リィンカーネーションダービー ‐新人トレーナーがんばる‐   作:烏賊メンコ

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第31話:新人トレーナー、奮起する

 ヒヤシンスステークスの翌日。

 

 京都記念の時のようにコンビニでウマ娘専門のスポーツ新聞を買ってきた俺は、部室でコーヒーを飲みながら紙面の内容に目を落としていた。

 

(昨日のレース……取り上げられてるのはやっぱりオグリキャップか)

 

 ヒヤシンスステークスで1着を獲ったオグリキャップが大々的に取り上げられているが、1着を獲った以上それも当然だろう。2着がチームリギルのエルコンドルパサー、3着が未勝利戦ながらレースレコードを叩き出したウララというのも、その一因に違いない。

 

 ウララ、オグリキャップ、エルコンドルパサーによる三つ巴の戦い。

 

 それは他のウマ娘達に――3着になったウララと4着になったウマ娘の間に7バ身以上の差をつけた状態で行われたもので、紙面ではオグリキャップだけでなくウララとエルコンドルパサーに関しても褒める論調になっていた。

 

 ただ、ウララやエルコンドルパサー以上にオグリキャップが強かった。それだけのことだった。

 

 白黒ながらウイニングライブの写真も掲載してあるが、センターはオグリキャップ。その左右に控える形でウララとエルコンドルパサーが踊っている。

 俺もウイニングライブは見ていたが、レースで負けたことから切り替えたエルコンドルパサーは笑顔で、ウララは……まあ、これもいつも通りの笑顔で踊っていた。いつも通り過ぎた、とも言えるが。

 

(センターは逃したけど、ウイニングライブに出れたから満足……って感じでもなかったけどなぁ……でも、エルコンドルパサーみたいに悔しがっていたかというと……)

 

 エルコンドルパサーからは、今回は負けたが次こそは勝つという熱意が見て取れた。そんなエルコンドルパサーと比べた場合、ウララは気迫が欠けているといっても過言ではない。

 

 ウララの場合それが長所であり短所なのだが、ヒヤシンスステークスで走る際は未勝利戦で勝利した時のような()()()()()()()()()()な空気はなかった。

 

(必死さがなくなった、か……東条さんの言う通りだな)

 

 ウララの育成に関して手を抜いた覚えはない。たしかにライスの育成も加わって大変だったが、それだけは断言できる。

 

 だが、手を抜かなかっただけで必死だったかと問われれば――。

 

「~~っ!」

 

 手に持っていた新聞紙が、ぐしゃりと音を立ててひしゃげる。

 

 ライスは体の調子のこともあり、怪我をしないよう、体の調子を戻すことを最優先にしていた。ウララは健康そのものだったため怪我をしないよう注意しつつ、可能な限りトレーニングで負荷を与えた――つもりだった。

 

(他のウマ娘には余裕を持って勝てていた……でもエルコンドルパサーには育成手腕の差で、オグリキャップには……)

 

 何故オグリキャップとエルコンドルパサーに負けたのかを頭の中で考え、俺は大きなため息を吐く。

 

 東条さんはウララがエルコンドルパサーに勝っていたかもしれないというが、最後にかわされてしまった。ウララはベストコンディションで可能な限り最高の走りをして、アクシデントもなかったというのにだ。

 

 それは東条さんがエルコンドルパサーに施したトレーニングの差だろう。エルコンドルパサーはウララに追いつかれて焦った様子だったが、それでも冷静に、最後の最後でウララをかわして2着になった。

 

 だが、そんなエルコンドルパサーと比べてオグリキャップはどうだ? 俺の目が節穴なのか、エルコンドルパサーやウララと比べるとウマ娘としての()()()は低く見えた。

 

 元々はカサマツでトレーニングを積んでいたとしても、中央に移籍してからの2ヶ月で積み重ねたトレーニングではオグリキャップの力を十全に引き出せたとは言えないはずだ。

 

 それでもウララが負けたのは、何故か。

 

 ――オグリキャップの育成を担当しているトレーナーの手腕?

 

 たしかにそれもあるだろう。オグリキャップの育成を担当しているのは、この道何十年の大ベテランだ。名前はたしか……ろっぺいさん? だったか。トレーナーとしての経験値でいえば、俺は当然だが東条さんですら敵わないだろう。

 

 ――オグリキャップ自身の才能?

 

 それもあるだろう。オグリキャップが最後に見せた2回目の加速……アレは並のウマ娘にできることではない。というか、トレセン学園の最上位層の面々でさえ可能とするウマ娘がいるかどうか。

 

 ――オグリキャップが最後に見せた気迫?

 

 それも、きっとある。オグリキャップにあってウララにないものだ。ウララもレースに勝ちたいという気持ちはあるが、オグリキャップが最後に見せた気迫は、比べ物にならなかった。オグリキャップはクラシック級だというのに、ライスに匹敵しかねない気迫があったのである。

 

 オグリキャップの才能に敗れた、などとは言いたくないし、言わない。いくらオグリキャップが才能溢れるウマ娘だとしても、トレーナーの育成がなければあれほどの力は発揮できないからだ。

 

 問題は、中央に移籍してから2ヶ月に満たないトレーニングであれほどの実力を発揮した、ということだが。

 

(これからもダート路線に出てくるか? 悔しいが、今のウララじゃ勝てん……かといって時間が経てば経つほど差が広がるかもしれない……)

 

 オグリキャップが出てくると判断し、ヒヤシンスステークスを避けたトレーナー達の判断は正解だったのかもしれない。ウララだからこそオグリキャップに負けても『すっごい速いねー!』で済んだが、アレは心が折れかねない強さだった。

 

 かといって、オグリキャップが出てくるかもしれないから、などと言って今後のレースを回避することはできない。走ることを心から楽しんでいるウララに対し、『オグリキャップが出てくれば負けるから次のレースは回避する』なんて言えるものか。

 

 ウララなら負けるとわかっているレースでさえ、楽しんでくるかもしれない。しかし、それでは先がないのだ。

 

 ウララがただレースに出て走りたいというウマ娘なら、このままで良いだろう。引退するまで勝つことがなくても走り続けるというのなら、それも一つの道に違いない。

 

 たまに2着か3着になってウイニングライブで踊れば満足というのなら、ハルウララというウマ娘の限界がそこまでだったというだけの話だ。

 

「――認められるかよ、そんなものっ!」

 

 腹の底から湧き上がってくる怒りを込めて、机に拳を振り下ろす。激しい音と衝撃で机が揺れ、拳の皮が大きくめくれたがそんなものは気にも留めない。

 

 あの子は、ウララは、もっと強く、速くなる。それを可能とするだけのトレーニングを、笑顔でこなせるのだ。

 

 誰でもきついことは嫌だし、避けたいと思うものだろう。いくら速く走ることを本能的に求めるウマ娘といっても限界がある。疲れれば休みたくなるし、毎日トレーニングが続けば嫌にもなるのだ。

 

 ウララはうっかりトレーニングの時間を忘れてしまった時以外、毎日笑顔でトレーニングに励んでいる。それは一種の才能と呼べるもので、ハルウララというウマ娘の肉体を少しずつ強く、速く走れるようにしているのだ。

 楽しんでトレーニングに励めるし、俺が注意しているのもあるが怪我もしない。言うことには素直に従い、格上のライスと一緒にトレーニングをしていても妬んだりへこんだりもしない。

 

 ウララのウマ娘としての才能が、オグリキャップに劣っているとは俺は思わない。

 

 たしかにウララは芝のコースが苦手だし、逃げや先行といった戦法も得意ではない。レースにかける気迫や覚悟も、足りないのかもしれない。

 

 だけどよ――ハルウララなんだぜ?

 

 一年にも満たない付き合いだが、あの子の限界はまだまだ先に在ると俺は確信している。仮に限界に到達したとしても、次はその限界を超えていけば良い。

 

 ならば、俺にできることは決まっている。これまで以上にウララを鍛え、その力を伸ばしていくことだ。

 

(ウララも昔と比べて体が出来上がってきた……つまり、今まで以上に負荷をかけてトレーニングできるってことだ)

 

 もちろん、これまで通り怪我をさせないよう注意を払う必要がある。いくらウララを強くするためといっても、怪我をしては何の意味もないからだ。

 

 東条さんには大切に育てるのと過保護は違うと言われたが、担当のウマ娘に怪我をさせないという点だけは譲れないし譲らない。レース中の故障はどうしても避けられない面があるが、それ以外の怪我に関しては絶対に避けてみせる。

 

 たとえば、考えたくもない仮定の未来だが、俺が施したトレーニングでウララが故障し、二度と走ることができなくなったとしよう。

 

 ウマ娘にとって走れないというのは、これ以上ないほどの苦痛である。レースで勝てないから引退するよりも、更に厳しい事態だ。それこそ下手すれば自殺しかねない。

 

 あのウララから笑顔が消えて、屍のような顔で生きていくかもしれない――そう思うだけで、トレーニングに手心を加えたくなるほどの重圧を感じる。

 

 だが、俺も新米だがトレーナーだ。だからこそ俺は怪我をさせずに、より強く、より速くなるよう鍛えていく。ウララの体も成長しているため、以前と比べれば安全マージンを減らせるだろう。

 

 これまで以上によく練習させ、よく休ませ、よく勉強させる――そういえばウララのやつ、勉強のテストが壊滅的だったな。

 

「レース運びのための座学ももっと増やすべきだな……そうなると、見本になるレース映像も探して……ライスの大阪杯も控えているし、そっちも手が抜けねえ……二人同時にどこまで鍛えられる? もっと効率的なトレーニングを考案……時間が足りねえ……」

 

 俺はぶつぶつと呟きながら、考えをまとめていく。腹の底で煮えたぎっていた怒りが、徐々にやる気へと変化していくのを感じる。多分、鏡を見たら目が血走っているに違いない。

 

 たしかに今回は負けた。完敗だった。だが、ウララにはまだ次がある。ならば、その次をより素晴らしいものにするのだ。

 

(東条さんは、敗北をどれだけウマ娘の糧にできるかがトレーナーの腕にかかっているって言ってたな……でも、糧にするのはウマ娘だけじゃない。俺も糧にするんだ……)

 

 ウララの次のレースも考える必要がある。直近だと3月前半に昇竜ステークスがあるが、その次の伏龍ステークスは4月前半と1ヶ月近い間が空いてしまう。4月後半には端午ステークスがあるが、レーススケジュールはどうするか。

 

(ライスの大阪杯の前にウララをもう1戦させるか、4月前半の伏龍ステークスに回すか……ライスに問題がなければ春の天皇賞が4月後半、宝塚記念が6月後半。2ヶ月空くから間に1戦挟んで……5月後半のGⅡ、目黒記念が妥当か? ウララは5月前半に青竜ステークス、5月後半に鳳雛ステークス……ユニコーンステークスが6月後半……どうする……)

 

 ウララとライスを鍛えつつ、レースに向けて調整して、レース前には調子を上げて、とやることが多い。だが、やること、できることが何もないよりは断然マシだ。

 

「よし、こうなったら徹夜でトレーニングメニューの考案とウララ用の教材作成とライバルウマ娘の研究をしなければ」

「駄目ですよ?」

 

 俺が拳を握り締めながら決断しようとした瞬間、声が聞こえて俺は動きを止めた。

 

 錆び付いたロボットのような動きで振り返ると、何故かたづなさんが背後にいる。

 

(え? いつ入ってきたの? というか、なんで背後取られてるの?)

 

 部室の扉は一つしかない。窓はあるが寒いから開けていない。それだというのに何故かたづなさんが部室の中にいて、俺の背後を取っている。軽く――いや、普通にホラーだ。

 

「すごい顔をしてますけど、私は普通に扉を開けて入ってきましたからね? それに気付かないぐらい熱中していたようですが……考え事ですか?」

「あ、そ、そうなんですね……それは失礼をしました……」

 

 どうやらたづなさんが部室に入ってきたことに気付かないぐらい、考え事に没頭していたようだ。それを気恥ずかしく思った俺だったが、咳ばらいをして誤魔化す。

 

(……あれ? 部室に入ってきたのはともかく、俺の背後に回ったのは……)

 

 いくら集中していたとはいえ、さすがにそれは気付くと思うのだが。しかしたづなさんを見るとにっこりと笑っていたため、俺は何も尋ねない。

 

 その代わりに、俺もにっこりと笑った。

 

「じゃあ、徹夜はしないんでとりあえず日付が変わるぐらいまで」

「駄目です」

「家に持ち帰って」

「駄目です」

「……三時間ぐらいは?」

「二時間までなら許可します。ですが、毎日は駄目ですよ?」

 

 たづなさんは困ったように言う。しかし、俺としても譲れない。

 

「ウララとライスを強くするためなんです」

「それでしたら、他の仕事をもっと手早く片付けて、残った時間で考えてください。最初から残業ありきで動くのは駄目ですよ」

「くっ、正論……」

 

 トレセン学園から割り振られる仕事もあるが、それさえ片付ければ残った時間は全てウララとライスの育成に回せるのだ。仕事を早く片付ければ、その分育成の時間が増やせるというのは至極ごもっともである。

 

「ところでその右手、痛くないんですか?」

「え?」

 

 俺はたづなさんに言われて、自分の右手を見る。先ほど机に拳を叩きつけたせいで皮がめくれ、血が滲んでいる上に赤く腫れ始めていた。

 

「もしかしてですけど、折れてます?」

「折れ……てはないですね。あ、でも、痛い……ちょっ、ズキズキする!?」

 

 グーパーグーパーと右手を開閉してみると、徐々に痛みが増してきた。普通に動くため折れてはいないようだが、先ほどまでの集中力が途切れたからか、ズキズキと痛む。

 

 俺が右手を押さえながら痛みを堪えるように変なダンスを踊っていると、たづなさんがため息を吐いて救急箱を持ってきた。せっかくの部室ということで用意した一品である。

 

「もう……仕方ないですね。手当てするので椅子に座ってください」

「面目次第もございません……」

 

 怒りのまま机を殴って怪我をするとか子どもかな? 中身は良い歳したおっさんなのに恥ずかしくて仕方がない俺である。

 

「ふふっ……」

 

 俺がしょぼんとした顔で落ち込んでいると、たづなさんが小さく笑い声を漏らす。

 

「昨日のレースについてですか?」

 

 俺が何を気にしているのか、わざと主語を省いたように尋ねるたづなさん。手慣れた様子で俺の右拳を消毒し、軟膏を塗り、ガーゼを貼って包帯を巻いていく。

 

「……まあ、そんなところです」

「昨日のレースは惜しかったですね。最後のラストスパート、本当にあとちょっとだったんですが……」

「そう、ですかね……負けは負けなので……ウララの調子が良くて、ライスと一緒にトレーニングをしてたから実力もついてきて、俺も慢心してたのかなって……どうすれば良かったのかなって悩んでるうちに、まあ、この右手の有様ですわ」

 

 ウララやライスには口が裂けても言えないが、たづなさん相手には自然と弱音を吐露していた。

 

「そうですねぇ……私ならオグリキャップさんもエルコンドルパサーさんもまとめて抜いていたと思うので、なんとも言えないのですが」

「え?」

「え? ……たづなジョークです」

 

 なんだ、冗談か。美人で性格もスタイルも良いのにお茶目とか、とんでもないなこの人。完璧超人かよ。

 

 たづなさんはこほんっ、と可愛らしく咳払いすると、俺の右手に包帯を巻きながら言葉を続けていく。

 

「トレーナーさんとハルウララさんが普段から一生懸命だっていうのは、知っています。昨日のレースを見た限り、勝てない勝負ではありませんでした。ただ、時の運が味方しなかった……それぐらいに考えておいた方が気が楽になりますよ?」

「本当に運の問題だった……そう思いますか?」

 

 冗談で気をほぐしてくれたたづなさんに対し、俺は尋ねる。昨日のレースを運の一言で片づけることはできない。エルコンドルパサーが相手ならば時の運が味方すれば勝てるかもしれないが、今のウララがオグリキャップに勝てるイメージは湧かなかった。

 

「今のは優しい言い方にしてみました。トレーナーさんは厳しい方がお好きですか?」

「好きというよりは、必要だと思っています」

「なるほど、それは素敵ですね」

 

 たづなさんは包帯を巻き終わると、救急箱を片付けながら言う。

 

「私はあくまでチームキタルファの運営が軌道に乗るまで、トレセン学園のお仕事に関して指導やサポートを行うのが役目です。本来なら特定のチームに対して深入りするのは贔屓になっちゃうので駄目なんですが……」

 

 そこまで言ったたづなさんは、俺の顔を見るとにっこりと微笑んだ。

 

「あなたは一年目の新人さんなので、ちょっとだけ贔屓しちゃいますね? チームリギルの東条さんから色々と言われたのだと思いますが……」

「す、すいません。話の腰を折って申し訳ないんですが、東条さんから何か聞いたんですか?」

 

 もしかして東条さん、昨日のやり取りを理事長やたづなさんに報告していたのだろうか? それとも理事長やたづなさんから依頼されて俺に話をしにきたのか? その場合十分贔屓されてることになりそうだが。

 

「いえ、何も聞いていませんよ? ヒヤシンスステークスにオグリキャップさんが出て、チームリギルからもエルコンドルパサーさんが出た。そしてトレーナーさん、あなたもハルウララさんを出した。あとは東条さんの性格から、きっと有望な新人相手にお世話を焼いたんじゃないかと考えただけです」

 

 なにそれ怖い。理事長やたづなさんから何か依頼している方がもっと良かったわ。

 

 東条さんの性格とヒヤシンスステークスに出たウマ娘の面子から、()()()()()()()()()()()()を推測し、なおかつ今日の俺の様子を見て何があったかを推測したのだろう。

 

 言葉にするのは簡単だが、たづなさんがトレセン学園に所属するトレーナーやウマ娘のことをどれだけ理解しているのか、その一端を垣間見た気分だ。

 

「その上で私から言えることがあるとすると……東条さんからのアドバイスも、鵜呑みにしては駄目ってことですね」

「……と、仰いますと?」

 

 相手はトレーナーとして大先輩なんですが、という言葉は飲み込んで尋ねる。

 

「東条さんはチームリギルを率いているだけあって、トレーナーとしての手腕はトレセン学園どころか国内でもトップクラスだと私は思っています。国内だけでなく世界を見渡してみても、トップクラスに分類しても良いかもしれません」

「そんな人のアドバイスなら、聞いた方が良いのでは?」

 

 世界に何人いるかもわからない中でもトップクラスのトレーナーなら、その意見は聞き入れるべきではないだろうか? 事実、俺は東条さんの言葉に()()()()()()()()部分が大きい。

 

「トレーナーさん、いいですか? たしかに東条さんは優れたトレーナーですが、ウマ娘の育成に正解はないんですよ」

「それは……そう、ですね。ウララとライスの二人だけでも、それぞれ育成に必要な要素が違いますし」

 

 東条さんの言葉に()()()を得た俺だったが、たづなさんの言葉もまた、真理だろう。

 

 ウマ娘の性格や能力は千差万別で、それぞれに見合ったトレーニングを施していく必要がある。養成校では知識の上でそれを学んだが、俺はウララとライスを育成していくうちにそれを肌で感じるようになった。

 

「東条さんの性格とあなたのこれまでから考えるに……おそらく、以前と比べて必死さがなくなった、なんてことを言われたのでは?」

「……もしかして、現地にいました?」

 

 そのものズバリ過ぎて、本当に怖いんだが。

 

「推測ですよ。たしかに、あなたは新人のトレーナーが途中から担当を引き継ぐにしては破格のウマ娘を……ライスシャワーさんを育成することになりました。それに、ハルウララさんの育成を通して以前よりも行動や思考が変化したのはたしかでしょう」

「……はい」

「今のあなたとハルウララさんと二人で足掻いていた頃のあなたは、たしかに大きく変化しています。以前の方が必死だったのはたしかですが、あの頃のあなたはハルウララさんのやる気を引き出そうと()()()()()()()()()()と私は思います」

 

 たづなさんは真剣な表情で俺を見ながら、話を続ける。

 

「今のあなたは二人のウマ娘を担当することになった分、二人の先を、未来を見据えて行動しています。怪我をさせず、少しでも強くしてレースで勝たせようとしている……ハルウララさんとライスシャワーさんを大切に想う分、ちょっと臆病になっているところはありますけどね」

「…………」

 

 東条さんは必死さがなくなったといい、たづなさんは今のままでも良いと言う。俺としてはどちらの意見にも納得できるところがある、のだが――。

 

「つまり……正解なんてないんだから、常に考え続けて担当しているウマ娘にとっての最善を選択しなきゃいけないってことですか」

 

 そしてきっと、最善の選択ができるようにウマ娘だけでなくトレーナーも成長していけ、ということだろう。言うは易く行うは難しの典型だと思えるが。

 

「そういうことです。そもそも、トレーナー全員に共通して使えるウマ娘の育て方なんてものがあったら、トレーナーという職業自体必要なくなりますからね」

「そりゃごもっともで……あとは東条さんのアドバイスと、たづなさんのアドバイス……そこから()()()()()()()()()()を糧にすれば良いわけですか」

 

 俺がそう言うと、たづなさんはよくできましたと言わんばかりににっこりと笑う。

 

 ウマ娘の育成に正解がないというのは、トレーナー生活一年目ながらそれなりに理解しているつもりだ。というか、現在進行形で理解していっている。ウララとライスの育成で、毎日のように新たな発見と失敗があるからだ。

 

 今回の問答でも、劇的に何かが変わるわけではないだろう。だが、それでも俺の中に沸々とやる気が湧き上がってきたのもたしかだ。

 

(ウララとライスにとっての最善を模索していかないといけないわけだが……問題は、俺にとっての最善が二人にとって最善じゃない、あるいは次善や最悪のパターンこそが最善になり得ること、か……)

 

 性質が悪いのは、最善かどうかの結果がわかるのは時間が過ぎ去った後のことになる点か。その時は最善だと思っていても、後々、実は最悪の選択をしていたと判明する可能性もある。

 

「ぐぬぬ……自縄自縛というか、考えれば考えるほどドツボにハマる気が……」

「考えずに動いて上手くいくこともありますけど、大抵は失敗しますからね?」

「ですよねぇ。これまで以上に考えていくようにしないと……」

 

 直近で最も必要なことはなんだろうか? ライスの大阪杯のこともあるが、ウララとライスのどちらがまずいかというと――。

 

「よし……決めた」

 

 まずは、ウララに()()()()()()()()()を持たせなければならないだろう。

 

 

 

 

 

「ウララ、次は半月後の昇竜ステークスに出てみないか?」

 

 俺は、放課後部室に顔を出したウララとライスを前にして、そんな提案をしていた。最初は収得賞金を稼がせたいという思いがあったが、東条さんの話を聞いて、たづなさんと話をして気が変わった。

 

「えっ? 次もレースに出ていいの? うん、出たい出たい!」

 

 ウララは俺の話にすぐさま頷く。昨日レースをしたばかりだが、特に疲労が溜まっている様子もない。これならば体調面での問題はないだろう。

 

 半月あれば疲労を完全に抜き、体を鍛えることもできる。ヒヤシンスステークスの時よりも僅かでも良いから強くして昇竜ステークスに送り出すのだ。

 

「そうか……それなら申請しておくな。あと、今回は多分、出走するウマ娘がかなり多いと思う。それと、だ……」

 

 俺は一拍置き、少しだけ躊躇しながらも言った。

 

「今のウララじゃ勝てない相手が出てくると思う。それでも良いな?」

「……うん! オグリちゃんが出てくるの?」

 

 返事をするまでに、ウララは一瞬間が空いた。そしてウララの僅かな表情の変化を確認した俺は、内心で呟く。

 

(ウララはオグリキャップには勝てないって思ってるんだな……それだけあの走りが強烈だったか)

 

 外から見ていただけの俺と、実際に走ったウララではオグリキャップに対する印象が異なるのだろう。

 

「いや、違うぞ。オグリキャップじゃなくて、別のウマ娘だ。多分……というか、ほぼ確実に出てくると思ってるし、これから先、ウララがダート路線で戦っていくのなら何度も戦うことになるだろうさ」

「ふーん……誰だろー? 一緒に走るのが楽しみ!」

 

 ウララはワクワクとした表情で言うが、どことなく今までにない反応を見せているように思える。ライスが何かを言おうと口を開くが、俺が視線で制すとすぐに口を閉ざすのだった。

 

 

 

 

 

 そして半月後の3月前半。俺は部室に届けられた昇竜ステークスに関する封筒を受け取ると、早速内容を確認していた。

 

 やはりというべきか、他のトレーナーはオグリキャップとの対戦を避けていたのだろう。昇竜ステークスはオープン戦にも拘わらず、出走するウマ娘はフルゲート16人。

 

 そして、出走するウマ娘の名前を確認した俺は、困ったようにため息を吐く。

 

「一人は予定通りで……もう一人は予定外というか、出てきてほしくなかったな」

 

 そこにはダート路線で警戒していたウマ娘四人のうち、オグリキャップとエルコンドルパサーを除いた残りの二人。

 

 スマートファルコンとタイキシャトルの名前が記されていたのだった。


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