び、ヒヤシンスステークスに出走するウマ娘達が出てくるのを今か今かと待っていたのだが。

 

「隣、いいかしら?」

「どうぞ……えっ?」

 

 背後からかけられた声に答え、一応は相手の顔を確認したところで俺は動きを止める。

 

 声をかけてきたのは、グレーのパンツスーツを身に纏った女性だった。年は20代後半といったところで、黒髪を後頭部で結っている。顔立ちは知的な女性といった感じながら、かけた眼鏡の下で鋭い眼差しがこちらを射抜いていた。

 

「チーム、リギルの……」

「はじめまして、になるわね。東条よ」

 

 振り向いた先にいたのはチームリギルのトレーナーである、東条さんだった。俺の中での印象は大魔王様である。

 

 エルコンドルパサーが出走する以上この場にいてもおかしくはないのだが、何故俺に声をかけてきたのか。それがわからない。

 

「……はじめまして」

「チームキタルファのトレーナーね。それとそちらの子がライスシャワー……なるほどね」

 

 何がなるほどなのかわからないが、反応に困っている俺と、俺の背後に隠れたライスを見て東条さんは納得したように頷く。

 

 ライスが一緒にいるから俺がチームキタルファのトレーナーだとわかったのかもしれないが、今この人、俺の顔を先に見てからチーム名を当てたような……顔を知られている? まさかね。大魔王様に顔を知られているとか、スライムな俺ではその事実だけで心臓が止まるわ。

 

「お話したこと、ありましたっけ?」

「話をしたことはないわ。でも、トレセン学園で仕事をしていれば見かける機会はあるでしょう?」

 

 思わず探るようなことを言ってしまうが、東条さんは気にした様子もなく答える。目付きが鋭いのは素なのか、ちょっとビビりそうである。さすがはエアグルーヴさんのトレーナーだ。視線の圧力がすごい。でもエアグルーヴさんと違ってお労しい感じはしない。

 

 しかし同時に、俺は疑問を覚える。東条さんはトレセン学園に所属するトレーナーの中でもぶっちぎりに有名な人物で俺も噂程度にしか知らないが、こうしてわざわざ新米トレーナーに声をかけてくるような性格でもなかったはずだ。

 

 というか、パドックには他にもトレーナーがいる。俺よりも先輩のトレーナーが何人もいるのだ。そちらには声をかけず、俺に声をかけてきた理由がわからない。

 

 ライスがいるから? でも東条さんの視線を見る限り、ライスではなく俺に用がある感じがする。しかし菊花賞と有記念を制したライスではなく、俺の方に声をかける理由が本当にわからない。

 新人トレーナーなのにチームを設立したからだろうか? それならば納得もできるのだが。あるいはライスを引き抜こうとしている? 仮に何十億円積まれたとしても絶対に渡さんぞ。

 

「そんなに警戒しないでちょうだい。知り合いからあなたの話を聞いたことがあったのよ。それで良い機会だと思って声をかけさせてもらったの」

 

 俺の警戒心を感じ取ったのか、東条さんは表情を柔らかいものに変える。しかし知り合い? 俺の同期連中で東条さんと面識があるなんて話をしていた奴はいなかったんだが……理事長やたづなさんなら知り合いなんてぼかした言い方にしないはずだ。

 

「あのチームリギルの東条トレーナーに声をかけてもらえるなんて光栄です。今日はそちらのエルコンドルパサーが出てくるようで……うちのハルウララも対戦を楽しみにしていましたよ」

「あら……それはうちのエルに勝てるという意思表示かしら? わざわざオグリキャップが出てくるであろうレースに出してくるあたり、自分が育てているウマ娘に自信があるのね」

「ははは……それはどうでしょうね?」

 

 ウララは純粋に楽しみにしてました、などとは言えない。そのため笑って誤魔化すと、東条さんはどこか楽しげに――いや、獲物を見つけた狩人のような笑みを浮かべる。

 

「そう……それならレースを楽しみにしているわ」

 

 それだけを言い残し、東条さんが離れていく。挑発とも言えない程度の言葉だったが、なんとも掴みどころのない人だ。

 

(というか、エルコンドルパサーをエルって呼んでたな……イメージと若干違うけど、ウマ娘との間にしっかりとした信頼関係がありそうだ)

 

 愛称で呼んでいるということは、相応の信頼関係があるということだ。つまり、エルコンドルパサーは東条さんにそれだけ期待されているウマ娘ということでもある。

 

(それに、オグリキャップが出てくるであろうレース? あの子が中央に移籍してから出たレースは芝ばかりだぞ? 何か見落とした……か?)

 

 東条さんの言葉を思い返し、俺は背中に冷や汗が浮かぶのを感じた。

 

 オグリキャップが出てくるとわかっていれば、たしかに今回のヒヤシンスステークスは見送った可能性が高い。しかしオグリキャップがヒヤシンスステークスに出走すると事前に宣言したとは聞いていないのだ。

 

 東条さんほどのトレーナーならばライバルになるウマ娘が次にどのレースに出るのか、推測するのも容易なのかもしれない。しかし、単純に俺が気付かなかっただけという可能性もある。

 

(いや、オグリキャップが出てくるからレースを避けるのはウララを信じてないってことだ……あの子なら勝つ……勝ってくれる)

 

 強いウマ娘が出てくるからレースを見送るというのも、戦術としては正しいだろう。レースに出なければ負けようがないからだ。だが、強いウマ娘が出るからと逃げていては話にならない。

 

 そうやって俺が思考していると、パドックでのお披露目が始まった。次から次へとヒヤシンスステークスに出走するウマ娘が観客達に姿を晒していく。

 

『2枠2番、ハルウララ』

 

 今日のウララは内枠での出走だ。ダートにおいては有利な枠番を引けた。

 

 ウララが姿を見せると、観客達からも歓声が上がる。ウララはそれに応えるように笑顔で手を振り、その場で飛び跳ねていた。

 

『5枠5番、エルコンドルパサー』

 

 エルコンドルパサーは5番での出走だ。歓声の大きさはウララの方が上だが、観客の中にはエルコンドルパサーの体を見て感嘆の声を漏らす者が多い。

 

(……なるほど。さすがは東条さん、良い仕上がりだな)

 

 黒に近い栗毛の髪をなびかせ、目の周囲を覆うように巻かれたマスク。その表情には自信が溢れており、その自信を裏付けるように体の仕上がりは非常に良さそうだ。

 

「トモもしっかり鍛えられてるし、筋肉の付き方もバランスが良い……実に良い体だ……ううむ、参考までに触診してみた痛っ!? ら、ライス?」

 

 さすがは東条さんが鍛えているウマ娘だ、と感心していたら、何故かライスに手を摘ままれた。驚いて視線を向けてみると、頬を膨らませたライスと視線がぶつかる。

 

「……ぷいっ」

 

 アカン、言葉に出しながら視線を逸らされた。どうしたんだ? 俺はただ、エルコンドルパサーの筋肉の付き具合を目視だけじゃなく実際に触って確認してみたいだけだというのに。

 

 拗ねたように俺から視線を逸らしたライスだったが、腰元から伸びる尻尾は甘えるようにペシペシと俺のふとももを叩いてくる。可愛い。

 

『7枠7番、オグリキャップ』

 

 その名前を聞き、俺は顔を上げてパドックを見る。観客達からも歓声が上がるが、同時に、困惑したようなどよめきも広がった。

 

(調子は……相変わらずいまいち読めない子だな。というかぼーっと空を見上げて……なんだ? 空には……雲がちょっと出てきてるぐらいだが……)

 

 天候は相変わらず良い。オグリキャップに釣られて空を見上げてみても、わたあめのような形の雲がぷかぷかと浮いているだけだ。まさか空の雲を見て腹を空かせているわけでもあるまい。

 

(いや、そういえばオグリキャップはかなりの大食いって話だったか……でもウララの友達のスペシャルウィークって子もたくさん食べるらしいし、そんなにおかしな話でもないよな)

 

 同僚達との雑談程度の情報だが、ウマ娘達が利用する食堂でもオグリキャップの食欲は噂されるほどだと聞いたことがある。しかしウマ娘は常人と比べると遥かに食べるのだ。小柄なウララやライスでさえ、俺の何倍も食べるのである。

 

 いくら大食いと噂されても、限度があるだろう。それにしても、だ。

 

(雰囲気が独特ってのもあるけど、体付きはまだまだ発展途上……それでも練習であれだけの走りを見せるんだ。地方から移ってきてまだ二ヶ月も経ってない。これからどんどん鍛えられていくとして、レースでどこまでの走りを見せるのか……)

 

 ウララやエルコンドルパサーと比べると、オグリキャップは体がきちんと鍛えられていないように見える。しかし、()()()()()があるのもたしかだ。

 

 結論としては、未知数の一言に尽きる。かなり強いウマ娘だと思うが、現状では東条さんが鍛えているエルコンドルパサーの方が難敵だろう。

 

 また、オグリキャップは1月後半、2月前半、そして今回と半月ごとにレースに出ている。さすがにそろそろ疲労も溜まってきそうだが――。

 

(っ……しまった……東条さんが言ってたのは()()()()()()か!)

 

 先ほど東条さんと話していて感じた疑問の答えに、俺はようやく到達する。

 

 オグリキャップが中央に移籍してから出たレースは、クロッカスステークスと共同通信杯の2回だ。そのどちらも東京レース場でのレースで、今回のヒヤシンスステークスも東京レース場で行われる。

 

(クラシック路線に殴り込むには収得賞金が足りない……かといって連続してレースに出し続けるには疲労が溜まる……だからこそ移動の負担がゼロに近い東京レース場のレースに出したって考えるべきか)

 

 東条さんは2回のレースと出走間隔から今回のヒヤシンスステークスに出てくる可能性が高いと踏み、エルコンドルパサーを出したのだろう。何故エルコンドルパサーを出走させたのかまではわからないが、東条さんがオグリキャップが出てくると踏んだ理由には納得がいった。

 

 そんな東条さんと違い、俺がオグリキャップが出てくると考えていなかった理由は単純だ。芝のレースに2回連続で出走させているのもそうだが、俺なら()()()()()()()()()()からだ。

 

 ウララもダートのGⅠを目指すには収得賞金を稼ぐ必要があるが、さすがに半月ごとにレースに出すような真似はしない。するとしても、連続して3回レースには出さない。そんなことをすれば、さすがのウララでも疲労が溜まって故障につながると思ったからだ。

 

 オグリキャップのトレーナーはそれを良しとした。正確に言えば、ダートのオープン戦なら()()()()()()()()()()()と判断した可能性がある。

 

 それは芝のレースと違い、選手層が薄いからだ。オグリキャップなら楽に勝てると判断したのなら、今回のヒヤシンスステークスに出てきたのも納得である。

 

 楽に勝てて賞金を稼ぐことができ、オグリキャップの疲労も溜まらない。それならばゴーサインを出すことも十分ありえる、のだが――。

 

(エルコンドルパサーはさすがに想定外だろうけど、オグリキャップのトレーナーは疲労が溜まっていても俺のウララ相手なら勝てると踏んだわけか……そういう、わけか……)

 

 クラシック級のウマ娘だけが出られるダートレースは数が少ない。去年未勝利戦で勝ったウララがここで出てくるというのは、容易に推測できるはずだ。

 

 それでもぶつけてきたのは、ウララが相手でも()()()()()と思ったからか。

 

「お、お兄さま? 怒った、の?」

 

 俺が歯を噛み締めていると、俺のふとももを尻尾でペチペチ叩いていたライスが恐る恐る尋ねてくる。その声で我に返った俺は大きく息を吐くと、ライスの頭を撫でて気を落ちつかせた。

 

「ライスにじゃないさ……ああ、そうだとも」

 

 もちろん、俺の勘違いという可能性もある。しかし東条さんの言葉を信じるならば、オグリキャップが出てくる可能性は非常に高かったのだろう。

 俺がそうやって怒りを嚙み殺していると、パドックでのお披露目を終えたウララが柵越しに駆け寄ってくる。

 

「トレーナー! 作戦はいつも通りでいいんだよね?」

「……ああ、いつも通りだ。怪我をしないよう注意して、差しにいくこと」

「うん! わかったよー!」

 

 俺が答えると、ウララは楽しそうに駆けていく。もしもレースに出るのがライスならばエルコンドルパサーかオグリキャップをマークさせて差し切らせるのだが、ウララはそこまで器用なウマ娘ではない。それが可能なほど、鍛えてはいない。

 

 そうやって俺が思考していると、視線の先でウララとエルコンドルパサーが何やら親しげに話しているのが見える。ウララもエルコンドルパサーも笑顔で、これからレースで競い合うとは思えない様子で言葉を交わしていた。

 

(エルコンドルパサーとは友達だって言ってたから、仲が良いのはわかるけど……)

 

 ウララが普段通りなのはウララだから仕方ないとして、エルコンドルパサーから感じ取れるのは……余裕だろうか? 彼女もまた、オグリキャップと同じように今回のレースは楽に勝てると思って出てきたのか?

 

 それがどんな結果をもたらすのか――レースの時間はすぐにやってきた。

 

『良く晴れた冬空の下で行われます、東京レース場第9レース。ダートのオープン戦ヒヤシンスステークス。距離は1600メートル、出走するウマ娘は10名。バ場状態は良の発表です』

『クラシック級のダートレースにおいて今年初めてのレースですね。ただ、出走するウマ娘が10名とやや少ない数になりました』

 

 ファンファーレの音が鳴り響き、実況と解説の話を聞きながら、俺は内心だけで頷く。エルコンドルパサーの参戦は本当に予想外だったため、他のトレーナーはオグリキャップとの勝負を避けたのか、もしくは自画自賛になるがウララとの勝負を避けたのか。

 

『続きまして5枠5番エルコンドルパサー。2戦2勝で1番人気のウマ娘です』

『あのチームリギルのウマ娘ということもあり、ファンの期待も非常に高いですねぇ。人気に応える走りができるのか楽しみです』

 

 奇数枠のエルコンドルパサーが3番目にゲートインするが、紹介と共に観客から湧き上がる歓声が凄まじい。1番人気はそれだけ期待されているということなのだ。

 

『続きまして7枠7番、オグリキャップ。元はカサマツのトレーニングセンターに所属していましたが、今年から中央へ移籍したウマ娘です』

『中央移籍後はエルコンドルパサーと同様に既に2戦2勝していますし、前走はGⅢの共同通信杯で1着でした。戦績だけ見れば抜群なのですが、ダートでも同様の走りができるのか不安視されたのでしょう。3番人気となっています』

 

 エルコンドルパサーに続いてオグリキャップがゲートに入る。しかし、相変わらずどこかぼーっとした雰囲気だった。

 

『続きまして2枠2番ハルウララ。昨年の未勝利戦において、このコースでのレースレコードを記録したウマ娘です。観客席に向かって笑顔で手を振りながらゲートイン完了』

『人気もエルコンドルパサーに僅かに及ばなかったものの2番人気ですからね。はたして前走がフロックだったのか、それともレコードを持つウマ娘の意地を見せるのか、期待しましょう』

 

 フロック――まぐれでレコードは出ないと思うんだが。あるいは、回数を重ねた未勝利戦でのレースレコードということもあって甘く見られているのか。

 

 大外枠を残し、奇数枠のウマ娘から偶数枠のウマ娘へとゲートインが回ってきたが、ウララが観客席に手を振ると大きな歓声が上がる。ウララはそれに満面の笑みを浮かべてからゲートに入った。

 

 そして全てのウマ娘がゲートインし、準備が整う。レースが始まる直前の独特の緊張感がレース場を満たし、観客も自然と口を閉ざして場に沈黙が満ちる。

 

『各ウマ娘、ゲートイン完了――スタートしました』

 

 バタン、というゲートが開く音。それと同時に10人のウマ娘が一斉にゲートから飛び出す。

 

 今回ウララは2枠2番と内枠で、エルコンドルパサーやオグリキャップと比べれば有利なスタート位置だ。さて、どうなるか。

 

『各ウマ娘、綺麗に揃ったスタートを切りました。真っ先に先頭に立ったのは1番エフェメロン、続いて9番サニーウェザー。1バ身開いて5番エルコンドルパサー、4番グリーンシュシュ、7番オグリキャップ。更に1バ身離れて2番ハルウララ、3番ブリッツエクレール、8番ストレートバレット、6番コロッセオファイト。シンガリに10番ジュエルマラカイト』

『非常に綺麗なスタートでしたね。ヒヤシンスステークスは1600メートルですから、スタートからの長い直線、コーナーを曲がればあとはゴールまで一直線です。どのタイミングで仕掛けるかが重要ですよ』

 

 今回のレースは左回りで、スタートの直後は芝のコースだがすぐにダートコースへと突入し、600メートル近い直線を駆け、第3、第4コーナーを曲がればあとは500メートルほどの直線が控えているだけだ。

 

 コースの起伏もそれほど大きくない。最後の直線で300メートルほどかけて緩い坂を駆け上がる必要があるが、高低差は2メートルちょっととウララなら問題にならない。あとはそこから200メートル、平坦な直線が待っている。

 

『ハナを切った1番エフェメロン、僅かに遅れて9番サニーウェザー、後続から大きく逃げています。3番手との距離はおよそ6バ身から7バ身。快調に飛ばしています』

『エルコンドルパサーやハルウララ、オグリキャップの差し足は強烈ですからね。なるべく逃げておきたいのでしょう』

『逃げる二人に続き、3番手エルコンドルパサー、オグリキャップが少し上がって4番手、グリーンシュシュ、ハルウララ、ストレートバレット、コロッセオファイト、ブリッツエクレール、ジュエルマラカイトと縦に長い展開になってきています』

 

 先頭を駆けるウマ娘二人は実況の言う通りウララ達を警戒しているのだろうか? 仕掛けるには早すぎるが、マイルの距離でも最初から最後まで逃げ続ける足があるのかもしれない。

 

(そうだとしたらさすがはオープン戦ってことか……未勝利戦とはレベルが違うな)

 

 ウマ娘達の動きを見ていると、それぞれが細かい駆け引きを繰り広げているのがわかる。抜くか、下がるか、現状維持か。周囲のウマ娘に構わず駆けるのはエルコンドルパサーとオグリキャップ、そしてウララぐらいだ。

 

(オグリキャップは……表情が変わってる? やっぱりレースでスイッチが入るタイプか?)

 

 レース前はぼーっとした印象を受けたオグリキャップだったが、走り出してからはその表情が一変している。ライスほどではないが表情には気迫が満ちており、前方の隙を虎視眈々と窺っているように見えた。

 

『標識は残り1000メートルを通過。先頭のエフェメロンが第3コーナーへ突入。遅れてサニーウェザーもコーナーを駆けていく』

『これは……やや速いペースですね』

 

 東京レース場でのダート、マイルの1600メートルとなると、タイムはおよそ1分35秒から40秒程度。先頭の逃げているウマ娘達のペースは……レコードには届かないが、実況の言う通りやや速いペースだ。

 

『後続も続々と第3コーナーへとっ、お、3番手のエルコンドルパサー、仕掛けてきた! ペースを上げて先頭との距離を詰め始めているぞ! それにつられたのかオグリキャップもペースを上げている!』

『綺麗にカーブを抜けていきますね……ペースを落とさないどころか上げていく。すごい足ですよ』

 

 コーナーにも拘わらず、エルコンドルパサーとオグリキャップが駆けるスピードを上げた。スパートと呼べるほどの加速ではないが、先頭との距離をどんどん縮めていく。だが、それを見た俺はウララの様子を確認して一つ頷く。

 

(よし、つられてないな……1600メートルならウララのスタミナももつし、最後の直線は500メートル近くある。仕掛けるのはまだだぞ、ウララ)

 

 ウララも少しずつペースを上げているが、それはエルコンドルパサーやオグリキャップのように一気に加速したものではない。自身の体力と残った距離を照らし合わせ、的確にスピードを上げ始めているのだ。

 

 このあたりはライスがいたからこそ、ウララも身に付いた技術である。俺はウララが走る姿を見ながら、隣に立つライスの頭を撫で回す。

 

「お、お兄さまっ!?」

「ウララはお前との練習の成果が出ているぞ、ライス。見ろ、位置取りも良い。お前のおかげだ」

 

 ウララと俺だけの二人三脚では、レースでの細かな動きなどは教え切れなかった。しかし、GⅠを2つ制したライスはウララと比べて遥かに経験豊富である。共に走り、鍛え、悪いところを指摘できるだけの実力がライスに備わっているのは、俺としても非常にありがたい話である。

 

『残り600の標識を過ぎ、第4コーナーを最初に抜けたのはエフェメロンだ! 2番手のサニーウェザーとの距離は2バ身、しかしそのすぐ後ろにエルコンドルパサーとオグリキャップが迫っている! 5番手には3バ身離れた位置にハルウララが控えているぞ!』

『ハルウララから後ろは更に5バ身ほど離れていますね。先頭からは10バ身近く離れていますが、最後の直線で前に出られるウマ娘はいるのでしょうか』

『さあ、最後の直線です! 400の標識が迫っている! おっときた! ここできたぞハルウララ! レコードを記録したウマ娘が今! 一気に加速した!』

(少し早いが……動いた方が良いと判断したか?)

 

 最後の直線に入った途端、ウララが一気に加速した。俺の感覚としては少し早い、しかしウララとしては仕掛けどころだと判断したのだろう。

 見ている俺よりも、実際にレースで走っているウララの方がここで仕掛けなければまずいと感じたのか。

 

『ハルウララ、ぐんぐん加速する! しかしエルコンドルパサーとオグリキャップもスパートをかけたぞ! 坂の途中で残り400の標識を過ぎた! 先頭は変わらずエフェメロン! しかしバテてきたか!? 後続との距離が1バ――なくなった! 並んだエルコンドルパサーとオグリキャップ、そのままかわす!』

 

 残り400メートルの標識を抜けて坂を駆け上がる途中で、とうとうエルコンドルパサーとオグリキャップが争うようにして先頭に立った。その足はすさまじく、またたく間に後続との距離を離していく。

 

『しかしきた! 後ろからもう一人! ハルウララが上がってきたぞ! ズルズルっと下がったエフェメロンをかわし、先頭との距離を縮めていく! 他の後続はどうだ!? まだ400の標識を通過したばかりだ!』

 

 先にスパートをかけた分、ウララの方が先に最高速度へ到達している。それによって先行していたエルコンドルパサーとオグリキャップに追いつき、そして今、並んだ。

 

『並んだぞハルウララ! このままかわせるか!? 残り200の標識を今過ぎた! ここからは平坦な直線だ! 真っ先にゴールを通過するのは誰だ!?』

 

 ウララが追い付いたことで焦ったのだろう。エルコンドルパサーも加速して引き離そうとする。オグリキャップもそれは同様だが、()()()()()()()()()()()()()()ならば心理的にも追い付いた側の方が有利だ。

 

 あとはゴールまで速度を維持する体力と根性が物を言う。そしてその二つはライスとのトレーニングで十分に鍛えられている。

 

「いけええええええええ! ウララアアアアアァァッ!」

「が、がんばってっ! ウララちゃん!」

 

 俺とライスが応援の声を上げる。ウララとエルコンドルパサー、オグリキャップの三人が繰り広げるデッドヒートを前に、観客も割れんばかりの声援を上げている。

 

『残り100メートル! 並んだ3人からはまだ誰も抜け出せな――』

 

 その時、俺はオグリキャップの口元が僅かに動いたのを目視した。それは短い言葉のようで、声こそ聞こえなかったが俺はオグリキャップが放った言葉をたしかに聞いた気がした。

 

 ――全力だ。

 

 という、声を。

 

「っ!?」

 

 俺は思わず目を疑う。ラストスパートをかけて競り合っていたはずのオグリキャップの雰囲気が変わり、爆発するような勢いで砂地を後方へ吹き飛ばしながら一気に加速したのだ。

 

(あそこから更に伸びるだとっ!?)

 

 驚愕するように俺は目を見開く。

 

 2回目の、あるいは多段式ロケットのような()()()()の加速。それによって一気にウララとエルコンドルパサーを引き離したオグリキャップが、先頭を駆けていく。地面スレスレを滑るように、姿勢を低くしながらオグリキャップが駆けていく。

 

『これはどういうことだ!? 伸びた! オグリキャップが伸びた! ラストスパートを駆けていたオグリキャップ! 更に伸びてエルコンドルパサーとハルウララを引き離していくぅっ!?』

『お……どろき、ました、ねぇ』

 

 興奮する実況と、呆然としたような解説の声。

 

『オグリキャップ! そのまま1着でゴール! 2着争いは3バ身離れてエルコンドルパサーとハルウララ! 先に抜けたのは――エルコンドルパサー! エルコンドルパサーが僅かに抜けてゴールを切った! 3着はハルウララだ!』

 

 実況の声を聞きながら、俺は呆然とオグリキャップを見る。まだまだ余裕があったのか、ゴールを駆け抜けた後もそこまで息が乱れていない。エルコンドルパサーとウララは肩で息をしているというのに、オグリキャップは口をへの字にして腹を手で押さえている。

 

「大したものね、オグリキャップは」

「東条さん……」

 

 俺がオグリキャップを見ていると、いつの間にか俺の隣に来ていた東条さんが話しかけてきた。しかしその視線はエルコンドルパサーに向けられており、何かに納得したように頷く。

 

「勝率は3割ってところだったけど、やっぱり勝てなかったわね。それに、オグリキャップがいなければハルウララに差し切られていたかもしれないわ」

「……ですが、結果が全てです。うちのウララの……負け、ですよ」

 

 ウララに差し切られていたかもしれないというが、最後の数十メートルでの加速が勝負を分けた。ウララは早めにラストスパートをかけて加速していったが、追い付かれたエルコンドルパサーは更にそこから伸びる足があった。今回のオグリキャップと比べれば、さすがに見劣りしてしまうが。

 

「エル……あの子はね、アメリカ生まれのウマ娘なの。本人の希望で後々は海外遠征も考えているわ。アメリカかフランスか……どこのレースに出るかはこれから次第だけど、仮にアメリカのレースに出るとすればダートが主流になる」

「……?」

 

 東条さんの話に、俺は疑問の視線を向ける。突然何を……?

 

「私としてはあの子の可能性を可能な限り広げてあげたいの。それには、今日みたいに()()()()()()()()()()()()()()だと思っているわ」

「勝率が3割って言いましたけど、負けるとわかって挑ませた……と?」

「レースに絶対はないわ。エルが勝っていたかもしれなかった……でも、負けた。それが全てよ」

 

 そこまで言うと、東条さんはエルコンドルパサーから視線を外して俺を見る。

 

「一年目の新人にしては立派な()()()()()()()になっているわね。でも、ライスシャワーという強いウマ娘を急に育てるようになったからか、必死さがなくなったようにも見えるわ」

「――――」

 

 その言葉は不意打ちのようで、俺は思わず言葉を失う。東条さんはそんな俺を真っすぐに見つめていたが視線を外し、観客席に向かって笑顔で両手を振るウララを見た。

 

「ハルウララをあそこまで鍛える手腕といい、担当しているウマ娘との信頼関係といい、もうじき二年目になるトレーナーとは思えないぐらい上出来よ。ただ……」

 

 ウララの様子に視線を鋭いものへ変える東条さん。

 

「大切に育てることと過保護は全く違うと私は思っているわ。それに、私としてはハルウララのやる気を出させるために真夏に一緒になって懸命に走っていた……あの時の必死さも大事だと思うわ」

「……見てたんですか?」

「ええ。それじゃあね……敗北をどれだけウマ娘の糧にできるかも、トレーナーの腕にかかっているわよ」

 

 最後にそう言い残し、東条さんが去っていく。その背中に俺は何も言うことができなかった。

 

(……負けた、な。完敗だ)

 

 オグリキャップやエルコンドルパサーもそうだが、東条さんにはトレーナーとして完敗した。元々トレーナーとして東条さんに手が届くなんて微塵も思っちゃいなかったが、敗北することすら織り込み済みで育成に活かそうとするなど、俺にはない発想だった。

 

 厳しい人だ――しかし、エルコンドルパサーのことをしっかり思ってもいる。

 

 俺はウララやライスを鍛え、一心に信じてレースに送り出してきたつもりだ。そこにはライバルに負けさせて心を鍛えようなどという思いは一切なかった。

 

 もちろん俺と東条さんの育成方針の違いや、担当しているウマ娘の性格なども大きく関係するだろう。しかし、担当しているウマ娘に負けさせてでも成長を促すのは、中々できることではない。

 

 そして、わざわざ俺に声をかけてきたのは、新人ながらチームを設立することになった俺への、彼女なりのエールといったところか。

 

 東条さんの背中を視線で追っていた俺は、レースを終えて引き上げていくエルコンドルパサーに声をかける姿を目撃した。

 

 東条さんは落ち込んだ様子のエルコンドルパサーと何度か言葉をかわしたかと思うと、落ち込んでいたエルコンドルパサーの表情がぐっと強さを増す。負けたことを飲み込ませた上で、奮い立たせたのだろう。

 

(本当に、完敗だ……)

 

 笑顔で手を振りながら駆けてくるウララに対し、俺はどんな言葉をかければ良いのかと思考を巡らせるのだった。

 

 

 




前回のあとがきでさすがに魔境すぎる環境だと思ったものの、久しぶりにアプリでウララを育成してダートに出走するモブウマ娘の名前を確認していたら、クラシック級のオープン戦で
・オグリキャップ
・エルコンドルパサー
・ニシノフラワー
・サクラバクシンオー(何故かダートA)
・ヒシアマゾン
・タイキシャトル
・マルゼンスキー
と殴り合うことになったので、この作品はまだ難易度が控えめだと思いました。

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